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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


貴布祢(きふね)神社

提供者:TAKOさん
05.05.26 TAKOさんのコメント:見た瞬間に、2例目の逆立ち狛犬か?と思ったら、左後ろ足をつけていました。子犬の後ろ足と前足のつめがわずかに残って、(子犬の)本体は無くなっています。
(狛犬本体は)砂岩で台座と全く違い、年月日、世話人、石工などはのっぺらぼうです。
何処かで見たような気がしますが、確定できません。
(愛媛県伊予郡松前町北黒田)
狛太郎のひとこと:愛媛県にはこのタイプがかなり普及しているようです(大山祇神社河内神社宇佐八幡神社荒神社)。出雲式を参考にしたとも考えられますが、顔立ちや尾の形は全く違います。つまり、姿勢以外はあまり似ていません。
やはり当地で独自に発達した造形なのでしょうか。それらの中でも、この個体は最も技巧的と見受けられます。特に、多くの房で形成された尾の美しさには瞠目させられます。また後ろ足をひょいと上げた姿勢は他に例がなく、その動きの面白さも特筆すべき点です。本来は子獅子がいたのだとすると、更に見応えのあるデザインだったと思われるのであり、砂岩の宿命とは言え残念です。


若宮八幡宮/天満宮

提供者:みずさん
05.06.02
みずさんのコメント:入り口の鳥居には「若宮八幡宮」とあり、奥の鳥居には「天満宮」とあります。2対のワンコを見るのは初めてです。奥(左)の一対は平成6年に奉納?されているようです。手前(右)のほうが古いようで、彫ってある文字もよく読むことができませんでした。また石工についても確認することができませんでした。
(福岡県久留米市荒木今)
狛太郎のひとこと:久留米の西端に近い田園地帯に鎮座しています。八幡宮は応神天皇、天満宮は菅原道真を祀り、ともに数の多いことで知られる神社です。
当社はその二つの神社が合併したもので、二基の鳥居の社名が異なるのはそのためです。また狛犬のタイプも全く異なり、それぞれの神社から持ち寄った可能性が高いと思われます。どちらが古いかは一概に言い切れません。奥(左)の狛犬の「平成6年」銘は、恐らく「台座」の再建日であり、狛犬本体はもっと古そうだからです。
手前(右)は典型的筑後型で、鳥栖周辺まで広く分布している一大種族です。


姫坂(ひめさか)神社

提供者:TAKOさん
05.06.13 TAKOさんのコメント:姫坂神社の狛犬の顔がアニメ風で、一抱え近くありデッカイです。
文政13(1830)年、170年前の人々は見てびっくりしたでしょう。威厳より可愛い感じがします。

(愛媛県今治市日吉甲)
狛太郎のひとこと:姫島神社は延喜式所載の古社で、名神大社に列した格式ある神社です。平安時代当時、今治が重要な地位を占めていたことを意味しますが、それは水運や水軍の優越性によるものだったのではないでしょうか。祭神が海神である宗像三女神の一人、市杵島姫であることも、それを裏付けているように思います。
狛犬は愛媛に普及している出雲風の体勢(貴布祢神社参照)を取りつつ、尾道型(阿智神社)の面影も併せ持つものです。非常に大きくゆったりした作風と、それに見合った顔の表情が印象的です。これほどの狛犬を奉納できたことは、当時の氏子の強い経済的基盤を想像させるものです。それにしても背景の青空の素晴らしさは極めつけです。


下庄(しものしょう)八幡宮

提供者:みずさん
05.06.26
みずさんのコメント:瀬高町下庄で見つけたワンコです。瀬高ではかなり大きな神社で神社由緒の看板もありました。2対のワンコがいましたが、ここもどこかの神社と合体したのでしょうか?解説楽しみにしています。
(福岡県山門郡瀬高町下庄)
狛太郎のひとこと:山門郡は古くから開け、地の利や農業生産力に優れていました。当地を支配した筑紫君磐井が朝廷に対抗するほどの勢力を持ち得たのも、そのためだったでしょう。由緒によれば、大治6(1131)年瀬高庄が上と下に分かれた時、下庄に当たる当地に八幡宮が勧請されました。境内に多くの末社があるのは、当社が歴史上、地域で中心的な立場であったことを物語ります。
(左)正面入口の狛犬で、大宝神社の国宝狛犬(木造)の写しです。本家は引き締まった体つきですが、石造では筋肉隆々に造られています。護国神社などちょっと改まった感じの神社で、よく見かけるタイプです。警固神社(福岡市)参照。
(右)これは末社の狛犬のようです。筑後タイプとは趣を異にし、独特の作風が目を引きます。若宮八幡宮と共通性が感じられますので、当地にはこの一派(と言えるかどうかまだ不明)が活躍した時期のあったことを想像させます。天保6(1835)年作。


金比羅寺(こんぴらじ)

提供者:TAKOさん
05.08.13 TAKOさんのコメント:今回の狛犬は寺に鎮座しています。寺の狛犬は、見つかると渋い感じのが多いですが、3〜4%と確立が非常に悪いので積極的には探索していません。
神社の狛犬は500を越しましたが、寺はまだ3+1。1は田舎です。前置きはこのくらいで終りにします。文化7(1810)年作?石工不明。松山では見ないタイプの狛犬ですが、日尾八幡神社の狛犬に似ているような気がします。時代が違いすぎますが・・・。あごひげのバランスなどコピーしたかのようです。
(愛媛県東温市川内町上音田)
狛太郎のひとこと:高縄山地と石鎚山脈に挟まれた隘路は、東へ抜ければ燧灘に面した西条方面に達し、西は松山平野へと降りおります。中山越えとも呼ばれるこの道は、道前道後を結ぶ要路であり、今でこそ国道11号線と松山自動車道が走り抜けていますが、往時は急峻な坂道に加え、冬場は積雪にも阻まれる難所であったようです。金比羅寺はこの道中の桜三里から、やや南に分け入った場所にあります。
平安時代に建立された古刹で、元は別の名だったのを、江戸時代に金比羅権現の降臨があったので現寺号に改めた、とあり、神仏習合色の強い寺です。ここに狛犬があるのも、そうした寺の性格によるのではないかと思われます。ご指摘のように、どっしりした太い前肢、吊り上がった目など、日尾八幡神社(松山)のものと印象が良く似ています。松山とここは地理的にも近く、同系統のものかも知れません。


板橋(いたばし)不動院

提供者:狛只さん
05.08.20
狛只のコメント:茨城県南西部の伊奈町に1200年前の大同年間に開基されたと伝えられる板橋不動院があります。県文化財に指定されている豪壮華麗な本堂・三重塔・楼門が素晴らしく、時々訪れている所です。その境内に、場違いな感じの狛犬が置かれていることに何回目かの訪問時に気が付きました。どうしてここに置いてあるのか、「明治三年」と読める年銘以外、由来はまったくわかりません。(ちなみに、南隣に春日神社があり、平成元年銘の岡崎型狛犬が置かれています)
不動院境内の狛犬は、ご覧のとおり、かなり風化が進んでいますが、なかなかの造形美が感じられます。そして、注目すべきは尻尾の形で、両方とも尾をきれいに巻いているのです。個人的に「まきお夫妻」と呼ぶことにしました。「狛犬天国」の「生態と観察」を拝見して比較検討した結果、強いて言えば「ユニークな尾」に分類されるのではないかと思いました。師匠のご見解をよろしくお願いいたします。
(茨城県つくばみらい市伊奈町板橋)
狛太郎のひとこと:筑波山は関東平野に突き出した孤峰で、風土記や万葉集にもその名の見える、古くからの霊山です。周辺の不動峠や不動滝の地名などから、不動明王を祀る修験の聖地であったとも考えられています(「日本の古代語を探る」)。
その筑波山を北方遙かに仰望するこの伊奈の地にも、同じ不動信仰が波及していたのでしょう。お寺の狛犬は今でこそ珍しい存在ですが、神仏習合時代の神社的側面によって狛犬が奉納され、その後神仏分離の際に、そのまま取り残されたのではないでしょうか。上記TAKOさんの金比羅寺も同様の経緯かと思われます。
ところで、筑波と言えばご存じ四六のガマですが、ア像の後ろに可愛い蛙の置物が写っているのが、いかにも「お約束」という風情でご愛敬です。
 狛犬はかなり変わった造形です。全体に細身で、厳めしさはありません。それどころか、ウンの仕草と眼差しは子をいつくしむ慈母の趣でさえあります。細長い尾の形から狼ではないかとも思いましたが、耳の形がニホンオオカミとは異なります。
オオカミについてはJaianさんの「三峯神社」をご参照下さい。
 さて狛只さんがこれを「夫妻」と見られた通り、子を授かったばかりの、若いけれども堅実な家庭を築き始めた夫婦のような情緒です。威勢の良いばかりが狛犬の本懐ではない、と主張しているようでもあり、内面性が垣間見える良い作品であります。


潮早(しおはや)神社

提供者:TAKOさん
05.09.08 TAKOさんのコメント:暑い盆です。9月にはもっと熱くなるでしょう。今回は4連休で気合が入りました。今治市波止浜町近辺、20社を探索の結果です。
潮早神社の狛犬は、変化に何を求めたか、奉納者や石工の方々に聞きたいですね。
変ではないのに若干の違和感が個人的に残るのは、まだデータが少ないせいでしょうか。
(愛媛県今治市波方町波方甲) 
狛太郎のひとこと:(この投稿は8月中旬に頂いていました。遅くなりました。)
旧越智郡波方町(現今治市波方町)は愛媛県陸部の東端に当たり、三方を瀬戸内海に面した海の町です。当社は弘安7(1284)年創建の古社で、来島水軍とゆかりを持っています。社名の「潮早」も来島瀬戸の潮流を表現したものかも知れません。
狛犬はTAKOさんが仰る通り、非常に変化に富んでいます。瀬戸内海沿岸地方に広く分布する尾道型(巨大玉取り)をベースとしながらも、思い切り装飾化を図った尾の意匠といい、頭を低く構える出雲風の姿勢といい、更に、後肢で玉を取るアの構図といい、様々な新機軸が加えられています。台座銘は「嘉永5(1852)年」であり、幕末も間近な時期の、奔放な気風を伝えるものと考えることもできそうに思います。


白玉(しらたま)神社

提供者:TAKOさん
05.09.13
TAKOさんのコメント:白玉神社の百度の上にいた狛犬ですが、狛犬としてカウントするか迷っています。普通、龍が定番と思いますが、参道に鎮座する狛犬に負けない気合の入った作りで感動しました。明日顔と腕の日焼けが引けば又出勤です。
(愛媛県今治市波方町波方) 
狛太郎のひとこと:弘仁元(810)年、加賀国白山神社より勧請の古社で、当初は白山権現と称しました。祭神はイザナギ・イザナミのペアと、菊理姫(ククリヒメ)です。
菊理姫はイザナギが黄泉の国から脱出する時、その出口で出迎えたという以外には、何の事績も伝わっていない「埋没神」なのです。それなのに広い信仰圏を持ち、全国3千に及ぶ白山神社で祀られているというのも、謎めいた点ではあります。
狛犬は単独で百度石の柱頭を飾っています。尾道型と見受けられますが、出雲式の姿勢を取っています。伸ばした後肢のうち、右足をひょいと上げる独特の体勢は何を意味しているのでしょうか。参拝者から見ると裏側に当たる位置なので、ここに玉を取っていたとも思えません。神も謎なら狛犬も謎ということでしょうか。


東郷(とうごう)神社

提供者:みずさん
05.09.17
みずさんのコメント:先日台風の中、東京に出張に行ってきました。住所は東京都渋谷区神宮前で原宿駅から竹下通りを抜けてすぐのところで見つけたワンコです。
参道が工事のため二対のうち一対のワンコは綺麗に撮れませんでした。残念です。
(東京都渋谷区神宮前1-5-3)
狛太郎のひとこと:ちょうど100年前の明治38(1905)年、日本の連合艦隊は対馬沖でロシアのバルチック艦隊を迎え撃ち、完全勝利を収めます。日露戦争の帰趨を決定づけた一戦でした。出撃に当たっての第一報、「本日天気晴朗なれども波高し」の句はよく知られています。この艦隊の司令長官が海軍大将東郷平八郎でした。
(左)古い木像狛犬の写しです。耳の形、角の有無などアウンが造り分けられているのも、古例に従ったものです。また「逆R字」の尾は木造やブロンズに多い形です。
(右)超合金ロボットを思わせる狛犬です。直線基調の造形で、軍神を祀るに相応しい力強さと硬質感を強調しています。変わり種ではありますが、画一化が進む現代狛犬界にあって、こうした個性化の試みは歓迎すべきものと言えるでしょう。


三嶋(みしま)神社

提供者:TAKOさん
05.10.07 TAKOさんのコメント:今治の行脚も6回になりました。石工福田??文政八年(1825)でしょうか。何故か、古いのに状態が良いです。
年代の読みに間違いがあるかもしれません。また、石工福田??も今治では初めてです。狛犬は全体的に丸みをベースに、可愛く仕上げられています。またウンの耳は、獅子の耳というよりは、犬に近いみたいです。
蚊はまだいますが、11月まで狛犬の稼ぎ時の季節となりました。しかし全国に何社神社があるのでしょうか。個人的には1%を目標に狛犬との生活を楽しみたいと思っています。
(愛媛県今治市上徳高森)
狛太郎のひとこと:愛媛県下には100を超す三島神社があるといわれますが、これらは古代豪族の越智氏が大三島に勧請奉斎した大山祇神社(三島大明神)の分社です。一方伊豆には三島大社があり、関東一円にその分社が広がっています。この両者の関係は種々取り沙汰されているにも拘わらず、未だ明らかではありません。
狛犬は一見して浪速狛犬の系統をなすものです。ころころした丸みのある体つき、タドンのような丸い目、愛嬌のある口元などがその特徴です。石工名が今治では初出だとすれば、あるいは大阪方面から持ち込まれた可能性もあります。しかしウンの耳が立っているのをはじめ、全体の印象が典型例とは少し違っているようにも見えるので、浪速狛犬を参考にして造られた地元産かも知れません。いずれにしても、四国にこのタイプがあったとは、拙サイト中では新発見であり、エキサイティングです。
なお、年銘は文政8(1825)年乙酉で間違いありません。干支は便利ですね。


多伎(たき)神社

提供者:TAKOさん
05.11.01 TAKOさんのコメント:旧越智郡朝倉村古谷、いやぁ遠かったです。しかしいい神社です。
片方の尾は欠損して、接着痕が見られ、想像することしばしです。この想像(ロマン)が何ともいい時間です。顔はゴリラ顔というのでしょうか?でもかわいいですね。
暫らく撮影を忘れて、ぼ〜っとしていました。台座が自然石の為か、石工名を見つけられませんでした。残念です。浮世から離れ、一日ここで何も考えないで過ごしたい、そんな気になりました。贅沢でしょうか?では又。
(愛媛県今治市朝倉古谷)
 
狛太郎のひとこと:当地は高縄半島の東海岸から、高縄山地へ少し分け入った感じの所にあります。近くに「山口」という地名もあり、まさに山の入口たる場所です。
古代にはもっと海が迫っていたらしいので、ちょうどこの辺りが人の集住に適した土地だったのではないでしょうか。実際に、近隣に多数の古墳があるといい、当社の境内地にも30数基の古墳があります。当社は貞観2(860)年に神階を授けられ、延喜の制(903)では大社に列したほどの古社で、その起源は相当古そうです。ここに古墳が築かれた頃(6〜7世紀)に遡るとしても、不思議ではないような気がします。
狛犬は寛政12(1800)年の作品です。独特の顔立ちは、主に目の表現に由来するようです。アーモンド状の輪郭と深い眼窩に力強さがあります。ところでこの狛犬はアウンが逆置きです。しかし不自然さはなく、このように造られたものなのでしょう。


織幡宮(おりはたぐう)

提供者:てん子さん
05.11.04
てん子さんのコメント:初めての投稿です!
最近近所にポタリングに行く事が多く、私の住んでる町一帯をぶらぶら自転車で流してると、神社とよく遭遇するんです。7月に鐘崎へポタリングへ行った時、神社が見えたので、自転車を降りて階段を登ってみた所、なんとも古そうな狛犬が居りました。
ここは織幡宮といいまして、鐘の話で有名な所なんです。いろんな角度で写真に撮りましたが、風化して原型をとどめてません。
年号も。でも神社が結構古いみたいなので、これは!?と思った次第です。ヨロシクお願い致します。
*ポタリング 目的を定めず(特に自転車で)気ままに散歩すること
*鐘の話 この岬に沈んでいるという舶来の鐘。引き揚げてみたら巨石であった。
(福岡県宗像市鐘崎字岬)
狛太郎のひとこと:初投稿有難うございます。当社は元慶元(877)年に神階昇叙、延喜式では名神大社に列したという古社で、宗像大社の北方、玄界灘に突き出した鐘の岬に鎮座します。海の恵みを受けて早くから開けていたことは想像に難くなく、履中天皇(5世紀)の時代に創建という伝承も、あながち付会とも言えない気がします。
狛犬は元の姿が分かりにくいほど風化していますが、筑後型の初期型(高良大社)に似ているようにも見えます。ただ尾の形が異なり、地理的にも同系の可能性は低いかもしれません。年銘部分が剥落していますが、無理に読めば干支が「庚辰」と読めるようです。あり得る年号としては、元禄13(1700)年から明治13(1880)年までの4回ですが、年数が一桁であるように見えることと、かろうじて残る筆跡の最後が右ハネでありそうなことから、「文政3(1820)年庚辰」ではないかと想像しています。
年銘に欠落があっても、干支との組み合わせで何とかなることもありますから、あきらめないで記録しましょう。初回にしては渋い物件を見付けましたね^^


蔵数(くらかず)天満宮

提供者:みずさん
05.11.19
みずさんのコメント:わんこしぇんしぇい どうもです
筑後市か八女市か良くわからないのですが、「蔵数」というところで見つけたワンコです。境内はとても広く、今でこそ寂しいですが、昔は子供の遊び場として賑わっていたのではないでしょうか。此処も2対のワンコが居まして、意外と多いんだな〜と思いました。神社の名前を探したのですがわかりませんでした。
(福岡県筑後市蔵数)
狛太郎のひとこと:蔵数という地名は、広川荘の穀倉を示す蔵員(くらかず)から出ているようです。その名が彷彿させるのは、古くは筑紫君が治めた広大で豊かな田園地帯です。農業生産力と交易の富を背景に強力な地方政権を築きましたが、朝鮮半島の権益をめぐって大和政権と衝突し、やがて朝廷の遠征軍に制圧されました。
527年のことです。八女の岩戸山古墳はその頭領、磐井の墓と言われます。
(左)独特のギョロ目とウンの歯を食いしばった表情などから、筑後型の初期型と推察します。わずかにクローズドスタンスに構える足位置は、現在の筑後型にも継承されています。初期のものは現在と違って、随分細身です(参考:高良大社)。
(右)歯をむき出し、小さな玉を噛んでいます。材質は御影石のようであり、人相や全体の像容から、北九州型ではないかと思います(参考:菅原神社など)。
同じ筑後地区では、水天宮に類似のものがあります。


松山(まつやま)神社

提供者:みずさん
05.12.03 みずさんのコメント:
わんこしぇんしぇい、どうもです。
鹿島市内から444号線をのぼって、平谷に行く途中で見つけたワンコです。
神社名と住所は写真に撮りましたが、住所がよく読めませんでした。
(佐賀県鹿島市三河内大木場松山)

狛太郎のひとこと:大同元(806)年創建という古社で、紀州熊野神社の分霊を勧請しました。鹿島市は多良火山を水源とする数本の河川が、有明海に注ぎ込んで形成した扇状地であり、肥前風土記に景行天皇の土蜘蛛征伐の記事があるように、生産力を背景とした一大勢力が、古くから定住していたようです。その中心の「能美郷(のみごう)」が、位置は多少異なるものの、現在の「能古見(のごみ)」という地名に変化したと考えられています。当社はその能古見地区に鎮座しています。
狛犬は伝統的な塩田様式です。長い毛足が丁寧に刻出され、厚みのある豊かな尾にも、規則正しい毛筋が刻まれています。台座銘の「永石」は塩田石工の代表的姓ですが、「友三」は初見でした。明治27(1894)年の作品です。


藤縄(ふじなわ)之森三島神社

提供者:TAKOさん
05.12.10
TAKOさんのコメント:氏子の方と歓談でき、由緒を頂きました。北北西5kmには、兄さんになる双海町三島神社が有ります。
(左)入り口の狛犬は皇紀2600年(昭和15年)、
(右)拝殿前の狛犬は1821年。尾が綺麗な扇状になっています。
共に石工名無し。心がホッとした神社です。
天平勝宝六(754)甲午年の棟札が確認されており、(兄である)双海神社の神亀元(724)年も何となく現実味を感じます。それにしてもこんな山奥にと思っていると、氏子の方と話の中に「俺の親父は昔、神社前の街道を歩いて松山の方へ」との話があり、今は山奥ですが、昔は街道沿いの神社であったことが判りました。
昔の地図も勉強しないと。どんどん広がる狛犬です。
(愛媛県伊予市中山町中山永木)
狛太郎のひとこと:今年4月、中山町と双海町は伊予市と合併して、新・伊予市になりました。双海町の三島神社と当社は近隣だし、創建年代も近いので、兄弟という伝承があるとすれば、それなりの類縁関係があるのかも知れません。
内子町から中山町を経て、くねくねと山間を縫う旧道が、R56とつかず離れずしながら、松山市へと向かっています。「歩いて松山」は、この街道を辿ったものでしょう。
見たところ30`弱の道のりですから、山道とは言え、昔の人にとっては、その気になれば日常的な行路だったのではないでしょうか。
(左)はお馴染みの尾道型で、約束通りの大玉取です。昭和生まれながら、ちょっと古色が付いており、玉が真球でないところなども、手作り感があって好ましいです。
(右)は文政年間の作品です。素材が比較的柔らかそうに見え、その分、彫刻は精密です。毛筋が規則的で渦も乱れがありません。どういう系統かよく分かりませんが、腕の確かさが感じられます。またウンには一角があり、伝統を保っています。


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