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狛弟子・狛盛はかねてより全国を踏破して、東北、四国などを含め一門の手の届かない地域の狛犬を多数収集しました。その勢いはその後もとどまるところを知りません。これからも狛盛ワールドをお楽しみ下さい。
                                        
狛太郎敬白
各地の一の宮 総社・総鎮守などを称する神社


恵比寿(えびす)神社

03.09.08 狛盛のコメント:出雲大社近くの小さな神社です。
手足が異常に大きな砂岩製の狛犬。昭和62年製ですがけっこう古びてます。
(島根県簸川郡大社町中荒木)

狛太郎のひとこと:神社は小さくても、狛犬は立派な出雲型です。出雲型は風化の進んだものが多い中で、新しいうちはこんなに美しく堂々としているのですね。
今でもこのタイプの新作があるということを知り、まことに喜ばしい限りです。しかし、もう古びているというのは心配です。現代は酸性雨などの影響で、砂岩でなくても消耗が加速しているといいます。なんとかこの勇姿を後世に伝えて欲しいものです。


伊佐爾波(いざにわ)神社

狛盛のコメント:讃岐に行って来ましたので,途中で立ち寄った神社の写真を送ります。愛媛県道後温泉にある「伊佐爾波神社」。こちらには狛犬が見当たらず,門の柱のうえに阿吽の木像がありました。夜明けの神社は荘厳でよかったです。
(愛媛県松山市桜谷町)
狛太郎のひとこと:温泉郷らしく、古代この地は「湯の郡」と呼ばれていたようです。
風土記に記述があり、また「延喜式」にも所載の有数の古社で、八幡神および宗像神を祀ります。中世に河野氏の居城「湯月城」の守護神であったことから、湯月八幡宮とも称されます。さてこの写真は正確には狛犬ではありませんが、モチーフはアウンの獅子そのものです。この部分は本来は木鼻(柱を貫通する横架材の先端)なのですが、ここに切り口が突出する無粋さを避けるため、次第に装飾を施すようになったものです。桃山時代には構造材の一部としてではなく、完全に彫刻作品となっていきます。江戸初期になると左甚五郎のような彫刻の名人が現れ、次第に建築から独立した専門の職人が活躍するに至りました。
追加情報 伊佐爾波(いざにわ)神社 提供者:TAKOさん
04.06.20 TAKOさんのコメント:ひょんな事から 狛犬天国を見させて頂きました。 全国には 同じような思いを持った人が居るのが良く解ります。PCも携帯もデジカメも今年になってようやく使える?ようになった私です。経過は色々有りますが、とりあえず愛媛県の伊佐爾波神社に狛犬が居ないという。普通に参拝すると、目に入りません。4〜5m位参道の上に居ます。
(愛媛県松山市桜谷町)
狛太郎のひとこと:貴重な情報をありがとうございます。随分高いところにいるのですね。
これでは狛盛さんも気づかなかったでしょう。狛犬は巨大な玉取が特徴的な尾道型です。
この型は山陽〜四国にわたって、瀬戸内海の両岸に広く分布している一大種族です。
一部、関門海峡を渡って北九州にも上陸しています(北九州市恵比寿神社)。


金比羅宮(こんぴらぐう)

03.11.02
狛盛のコメント:ごぞんじこんぴらさん。七百数十段の半分近くしか登りませんでしたが,3対の狛犬が居ました。
@備前焼の狛犬で筋骨隆々の風格ある狛犬です。説明書を読むと成る程なと感心します。
A砂岩製のやや小さな狛犬。台座だけが御影石なので、後から据え変えたものなのでしょうか。製作年が写真では分かりづらいですが,明治・大正よりも古い年号でした。いままで見た事が無い独特の顔つきです。
Bブロンズ製で造形的に非常に優れた狛犬で,台座を見ると,江戸・神田・日本橋などの文字が見え鋳物師鈴木播磨と書き込まれています。
江戸の金持ちからの寄贈なのでしょうか。
明和3(1766)年作。しっぽが非常に変わった造りで石では出来ない造形です。
(香川県仲多度郡琴平町)
狛太郎のひとこと:当社の祭神は現在、大国主命となっていますが、「こんぴら」の名はインドの海神「クンピーラ」に由来します。またそれは十二神将のひとり、「宮毘羅(くびら)大将」でもあります。つまり当社は仏法守護神だったのです。江戸時代に、次第にその立場を超えて隆盛となり、金比羅参りが流行するにいたりました。
@は5尺もある備前焼で天保15(1844)年に奉納されたものです。塑像らしい自由な曲線が魅力的である一方、素材の強度を考慮した造形であることが注目されます。
Aは柔らかい石質であるらしく、鼻先が少し欠けています。確かにあまり見かけない顔立ちで、前肢の角張った形も独特です。中国製かも知れません。台座の年銘は残念ながら読みとれませんでしたが、ご指摘のように、恐らく狛犬だけが更新されたもののようです。
Bは最も自由な造形が可能なブロンズ製です。この尾の形を「逆R字の尾」と名付けていますが、金属ならではの意匠です。三組の素材の異なる狛犬たちが、それぞれの持ち味を生かしており、その異同を観察するのも楽しいものです。


岩木山(いわきさん)神社

津軽国一の宮
04.03.02
狛盛のコメント:本日は、青森県の岩木神社です。弘前駅からバスで約40分、独立峰で堂々とそびえる青森県のシンボル岩木山麓にある大きな神社でした。バスをおりて神社正門に立つと、まずそのシチュエーションにドガンとやられました。デジタル写真ではわかり難いですが、まっすぐに伸びた参堂と両側の杉並木の真ん中、本堂の真上に雪を頂いた岩木山が丁度見えるように設計されているのです。ここには2対の狛犬と、1対の狛犬と言うか狛猫みたいな不思議な魔除けの彫像がありました。
@本堂前 かなり個性的な顔立ちの狛犬ですが、雪があまりに深く、近寄れませんでしたのでアップの顔はズームで おさえました。年代は結構古いようでした。
A楼門前の手すり柱 楼門へ上がる石段を登りきった両脇の手すり柱に、一見猫科の動物を思わせる彫像が、向かって右側は 上向きにしがみつき阿の形相。左側は下向きで吽の形相です。いまにも動き出しそうなポーズで非常に 面白かったです。
B楼門前 猛々しい表情の体格もりっぱな狛犬です。雪が深く制作年代はわかりませんでした。今回は以上です、あと11社がんばって報告します。
(青森県弘前市岩木町百沢字寺沢)
狛太郎のひとこと:青森初の投稿有り難うございます。津軽国一宮という位置づけを調べるのに手間取ってアップが遅くなりました。歴史上、東北の太平洋側の4県はまとめて「陸奥国」でした。それが維新後5国に分割され、さらにまもなく4県に再編成されたのです。
元の「陸奥国」の一宮は福島県にありました。ですから残る3県には一宮はないはずですが、現在それぞれに一宮を称する神社があります。これらは「新一宮」と位置づけられています。ただ「陸前(宮城)」「陸中(岩手)」はよいとして、「陸奥国(青森)」は元の陸奥国一宮との混同を避けるために、「津軽国一宮」と称することになったのでしょう。そんなわけで、「津軽国」は実は存在しない国であるにもかかわらず、不思議にしっくりくる呼称ではあります。
それやこれやで、東北地方の歴史を殆ど知らなかったことを痛感している次第です。
さて、津軽の名峰岩木山の名はあまりにも有名です。その岩木山を正面に望みながら進む参道ですが、九州では見たこともない豪雪に閉ざされています。朱塗りの楼門が銀世界に映え、実に幻想的です。狛犬たちもそれぞれ個性的で、厳しい自然と対峙するかのごとく険しい表情をしています。なにしろ雪がすごくてディテールがよく分からないこともあり、これまでの私の知識ではタイプ分けができそうにありません。
Aは欄干の親柱の装飾として造られたものです。猫のようにも見えますが、やはり獅子ではないでしょうか。


常堅寺(じょうけんじ)

04.04.03
狛盛のコメント:かっぱ寺としても有名なお寺です。お寺ですが、立派な狛犬と名物であるかっぱ狛犬の2対の狛犬が鎮座してます。なんとも素朴な彫りで立派な仁王像が在る山門をくぐると最初に一対の狛犬がおりました(左上写真)。身長5尺ほどの本格的な狛犬で、ふさふさとしたたてがみが、かっこよくモダンな印象を受けました。
制作年代不明です。
お寺のすぐ横にかっぱ淵(右上写真)という小川が流れていて、遠野の昔話に出てくる良いかっぱを祀ってあるらしきお堂があります。その前には苔むした砂岩製の「かっぱ狛犬」(左下写真)が座ってます。頭に皿の有る、非常に珍しい狛犬で、思ったよりも小型でした。身長2尺程です。雪に覆われた遠野の村と、いかにもかっぱが居そうな淵と、遠野民話の世界そのままの景色がひろがってました。
(岩手県遠野市土渕町土渕)
狛太郎のひとこと:雪に覆われたかっぱ渕の様子は、正に遠野物語の世界です。
この常堅寺は曹洞宗の仏教寺院なので、狛犬は神仏習合の名残りと思われます。
だとすれば、二対とも江戸時代の作品ということになります。
さて一対目の狛犬は堂々たる体躯と豊かな髪が魅力的な優品です。体に比べて明らかに盤の方が小さく、そのためスタンスも狭くなっていますが、それが狛犬の重量感を際立たせる効果を引き出しています。
二対目のかっぱ狛犬については、様々取り沙汰されています。それはひたすら頭頂のくぼみについてですが、これが何であるのか決定的な説はまだないようです。
別材で造った角のホゾ穴と見ることもできますが、それにしては大きすぎるようですし、またアウンともに角があったことになってしまいます。同時代と思われる一対目の狛犬がウンのみ有角であることに照らしても、やや不自然と感じられます。では最初からかっぱとして造られたのかとなると、そうとも断言はできず、つまり今のところ謎は謎のままにしておくほかはないようです。


遠野郷(とおのごう)八幡宮

04.04.05
狛盛のコメント:常堅寺をあとにして、次は遠野郷八幡宮です。参道には立派な杉並木があり、流鏑馬用の本格的な馬場まで備えた神社です。狛犬は陶器製で頭が極端にデフォルメされています。台座の銘版も陶器製で、石像と違いほとんど風化しておらず、昭和4(1929)年の製作にしてはきれいな状態です。(岩手県遠野市松崎町白岩)
狛太郎のひとこと:奥州藤原氏追討に功あって遠野郷を賜った阿曽沼氏が、建保年間(13世紀)に創建したと伝える古社です。のち寛永4(1627)年この地に封じられた南部氏も、引き続き当社を崇敬しました。明治の制では郷社に列しました。狛犬は陶器製ということですが、渋い光沢の肌が重厚な五体によくマッチしています。陶器製らしい細密な表現もある反面、ひらひらと横に張り出す耳などは石造では見られない大胆な造形です。また陶磁器は場合によっては石よりも風化に強い面があるようで、佐賀県有田町の陶山神社Bの白磁の狛犬なども、100年以上も前のものとは思えないツヤを保っています。


岩手県護国(ごこく)神社

04.04.08
狛盛のコメント:盛岡市に戻り、護国神社です。
駐車場からざくざくした雪が降り積もっていました。狛犬は@鳥居脇に一対、A本殿前に一対の標準的な配置でどちらの狛犬共に制作年代は不明。鳥居脇の狛犬は口の中が赤く着色されていました。どちらもやや脆い花崗岩でけっこう風化が進んでます。
(岩手県盛岡市八幡町)
狛太郎のひとこと:盛岡藩最後の藩主・南部利恭公が、維新の動乱期に勤皇の志を抱いて倒れた藩士・目時隆之進、中島源蔵の霊を祀ったのが始まりです。南部公とこの二人の人となりについてはこちら。その後、国事に殉じた英霊たちを合祀しました。狛犬はいずれも体格の良い堂々としたタイプです。体型や姿勢が従兄弟系に似ていますが、それよりはずっと個性が感じられます。すっくと伸ばした前肢、胸を張って前を見据える眼光の鋭さが印象的です。さほど古そうではないのに風化が進んでおり、厳しい気候を物語っています。


盛岡(もりおか)八幡宮

04.04.09
狛盛のコメント:護国神社に隣り合って盛岡八幡宮があります。@本殿前には比較的新しい花崗岩製の巨大狛犬が居ます。頭部が丸くドラえもんみたいな体型です。本殿に向かって左手に恵比寿堂があり、その横に十二支神社が並んでいます。十二支神社を守るように一対の狛犬が居ます。明治の作みたいですが、狛犬自体はそんなに古くは見えません。
参道にはA狛犬とB狛犬の各一対が居ます。どちらも台座の上の装飾台座に座ってます。
Bは大正13年で、Aは年代不明でしたが、
Aの方が古いような印象を受けました。 (岩手県盛岡市八幡町)
狛太郎のひとこと:源義家(八幡太郎)によって、平安末期に創建されました。義家は当時源氏の棟梁として活躍した武将で、出羽守、陸奥守を歴任しています。当社の神事では「ちゃぐちゃぐ馬っこ」が有名です。100頭もの着飾った馬が、15`離れた蒼前神社から「ちゃぐちゃぐ」と鈴の音を響かせて行進するのです。私も子供の頃この祭のことをキンダーブックで知り、幻想的な印象を持ったことを覚えています。
さて@狛犬は中国産のようです。真っ白な肌に鈴の付いた瓔珞(ようらく=ネックレス)を着け、大抵は玉取りの意匠です。また、アウンにもなっていません。
AとBは猫足付きの中台に乗り、立派な体つきをしています。髪や尾の豊かさが上記護国神社のものと通じます。隣り合った神社なので、狛犬も同じ傾向なのかも知れません。盛岡には見応えのある狛犬がたくさんいるようです。


与次郎(よじろう)稲荷神社 

八幡秋田(はちまんあきた)神社末社
04.04.11
狛盛のコメント:秋田の町を見下ろす、秋田城址の小高い丘にある八幡秋田神社です。もっとおおきな神社を想像していたのですが、こじんまりとした神社でした。本殿前には狛犬は居ず、併設の稲荷神社の狛犬です。雪に濡れて、筋肉がくっきりと浮かび上がり、肉感的な妖しさがありました。昭和18年製です。
(秋田県秋田市千秋公園一番地)
狛太郎のひとこと:八幡神社は戦国武将の佐竹氏が秋田へ移封の際、旧領常陸国から秋田城内に遷座したものです。その後秋田神社と合併し八幡秋田神社と称します。与次郎稲荷神社はその末社で、祭神与次郎は齢三百歳の古狐と伝えられます。与次郎狐は秋田城築造で山を追われましたが、城主佐竹義宣公に保護されました。恩返しに佐竹公の飛脚として超人的(当たり前?)能力を発揮したものの、失職した飛脚仲間に謀殺されてしまいます。
これを哀れんだ佐竹公が、祠を建てて祀ったのが与次郎稲荷の始まりといいます。
さて狛犬はなかなかの存在感です。全体に強度を重視した造形と見受けられます。
両肢間を彫り抜かず、尾も扁平な螺旋渦を中心とした造形とし、髪の房や渦、耳の形にも極力突起部分をなくす工夫が見られます。厳寒の風土を考慮したものでしょうか。
アの開口角が小さく、歯を食いしばっているように見えるのもその一環でしょう。
それでいて立体感も確保されているところに優れた技量を感じます。


彌高(いやたか)神社

04.04.12
本人のコメント:秋田神社から下ったところにある、弥高神社です。
狛犬は無く、本殿の柱の頂部の装飾木鼻に狛犬らしきものが設けられています。
(秋田県秋田市千秋公園一番地)
狛太郎のひとこと:上記八幡秋田神社と同じく、千秋公園内に鎮座します。祭神は秋田出身で江戸後期の国学者・平田篤胤です。明治になって門人有志により創建され、大正年間に現在地に遷座しました。当社の拝殿、本殿は秋田県有形文化財に指定され、彫刻類の充実が特徴とされます。写真は拝殿向拝の海老虹梁木鼻で、アウンの獅子像です。目に象眼が施され、流れるような毛筋とともに生き生きとした表情に仕上がっています。江戸後期には彫刻師が大工職を離れて専門の職種となり、華麗な技術を競うようになりますが、この獅子もそうした職人が力を発揮した作品の一つでしょう。右写真は桁行五間のワイドな造りに、瀟洒な軒唐破風を持つ拝殿です。白一色の境内に、凛とした美しさが際立っています。


羽黒(はぐろ)神社

04.04.13
狛盛のコメント:秋田市郊外の羽黒神社です。@正面には嘉永元(1848)年製のやや大型の狛犬、A横門には小型の狛犬が居ます。
楼門には大きな鉄製の大きな鬼のこん棒が立てかけられていました。狛犬はどちらも砂岩系の石でやや風化が進んでいました。
(秋田県秋田市下新城中野字前谷地)
狛太郎のひとこと:山形県の出羽三山は32代崇峻天皇(6世紀末)の御子、蜂子皇子が開いたといわれます。三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で、当初は各山を御神体とする山岳信仰でした。当社はそのうち、羽黒権現を奉じた修験者がこの地に勧請したものです。
秋田県内には羽黒の地名が散見され、信仰の伝播が認められます。@狛犬は体中に筋肉が盛り上がり、険しい顔立ちとともに厳めしい容貌です。尾は渦を中心として五つの太い房が放射状に伸びる形で、やはり力強い表現となっています。上記与次郎神社や当社A狛犬などと、アの開口角の小ささが共通しており、これが秋田狛犬の特徴なのかも知れません。
A狛犬は全体にやや簡素な表現で、古拙な味わいがあります。ただ尾は今回の東北シリーズでは珍しい棒状の尾で、垂直に立って先端は体から分離しています。
こん棒は有名な「なまはげ」と関連するものではないでしょうか。(参考:真山神社


菅原(すがわら)神社

04.04.14
狛盛のコメント:北能代駅近くの菅原神社です。いかにも鎮守の森然とした神社で、牧歌的な細工の狛犬です。見にくいですが、嘉永5(1852)年の文字が見えます。注連縄のつららが北国を感じさせます。このあたりは硬い石が無いのか、どこも砂岩が多いですね。
(秋田県能代市竹生字神田)
狛太郎のひとこと:秋田県の西海岸と青森県の津軽平野を結ぶ五能線は、太宰治の小説にも登場する人気路線で、当初、能代〜五所川原間で開業したことからこの名があります。
北能代はこの五能線の秋田県内の駅です。狛犬は砂岩のもろさを考慮してか、全体に浅い彫りで仕上げられています。しかし背と大腿には扁平な筋肉の隆起が多数刻出され、髪や尾の毛筋も丁寧に柔らかく付けられるなど、粗製ではありません。顔立ちに個性があり、特に歯並びが良いのが印象的です。上歯は20本以上ありそうです。この個体もアの開口角が小さく、やはりこれがこの地域の特色と言えそうですね。(右写真)近年めっきり見なくなった「つらら」ですが、かつては佐賀でもこのような光景が普通に見られたものです。


沢目(さわめ)神社

04.04.15
狛盛のコメント:こちらも鎮守の森系?の神社。秋田から北へ向かう国道101号線沿いに有る神社です。顔は怖いんですが、体型がかわいい、佐賀在住の狛犬研究家を思い起こさせる狛犬です(笑)昭和17年、沢目婦人会との文字が見えます。
(秋田県山本郡峰浜村水沢字寺の後)
狛太郎のひとこと:「佐賀在住の…」とは私のことですね?でもそれを言うなら狛盛さんだって(笑)。それはともかく、ここ「沢目駅」も五能線にあり、上記「北能代」の二つ北隣の駅です。峰浜村「水沢」と「目名潟」の総称を駅名としているのです。沢目神社も同様の命名でしょう。祭神は天御中主神をはじめとする造化三神に、天照大神、素盞鳴尊など日本神話の重鎮たち計10柱で、社殿の素朴さに比べて絢爛豪華な顔ぶれです。村内で神社合併が繰り返された歴史が想像されます。さて狛犬は牙が二対もあり、太い眉、大きなギョロ目など、出来るだけ怖い顔に造ろうとしたことは明らかなのに、作者の意図は必ずしも成功していません。
首のない丸っこい三等身と相俟って、むしろ頭を撫でたくなる愛らしさだからです。
このアも歯を食いしばっており、当地域の造形上の特徴がいよいよ鮮明になってきました。


白瀑(しらたき)神社

04.04.16
狛盛のコメント:
世界遺産、白神山地の麓にある神社です。
@平成年間の新しい狛犬(岡崎型?)と、
Aやはり砂岩製の古い狛犬が居ます。
古い狛犬は肘のところに、独特の竹の節みたいな細工があります。
ちなみに本殿の神社名を書いた額は、海がめの甲羅を使ってあります(やや不気味)
(秋田県山本郡八森町字館)
狛太郎のひとこと:五能線「東八森」駅の近くに鎮座。上記「沢目」のひとつ北隣の駅になります。仁寿3(853)年、当地の滝に霊性を見出した円仁が不動尊を祀って創建と伝えられます。現在の祭神・火産霊神(ほむすびのかみ)の神性は、不動尊の光背の火炎に通じ、火を尊ぶ山岳信仰の残照を伝えています。@の狛犬は岡崎型です。ただ、耳や尾の尖り方に幾分個性もあります。Aの狛犬はいいですね。肌や毛筋に砂岩らしい柔和さがあり、尾の形も優美です。前脚の関節の表現は肥前狛犬ではよくある意匠ですが、それ以外ではあまり見かけないものです。穏やかなたたずまいに、内面の豊かささえ感じられる優品と思います。


弘前(ひろさき)八幡宮

04.04.16
狛盛のコメント:弘前八幡宮の狛犬たちです。本殿の横に@自然石唐獅子と書いた石が置いてあり、対向に阿像の狛犬が一匹いました。阿像の顔がそっぽを向いているのでもともとは一対の狛犬だったのでしょう。A続いては、保食大神を祀ってあるお堂の狛犬で、やや小型のパグ犬の様に鼻がつぶれた顔つきの狛犬がいます。いずれも口、爪などに赤い着色が施されています。
B三体目は一の鳥居前にある狛犬で、どっか外国のお爺さんを思わせる顔つきの狛犬です。このわんこが一番大きかったです。
(青森県弘前市八幡町)
狛太郎のひとこと :慶長17(1612)年に津軽信牧が、弘前城の鬼門の守りとして岩木町から遷座、創建しました。当社の本殿、唐門は県内最古の神社建築で、県重要文化財に指定されています。狛犬は三対です。@はアのみ現存していたところに、狛犬に似た自然石が奉納されたのでその配偶としたものでしょう。アはこの地方にしては開口度が大きく、頭を低くして尻を上げる威嚇的なポーズも初出です。Aは狭い開口角が地元産と共通ですが、白い肌とやや省略的な意匠に中国籍の可能性を窺わせます。Bはどっしりした像容が印象的なだけでなく、顔立ちの表現に石工の卓抜した才能を感じます。遠くを見つめる目には、酸いも甘いも噛み分けた達観のおもむきを湛え、わずかに開いた口からは含蓄のある言葉が湧き出しそうな風情です。何と言っても、横に張った鼻の下に蓄えている鼻ヒゲが出色です。
狛犬の鼻ヒゲは数条の沈線が普通で、たまに陽刻のものがある程度です。このように立派な鼻ヒゲは見たこともありません。狛犬には仏像でいう儀軌(造形上の決まり事)のような厳密な制約はないと思いますが、それにしてもこれは画期的です。明治32(1899)年にこれを造った山内三次●は、進取の気性に富んだ名工だったのでしょう。この狛犬は全国レベルでも有数の秀作だと確信します。いいものを見せていただきました。


善知鳥(うとう)神社

04.04.17
狛盛のコメント:青森の市街地の中にある神社です。狛犬は白っぽい花崗岩製の大型が一対居ました。秋田地方と石の素材が変わりました。
(青森県青森市安方)
狛太郎のひとこと:允恭天皇の時代(5世紀)に創建、といわれる古社です。「善知鳥」という珍しい社名のいわれについては、当地に配流になった善知鳥中納言安方に因む、など諸説あるものの定説は無いようです。また、親鳥が「ウトウ」と鳴くと子鳥が「ヤスカタ」と応えるという民話もあります。どちらの説も社名と地名を一度に説明しているわけで、面白い話です。狛犬は昭和7(1932)年製で、保存状態が良く70年を経た像としては非常にきれいです。
デザインに新奇性はなくオーソドックスな全国標準タイプです。目に象眼か彩色による瞳が
描かれています。狛犬の白い肌と朱塗りの鳥居が青空に映えて、清々しい光景です。


胸肩(むなかた)神社

04.04.17
狛盛のコメント:津軽の太宰治生誕地、金木町から北上したところにある肘肩神社(膝肩か胸肩だったかもしれません)。藁葺き屋根の素朴な神社です。大正5(1916)年製の狛犬は、すっくと姿勢を伸ばした姿をしています。馬の石造も一緒に居ます。これで今回の旅の報告は終わりです。
次回はきっと沖縄の神社の狛犬を報告出来ると思います。
(青森県弘前市品川町)
狛太郎のひとこと:東北3県にまたがり、14社23組もの狛犬を送っていただいたわけです。これまで見たことのないタイプが大勢いました。そして東北には東北独自の狛犬文化が根付いていることを知ることができ、喜びにたえません。ご多忙な中、本当に有り難うございます。
さて当社の名は「胸肩神社」でした。すなわち宗像神社です。由緒には大同2(807)年坂上田村麻呂の創建とありますが、それより遙か以前、九州の海人ムナカタ族が船を操ってこの地に到達していた可能性はないのでしょうか。東北の神社が一様に田村麻呂との関係を標榜するのは、征服者・大和朝廷への配慮と考えられかなり作為的です。想像をたくましくして、有史以前に宗像族が当地に至り、東北地方の原信仰と混淆した痕跡、と考えることができればロマンチックなのですが・・。さて本シリーズ最後の狛犬は、幸いにもとても魅力的です。すらりとした体型、じっと見つめる目、虚飾を排した率直な造形、これらの要素が相俟って、
おもねらない上品な印象を醸し出しています。顔立ちは江戸型に似た点もありますが、その他は全く独自のものです。堂々とした東北狛犬がシリーズを締めくくってくれました。


真打ち
プロフィル
狛盛(こと、てんもりさん)は猛烈出張族。今日は新潟、明日は沖縄と、全国を股に掛けての神出鬼没ぶり。麺に関する知識と意欲も旺盛で、そのパワフルな食生活はブログ「ちゅらかじとがちまやぁ」で堪能できます。

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