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狛弟子の狛一、狛乙はこのほど真打ちに昇進しましたので、のれん分けして独立部屋に移転しました。今後ともよろしくお願い申しあげます。狛太郎敬白。
各地の一の宮 総社・総鎮守などを称する神社
狛一さんは、狛乙さんはで表示。共同の投稿はで表しています。



住吉(すみよし)神社

提供者:狛乙
05.08.28 狛乙のコメント:たまには親とドライブってことで、肥前町へ行きました。花と海と棚田と風力発電の風。車の景色がステキな自然がいっぱいの、とっても良い所でした。あちこちに弘法大師のお地蔵様が祭られているのも印象的で、信仰深い地域なのだろうと思われます。

さて神社ですが。狛犬さんが、わんさかです。
@まず鳥居の前の灯篭に一対(左)。アは風化して、ほとんど崩れています(ウンのみ)。
A鳥居をくぐり太鼓橋を渡ってすぐ、足長の肥前狛犬らしき一対(左)。アは、しわしわで、思わず笑いが出る顔です(右下)。以前はきっと、厳つい顔だったのでしょうが、時間と共に面白顔になったのでしょう。
ウンの前足部分前面の字「○永八巳亥天2月吉日」。に見えますが自信がありません・・・後姿がお行儀よくてかわいい狛犬さんです。
B次に大ぶりの一対(左)。「石工徳永○治(○→円に見えます)、明治13年庚辰2月吉日」と書いてあります。襟巻がゴージャスな気品のある堂々とした狛犬さんです。
C次に灯篭に一対(左)。
D次に神殿への階段を登りすぐ灯篭に一対(右)。

EF更に神殿左の小さな神社(祠)にも2対います(左・右) 
いや〜多かった。
全部で7対!! 
かなりの充実感で神社を後にしました。

(佐賀県唐津市肥前町納所)
狛太郎のひとこと:住吉神は宗像神と並ぶ代表的な海神です。東松浦半島の南端に位置し、三方を海に囲まれたこの地では、その恵みにも脅威にも共に直面する日常であったでしょう。有力な海神の存在は生活に不可欠な要素でした。
@ウンだけの灯籠狛犬です。後肢を伸ばして完全に立ち上がる珍しい姿勢です。
A後期の肥前狛犬で、腹下だけを刳り抜いて前肢間を板状に残し、銘を刻んでいます。「○永」は「安永8(1779)年」でした。こんなとき干支がとても役に立ちます。
厳木町に同型があり正徳3(1713)年製です。この時期の流行だったのかも。
B典型的な唐津タイプです。「徳永」は唐津石工の創始者の姓で、その後も代表的な一門でした。唐津タイプは端正な蹲踞が多く、ちょっと首を傾げる仕草に特色があります。また尾には「逆R字」が多く用いられます。顔が恐いのも特徴と言えます。
CDどちらも直立・倒立の一対です。この形は灯籠狛犬では一般的ですが、後肢を伸ばした完全な直立は珍しいと思います。レッサーパンダの風太くんのようです。
E小型の唐津タイプです。縦置きになっていますが、本当は左右を入れ替えて、更に横置きにすべきもののようです。隣の肥前狛犬に同調してしまったものでしょう。
Fスマートな肥前狛犬です。後期にはこうした足長タイプがしばしば登場します。
肥前町は海あり山あり温泉ありの魅力的な町ですね。風力発電も見逃せません。


知覧町(ちらんちょう)護国神社

提供者:狛一&狛乙
05.10.02 狛一&狛乙のコメント:鹿児島旅行で知覧特攻平和記念館に行った時に、隣に神社があったので行って来ました!時間が無かったので、アセアセと狛犬に直行!そんなに古くないように見えましたが、玉にがっしり乗った感じがかっこいいです(^^)
しかし、知覧特攻平和記念館は自分には辛すぎました(涙)
最後に家族に残した手紙は、1枚読んでもう後は見れませんでした。
(鹿児島県川辺郡知覧町郡)
狛太郎のひとこと:はじめ明治2年に戊辰戦争の戦没者を祀り、のち西南戦争から太平洋戦争までの戦没者を順次合祀しました。一時、豊玉姫神社内に移った後、昭和34年現在地に遷座しました。隣の平和記念館では、誰しも胸を締め付けられるような思いに駆られるでしょう。あれから60年、日本は変わったように見えますが、本当に変わったのかどうか、常に自問自答が必要なのではないでしょうか。
さて、狛犬はいわゆる岡崎型です。この型では蹲踞、またはその変化形としての玉取り・子取りまでが普通です。然るにこれは、巨大玉取りの尾道型(波賀部神社など)の体勢を採り入れており、後肢が完全に立ち上がっています。また自然石風の盤も岡崎型としては異例です。量産的で没個性的と不評の岡崎型ですが、こうした大胆な試みを目撃すると、この型にも大いに期待が持てそうです。

藤田(ふじた)天満宮

提供者:狛一
05.11.27 狛一のコメント:仕事の昼休みに散歩してみたら、近くに神社を発見!ワン子も居たので撮って来ました!
ドンと台座に座っている狛犬は、怖そうだけど良く見ると可愛い顔をしていました!
台座には昭和三年十一月十日
檪野石工
堀 郡太郎
松田 庄太郎
河野 義
と書いてありました。

(福岡県大牟田市藤田町)
狛太郎のひとこと:大牟田市は福岡県の南端に位置し、ここ藤田町は更にその南端にあって熊本県荒尾市と境を接しています。幕末に三池藩が炭鉱を開発して以来、大牟田と言えば石炭の町として隆盛を極めました。また、カルタ発祥の地としても知られています。16世紀末、南蛮貿易でポルトガルからもたらされました。
狛犬はなかなか美しいですね。猫足付きの中台に乗り、格調高く仕上げられています。足の短かさや体型が「阿蘇神社」に似ているので、地理的に見ても熊本タイプではないかと推測します。ただ石工は地元の人です。櫟野(いちの)は当地の東方、三池山の山麓に当たる場所で、今でも石材店が数社あります。その中に丸堀産業がありますが、堀郡太郎氏と関係があるかも知れません。


沖(おき)神社

提供者:狛一&狛乙
06.01.14 狛一&狛乙のコメント:以前仕事中に見つけて、ずっと気になっていた神社へ行って来ました。
民家が集まる田舎道にある神社です。ウーパールーパ系?のワン子発見です!!かわいい!!思わずなでなでしました。石工は読取不可能でした。

(佐賀県小城市芦刈町大字永田字永田南)
狛太郎のひとこと:沖神は有明海沿岸に点々と分布する水の神です。沖の神というだけで名前もないところから見ると、相当古い起源を持つ信仰と考えられます。
これを古事記などに見える大綿津見神(おおわたつみのかみ・海神)として祀る神社もありますが、本来はもっと素朴で身近な神であったに違いありません。
狛犬は岩狛の仲間ですが変わり種です。伝統的な岩狛を、リアルでより動的なものに再構築した功労者の名を知りたいところですが、今のところ、判明していません。近隣の厳島神社に同タイプがあり、慶応2(1866)年の作ですから、これも同時期のものと思われます。多久神社乙護社鎮守八幡などに類例があります。


須賀(すが)神社

提供者:狛一&狛乙
06.01.15 狛一&狛乙のコメント:農道を走って行くと、民家の集まるところに神社発見!!狛犬も発見!!
タロウのようです。境内は小さいながらも綺麗に掃除をしてあり、とっても明るい神社です。
慶應三(1867)丁卯五月吉日。
石工は読み取れませんでした。
写真に取りましたので解読をお願いします。

(佐賀県小城市芦刈町大字永田字弁財)
狛太郎のひとこと:素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀っています。この神は、悪行がたたって高天原(たかまがはら・神の国)を追放されたものの、降った先の出雲の国で大蛇退治の偉業を成し遂げ、一転してヒーローとなりました。様々な性格を有しますが、とりわけ悪疫退散に霊験があるとして尊崇されています。
狛犬はご指摘のように、純正タロウです。三等身ながら、前肢を岩に掛けて後肢を伸ばした姿は動感に富んでいます。また、眉をつり上げホホを膨らませた、きかん気そうな顔立ちには、若々しさがみなぎっています。明治維新前年の作です。
石工名は「袈裟吉」でした。この名は初見ですが、砥川石工で間違いないでしょう。


金毘羅(こんぴら)神社

提供者:狛一&狛乙
06.01.17
狛一&狛乙のコメント:
銅ぶきの立派な建物の神社です。夏は子供たちの太鼓の練習で賑あうそうです。
狛犬は顎鬚がとっても立派で、彫の細かいワン子です。
アの顎が欠けて、親しみやすい顔に変身しているようです。
本来は強面だったはずなのに・・・
明治丗四○一月一日。○は年に似た漢字でした。
石工、塩田・筒井慶三郎
(佐賀県杵島郡白石町福富下分)
狛太郎のひとこと:当社は天明8(1788)年、干拓成就の際、勧請されたものです。
当地は明治時代には、福富下分村字北八左衛門搦と呼ばれていました。
干拓によって出現したとも言える福富町には、「搦(からみ)」という地名が多く見受けられます。搦とは干拓技法の名で、杭を打ち、潟土をからめる工程を指します。
八左衛門という人が、この工区を請け負ったものでしょう。
狛犬はお馴染みの岩狛です。この個体は、砥川系との違いがいまいち明瞭ではありませんが、髪やヒゲの豊かさ、毛筋の柔らかさ、歯並びの良さなど、塩田系の特徴がうかがえます。筒井氏は塩田石工の代表的姓の一つです。○の字は、やはり「年」ではないでしょうか。干支なら「辛丑」ですが、「年」には似ていません。


龍宮社(りゅうぐうしゃ)

提供者:狛一&狛乙
07.05.12 狛一&狛乙のコメント:久保田の龍宮社という神社で、「ひゃーらんさん祭り」がありました。
ここは水神様で、270余年前から水難除けの神様として、川に入らないようにと「ひゃーらんさん」の名で親しまれているそうです。で!息子も川にひゃーらんごと(入らないように)お参りに行きました!
そばのテントに行って、お供えのお菓子とお守りの小さなひょうたんを買い、お菓子をお供えして、祠を3周しながら「ひゃーらんごと!ひゃーらんごと」と願いながら廻りました。
これで息子も水難から救われます(^^)
(佐賀県佐賀市久保田町中副)
狛太郎のひとこと:久保田町はほぼ県央に位置し、嘉瀬川と福所江川に挟まれて南北に細長く、南は有明海に面しています。久保田の名は低湿地を意味する「窪」に由来するもので、町の歴史は土地改良の努力とともにありました。その成果として農業が盛んとなり、用水路(クリーク)も多いことから、特に子どもの水難除けは昔から切実な願いであったようです。
狛犬は灯籠の笠石の上に置かれたものです。この用途のものは足元が狭いことから、殆どが立ち上がった姿勢に造られています。町史によればこの灯籠は安政5(1858)年とあります。狛犬としては比較的新しいのに傷みが激しいのは、小さいわりに加工度が高いからでしょうか。これからも子どもを見守って欲しいものです。


七郎(しちろう)神社

提供者:狛一&狛乙
07.05.13 狛一&狛乙のコメント:修復されて綺麗な境内の両脇に、ワン子がいました。
狛犬の台座には昭和4(1929)年と書いてありましたが、石工の名前は読み取ることができませんでした。何度か狛犬が変わっているんでしょうかね?
最も下の石はかなり古く、その上から台座迄は違う石質で、更に狛犬はまた材質が違うように感じました。
(佐賀県多久市西多久町板屋)
狛太郎のひとこと:七郎神社は県北部の山間を中心に数多く分布しています。
しかしその祭神はまちまちで、七郎神としての統一的な神格はよく分かりません。すなわち、当社の場合は仲哀天皇の弟、稚武王(わかたけのみこ)を祀っているのですが、他の七郎神社では少彦名命、十城別王、新田義貞などとされています。そもそも「七郎」の名義も不明であり、不思議で謎めいたところのある神社です。
狛犬は昭和初期の岡崎型です。堂々とした体格と厳めしい顔立ちが魅力で、全国的に普及しています。最近の新作はこの岡崎型の写しが多く、大量生産の通弊として没個性的であるため、愛好家には好まれていません。しかし同じ昭和でもこの時期のものは、手作り感も個性もあり、鑑賞の対象として不足はありません。


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