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狛弟子の狛一、狛乙はこのほど真打ちに昇進しましたので、のれん分けして独立部屋に移転しました。今後ともよろしくお願い申しあげます。狛太郎敬白。
各地の一の宮 総社・総鎮守などを称する神社
狛一さんは、狛乙さんはで表示。共同の投稿はで表しています。


蓮池(はすいけ)神社

提供者:狛一
04.10.23
狛一のコメント:今日、釣に行って全く釣れず「だら〜〜」と帰ろうとしたら鳥居を発見!良く見るとワン子も見えました!車を止めて狛犬散策開始です!
近くによると、50センチくらいのワン子がいます。石質から見てまだ新しいように見えました。石工の名はわかりませんでした。でも、ここのワン子は生月大橋をまるで眺めているように見えますね!立地条件に恵まれたワン子かも(笑)
(長崎県平戸市主師町白石)
狛太郎のひとこと:海辺の小さな社です。昔この社の境内に清水の湧出があり、近くを航行する船は必ず立ち寄って水をいただく習わしだったといいます。やがて湧水は池となり、ここから「蓮池」の名が出ました。その池は現在もあるそうです。狛犬はあまり見かけないタイプです。鳥居が筑前石工の作品なので、狛犬もその方面からやってきたのかも知れません。花崗岩のものは彫りが浅く単調になりがちですが、小柄で可愛い体型と横に張りだした耳がアクセントになっています。
それにしても、海を眺めながら何を考えているのでしょうか。この撮影角度を発見し
た狛一さんの感性に脱帽です。さすが釣り師!


姫(ひめ)神社

提供者:狛一
04.10.24
狛一のコメント:全く釣れなかったので、狛犬だけでも〜と思いもう一軒(笑)。
中に入ると、なかなか彫りがいいワン子がいます。高さが60cm強くらいです!
風化で少し「あ」の口の部分が崩れ初めてました。石工は解りませんでしたが、
大正四年十二月と彫ってありました。それと近くに狐も居ました。なかなか可愛い狐だったのでこっちも撮っちゃいました〜。
(長崎県松浦市星鹿北久保)
狛太郎のひとこと:祭神は女神の天照大神で、「姫」の名はこれによります。
応和2(962)年、祭神が海を渡って来て今の船津神社に着船、鎮座されました。
その後神原に遷り、最後に御厨の町を一望できる現在の地に鎮座されたのです。
狛犬は堂々とした出雲狛犬です。本場で造られここに運ばれたものでしょう。
柔らかい石質を生かした精細な彫刻と、重量感に富み一目でそれと分かる存在感が持ち味です。この美しい狛犬は、しかし、100年を超えることは難しいのです。
少しでも長く、見る人の目を楽しませてくれることを願うばかりです。キツネの方は、珍しいほど可愛く造られています。目つきが穏やかで、小さなおちょぼ口にも愛嬌があります。でも尾の先は宝珠型であり、フォーマルな一面も持っています。


温泉(うんぜん)神社

提供者:狛一&狛乙
05.01.06
狛一&狛乙のコメント:雲仙の小地獄温泉に行った後、近くの温泉神社に行って来ました!隣は雲仙地獄があり湯気と硫黄の臭いが♪⌒ヽ(*゜O゜)ノ スゴイッ!!!
@鳥居からしばらく歩いていったらワン子発見!おぉ!なんか見たことが無いようなワン子だ〜!猿みたいな体形にカメレオンのような目!ちょっと怖いです(笑)
Aそして、「あ」の下を見ると高さ40センチくらいの肥前狛犬が〜!おぉ〜久しぶりの神社での発見で嬉しいです♪アーモンド系の目でカエルのように見えます!
Bそして、「うん」の下には長さ30cm位の赤ちゃん狛犬が居ました!すこし、風化で崩れていますが口の中には玉が入っていました。一生懸命岩にしがみついているように見えました。

「あ」の台座に「北高来郡小長井村長里尾上石工・中尾初次郎」と彫ってありました。肥前狛犬にも何か彫ってあるのですが解りませんでした。
(長崎県南高来郡小浜町)
狛太郎のひとこと:古来より温泉は、病を治す有り難いものとして神聖視されてきました。そこで、温泉の近くにはしばしば温泉神が祀られています。当社も国史に記載のある古社で、貞観2(860)年には従五位下を授けられています。@狛犬は非常に独特のものですね。まず顔立ちが確かに猿っぽくて、丸い目にはヒトミが刻出されています。ヒトミは彫り窪めるのが普通なので、珍しい表現です。大腿部が小さいためその分胴長に見えます。また足下の盤が分厚いのは、中台を兼ねているからでしょう。こうした手法も他では見かけないものです。Aは肥前狛犬です。前脚の間に彫ってある文字は「布津村○○清右衛門」のようにも見えます。島原半島の反対側にある「布津町」のことかも知れません。Bは小型の狛犬で立ち上がった姿をしています。以前送っていただいた熊野神社と同じ灯籠狛犬ではないでしょうか。


橘(たちばな)神社

提供者:狛一&狛乙
05.01.07 狛一&狛乙のコメント:温泉から帰る途中に凄く大きな神社発見!車を止め歩いていくと、初詣の準備をされています。さらに歩いていくと立派な大きな狛犬が居ました。勇猛で強そうなワン子は、まるで天を見ているように見えます。迫力があるワン子でした!
(長崎県南高来郡千々石町)

狛太郎のひとこと:当町出身の軍神橘中佐、こと橘周太翁を祀る神社です。慶応元年生まれの翁は、軍人として至誠・忠烈の道を貫き、日露戦争で壮絶な戦死を遂げました。大隊長として臨んだ首山堡の争奪戦の様子は、唱歌「橘中佐」に詳しく詠まれています。今日では、翁の指導者として徳望高かった人間性に焦点が当てられ、郷土の偉人として改めて顕彰されるに至りました。長崎県では諏訪神社に次いで初詣客の多い神社だそうです。狛犬は籠神社型を参考にしたと思われる造形で、全身にみなぎる筋肉の張りが力強さを強調しています。目の象眼がその印象を更に増幅させています。祭神の経歴に相応しい狛犬と言えましょう。


日吉(ひよし)神社

提供者:狛一&狛乙
05.01.12 狛一&狛乙のコメント:大分の臼杵の石仏に観光に行った時に、同じ場所に鳥居を発見したので入ってみました。鳥居から100メートル位、細い坂道を歩いて行くと神社があります。小さい境内の中にワン子が居ました。材質は木製で赤に塗られているせいか、オニのように見えて少し怖いです〜。
(大分県臼杵市大字深田)


狛太郎のひとこと:臼杵の石仏は有名な割に、その起源など詳しいことは不明なのだそうです。それでも、製作年代は平安期〜鎌倉期と考えられていますから、それだけの長い期間、石仏を造り続けるだけの宗教的エネルギーが、この地に存続していたことは確かなのです。そして、その源は天台宗と考えられています。ここに日吉神社があることが、その推測を裏付けます。というのは、日吉(ヒエ)神社は比叡(ヒエ)の地主神であり、延暦寺の鎮守社だからです。そんなうっすらとした歴史の輪郭が、ここにはあるのです。狛犬は立派な木造のものです。全身が丹塗りで、目や牙には金彩が施されています。ヒトミがくっきりと黒く、視線が定まっているだけに目が合うと怖そうです。それに顔立ちは狛犬というより、確かに鬼に近いものがあります。少し首を曲げてこちらを見ているのが何とも言えません(;^_^A


貴船(きふね)神社

提供者:狛一&狛乙
05.03.09
狛一&狛乙のコメント:
(左)鳥居をくぐると、手前にワン子が!まるで本当に吠えているようなワン子です!石工の名は解りませんが文化元(1804)甲子十一月吉日と彫ってありました。
(右)奥にも綺麗なワン子が!よく見ると目の中も彫ってあります。まるでカメレオン狛犬〜(笑)
大正六(1917)年四月廿八日建立。石工塩吹西野鶴松と彫ってありました。
(下)その手前に灯篭狛犬もいます。明治三十七(1904)年甲辰一月と彫ってあります。
境内の横奥にも灯篭狛犬が居ました。文○十年七月と彫ってありました。
(佐賀県武雄市東川登町袴野)
狛太郎のひとこと:当社は鎌倉末期、塚崎(現武雄市)の地頭・後藤光明によって京都から勧請されました。貴船神は雨乞いに霊験あらたかな神として知られます。
狛犬は左右ともに、典型的な塩田狛犬です。びっしり並んだ歯列、毛筋の揃った髪と尾、比較的スリムな体型などがその特徴と言えます。なおかつ、右は左を参考にしたことが窺えます。右の狛犬の作者西野鶴松は、多久の高野神社にも作品を残していますが、良く似た造りであり、伝統に忠実な職人だったことが分かります。
なお「塩吹」は塩田町馬場下の小字名です。燈籠狛犬は両方倒立で、しかも首を横に曲げたちょっと窮屈な姿勢です。これも塩田の伝統的様式と言えるでしょう。


正一位(しょういちい)神社

提供者:狛一&狛乙
05.03.10
狛一&狛乙のコメント:国道からポツンと見えた神社です。
(左)鳥居をくぐり見えてきたのは、スルッと美人な狛犬です。でも「あ」は歯が欠けているようでひょうきんな顔になっています(笑)。明治三九(1903)丙午歳、石工・式浪西野伊作と彫ってありました。
(右)そして境内の扉の奥にもワン子が!隙間からズームを使って撮影しました。横幅40cmくらいの新しいワン子ですが彫りはしっかりしているように見えました。
(佐賀県武雄市東川登町袴野宇土手区)
狛太郎のひとこと:武雄市一帯にはかつて、長島荘と呼ばれる広大な荘園が営まれていました。その惣地頭・渋江氏は、もと鎌倉御家人・橘氏の後裔です。
当社の祭神は橘氏の始祖・橘諸兄(もろえ)であり、社名は彼の位階(正一位)に
よるようです。武雄市にある橘町の地名も、こうした事情に関係があるのでしょう。
さて狛犬は、狛一さんが言われる通り、実に美形です。きめ細かな白い肌に櫛目の通った長い髪が流れ、その流れには形の良い渦が数個配されています。
アゴを上げ、すっくと立った姿勢には、気品が感じられます。作者西野伊作は、上記貴船神社の石工西野鶴松とは恐らく同門で、やや先輩かと推察されます。伊作住所の「式浪」は現嬉野町ですが、鶴松の塩田町「塩吹」とは数`しか離れておらず、同時代の職人として腕を競った間柄だったのではないでしょうか。


内田(うちだ)天神社

提供者:狛一&狛乙
05.03.12
狛一&狛乙:三つの鳥居をくぐり一つ目が天満宮!次が徳馨萬○!次が至誠通天!と彫ってあり、神社の中に塚崎庄内田矢と書いてありました。
どれが神社の名なんでしょう?(^^;)
(左)奥には肉つきがいい凛々しいワン子が居ました。「あ」は歯が欠けて笑ってますが・・・大正七年九月吉日 小田志村 石工 北川熊三と彫ってありました。
(右)灯篭狛犬も彫りが綺麗でした。
(佐賀県武雄市東川登町永野)
狛太郎のひとこと:鎌倉時代に、当地の領主後藤幸明が、鎌倉の柄柯(えがら)天神を勧請したもので、菅原道真を祀っています。幸明の父の没後、相続をめぐって同族と争った際、柄柯天神に参籠して勝訴を祈願し深く崇敬した、といいます。
鳥居の文字は、神の徳を称えた願文のようです。柄崎庄は現武雄市、内田は内田村です。というわけで、この神社の名前は「天満宮」でした。ただし「矢」については分かりませんでした。狛犬はやや古そうな塩田型です。武雄市の中でも塩田町に近いこの地域は、やはり塩田石工の独壇場のようですね。上記2社に比べると幾分豊満な体つきですが、奇麗にカールして流れる髪や、整った尾の造りなどは塩田石工の面目躍如です。一方灯籠狛犬の方は、「岩狛」のスタイルをとっています。そして岩には大きな牡丹の花があしらわれ、小さいながらも華やかな作品に仕上げられています。


大山祇(おおやまつみ)神社

提供者:狛一&狛乙
05.04.23 狛一&狛乙のコメント:土曜日に、うまうまのパンのお店の「せふりの」に行った帰りに寄ってみました!
鳥居をくぐり階段を登っていくと、なんとも見事な御神木の杉が聳え立っています。
その下を見ると高さ60センチ弱のワン子がいました。肥前狛犬の後期の型のように見えます。
彫りが浅い為か、面白い顔にみえますね!
(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町大字松隈字小川内)
狛太郎のひとこと:佐賀県の北部に屏風のように広がる背振山系の尾根は、肥前と筑前を分ける自然境界です。東脊振村の北端、小川内の集落はまさにその藩境に位置しており、藩政時代には国境警備の役割を担っていたと言います。
狛犬は原初的な面影を残しながらも、進化の跡を窺わせる作品です。まず肥前狛犬としては巨大なこと。次にアの開口角が大きく牙の表現が明瞭です。それに、足下には狛犬と一体成形の「盤」があるように見えます。このように、素朴な中にも造形上の工夫と装飾的意図が顕著であり、かなり後期的作品のようです。細面ですっきりした顔立ちも印象的です。          


善女龍王(ぜんにょりゅうおう)

提供者:狛一&狛乙
05.05.28 狛一&狛乙のコメント:肥前町ドライブの帰り、「日本一のまきの木」の看板を発見!!行ってみよう!!って事で車を走らせると、
とんでもない細いくねくねの山道・・・・・・
行けども行けども・・・・結構登って杉岳山不動尊大聖寺が見えてきました。「まきの木はあきらめて、お不動様にお参りして帰ろう」と車を止めて境内へ入ると、ご住職と庭を管理している方がいらっしゃいました。
話を聞くと「そこですよ→」と指差した先にでぇ〜〜んと大きい、まきの木が有りました。よかったよかった来た甲斐が有りました。しっかりさわってお参りしました。
お寺の中、駐車場近くの池の中に小さなほこらが有り、よく見ると小さな狛犬さんがいました。ほこらには王龍女善と書かれてます。多分右から読むのだと思います。顔の彫は風化してわかりませんでした。でも狛犬ですよね?近くに鳥居があり山王社が有りましたが、かなり山を登らないといけない気がしたので、やめときました。課題の神社が増えました!!
(佐賀県武雄市北方町大崎)

狛太郎のひとこと:大聖寺(だいしょうじ)は、和銅2(708)年に行基によって開かれた古刹で、日本三大不動尊の一つなのだそうです。近くの池のほとりにあったという「王龍女善」は、狛一さんが思われた通り、確かに右から読むべきものです^^。
これは龍神の一種で、インド起源の水神です。弘法大師が京都の神泉苑で行った雨乞いの際、はるか天竺から飛来してたちまち雨を降らせたと言われます。
似た神に八大龍王があり、やはり水辺などに祀られているのを見かけます。
さて祠の中の小像ですが・・あまりにも風化しすぎていて、ナニと決めつけるのが難しい状態です。あるいは龍神像なのかと思ったりもしましたが、やはり肥前狛犬と見るのが妥当なようです。祠と像の石質が異なるように見えることと、最初からこの祠に納まっていたらここまで風化しなかっただろう、というのが理由です。一匹だけになった狛犬を哀れんでか、誰かがカラの祠に納めてくれたのではないでしょうか。


神六(じんろく)神社

提供者:狛一&狛乙
狛一&狛乙のコメント:嬉野方面に用事があった帰りに行って来ましたよ!
1箇所ですけど大漁です! (佐賀県武雄市西川登町神六)

(左)立派なイチョウの木がある神社の鳥居をくぐると境内の前に居ます!彫がしっかりしている狛犬ですが、「あ」は風化で崩れていて面白い顔になってました!
(右)そのワン子の後には小さなワン子が!
たぶん灯篭の上に付いてたのかな。
崩れたので狛犬だけは残してくれてるみたいでした。

(中)そして、奥を覗いてみるとまだまだワン子が居る!歩いてワン子の方に行く途中柵が!中を見ると可愛い肥前狛犬です!
しっかり管理されてるおかげで風化もしておらず顔がはっきり見れます。

(左)一番奥にはまた見事なワン子が居ます。しっかりした彫でカッコイイです!

(右)そして、上を見るとめちゃくちゃ面白い顔のワン子の彫物が!ちょっと笑えますね。

05.05.29 狛太郎のひとこと:ほんとに大漁でしたね!神社のたたずまいもいい感じです。
(上左)塩田狛犬です。装飾性に優れ、特に毛筋の流れの美しさが特徴です。
(上右)大輪の牡丹花が華麗な灯籠狛犬です。この分野も興味深いですね。
(中)保存状態が極めて良好で、脚間に彫られた文字も鮮明です。天和2(1682)年という古いものですが、大切に保管されてきたのでしょう。ぱっちりした目や、長い睫毛のように見える模様がとにかくチャーミング。実はこれ、研究書にも載っている有名犬なのです。「神六村住人前田助左衛門」と刻まれています。肥前狛犬としては端正な作風で、塩田狛犬の源流をなすかも知れない貴重な文化財です。
(下左)きっちりしたトラディショナルな塩田狛犬です。やや新しそうに見えます。
(下右)大きな石祠を石殿と呼びますが、これはその木鼻です。石殿の中でも獅子像の木鼻まで備えたものは珍しく、石工の心意気が伝わってきます。


羅漢寺(らかんじ)

提供者:狛一&狛乙
05.06.05
狛一&狛乙のコメント:大分に旅行に行った時に、「羅漢寺」に観光に行ったらワン子?が!(左)お線香立ての下がわん子でした〜!
コレも狛犬?でしょうかね〜?
(右)観光していると「地獄なで犬」なんかも居ました。

(大分県中津市本耶馬渓町跡田)
狛太郎のひとこと:当寺は全国羅漢寺の総本山とされる古刹です。大化元(645)年にインドの法道仙人によって創建されました。羅漢というのはお釈迦様の弟子で、悟りを得た人のことです。梵語「アラハット」が中国で「阿羅漢」と音訳され、それが詰まって「羅漢」になりました。
(左)この獅子は元は狛犬だったのでしょうか。それとも最初からこのように造られたのでしょうか。恐らく元々線香立てとして造られたものと思われます。頭部が扁平で物を乗せるのに適した形であることと、普通なら狛犬と一体成形されるはずの足下の「盤」がないこと、などが理由です。
(右)犬とも猿ともつかぬ不思議な顔立ちをしていますが、全体像を見るとやはり犬のようにも見えます。久留米水天宮の「なで狛犬」と同じように、撫でることにより、無病息災を願うもののようです。ところで写っている看板をよく見ると、「地獄」ではなく「極楽なで犬」と書いてありますよ(笑)。大きな違いです。


真打ち
プロフィル
狛一さんは釣り師にしてラーメニスト、狛乙さんはピアニスト兼家庭菜園主と、ご夫婦でマルチに活躍中。最近は狛犬研究にも精を出され、その収集力は抜群です。お二人の多彩で楽しい活動の様子は、サイト「よっし〜の今日もにこにこ」でかいま見ることができます。


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