< 学生部 > 夏季教学研さんのために 2010

法華経

2010. 7.21. 創価新報


特色・構成

 法華経は、釈尊(しゃくそん)の「出世(しゅっせ)本懐(ほんかい)(この世に出現した根本目的)」とされる経典である。なぜなら、「如我等無異(にょがとうむい)(『()(ごと)(ひと)しくして(こと)なること()からしめん』=一切衆生(いっさいしゅじょう)を自分と同じ(ほとけ)にして異なることがないようにしたい)」という釈尊(しゃくそん)の誓願を、二つの点で成就しているからだ。
 一つは、法華経が初めて「万人(ばんにん)成仏(じょうぶつ)」を説いている点。もう一つは、釈尊滅後の衆生を救うために説かれている点である。
 法華経では、諸経典で成仏を否定されていた二乗(にじょう)声聞(しょうもん)縁覚(えんかく))や悪人・女人(にょにん)の成仏の道が開かれる。また「六難九易(ろくなんくい)」「三類(さんるい)強敵(ごうてき)」などを挙げ、滅後の弘教(ぐきょう)の難しさと尊さが示され、滅後の弘通(ぐづう)地涌(じゆ)菩薩(ぼさつ)に託される。
 そして法華経では、久遠実成(くおんじつじょう)という釈尊の本来の境地が明かされ、永遠の仏界(ぶっかい)の生命と救済の力が示される。
 このように、万年にわたる全民衆の成仏を完璧に説き切っているのは、一切経(いっさいきょう)の中でも法華経だけである。
             ◇
 次に、法華経の構成を見てみよう。
 法華経は8巻28品(「品」とは現代でいう「章」にあたる)から成り立っている。このうち、序品(じょほん)第1から安楽(あんらく)(ぎょう)(ほん)第14までを「迹門(しゃくもん)」、従地涌出(じゅうちゆじゅつ)(ぼん)第15から普賢(ふげん)菩薩(ぼさつ)勧発(かんぱつ)(ほん)第28までを「本門(ほんもん)」と呼ぶ。「迹」とは「跡」「影」の意であり、釈尊の本地(ほんち)を説いた本門に対してこう呼ばれる。
 迹門の中心は方便(ほうべん)(ぼん)第2、本門の中心は如来(にょらい)寿量(じゅりょう)(ほん)第16である。
 説法の場所という点から法華経を見ると、霊鷲山(りょうじゅせん)虚空(こくう)(空中)の2カ所で三つの説法が行われている(これを「二処三会(にしょさんえ)」という)。
 序品第1から見宝塔品(けんほうとうほん)第11の前半までは霊鷲山が説法の場となっているので「(ぜん)霊鷲山()」、見宝塔品の後半から嘱累品(ぞくるいほん)第22までは虚空で説法されているので「虚空会」、最後の薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)第23から普賢菩薩勧発品第28までは再び霊鷲山が説法の舞台になっているので「()霊鷲山会」という。
             ◇
 池田名誉会長は、「法華経は、仏の人格の核心を『誓願』と明かし、その『誓願』を継承する不二(ふに)の弟子に『法』が伝わることを明かした経典です」と語られた。
 一次元から言えば、法華経の物語とは、釈尊から滅後の弟子へ、万人救済の使命と誓いを受け継ぐドラマである。いわば法華経とは、「師弟不二の経典」と考えることができるのだ。

 

日蓮大聖人と法華経

 日蓮大聖人は立宗前、一切の経論を閲読し、比較・検討された上で、法華経が最も勝れた経典であることを確認された。
 そして、法華経をその経文の通りに実践。そのような御自身を末法(まっぽう)の「法華経の行者(ぎょうじゃ)」と表現された。
 法華経には、釈尊の滅後に法華経を信じ、行じ、(ひろ)めていく者には、さまざまな迫害が起こることが予言されている。
 たとえば法師(ほっし)(ほん)第10には、「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉(おんしつ)が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世の時以上の怨嫉がある(『猶多怨嫉(ゆたおんしつ)況滅度後(きょうめつどご)』)と説かれている。
 大聖人はこの経文について、竜樹(りゅうじゅ)天親(てんじん)天台(てんじん)伝教(でんぎょう)ら仏教の偉大な指導者たちは釈尊在世以上の難には遭っていないと指摘され、大聖人お一人だけが経文の通りに大きな怨嫉の難を受けたことを示される。
 また、大聖人は幾度も「及加刀杖(ぎゅうかとうじょう)(およ)び刀杖を(くわ)うる)」の大難に遭われ、2度の流罪によって「数数見擯出(さくさくけんひんずい)(たびたび追放される)」の経文も身で読まれた。勧持品(かんじほん)第13に説かれる「三類の強敵」も出現した。
 このように、大聖人が法華経を身読(しんどく)されたことによって、法華経が虚妄(こもう)にならず、釈尊の言葉の正しさが証明されたのである。
             ◇
 ここで注意したいのは、大聖人が末法の法華経の行者として弘められたのは、釈尊が残した法華経28品ではないという点だ。
 法華経では、釈尊が久遠の昔に成道(じょうどう)したことが明かされているものの、いかなる修行によって成仏したかについては明示されていない。
 大聖人は、釈尊をはじめ一切の仏が成仏した根源の一法を法華経の文底(もんてい)(経文の元意(がんい))に求められ、その法を法華経の肝心・南無妙法蓮華経として明かされた。
 「(いま)末法(まっぽう)に入りぬれば余経(よきょう)も法華経もせんなし、(ただ)南無妙法蓮華経なるべし」(御書1546n)と、三大秘法(さんだいひほう)の南無妙法蓮華経を弘められたのである。
 ここに、大聖人が「末法の()本仏(ほんぶつ)」たるゆえんがある。

 

あらすじ

説法への序幕
 法華経の冒頭は、釈尊が説法を行う場所と、法を求めて集まった参加者の紹介から始まる。
 場所は、古代インドの霊鷲山(りょうじゅせん)。そこに、1万2000の声聞(しょうもん)、8万の菩薩(ぼさつ)をはじめ、何十万ともされる数多くの聴衆≠ェ集まっていた。
 釈尊は、そこで無量義処三昧(むりょうぎしょさんまい)(瞑想)に入り、大地が震動し、眉間から光を放ち、東方の国土を照らしたりと、不可思議な現象を現す。
 釈尊はなぜ、諸々の現象を示したのか――皆の驚きと疑問を代表して弥勒(みろく)菩薩が問うと、それに文殊師利(もんじゅしり)菩薩が(おのれ)の過去世の体験に照らして答える。「かつて日月燈明仏(にちがつとうみょうぶつ)という仏が、同じような瑞相(ずいそう)を示して法華経を説いた。だから今、釈尊も、これから法華経を説くであろう」と(ここまで、序品第1)。

諸法実相と開三顕一の法理を示す
 その時だった。釈尊は瞑想から立ち上がり、突然、舎利弗(しゃりほつ)(釈尊の十大弟子の一人で「智慧(ちえ)第一」と言われる)に、仏の智慧の素晴らしさを語り始める。「諸仏の智慧は甚深(じんじん)無量(むりょう)なり。()の智慧の門は難解難入(なんげなんにゅう)なり」
 さらに、それは「諸法の実相(じっそう)」を(きわ)めた智慧なのだと強調(「諸法実相」については解説を参照)。その「実相」を「十如是(じゅうにょぜ)」として明かした。
 続いて、仏がこの世に出現した根本目的(一大事因縁(いちだいじいんねん))は、一切衆生を成仏させることにあると明かす。ゆえに、成仏への唯一の教え(一仏乗(いちぶつじょう))を衆生に説くのだ、と。
 これまで声聞(しょうもん)縁覚(えんかく)・菩薩(三乗(さんじょう))をはじめ、衆生の機根(きこん)(仏法を受け止める能力)に応じて説いてきた教えはすべて、万人を一仏乗に導くための「方便(ほうべん)」である。一仏乗こそ仏の説法の目的である(開三顕一(かいさんけんいち))――。
 すなわち釈尊は、法華経以前の諸経(爾前経(にぜんきょう))では成仏できないとされていた二乗(にじょう)の成仏(二乗作仏(さぶつ))を明かしたのである。
 これらの法理により、二乗を含む九界(きゅうかい)の衆生の生命に仏界(ぶっかい)(そな)わることが明確になった。「十界互具(じっかいごぐ)」の原理である。
 法華経迹門(しゃくもん)において初めて、一切衆生の成仏の理論的な基盤が確立されたのである(ここまで、方便品第2)。

たくみな譬喩で弟子の信解促す
 舎利弗は、これらの法理を理解し、大いに歓喜。釈尊から「授記(じゅき)」を受ける。授記とは、未来に成仏できるという保証≠与えることである。
 一法、ほかの弟子たちは釈尊の言っていることが十分に理解できなかった。そこで釈尊は、「三車火宅(さんしゃかたく)(たと)え」を述べた。内容はこうだ。
 ――七譬(しちひ)@ 突然の火事で炎が燃えさかる屋敷(娑婆(しゃば)世界)の中で、子どもたち(一切衆生)がそれに気付かず遊んでいる。彼らを外に誘い出して救うため、父である長者(仏)は、子どもたちが欲しがっていた羊車(ようしゃ)鹿車(ろくしゃ)牛車(ごしゃ)(声聞・縁覚・菩薩の三乗の教え)の三車が門外に用意してあると告げた。それに喜んだ子どもたちが火宅から出てくると、長者はそれ以上に素晴らしい大白(だいびゃく)牛車(一仏乗)を子どもたちに与えた――(ここまで、譬喩品(ひゆほん)第3)。
 開三顕一をわかりやすく表したこの譬えによって歓喜したのは、四大(しだい)声聞(しょうもん)須菩提(しゅぼだい)迦旃延(かせんねん)迦葉(かしょう)目?連(もっけんれん)<目連>)である。彼らは理解した法門を譬喩に託して語り始めた。「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬え」である。
 ――七譬A 昔、幼い時に長者の父親(仏)のもとから家出した息子(衆生)がいた。彼は、貧しさに苦しみながら何十年も他国を放浪。父親は、多くの財産(一仏乗)を譲るべき息子が帰ってくるのを待ち望んでいた。
 ある時、息子は、たまたま父親の住む城にやって来る。が、その城主が幼少のころに別れた自分の父だとは気付かない。父親は息子に使いを送るが、息子は殺されると思い、気絶してしまう。
 本当のことを言ってもわからない――そう判断した父親は、彼を掃除係として雇うことにした。やがて20年が過ぎ、息子が遠慮なく城を出入りするようになると、今度は財宝を管理させた。息子はその役目を立派に果たし、志も高くなっていった。
 そこで父親は、親族や国王、大臣らを集め、ついに告げる。「この人物は、昔、私のもとから逃げ出した息子である。今、私の所有する財産はこの子のものである」と――。
 思いも寄らなかった成仏の可能性(財産)が自身に具わっている――そのことを譬えた四大声聞は、「無上宝聚(むじょうほうじゅ)不求自得(ふぐじとく)(無上の宝聚は 求めざるに(おのずか)ら得たり)」と語った(ここまで、信解品(しんげほん)第4)。
 この譬えを聞いた釈尊は、「巧みに如来(にょらい)の真実の功徳(くどく)を説いた」と四大声聞を讃え、さらなる補足として「三草二木(さんそうにもく)の譬え」を説く。
 ――七譬B 三千大千(さんぜんだいせん)世界(全宇宙)に、さまざまな種類の草木(説法を聞く人々)が生い茂っている。そこへ雲が広がり、雨(仏の教え)が降り注ぐ。その潤いは、あらゆる草木に行き渡り、おのおの、その性質にしたがって生長し、花を咲かせ実を結ぶ。降る雨は同じだが、大・小の樹木、大・中・小の薬草などの草木には違いがある――。
 この譬えは、何を意味しているのか。
 それは、衆生の機根に応じてさまざまな教えを説いてきたが、その本質は一仏乗であり、仏は平等に法を説くこと。つまり、分け隔てなく、一切衆生を成仏させようとする仏の慈悲(じひ)を表している(ここまで、薬草喩品(やくそうゆほん)第5)。
 なお、これまでの三つの譬えは、すべて「開三顕一」を表している。
 ここに至って釈尊は、まず「頭陀(ずだ)第一」の弟子・迦葉に授記を行う。それを見た目連、須菩薩、迦旃延は、釈尊に懇願し、授記を受ける(ここまで、授記品(じゅきほん)第6)。

仏と弟子の因縁を説く
 ここで釈尊は、さらに多くの衆生を目覚めさせるために自身の過去世の「因縁」について語り始める。
 すなわち、長遠(ちょうおん)の昔、最高の悟りを得た大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)という仏がいた。その仏には16人の子(十六王子)がおり、皆が父の弟子となった。大通智勝仏は、子らの願いによって法華経を説き、禅定(ぜんじょう)(安定した境地)に入る。その師の姿を見た十六王子は、師が説いた法華経を諸国で説き、無数の衆生を教化(きょうけ)した(大通覆講(だいつうふっこう))。
 この後、釈尊は、その十六王子のうち16番目が自身の過去世の姿であること、また、その時に教化した衆生こそ、今、眼前にしているあなたたち≠ナあると明かす。
 続いて釈尊は、「化城宝処(けじょうほうしょ)の譬え」を説く。
 ――七譬C ある一団が、宝に満ちた城(一仏乗)を目指していた。その道のりは遠く、到達するまでの旅は険しかった。
 一団を率いる一人の聡明なリーダー(仏)に導かれ、人々(衆生)はかなりのところまで来たが、やがて疲れと不安をおぼえ、もうここで引き返したいという気持ちを抱いた。
 そこでリーダーは、神通力をもって、かなた前方に幻の城を作り出し、あの城に入れば安穏(あんのん)になれると皆を励ます。
 それを見た人々は、大喜びで前進し、城に入り、元気を回復することができた。そこで、リーダーは、この幻の城を消し去って告げた。
 「宝に満ちた城(成仏)はもう近くです。先ほどの城(三乗の教え)は、休憩するために、私が仮に作り出した幻なのです」――
 この譬えと大通覆講の話を通し、釈尊は伝えたのだ。仏は果てしない過去から一貫して弟子たちを導いてきた。三乗の教えは方便(ほうべん)であり「化城」だった。一仏乗こそ本当の目的であり、師匠は忍耐強く、また慈愛深く、弟子たちを巧みに導いてきた、と(ここまで、化城喩品(けじょうゆほん)第7)。
 この因縁を聞いた富楼那(ふるな)(「説法第一」と言われた弟子)は大いに喜び、授記を受ける。そしてさらに、同じく歓喜した1200人の阿羅漢(あらかん)小乗経(しょうじょうきょう)で最高の悟りを得た声聞(しょうもん))のうち、500人に授記がなされる。
 この500人の阿羅漢たちは、今まで自分たちが小さな智慧で満足し、仏の大きな智慧を求めようとしなかったことを悔いた。そして、そんな自分たちを貧しい流浪(るろう)の人≠ノ譬え、「衣裏珠(えりじゅ)の譬え」を語り始めた。
 ――七譬D ある貧しい男が親友の家で酒に酔い、眠ってしまった。親友は、この男が困り嘆くことのないよう、男の衣服の裏に、最高に高価な宝石を縫いつけてあげた。
 しかし男は、食べるにも事欠くほど貧乏になっていく。わずかでも稼ぐと、それに満足した。しかし、自分の衣服の裏(生命の奥底(おうてい))に宝石(仏性)が縫いつけられているとは夢にも思わない。
 やがて、男は親友と再会。彼は、男の衣服に宝石を縫いつけたことを教える。男は大いに喜び、その先、何事も不自由なく過ごすことができた――(ここまで、五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)第8)。
 この後、釈尊は、阿難(あなん)羅?羅(らごら)(「多門(たもん)第一」と「密行(みつぎょう)第一」と言われる弟子)に授記を与える。加えて、まだ阿羅漢を得ていない(がく)(学ぶべきことが残っている者)・無学(むがく)(学び終えた者)の弟子2000人にも授記を行う(ここまで、授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)第9)。
 以上、ここまでで「法説」「譬喩説」「因縁説」の説法を行い、声聞たちに成仏の記別を与えたことを「三周(さんしゅう)の説法」という。

滅後弘教に言及
 ここまでの内容は、「現在(在世)の衆生をどう救済するか」がテーマだった。
 ここから釈尊は、いよいよ、自身の滅後において、妙法(みょうほう)をどのように弘通(ぐづう)していくかについて語り始める。
 まず、法華経を修行する人に言及。その人は、清浄な場所に生まれようと思えばできるのに、苦悩の民衆を救うために、あえて願って悪世に生まれ、法華経を説くのだ、と(願兼於業(がんけんおごう))。
 そして、法華経をわずかでも聞いて喜び、この経を(たも)つ者を供養する功徳(くどく)は、仏を供養する功徳にも勝る。逆にののしる者は、仏をののしるよりも罪が重いと断言する。
 法華経を受持(じゅじ)する者が、いかに偉大か――。そのことを語った末、釈尊は薬王菩薩(やくおうぼさつ)に告げる。
 「私が説いてきた諸々の教典の中で、法華経こそが第一である」と。
 そして、滅後にこの経を弘める者は、「仏の在世でさえ、なお怨嫉(おんしつ)が多い。いわんや仏の滅後に、さらに怨嫉が多いのは当然である(「如来(にょらい)現在(げんざい)猶多怨嫉(ゆたおんしつ)況滅度後(きょうめつどご)」)と、仏が受けた以上の怨嫉の難を受けることを明かした。
 これは、釈尊の滅後に仏の心を受け継ぎ、仏の行動を実践するための覚悟を、弟子に促していると考えられよう(ここまで、法師品(ほっしほん)第10)。

宝塔の出現 虚空会の説法へ
 と、その時である。金や銀など7種の宝で飾られた塔(宝塔(ほうとう))が突然、地からわき出し、空中(虚空(こくう))に浮かび上がった。高さは五百由旬(ゆじゅん)(一説によれば、地球の直径の3分の1ほど)。想像を絶する巨大さだ。
 さらに、その宝塔から何者かの大音声(おんじょう)が響く。
 「素晴らしい。素晴らしい。釈尊が説いたことは、すべて真実である」
 驚天動地(きょうてんどうち)の弟子たち。喜びや疑いが入り交じる中、皆の思いを代弁して、大楽説(だいぎょうせつ)菩薩が釈尊に問う。
 「どういうわけで、この宝塔が現れ、音声が発せられるのでしょうか」
 すると釈尊は答える。
 「宝塔の中には多宝(たほう)如来(にょらい)という仏がいらっしゃる。この仏はかつて誓ったのだ。『法華経が説かれる所があれば、そこに現れ、説かれる法が真実であることを証明し、素晴らしいと賛嘆(さんたん)しよう』と」
 大楽説菩薩は宝塔の中にいる、その仏の姿が見たいと釈尊に願った。
 宝塔の扉は固く閉ざされており、多宝如来の姿は見えない。
 そこで釈尊は、国土を3回にわたって清め(これを「三変土田(さんぺんどでん)」という。解説を参照)、十方世界で釈尊の分身として説法をしている諸仏を呼び寄せ、いよいよ虚空(こくう)に浮かぶ宝塔の扉を開く。
 そこには多宝如来が荘厳な姿で座っていた。多宝如来は、再び「素晴らしい。素晴らしい」と釈尊を讃えた後、座を半分空けて釈尊に譲る。釈尊は塔の中に入り、多宝如来と並んで座った(二仏並坐(にぶつびょうざ))。
 さらに釈尊は、大衆を虚空に引き上げ、虚空での説法を開始する。ここから、舞台は法華経のハイライトである「虚空会(こくうえ)」に移るのだ。
 まず、釈尊は大声で弟子たちに問いかけた。
 「誰か、この娑婆(しゃば)世界で、広く法華経を説くものはいないか。仏は近いうちに入滅するだろう。この法華経を託したい」
 仏の滅後において誰が法華経を弘めるのか――。これが、虚空会の説法の主題である。
 重ねて釈尊は、「六難九易(ろくなんくい)」(解説を参照)を説き、滅後弘通(ぐづう)の至難さを明かした(ここまで、見宝塔品(けんほうとうほん)第11)。

悪人・女人の成仏を明かす
 ここで釈尊は、過去世のある因縁を語る。
 「私が過去に国王として生まれ、法を求めていた時、法華経を(たも)つ仙人に出会った。その仙人のもとで千年にわたる修行を重ね、私は成仏することができたのだ」
 続けて釈尊は、驚くべき事実を明かす。
 「実は、今語った仙人とは、提婆達多(だいばだった)である。私が仏として衆生を導くことができるのは、提婆達多のおかげなのだ」
 提婆達多とは、釈尊に反逆し、釈尊の殺害を図った大悪人の弟子である。
 その提婆達多が、「遠い未来に成仏するだろう」と釈尊は言う(悪人(あくにん)成仏)。
 この言葉を聞いた弟子たちが、耳を疑うほど驚愕したことは想像に難くない。なぜなら法華経以前の諸経では、悪人・女人(にょにん)の成仏は否定されてきたからだ。
 さらに、大海の竜宮で説法をしてきた文殊師利(もんじゅしり)が語る。
 「竜王の娘である8歳の竜女(りゅうにょ)は、法華経を聞いて即座に悟りを得た」と。
 まさか――。弟子はそのことが信じられない。8歳の、しかも女人が成仏できるはずがない。智積(ちしゃく)菩薩と舎利弗(しゃりほつ)が「不信」「難信(なんしん)」を示した。
 すると竜女は、成仏の証しである「三十二相・八十種好(しゅこう)」という姿を(げん)じ、妙法を説いて見せる。これにより、「女人成仏」が証明されたのである。
 この竜女の成仏は画期的な出来事だった。
 智積菩薩や舎利弗をはじめ弟子たちは、成仏のために、何度も生まれ変わりながら難行苦行を続けること(歴劫(りゃっこう)修行)が必要であると信じていた。成仏は現在のことではなく、遠い未来のことだと思っていたのだ。
 ところが竜女は、九界(きゅうかい)の身を改めることなく、その場で仏界(ぶっかい)の生命を開く現証(げんしょう)を示して見せた。「即身成仏」である。この実証を目の当たりにし、信じがたいなどと言う弟子は、もはやいなくなった(ここまで、提婆達多(だいばだった)(ほん)第12)。

弟子が誓う 悪世の忍難弘通
 妙法とは、かくも偉大なのか――。感激が法華経の会座(えざ)に広がった。
 薬王菩薩、大楽説菩薩をはじめとする菩薩たちは、釈尊に誓う。「世尊(せそん)(釈尊)よ。心配なさらないでください。私たちが滅後に法を弘めます。悪世の衆生が、いかに機根(きこん)が悪く、教化しがたくても、法華経の修行に身命を惜しみません」
 他の者たちも口々に法華経を弘めることを誓う。
 ――「三類(さんるい)強敵(ごうてき)」の激しい妨げがあったとしても、悪世に法を弘めてまいります(ここまで、勧持品(かんじぼん)第13)。
 ここで文殊師利菩薩が「悪世において、どのように法華経を説いたらよいでしょうか」と問う。
 釈尊はそれに応えて、初心の者が仏果(ぶっか)を得るために実践すべき、四つの修行法を示した(四安楽行(しあんらくぎょう))。
 さらに、釈尊は文殊師利菩薩に言う。「無数の国において、この法華経の名を聞くことはない」。なぜなら、これまで釈尊は真実の教えを説かずに、爾前(にぜん)権教(ごんきょう)を説き続けてきたからである、と。
 そして釈尊は、「髻中明珠(けいちゅうめいしゅ)の譬え」で、胸中の思いを明かす。
 ――七譬E 昔、転輪聖王(てんりんじょうおう)という強力な王がいた。転輪聖王は諸国を治め、諸国の王が背いて従わない時には兵を起こし、討伐するのだった。そうして功績のあった兵たちには、その武勲に応じて、武具や田畑や財宝などを褒美として与えた。ただし、(もとどり)(髪を頭の上で束ねた部分)の中の明珠だけは誰にも与えなかった――。
 この転輪聖王のように、釈尊は、法華経を長い間、誰にも与えず胸中に秘めてきた。それを今初めて、説くのである(ここまで、安楽行品(あんらくぎょうほん)第14)。

地涌の菩薩の登場
 ここまでの法華経前半14品が「迹門(しゃくもん)」である。説かれた法門はいずれも、かつて聞いたことのないものばかり。弟子にとって、驚きの連続だったに違いない。しかし、「本門(ほんもん)」の冒頭は、さらなる驚きに満ちたものだった。
 まず、八恒河沙(はちごうがしゃ)(ガンジス河の砂の数の8倍)の菩薩が誓いを述べる。
 「釈尊よ。もし、この娑婆世界で法華経を修行することを許していただけるならば、この国土で法を説いていきます」
 菩薩たちは、これまでも、悪世の法華経流布を誓ってきた。いよいよ菩薩たちに弘法(ぐほう)が託されるだろう――誰もがそう推察する文脈である。
 しかし釈尊は、それを制止した。「()みね。善男子(ぜんなんし)よ」。あなたたちが法華経を護持(ごじ)する必要はない。この娑婆世界には六万恒河沙の地涌(じゆ)の菩薩たちがいて、彼らが滅後に経を弘めてくれるからだ、と。
 その時だった。突如、娑婆世界が震動し、地から無量の菩薩が出現する。その姿は荘厳で、仏の特徴を見事に具えていた。「地涌の菩薩」(解説を参照)の登場である。
 これまで法華経の会座(えざ)にいた弟子たちは驚嘆(きょうたん)した。見たことも聞いたこともない菩薩が現れたのである。大衆を代表して弥勒(みろく)菩薩が問う。
 「この菩薩たちは、どこから来て、どのような因縁でここに集ってきたのでしょうか」
 この質問に対し、釈尊は「よくぞ、このような大事を問うた」と喜び、その因縁を明かし始める。
 実は――。「私は久遠(くおん)よりこのかた、これら地涌(じゆ)の菩薩を教化(きょうけ)し続けてきたのだ」と。
 これは、にわかに信じがたいことだった。弥勒菩薩をはじめ諸菩薩は、「釈尊が、今世(こんぜ)で始めて悟りを得た(始成正覚(しじょうしょうかく)」と信じていたからだ。ゆえに弥勒菩薩たちは、疑念を抱く。
 「世尊は王宮を出て出家され、悟りを開かれてから40余年になったばかりです。このわずかな期間でこのような無量の菩薩を、どのように教化されたのですか」(ここまで、従地涌出品(じゅうちゆじゅつぽん)第15)。

釈尊の発迹顕本 久遠実成を示す
 仏の言葉を疑う弟子たちを前に、ついに釈尊は真実を語り始める。
 「あなたたちよ。明らかに聞きなさい。一切の人々は、皆、私が今世(こんぜ)で初めて成仏(じょうぶつ)したと思っている。ところが、私は(じつ)に成仏してから、無量無辺(むへん)の時間を()ている」
 これが「久遠実成(くおんじつじょう)」(解説を参照)である。これにより、仏の生命が永遠であることが明かされた。
 ここに(いた)って釈尊は、ついに始成正覚という(かり)の姿(迹)を(ひら)いて、久遠実成という本来の境地(きょうち)(あらわ)した。これを釈尊の「発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)」という。
 続けて釈尊は言う。
 「私は常にこの娑婆(しゃば)世界にあって、衆生(しゅじょう)説法(せっぽう)を行い、教化してきた」
 「私が、菩薩の道(成仏の(いん)となる修行)を実践してきた寿命は、今なお尽きていない。さらに五百塵点劫(じんてんこう)に倍する長い時間にわたって続くであろう」
 つまり、仏の生命と同様に、九界(きゅうかい)(ここでは菩薩界)の生命もまた、永遠であることが示されるのである。
 これにより、仏界(ぶっかい)と九界の生命がともに常住(じょうじゅう)であり、九界の身のままで仏界の生命を現すことができるという(しん)の仏の姿が、事実の上で明らかになったのだ。
 ところで、ここで一つの問題が生じる。仏が常住不滅(ふめつ)であるなら、なぜ釈尊は入滅(にゅうめつ)するのか。
 このことについて、経文では「もし仏が入滅しないと見れば、(弟子は)すぐに(おご)りや、ほしいままの心を起こして、(おこた)る心を(いだ)き、仏を(した)う思いや、敬う心を生ずることができないだろう」と()いている。
 仏を求める心を引き出すために、方便(ほうべん)として涅槃(ねはん)(死)を(あらわ)すのである、と(方便現涅槃(ほうべんげんねはん))。
 このことを分かりやすく教えたのが、「良医病子(りょういびょうし)(たと)え」である。
 ――七譬F 薬の調合に詳しく、よく病を治す良医がいた。その良医の子どもたちが、ある時、誤って毒薬を飲んでしまう。驚いた父は、すぐに「大良薬」を作り、子どもたちに与えた。
 素直に飲んだ子どもは間もなく回復。しかし、毒のために本心を失い、薬を飲もうとしない子どももいた。
 そこで良医は一計を案じ、実行する。
 「私は老いて、死ぬ時も迫っている。大良薬をここに置いておくから、飲みなさい」
 そう子どもたちに言い残し、良医は他国へ。そして旅先から使いを(つか)わして「父が死んでしまった」と告げさせた。
 本心を失っていた子どもたちは驚き、悲しみのあまり本心を取り戻して、父が作った良薬を飲み、病が()えた。そこへ父が帰ってくるのだった――。
 この譬えを語り終えた釈尊は、重ねてこの寿量品「長行(ちょうぎょう)」の意義を述べるために、「()詩句(しく)の形をした経文)」を説いた。これが、私たちが勤行で読誦(どくじゅ)している「自我偈(じがげ)」である。その最後はこのように締めくくられている。
 「私は常にこのことを念じている。どのようにすれば、衆生を無上(むじょう)の道に入らせ、(すみ)やかに仏身を成就(じょうじゅ)させることができるだろうか」(ここまで、如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第16)

法華経流布の功徳
 ここから釈尊は、寿量品の久遠実成の説法を聞いた人々が得られる功徳を12種類に分別して語っていく。
 続いて、釈尊在世の衆生が、寿量品の説法を聞いて受ける四段階(四信)の功徳を示す。
 例えば、一念でも信解(しんげ)を起こして(一念信解)得られる功徳は、菩薩の修行である五波羅蜜(はらみつ)布施(ふせ)持戒(じかい)忍辱(にんにく)精進(しょうじん)禅定(ぜんじょう)の修行)を無量(むりょう)の長期にわたって行う功徳よりもはるかに(すぐ)れている、などである。
 さらに、滅後の衆生が寿量品を聞いて随喜の心を起こして(初随喜品)得られる功徳など、五段階に分けて(五品)、それぞれに得られる功徳が明かされる。(ここまで、分別功徳品(ふんべつくどくほん)第17)。
 続けて釈尊は、前品で説いた随喜の功徳について語る。
 ――仏の滅後に弟子たちが、さまざまな場所で法華経を説き、それを聞いて随喜した人が、またほかの地で法華経を伝えるなどして、50番目の人に達するだろう。この50番目の人の功徳を説くことにする。
 例えば、ある人が80年にわたって、生きとし生けるものに欲しがるものを与え、さらに仏法を説いて阿羅漢果(あらかんか)小乗(しょうじょう)の悟り)を()させた。
 その人の功徳はどのようなものか。実は、先ほどの50番目の人が法華経を一偈(いちげ)でも聞いて随喜した功徳には及ばないのである。
 まして、最初の説法の座で随喜した人の功徳は(はか)り知れない。これを「五十展転(てんでん)」という(ここまで、随喜功徳品(ずいきくどくほん)第18)。
 さらに、釈尊は法華経を受持し、読み、(じゅ)し、解説(げせつ)し、書写する功徳を明かす。
 すなわち、様々な眼の功徳、耳の功徳、鼻の功徳、舌の功徳、身の功徳、意(心)の功徳を得る、と。これを「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」という(ここまで、法師功徳品(ほっしくどくほん)第19)。

不軽菩薩の実践
 釈尊は、ここで話題を(てん)じ、過去の話をはじめる。
 ――昔、威音王如来(いおんのうにょらい)という仏が滅度(めつど)した(のち)像法(ぞうほう)(仏法が形骸化(けいがいか)していく)の時代に、常不軽(じょうふきょう)という菩薩がいた。
 この菩薩は、「私は深くあなた方を敬います。決して(かろ)んじたり、(あなど)ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば必ず仏になれるからです」(漢語では24文字で書かれているため「二十四文字の法華経」と呼ばれる)と、常に人々を礼拝賛嘆(らいはいさんたん)していた。
 しかし、増上慢(ぞうじょうまん)の人々は、この不軽菩薩を軽蔑(けいべつ)し、悪口(あっこう)をあびせ、杖や棒で打ったり瓦や石を投げつけたりして迫害を加える。
 それでも不軽菩薩は礼拝行を貫き、やがて、その功徳で六根清浄を得て、寿命を延ばし、広く法華経を説いたのだった。
 迫害していた者たちは、不軽菩薩のその説法を聞いて、ついに信じるようになるのである。
 ここで釈尊は明かす。
 「この不軽菩薩は、実は私なのである」と。そして、迫害を加えた者たちは、一度は地獄に堕ちるが、罪を終えた後、再び不軽菩薩の教化にあうことができたのである(ここまで、常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)第20)。

地涌の菩薩に付嘱
 こうして、法華経を広める功徳、弘教(ぐきょう)の方法が明らかになった、その時である。地涌の菩薩たちが合掌(がっしょう)して釈尊の尊貴(そんき)な顔を(あお)ぎ、誓った。
 「私たちは、釈尊の滅後に、法華経を説いてまいります」
 すると釈尊は、梵天(ぼんてん)に届く広く長い舌を出し、全身の毛穴から無数の光を放つなど、十種の不思議な力を現し、語った。
 「この神力(じんりき)をもってしても法華経の功徳は説き尽くすことはできない。ゆえにあなたたちは、仏の滅後に、一心にこの経を受持(じゅじ)していきなさい」と、法華経の肝心を四つの句にして滅後の弘経を上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)をはじめとする地涌の菩薩に託したのである。これを「別付嘱(べつふぞく)」という。「付嘱」とは、仏が弟子に弘法を託すことを指す(ここまで、如来神力品(にょらいじんりきほん)第21)。
 続けて釈尊は法座(ほうざ)から立ち上がり、今度は、無量の菩薩の頭をなで、こう告げる。
 「この仏の悟りの法を今、あなたたちに託す。この法を一心に流布(るふ)して、広く人々に利益(りやく)を与えていきなさい」
 迹化(しゃっけ)他方(たほう)を含む一切の菩薩への付嘱である。これを「(そう)付嘱」という。
 諸菩薩は大いに歓喜し、「釈尊の(おお)せられたとおり、実行いたします」と誓った。
 それを聞いた釈尊は、十方(じっぽう)から来集(らいしゅう)した分身仏に本土(ほんど)へ帰るよう(うなが)し、宝塔も元のとおりにするよう呼びかけた(ここまで、嘱累品(そくるいほん)第22)。

再び霊鷲山へ
 虚空会(こくうえ)の儀式の目的は達成された。滅後の法華経流布。それが、明確に弟子へ託されたのだ。
 地涌の菩薩たちは会座を去り、法華経の説法の舞台は、再び霊鷲山(りょうじゅせん)へ。
 ここからは、迹化・他方の菩薩たちに、重ねて法華経弘通(ぐづう)の使命を確認していく。まずは薬王(やくおう)菩薩について。
 ――昔、ある仏の説法により、「色心三昧(しきしんさんまい)」という境涯(きょうがい)を得た菩薩がいた。その菩薩は仏への報恩(ほうおん)のために身を焼いて供養し、生まれ変わった後、仏から付嘱を受けた。この菩薩こそ、現在の薬王菩薩である。
 本品の最後には「(のち)の五百歳(末法(まっぽう))の中、閻浮提(えんぶだい)に広宣流布して、断絶(だんぜつ)して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉(やしゃ)鳩槃荼(くはんだ)等に()便(たより)()しむること無かれ」と、釈尊滅後の広宣流布が予言されている(ここまで、薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)第23)。
 次は、釈尊を供養するために娑婆世界にやって来た妙音(みょうおん)菩薩について。
 ――昔、十万種の歌や(まい)伎楽(ぎがく)などで仏を供養した菩薩がいた。その功徳によって、その菩薩は妙音菩薩として生まれ、梵天(ぼんてん)帝釈天(たいしゃくてん)などの三十四身を(げん)じて法を説き、一切衆生を教化するのである(ここまで、妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)第24)。
 続いて、観世音(かんぜおん)菩薩について述べる。
 ――観世音菩薩もまた、衆生を苦悩から救うために、三十三種の身に変じて、あらゆる衆生の苦悩の声を(かん)じて、その苦悩を救っていくのである(ここまで、観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第25)。

法華経の行者守る諸天善神の誓い
 菩薩や諸天(しょてん)鬼神(きじん)等が、ここに(いた)って次々と「法華経を受持するものを、陀羅尼(だらに)をもって守護します」と誓う。
 悪世末法における法華経弘通の人に対する守護が説かれたのである(ここまで、陀羅尼品(だらにほん)第26)。
 ここで釈尊は、過去の話を始める。
 ――昔、妙荘厳王(みょうしょうごんのう)という王がいた。王は外道(げどう)(仏教以外の教え)を信じていたが、その二人の息子は仏道(ぶつどう)修行に励んでいた。息子たちは、どうしても父を仏に会わせたいと、父の前で神変(じんぺん)を現じる(法華経の力を示す)。
 すると妙荘厳王は大歓喜し、「お前たちの師匠が見たい」と仏のもとへ行き、帰依(きえ)したのだった。
 ここでは、仏法にめぐり合うことの(むずか)しさ、めぐり合うことのできる福運(ふくうん)が示される(ここまで、妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)第27)。
 最後は、説法の終わりに法華経の会座に駆けつけてきた普賢(ふげん)菩薩について述べる。
 ――「末法において法華経を受持する者を守護します」。この普賢菩薩の誓いを釈尊は大いに()(たた)え、もし法華経を受持する者を見たならば「遠く(むか)えるべきことは、相手が仏であるように(うやま)っていきなさい」と述べる。この経緯(けいい)を見た諸々(もろもろ)の菩薩は、普賢菩薩の仏法者守護の誓いを、わが誓いとしていく。
 ここで説法は終わる。法華経の会座にいる人々は歓喜し、去っていくのだった(ここまで、普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)第28)。

 

解説

諸法実相
 「諸法(しょほう)」とは、この現実世界のすべての現象=B「実相(じっそう)」とは究極の真理≠フことである。
 諸法と実相とが別々のものではなく、諸法はそのまま実相の現れであり、実相は諸法から離れてあるものではないとするのが「諸法実相」である。
 日蓮大聖人は「(しも)地獄(じごく)より(かみ)仏界(ぶっかい)までの十界(じっかい)依正(えしょう)当体(とうたい)(ことごと)一法(いっぽう)ものこさず妙法蓮華経のすがたなり」(御書1358n)――地獄界から仏界までの十界の衆生とその環境世界は、すべて妙法蓮華経の現れである――と(おお)せになっている。
 諸法実相が説かれたことによって、十界の衆生はすべて妙法蓮華経(実相)の当体であり、平等に成仏できることが理論的に明らかになった。
 この原理を踏まえ、法華経では、爾前経(にぜんきょう)で成仏できないとされていた二乗(にじょう)や悪人、女人(にょにん)の成仏が明かされていく。

三変土田
 今いる国土を仏国土(ぶっこくど)に変えていくという変革の法理のこと。
 宝塔の中にいる多宝如来の姿が見たい――弟子たちは釈尊に願うが、それには条件があった。十方(じっぽう)世界で法を説いている釈尊の分身の諸仏を、この説法の場に来集させることだ。そのためには、説法の場を仏が集うにふさわしい国土に浄めることが必要だった。
 そこで釈尊は、娑婆世界の大地を瑠璃(るり)で彩り、宝の樹で荘厳し、浄めた(1回目)。続いて、八方のおのおの二百万億那由他(なゆた)という膨大な数の国土を浄め(2回目)、さらに八方のおのおの(先ほどとは別の)二百万億那由他の国土を浄化する(3回目)。
 娑婆世界をはじめ、浄められた国土はすべて、ひとつなぎとなり、壮大な仏国土が出現した。

六難九易
 仏の滅後に法華経を受持(じゅじ)する難しさを、六つの難事と九つの易事を対比して示したもの。
 六難(ろくなん)とは、@悪世において法華経を説くことA法華経を書き、人にも書かせることB法華経を読むことCあるいは一人のためにも法華経を説くことD法華経を聞き、その意味を質問することE法華経を信じ、受持すること。
 九易(くい)とは、@法華経以外の一切の教えを説くことA須弥山(しゅみせん)を他方の無数の仏土に投げ置くことB足の指で世界を動かして他国に投げることC天空に立って法華経以外の無数の経を説くことD手に大空をとって遊行(ゆぎょう)することE大地を足の甲の上に置いて天に昇ることF枯れ草を負って大火に入っても焼けないことG八万四千の法門を説き、神通力(じんつうりき)を得させることH無量の衆生に阿羅漢(あらかん)()六神通(ろくじんつう)を得させること。
 九易といってもおよそ不可能なことであるが、六難はさらに難しいこととされる。法華経の弘教(ぐきょう)がいかに困難かを表現している。

地涌の菩薩
 釈尊から末法悪世の弘法(ぐほう)を託された菩薩のこと。六万恒河沙(インドのガンジス河の砂の数の6万倍)という大勢で、しかも、それぞれが眷属(けんぞく)(仲間)を引き連れて、地面から湧き出てきた。
 法華経には、地湧の菩薩の中に、上行(じょうぎょう)菩薩、無辺行(むへんぎょう)菩薩、浄行(じょうぎょう)菩薩、安立行(あんりゅうぎょう)菩薩という4人のリーダーがいることが描かれている。
 末法の()本仏(ほんぶつ)である日蓮大聖人は、この地湧の菩薩の上首(じょうしゅ)(最高リーダー)である上行菩薩の御立場から、法華経の文底(もんてい)に秘められた南無妙法蓮華経を御本尊(ごほんぞん)として(あらわ)し、万人に成仏への道を開かれた。
 創価学会は、会員一人一人が「(われ)、地湧の菩薩なり」との使命に燃えて、妙法を(ひろ)めてきた。大聖人の実践に連なり、末法広布を進める我々こそ、地湧の菩薩なのである。

久遠実成
 法華経(ほけきょう)迹門(しゃくもん)では、爾前(にぜん)権教(ごんきょう)と同様、釈尊(しゃくそん)は古代インド・釈迦(しゃか)族の王子として生まれ、その立場を捨てて出家(しゅっけ)し、菩提樹(ぼだいじゅ)の下で初めて(さと)りを得たとされていた(始成正覚(しじょうしょうかく))。
 また、成仏(じょうぶつ)のためには、何度も生まれ変わりながら難行苦行(なんぎょうくぎょう)を続け、九界(きゅうかい)煩悩(ぼんのう)の生命を断じ切る必要がある(厭離断九(おんりだんく))と信じられていた。
 しかし、本門(ほんもん)如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第16では、これらの成仏観を打ち破って、実は釈尊が久遠(くおん)の昔に成仏していたことを明かし(久遠実成(くおんじつじょう))、それ以来この娑婆(しゃば)世界に常住(じょうじゅう)してきた仏であることが明かされる。
 こうして、仏界(ぶっかい)の生命が常住(じょうじゅう)(過去・現在・未来の三世(さんぜ)にわたって常に存在する)であることが示され、同時に九界の生命もともに常住であることが明かされる。


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