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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


太鼓谷(たいこだに)稲成神社

提供者:ケパサさん
04.02.12
ケパサさんのコメント:津和野は雪でした。雪が狛犬の顔を覆っていて、(アは)雪を払って撮ったのですが、(ウンは)台座に載らないと届かない高い所にありました。(ウンの)顔に積もった雪を払いのけて撮影しましたが、台座に雪が積もって、雪を払うときに足下が不安定(笑)で、もう、雪を払う気力が無くなりました(笑)
(島根県鹿足郡津和野町後田)
狛太郎のひとこと:大変な旅行でしたね。こんなに雪の積もった狛犬は初めてです。
でもそのお陰で、迫力あるドキュメンタリー風の画像になりました。
稲荷神社は原初的にはイネナリと呼ばれていたらしく、当社の名(稲成)はその名残を伝えるものです。当社は安永2(1773)年に津和野藩主が京都から勧請したもので、日本五大稲荷の一つに数えられています。
狛犬はなかなか端正です。雪をかぶっていても、威厳ある顔立ちや隆々たる肩の張り、どっしりしたスタンスなどがうかがい知れ、文字通り風雪に耐えて存在感を示しています。


筑波山(つくばさん)神社

提供者:狛只さん
04.02.14
狛只さんのコメント:「狛友天国」の関東ゾーンに茨城県がないことに気が付き、筑波山神社の狛犬さんを添付させていただきます。
筑波山神社の狛犬さんの中ではこのペアが大好きです。実に精悍な感じがします。
(茨城県つくば市大字筑波1)
狛太郎のひとこと:茨城初の狛犬、有り難うございます。おかげさまで未踏の地が少しずつカバーされ、地域性の比較が可能な状況になりつつあります。筑波山神社は常陸国風土記にも記された有数の古社で、筑波山の二峰を男女二神に見立てた山岳信仰の神社でした。延喜の制では男神が明神大社、女神が同小社に列せられています。
さて狛犬は江戸型です。顔立ち、尾の形などまさしく江戸なのですが、よくある蹲踞(お座り)ではなく、立ち上がって歩くような姿勢がまず目を引きます。それに眉を吊り上げ眼光鋭く睥睨する様子も含め、その着想は実に感嘆すべきものです。これを狛犬鑑賞の先達、三遊亭円丈氏は「獅子山」と名付けており、正に「名は体を表す」的確な命名というほかはありません。


大川(だいせん)神社

提供者:yasuさん 
04.02.22
yasuさんのコメント:こんばんわ、yasuです。いつもお世話になっております。
突然ですが、先日香川に行って来ました時に、狛犬を撮って参りました。詳細なことはよくわかりませんが、おそらくよく見かける狛犬ではなかろうかと思います。
今後とも宜しくお願い申し上げます。では、この辺で失礼致します。
(香川県仲多度郡琴南町中通1152)
狛太郎のひとこと:初投稿有難うございます。yasuさんは大の麺好き青年で、香川へはもちろん「讃岐うどん」探訪の旅でしたが、その道すがら神社へも立ち寄って下さいました。当社は徳島との境をなす讃岐山脈の秀峰、大川山に鎮座します。7世紀に役小角(えんのおづぬ)が開いたと言われる古社で、祭神は日本神話中の美女神、木花開耶姫(このはなのさくやひめ)です。
狛犬は目や口腔に彩色が施された、真新しい岡崎型です。岡崎型は、江戸時代の狛犬が次第に耐用年数を迎えるにつれ、次世代狛犬として急速に普及しつつあります。良くできたデザインですが、愛好家にいまいち人気がないのは、手作り感に乏しく工業製品的な印象があるからでしょう。しかしこれだけ写しが多いのは元のデザインが優れていたからとも言え、将来的には、昭和〜平成にかけて一時代を築いた一群として特筆されることは間違いありません。


稲足(いなたり)神社

提供者:狛只さん
04.02.27 狛只さんのコメント:ウン型玉取りとア型子取りのほほえましいペア狐さんです。ウン型の凛々しい表情と立派な尻尾は見応えがあります。ア型の方の母狐にじゃれている子狐もいいですね。狐さんの建立時期は不明ですが、神社は寛文9(1670)年創立という古社で、明治12年に香取神社に合祀されたようです。元は渡辺稲荷神社と言われていたらしいです。
(東京都江東区亀戸・香取神社境内末社)
狛太郎のひとこと:香取神宮は鹿島神宮とともに、関東の代表的な古社です。
亀戸香取神社は665年、藤原鎌足がその香取大神を当地に勧請したものと伝えます。また平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷が戦勝祈願をしたとも伝え、「勝矢祭」はその故事によるものです。ちなみに昔話の「俵藤太のムカデ退治」はこの藤原秀郷がモデルです。稲足神社は香取神社に境内末社として合祀された稲荷神社です。それでおきつねさんが社前を守っているわけですが、この狐はかなり個性的です。まず子狐がこれほど甘えてじゃれているものは、子取り狛犬でも見たことがありません。親狐は非常に厳しい表情ですが、子狐はその足下で安心しきっている様子です。次に尾の形です。狐の尾はまっすぐ上に直立しているものですが、これは体側にゆったりと流れています。これは明らかに江戸狛犬(高木神社参照)の様式を踏襲したものでしょう。こういう例は珍しいと思います。


亀戸(かめいと゜)天神社

提供者:狛只さん
04.02.27
狛只さんのコメント:「おいぬさま」は東門の陰の戸建てにひっそりと住まわれております。
白く見えるのは「塩」のようですね。「商売繁盛」はともかく、「病は気からだよ」と言いたげな楽しい表情をしています。「おうしさま」は正面左にゆったりとくつろいでおられます。善男善女との触れ合いでテカテカとしているんですね。
(東京都江東区亀戸)
狛太郎のひとこと:寛文2(1662)年に九州の太宰府天満宮を勧請し、地形や社殿、楼門など全てを太宰府に倣って造営したといいます。1月に執行される鷽替(うそかえ)は、開運・幸運を授かる神事として有名です。
この「おいぬさま」と言う不思議な石像は、病気治癒などに霊験があり、お参りするときに塩をかけるのが習わしのようです。狛犬のようでもありますが、ア像(開口)のみでウン像がありません。それに写真をよく見ると、わずかに自分の右方向に首を曲げています。ここが問題です。これを通常の狛犬のように横置きに置くと、何と参拝客にそっぽを向くことになってしまいます。今あるように縦置きにするとあまり違和感はありませんが、縦置きのものは真っ直ぐに前を向くのが通り相場で、アウンが少し内側を向いているものはこれまで見たことはありません。結局のところ、これが何であるのかは分かりませんでした。

高松(たかまつ)八幡神社

提供者:狛只さん
04.03.04
狛只さんのコメント:狛友天国の「東京区分」記念に、我が練馬区の狛犬さんをお送りします。
場所は我が隣町の高松にある八幡神社です。この神社、江戸時代は御朱印8石をもらっていた名社です。今ではあまり目立たない存在ですが、境内のイヌシデ、ムクノキは「ねりまの名木百選」に選ばれています。そして、この明治24年生まれの狛犬さんです。見事な出雲型でしょう? 完アと半アの取り合わせも珍しくないですか?
(東京都練馬区高松)
狛太郎のひとこと:江戸時代の練馬は農村で、この辺りは上練馬村大字高松字高松と呼ばれていました。そして当社はその鎮守の神でした。現在の高松にその面影は見られないかと思いますが、イヌシデやムクノキは「名木」に選ばれるほどの巨木なので、きっと当時から地域の歴史を見つめてきたのでしょう。
狛犬は流麗な毛筋が見事な江戸型です。まさに豪華です。江戸型という様式は、木彫の技法に触発されて進化したのではないかと想像しているのですが、この狛犬を見るにつけ、その確信が深まります。それにしても、アウンともに出雲式というのは江戸型には珍しいと思うのですが、どうでしょう。さて「完ア」に「半ア」って・・??
でしたが、完全開口と半分開口という意味だったんですね。なるほどそう言われるとその通りですね。様々に技巧とアイデアを凝らした、良い狛犬だと思います。
成増(なります)菅原神社 提供者:狛只さん
04.03.06 狛只さんのコメント:成増・菅原神社の狛犬さんです。旧成増(なります)村の鎮守ですが、過去、山王社、自在天神、北野神社と、いろんな社号で呼ばれていたようです。
菅原神社と言われたのは明治7年からということでした。狛犬さんの年代は不明ですが、ピンと立った尻尾が印象的です。
(東京都板橋区成増5丁目)
狛太郎のひとこと:練馬区初に続いて、板橋区初の狛犬をいただきました。
板橋とは旧中山道が石神井川を渡る地点に架けられた橋の名で、平安時代には既に存在し地名にもなっていたようです。当時の治水、架橋技術の水準を思うと、渡河には舟を用いるのが一般的だったでしょうから、橋自体が珍しく、人々の印象に残ったのでしょう。江戸時代には新宿・品川・千住と並んで江戸四宿の一であり、交通の要衝でした。さて当社は旧赤塚郷成増村の鎮守神で、明治の制では村社に列しています。社号が色々に変遷していますが、山王以外は全て同じ祭神であることを表しています。自在天神と呼ぶわけは、インドのシヴァ神の漢訳を「大自在天」といい、暴風雷電を司るという性格がわが天神様と似ているために習合したものです。狛犬はいわゆる岡崎型です。全国的に江戸期の狛犬が耐用年数を迎えるにあたり、すっかりその後継種となった感があります。その事実からも一定の評価を得ていることは確かですが、愛好家にはいまいち人気がないのです。「過多」「画一的」が原因ですが、実は尾の形が江戸型などに比べて「そっけない」のが理由の多くを占めていると想像しています。


堤雄(つつみお)神社

提供者:狛彦さん
04.03.31 狛彦さんのコメント:狛犬は明治30(1897)年
11月。奉納・武富形左衛門。
(佐賀県杵島郡江北町佐留志)

狛太郎のひとこと:当社は天平年間(8世紀)の創建といい、貞観3(861)年には従五位下を授かった古社です。祭神は藤原鎌足の子孫の武松成満とその子、猿千代麿、石若麿です。この兄弟の名から当地を「猿石の荘」と言い、後世「佐留志」となったとも伝えます。狛犬は丸顔が特徴で、波打つ眉のラインや文句を言いたげなめくれた上唇が、頑固な老人のような印象を与えています。ウンは口を閉じているぶん顔の短さが強調され、独特な面貌が際立っています。石工は不明ながら、大和町妙見神社(明治36)との共通性が注目されます。
こちらも石工名はありませんが、時代が近くあるいはと思わせます。


湯島(ゆしま)天満宮

提供者:狛只さん
04.05.02
狛只さんのコメント:五月連休初日の今日、上野に行く用事があり、帰途初めて湯島天神にお詣りしました。天神様の狛犬さんは期待していなかったのですが、見事な狛犬2対をゲットしました。しかもこの2対には、サラリーマン社会を彷彿とさせるような浮沈の歴史があったようです。というのは…
(上段)大きい方の1対は元々鳥居前の参道狛犬だったのが、7年前、本殿前狛犬に昇格したらしいのです。ご覧下さい、ア型もウン型も「お手」をしているではありませんか。きっと出世上手だったのでしょう。ワリを食ったのは
(下段)小さい方の1対です。元々本殿前狛犬だったのが、末社の戸隠神社の方に移されてしまったようです。現在の屋根が付いている支社勤務の方が幸せなのか、本社勤務時代の栄光を懐かしんでいるのか、狛犬さんの表情からはついにわからず仕舞いでした。
いずれにしても、どちらもなかなか味のある狛犬さんでしたよ。
(東京都文京区湯島3丁目)
狛太郎のひとこと:文京区初の狛犬は、有名な湯島天神の2対です。
創建は雄略天皇2(458)年といい、飛び抜けて古い由緒を伝えています。
当初は岩戸開きの英雄、手力男命(たぢからおのみこと)を祀ったものでした。正平10(1355)年菅原道真を勧請。江戸期には将軍の崇敬篤く、明治の制では東京府社に列しました。
現社殿は平成7年に造営されたもので、飾り金具も美しく往年の偉容を今に伝えています。
狛犬はどちらも見事な江戸型です。
どこか憎めない顔立ちに豊満な体つき、流麗な毛筋など完成度の高さが際立ちます。
甲乙つけ難しと言いたいところですが、実は(上段)狛が(下段)狛の「主狛」の座を奪っていたわけですね。しかし栄枯盛衰は世のならい、老いた(下段)狛にも末社守護という立派な任務があったことをよしとしなければなりません。それにしても、(上段)狛が昂然と顔を上げているのに対し、(下段)狛が心なしか寂しげに見えるのは気がかりです。

湯島通れば想い出す お蔦主税の心意気 知るや白梅玉垣に 残る二人の影法師(「湯島の白梅」作詞佐伯孝夫・作曲清水保雄)


清昌(せいしょう)稲荷大神

提供者:狛只さん
04.05.22
狛只さんのコメント:JR錦糸町駅の南、京葉道路を越えたWINSの裏に昭和15年建立の江東寺という小さなお寺があります。ご本尊は千手観音菩薩で、別の名を江東観世音といいます。この辺りを江東橋といいますから、江東寺という名前もごく素直に受け入れられるのですが、実は大きな涅槃像で有名な島原の江東寺(長崎県)が先達のようであります。それでは、なぜこちらを江東寺というようになったかは、かなり高等な問題で、現時点わかりません。
狛犬ファンとしては、江東寺よりも境内に合祀されている清昌稲荷大神の方に興味があります。お稲荷さんですから当然狐さんがいるのですが、狐さんの前に近接して小形の狛犬さんがちゃんと鎮座しているのです。私は、これはちょっとした珍種かつ新種ではないかと思っています。構図を工夫しないと狐と狛犬のツーショットとなってしまうのが珍種の所以ですが、それよりもアウンそれぞれの片方の前肢をご覧下さい、爪が台座の縁をしっかりと捕捉しているではありませんか。これは何か石工の思い入れがあったのではないかと考え、新種とした所以です。
(東京都墨田区江東橋3)
狛太郎のひとこと:詳細なレポートを有難うございます。しかし「江東」と「高等」のシャレは高等すぎて、しばらく気づきませんでした(笑)。江東寺発行の縁起書によると、当寺は板東十六番水沢寺(群馬)の別院として建立されました。そしてその草創は清昌大神の神勅によるものと言います。以来、大神は尼僧の妙昌を通じて様々に神威を示されたとあり、神仏の複雑な習合関係があるようです。
さて狛犬はかなり独特の風貌です。牙をむいた猛々しい表情とともに、盛り上がる肩や胸にも力強さがあります。盤を小さく造るのは、対比的に本体を大きく見せる工夫でしょう。さらに足位置をオープンスタンスにし、盤からはみ出した指でその角を掴ませるなど、幾つもの工夫が重ねられています。江戸型を見慣れた目には異質にも見え、あるいは他産地のものかも知れません。
江東寺と清昌稲荷の縁起については、墨田区文化観光協会様より資料を頂きました。同寺で発行された広報用の文書の中から抜粋掲載させて頂きました。


東大野(ひがしおおの)八幡宮

提供者:ケパサさん
04.05.27
ケパサさんのコメント:こんにちは、ケパサです^^狛犬画像を少しずつ送りたいと思います。
実は、いろいろな神社で狛犬画像をゲットしているのですが、いざ送る時にワン子しぇんしぇいのところで調べたら、すでにあるものが多く、悔しい思いをしていました(笑)
というわけで、今日から4日間に分けて狛犬画像を送りたいと思います。
まずは、小倉南区の神社からです^^
(福岡県北九州市小倉南区母原)
狛太郎のひとこと:天智天皇(7世紀)の時、大野山頂に八幡神を創祀したと伝える古社です。のち遷座を繰り返して寛文7(1667)年、現社地に祀られました。
昭和38年に千三百年大祭が執行されています。
(上段)境内入口のもので、猫足付きの立派な台座に乗っています。北九州では代表的なタイプです。花崗岩は固いため昔のものほど彫りが浅く、渦や毛筋も省略的で素朴なものが多いのに対し、この個体は造形に自由さが感じられることから、比較的新しいものと思われます。
(中段)は造形的にも風化の具合からも、3体中最も古いものと思われます。数条の沈線で表された鼻ヒゲが愛らしい一方、ウンが有角なのは古式を踏襲したものです。ただアウンの左右が通常とは逆であり、縦置式にありがちな取り違えが見られます。それでも本殿前に位置を占め、最古参としての立場を尊重されているらしいのが何よりです。
(下段)は石段下のものです。アウンとも巨大玉取であり、様式的には瀬戸内海を挟む山陽〜四国地方に普及している「尾道型」です(阿智神社参照)。しかし顔立ちや全体の印象を見ると、産地からの移入品ではなく、尾道型を参考に当地で製作されたものかもしれません。
3体の特徴的な共通点は、上下が繋がった牙です。細く鋭く造ろうとする意欲と、脆い石質を補う工夫が見事にマッチした造形と言えるものです。


蒲生(がもう)八幡宮

提供者:ケパサさん
04.05.29
ケパサさんのコメント:
伊勢神宮はどうだったでしょうか^^ 
今日は蒲生八幡宮@小倉南区です。

(福岡県北九州市小倉南区蒲生)

狛太郎のひとこと:伊勢神宮はさすがでした。深く広い森、四重の垣に囲まれた神殿のたたずまいなど、厳粛のひとことに尽きます。ただ、狛犬はいないのです。
その点、この神社には3組もの狛犬がいて、目を楽しませてくれます。
(一段目)狛犬は出雲式です。顔立ち、姿勢、盤の彫刻などほぼ出雲風なのですが、やや相違点もあります。材質が来待石ではなさそうに見えることと、尾がピンと伸びていないことなどから、出雲式を参考にした当地産ではないかと思われます。天保6(1835)年銘があり、砂岩ではこれほど完形を保てないというのもそう考える理由ですが、なかなかの風格ではあります。
(二段目)狛犬は昭和3年の蹲踞型です。固い花崗岩に比較的精緻な彫刻を施しており、技術の高さが窺えます。北九州タイプの進化形と思われます。
奉納銘の「小倉市」(現北九州市)に時代が感じられ、「昭和」も遠くなりました。
(三段目)は明治43(1910)年の尾道型です。巨大な玉取りで、上記東大野八幡宮と同タイプです。ただこれも現地産とはやや傾向の違いが見え、当地産と判断します。
ちなみに神社所在地は20年ほど前は「南方(みなかた)町」でした。当社祭神の一つに多紀津姫があり、これは宗像三女神のうちの一柱です。ミナカタはムナカタに由来するものかも知れません。現町名「蒲生」の由来は分かりませんでした。
(最下段)何でも器用なケパサさん。3D画像も付けて下さいました。平行法でご覧下さい。


波賀部(はかべ)神社

提供者:TAKOさん
04.06.21
TAKOさんのコメント:台座が高く石工、世話人、製作年月日共不明です。
若干の望遠であれですから、クレーン車が必要でしょう。じっと見上げるだけです。添付の狛犬は個人的に気に入っているものです。実際に見ると尾の一部がねじり鉢巻の様になり、狛犬の後頭部に突き刺さっています。後ろ足の造形は若干手を抜いている様に見受けられます。
(愛媛県松山市高井町)
狛太郎のひとこと:当社は古代豪族の越智氏が、神亀5(728)年に大三島の大山祇(おおやまつみ)神社を勧請・創建したと伝える古社です。主祭神は大山積神ですが、当地で亡くなった伊予国守の寛王命も祀ります。その墓に近い所から当初「墓辺(はかべ)」と称しましたが、のち波賀部と改めたとも言われます。
さて狛犬は巨大な玉を取る「尾道型」です。このタイプは山陽〜四国の瀬戸内海沿岸地方を中心に、広く分布する一大種族です。海を越えて北九州市までは進出していることが確認できます(東大野八幡宮など)。またTAKOさんが気づかれたように、尾が伸びて後頭部に接着するのもこの型の一つの類型です(阿智神社)。四国にはまだまだ珍しい狛犬がいそうですね。


末次(須衛都久)神社

提供者:TAKOさん
04.06.26
TAKOさんのコメント:宍道湖大橋北詰、須衛都久神社。12躯の内、崩壊が少ないのを添付しました。
@は東、Aは南、Bは西を守っています。南は閉鎖中です。西と北は屏となっています。目の象嵌は黒瑪瑙かもしれません。勾玉(玉造温泉)も近所です。昔は口の中の玉が瑪瑙だったらしいのですが 盗難で現存を確認できません。餓鬼(昔はみんなお腹を空かしていました)の頃 遊び場だった神社です。
近所に有る白潟天満宮は14年の11月に新代となりました。此処、須衛都久神社も何時までか気にはしています。身びいきですが、いい土地です。
出雲の名のように何時も曇りですが。
(島根県松江市中茶町) 
狛太郎のひとこと:由緒に「出雲風土記に所載」とあるので、少なくとも和銅6(713)年には鎮座していた古社です。この三体はいずれも典型的な出雲狛犬で、来待石という宍道湖畔で産出する凝灰質砂岩で造られています。柔らかいので細密な彫刻が可能な反面、残念ながら耐久性は著しく低いのです。三体のうち
@はいわゆる出雲式で、この独特のスタイルはよく知られています。しかしアは顔面と尾を失っています。AとBは蹲踞型の出雲狛犬であり、この型は佐賀県内にも数例残存しています(与止日女神社A江里天満宮など)。Bは眼球に黒石の象眼が施されていますが、昔は口中の玉にも別材の瑪瑙があしらわれていたとすると、想像もつかない高度な技術です。子獅子の円らな瞳が印象的です。


琴似(ことに)神社

提供者:のりさん
04.06.30 のりさんのコメント:琴似神社のある札幌市西区琴似。すすきのには遠く及ばないものの北24条付近と並ぶ大きな繁華街です。琴似神社の立地ですが、その繁華街のはずれ西区役所の近く、琴似屯田資料館の向かい側です。神社の由来などは狛太郎さんがお調べになられているとの事ですので、割愛させていただきます。・・・って私はよく解りませんので(汗)
余談ですが、多分「屯田兵」と関わりがあると思われますが、いかがでしょう?
(札幌市西区琴似1条7丁目)
狛太郎のひとこと:北海道初の狛犬、有り難うございます。これからもどうぞ宜しくお願いします。当社の鎮座する琴似の地は、明治8年に最初の屯田兵240戸が入植したところです。屯田兵は軍隊としての役割も帯びていたことから、彼らの大半は刀をクワに持ち替えた武士たちでした。中でもその主力は、明治新政府に最後まで抵抗した仙台藩と会津藩の家臣たちだったのです。兵卒という最下位の身分に甘んじながら、酷寒の開拓地でクワを振るった彼らの苦闘と無念は、察するに余りあります。当社の祭神は仙台亘理の藩祖・伊達成実公と会津の藩祖・保科正之公などです。二度と帰ることのない本貫の地を偲びつつ、出身藩の祖を神と祀って苦境をしのいだ屯田兵たちの心情を思うと、心に迫るものがありますね。
さて狛犬です。とても新しいもので、恐らく平成の作でしょう。このタイプは岡崎型と呼ばれ、近年急速に個体数を増やしている一大種族です。五体のバランスが良く、髪の渦や毛先も装飾性に富んでいます。また多くはこの一対のように子取と玉取で、なかなか凝った造形でもあります。ところが狛犬愛好家には、残念ながらあまり人気がないのです。それは、エア工具などを駆使した工業製品的な趣が顕著なことや、画一的で個性に欠けることが理由のようです。しかし全国で確実に増加中という事実は争えず、やがて狛犬の一つの標準になりそうな勢いです。


日尾(ひお)八幡神社

提供者:TAKOさん
04.07.03 TAKOさんのコメント:爬虫類か両生類か迷うところです。機械彫りでしょうが、こういう狛犬?はいいですね。作者の名前が無いのは何故でしょう。松山の神社紹介で色々と出ているのですが全て狛犬は除外されています。2〜3箇所辛うじて申し訳程度に写ってはいますが、紹介者からすれば どうでもいいのでしょう。何処でも見られる狛犬はつまんないです。機械彫りでも微妙に変化はありますが。ぼちぼちと松山の狛犬を紹介出来ればと思っています。
(愛媛県松山市鷹の子)
狛太郎のひとこと:天平勝宝4(752)年に宇佐八幡宮から勧請した、と伝える古社です。八幡神(応神天皇)のほか、宗像三女神や伊予比売命(いよひめのみこと)などを祀ります。この伊予比売は昔、伊予豆比古(いよづひこ)神社の祭神と夫婦神でしたが、洪水で引き離され、別々に鎮座することになったと伝えられます。
神名からして、このペアこそ本来当地に鎮座していた地主神と思われるのですが、八幡神の隆盛に従って次第に主祭神の座を譲ったのでしょう。
狛犬は非常に個性的です。ゆったりした曲面主体の体つきなのに、大腿部はほぼ平面状に造られ、なおかつその周縁部は直角に切り立っています。顔は幅の広い丸顔で、吊り上がった目と大きく切れ上がる口が独特です。前歯は上顎の中央辺りに10本ほど固まって生えています。こうした幾つかの特徴が合わさって、極めて異例な印象をかもし出しています。外国産の可能性を否定できないものの、ウンの頭には一角があり、伝統的な狛犬の形式を逸脱してはいません。
機械彫りでも個性を発揮できることを証明した逸品として評価したいと思います。


国王(こくおう)神社

提供者:狛只さん
04.07.06 狛只さんのコメント:6/30、NHK「その時歴史が動いた」で紹介された、平将門ゆかりの国王神社です。この神社は、三女の如蔵尼が父の33回忌の972(天禄3)年に創建したものと伝えられています。現在の本殿は1683年のものだそうですが、それでも茅葺きの重厚な造りによって、昭和15年製狛犬はやはり脇役と云わざるを得ません。それで、本殿・狛犬のセットの写真となってしまいました。
(茨城県岩井市岩井)
狛太郎のひとこと:平安貴族が惰眠を貪る中、相馬小次郎こと平将門の武威は忽ち関八州を席巻し、ついには関東の独立を企図して自ら「新皇」を称するに至りました。これを以て「正史」は将門を前代未聞の逆賊、あるいは空前絶後の梟雄と貶めるわけですが、庶民大衆の側からは、地方を省みない中央貴族に一矢報いた希代の英雄に他なりません。将門の実像は、思いがけず時の勢いに押し出された小土豪であったのかも知れませんが、この事件は後の鎌倉幕府につながる武家の時代のさきがけでした。将門は関東各地で敬慕され、神田明神をはじめあまたの神社に神として祀られています。当社もその一つで、この地は将門が王城と定めて百官の除目を行い、しかしついに夢破れて果てた地でもあります。
将門に関する文献は数多くありますが、幸田露伴著「平将門」は相馬小次郎を等身大に描き、その短かった青春と心情を活写して感銘深い小品です。青空文庫で公開されていますので、どなたにもご一読いただきたくご紹介いたします。http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card3199.html


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