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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


島根鷲(おおとり)神社

提供者:狛只さん
04.09.03 狛只さんのコメント:古代、南側は海岸線だったようで、この辺りが「島の根」のように突き出ていたのが「島根」の地名の由来のようです。そして、文保二(1318)年、この地にご祭神が船でお着きになったことから浮島明神ともいわれていたとのことです。九月、節分、十一月中祭日などに奉納される「島根ばやしお神楽」は無形民俗文化財になっているそうです。こんなに由緒のある神社の狛犬さんはさぞや、と思ったら意外に真新しい岡崎型(ですね?)の一対でした。平成13年12月生まれでしたから、まだ3年足らずという出来たてのほやほやですが、白く輝く大柄の子取り・玉取りは堂々としていてなかなかの見応えでした。もう300年も経てば名狛犬と崇められているかもしれません。
(東京都足立区島根4)
狛太郎のひとこと:足立区初の狛犬です。縄文海進の時期、東京湾は大きく内陸まで抉れ、房総半島などはほぼ「離島」状態でした。当社が創建された鎌倉末期でも、まだ現代の海岸線とは大幅に違っていたでしょう。神話伝説を読むときには、当時の地形を念頭に入れなければ理解できないことも多々ありそうです。
鷲神社の祭神は日本神話のヒーロー、日本武尊です。尊を祀る神社に鷲、大鳥、白鳥など鳥に関係のある社名が多いのは、尊が亡くなったとき、その魂が白鳥となって天空に飛び去った、というエピソードによるものかと思われます。狛犬は岡崎型です。数の多さと画一性などのため、愛好家の評価は芳しくないのですが、このタイプは確実に全国を席巻しつつあります。デザイン自体は優れているので、三百年後には、一時代を築いた名犬との評価を得ている可能性は十分です。


中川氷川(ひかわ)神社

提供者:狛只さん
04.09.04 狛只さんのコメント:この神社の由来は全く分かりません。中川の西岸堤防下にひっそりと祀られていました。社殿前の狛犬さんも同日に見た鷲神社の狛犬さんとは対照的で、真っ黒で小柄で目立った細工はありません。ところが、オリジナルの台座にははっきりと「文久2年」と刻されています。文久2(1862)年と言えば、坂下門外の変・寺田屋事件・生麦事件と幕末の大事件が矢継ぎ早に起きた年です。この江戸型の見本のような狛犬さんは、どんな時代の空気を嗅いできたことでしょう。
(東京都足立区中川5)

狛太郎のひとこと:さいたま市の武蔵国一宮氷川神社が、関東一円に分布する氷川神社数百社の総本社とされます。「氷川」は出雲の「簸川」を音写した語らしく、祭神も大蛇退治の英雄須佐之男命です。この中川氷川神社については、狛只さん同様、ついに手掛かりがなく残念です。しかし狛犬は、きちんと揃えた前足や盤の脇に垂れかかる尾が、とてもチャーミングですね。文久2年は維新直前の騒然とした世相で、まさに内憂外患が噴出した年だったようです。この小柄な江戸狛犬は、そんな人の世の風雲を知らぬげに、つぶらな瞳をじっと前方に向けています。


岩瀬胡録(いわせ・ころく)神社

提供者:狛只さん
04.09.05 狛只さんのコメント:この「胡録神社」は千葉県(野田市内に3社)や荒川区、足立区などに多く見られるようですが、由来はよくわかりません。狛犬さんは子取り・玉取りの流麗な江戸型ですが、明治32(1899)年11月製で、それほど古いものではありません。
(千葉県松戸市岩瀬)


狛太郎のひとこと:胡録神社の祭神は、仏教で言う「第六天」の魔王「他化自在天(たけじざいてん)」です。それがどうして神社の神におさまっているのか、興味深いことではありますが、とてもここでは紹介しきれません。また神仏習合の結果、「面足神(おもだるのかみ)」ともされます。この神は天地開闢の際に出現した7神の一つですが、現れただけで何もせずに隠れてしまった「隠退神」です。第六天といい面足神といい、一般的な神社信仰とは大きく離れたミステリアスな存在です。しかし狛犬はそんな不思議さとは無縁の、優美な江戸型です。それも子取りと玉取りの一対です。子獅子の尾まで盤から流れ落ちる芸の細かさに、思わず見入ってしまいました。子取りというモチーフがいつ頃着想されたものか分かりませんが、江戸型だけでなく大抵のタイプに採用されているところを見ると、誰からも好まれる意匠だったからにほかなりません。


安房須(あわす)神社

提供者:狛只さん
04.09.06 狛只さんのコメント:この「安房須神社」は慶長年間(17C初頭)に創建された社だそうで、天神社と道祖神社を合祀したとのことです。狛犬さんは明治16(1883)年10月製ですが、ご覧の通り古色蒼然、見事なグリーンドッグ化しています。両・子取りというのも珍しくないですか?
(千葉県松戸市新作)

狛太郎のひとこと:創建時は出雲系の医薬の神、少彦名命を祀る神社でしたが、明治に入って天神社と道祖神社を合祀しました。明治の町村大合併は良く知られていますが、一方では神社合祀令により、多くの鎮守の杜も姿を消していきました。狛犬は流麗な純正江戸型です。全身に美しい苔をまとい、アウンともに足元に子獅子を置いています。この神社は松や杉の緑地保護区になっていて、背景にも一部その様子が写っています。この環境と緑の狛犬が良くマッチし、一幅の絵画のような静謐な趣を醸し出しています。


和多都美(わたつみ)神社

提供者:まささん
04.09.09 まささんのコメント:対馬に行きました。
豊玉町の和多都美神社の狛犬の写真です。豊玉町の由来にもなった豊玉姫命と「海彦山彦」の彦火々出見尊を祭神とする海宮。牡の方は牙におみくじが結ばれていましたがそのまま撮影しています。
(長崎県対馬市豊玉町仁位字和宮)
狛太郎のひとこと:まささん、久々に有難うございます。当社は延喜式所載の古社(式内社)で、祭神の火火出見尊(ほほでみのみこと)は、昔話の「山彦」のモデルとされます。失った釣り針を求めて海中に赴き、豊玉姫(乙姫)と出会いました。
常に海外交流の前線であった対馬は、未知のもの同士の遭遇の場であり、山の神と海の女神の邂逅の舞台として相応しく思われます。狛犬はスタンダードな蹲踞です。やや丸顔で口中に玉を噛む意匠や、髪の毛筋、尾の形(棒状)などから、肥前石工の作品ではないかと推察されます。実はこのアウンは雄雌に造られています。私も画像を持っていますが、リアル過ぎてちょっとご紹介できません(笑)


宇佐(うさ)八幡神社

提供者:TAKOさん
04.09.10 TAKOさんのコメント:ご無沙汰致しておりました。秋の気配を感じてムズムズと狛犬探索の虫とコオロギが共に動き出しております。8月に右腕を虫に刺され化膿し、やっと瘡蓋が取れました。少し痕が残っています。半袖で山に入った為です。暑くても神社へのお参りは長袖が良いようですね。
宇佐八幡神社の狛犬です 出雲のような?玉取りのような?子猫が玉遊びをしている感じの狛犬です。略記にもありますが参道が真直ぐに北に延びている北向き八幡神社です。天保9(1838)年8月石工今治中谷?右衛門。
(愛媛県松山市磯河内)
狛太郎のひとこと:台風にたたられましたが、その後は日一日と秋の気配が感じられるようになりました。狛犬シーズンの到来ですね。当社は別名「北向八幡」と呼ばれています。神社は南面が原則なので、北を向く当社は珍しい存在なのです。往古、天照大神を祀る社があり、そこに延暦23(804))年宗像三女神を合祀。
さらに延長元(923)年、宇佐八幡宮を勧請しました。狛犬も出雲式と尾道型の特徴を併せ持つ折衷型です。姿勢と尾の角度はまさに出雲式ですが、素材や顔立ち、また玉取りという意匠を考えると、これは基本的に尾道型のようです。天保9年は維新まで30年、体制の衰微ともに情報交流は逆に盛んとなり、造形上の自由度が増し、様式を逸脱した作品も容認または歓迎され始めていたのでしょう。


博識(はくしき)稲荷神社

提供者:ケパサさん
04.09.11
ケパサさんのコメント:
こんにちは、ケパサです^^
狛犬画像を整理しました。少しずつ送りたいと思います。まずは、えぬ(N)さんと行った、博識稲荷です。
えぬ(N)さんからすでに届いているかな?
(福岡県直方市直方字外町)
狛太郎のひとこと:「博識」という名にインテリジェンスを感じます。私はケパサさんに相応しいと思いますが、誰もがそう思うかどうかは保証できません(笑)。
残念ながらこの素晴らしい社名の由来は、とうとう分かりませんでした。しかし神社の由緒は明らかです。宝永3(1706)年に黒山清馬辰重(写真・大宮司)という人が、山城国稲荷大明神を勧請しました。その後元文2(1737)年に「川辺に移せば水難を除く」というお告げがあり、遠賀川のほとりに遷座しました。さらに明治期に現在地に新築移転して今日に至っています。狛犬は二対あります。
@は大正13年のものです。まん丸な目が可愛らしく、柔らかそうな肌の風合いも好ましい作品ですが、その柔らかさが災いしてひどく傷んでいます。ウンなどは完全にばらばらになってしまいました。味のある作品なのに惜しいことです。
Aは宝永3(1706)年の銘があり、当社創建当時からの「初代」であることが分かります。力強いデッサンに加え、丁寧に彫り込まれた毛筋や尾がいい感じです。しかしこちらも石質が柔らかく、ひび割れや表面の剥離が生じています。台座に「昭和54年修復」とありますが、狛犬のことではなく、台座が修復されたのでしょう。


鳥飼(とりかい)八幡宮

提供者:ケパサさん
04.10.02 ケパサさんのコメント:今年の花見に行く途中でとったものです。恐い表情をしていますが、全体をみるとなんだか可愛く感じます^^
(福岡県福岡市中央区今川2)
狛太郎のひとこと:市街地にありながら2千数百坪もの境内を有し、神門も備える広壮な社です。氏子7千戸(相当多い数です)と誇らしげに記されていることから、強固な存立基盤に支えられた立派な神社のようです。狛犬はいわゆる岡崎型で、台座には天保6(1835)年、唐人町石工・天野伊助と記されています。このような現代岡崎型が、この時代に既に地元石工の手で造られていたとなると大発見なのですが、これは台座だけを残して更新された狛犬なのではないでしょうか。それでもそれほど新しくはなさそうで、次第に風格を備えつつあるところと見受けました。


豆津(まめづ)八幡神社

提供者:みずさん
04.10.04 みずさんのコメント:MrMax 北茂安店の近く(筑後川寄り)で見つけたワンコです。
神社の名前も良くわかりませんが、ホームページにのっているワンコと違うようなのでメールさせていただきました。お暇な時に見てください。ではまた。
(佐賀県三養基郡みやき町江口字豆津)
狛太郎のひとこと:北茂安町は、福岡県久留米市と筑後川を挟んで向き合う、県境の町です。そこに架かる豆津橋のほとりに、豆津八幡神社が鎮座しています。
鳥栖・三養基地区は福岡の筑後石工が活躍したエリアで、狛犬も筑後タイプが断然優勢を占めています。しかしこの狛犬は紛れもなく肥前石工の作風であり、中でも砥川石工が得意とする意匠で造られています。なぜ砥川の狛犬が、はるばるこの地に来たのかは分かりません。砥川で造られた狛犬は、牛津川から有明海に船出し、今度は筑後川を遡ってこの河畔の地にたどり着いたのだと思われます。


春日(かすが)神社

提供者:ケパサさん
04.10.06
ケパサさんのコメント:八幡西区黒崎にある春日宮の狛犬です。この神社は、毎年秋に八幡東西区の小学校に呼びかけて、相撲大会を開いています。
参加賞がいいので二十数校が参加します^^ あと7つ送る神社があるのですが、じわじわとお送りしたいと思います^^
(福岡県北九州市八幡西区藤田1)
狛太郎のひとこと:相撲大会をやっているというのがいいですね。春日神社の祭神は武甕槌(たけみかづち)命といい、出雲の国譲りでは大国主命の次男、武御名方(たけみなかた)命と素手で一騎打ちを演じました。ここで相撲大会が行われているのは、その伝説に照らして、とても相応しいことのように感じるのです。
さて@狛犬は黒っぽい柔らかそうな石で造られています。その分細工は自在で、美しい毛筋や髪が施されています。反面、文久2(1862)年にしてはひび割れや表面の剥離が著しく、危機的状態に陥っています。口の辺りが枝光八幡宮に似ています。A狛犬は北九州で典型的なタイプです。固い素材なので彫りが浅く、素朴な造形ながら、意志の強そうな顔立ちとがっしりした体つきに好感が持てます。


日枝(ひえ)神社

提供者:狛只さん
04.10.09
狛只さんのコメント:日枝神社はお猿さんだけかと思っていましたら、外堀通り側の参道に立派な狛犬さんがいました。石匠は野村保泉、年銘は昭和9年10月と刻されていました。ご覧のとおり大柄で、胸板の厚さはシェパードも顔負け、がっしりとした四肢は完全マッチョ風です。
本殿前のお猿さんは文官の雰囲気ですが、こちらは武人の風貌と言えます。
(東京都千代田区永田町2)
狛太郎のひとこと:全国日吉(ひえ、ひよし)神社の総本社は大津市の日吉大社です。
祭神大山咋(おおやまくい)命は山王権現とも称し、比叡山の地主神でした。つまり日吉と比叡は、同じヒエという地名を別の漢字で表したものです。文明年間に太田道灌によって江戸城に勧請、歴代徳川氏も厚く崇敬して三代家光の時には、600石もの朱印領が与えられています。
狛犬は国重文の木造狛犬(大宝神社・滋賀県)をモデルとする作品群の一つで、精悍な原作に比べ、石造では大幅に筋肉が増強されているのが特徴です。日吉神社と大宝神社は滋賀県つながりという縁もあって、ちょっと面白い取り合わせになりました。


多田(ただ)神社

提供者:狛只さん
04.10.10
狛只さんのコメント:都内にも多田神社があると知って詣でて来ました。御祭神は多田一族の祖とされる多田満仲(912〜997)です。頼義・義家父子が奥羽からの凱旋の帰途この地に祀った祠が始まり(11世紀末)とのことでした。さて、狛犬さんは子取り・玉取りの一対だけで、「明治14年12月建之」とそれほど古いものではありません。しかしながら、なかなか古色蒼然としていて味わい深いものがあります。特に子取りの方は口あんぐりのユーモラスな阿形ですが、子犬を守る威嚇のポーズなのかもしれません。
(東京都中野区南台3)
狛太郎のひとこと:平安末期に台頭した源氏一族は、やがて公家から政権を奪取し、鎌倉幕府を樹立することになります。この時期、一族からは時代の潮流に後押しされるように、多くのスターを輩出しました。当社の祭神・源満仲は清和源氏の流れを汲む武将で、根拠地に因んで多田氏を称し、多田源氏の祖となりました。酒呑童子征伐で有名な源頼光はその長男です。次男頼義は八幡太郎義家と新羅三郎義光を出しました。あの源頼朝や義経もこの名流の一員です。
そして千年後、わが狛弟子の狛只さんがその貴種を今に伝える方だったとは、歴史ロマンもここに極まれりです。因みに源頼光は肥前国司を努めたことがあり、下向時に四天王の一人渡辺綱(つな)を同伴しました。綱の孫、渡辺久(ひさし)は肥前松浦に土着して松浦姓を名乗り、いわゆる松浦党の祖となっています。延喜の制で肥前国唯一の明神大社・田島神社(呼子町)には、源頼光寄進と伝えられる石鳥居も現存しており、ロマンの灯はこの西海の地をも、影絵のように照らし出しています。
さて狛犬は子取り・玉取りで、流麗さが身上の江戸型の中では、極めて動的で異彩を放つ一対です。アの口は大きく開き、尾の流れにも力強さが認められます。子獅子の親を見上げるような体勢がチャーミングです。


大宮(おおみや)八幡宮

提供者:狛只さん
04.10.11




@





A
狛只さんのコメント:多田神社(上記)のある南台は昔「雑色(ぞうしき)村」と言って、大宮八幡宮に雑色料を納める地だったそうです。その関係で、環七通りを挟んで西側にある大宮八幡宮に詣でました。こちらも源頼義公が奥州を平定して凱旋のおり、康平6(1063)年に京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて建立したのが始まりだそうです。
広大な境内の中に、狛犬さんは2対だけでした。
(上段)1対は昭和43年銘の本殿前のもので、さほどの感銘は覚えません。
(下段)他の1対は末社「若宮八幡神社」の本殿前のもので、明和8(1771)年11月の年銘がはっきりと刻まれています。躯体は小柄で、いわゆる江戸型に比べるとかなりデフォルメ化されていますが、何とも言えない気品が漂っています。実は帰宅後写真を確認したら完全ブレだったので翌日もう一度対面して来ました。それだけの価値ある逸品だと思います。
(東京都杉並区大宮2)
狛太郎のひとこと:氷川神社(さいたま)、秩父神社(秩父)と並び、武蔵三大宮と称された古社です。江戸時代には6万坪もの除地(年貢を免除された土地、寺社の境内)を領していました。現在でも2万3千坪の広壮な社地を持ち、23区内でトップクラスの規模を誇っています。
なお雑色とは律令制下、課役を免除されて手工業などに従事する人たちを指しました。
@均整のとれた立派な像容ではありますが、工業製品的で個性に乏しいのが難点です。
Aこれこそ文化財ですね。大きく開いた口、見事な歯並み、力強く長いアゴなど鬼面にも似た迫力に満ちています。明和の頃は江戸が浪花に比肩すべき文化センターに成長した時期といわれ、そうした時代の勢いを如実に反映した作品といえそうです。江戸中期に一時代を築いた様式のようですが、その後は途絶えてしまったのでしょうか。後世の洗練された江戸型とは、造形上の接点は見いだせません。


水天宮(すいてんぐう)

提供者:狛只さん
04.10.15
狛只さんのコメント:文政元年(1818)に江戸三田赤羽の有馬藩邸に久留米水天宮の御分社が建てられ、その後青山を経て明治5年11月現在地に移られたそうです。安産に御利益があるとされているのは、鈴乃緒のおさがりをいただいて腹帯にしたところ安産だったということらしいです。一対だけの狛犬さんは青銅製の子取・玉取です。かなり恐ろしい顔をしているので、安産に御利益があるかどうか? 
「子宝いぬ」という親子のワンちゃんの方がいいかもしれませんね。
(東京都中央区日本橋蛎殻町2)
狛太郎のひとこと:源氏ゆかりの社が2つ続きましたが、今回は平家に因んだ神社です。
源氏に押され、西へ西へと敗走した平家でしたが、壇ノ浦で遂に進退窮まり、二位の尼、建礼門院、按察使(あぜち)の局らは、安徳幼帝と共に海中に身を投じました。まさに栄枯盛衰世のならい、諸行無常の響きありです。ところがこの女性達は結局救助されたらしく、うち按察使局は筑後に至って水天宮を創祀したというのが社記の伝えるところです。
狛犬はそんな淋しげな話とは裏腹に、筋骨たくましいブロンズ像です。もう一つは可愛い子連れのワン子です。この組み合わせは、実は久留米の本家とも符合します。つまり久留米の水天宮にも巨大なブロンズ狛犬があり、奥の末社には撫でると病が治るという「撫で狛犬」なる小型犬(肥前狛犬)が配置されているのです。蛎殻町という地名からここが海浜だったことが分かり、一方久留米の本社も河口に近い筑後川の河畔にあります。立地にも共通点があるようです。


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