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狛弟子の狛一、狛乙はこのほど真打ちに昇進しましたので、のれん分けして独立部屋に移転しました。今後ともよろしくお願い申しあげます。狛太郎敬白。
各地の一の宮 総社・総鎮守などを称する神社
単独投稿の場合、狛一さんは、狛乙さんはで表示。
共同の投稿はで表すことにします。


妻山(つまやま)神社

提供者:狛一
03.11.05
狛一のコメント:
よく通る道沿いにある神社で、以前から気になっていたので、行ってきました。
@まず、灯篭の上に逆立ちをした、狛犬がいました。
右がウン、左がアでした。肥前鳥居をくぐると、長い参道があります。
A到着すると、狛犬が迎えてくれました。
「文化十二(1815)乙亥年九月吉祥日。外尾○四良」
○は碁の石の部分が去になっている字。

狛犬を覗いていたら、神主さんが「先日も武雄から、あなたのような方達がいらっしゃいましたよ、何かの研究ですか?」と話し掛けてくださいました。
(佐賀県杵島郡白石町馬洗)


厳島神社(同上末社)

提供者:狛一
03.11.05

さらに、神社裏にも、1対60〜70cmくらいの古い狛犬右がうん、左があ、です。足の部分が割れて今にも倒れそうでした。
狛太郎のひとこと:当社は「肥前風土記」(8世紀)に、「杵島山に三神あり」と記された一社で、抓津姫(つまつひめ)・抓津彦という珍しい神を祀っています。抓津姫は杵島山に木の種を蒔き緑豊かな山にした五十猛(いたける)命の妹で、ここから考えると、杵島というのは木島ではなかったろうかと想像されるのです。狛犬@は灯籠狛犬に典型的な倒立・直立の一対です。
Aは装飾性に富み、やや華奢な体つきが特徴の塩田狛犬そのものです。Bは肥前狛犬ですが、脚間・腹下が彫り込まれており、歯列も鮮明です。比較的新しい時期のものと思われます。


湯泉(とうせん)神社

提供者:狛乙
03.11.08
狛乙のコメント:有馬に最初に温泉を発見したという大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)がまつられているそうです。   
温泉神社だと思っていたら、正式には湯泉神社のようです。
末社の天満宮は、神社の境内に源泉がある珍しい神社でした。
石段が温泉で赤茶けてましたよ。
(兵庫県神戸市北区有馬町有馬)
狛太郎のひとこと:崇神天皇(10代)が神戸(神領)を設置されたのが地名の由来です。
この神社は延喜式で大社に列し、法皇や上皇の臨幸もありました。
温泉は昔はレジャーではなく病気治療の一環であったことから、温泉にある神社では医薬の神である大己貴命・少彦名命のコンビがよく祀られています。
狛犬は珍しいタイプです。初めて見るもので、系統がよく分かりません。赤茶けた石肌なのは、温泉の影響なのでしょうか。それにしても、この思い切り歯を食いしばった渋面には、却って愛嬌を感じます。


牛窓(うしまど)神社

提供者:狛乙
03.11.08
狛乙のコメント:牛窓は日本のエーゲ海といわれるくらい、景色の良いところです。
穏かな瀬戸内の海と島、何時までもボーっとできる場所でした。牛窓神社の神主さんは、お話好きらしく、「どこからいらしたの?」。と話し掛けてくださいました、唐津くんちをご存知でしたよ。しかし、お払いや、お参りの方が多くて、急がしそうでチョットしか話せなかったのが残念でした。
(岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓)
狛太郎のひとこと:牛窓は万葉集にも詠まれた古い港町です。近世には朝鮮通信使の寄港地でもありました。この地域には有名な「尾道型」と呼ばれる狛犬が普及しています。この狛犬もそれによく似ています。ただ、尾道型は大きな玉取りが特徴なので、これがそうとは言い切れません。しかし顔立ちや髪の房の表現が相似であり、「蹲踞型」の尾道型があるのかもしれません。ところで、当社の神主さんについて、牛窓観光協会のサイトに次の記述がありました。どうやら狛乙さんが会われた方のようですね(笑)。
「この牛窓神社にはそんな社の荘厳さと共に、もうひとつの名物が。なんとそれはここの神主さん。いかつい顔(ゴメンナサイ!)に似合わぬ話好きな方で、声をかければ、牛窓神社にまつわる話から世間話まで、気軽にいろいろと語って聞かせてもらえます」


杵島(きしま)神社

提供者:狛一
04.01.06 狛一のコメント:妻山神社の神主さんの紹介で行ってきました。
(佐賀県杵島郡白石町馬洗)

狛太郎のひとこと:戦国時代前半まで、杵藤地区では千葉氏と有馬氏が覇を競っていました。後期になると千葉氏家中の平井氏が須古城に拠って統治しましたが、やがて隆造寺隆信によってその座を奪われます。隆信の弟・信周が須古城に入り、須古鍋島家の始祖となりました。杵島神社は三代領主・茂周が始祖を祀って宗社としたものです。
狛犬は塩田タイプのようですが、まだ様式的に未完成の段階のようです。スマートで華麗な塩田型が完成するのは、もう少し時代を下らねばならないのでしょう。


社名非公開

提供者:狛一
04.01.06
狛一のコメント:この神社には3対の肥前狛犬がいます。上段の狛犬は盗難にあってしまったとのことです。悲しいことです。 (佐賀県杵島郡)
狛太郎のひとこと:同じように素朴な形ながら、一対ごとに少しずつ様式が異なります。
幸いなことに下段と中段のものは本来のパートナーが維持されているようですが、上段のものは配偶者を失ってしまったようです。しかし全体像で見るように、これだけ大切に整然と安置されていれば、単立のものも寂しさを感じずに過ごしているのではないでしょうか。
事情を考慮して、場所非公開とさせていただきます。


社名非公開

提供者:狛一&狛乙
04.01.10
狛一狛乙のコメント:鳥居を見ると、とても難しい漢字の神社名で、「名前がわからんな〜」と思いながら中へ進むと、灯篭に狛犬発見。明治32年2月吉日。
桃川石工・池田惣右エ門、池田勝三、横田卯市、池田嘉平とありました。
さらに、外に肥前狛犬が一体。神社で手を合わせていると、
近所の方が集まってこられました。お祭りの準備だそうです。
「狛犬を見てるのです」と話すと、建物の中にもいるとの事。
興味津々で中へ入ると、一対の肥前狛犬、かなり風化して、補強をされていましたが、凛々しい、キリリとした姿勢で居られました。地区の人に大事に守られてるのを感じ、安心して神社を後にしました。
(佐賀県武雄市朝日町)
狛太郎のひとこと:この神社の詳しい由緒は不明でした。ただ、祭神は有名な女神で、水神です。かつては神仏習合の神社だったらしく、鳥居銘や社殿の棟木に別当寺(神社を管理するお寺)の名があるようです。「桃川石工」というのは初めて聞きました。伊万里市の地名ですが、伊万里市はまだほとんど手つかずなので系統などもよく分かりません。しかし灯籠狛犬を見るとかなり凝った造りで、特に髪や尾の毛筋に卓抜さが感じられます。また肥前狛犬も伸びやかな造形であり、完形であったらと惜しまれます。社殿内に安置されているとはいえ、開放的な環境のように見受けられますので、この際、場所は非公開とさせて頂くことにします。


日枝(ひえ)神社

提供者:狛乙
04.01.14
狛乙のコメント:鳥居は壊れ足のみ残っていました。境内に3体サルが居ます、何か持っているようでした。狛犬は、居ませんでしたが、屋根に彫り物のシシが居ましたので撮ってきました。申年ということで送ってみました。
友達によると日枝神社だそうですが、地図には日吉神社となってます。
(福岡県大川市小保字中船津)
狛太郎のひとこと:日枝(ヒエ)神社とも日吉(ヒヨシ)神社とも書きますが、元々は「比叡(ヒエイ)」と同源です。比叡山の山岳信仰と、延暦寺の天台密教は密接な関係でした。猿は祭神大山咋神の使いなので、日吉系の神社でよく見かけます。三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)は別の信仰ですが、同じ「猿」のよしみで祀られていることがあります。しかしこの猿たちはいわゆる三猿とは違うようですね。
手に持っていたのは御幣ではないでしょうか。御幣とは、神主さんがお祓いで使う祭具で、柄の先に細い紙の束がついたものです。一方、彫り物の獅子は江戸期に盛んになった木口の装飾で、大工とは別に専門の職人が活躍していました。


八幡(はちまん)神社

提供者:狛乙
04.01.15
狛乙のコメント:大川の友達の家へ行く途中見つけました。境内は子供が遊んでいて賑やかでした。先ず鳥居をくぐると、なんとなく見慣れた狛犬がいます。
「西肥藤津郡馬場下村石工・筒井弥太郎。明治○子年九月辰」と書いてあるではないですか!ここは大川のはず!!??不思議です。
さらに進むと 参道の両脇の神殿??(屋根が有り柵をしてある)の中に肥前狛犬と、瓦の狛犬が居ました。大切に保管されているので安心です。この神社近くは歴史の古いところで文化財の宝庫でした、石列や古い家が多く興味深かい場所でした、神社には2つの巨石がありました。どうやって掘り出したのだろう?
(福岡県大川市小保上町市場)
狛太郎のひとこと:藩政時代に、蓮池藩は佐賀市蓮池町および神埼郡千代田町の一部、それに藤津郡塩田町に飛び地を領有していました。そこで現蓮池町、千代田町には塩田石工の作品が幾つか見られるのです。ですからこの地域と一衣帯水の大川市に、塩田石工の作品があっても不思議ではないと思われます。
また筑後地区に肥前狛犬が分布していることも、資料的に確かめられています。
実は私が初めて肥前狛犬を見たのも久留米の水天宮でした。
「明治○子年」については、明治年間に子年は四回あります。そのうち年が一桁なのは明治9(1876)丙子年でした。
(下左)瓦製の狛犬は台座の形状から、降棟(庇の先端に近い場所)の装飾と推測します。
(下右)左に見えているシャチは大棟(屋根の頂上)の両端に置かれていたものでしょう。
右に見える狛犬は台座が丸く、これが置かれていた場所はちょっと思い当たりません。
それと、巨石は説明看板には弥生時代の墓石とあるようですが、古墳の石室の一部と考えるのが妥当じゃないでしょうか。特に根拠はありませんが。


同上末社・宮地嶽(みやじだけ)神社

提供者:狛乙
04.01.19
狛乙のコメント:
(左)宮地嶽神社:明治38年旧正月吉日建。津村町石工・田中吉六郎、石問屋・吉平仁造。
  アにはおちんちん有り。
(右)粟嶋神社:ミニ鳥居がありました。くぐれたら良いことがありそう!!と思いましたが
  独りでくぐる勇気が出ませんでした。
(福岡県大川市小保上町市場)
狛太郎のひとこと:どちらも上記八幡神社の境内末社です。末社とは、何かのゆかりがあって、一緒に祀られている神社のことです。宮地嶽神社は宗像に本社があり、神功皇后を主祭神とする神社です。粟島神社は婦人病に霊験のある神社として有名です。
この狛犬は久留米を中心に広く分布している「筑後型」で、県内では鳥栖・三養基地区に多く見られます。ただ典型例(姫社神社など)に比べると細身で、髪の表現にも違いがあります。
粟島神社の鳥居はこれまで見た中で最小です。くぐれぱ多分ご利益があるのでしょうが、出られなくなること請け合いですね。


豊玉姫(とよたまひめ)神社

提供者:狛乙
04.01.18
狛乙のコメント:大正屋近くの神社です。神主さんが、熱心に狛犬を見ているわたしを見つけて、話し 掛けてくださいました。
@狛犬。大正八年九月十五日、宮崎信八・西嬉野村字平野。アにはおちんちんがありました。尾は修理をされてつぎはぎになって いました。お尻の穴があるのは、初めて見ました。
A狛犬。大正十五年十一月二日改修。高柳助作、三根夘一。うんの足は破損していました
B神牛。大正八年十二月一日。同年會建立 杜○○築記念。石工・桑原鹿一。
C白なまず様。お願いすると、しわ、しみが無くなるそうで、ガンガンお願いしてきまし た!!
神殿の中に、陶器で出来ていると思われる狛犬も居ました。(佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙)
狛太郎のひとこと:豊玉姫は肥前一宮の淀姫神社(大和町)の祭神と同一とされます。また、神宮皇后の妹、あるいは竜宮城の乙姫など、いくつかの顔を持っていますが、基本的には海神です。肥前風土記によると、淀姫神社のあたりまでワニ(鮫)が魚を従えて遡って来るといい、その魚を捕食すると祟りがあると伝えています。その魚というのが、ほかならぬなまずだったのです。淀姫信仰は佐賀、長崎にかけて広まっており、豊玉姫神社もその一環です。
ふたつの狛犬はタイプは違いますが、どちらも塩田石工の作品のようです。特にAは典型的なもので、すらりとした肢体と華麗な彫刻が特徴です。それにしても、肛門まで表現したものは珍しいです。@は現代化されていますが、尾の形に塩田らしい雰囲気を残しています。
牛は狛犬と違って現実の動物だけに、リアルな秀作が多いようです。この牛もゆったりした大らかさが魅力で、内面からうったえかけるものさえ感じます。なまずは前記伝説に基づき、嬉野でも捕食はタブーとされている由です。美肌の神にふさわしく、輝くような白磁製です。


丹生(たんじょう)神社

提供者:狛一
04.01.20 狛一のコメント: なにやらゴツゴツした狛犬だな〜と近づくと、子取りでした。「あ」は背中にしがみつ き「うん」は授乳していると思われます。
夫婦の狛犬なのでしょうか、子育てしなが ら、神社を守る狛犬さんです。
嘉永元(1848)年申九月吉日。原町中。
石工○○筒井○右エ門、○○○右エ門
(佐賀県嬉野市塩田町馬場下)

狛太郎のひとこと:貞観3(861)年に従五位下を授けられた古社です。一般的な読みは「にゅう」「にぶ」ですが、県内では「たんじょう」と呼んでいます。「丹」は水銀のことで、薬・顔料・染料などとして珍重されました。塩田川流域一帯で水銀採鉱が行われていたのでしょう。
水神・罔象女命(みずはのめのみこと)を祀っています。毎年「塩田くんち」が行われ、獅子舞などが奉納されます。狛犬は大柄の塩田型で、アウンとも子取りの意匠です。全身に筋肉の隆起が施され、尾や飾り毛も工夫されています。なお「筒井」は塩田石工の代表的姓です。


熊野(くまの)神社

提供者:狛乙
04.01.22
狛乙のコメント: 狛一が嬉野で結婚式に出席している間、散策してきました。結婚された友達宅近くの神社です、境内には土俵があります。友達もここで相撲を とっているそうです。
@大正五(1916)辰十月吉日。三根市之助、孫兵作建立。石工・永石吉三郎。
A裏の神社の狛犬はなぜかタオルが干して?ありました。
さらに、おそらく狛犬ではないかと思われる木彫りの像が一体祭ってありま した。
(佐賀県嬉野市嬉野町岩屋川内)
狛太郎のひとこと:紀州の熊野宮を勧請したもので、山岳信仰、密教との関連が濃厚な神社です。「祭神が天竺から飛来」、また「承和5(838)年に再興」などの縁起は、史実というよりは神秘的な伝承と言うべきものです。狛犬はどちらも塩田型ですが、@はアが出雲式という珍しい作例です。永石石工が個性を発揮した意欲作なのではないでしょうか。Aも塩田型ではありますが、ウンの顔は出雲型に似ています。恐らく明治時代に出雲型を参考にしてAが造られ、その後やはり出雲型を意識して@が造られたのではないかと想像されます。
Aウンの尾にタオルが掛かっているのは無神経ともいえますが微笑ましくもあります。

真打ち
プロフィル
狛一さんは釣り師にしてラーメニスト、狛乙さんはピアニスト兼家庭菜園主と、ご夫婦でマルチに活躍中。最近は狛犬研究にも精を出され、その収集力は抜群です。お二人の多彩で楽しい活動の様子は、サイト「よっし〜の今日もにこにこ」でかいま見ることができます。


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