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狛弟子の狛一、狛乙はこのほど真打ちに昇進しましたので、のれん分けして独立部屋に移転しました。今後ともよろしくお願い申しあげます。狛太郎敬白。
各地の一の宮 総社・総鎮守などを称する神社
狛一さんは、狛乙さんはで表示。共同の投稿はで表しています。


富吉(とみよし)神社

提供者:狛一&狛乙
04.02.06 狛一狛乙のコメント:狛犬居るかな〜と入っていくと??俵?が祭ってありました。狛犬は居ませんでしたが、とりあえず送ります。
當村喜佐木石工・角銀三郎。
昭和八年十月。
(佐賀県武雄市北方町大渡)

狛太郎のひとこと:俵の形が面白いので取り上げます。実際の俵でも、このような縛り方があるのでしょうか。喜佐木、大渡とも町東部の部落名です。石工名の「角銀」は珍しい姓です。それとも屋号なのでしょうか。


鷹屋(たかや)神社

提供者:狛一&狛乙
04.02.07 狛一狛乙のコメント:白石町の商店街の中にある神社です。境内の公民館には、「廿治上部」
と書いてありました。狛犬は、ズングリ体系、お顔もブルドック系の愛嬌のある姿です。
花柄の化粧回し?がおしゃれです。
尾が垂直に上へ伸びており思わずつかんでしまいました。昭和9(1934)年12月15日。
石工・○治村字廿治。○はネヘンに高の亠がーになった字。梶原栄象、○繁。○は全の字の王がエになった字。
(佐賀県杵島郡白石町廿治)

狛太郎のひとこと:明治22年に現白石町の前身となる6村が誕生しました。
そのうち旧福治村が廿治村、福田村、福吉村を合併して新福治村となりました。
石工住所の○治村は「福治村」であったことが分かります。その後曲折を経て、昭和30年に現白石町になったのです。なお廿治は「はたち」と読みます。また「○繁」の○は「仝」で、「同」という意味です。つまり「梶原繁」となります。この鷹屋神社は初代藩主鍋島勝茂が、鷹狩用の鷹を飼育させていた「秀屋敷」に近く、恐らくその縁でもと「高屋神社」から「鷹屋神社」と改称されたもののようです。ところで、この秀屋敷で鷹の飼育・管理に当たっていたのが千布本右衛門という人です。いわゆる「鍋島の化猫騒動」で、怪猫を退治したのがこの本右衛門であったと伝えられています。
狛犬は堂々たる巨躯の塩田型です。塩田型はスリムなものが多い中、この狛犬は容貌魁偉で威厳に満ちています。一方、両前肢の間を彫り抜かず、板状にして牡丹花のレリーフを施すという独特の工夫が見られ、彫刻の華麗さが身上の塩田狛犬の特色も併せ持っています。


焼米海童(やきごめかいどう)神社

提供者:狛一&狛乙
04.02.17
狛一狛乙のコメント:神社の隣には溜池が有り、鴨の鳴き声が聞こえてきます。緩やかな坂を登って行くと大きな狛犬がいました。石質が今まで見たものとは違うように感じました。牙をむきだして気迫の顔のアには、立派なおちんちんが付いています。
アウンで尾の形が違うようです。石工の名前なのか不明ですが、名前がありました。
「昭和10年2月吉日。坂元末吉三○、坂元武次」。
灯篭狛犬:「○永二△己酉九月○」。行書体だったので分かりませんが、永の付く年号の中では「嘉永」に見えます。△行書体ですのでよく分かりませんが「年」にも「冬」にも見えます。「酉」は多分です・・・
(佐賀県武雄市北方町志久字焼米)
狛太郎のひとこと:当社の祭神は江戸時代までは龍神でした。八大龍王と言い、祈雨止雨に霊験のある神です。ところがこの神は外来神で、仏法の守護神であるところから、明治の神仏分離の際に綿津見神(わたつみのかみ)にとって代わられました。
この神も水を司る神なので、職能的に同等ではあります。焼米溜池の一部を竜王堤というのは、かつて親しまれた神の名残でしょう。さて狛犬ですが、なかなか堂々としています。この地域だと砥川石工のテリトリーかと思われるのですが、ちょっと作風が異なるようです。特にこの幅広・肉厚の装飾性に富んだ尾は、砥川とは一線を画しています。
また白っぽい石質が花崗岩のように見えますので、あるいは福岡方面からの輸入品かも知れません。年号は「嘉永二(1849)年己酉」で間違いありませんでした。


豊姫(とよひめ)神社

提供者:狛一
04.03.22 狛一のコメント:釣りに行く途中に時間があったので行ってきました!階段を登るとワン子が見えてきました!
近くまで寄ると、う〜ん、かなり痛んでいます。「あ」の方はまだ顔の形が分かるものの、「ん」は顔がほとんど崩れていました。綺麗な形で残っていれば、武雄の
伏尸神社とほとんど同じような狛犬だったかもしれませんね。残念ながら石工名は分かりませんでしたが、鳥居に「大正八年十二月建立」と書いてありました。
(佐賀県伊万里市松浦町鍋の原)

狛太郎のひとこと:創建年代は不明ながら、江戸中期の絵図にすでに記載があり、付近からは埋蔵文化財が出土するなど、古くからの霊地であるようです。祭神の豊姫(別名豊玉姫)は肥前一宮淀姫神社の祭神と同一とされる女神で、その信仰は佐賀・長崎に広く分布しています。
狛犬は典型的な出雲式です。独特の体勢と細密な彫刻が特徴ですが、素材が砂岩で風化には弱く、耐用年数はせいぜい100年です。出雲から来た当時は、華麗な細工で注目を集めたはずのこの狛犬も、いまやその終末の時を迎えようとしているのです。


中尾(なかお)神社

提供者:狛乙
04.03.24 狛乙のコメント:多久市の中尾神社です。
多久原北交差点付近の道沿いにある神社です。運転中狛犬が見えたので、思わず立ち寄って来ました。狛犬には大正9年建設と書いてあります。寄納者の名前が沢山書いてあって、石工名は分かりませんでした(無かったと思います)
(佐賀県多久市北多久町多久原)
狛太郎のひとこと:多久三代邑主の多久茂矩は、雑木に覆われた唐津往還を切り開き、多久原に宿場を造るなど地域整備を行いました。そしてその宿に京都八坂神社を勧請し、中尾神社と称したのです。江戸初期の正保3(1646)年のことです。狛犬は塩田型です。塩田型には「岩狛」と「蹲踞」がありますが、岩狛がスマートで華美な装飾性を持つのに対し、蹲踞はどっしりした貫禄が身上です。上記豊姫神社の出雲型とはほぼ同じ製作年ですが、こちらはまだこれから味わいを増す段階にあるようです。
石工は塩田の西野鶴松で、町内の高野神社にも同人の作品があります。


八坂(やさか)神社

提供者:狛一
04.03.25 狛一のコメント:始めてみるタイプのワン子です!
アは舌をベ〜と出して、なんかいたずら好きそうな顔です。
昭和五十三(1978)年七月吉日、伊万里市瀬戸町上浜節一と彫ってありました。実はこの神社の中に肥前狛犬がいるみたいなんです。今回は時間が取れなかったので探せませんでしたが、暇があるときにまた行ってきますね!
(佐賀県伊万里市大坪町乙)
狛太郎のひとこと:確かにこの狛犬は変わっています。
この独特の作風はちょっと類例がないほどで、様式的な系統は不明です。ただ牙が二対もあって目つきも鋭いわりに、ウンが小さな玉を踏んでいる姿は、それとは不釣り合いに可愛いげがあります。台座には「大東亜戦ニ於テ戦没。故陸軍伍長○○」と記されています。終戦の年に亡くなったとすれば、奉納年は三十三回忌に当たります。
辛い記憶を刻んだモニュメントでもあるのですね。


大坪(おおつぼ)天満宮

提供者:狛一
04.03.26
狛一のコメント:本人のコメント:何時も釣りに行く道沿いにポツンといました!高さが35センチのおじさん顔のワン子です(笑)上あごが崩れてるみたいで残念です。
天明七(1787)未年四月吉辰と天満宮と書いてある石の裏に書いてありました!
(佐賀県伊万里市大坪町)
狛太郎のひとこと:天明年間は初期の全国的な大飢饉と、それに続くインフレで社会・経済が深刻な打撃を受けた時代でした。この天満宮が造られたのは、その大混乱がようやく収束の兆しを見せ始めた年です。塔身が新しいので、近年再建されたものでしょう。狛犬は石碑よりは時代を降るもので、塩田石工の系統のようです。小型にしては良く造り込まれています。一対が揃っていた頃は、随分可愛い姿だったと想像できます。


大山祇(おおやまつみ)神社

提供者:狛一
04.04.21 狛一のコメント:長崎県世知原の段々畑の綺麗な山の中にひっそりと神社がありました。
45pの小柄のこまいぬです。神社名は大山祗神社です。
石工名は読み取れませんでした。
明治4年3月吉日とありました。
(長崎県佐世保市世知原開作免)
狛太郎のひとこと:大山祇神社は全国に多数分布しますが、中心は大三島に鎮座する山祇神社です。名の通り山の神ですが、瀬戸内の水軍が篤く信仰したことで有名です。海釣りを好む狛一さんにも、ちょっと関係があるかも。またこの神は酒の神の顔も持っています。ますます親しみを感じませんか?狛犬は45a高とは思えないほど存在感があります。整った顔立ちではありませんし、四肢の形も古拙さを残しています。髪の毛筋に塩田石工の作風の片鱗を感じますが、断定はできません。洗練された彫法とは言い難いものの、古代的迫力に満ちた作品で、強く引きつける力を持っています。


三柱(みはしら)神社

提供者:狛一
04.04.22 狛一のコメント:狛犬はいませんでしたが木彫りのあうんがいました
(長崎県北松浦郡佐々町羽須和免)

狛太郎のひとこと:貞観2(860)年、武蔵国一宮氷川神社を勧請したものです。三柱とは祭神の素盞鳴尊・大巳貴命・稲田姫の三神を意味します。室町以降松浦氏が崇敬し、数度の遷座を経て文化2(1805)年現在地に鎮座ました。神紋も松浦氏と同じ「三星」です。写真は虹梁の木鼻のようです。木鼻は水平材が柱を貫通した部分の装飾材なので、上半身だけを突き出す形が普通であり、このような全身像は希有です。社殿がコンクリートになっても、立派な彫刻なのでこうして保存されているのでしょう。


黒髪(くろかみ)神社

提供者:狛一
04.04.23 狛一のコメント:皇紀二千六百年(1940)記念。住吉村大野・愛助妻毛利ハル。
伊万里町石工・森長兵衛。
(佐賀県武雄市山内町宮野)

狛太郎のひとこと:源為朝の大蛇退治の伝説に彩られた神秘的な古社です。現在の主祭神は伊弉冉尊(イザナギノミコト)ですが、もとはクラオカミの神を祀っていたといい、それがクロカミの名の起源ではないかと想像されます。狛犬は岡崎型で、玉取り・子取りの一対です。奉納者がハル、ツヤという二人の女性であるのが目を引きます。前述の大蛇伝説は、有田町の「有田館」で有田焼のからくり人形によって芝居仕立てで再現されています。人形は柿右衛門様式をはじめ、幾つかの代表的な有田の技法で作られた豪華なものです。


平尾(ひらお)天満宮

提供者:狛一
04.04.25 狛一のコメント:伊万里市平尾橋、道祖瀬交差点近く。平尾橋には白磁の狛犬?龍?がいます
大正11年8月。
(佐賀県伊万里市大川内町平尾)
狛太郎のひとこと:佐賀藩窯のあった大河内山の周辺です。この窯は峻険な山裾に立地し、関所を設けて技法の流出防止を図ったまさに秘窯でした。狛犬はすっきりした体つきは塩田系、眼光の鋭さは唐津系の特徴を持っています。
体に比べて尾が太く、毛筋の彫りも丁寧です。
四肢の踏ん張り方に力強さがあります。


淀姫(よどひめ)神社

提供者:狛一
04.04.26
狛一のコメント:遠くから見ても分かるような、大きな鳥居がある神社です。
@入り口に、漫画に出てくるような新しいワン子が居ました。
伊万里市波多津町内野石工・小杉石材彫刻。平成15年8月。
A階段を登ると??なんと陶器のシャチホコの、あ、うんが居ました。
B更に進むと、茶色のワン子が居ます。これも焼き物のワン子みたいで「うん」には角が生えていました。昭和52年1月吉日
C一番奥に、玉にのしかかっているワン子が居ました。明治○九年。○は十十と書いてあります。石工・徳丸嘉助長男・○和三郎 ○は全に似た字
(佐賀県伊万里市大川町大川野)
狛太郎のひとこと:欽明天皇25年(6世紀)に創建と伝える古社です。与止日女神社(佐賀郡大和町・肥前一宮)の系統で、祭神の淀姫は佐賀・長崎にわたり広く崇敬されている肥前の女神です。平安時代の長久2(1041)年、源大夫久が当社の神助で眉山の獅鬼退治を行ったとされ、古くから松浦党の崇敬するところであったようです。
@は真新しい現代狛犬で白い肌が美しいのですが、容姿が整いすぎて個性に乏しいのが難点です。現代狛犬の共通の課題であるように思います。
Aはさすが伊万里の神社で、見事な磁器のシャチ一対です。深い青色が印象的です。
Bも焼き物の狛犬です。ウンには堂々たる角がありますが、県内ではここまではっきりした角を見たことがありません。あるいは別の産地から持ち込まれたものでしょうか。
Cこれは県内では非常に珍しい「尾道型」です。石工の「徳丸」氏も県内では他に知りませんので、瀬戸内地方産の可能性が濃厚です。もしそうだとすれば、新発見となります。ただ全体的に典型例とはやや違いがあり、特に尾が佐賀タイプのようにも見受けられますので、尾道型を参考にして造られた地元産かも知れません。参考:阿智神社
なお十十は廿で明治29年、全に似た字は仝(同)であり、親子の合作ということです。


熊野(くまの)神社

提供者:狛一
04.04.28
狛一のコメント:階段の登り口に勢いよく立っている灯篭のワン子が居ました。
(灯篭)石工・値賀川内徳永佐市、○△三郎。
○は前に似た字、△亜の最後の1画が無い字。
(狛犬)上まで登ると、大きめの顔デカ!ワン子がいます。顔を下にべたりと下ろしてました。
大川村川西中島敬治、松浦村山形横田賢。
大正8年。
判んないんですが、二人の陶器の焼き物が有りました。
(佐賀県伊万里市大川町駒鳴)

狛太郎のひとこと:灯篭狛犬は直立・倒立の一対が多いのですが、これは両方とも直立です。徳永というのは唐津石工の代表的な姓です。○△三郎はちょっと分かりません。似た名では唐津神社の鳥居の作者・白江宇三郎がいますが、どうでしょうか。
狛犬の方は極めて特殊なタイプです。頭部の大きさや後脚を立てた姿勢は、西有田の山田神社(大正13)に似ています。時代も近いし、関係があるかも知れません。
男女像はイザナギ・イザナミ神ではないでしょうか。熊野神社は熊野三山から勧請されたものであり、三山の祭神にはこのペアがいるからです。ただ二人は年が離れているようにも見えますし、決めつけることはできません。


丸熊(まるくま)神社

提供者:狛一
04.04.29
狛一のコメント:入り口に灯篭に乗って「なんだ〜」と言ってるようなワン子がいます。
灯篭ア天保15(1844)年甲辰3月吉祥。小松○。○は紋に似た字。 
灯篭ウン嘉永3(1850)庚戊3月吉日
奥には、今にも吠えられそうな怒ってるワン子が居ました。うんには台の穴にミツバチが住んでるみたいで、ブンブン飛んでいて怖かった〜(笑)吉丸直治。10月吉日建立。
(佐賀県唐津市相知町大野)
狛太郎のひとこと:数多くの祭神を祀っており、神社合併の歴史を示しています。
その中にイザナギ・イザナミ神があり、熊野十二社が中核であったことがうかがえます。
「丸熊」は地名ですが、これも熊野に由来するものでしょう。灯篭狛犬は小柄ながら、負けん気の強そうな顔をしています。確かに「なんだよ!?」と言っているように見えるのが可笑しいです。ちなみに天保15年は12月に改元され、弘化元年になっています。
狛犬の方は典型的な唐津タイプです。大柄で恐い顔をしており、少し首をかしげて見下ろす姿勢が特徴です。相知町もこの分布圏に含まれるようですね。
尾が「逆R字」であることも特徴の一つです。


菅原(すがわら)神社(天神社)

提供者:狛一
04.04.29
狛一のコメント:@階段を少し登ると「いらっしゃ〜い!」と言ってるようなワン子が一匹だけ居ました。昭和3(1928)年11月建立。
A更にグニーと曲がった階段を登ると、まだ新しい狛犬(両方とも「あ」)が居ました。
なんとも凝った作りで首飾りに般若みたいな顔が彫ってありました。
平成11(1999)年11月吉日。肥前町入野ひぜん玄海寿し・前田一徳
(佐賀県唐津市相知町黒岩)
狛太郎のひとこと:@狛犬はたどんのようなギョロ目に、乱杭歯をむき出しにしたすごい形相です。これは恐らくウンなのでしょうが、この分だとアの方は一体どんな顔だったのか、想像力をかき立てられます。唐津系のように見えますが、非常に個性的です。
Aは中国産です。アウンになっていないこと、巻き毛の特徴、瓔珞(ようらく=仏像のネックレス)を着けていることなどからそう判断できます。奉納者がいいですね。
高串漁港を擁する肥前町の寿司屋さんならさぞかし、と思わせます。


鏡(かがみ)神社

提供者:狛一
04.05.01
狛一のコメント:鏡山のふもとにある神社です!最初に見えたのは狛犬?
よく見ると猫?虎?に見えます。皇紀二千六百年前年、己卯歳春。紀元二千六百年記念前年、昭和14年3月吉日建之。唐津市水王町石工・鬼木泉
@次に居たのは、岩狛だ〜!彫りがしっかり彫ってある狛犬でした。ウンは、玉取岩狛なのかな〜。昭和6年10月吉日。有浦村石工・徳永茂東治。
A次に居たのは、普通の狛犬でした。一番おりこうに見えました(笑)。大正7年1月。石工値賀川内・徳永竹造。
(佐賀県唐津市鏡宮の原)
狛太郎のひとこと:一の宮に神功皇后、二の宮に藤原広嗣を祀ります。神功皇后は対外戦争を指揮した伝説の女傑で応神天皇の母です。藤原広嗣は政争に敗れて太宰府に左遷された後、天平12(740)年、九州で挙兵しました。乱は鎮圧され、広嗣は松浦郡で処刑されました。この鏡神社には室町時代に高麗からもたらされた「揚柳観音像」一幅があります。419×254aの巨大な画像で、国の重要文化財です。
(虎)入り口に配された虎一対は大柄で写実的な作品です。アウンの区別はなく、どちらも同じスタイルです。虎の一対は県内では今のところ、これ以外には未見です。
@狛犬。120aもある岩狛で、四肢に筋肉がみなぎり、背骨、肋もくっきりと浮き上がった力強い造形です。一方、ウンは岩狛にして玉取りという珍しい意匠です。
A狛犬。首を傾げてやや見下ろす姿勢と、逆R字状の尾唐津系の特徴です。しかし、眉や尾の毛筋は沈線のみで表現され、尾のR字部分も彫り残すなど幾分省略的です。「一番おりこうに見えた」というご感想の通り、オーソドックスな造形で、落ち着いた印象を受けます。石工は@Aとも徳永姓ですが、これは唐津石工の代表的一門の名です。


淀姫(よどひめ)神社

提供者:狛一
04.06.19 狛一のコメント:松浦ラーメン(飛魚のダシと醤油豚骨のブレンドラーメン)の近くにある神社です。中に入ると、小さな橋がありその先にワン子がいました。両方とも鼻の穴が大きく、足の爪がするどく彫って有りました。縁起がいいのか「あ」の口におみくじが沢山結んで有ります。「うん」の耳は「あ」の耳よりふくよかでした。裏に大正六年十一月。
石工松永○ と書いてありました。
(長崎県松浦市志佐町)

狛太郎のひとこと:松浦市は中世に自治的武士団を形成した松浦党の本拠地です。
平安時代の武将源頼光が肥前国司として下向のとき、随伴した四天王の一人、渡辺綱の孫が土着して党の祖となりました。この神社の神紋も松浦党の「三星に一」を用いています。狛犬の系統はよく分かりませんが、唐津系に近いような気がします。立ち姿が凛々しく、尾が豊かです。目に瞳を彫り込むのは佐賀ではあまり見かけない意匠ですから、これを手がかりにしてサンプルを増やせば、何か分かってくるかも知れません。


厳島(いつくしま)神社

提供者:狛一&狛乙
04.07.20
狛一狛乙のコメント:「岩狛だっ!!」 狛一が嬉しそうに、ワン子発見の一声。
「どれどれ・・」、狛乙も急いでワン子の所へ。「お〜〜」どっかで見たことあるな〜??
思い出せない・・・・(;´o`)ゞ トホホ…。
「牛津系統だろうね」と話しながらそれ以上はよく分からない二人でした。
足を一歩踏み出しているところが、勢いを感じさせる狛犬でした。狛犬の石工名はわかりませんでした。慶應二(1866)寅年三月吉日とありました。
牛の石工は光埜久七。明治廿二(1889)年十一月でした。
(佐賀県小城市芦刈町大字永田字弁財)
狛太郎のひとこと:東西を二つの川に挟まれ、南を海に面する芦刈町は、文字通り水の恵みに育まれた地域です。石炭や米の積出港として栄えた住之江港には外国船も訪れ、「佐賀の香港」と称されたほどです。今、その面影はないものの、川の流れや有明海の広がりを目にすると、自然の恩恵を感じずにはいられません。海神の宗像三女神を祀る厳島神社が、この水に囲まれた町に勧請されたのは、まさしく必然でした。
狛犬は恐竜型の岩狛です。ややパターン化しつつあった岩狛に、リアリティと動感を持ち込んだ功労者の名は未解明ですが、お二人のご賢察通り牛津(砥川)系石工であることは確かです。肩を怒らせ鋭い目で睥睨する姿は、従来品とは明らかに一線を画しています。どこで見たか思い出せないとおっしゃるお二人ですが、それは狛乙さん投稿の乙護社ではないですか?尾の意匠も素晴らしく、岩狛のピークに位置する作品です。


福富(ふくどみ)神社

提供者:狛一&狛乙
04.07.24 狛一狛乙のコメント:石工・小城西川江頭○十。○は吾に見えました。お尻を付いて座るワン子は珍しいように思います。神社の名前が福富と縁起が良い為、宝くじの当選祈願で訪れる方もいらっしゃるようです。
(佐賀県杵島郡白石町福富上区)

狛太郎のひとこと:450年ほど前の室町末期に、この上区あたりを根拠地として、以南の干拓が開始されました。
町のほぼ全域が干拓地で、標高は1bに過ぎません。
当社は元禄10(1697)年、常に自然災害に直面する新地の守りとして創建されました。狛犬は文政5(1822)年の奉納。小城西川は多くの石工を輩出した村で、中でも「江頭」姓の人達が目立ちます。「○十」もその一門なのでしょう。後肢を前に投げ出すような姿勢は、古い狛犬によく見られるものです。素朴な味わいがあり、可愛らしい姿です。


丹生(たんじょう)神社

提供者:狛一&狛乙
04.08.08
狛一狛乙のコメント:ワン子しぇんしぇいこんばんわ!最近、仕事が忙しくて夏バテ気味のよっし〜です。先週の日曜日に嬉野温泉&食べ物ツアーの帰りに行って来ました。
車で神社をこっそり覗いて「ワン子居ないね〜」と思っていたら、後ろの方に高さ45pくらいのワン子が居ました!小さい狛犬ですが彫りがしっかりして、凛々しく神社を守っているみたいでした。嬉野のもう一つの丹生神社とは何か関係があるんでしょうかね?
場所もそんなに遠くはないみたいですし。
(佐賀県嬉野市嬉野町小川内)
狛太郎のひとこと:県内では塩田川流域に沿って、丹生神社が点在しています。
丹生の訓は「にゅう」が一般的ですが、当県の通例に従って「たんじょう」と読むことにします。「三代実録」の貞観3(861)年条に「肥前国正六位下、丹生神」とあるのは、塩田町馬場下の丹生神社とするのが定説で、これを元にして次第に上流域に展開して行ったようです。当社もそのひとつで、祭神は水の女神「罔象女(みずはのめ)」です。
社殿は石祠ですが、石殿と呼ぶに相応しい規模と構造を備えています。特に木鼻の獅子まで具備した例は珍しく、塩田石工の面目躍如といったところです。狛犬も塩田石工の手になるものと思われ、小柄ながら確かな技量が感じられる作品です。髪やヒゲの毛足が長く、佐賀の三系統の石工の中では最も装飾性に富んでいるのが特徴です。

真打ち
プロフィル
狛一さんは釣り師にしてラーメニスト、狛乙さんはピアニスト兼家庭菜園主と、ご夫婦でマルチに活躍中。最近は狛犬研究にも精を出され、その収集力は抜群です。


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