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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


日吉(ひよし)神社

提供者:ケパサさん
04.10.16
ケパサさんのコメント:こんにちは^^若松区を通っている時に見つけた神社です。
どうやら、幼稚園を経営しているようで、保母さんと子どもたちが下校中でした。
仕事柄、打ち合わせや協同で活動をする等、幼稚園の先生としょっちゅう会っていますが、仕事を離れて幼稚園の先生を見るとなんだか素敵です(笑)
(福岡県北九州市若松区二島)
狛太郎のひとこと:日吉(ひえ)大社の祭神は大山咋(おおやまくい)命といい、比叡山の地主神です。日吉はすなわち比叡なのです。各地の日吉神社はここから勧請されたものですが、読みは殆どが「ひよし」です。住吉(すみのえ→すみよし)の場合と同じですね。当社は「二島(ふたじま)の祇園」で有名なようですが、なぜ八坂神社の祭りが日吉神社で行われるのでしょうか。
それは素盞鳴尊(すさのおのみこと)が配祀されていたからでした。
さて狛犬は北九州でお馴染みタイプです。ただ猫足付きの立派な中台と高い台座を備えた極めてフォーマルないでたちで、この素朴なタイプとしては異例なほど厚遇されています。
天保15(1844)年の作品です。


梅香崎(うめがさき)神社

提供者:ケパサさん
04.10.18
ケパサさんのコメント:こんにちは、ケパサです^^すがすがしい日が続きますね^^
自然教室などがあり、なかなかネットに出られない日が続いています。
送ったかもしれないのですが、長崎の狛犬です。場所は新地の近くになります。
玄海青年の家から撮った爽やかな朝焼けの画像も添付致します^^
(長崎県長崎市西小島町)
狛太郎のひとこと:菅原道真を祀る天満宮で、寛文12(1672)年に創祀され、のち大徳寺が開かれるとその鎮守社になりました。明治初年に大徳寺は廃寺となりましたが、神社は改めて梅香崎神社として維持されました。俗謡「長崎の七不思議」の冒頭に「寺もないのに大徳寺」と歌われているそうで、大徳寺の威光は県下に知れ渡っていたようです。その鎮守社として、当社にもあつい崇敬が寄せられていたことでしょう。
狛犬は素朴な造形ながら、格調の高さもうかがえます。真っ直ぐに前を向く「縦置き」であること、ウンに立派な角があることなど、中世以前の木造狛犬の面影を残しているのです。またよく見ると、アウンとも外側の足を僅かに引いてアクセントを付けており、この目立たない工夫がなかなかチャーミングです。


日吉(ひよし)神社

提供者:ケパサさん
04.10.19
ケパサさんのコメント:昨日は若松区の神社巡りをしようと思ったのですが、あいにくの雨で4社で断念しました。最後の神社がここなのですが・・・・・・。
えっと、変なことをお聞きします。
神社って変なものが住み着いたりするものなんですか?実は、この神社画像(左)でおわかりのように、管理されていないほったらかしのものでした。階段を上がる時から、変な感触を持っていたのですが、上にある狛犬を見てゾクッと来ました。この狛犬、体型といい顔といい恐すぎです。
やだなぁと思っていると、荒れ果てた廃屋(廃社って言うのかな)の奥の方から「ドン!」「ドン!」って音がしてきて・・・・。あわてて階段を駆け下りました。階段の下につくまで音が続いていましたが・・・・。恐かったぁ(笑)
というわけで、心霊現象ありそうな日吉神社画像です^^ お楽しみください。
(福岡県北九州市若松区小竹脇之浦)
狛太郎のひとこと:セピア色にしてみたら、草ぼうぼうの感じがより鮮明になりました。
いかにも不気味です。私なら鳥居前の狛犬(上段・昭和5)だけで諦めるところでした(笑)。
こちらは重厚な台座に猫足付きの中台を重ね、やや上を仰ぐ凛々しい姿で蹲踞しています。
(下段)さて問題の狛犬(大正9)ですが、九州では見かけないタイプであるとともに、苔むした石肌に凄味さえ感じられます。記憶を辿ってみると、椿大神社下御霊神社に似ているようです。
豊かで装飾的なたて髪、体に比べて小ぶりな盤などに共通性があるのです。石工名なども確認して頂くと興味深い事実が判明したかも知れないのに・・・って無理ですね(;^_^A 
飛ぶように石段を駈け降りてくるケパサさんの姿が眼に浮かぶようです。


田縣(たがた)神社

提供者:まささん
04.10.24 まささんのコメント:高山経由で富山に行く途中でした。小牧の空港から昼食場所に案内されたら、真ん前がこの田縣神社でした。近くには女性の大切なところを祭った神社もあり、年に1度出会いがあるそうですが子細は忘れました。さて、狛犬に関してですが、詳細は分かりませんでした。廻りの多くの石造男茎形に気を奪われて・・・石の感じから、わりと新しいと思われました。雄は玉を脚で押え、雌は背中に子供を載せていましたので、珍しいのではと写真に納めました。
(愛知県小牧市田県町)
狛太郎のひとこと:愛知県初の狛犬を有難うございます。当社の豊年祭は天下の奇祭といわれ、巨大な男茎形(おわせかた)を神輿に乗せて練り歩くものだそうです。社殿にはそのご神体をはじめ、大小の男茎形がところ狭しとチン列されています。色々なHPに紹介されていて、結構人気があることが分かりました。そう言うと何か温泉地によくある秘宝館のようなものかと誤解されそうですが、当社はれっきとした式内社(延喜式所載の官社)で、従三位という高い神階を授かった名社なのです。「女性の・・」というのは、犬山市の大縣(おおあがた)神社のことで、こちらも延喜の制で明神大社(肥前には1社しかありません)に列した名社でした。
さて、ようやく狛犬の出番ですが、ほとんど情報はありません(笑)。しかし、なかなか立派なものです。子取りは子獅子を前肢で押さえているのが一般的で、背中で遊ばせているのはあまり多くありません。手彫りではなさそうですが良く彫り込まれており、工夫も感じられます。現代狛犬にもこの先、期待が持てそうです。


マラッカの寺院

提供者:狛只さん
04.10.26 狛只のコメント:先日、私の姉がマレーシアを旅行したときに、マラッカで撮したという
狛犬(もどき?)の写真を、番外編でお送りします。この姉は、私が小学生の頃悪さをすると、箒を持って屋根の上まで追いかけて来たものでした。
(マレーシア国マラッカ市)
狛太郎のひとこと:ついに海外狛犬の登場です。マラッカはマラッカ海峡に面した港湾都市で、その地政学上の重要性の故に、絶えず近隣諸国や列強の介入を受けてきました。それだけに様々な文化が混在し、宗教的にも回教、仏教、キリスト教など多彩に普及しているようです。漢文の先生に門標の文字を解読して頂いたところ、左右で対句になっており、大意は「仏法によって人が集まり、寺(梵宇・刹)や城が建つ(すなわち、大きな力となる)」であり、仏教を推奨する言葉でした。
それにより、ここが仏教寺院かそれに類した施設であることが推察されます。
してみると、その門前に置かれたこの像は、様式はともかく、機能的には狛犬の仲間と見ることができるようです。右の像は穴あき銭にひもを通したものを持ち、左は子獅子を抱いています。このモチーフは中国系獅子に時折見られるものです。


七社宮(ななやしろぐう)

提供者:ケパサさん
04.10.30
ケパサさんのコメント:今日は、久しぶりにゆっくりできたので、宗像方面にバイクで走ってきました。時速20キロぐらいのゆっくりしたスピードで、風と景色を楽しんできました^^ さて、今回は宗像市赤間(大石??)にある七社宮です。説明を読むと、由緒正しい神社のようですね^^ 入り口にある狛犬は、灯籠の上にちょこんと載っていました。左と右の狛犬の古さと、狛犬の下の台座の新しさに違和感を感じ、近くを見渡すと、古い台座がおいてありました。近所の方がたまたま通りかかり「台が壊れて、新しいのにしたんですよ^^」って教えてくれました。
(福岡県宗像市赤間町)
狛太郎のひとこと:当地は唐津街道の赤間宿として栄えた町です。由緒看板によると当社は天武天皇の時代(674)に、七柱の神を祭って創祀されました。また赤間の地名については、赤い馬に乗った老人が神武天皇を先導したことに由来するそうです。狛犬(左)は台座に天保13(1842)年と刻まれています。少し笑ったような顔が人なつこいとともに、浅く彫った毛筋や省略的な後肢がいかにも素朴です。
狛犬と台座の石質が異なっており、狛犬本体はもっと古いように思われるのです。
一方灯籠(右)の方は取材して頂いて明らかな通り、塔身が更新されています。
笠石と台座が古く、火袋・中台・竿石は新しいようです。獅子がどちらに属するのかは不明ですが、補修を重ねながら大切にされている様子が分かります。


河内(かわち)神社

提供者:TAKOさん
04.11.08 TAKOさんのコメント:9月中頃から休み全て雨でした。10月も全滅。愛媛の台風被害が388億と貧乏県には辛い年となり、新浜市では未だに復旧半ばです。狛犬の撮影には不向きな小雨降る天候でしたが、我慢できずに7時間程山奥を回りました。12社中7社ゲット、15枚の狛犬でしたが、新しいタイプ0という結果。まぁでも撮影出来ただけで何となく満足。狛犬依存症なのでしょう。河内神社の狛犬は、宇佐八幡神社の狛犬に大変よく似ています。どちらが先か、台座が苔むして読み取れないのが残念です。
(愛媛県松山市菅澤町)
狛太郎のひとこと:再三の台風で四国の被害は甚大だったようですね。お見舞い申し上げます。地図を見ると当社は道後温泉を北に遡り、北条市との境に近い山間部にあります。千b級の山塊が肩を並べる高縄半島から、松山平野へ流れ下る石手川の源流の一つに沿って鎮座しているのです。当社の主神が罔象女神(ミズハノメのかみ=水神)であるのは、こうした自然災害を受けやすい地形に立地する集落にとって、その神威が最も必要とされたからに他なりません。この狛犬は尾道型と出雲型を折衷した形で、宇佐八幡神社(天保9(1838)年・今治石工)のものと相互関係があるのは確からしく思われます。このスタイルがいつどこで構想されたものか興味がありますが、もし愛媛だと分かれば大きな収穫になるでしょう。


三峯(みつみね)神社

提供者:Jaianさん
04.11.15




@





A





B





C
Jaianさんのコメント:「日本の杜 神社参拝日記」のJaianです。
先日、埼玉県秩父郡大滝村鎮座の三峯神社に参拝しました。埼玉県秩父地域の狛犬はオオカミで有名なのですが、その代表格が、ここ三峯のオオカミ狛犬たちです。
オオカミと言う事もさることながら、量産型の狛犬が多い昨今、ワンオフのオリジナル狛犬と言う点でも珍品といえましょう。その内の四対、八体のオオカミ達を投稿いたします。秩父の狛犬がオオカミなのは、日本武尊東征の折、秩父山中で山火事に会い、そのときにどこからともなくオオカミが現れて消火を助けたという、記紀神話に基づく縁起です。特に三峯神社ではこのオオカミをオイヌサマと呼び、境内に大口真神としてお仮屋という社に祀られ、信仰されています。
@神域入り口に立つ三つ鳥居の前に立つオオカミ狛犬。三峯のオオカミ狛犬と言えばこれを指します。背中のデコボコが特徴です。
A隋神門前のオオカミです。比較的新しい印象、オオカミにもハスキー犬にも見えます。
Bこれは社殿前の狛犬その一。ブロンズ製のオオカミ、と言うよりは犬ですね。
阿吽ともに、びっくりしたような目が特徴的です。
C社殿前の狛犬その二。狐のようですがオオカミです。個人的にはこれがお気に入りです。
年代物のようで味があります。足のつめが鋭いです。
三峯神社は私の大好きな神社の一つです。
そんな三峯神社を佐賀県の皆様にも紹介したくて、投稿させていただきました。
今後ともよろしくおねがい致します。
(埼玉県秩父市三峯)
狛太郎のひとこと:Jaianさん、初投稿有難うございます。それに大変珍しいものをお送り頂きました。三峯神社は2千b級の高峻な山々が連なる秩父山地に鎮座し、古くから修験道の聖地として崇敬されてきました。十一面観音を本地仏とする神仏混淆の神社であり、また「お犬さま信仰」の中心地でもありました。お犬さまの実体は日本各地に広範に棲息したヤマイヌ、すなわちニホンオオカミです。
狼の仲間では最も小型だそうですが、列島では食物連鎖の頂点に君臨する存在でした。
恐ろしい猛獣である反面、農業に害をなす猪や鹿を捕食してくれる有り難い存在でもあったのです。人々がこれを「大口真神(=オオカミ)」と呼び、畏敬の対象としたのは自然なことでした。
しかしそのニホンオオカミは、100年ほど前に絶滅してしまいました。江戸中期の狂犬病の流行や、明治以降の開発によって急速に個体数を減らしたと言われています。
さて、今回の4組のオオカミたちは、それぞれとても表情豊かです。精悍な体つきと細長いしっぽが目を引きますが、図鑑で見るニホンオオカミと特徴が良く符合します。比較的最近まで実在していた動物だけに、生き生きとした躍動感が再現されているようです。
@〜Bが顔を上げ、この動物の敏捷さや剽悍さを表しているのに比べ、Cは少し俯いた視線が心なしか淋しげです。しかしこれが最も写実的な造形と見受けられ、足が短いという特徴もリアルに表現されています。あるいはニホンオオカミを実見できた時代の作品ではないでしょうか。思索的な表情に深い味わいがあり、写真で見る限り、私もこの作品に一番心惹かれました。


上手稲(かみていね)神社

提供者:のりさん
04.11.20
のりさんのコメント:
@奉納年・・・昭和40年9月
A石工名・・・解りませんでした。。。
B大きさ(目分量で・・・長さ=1.00m 幅=0.50mくらい)
いい加減ですみませぬ。
位置的には札幌中心街から、西へ車で約20分ほどの住宅街。その外れにある丘の上(宮丘公園隣)にあります。意外と眺めの良い(というほどでもありませんが)場所でした(写真は境内から札幌中心街方向を撮影)。規模的にはあまり大きくない(小さい?)境内ですが、秋祭りなどは大勢の人々で賑わいます。
なんだか、イケていないコメントですみませぬ。
(北海道札幌市西区西野)
狛太郎のひとこと:当社の位置するこの地は、最初の屯田兵(明治8年)を迎えた琴似にほど近い場所です。ここ旧手稲地区には琴似に先立つこと3年、仙台白石支藩の家臣50戸ほどが入植していました。彼らが連帯の拠り所として建立した小祠が、当社の創祀です。記紀神話で荘厳化された内地の神社とは異なり、北海道では開拓の槌音が新しい神話として育ち、語り継がれていくような気がします。
またそうであって欲しいとも思います。さて狛犬は昭和40年の子取り玉取りです。現代的な風貌ですが、全身に分布する沈線の経巻渦が古風です。それに、細かい部分も行き届いており、職人の手仕事的な雰囲気が感じられます。


発寒(はっさむ)神社

提供者:のりさん
04.11.21 のりさんのコメント:
@奉納年・・・見忘れました。。。
A石工名・・・同じく見忘れました。。。
B大きさ(目分量でですね・・・長さ=1.00m 幅=0.50mくらいだったと・・・)
いい加減ですみませぬ。
由緒につきましては石碑の写真も添付いたしましたので、私からは現在のこの神社の周辺の説明を・・・位置的には、以前(といってもかなり前ですが・・・)あの琴似神社から車で西へ5分ほどの位置です。
最寄のJRの駅は「発寒中央」。札幌駅からは10分程の場所です。都会ならば、オフィス街になっていそうな場所ですが、札幌ですので、周辺は普通の住宅街です。こちらは、平地に境内があります。上手稲神社との共通点は、どちらも近くに小学校があるということです。

(北海道札幌市西区西野)
狛太郎のひとこと:のりさんのお陰で、札幌の地理がどうなっているのか、少し分かってきました。札幌駅から西北に伸びる函館本線は、左に手稲山(1023m)を望みながら琴似、発寒、手稲と進んで行きます。この山は北大寮歌に「手稲のいただき黄昏こめぬ」と歌われ、「おごそかに北極星を仰ぐかな」と結ばれる詩の美しさに、大いに感動を覚えたものです。発寒の開拓の歴史は古く、幕命によって山岡精次郎以下17名が移住してきたのは、安政3(1856)年のことでした。後の屯田兵の先駆的存在です。実は同年、佐賀藩士・島義勇も北海道、樺太の調査に赴いています。島は後年、北海道開拓の判官となり、道都建設のために尽力しました。札幌と佐賀は意外なつながりがあるのです。狛犬は現代岡崎型です。残念ながら尾の処理などにおざなりな点が見受けられます。電動工具を用いるにしても、狛犬はやはり手工業的であって欲しいのです。ただ、これはアウンが逆置きという特異性があり、また顔立ちも量産型にない個性があります。眼に象眼、牙に着色という点も、是非はともかく、個性の演出という意味では首肯すべき試みと言えましょう。


伊予(いよ)稲荷神社

提供者:TAKOさん
04.11.28
TAKOさんのコメント:今年の5月頃から見たいと思っていた狐(瓦製)と狛犬(木造逆立ち)を撮りに行って来ました。禰宜さんの特別のお計らいで、本殿の中の撮影を許可して頂きましたが、残念ながらネットでの公開は許可が出ませんでした。
 (石製狐=絶品、瓦製狐=絶品、木製逆立狛犬=絶品、木製狐=超色っぽい)
何かの機会には見て頂きたいと思っています。
 と言うことで、楼門の2躯(木製)と入り口の石製2躯を送ります。砥部の大宮さんとは宮司の交流で楼門の狛犬が似ているとのことでした。又、伊佐爾波神社とは楼門の大工(棟梁)が同じとのことでした。長かったような短かったような半年でした。いやぁ 狛犬って本当にいいですね。では又。
(愛媛県伊予市稲荷)
狛太郎のひとこと:平安遷都間もない弘仁年間(9世紀初)の創建といいますから、愛媛でも屈指の古社です。鎮座地名もそのものズバリの「稲荷」で、当社の存在感の大きさがうかがわれます。また、祭神を見てみますと、主祭神の宇迦能御魂(うかのみたま)神以外は、爾爾芸命や伊邪那美命、菊理姫など、稲荷信仰とは別系統の神々であり、これも長い歴史上の様々な経緯を想像させるものです。さて、神殿内の狛犬の撮影許可がいただけて、良かったですね。残念ながらネット公開は不可とのことですが、いつか事情が変わることを期待したいものです。
@は堂々の尾道型です。お馴染みの巨大玉取りですが、体つきが玉の大きさに見合っており、重厚な印象を醸し出しています。Aは楼門内の木製狛犬です。
確かに砥部大宮神社のものとは体つき、前肢の関節の位置、それに配色までよく似ています。度々の台風で、この半年は本当に大変でしたね。お察しします。
気を取り直して狛犬探しを再開されますよう、お祈りしています。


六所(ろくしょ)神社

提供者:狛若
04.11.29 狛若のコメント:ご無沙汰しています。
孫のお宮参りに、世田谷区にある六所神社というところに行きましたので、投稿します。何の興味もありませんので、数枚の写真だけ撮ってきました(笑)
あ、ここは北面してました!!
珍しいですよね♪
(東京都世田谷区給田)

狛太郎のひとこと:天文年間(1500年代)、府中の六所宮(武蔵国総社)を勧請したと伝えられます。祭神の大国魂(おおくにたま)神は大国主(おおくにぬし)神と同神で、つまり出雲系です。ほかに武蔵国一の宮の氷川神社も須佐之男命を祀っており、総社、一宮という国内の主要神社が、出雲系で占められていたわけです。
そもそも武蔵国造自身が出雲系ともいい、なぜこの国にここまで出雲色が濃厚なのか、不思議です。さて狛犬は立派な江戸型です。左右に分かれて横に垂れる尾が流麗で、毛筋や渦も鮮明に刻出されています。大正8年と比較的新しいものですが、この伝統的タイプがその時期まで健在だったと分かったことが何よりです。
ところで、「何の興味もない」と威張っていますが(笑)、北面の社が珍しいことを知っていること自体、すでにただのシロウトではありませんから。
それに、これは世田谷区初の狛犬でした!有難うございました。


双海(ふたみ)三島神社

提供者:TAKOさん
04.11.30
TAKOさんのコメント:
(上段)楼門内の狛犬は伊豫岡八幡宮の狛犬のビッグバージョンです。80〜90a高と中型犬クラスです。格子と汚れたガラスが無ければ綺麗に撮れたのに残念です。
(中段)参道の狛犬はシンプルな感じです。
(下段)妙に平べったい狛犬と思って見ると、亀でした。略歴を読んで納得でした。東宝映画に出て来るガメラそっくり。此方が本家でしょうが。手洗い場の足では見たことが在りますが。
本殿前に鎮座しているのは、大切にされているからでしょう。 
(愛媛県伊予市双海町高岸) 
狛太郎のひとこと:当社の創立は、社伝によれば和銅5(712)年のことです。一方、神亀元(724)年に金幣を背負った亀が渚に走り上がり、森の中に入ったのでここに祠を建てて祀った、という口碑も残されています。神亀という年号から想起された伝説とも考えられますが、当地の小字名「亀の森」にも関係ありそうです。いずれにしても奈良時代のことであり、大変な古社です。
(上段)楼門内の木造狛犬です。彩色は失われたものの、見応えのある彫刻です。
(中段)関西系の狛犬で、いわゆる浪花型です。扇尾を持ち、滑らかな巻毛としっとりした石肌が、柔和な印象を湛えています。ウンは頭頂に一角を有し、古式を保っています。
(下段)ここでの主役はやはりこの亀です。「神亀」という年号、「金の亀」の伝説、「亀の森」という地名など、亀に因む要素が全てこの石亀に集約されているかのようです。ただしこれは現実の亀ではありません。神性を帯びた、まさに神亀なのです。


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