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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


錦山(にしきやま)天満宮

提供者:狛只さん
05.12.12 狛只のコメント:錦山天満宮は、私の生まれ故郷・野幌(のっぽろ)の鎮守です。九州や山陰・山陽の各県から、この地に入植した屯田兵の心の拠り所として、明治22年に祀られたそうです。
社殿の前の阿吽の一対は、ご覧のとおり立派な「棒状尾」を持ち、太い四肢を踏ん張って、辺りを睥睨していました。道産狛犬の特徴なのか、胴部の渦巻き模様がはっきりと認められます。
年銘は「昭和14年」とありました。
この神社の裏に、私が小学二年生まで在学していた江別第二小があります。当時のままの煉瓦造りの校舎が残っていたのには感激しました。こんな立派な狛犬がいたなんて全く記憶がないのは、まだ「狛犬病」にかかっていなかったということでしょう。
狛犬の方は腕白坊主の50年後の姿に感慨深いものがあったに違いありません。
(北海道江別市野幌代々木町)
狛太郎のひとこと:北海道と佐賀は深い関係があります。最後の佐賀藩主鍋島直正は初代開拓使長官でしたし、藩士島義勇は道都札幌の建設に尽力しました。
円山公園には島の銅像もあります。また佐賀出身の屯田兵も非常に多かったのです。彼らは琴似、野幌、室蘭などに入植し、平素は農業に従事するとともに、有事の際は軍隊としての任にも当たりました。狛只さんの母校江別第二小学校の近くに、屯田兵中隊本部があったそうですから、佐賀兵の「寒かのぅ」「また雪ばい」などと言い交わす姿が見られたことでしょう。中隊本部はこの錦山天満宮とも近く、故郷に縁の深い祭神を戴いて、彼らの艱難が少しは和らいだことを期待せずにはいられません。
狛犬は容貌魁偉で、威風辺りを払っています。狛只さん着目のとおり、尾の立派さがまず目に付きます。頑丈そうな前肢と共に、質実さが前面に出た造形です。
しかしカールした髪の束や、尾の一部と見られる毛筋も気持ちよく伸びて、装飾性をなおざりにはしていません。50年ぶりの再会を、狛犬も喜んだことでしょう。


諏訪(すわ)神社

提供者:狛只さん
05.12.19 狛只のコメント:こちらの諏訪神社は、明治11(1878)年に入植した信濃の人々が、故郷の諏訪神社の御分霊を勧請して同15(1882)年に祀られたそうです。創成川通りと旧石狩街道とが合流する辺りに鎮座しておられます。こちらの阿吽も立派な「棒状尾」と、胴部の渦巻き模様が特徴的です。強面と少し胴長なところと、阿吽が左右逆である点で、なかなか人気があるようです。年銘は「明治39(1906)年」とあり、日露戦勝記念のようでした。石狩街道は私の母親(96歳健在)の小学校・女学校の通学路となっていましたので、おそらくお互い顔見知りだったことでしょう。
(北海道札幌市東区北12条東1丁目)

狛太郎のひとこと:札幌市の中心部を、町を東西に分かつように創成川が流れ、その流れに沿ってR5が北へ延びています。旧石狩街道はそのやや東側を並行する道で、両道の分岐点が、ちょうど北12条の当社鎮座地あたりになるのです。
これが80年ほど前の、狛只さんの母上の通学路というわけです。その母上は現在もお元気でご活躍中だそうですから、誠にご同慶の至りです。
さてこの狛犬は、来年は100歳を迎えるわけで、母上より少し年上ということになります。信濃兵の入植から28年、氏神に立派な狛犬を奉納できた村人の歓喜は、想像に難くありません。いかにもどっしりと骨太なフォルムは、対露戦勝による世相の高揚もさることながら、開拓にかけた村人の万感の思いを反映しているように感じられてなりません。左右逆置きが信濃流かどうかは寡聞にして存じませんが、独特の面相といい、片足を少し引いたスタンスといい、様々な工夫が凝らされています。また盤に石切のノミ跡を残したのも、力強さの演出なのでしょう。


清水(きよみず)天満宮

提供者:テンカラさん 
05.12.31
テンカラさんのコメント:植木町立山本小学校の校歌にも、「清水の池の湧くほとり・・」と言う歌詞で歌われています。今でもその湧水で、洗濯や収穫したものを洗う姿をよくみかけ、大事にされている事がわかります。
(上左)入口の灯篭の上の小さな犬は、相当古いのではないでしょうか?
こんな形の犬は見たことありませんでした。対の右側の犬は新しいものでしたので、片方しか残っていないものと思われます。萬延二年(1861)酉年とありました。石工は當村宮木甚兵衛とあります。
(上右)大きい方は、南筑石工・幸生とあります。
(下)社殿にちかい新しい犬は左側だけで、石工・用木・櫻井正夫とあります。
昭和14年徴兵適齢者とあります。
(熊本県鹿本郡植木町清水)
狛太郎のひとこと:テンカラさん、初投稿有難うございます。植木町といえば、西南の役の激戦地、田原坂が思い浮かぶとともに、「馬上ゆたかな美少年」と歌い上げる、民謡「田原坂」の朗々たる響きが脳裏をよぎります。
当社の側の湧水池に架かるめがね橋は、嘉永3(1850)年、八代石工の作品です。熊本は石橋の多さで知られ、肥後石工の技術の高さの証となっています。
(上左)灯籠の笠石上の狛犬です。寝そべるような姿勢が珍しく、これまで見たことがありません。対になる方は新しそうなので、当初の対偶は失われたのでしょう。なお、萬延2年は2月に改元され、文久元年になっています。
(上右)堂々とした蹲踞型です。髪は直毛の束となって伸びやかに流れ、側頭部で幾つかの経巻渦を形成します。尾は幅広の棒状で、縁辺に大きめの経巻渦をあしらっています。南筑(福岡県南部)石工の作品ですが、歯並びの良さ、前肢の短さなど、熊本で多く見られるモデルに共通した特徴を有しているように思います。
(下)これも灯籠上の狛犬です。大きな菊花状の前立を抱えるように立ちあがっています。灯籠狛犬としては、むしろこうした動きのある造形の方が普通で、上記の寝そべった形は、それだけ異例ということができるのです。


正院(しょういん)厳島神社

提供者:テンカラさん
06.01.01

テンカラさんのコメント:隣の部落のお宮さんです。初めて近くから見ましたが、見事な彫刻です。石工は、菊池○村・山内藤平、山内初太郎とあります。
○は判別不能でした。

(熊本県鹿本郡植木町山本字内)
狛太郎のひとこと:当社は宗像三女神と内空閑(うちのこが)氏を祀っています。
同氏は菊池氏の重臣で、ここ山本郡の豪族でした。もとは伊賀国で地頭を勤めた家柄で、明徳三年(1392)基貞の代に肥後に下向して、内空閑を名乗りました。
戦国時代を生き延びたものの、やがて秀吉に敗れて滅亡に至りました。
狛犬は力強い蹲踞です。棒状の尾に、長く延びるワラビ状の枝を伴っており、その毛筋は非常に伸びやか、かつシャープです。目鼻立ちや牙もくっきりと鮮明です。熊本型ですが、筑後型の特徴を併せ持っているように見受けられます。


示現(じげん)神社

提供者:てん子さん
06.01.02
てん子さんのコメント:これはウチのかーちゃんから聞いた情報なんです。
「この辺に古い狛犬どこか居らん??」
「宗像市の方の氏神様で、たしか古いのがあったはずよ」と。
それは行かねばと神社へ足を運びました。住宅街の入り組んだ所に鳥居発見。
あそこだな。階段を登りながら、なんだかワクワクする自分がいる。
どげん狛犬かいなーー。
神社って高台にある事が多いですよね。何か理由はあるのでしょうか?
山に祭られる事が多いから、おのずと鳥居と階段がつきものになってしまうんですかねー。そんな些細な事を考えながら、一段一段階段を登りつめると、こじんまりした拝殿がありました。

狛犬居ましたーっ。やった!

近づいてみるとあれれれれ・・・可愛いかー。
とっても愛着のある狛犬ちゃん。
左(ウン)の方は完全に犬でしょう。!わん!といいそうな忠実な柴犬みたいです。
右(ア)の方はベロだしてはーはー言ってそうですもんね。
ここで気づいたのが、なんだか雰囲気が違う狛犬だなーって事。
痩せと太っちょみないな具合。
そしてじろじろ観察してると、髪形が面白いんですね。
わらび渦になってるのとカールしてるのと♪
雄雄しいのが狛犬ーーっ!としたイメージが強かったので、今回の示現神社の狛犬にはほんっとびっくりしました。狛犬探索がなんだか楽しくなってきましたよ♪
年号は文化2(1805)乙丑だと思われます。
(福岡県宗像市田熊)
狛太郎のひとこと:明治期には当地は、東郷村大字田熊と呼ばれていました。
「昔は村の東北のジゲに鎮座していたが、延宝年中に現在地に遷した」と記されており、江戸前期に田熊に移ってきたようです。「ジゲ」は「地下」と書いたらしく、「示現」の転訛と説明されています。
狛犬はちょっと面白顔に見えますが、実はかなりの正統派です。アウンで体型や髪型が異なるのは、獅子と狛犬を造り分けているのであり、ウンの頭頂の突起は、狛犬が一角獣であったことの名残を留めたものです。こうした特徴は時代が下るにつれて次第に失われ、やがて現在見るような、アウンが同体のものに移行していきます。本来は獅子と狛犬という、異なる動物のペアだったことを示すものとして、貴重なサンプルです。200年前のものとしては保存状態も良好で、今後とも大切にしたい一品です。


長谷(ながたに)三嶋神社

提供者:TAKOさん
06.01.03 TAKOさんのコメント:12月は成績が悪く、一社2個体と今のところ振るいません。
空振りの連発です。(そういうわけで、これは)10月末のデータです。
今年はもう少し回られたような気もしますが、あまり深入りしても・・・。間合いを保って行きたいと思います。来年は狛犬の年です。いいことがありますように。
来る年が平安でありますように。では又来年もよろしくねがいます。
(愛媛県今治市玉川町長谷)

狛太郎のひとこと:TAKOさん、明けましておめでとうございます。旧年中は本当にお世話になりました。今年もよろしくお願いします。冬場はどうしても神社巡りの機会が減ってしまいますね。忙しいのと、何といっても寒いですから(;^_^A
まあ、ぼちぼちやりましょう。さて、この長谷三嶋神社と、同時に送っていただいた下記の高野天満神社の狛犬は、台座銘によると同じ石工(尾道・寄井弥七)の作品です。どちらも、尾道型の狛犬に出雲式の体勢を取らせた所に特徴があります。尾道型の最大の特徴である「大玉取り」のモチーフは、ウンの後肢に「鈴」を踏ませるという形で踏襲されています。そしてその鈴に付けられた組紐を口にくわえる、という芸の細かさも付加されています。明治41年の作品です。


高野(こうや)天満神社

提供者:TAKOさん
06.01.03
TAKOさんのコメント:個人的には、三嶋神社のほうが洗練されているような感じです。見たときあれー?と思い、暫らく足が止まりました。(上記三嶋神社とは)直線で600m位離れています。部落は違いますが、(高野部落でも)大正の始めに評判になったのではないでしょうか。それでうちの神社にも、となったと。
勝手な想像ですが、近いかもしれません。
(愛媛県今治市玉川町高野)
狛太郎のひとこと:同じ石工だけあって、両者はとても良く似ています。
尾道型の特徴の一つに尾の形があります。数本の枝を持つ立派な尾ですが、このままではいかにも脆そうです。そこで、枝の一部を背に接着して強度を保つ、という工夫がなされています(阿智神社参照)。当社の狛犬は大正8年製ですから、長谷三嶋神社の11年後に造られたものです。三嶋神社の狛犬の評判を聞いて、それならうちでも、ということになった・・というTAKOさんの想像は、まさしくありそうな話です。そうやって、類似の狛犬が近隣に広まっていったのでしょう。


若宮(わかみや)八幡宮

提供者:てん子さん
06.01.09
てん子さんのコメント:
北九州からの帰り若宮区の道路を通ってると、私の鳥居センサーがピンと反応。なにか匂うっ。すぐに車を降り見てみると、居ました!
(上)そしていきなり文久2(1862)年の文字。あまり古く無いなぁ・・・。キリリとした強面の狛犬だなっ。経巻渦の勢いがすごいっ。じーっと見入ってしまいました。
(下左)バシバシ写真を撮ってると、なんと奥(社殿)にも狛犬の姿がっっ。
この画像・・やっちゃいました!!(失敗)
参道から社殿を見て左側の後ろ姿を撮り忘れてました〜っ。しかも年号も。
年号は読めなかったから撮ってなかったのかなぁ??(-_-;)
ここはもう一度通った時に再調査しますんでっ(すいませ〜ん)
(下右)逆立ちの狛犬が居たんですが、右側は壊れたかどうか知りませんが、台座だけ残ってて居ませんでした。高いところから地べたに置いてある状態で、黄色いロープが張ってありました。ここの神社の紋が他県の「若宮八幡宮」と同じでした。何か関係ありそうですね。
(福岡県宮若市水原)
狛太郎のひとこと:養老2(718)年鎮座の古社で、仁徳天皇などを祀っています。
若宮とは、親神に対する御子神を指すのであり、八幡神(=第15代応神天皇)の若宮といえば、それは第16代仁徳天皇ということになります。仁徳帝は民家のかまどから炊さんの煙が上がっていないのを見て国民の窮状を察し、税を猶予するなど仁政を敷いた聖帝として知られます。また、巨大古墳の主としても有名です。
(上左)なかなか手の込んだ端正な狛犬です。髪とヒゲが豊かで、毛筋もしっかりした線で刻まれています。尾の経巻渦の盛り上がりが著しく、打撃に弱い石像としては、極限まで造形美を追究した作品といえると思います。
(下左)どことなくとぼけた顔立ちで、なぜか印象に残る作品です。また口を閉じた方が右側にあり、通常とはアウンの位置が逆になっています。毛筋などはどちらかと言えば省略的ですが、粗雑ではありません。
(下右)盤が角錐のように見え、あるいは灯籠の笠石かとも思いましたが、そうではなさそうです。同様の逆立ち狛犬は水巻町などにもあり、その発祥地を知りたいところです。(伊豆神社河守神社十六神社


東林寺(とうりんじ)天満宮

提供者:みずさん
06.01.13 みずさんのコメント:明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
福岡県久留米市藤光町東山の近所で見つけたワンコです。
この日は何かの行事があるようで、地元の方が多く、大変賑わっていました。
(福岡県久留米市藤光町)
狛太郎のひとこと:おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
由緒看板によりますと、当社は元禄15(1702)年に開かれた真言律宗の寺院、霊松山東林寺の鎮守社として、宝暦2(1752)年に建立された天満宮です。
神仏混淆の時代には、寺院と神社の同居はむしろ一般的なあり方でした。
その後、明治の神仏分離によって東林寺は廃され、天満宮が存続したのです。
狛犬は幕末の嘉永6(1853)年に建立された、典型的な筑後型です。堂々たる巨躯で、どっしりした存在感が身上です。その割に、片足をちょっと引くスタンスがお茶目ではあります。またウンには立派な角があり、狛犬本来の姿を踏襲しています。この狛犬が奉納された時には、まだ東林寺の伽藍が健在だったわけです。


素鵞(すが)神社

提供者:TAKOさん
06.02.06
TAKOさんのコメント:文政八(1825)酉年、石工八五朗。近くでは見かけない狛犬です。ほとんど犬みたいな感じです。名前はたぶんシロでしょう。(分類を)何処に分けるか迷っています。JR菊間の南東約4.5km。二つの地図では「素鷺(さぎ)」になっていましたが、入り口の石板は「素鵞」なので、「素鵞神社」にしました。天候も申し分なく、快調にまわれましたが、15社で5社11個体でした。
石工の八五朗さんの地域は、風化で読み取れませんでした。自宅の犬をモデルにしたのでしょうか。似た狛犬がいれば、参考にしたいと思います。
(愛媛県今治市菊間町河之内)
狛太郎のひとこと:高縄山系が斎灘に向かって、舌状に延びた山間に鎮座。
「素鵞」の読みはスガ・ソガの両例があり、いずれも「須賀神社」の異称です。
須我、清、酒賀とも表記され、スサノヲノミコトを祀っています。これら一群の神社は全国に分布していますが、島根・高知に特に多いとされます。
狛犬は比較的簡略な細工で彫りが浅く、体の前面や大腿部は扁平に造っています。全体に抑揚の少ない素朴な造りですが、アウンで耳の形を造り分けており、独特の輪郭を持つ目にヒトミを表すなど、地域の伝統、あるいは何らかの製作意図に基づいていることは確かであるように思われます。しかしその結果、このように可愛らしく仕上がってしまうことまでは、意図していなかったのではないでしょうか。


蓮華院(れんげいん)誕生寺

提供者:みずさん
06.02.14 みずさんのコメント:「つかさの湯」に行った帰りに、世界一の大梵鐘で有名な蓮華院誕生寺奥之院で見つけたワンコです。
いつもは拝観料が必要なのだそうですが、この日は無料でした。ワンコは入り口に居ますので無料で見れます。
奉納年、石工名は確認できませんでした。
(熊本県玉名市築地)

狛太郎のひとこと:蓮華院は縁起によれば、治承元(1177)年創建の古刹で、当地出身の高僧皇円上人を本尊として祀る真言律宗のお寺です。皇円という人は知りませんでしたが、歴史書「扶桑略記」の著者で、浄土宗の開祖法然の師匠に当たる方だそうです。現在では、お寺では滅多に狛犬に出会うことがありません。
しかし密教系の寺院には結構いるといい、当寺もその一例と言うことになります。
この狛犬は大宝神社の木造狛犬をモデルとするタイプです。護国神社など、フォーマルな感じの神社でよく見かけます。本家の木造狛犬はスリムで敏捷そうな体つきですが、石造では筋骨逞しく威圧感のある風貌に造られています。


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