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狛弟子・狛盛はかねてより全国を踏破して、東北、四国などを含め一門の手の届かない地域の狛犬を多数収集しました。その勢いはその後もとどまるところを知りません。これからも狛盛ワールドをお楽しみ下さい。
                                        
狛太郎敬白
各地の一の宮 総社・総鎮守などを称する神社


光雲(てるも)神社

提供者:狛盛さん
04.04.20
狛盛さんのコメント:先日花見をしまして、その時に珍しい狛犬がいたので、沖縄出発前に写真を撮ってきました。阿吽共に完全に後ろを向いていて、見ていると首が痛くなりそうです。
大正11(1922)年製で、当時としては珍しいと思われる、大理石のような堅そうな、黒っぽいなかに白やグレーの模様が入った石です。
(福岡県福岡市中央区西公園)
狛太郎のひとこと:筑前初代藩主・黒田長政とその父孝高(如水)を祀っており、廃藩置県までは城内に鎮座していました。しかしそんな由緒より何より、この狛犬を一目見て仰天しない人はいないでしょう。アもウンも、振り向くなんてものじゃなく、180度首を回して真後ろを向いているのです。正面写真だけでは構図が分かりにくいので、下段にアの後方からの画像を載せてみました。全体的な造りは大宝神社系のもののようですが、この姿勢に何か特別ないわれでもあるのでしょうか。アウンの位置は通常と同じなので、つまり互いにそっぽを向いているわけです。残念ながら、この意匠の意図するところを確かめることはできませんでした。


富盛(ともり)の石彫大獅子

提供者:狛盛さん
04.08.14
狛盛さんのコメント:以前出張したときにメールした狛犬の写真を覚えておいででしょうか。
沖縄戦のときの写真で、米軍の兵士が大きな狛犬の脇で進軍中の写真でした。
その狛犬をひょんな事から発見しました。正確には狛犬ではなく、富盛の石彫大獅子として三百十余年前から鎮座している物でした。県南部の激戦地の小高い丘の上に八重山諸島の方を向いて座っており、身体には多数の弾痕らしき穴が見受けられます。多分琉球石灰岩で作られた像だと思われますが、素朴な造形で大きく切れ上がった口のなかには舌も彫られています。また大きなその目で何を見てきたんでしょうね。その歴史を考えると、感慨深いものがあります。見つけたときは、やっぱり有ったんだと鳥肌が立つような思いでした。
(右写真)アメリカ人相手のお土産として売られている、英文の沖縄戦の本の表紙です。
改めて現在の写真と並べて見ると、弾痕の位置もぴたりと一致します。場所は島尻郡東風平(こちんだ)町の富盛(ともり)地区にあり、写真の状況から沖縄戦の最終段階の頃だと思われます。この場所は摩文仁の丘の北方約4.5kmの高台にあり、米兵が双眼鏡で見ているのは丁度、日本軍司令部のある摩文仁の丘の方角のようです(現在の平和祈念公園)。
日本軍及び住民がいよいよ県南部に追い詰められて、集団自決やひめゆり部隊の悲劇もこの時期ではないでしょうか。日本人として決して忘れてはいけない事実ですよね。
(沖縄県島尻郡東風平町富盛)
狛太郎のひとこと:沖縄のことは、奈良時代には既に「阿児奈波」として知られていました。
同じ頃、中国の史書には「流求国」が登場します。二つの呼び名はともに非常に古いものですが、それらの語源や使い分けは良く分かっていません。17世紀初頭に薩摩が琉球国を属国化し、江戸時代を通じてその支配下に置きました。維新後、明治政府はこれを琉球藩と改め、この時点で琉球国は消滅(1872)、次いで廃藩置県によって沖縄県となりました。
富盛の大獅子は、沖縄の石彫獅子のうち最古最大(141a)といわれ、尚貞王21(1689)年に設置されたものです。薩摩による支配が始まって80年ほど後のことです。この大獅子は見たところ、狛犬に良く似ており、逆に陶製のシーサーにはあまり似ていないようです。また、これをモデルにしたとされる各地の石彫獅子にも似ていません。これらのことが、何らかの意味を持つのかどうか今のところ分かりません。分かることは、体中に銃創を受けたこの獅子が、日本との関わりが濃厚になって以来の歴史を全部見てきたという事実のみです。


白銀堂(はくぎんどう)

提供者:狛盛さん
04.12.31
狛盛さんのコメント:こちらに来て地図上で神社を探し、訪ねてみても狛犬ではなくシーサーだったり、狛犬自身が無かったりと、ほぼ狛犬探索を諦めかけていたときに発見したものです。
この場所は白銀堂と言う場所で、鳥居と狛犬はありますが、正確には神社ではなく沖縄独特の拝み所で、神社の本堂にあたる場所には巨大な自然石が作る自然の洞窟に祭壇が設けられています。陶器製の獅子像はシーサーとは違って阿吽の対の像がきちんと台座のうえに蹲踞して、首を曲げ参道側を睨んでます。製作年代は不明です。
(沖縄県糸満市糸満)
狛太郎のひとこと:ここはウガンジョ(拝み所)と呼ばれる沖縄の聖地で、現在は拝殿や鳥居が架構されて神社風の施設になっていますが、自然洞窟が本来の姿であったようです。
地元猟師マンクーと薩摩藩士児玉左衛門の友情と信頼をテーマとした説話が残されており、その舞台となったのがこの洞窟です。狛犬は陶製で、背中から腰にまで伸びる複雑な巻き毛の列が豪華です。上へ向かって立つ耳が独特で、顔立ちもやはりシーサーかと思わせますが、尾の形はまさしく狛犬を参考にして造られたことを物語っています。一方、すらりとした前肢の脚線美は、石造狛犬には見られないものです。


唐人墓(とうじんばか)

提供者:狛盛さん
05.01.08
狛盛さんのコメント:沖縄は最近やっと少し寒いと感じるようになりました。先日、石垣島に仕事で渡ったのですが、唐人墓なるものがあり、台湾から寄贈された狛犬が一対おりました。
牡が球取り、牝が子取りで砂岩製です。
(沖縄県石垣市新川富崎)
狛太郎のひとこと:地図を見ますと石垣島は沖縄本島を隔たること400`、しかし台湾まではその半分程の距離でしかありません。墓の様式や狛犬の姿が、まるで中国かと見まごうのも無理からぬところです。さて今回の唐人墓については、ちょっと重たい歴史の舞台であることに触れなければなりません。時は嘉永5(1852)年、ぺりー来航の前年のことです。米国の奴隷貿易、苦力(クーリー)の蜂起と苦難、そして石垣島民の関わり方など、事件の重大性の割に、ほとんど語られることがありませんでした。詳しくは下記サイトでご覧下さい。
狛犬は台湾の現代石獅です。日本の狛犬とはかなり趣が異なり、左右とも開口で、真っ直ぐに前を向く縦置型です。顔立ちはバリ島のバロンにやや似ています。砂岩製だけに非常に細かい点まで彫り込まれており、石工が心ゆくまでノミを走らせたらしい痛快さが感じられます。
日本人が知らない石垣島に残る唐人墓


北海道(ほっかいどう)神宮

提供者:狛盛さん
05.01.15
狛盛さんのコメント:こんにちは、札幌〜小樽に行ってまいりました。
(左)最初にお送りするのは、円山公園に近い北海道神宮です。元旦の朝は大雪で初詣の大変でした。狛犬は立派なものが一対いたのですが、おみくじの屋台に阻まれ、また雪も積もっていたので近くに行けませんでした。せっかくいい顔してるのに、ズームで撮ったため写りが悪いです。
(右)もう一社は出口にむかう途中にある「穂多木神社」です。こちらは、狛犬の位置も低く側で撮影できましたが、制作年代不明です。色を見て一瞬青銅製かと思いましたが、陶製の狛犬でした。小型ですがなかなかりりしい顔をしています。
(北海道札幌市中央区宮ヶ丘)
狛太郎のひとこと:当社の祭神は国土経営の三神で、のちに明治天皇を合祀しました。
蝦夷地開拓を主要国是に掲げた新政府は、明治2年に早くも三神の鎮祭の儀を執行、開拓判官島義勇がこれを奉戴して札幌に入りました。翌3年北六条通り、4年円山へと遷座。
国幣小社札幌神社の誕生でした。明治32年官幣大社に昇格、同38年現在地に遷り北海道神宮と改称しました。因みに島義勇は佐賀藩士で、北海道開拓の父として知られた人です。
(左)は本社の狛犬ですが、雪に覆われてほとんど全体像を見ることができません。
かろうじて、やや小太りで短足であることと、非常に厳しい顔つきをしていることが分かります。現代の普及型でないことは明らかで、以前送っていただいた菅原神社真山神社のものなどと共通点がありそうに思われます。やはり北国には北国の狛犬がいるようです。
(右)は末社穂多木神社の狛犬です。もとは北海道拓殖銀行の社屋に鎮座し、役職員の物故者を祭っていたそうです。銀行員を祀る神社とは驚きですが、開拓史の一翼を担う者としての気概や自負があったのでしょう。しかしその拓銀はすでになく、そうした思いも歴史のはざまに遠ざかってしまいました。この狛犬が話せたら、どういうことを語ってくれるでしょうか。


龍神堂(りゅうじんどう)

提供者:狛盛さん
05.01.16 狛盛さんのコメント:小樽から一駅、余市方面に塩谷という集落があります。徳源寺と言う寺に龍神堂という社があり、砂岩製の小さな狛犬がいました。小さいけれども、姿勢、顔つきともに品格を感じます。身体には獅子舞の胴と同じ様な模様も彫られています。
(北海道小樽市塩谷2丁目・徳源寺内鎮守社)
狛太郎のひとこと:小樽は北前船の寄港地、物資の集散地として栄えた町です。
物流の近代化と物資量の増大に伴い、運河に倉庫群が立ち並ぶ景観が形成されました。
市内には近代史を彩った当時の建築物が多く残され、独特の風趣を添えているようです。
この徳源寺もそうした建物の一つです。狛犬は出雲式の構えと細密な彫刻が独特です。
しかしこの狛犬の最大の特徴は、実はその体と顔の向きにあります。良く見てください。
普通の狛犬は体を横向きにし、顔を参拝者の方に傾けているものです。ところがこれは体が縦置きで、顔を内側に向けて参拝者の方を見ています。横置きにして、更に左右を入れ替えれば納まりは良いのですが、アウンは逆になってしまいます。アウンを逆に置く地域もあるそうですから、あるいはそれが正しいのかも知れませんね。そうだとしたら、アは右にあるべしと考えた人が、無理にこのように置き直した可能性もあります。そうではなくて、やはり最初からこのように造られたとものだとすると、本邦でも極めて特異なサンプルであることは間違いありません。


龍宮(りゅうぐう)神社

提供者:狛盛さん
05.01.18
狛盛さんのコメント:小樽駅の近くにあり、参道からは海が望めます。神社の周りは古い住宅街で、北海道特有のトタン板で壁を覆った民家があります。狛犬は立派なものがいたのですが、阿像には厄除け節分祭の看板が固定されていてちゃんとした写真が撮れませんでした。残念です。製作年は大正年間だったように記憶してます。写真を撮ったので安心してメモをしてなく、後で写真を見ると文字が判別できません。すみませんでした。花崗岩製です。この狛犬のほかに、賽銭箱の両脇に砂岩製の壊れた小型の狛犬が床に置かれていました。
(北海道小樽市稲穂3丁目22-11)
狛太郎のひとこと:確かに正月とか縁日には、狛犬が看板などの犠牲になっていることが多いですが、これはちょっとひどいですね。私も経験がありますが、せっかく立派な狛犬なのに罰当たりなことです(笑)。右の狛犬はアウンともひどく壊れています。何かとてつもない力が加わらなければこうはならないと思いますが、いったいどうしたのでしょうか。
 この神社には多くの神々が祀られていて、何度も合祀を重ねた経歴をうかがい知ることができます。そのことを、明治以降の小樽の町の変化と重ね合わせることができるかも知れません。社名を龍宮というわけは、主祭神が和田都美(ワダツミ)神だからです。ワダツミとは海の古語で、その娘、豊玉姫が龍宮城の乙姫様とされるのです。


真打ち
プロフィル
狛盛(こと、てんもりさん)は猛烈出張族。今日は新潟、明日は沖縄と、全国を股に掛けての神出鬼没ぶり。麺に関する知識と意欲も旺盛で、そのパワフルな食生活はブログ「ちゅらかじとがちまやぁ」で堪能できます。


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