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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


葛西(かさい)神社

提供者:狛只さん
04.12.03
狛只のコメント:鎌倉時代初期に香取宮として創建され、明治維新時香取神宮に、明治14年葛西神社と改称されました。旧水戸街道から少し入った江戸川堤防下にあります。江戸祭ばやしのルーツと言われる葛西ばやしが有名です。狛犬さんは、社殿前と旧正面鳥居(宝暦13)脇と諏訪神社(境内社)脇の3対です。
@社殿前の狛犬さんは恰幅がよく、小さな台座にちょこんと座っている姿には愛嬌があります。
Aお奨めは旧正面鳥居脇の狛犬さんで、何と宝永3(1760)年の銘があるそうです。
Bまた、諏訪神社脇の狛犬さんの精悍な姿勢も魅力的です。参詣当日あいにくの天候で写真が不鮮明で申し訳ありません。いずれ撮り直して来たいと思っています。
(東京都葛飾区東金町)
狛太郎のひとこと:葛飾区は古代、下総国(千葉県)葛飾郡に属していました。
普通は都に近い方が「上」であることを思えば、葛飾が下総で千葉南部が上総というのは奇異に感じられますが、実は当時の東海道は三浦半島から千葉県富津辺りへ海路で進んだのです。そういうわけで、最初に上陸する所が「上」となった次第です。(『古代農民忍羽を訪ねて』関和彦著)。さて狛犬は三対とも素晴らしく個性的です。
@は最もスタンダードな江戸型ですが、小さな盤から四肢と尾がはみ出しています。この工夫によって量感が生まれ、平凡に陥るのを免れていると考えられます。
Aは、それまでの原初的狛犬から脱皮して、大型化、立体化、装飾化が図られる時期の作品です。江戸中期がその画期に当たり、佐賀でも同じ傾向が見られます。
扁平な大腿部は石材をいっぱいに使う工夫で、古い狛犬にまま見られる特徴です。
Bは構図といい意匠といい、申し分ありません。まずは、江戸型を出雲風に構えさせた点。次に、盤の上面を削平せず、岩山状に表現した点です。さらに、何と言っても、体軸を盤の対角線方向に置いたところが最大の見せ場です。これだけ新機軸を取り入れた作品がこの石工の独創だとすると、並々ならぬ才能の持ち主なのでしょう。


七社(ななしゃ)神社

提供者:狛只さん
04.12.08 狛只のコメント:寛政5年の火災で古文書が失われ、創建年代など不明だそうです。元は旧古河庭園内に祀られていましたが、明治初年に現在地(飛鳥山公園隣)に遷ったとのことでした。現在地は一本杉神明宮の社地だったのですが、現在は家主が境内社となっています。社殿前の狛犬さんは流麗な江戸型です。
台座に明治26年の銘がありました。特徴は両方が子取りで、その両方の子犬のしぐさが異なっているところです。いかにも腕白そうなところがいいですね。
(東京都北区西ヶ原2)

狛太郎のひとこと:その名の通り、七柱の祭神を祀る神社です。ある伝承では「高野山四社明神に伊勢・春日・八幡の三座」で七社、だそうですが、現在の祭神は宗像神が入って七柱です。社伝には数度にわたる遷座や合祀の歴史が語られており、どこかで祭神の変動があったのかも知れません。狛犬は、江戸型の中ではかなりスレンダーな個体です。毛足も長く、すらりとした印象が強調されています。反面、尾のボリュームにはやや淋しさが否めません。この狛犬で特筆すべき点は、子の体勢と親の前足の処理です。何と子獅子が立ち上がっています。細い四肢も彫り出され、見るからに危うげです。親獅子の前脚もそっとその上に置かれただけで、しっかりした支点を設けていません。つまりこの石工は、強度を犠牲にしてでも造りたいものを造ったわけで、自分の発想に忠実な、アーチスト気質の持ち主だったのでしょう。


秋葉(あきば)神社

提供者:狛くにさん 初投稿!
04.12.14 狛くにのコメント:かわいいお名前(狛名)いただいていたのに、なかなかふさわしいと自分で考えている狛犬の写真を送ることができずにおりました。
でも、やっとお送りすることが出来ます。かわいい浪花狛犬浪花型ですが、これは狛研でも浪花狛犬代表として紹介されている、奈良の秋葉神社のものです。
実物はとても小柄で、祠も小さなものなのですが、氏子の方が毎週日曜日ちゃんとお掃除している、気持ちのよい素敵な神社でした。
(奈良県生駒郡斑鳩町幸前)
狛太郎のひとこと:狛くにさん、初投稿有難うございます。斑鳩はいうまでもなく、世界遺産・法隆寺で有名な町ですが、その法隆寺の東方に、やはり聖徳太子が建立したという中宮寺があります。この中宮寺は往昔、今よりさらに東の、幸前の地にありました。そしてその鬼門に位置していたのが、ほかならぬ秋葉神社でした。
火除けの霊験を買われて、相模国から勧請され、鎮守社となったのです。
当社の造営には、中宮寺領の森の木が充てられたそうです。
狛犬は何とも可愛い浪花型です。狛くにさんのお勧めだけあって、くりっと丸い目、独特の曲線を描く唇、それに、肉付きが良く張りのある肢体など、とても魅力的です。柔らかく精緻なノミ使いも見事で、髪や尾のふわりとした質感はちょっと比類がないほどです。この狛犬は斑鳩町の南西に隣接する王寺町石工の作品で、嘉永3(1850)年に奉納されたものだということが分かりました。この型が確立したのは19世紀前後の大阪らしい(注)のですが、半世紀後には奈良でこれだけのものが造られるようになっていたのです。「浪花型」の持つ普遍性を物語る事実と言っても過言ではないように思います。(注)小寺慶昭著「大阪狛犬の謎」


八天(はってん)神社

提供者:狛一さん
04.12.18
狛一のコメント:嬉野の吉田の産地直売所に行った帰りに寄って来ました。
綺麗に清掃された神社内を歩いて行くとワン子発見!
「あ」は鼻の穴まで丁寧にしっかり掘られています。(笑)「うん」はよ〜く見るとデッパ!!可愛いですが、思わず笑っちゃいました。「うん」の台座の後ろに永石義久○と彫ってあり、横には○(寛に見えました)○十年○丁六月吉日と書いてありました。
(佐賀県嬉野市塩田町谷所山口)
狛太郎のひとこと:白雉4(653)年の鎮座と伝える修験道の古社です。八天とは全国の8人の大天狗を意味し、牛若丸に剣術を教えた鞍馬山僧正坊のほか、九州では英彦山豊前坊が有名です。修験道は古来の山岳信仰に密教などが習合して成立したとされ、神秘的な修行や儀式を行う山伏の姿と、超人的能力を持つ天狗が結びついたようです。狛犬は古風な塩田型です。洗練された装飾性が身上の塩田型ですが、この個体はまだ無骨さと素朴さを留めています。それでも、豊かで柔らかな曲線を描く尾や整然としたヒゲなどに、塩田型となるべき兆しは既に現れています。
「寛○」は寛政年間(18世紀末)の可能性が高いのですが、「丁」が合致しません。
しかし他に適切な年号はなく、様式的にもやはり「寛政」が妥当であるようです。


サラスワティ寺院

提供者:狛小町さん 初投稿
04.12.23
狛小町さんのコメント:場所は、インドネシア、バリ島北部のウブド。バロンダンスに出てくるような、狛犬?です。日本のそれとは趣がことなっていますが、それもそのはず。神社ではなく、お寺なんです。2体が対になってはいましたが、向き合っているわけではなく、正面を向いていて、ちょっと、威圧感がありましたよ。高さも、160センチ以上はありましたし。日本の神社は、木造のご神殿に石の狛犬っていうのが定番ですよね・・・ここでは、ぜ〜んぶが石で出来ていて、びっくりしました。
でも、大切なところの入口に鎮座しているのは同じですね。やっぱり、アジアかしら。と思いながらお寺を出てきました。
(インドネシア国バリ島ウブド村)
狛太郎のひとこと:イスラム国のインドネシアにあって、バリ島は大半がヒンドゥー教徒という特殊な地域のようです。ヒンドゥーは多神教で極めて多くの神々が祀られていますが、サラスワティは学問と芸術の神といわれています。職掌に応じた神様がいるという点は、日本の八百万の神とも通じるところがありますね。
この石像は「バロン」と呼ばれる聖獣です。有名なバロンダンスは、バロンと魔女ランダとの戦いを通じて、善悪や生死といった対立する概念を表現した芸能とされます。結局勝負がつかずに終わるそうですが、善悪を簡単には決めつけられない、という深い意味合いが込められているとも言います。バロンはかなり人間的な姿形ですが、聖獣であること、一対で聖地を守護していることなど共通点もあるので、かなり強引ですが、この際狛犬の仲間に入れてしまいましょう(笑)


赤子宮(せきしぐう=吉見神社)

提供者:みずさん
04.12.26 みずさんのコメント:神社の名前も良くわかりませんが、写真をメールさせていただきます。片方のワンコのポーズがかわいくて、珍しいと思ったので写真を撮りました。お暇な時に見てください。ではまた。
(熊本県玉名郡和水町内田)
狛太郎のひとこと:当社の宗教法人名は「吉見神社」ですが、地元では「赤子宮」として親しまれています。鳥居の写真を付けて頂いたので、その額で判明したのです。吉見神社は戦国時代に創建され、現在もイザナギ神を祀っています。しかしそれとは別に、ここには昔から「赤子大明神」が鎮座していて、村を風水害や悪疫から守ったという伝説が残っていました。また、この神は南関町から移って来られたともいい、元の神社では誰もいないのに内田の神楽の音が聞こえるという、不思議な話も伝わっています。このように色々な伝説があるということは、それだけ親しまれ、大切にされてきたことのあかしです。しかしその赤子大明神は、現在は社殿の脇の小さな石祠になっているということです。さて狛犬はとても個性的ですね。アは出雲風に構え、ウンは前肢に大きな子獅子を遊ばせています。立派な猫足付きの中台に乗っていて、細工も丁寧です。同じ菊水町の熊野神社(狛久提供)の狛犬と類似点がありますので、これがこの地域のスタンダードなのかも知れません。菊水型、玉名型と呼べるものだとしたら大きな成果です。サンプルが増えることを願っています。


素盞雄(すさのを)神社

提供者:狛只さん
04.12.30
狛只のコメント:この神社は、日光街道(国道4号線)千住大橋手前にあります。
創建が平安時代の延暦14(795)年という、1200年の歴史ある古社です。
こちらの狛犬さんはかなり有名で以前から注目していたのですが、車で行くと通り過ぎてしまう微妙な場所にあり、今回ようやく名狛と対面することができました。
社殿前の一対は噂どおりの素晴らしい狛犬さんでした。狛太郎師匠命名の「岩狛」に属するのでしょうが、実にダイナミックなのです。特に吽形の方は「子取り」というよりも「子放し」というユニークなスタイルをしています。この名狛を制作した石工(残念ながら名前は未確認)のこだわりは尾にも現れているように思います。豊かに流れる見事な尾をご覧ください…あれっ?吽形の方の尾が切れている!! なんということでしょう、子犬に気を取られてトカゲならぬ狛犬の尻尾切りをしてしまいました。
いずれリベンジの上、必ずやご覧に入れたいと思います。
(東京都荒川区南千住)
狛太郎のひとこと:修験道の高僧が開いた古社です。光を放つ岩から牛頭天王および飛鳥権現が老翁の姿で顕現したので、ここに奉祀しました。牛頭天王は祇園精舎の守護神ですが、神仏習合の世界では、素盞雄(すさのを)神と同神です。一方の飛鳥権現は社伝によると大国主命の子、事代主(ことしろぬし)神です。この事代主神は、鯛を抱えたエビス様としても知られ、父大国主神の大黒様とともに七福神のメンバーでもある、という具合に、日本の神様は実に変幻自在でややこしいのです。
さて狛犬は江戸型をベースに、極めて大胆に再構成した秀作です。美しい毛筋や均整の取れた五体はそのままに、後肢を伸ばして立ち上がらせ、横に流すのが通例の尾を風になびく形とし、あるいは子獅子を独立させて配置(右・ウン全像)するなど、豪快かつ生き生きとした躍動感の創出に成功しています。さらには岩狛とは異なり、完全に山に登り切っています。江戸型としては最終発展形と呼ぶべきもので、これにさらに変化を求めるとなると、もはや逆立ちくらいしか手はなさそうです。


荒神社(こうじんしゃ)

提供者:TAKOさん
05.01.09 TAKOさんのコメント:愛媛県北条市才之原・荒神社、データ的なものが全く無い神社です。狛犬は何となくかわいい感じです。片方の足で玉をキープする姿は猫にも似ています。
北条市も後数箇所で終わる予定ですが、島(船酔い)は暫く考えます。
(愛媛県松山市才之原) 
狛太郎のひとこと:荒神は元々はかまどの神で、奥津彦(おきつひこ)命、奥津姫命と言います。オキは「熾き火」であり、真赤に燃える薪や炭の様子を表した語です。
即ちこれは火の神であり、火を尊ぶ修験道と密接な関係があります。また、仏教では「三宝荒神」と言い、三宝(仏・法・僧)の守護神と位置づけられました。
狛犬は出雲式に良く似た形ですが、彫刻としてはそれよりかなり簡略です。材質も砂岩製の出雲式とは異なります。全体としては、当地に広く分布する尾道型に近いもののようでもありますが、それにしては巨大玉取という特徴を備えていません。
これは両方を参考にして造られた、地元産折衷型なのではないでしょうか。大きな目を見開いた可愛らしさは、出雲型にも尾道型にもない、この個体特有のものです。


生田(いくた)神社

提供者:RFOXさん 初投稿
05.01.10
RFOXさんのコメント:生田神社の神戸<カンベ>(神社を経済・信仰的に支援する民)が住む地域が作られ、そこの住民はこの土地を『神戸村』と名付けました。
この神戸村が今日の神戸市の原型であり、この生田神社が神戸の原点と言えます。やたらパイプの骨組みが目立つのは、初詣準備中だからです。
@拝殿前の狛犬には「昭和三十四年一月 後藤光行 ?作」と名が刻まれています。資料不足で正確には不明ですが、後藤光行さんは東京の彫刻家の様です。
A正門の狛犬は、タイの寺院にある獣石像の顔に似てませんか?
(兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目)
狛太郎のひとこと:RFOXさん、初投稿有難うございます。兵庫県は播磨国など6つもの旧国域を包含する珍しい県で、そのうち神戸市は、大阪府北部とともに摂津国を形成していました。神戸港は奈良時代にはすでに知られた良港で、ここ生田神社も大同元(806)年に摂津44戸をもって神封とされるなど、当時から有力であったことが分かります。貞観10(868)年従一位を授与され、また延喜式神名帳では名神大社に列しました。生田の社、生田の森として幾多の文学様品にも登場しています。
その創祀は神功皇后外征の時、とされます。それは極めて古いことをいう常套句であり、神話と歴史の交錯する時代を想定した起源説話にほかなりません。しかし当社が歴史では遡れないほど古い、という事実もまた争えないように思われます。
祭神の稚日女尊(わかひるめのみこと)は、社伝では天照大神の幼名とされます。
@狛犬は大宝神社(滋賀県)の国宝木像狛犬をモデルとする作品です。威風堂々とした姿が好まれ、明治以降ブロンズや石造で数多く復刻されています(当サイト内では小国神社警固神社代々木八幡など)。フォーマルな感じの神社で多く見受けられるようです。Aは近畿・関西に分布する浪花狛犬の一種のようです。ちょっと愛嬌のある顔とぽっちゃり型の体つきが特徴で、柔らかそうな石質を生かした豪華な毛筋や尾が見所です。浪花狛犬「浪花型」とは明らかに関連性がありそうですが、まだサンプルが少なく、固有の分類名をつけるには至っていません。
さて、タイの獣石像とは、寺院を守る「ヤック」という守護神のことですね?もとはヒンズー教の「ヤクシャ」という鬼神だそうです。日本では「ヤシャ(夜叉)」として知られています。その人身獣面の姿は、バリ島の「バロン」にも共通性がありそうです。


三宮(さんのみや)神社

提供者:RFOXさん
05.01.11
RFOXさんのコメント:神戸にはお宮巡りというのがあり、生田神社、一宮〜八宮をお参りすると御利益が強まると言われています。この一宮〜八宮は生田神社の末社とされています。この一宮〜八宮の一つがここ「三宮神社」。そして神戸の主要地域「三宮町」の由来でもあります。ここの狛犬、外には一基しかありませんが、獅子舞の獅子に似てますね。
材質:石 
奉納日:風化のため読み取れないが、恐らく昭和33年あたり。
奉納者:風化のため読み取れない。
(兵庫県神戸市中央区三宮町2-4-4)
狛太郎のひとこと:日本神話には、高天原に攻め登った素盞鳴尊(すさのをのみこと)と、それを待ち受けた天照大神との対決が描かれています。有名な「誓約(うけひ)」というシーンです。この闘争はいわば呪術比べのようなもので、男女神のいずれを生成しうるか、によって勝敗を決しようというものでした。互いに秘術を尽くした結果、5男神3女神が誕生します。生田神社(天照大神)と八宮(御子神)という関係は、この顛末をモチーフとしているのです。うち当社の祭神は湍津姫(たぎつひめ)といい、一緒に生まれた宗像三女神のうちの一人です。さて狛犬はア像しかありません。それはあの震災で破損してしまったからなのです。当時の記録写真を探していたら、鳥居の破片などとともに、転倒したウン像の姿がありました。技術の粋を尽くした狛犬なのに、残念の極みです。特に後頭部から肩〜背に流れる柔らかい毛筋や、絢爛な尾の意匠はうっとりするほどの美しさです。こうしてア像だけでも復旧なって、昔日の威容を取り戻したのは幸いでした。それとともに、あの悲劇と感動的な復興の全てを見てきた証人として、永く健在でいて欲しいと願わずにはいられません。


石槌(いしづち)神社

提供者:TAKOさん
05.02.26
TAKOさんのコメント:春は狛犬。寒さは我慢して伊予市の空白域を探索してきました。内子町満穂の瓦製と読めるのですが。満穂は相当な山奥で6社中3社が未訪問で残っています。当社とのつながりはわかりません。巻き毛が大変多いです。
多分狛犬と思うのですが 又は他の神の使いでしょうか? 
早く本当の春になってほしいですね。
(愛媛県伊予市上三谷) 
狛太郎のひとこと:祭神の石土毘古(いわつちひこ・いしづちひこ)命は家宅の守り神で、家屋の土台とする石や、壁の材料である土を象徴した神名とされます。西日本の最高峰石槌山(1982m・愛媛県西条市)を神体山とする信仰で、各地に分布しています。日本神話には石・土・泥・家屋など生活に密着した神々が多く登場し、それらの名をつなぎ合わせると、ひとつの農耕型村落の成り立ちが彷彿されるほどです。
さて狛犬は内子町で造られた瓦製とのことです。内子町は伊予市南部の山中に位置する盆地で、予讃線が走る狭隘な沢伝いに両地域の交流が確保されてきたのでしょう。それにしても、この狛犬の姿は非常に独特です。ギョロリとした目にはヒトミが彫られ、笑っているような口元とともに、愛嬌のある人相(犬相?)に仕上がっています。また全身に豪華な巻き毛や牡丹花が施され、石造ではあり得ない自由な造形が目を引きます。いよいよ3月を迎えるに当たり、春本番も目前です。これからも珍しい狛犬をご紹介下さるようお願いします。


黒船(くろふね)神社

提供者:狛只さん
05.02.27 狛只のコメント:蔵前散策をしようと地図を眺めていたら、「黒船」という、狛犬病の症状がみるみる進行するような名称の神社を見つけました。黒船神社について事前におさらいをしようにも、ネット上にはほとんど情報がありません。地図では小さな社と想像されましたが、あの円丈師匠が注目しているようでもあります。
両国から厩橋を渡って蔵前に入り、路地を少しウロウロした挙げ句、「黒船神社」に辿り着きました。
 想像したとおり狭い境内で、おまけに社殿増築(?)の工事中です。しかし、1対だけの狛犬さんは実に見事なものでした。台座には、「奉献年:嘉永7年9月、石工:飯嶋吉六」と刻まれていました。工事中ということもあり、あまり細かく調べられなかったのですが、神社の由来記などは見当たりませんでした。
 帰宅後調べたことですが、嘉永6(1853)年6月3日、ペリー提督率いる4隻の「黒船」が浦賀沖に到着しています。このことと「黒船神社」とは何か関係があるのでしょうか。狛太郎師匠、よろしくお願いいたします。
なお、円丈師匠は石工・飯嶋吉六のこともご存じのようでした。
(東京都台東区寿4丁目)
狛太郎のひとこと:「浅草蔵前黒船町」は、江戸初期にはすでに存在した古い町のようです。黒船のいわれは、「オランダの黒船」説や家康が建造した「唐船」説などがありますが、要するに不詳です。いずれにしても幕末の黒船とは無関係でした。
因みに、江東区深川に残る黒船橋や黒船稲荷の名は、享保17(1372)年蔵前が大火で焼けた際に、深川黒江町に代地が与えられたため、蔵前黒船町から多くの人が移住したことによる由です。さて円丈師匠もお気に入りというこの狛犬は、なるほど立派な風貌です。人の良さそうな印象の江戸型にあって、このアウンの悠揚迫らぬ大人の風格は出色です。さらに、思慮深そうな眼差しは内面の英知の発露であり、工芸を超えた精神性が窺える逸品と言えます。櫛目の通った毛並みも美麗です。


祇園宮(ぎおんぐう)

提供者:みずさん
05.04.23
みずさんのコメント:久しぶりに投稿します。境内でゲートボールをされていた老人にお宮の名前を聞いたのですが、「お宮さん」とか「祇園さん」とかで、正式な名前はわかりませんでした。場所の目印ですが敷地?内に駐在所があります。
装飾にもワンコが使われていて面白いな〜と思いました。また、赤と青のワンコはお宮に入る門?の左右に飾ってありました。(福岡県山門郡山川町尾野)
狛太郎のひとこと:新井白石以来、多くの学者が山門(やまと)郡を邪馬台国の候補地に挙げています。邪馬台国については、主に九州説と畿内説が論争を続けてきましたが、何しろ3世紀という古さに加え、日本側の史書に記述がないこともあって、その所在地は今も謎のままです。日本古代史の永遠の課題であるかも知れません。
さて当社の名ですが、宗教法人名は「天満神社」でした。しかし地元では「祇園さん」と呼ばれています。また、鳥居が境内に2基あることも分かりました。これにより、当社は二つの神社が合併したものであることが判明しました。
狛犬は均斉の取れた中肉中背で、アウンともに歯並びの良さが目を引きます。
熊本で見かける狛犬に印象が似ていますが、台座の写真にある「蟹町」は柳川市蟹町と思われますから、筑後産ということになります。そのほかのものは、右上は神門内の木製彩色狛犬、左下は恐らく屋根の装飾で瓦製、右下は虹梁の木鼻です。


堀江(ほりえ)神社

提供者:みずさん
05.04.30 みずさんのコメント:おそばを食べた帰りに見つけたワンコです。初めて神社の名前がわかりました。(笑)「堀江神社」です。
神社自体はかなり古そうなのにワンコはきれいだな〜と思ったら平成7年に改修しているようです。場所は八女市の大島西の交差点のすぐ近くです。正確な住所がわからなくてすいません。
(福岡県八女市本村)
狛太郎のひとこと:蕎麦の写真も実に美味そうでした(笑)。さて八女と言えば八女茶ですが、それはさておき、もう一つ有名なものとして岩戸山古墳があります。6世紀前半に九州北部一帯を支配していた筑紫君磐井(ちくしのきみ・いわい)の墳墓で、九州最大級の前方後円墳です。出土した石人・石馬は、埴輪が一般的な時代としては珍しいもので、装飾古墳などと共に独自の文化圏の存在を裏付けるものです。
当社は当初、筑紫広門が築いた福島城(八女公園)にありましたが、寛文2(1662)年当地に遷座しました。一国一城令による福島城の廃絶に伴うものと思われます。
城には三重の堀があったといいますから、「堀江」の名と関係がありそうです。
狛犬は非常に個性的です。顔が大きく表情も豊かで、豪快な印象を受ける一方、全身に細かいノミ跡をつけて体毛を表現するなど、繊細な部分も見られます。
目は象嵌でしょうか。ヒトミがくっきりしているので、思わず目が合いそうです。


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