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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


三島(みしま)神社

提供者:TAKOさん
04.07.10
TAKOさんのコメント:松山市近辺には、石・木・瓦・陶器・素焼・鋳造と色々います。
石はぼちぼちと送ります。今日は木製の狛犬を見ていただきたく送ります。
(上段)狛犬(木造)は、見ていて飽きないものがあります。ガラスケースに入っていて、旨く撮影できてないです。亡霊のように写っているのは私です。前足の後ろの羽のような飾りは何を考えての作りなのでしょうか?事例を集めたいと思っています。
(下段)石の狛犬は天保としか読み取れません。
(愛媛県東温市川内町則之内三島)
狛太郎のひとこと:狛犬の素材は木→金属→石という変遷をたどっています。室内用から次第に戸外へと出ていく過程に応じ、それに適した素材が選択されたのです。狛犬が参道まで進出したのは江戸初期前後で、石造狛犬が一般化したのはその頃からです。従って、文化財に指定されるような古い狛犬はほぼ木造ばかりです。ただそれらは神殿の奥に仕舞われているか博物館に収蔵されていることが多く、現地で公開されていることが少ないのが残念です。
(上段)狛犬は製作時期不詳ながら、一緒に安置されている随身像(延文4・1359)と同年代と推定されており、川内町指定文化財です。前脚の後にある毛は、もっと古い木造狛犬にも見られます。そしてこれは石造狛犬にも踏襲されており、下段の狛犬にもその痕跡が見られます。
(下段)実際の犬を観察すると、確かに前後肢の飾り毛に似た毛を持っています。私はこの部分の名称を知りたくて色々調べましたが、今もってよく分かりません。ペットショップのトリマーと相談して「飾り毛」と呼んでいます。


伊予岡(いよおか)八幡神社

提供者:TAKOさん
04.07.12 TAKOさんのコメント:伊予岡古墳の中にあります。年代は不明です。狛犬の感じからは江戸以前は固い?ところでしょうか。延文(1356年)よりは若く感じられます。
ただ白色生地の目止めに使われた胡粉とのこが、妙に均等に残っているのが少し変です。
角は右狛犬にあり、古い狛犬のスタイルとは違うと思います。順次送らせていただきますが、近年の木造には無いいい感じがします。尾も後付けでない。前足も前後していない。1300〜1600年への過渡期に位置する狛犬でしょうか?できればコメントをお願いいたします。
(愛媛県伊予市上吾川)
狛太郎のひとこと:日本神話では四国を総称して「伊予二名島(いよのふたなのしま)」と呼んでおり、伊予国が最も早い時期から知られていたことを示唆しています。二名とは二組の男女神という意味らしく、そのうち伊予国には「愛比売(えひめ)」という女神が当てられています。
これが現在の愛媛であることは言うまでもありません。
さて、私は木造狛犬のことはよく分からないのですが、敢えて言えば、この狛犬は江戸期のもののような気がします。アウンがどちらも獅子型であり、獅子・狛犬に造り分けられていません。
またいかにも狛犬然とした整った像容と、鮮明すぎるノミ跡などでそう思うのです。それ以上の根拠はありませんから、もし違っていたら申し訳ありません。右の狛犬に角があるのは、単に左右を取り違えて置いたものです。顔が正面を向いた縦置き型ではありがちなことです。


大宮(おおみや)神社

提供者:TAKOさん
04.07.14
TAKOさんのコメント:(上段と中段)石の狛犬4躯ともに、天保九戌(1838)年九月。石工常蔵。
(下段)
木製の狛犬は垂れた耳が可愛いですが、顔のしまりが無い。
桜に囲まれた狛犬は一杯入ってご機嫌の様子でしょうか?
(愛媛県伊予郡砥部町大南)
狛太郎のひとこと:社記によれば崇峻天皇(6世紀)の時に宗像三女神を奉斎し、貞観元(859)年には宇佐八幡を合祀して大宮と称しました。河野水軍のお国柄らしく、海神(宗像)と軍神(八幡)の組み合わせになっています。
@Aの石造狛犬はオーソドックスな造形で、取り立てて個性を強調しようとする意図はなさそうに思えます。また、どちらのウンも有角で、伝統を踏襲しています。尾の形は三つ山の脇に渦枝がついたもので、この輪郭がもっと滑らかなら扇型になるというものです。
これらに比べるとBの木造狛犬は、何ともとぼけています。鮮やかな水色の彩色や、渦の表現と思われる水玉模様など、ポップな狛犬を意図したのでしょうか?


大宮(おおみや)神社

提供者:TAKOさん
04.07.16
TAKOさんのコメント:@石の狛犬は嘉永七(1854)年甲寅八月。石工・松前(今は松山市と伊予市の間)兵助。150年前ですが、飾りが多い割には子犬がしっかりと残っています。A木製の狛犬、不明。木製の狛犬は阿吽共に、塗装はぼろぼろです。吽は歯も綺麗。胴も締まっていい感じです。それに比べて、阿は歯が板状で、胴も何となく間延びしているように見えます。作者が同一でないような感じを受けます。関節の位置、耳、目の形状と。
(愛媛県松山市上野甲) 
狛太郎のひとこと:土岐氏の祈願所で社地は八町四方あったと言い、豪壮な神社だったようです。@狛犬は見事な尾道型です。立派な猫足付きの中台に乗り、毛筋や尾の造りが豪華です。またアの玉にはボタン花が浮き彫りされ、ウンの玉の上には子獅子があしらわれるなど、独創的な意匠も盛り込まれています。尖端部の多いデザインにしては、よく完形が保たれているようです。A狛犬は木造で、全身に朱の彩色が施されています。顔立ちと髪型がどことなく中世的で、かなり古いもののように思えます。またご指摘のように、アウンでは微妙に違いがあります。
特に胸の張り具合の相違により、前脚の付け根付近はかなり違って見えます。


亀戸香取(かめいど・かとり)神社

提供者:狛只さん
04.07.19
狛只のコメント:平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷が戦勝を祈願し、乱が平定された後「勝矢」と命名された弓矢を奉納したと伝えられています。
これが例年5月5日に催される「勝矢祭」のいわれだそうです。@狛犬さんは、かなり高い台座に乗った、大柄な「子取り・玉取り」です。あるサイトに昭和6(1931)年製と紹介されていましたが、確認することはできませんでした。
Aは破壊されて無造作にうち捨てられた哀れな狛犬さんです。
(右写真が)その台座だとしたら「寛政6(1794)年製」ということになります。
この哀れな狛犬さんの処遇は師匠にお任せします。
(東京都江東区亀戸)
狛太郎のひとこと:平将門を祀る神社に続いて、そのライバルにゆかりの神社とはさすが狛只さん。ムカデ退治で有名な俵藤太(たわらのとうた)の実像は、将門の乱鎮定の功労者藤原秀郷でした。当社の祭神、経津主(ふつぬし)神は武神であり藤原氏の氏神ですから、秀郷がここで戦勝祈願したというのは故あることです。
@狛犬はなかなか堂々としています。玉には全面に花文が施され、子獅子もしっかり彫り込まれています。タイプはよく見る岡崎型ですが、昭和6年なら手彫りでしょうから、かなり手間ひまをかけた作品と見受けられます。
A狛犬は尾の形状から江戸型だったようです。何らかの事情で台座から転落し、そのまま復帰できなかったものでしょう。一方、台座とおぼしき物は、恐らく燈籠の竿石です。これらが同時に破壊されたとすれば、それは関東大震災(大正12)ではないでしょうか。現在の狛犬が昭和6年であることがその想像を支持します。
被災の証言者として貴重な存在なのかも知れません。処遇を任されましたから、手厚く取り上げさせていただきました(笑)


砥鹿(とが)神社

提供者:TAKOさん
04.07.25
TAKOさんのコメント:@瓦製の狛犬。昭和19(1944)年。製作・光野亀太郎
A石製狛犬。石工・波止浜、桧垣清。 大正4(1915)年1月。
隣の番犬 ポチといった感じです 
(愛媛県今治市菊間町田之尻)
狛太郎のひとこと:菊間町は瓦で有名な町。年表によると、古く1278年に河野氏の城に瓦を納めたことが記されています。@焼き物の狛犬は備前焼や有田焼など幾つか見ましたが、瓦製は初めてです。塑像らしい柔らかな曲面が、陽光に鈍く輝いています。いぶし銀の美しい肌合いは、七百年の伝統の結晶なのでしょう。
A石の狛犬は、瀬戸内地方でお馴染みの尾道型です。小柄そうに見えますが、ピンと立った大きな耳、広く裂けた口に勢いが感じられます。「ポチ」君もなかなかあなどれません。因みに石工住所の波止浜(今治市)は、江戸初期以来、塩田による有数の製塩地帯でした。その塩田が姿を消したのは昭和34年のことでした。


八幡(はちまん)神社

提供者:TAKOさん
04.07.28
TAKOさんのコメント:@砥鹿神社とよく似ています。光野亀太郎と親戚かもしれませんね。
A石製狛犬に石工名無し。
菊間町は鬼瓦の生産で有名です。県武道館に4bの鬼瓦が展示されています。
(愛媛県今治市菊間町浜)
狛太郎のひとこと:宝徳2(1450)年に宇佐八幡宮を勧請、創祀されました。
維新までは代々特定の社家が守り嗣いだ、由緒ある古社です。江戸期には、雨乞いの神としても有名だったようです。明治以降近隣の数社を合祀、現在では出雲系や水神系などバラエティに富んだ神々が祀られています。
さて@狛犬は砥鹿神社同様、瓦製です。デッサンと造形の確かさは、鬼瓦で培われたものでしょう。台座の銘から、最初は天保9(1838)年に造られ、明治36年に再建されたことがわかります。A狛犬はみかげ石のようです。台座には天保年間の銘があります。これと類似のタイプは、今のところ山口県と北九州市で見かけました。
様式の伝播関係を考察するヒントになりそうな作品です。


天祖(てんそ)神社

提供者:狛只さん
04.08.01 狛只のコメント:大塚駅南口にある天祖神社の狛犬さんです。天祖神社は、鎌倉時代末の元亨年間(14C初)創建と伝えられ、六百数十年の歴史を誇る旧巣鴨村の総鎮守です。狛犬さんは3対いて、この狛犬さんは本殿裏の境内社前に鎮座しています。
若い神主さんに、特に案内していただいて拝見しました。鼻・口・目になんとも愛嬌があって、見ていると心がなごみます。樹齢六百年、高さ25メートルの大イチョウも焼けた痕が残っていますが、この狛犬さんも戦災にあって深い傷跡が残っています。それがかえって平和の尊さを物語っているようにも見えます。
(東京都豊島区南大塚3)

狛太郎のひとこと:鎌倉末期に当地の領主豊島氏が、伊勢神宮を勧請して創建しました。巣鴨村は江戸前期までは純農村でしたが、中山道の発達とともに拡大し、大塚もその村域に含まれていました。当社はその巣鴨村の総鎮守で、天照大神を祀っています。狛犬は末社のものとのことですが、実にどうして堂々たるものです。江戸型の繊細さと、大胆なデフォルメが見事に融合しています。体側を貫く波のような毛筋が優美で、ゆったりした体つきによくマッチしています。また、柔らかな尾は後肢を包むように流れたあと、盤から豊かにこぼれ落ちます。時代は不明ですが、江戸期のものだとすると、作者は希にみる創造力の持ち主だったのでしょう。


生月(いきつき)大魚藍観音

提供者:みずさん
04.08.17 みずさんのコメント:生月町にふらっとドライブに行った時に見つけたわんこです。ブロンズでできてるわんこも珍しいと思って写真にとってみました。休みが取れればあちこち行くのが好きなので、ご協力できればな〜と思っています。ではまた。
(長崎県平戸市生月町舘浦)
狛太郎のひとこと:みずさん、初投稿ありがとうございます。生月は江戸時代には、全国随一の捕鯨基地として栄えた島です。観光名所になっている観音像は、航海安全を願って昭和55年に建てられました。高さ18bはブロンズ像としては日本最大級といいます。観音菩薩はTPOに応じ、33の姿に変身して人々を救うとされており、「魚藍(ぎょらん)」観音もそのひとつです。狛犬は胸を張り、前肢を踏みしめた堂々たるブロンズ作品です。狛犬の素材には色々ありますが、ブロンズ製のものは素材の硬質感を生かして、「力強さ」を強調したものが多いようです。


三島(みしま)神社

提供者:TAKOさん
04.08.19 TAKOさんのコメント:3週間近く新しい狛犬と接触が無いと、少し精神的に不安定になりますね。そういう時は過去のデータをプレビューで50分位我慢してます。来年の春にお隣の北条市が松山市と合併になる予定です。
先取りして北条市の狛犬を選んで見ました。小さな市ですが神社の密度は異常に高いです。少しですが狛犬の形がマッチョ系とスレンダー系?玉を抱いていてもおかしくないのに抱いていない。残念ですが台座は読み取れないです。(愛媛県松山市儀式)
狛太郎のひとこと:地名は「言語の化石」と言われ、千年経っても9割が残るとされますが、平成の大合併で多くの歴史的地名が消滅しそうです。仕方ない面もありますが、残念なことです。北条市も今年いっぱいで、松山市の一部になることが決まっています。さて狛犬は、白肌が美しい細身の一対です。尾がきりりと伸びて後頭部に接着する意匠をはじめ、全体的には尾道型大玉取りの様式と思われるのですが、肝心の大玉がありません。このタイプの蹲踞型はこれまで見たことはなく、かなり珍しいのではないでしょうか。盤には華麗なボタン花が彫られています。


恵依彌二名(えひめふたな)神社

提供者:TAKOさん
04.08.22 TAKOさんのコメント:愛媛県の名前の元らしいです。阿吽でスタイルは違いますがよくある事なのでしょうか?台座と本体と石が違うので唯見るだけです。暦では秋になりましたが暑い日が続きます。体調の維持管理を狛犬と共に。まぁ狛犬の方は変化はないでしょうけど。リクエスト神社が有れば送ってください。今一番気にしている神社は伊予市の正一位稲荷神社です。狛犬の溜まり場になってます。
(愛媛県伊予郡松前町出作) 

狛太郎のひとこと:古事記神話では、四国のことを「伊予の二名(ふたな)の島」と呼びます。この島には四つの面があり、うち伊予国は愛比売(えひめ)という女神にあてられています。同様に讃岐国は飯依比古(いいよりひこ)、粟(あわ)国は大宜都比売(おおげつひめ)、土佐国は建依別(たけよりわけ)です。「二名の島」とは、これら二組の男女神の意、とされています。当社は往古は「伊予二名本宮」と称したようですが、明治に入り、古記に基づき「恵依彌二名神社」と改称しました。
狛犬はTAKOさんご指摘のように、アウンで相当造りが違いますね。基本型は似ていますが、顔の幅やアゴヒゲの形、大腿部の大きさ、尾の尖端など、細部にはかなりの違いがあります。確かにアウンのどちらかが後世の補作ということはあり得ますが、盤が同意匠ですし石質も同一のように見えます。つまり写真で見る限りでは、この一対は最初の配偶が保たれているのではないかという結論に達しました。


若宮(わかみや)神社

提供者:tomokoさん
04.08.28
tomokoさんのコメント:昨日実家の三田川町箱川の通称「お宮さん」へ行って、狛犬はいないかな〜〜〜〜〜っと探してみたら、おりました〜。ここは子供の頃から一番遊んでた場所です。小さなかわいい狛犬でした。でも随分風化してました。
写真送ってみます。うまくいくといいですが・・・
(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町箱川下)
狛太郎のひとこと:tomokoさん、初投稿有難うございます。調べてみたら、「お宮さん」の「本名」は若宮神社でした。当社の祭神・仁徳天皇は、八幡神社の祭神・応神天皇の皇子です。「若」は子息の意で、即ちこれは「八幡若宮」というわけです。
狛犬は肥前狛犬です。元々レリーフのような彫りの浅い作品であるところ、時の流れに洗われてすっかり摩耗してしまいました。それに、対偶を失って、毘沙門天の脇に独りで蹲踞しています。しかし肥前狛犬の特徴であるアーモンド状の目は、三百数十年を経た今も、つぶらで愛らしいままです。それにしてもこの狛犬は、やや外側に首を曲げた変な体勢です。本来は横置きの「ウン」だったのに、縦に置いたためにそっぽを向くことになってしまったのです。しかしここに置くならこうしか置けませんから、つまり本来の居場所もここではなかったことになります。


八龍(はちりゅう)神社

提供者:tomokoさん
04.08.29 tomokoさんのコメント:ここではほんとあそびましたよ〜。家の近くだから毎日のようにあそびました。八龍さんの狛犬は大事にされているようではありました。鳥居には「八龍社」とありました。写真をおくってみます。鳥居のむこうに2匹おります。
(佐賀県神埼郡吉野ヶ里箱川上)
狛太郎のひとこと:八龍神社の祭神は八大龍王といい、インド原産の極めて仏教色の強い神です。河川や水を司る神として、水田地帯では欠かせない存在です。
狛犬は貞享4(1687)年の肥前狛犬です。おかっぱの梳毛が丁寧に刻出され、アゴの下にまで回り込んでいます。また前脚付け根には飾り毛が施されています。
このような技巧は肥前狛犬としては異例で、「次世代」への息吹が感じられる貴重な作品です。ところで、この狛犬は、実はいくつかの研究書に取り上げられている「セレブ犬」なんですよ。これに乗ってよく遊んだ、と言ってましたね・・(;^_^A


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