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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


八所宮(はっしょぐう)

提供者:てん子さん
06.02.22
てん子さんのコメント:むかーしから行ってる古社なのに、木製の狛犬がいるなんて気づきもしなかったです。一体どんな狛犬なんだろう??拝殿の前に居た狛犬は文政7年(1824年)と刻まれてました。そして奥へ行くと、ありましたーー。あっ、角があるぅ〜〜!!初めてみました。一体何年のモノなんだろう??気になって気になって仕方ありません
(福岡県宗像市吉留)
狛太郎のひとこと:日本のアダムとイブ的存在のイザナギ・イザナミ神をはじめ、国土創造に関わった4組の男女神を祀っています。ナギ・ナミ以外は一般には馴染みのないメンバーで、このサイトでも殆ど見かけない珍しい神々です。4ペアの神が仲良く鎮座している姿を想像すると、微笑ましくもうらやましい光景です。
(上)石造狛犬はよくまとまった像容で、行儀の良さがまず目にとまります。
それほど複雑な加工はしていませんが、尾の形なども手堅く整えています。
製作年当時としては、完成度の高い作品だったと思われます。
(下)木造狛犬の製作年は分かりませんでしたが、「社宝」の一つとされていますので、かなり古いものと思われます。柵囲いであるのも貴重さを感じさせます。
体つきはどちらも似ていますが、ウンには立派な角があり、狛犬が一角獣の子孫であることを主張しています。


霜野(しもの)日吉宮

提供者:テンカラさん
06.02.26
テンカラさんのコメント:散歩の延長で隣町まで歩いた時に見つけました。
綺麗に掃き清められ、大事にされている印象を受けました。
狛犬は頭と体の大きさのバランスがとれた体系で、体の線がなめらかな形をしています。写真におさめ散歩に戻ると少し離れた所に、本体の「日吉神社」がありました。同じ部落内で別々に神社を造りそれぞれ大事にするというのは、珍しいのではないでしょうか?

(熊本県山鹿市鹿央町霜野)
狛太郎のひとこと:鹿央町北谷に康平元(1058)年創建の天台密教の古刹康平寺があり、その鎮守社として祀られた神社です。延暦寺と日吉大社の関係を模したもので、近くの国見山を比叡山に見立てています。江戸期まではこうした神仏習合の姿が、むしろ普通でした。かつては山伏の修験道場として栄えたそうです。
(左)アが独特の姿勢であるのに比べ、ウンのすらりとした肢体が好対照です。
アウンとも毛足が長く、尾の形もよく整えられています。昭和3年「玉名郡石工」の作品です。菊水町の熊野神社にも似た狛犬があり、同系統かと思われます。
(右)単立の狛犬です。前立に牡丹花を配し、前足を掛けて立ち上がっています。この姿勢から、灯籠の狛犬ではないかと思われますが、よく分かりません。
この記事を書くにあたり、HP「霜野山延寿院康平寺」の管理人様に種々ご教示いただきました。有難うございました。


八坂(やさか)神社

提供者:テンカラさん
06.03.24 テンカラさんのコメント:境内に土俵があり、奉納相撲が行われる、地元の人が大事にしている神社です。数年前の台風で屋根の銅板がはがれてしまいましたが、直ぐに新しい銅板に葺き替えられ感心したものです。
狛犬には明治○二年、石工・菊池郡山内○○とありました。
(熊本県鹿本郡植木町色出)

狛太郎のひとこと:地域の神社は財源に乏しく、被災すると復旧できない所も多いのです。すぐに修理されたということは、地域の力がまだ健在な証で何よりです。
八坂神社の祭神は素盞鳴尊(すさのをのみこと)で、疫病退散の神として崇敬されています。医療の水準が低く、衛生思想も乏しかった昔、流行病の猛威になすすべもなかった人々は、この神の霊験が最後の拠り所であったことでしょう。
狛犬は熊本でよく見かける、頭が大きく前肢が短いタイプです。眉が一文字で厳つい感じを受けますが、髪は柔らかく背の両側に流れ、繊細さも併せ持っています。玉名〜菊池にかけて肥後石工の一つの潮流があるらしいことが分かってきましたので、今後もう少し解明できたらと思っています。これからもよろしくお願いします。


天満(てんまん)神社

提供者:TAKOさん
06.03.26
TAKOさんのコメント:今回は松山市に合併(05.1.1)された、中島町(旧温泉郡)に行ってきました。フェリーの時間で本島だけですが、12社と、待ち時間に寺を3ヶ所回れました。愛媛で中島と言えば、みかんとトライアスロンで有名な島です。
どの神社も綺麗に清掃されていて、島の人の信仰心の深さが分かります。
他5島に7社あるのですが、時間的に難しいところです。
「天保14(1843)年。石工・廣村庄介新吉」。年月日がはっきりとしていますが、後から新しく彫りなおしたかもしれません。163年も雨と潮風に曝されたとは思えません。太い足とおじさん顔に引かれました。
(愛媛県松山市中島町宇和間)
狛太郎のひとこと:忽那諸島中、中島は最大の島です。平安時代に藤原氏の一族が来着して、忽那氏を称したとされます。しかし奈良時代にはすでに、骨奈嶋として知られていました。忽那水軍は壇ノ浦合戦、元寇の戦役、南北朝の争乱など、日本史の重要な局面で活躍しましたが、秀吉に敗れ壊滅の運命を辿りました。
狛犬はいわゆる尾道型ですが、典型例とは異なっているようです。体型が骨太でどっしりしており、顔立ちには浪花狛犬の面影もあるように見えます。また尾の形も独特です。石工銘の「廣村」は姓かも知れませんが、地名だとすれば、かつての芸州加茂郡廣村(現広島県呉市広)ではないでしょうか。松山とは瀬戸内海を挟んで対岸にあたり、中島からはさらに近い距離です。廣村に石工産業があったかどうかは不明ですが、尾道型を生産していたとしても不思議ではない地域です。


二荒山(ふたあらやま)神社

提供者:akemiさん 栃木県初
06.04.02
akemiさんのコメント:先日、宇都宮へ行ってきました。息子が本当に卒業できたのか、確かめに・・・。ちゃんと卒業式に出席していたから、たぶん今年は大丈夫だったのでしょう。で、安心して、宇都宮見物をしてきました。
二荒山神社というのが街中にあり、ここには鉄製の狛犬さんが居るというので行ってみました。社務所の中のガラスケースに収まっていましたが、とってもリアルな犬でした。境内の狛犬さんもユーモラスでした。
このあたり、狛犬文化圏が違うんでしょうね。
(栃木県宇都宮市馬場通り)
狛太郎のひとこと:ご子息のご卒業、おめでとうございます。新しい旅立ちにエールを送りたいと思います。このたびは、栃木県初の狛犬を有難うございます。
二荒山神社は延喜の制で名神大社に列せられた古社で、更に下野(しもつけ)国の一の宮でもあります。ところがここにもう一社、日光二荒山神社というものがあって、延喜式がそれと当社のどちらを指しているのか分からない、という問題点があるのです。式内社でかつ一の宮ともあろう神社が、しかも場所も数十`離れているのに、特定できないという摩訶不思議な現実をどう考えればよいのでしょうか。
(左)狛犬もかなり不思議な造形です。江戸型をもとにしたもののようですが、平面と直線が多用され、本家江戸型の滑らかで流麗なデザインとは明らかに一線を画しています。側面に流れる尾がなければ、全くの新作かと思えるような像容です。
(右)この狛犬は、栃木県佐野市に平安時代から伝わる「天明鋳物」で、建治3(1277)年の作品とされます。動的な力強さを旨とする鎌倉様式とは異なり、静的で具象的な作品です。垂れた耳と、やや俯いた姿勢に愛しさがこみ上げてきます。


日吉(ひよし)神社

提供者:TAKOさん
06.04.04
TAKOさんのコメント:春になり、ミニバイクでの走りが楽になりました。
狛犬はきれいに対角線上に彫られ、四角い顔が丸く仕上げられています。
首が少し傾けられていて、可愛らしく感じます。
「天保四(1833)年正月」、石工名なし。
本殿の横に何故か猿がいます。
日吉神社は西条市丹原町の、いよ小松ICの西南西約4kmに在り、神社群の一角を担っています。狛犬はいるのですが、神社の由緒由来を書いたものがほとんどの神社で有りません。また石工名も無く、困ったものです。天気が悪く画像的にいまひとつですが、フラッシュを使うと浮いた感じになるので止めました。
(愛媛県西条市丹原町寺尾)
狛太郎のひとこと:高縄半島の付け根を伊予から小松に向かう山間の隘路は、桜三里街道、小松街道などとも呼称され、現在ではR11と松山自動車道が通っています。丹原町はこの街道沿いに形成された集落です。当社の縁起は不詳ですが、寛政7(1795)年の棟札が残っているので、創建はそれ以前ということになります。
(左)タイプは異なりますが、上記天満神社の狛犬とは顔立ちと太い足に類似点があり、特に口端の形が良く似ています。また原石の角に顔の中心線を通す造形は、原石の大きさを最大限に生かす工夫であり、同様の例は他でも見られます。
(右)日吉神社の祭神は大山咋命で、その使い(神使)は猿だとされます。従って日吉系の神社には猿の彫刻が多く見られるのです。石造のほか、社殿の軒や虹梁などに、木造の猿が飾られているのをよく見かけます。


綾延(あやのべ)神社

提供者:TAKOさん
06.05.01
TAKOさんのコメント:
(左)いよ小松IC西約3km。文政五(1822年)年。石工名無し。(作風的に)松山市南久米、日尾八幡神社の原型ではないかと思われます。スタンスや前足の肉付、後ろ足の格好など、その場で気づき同じ角度から写真を撮るべきでした。
(右)久々の木造狛犬との対面となりました。
こんなにパーツが多いとはびっくりでした。
G.Wは田舎に帰るか、こちらで狛犬の探索か迷っています。
朝から霧雨で、今日はおとなしくしています。では又。
(愛媛県西条市丹原町田野上方)
狛太郎のひとこと:当地に綾織を伝えた綾延姫を追慕した里人が、霊亀2(716)年に、その墓所に一祠を建てて創祀したとされます。元慶2(878)年には従五位下を賜ったことが分かっており、相当な古社であることは確かです。後世八幡信仰の隆盛に伴い、応神天皇以下を合祀したようです。
(左)ご指摘のように、この狛犬と日尾八幡神社との相似性は明らかで、こちらが原型であることも確かなようです。独特の顔立ちや体型のほかに、平らに仕上げた大腿の処理も同系の証です。当社の位置は、松山から桜三里を経て高縄半島の付け根を横断する小松街道に沿っており、松山の日尾八幡とは狛犬様式の伝播が想像される圏内です。こんな発見があると、狛犬探しが本当に楽しくなります。
(右)木製の狛犬です。木彫らしい柔らかな面で構成され、尾の形も石造ではあり得ない自由な造形です。アウンとも足位置を少しずらして変化を付けています。


観音堂(かんのうどう)

提供者:Akemiさん
06.06.03
Akemiさんのコメント:先日吉野ヶ里周辺を歩いていて、素敵な狛犬さんに出会いました。地域の皆さんは「お観音さん」と呼ばれているそうですが、昨年建て直された観音堂の前に、なんとも立派な狛犬さんがいらっしゃったのです。
場所は神崎の鶴の集落の中です。文化13(1816)年作、石工の名前もあります。
また、堂の中にはこれまた立派な肥前狛犬さん。感激しました!!
(佐賀県神埼市神埼町鶴)
狛太郎のひとこと:観音菩薩は地蔵菩薩とともに、諸仏の中でも特に身近で親しまれた存在です。それは「観音堂」「地蔵堂」の多さに現れており、「救済」を求める人々の素朴で切実な信仰を感じさせるモニュメントとなっています。
しかし仏祠に狛犬という組み合わせはやはり本来ものではなく、ここには元々、観音を本地とする神か、観音の守護神たる神が祀られていたのではないでしょうか。
あるいは廃絶した神社の狛犬が、ここに持ち込まれたのかも知れません。
(左)体型といい表情といい、とても可愛らしいですね。ちょこんとお座りしている姿に、何とも言えず愛おしさを感じます。足元の盤が極端に小さく造られているのも、そうした印象に一役買っているようです。文字は風化していますが、無理に読めば「石工・山崎傳十」と見えなくもありません。近くの金刀比羅神社に「小熊村・傳十」の作品があり、眉や眼球の表現、耳の形などが良く似ています。同一人物にしては年代が開きすぎていますが、関連はあるかも知れません。
(右)小さな角状の突起で表される耳、眉があるように見える目、隈取りのように付けられた縞模様など、肥前狛犬に良く見られる特徴です。口は浅い筋として表され、歯列は見られません。肥前狛犬の中でも早い時期のものと推察されます。


西宮神社

提供者:TAKOさん
06.06.05 TAKOさんのコメント:
5月は連休が4回と、多くの神社に行けると思っていましたが、終わってみると東予丹原IC周辺の一回でした。
東予丹原IC北北東、約2.7km。
石工名、奉納年、由緒無し。
小さい神社ですが 変化を求めた狛犬です
(愛媛県西条市東予大新田) 
狛太郎のひとこと:当社鎮座地は、旧東予市の河口付近に位置します。
燧灘に面したこの一帯は、かつては干潟が広がるカブトガニの生息地でした。
しかしその後、海岸の埋め立てなどの影響により、絶滅してしまったようです。
環境悪化が懸念される有明海にとっても、他人事ではありません。
狛犬は大玉取りで知られる尾道型のバリアンツです。それにしても、アウンとも出雲式の体勢である上、後肢で玉を取るという大胆な構図には驚かされます。
ウンなどは奥側の足で玉を取っており、「見せる」という意図とは裏腹な表現にも脱帽です。石工名がないのは残念ですね。しかしこれまで投稿いただいた画像を分析すると、このパターンはいわゆる東予地方に類例が多いことに気付きました。
潮早神社長谷三嶋神社高野天満神社


常盤(ときわ)神社

提供者:TAKOさん
06.07.10 TAKOさんのコメント:伊予小松駅北、約500m。石工名無し。「○政四巳」。
文政四(1821)辛巳年、又は安政四(1857)丁巳年でしょうか?
30年の開きがありますが、狛犬の年代に換算すると、長いような短いような、微妙な開きです。
(愛媛県西条市小松新屋敷)
狛太郎のひとこと:当社の鎮座地は、高縄半島の付け根を東西に縫う小松街道が、燧灘に向かって開ける旧周桑郡小松町です。正徳年間に創祀され、小松藩主一柳氏の崇敬を受けました。祭神が菅原道真、大国主命、迦具突智命など、あまり脈絡のない8柱であるのは、大正13年に数社が合祀された結果です。
狛犬はこれまで投稿いただいた中に、良く似たものがあります。特に綾延神社とはそっくりです。綾延神社が文政5(1822)年でしたから、当社の「○政四巳」も「文政」の可能性が高いと思います。同じ西条市でもあり、きっと兄弟の関係でしょう。ほかに日尾八幡神社、及び下記石槌神社も同系で間違いなさそうです。


石槌(いしづち)神社

提供者:TAKOさん
06.07.15 TAKOさんのコメント:他のサイトに備前焼狛犬は載っていますので、割愛いたします。前神寺(64番札所)と同じく、備前焼き窯元1/6 木村さん他3名の名が有ります。備前焼き狛犬2対、岡崎型2対。
本宮内に三倍神社(末社)が、土佐より昭和58年に、石鎚神社の許可を得て祭られています。本宮に他の神社があるとは、思いもよりませんでした。
さて狛犬の型ですが、(常盤神社と)似ているようないないような。石鎚神社の狛犬は文化三(1806)丙寅年です。もう少し前に枝分かれした狛犬のような気もしますが、誰かが参考にして作られたのか?兄弟かコピーか判断できません。
(愛媛県西条市西田甲)
狛太郎のひとこと:上古、西日本最高峰の石槌山(1982m)に、石土毘古(いわつちひこ)を祀ったのが始まりとされます。イザナギ・イザナギ神は大八島国(おおやしまぐに=日本国土)に続いて、自然を象徴する多くの神々を産みましたが、石土毘古はその中の一人です。石槌神社は山頂の頂上社、中腹の成就社と遙拝殿、麓の本宮の4社で形成され、そのほかに三倍神社など末社が5社あります。
狛犬は笑っているような大きな口、太い足、扁平に整えた大腿部などが独特で、綾延神社常盤神社日尾神社に同類があります。これまでのところ当社のものが一番古く、石槌型と呼んでいいかもしれません。これらはいずれも小松街道に沿って分布していることから、東予地方に起源を持ち、松山方面に向かって伝播していったようにも思えますが、まだ結論づけるには早すぎるようです。今後さらに同類が発見されれば、もっと興味深いことが分かるかも知れません。


玉森(たまのもり)三島神社

提供者:TAKOさん
06.08.07
TAKOさんのコメント:松山IC南直線距離で13.5km位です。梅雨も明けて、暑いので平地を避け、山奥の神社と思い出かけましたが、やはり山奥も暑かったです。
(左)明治36(1903)年と比較的新しい年代ですが、久しぶりのスリムな狛犬に出会い、感激の時を味わいました。おなじみ、尾の一部が後頭部に接着する型です。山奥のせいか、虫歯が一本も無い健康優良児です。
(右)裏参道にも狛犬2躯が、ひっそりと、参拝者を迎えることなく、お勤めをしています。写りが悪く、勝手に表参道の狛犬だけでいいかな?と思ったのですが、やはりデータを曲げることに、又、狛犬にも悪く、追加で送ります。
(愛媛県伊予郡砥部町玉谷)
狛太郎のひとこと:平成17年に、砥部焼で有名な砥部町と合併した旧広田村に鎮座。「ほたるの里」とありますので、清流と自然に恵まれた土地柄なのでしょう。
(左)大玉取りで尾の先端が後頭部に接着、というと尾道型そのもののようですが、全体像を見ると必ずしも典型的ではありません。このタイプとしてはがっしりした体躯ですし、どんぐりまなこや横にひらひらと張り出す耳など、存分に個性を発揮しています。牙以外も鋭く尖った歯なのに、全部揃っているのは立派です。
(右)系統は分かりませんが、ぽってりした体格に三等身という微笑ましいスタイルです。この狛犬も大きく横に張り出す耳を持っており、そんな欠けやすい形は避けるのが普通なのに、この作者は独特の美的感覚で敢えてそうしたのでしょう。


八社(はっしゃ)神社

提供者:TAKOさん
06.09.02
TAKOさんのコメント:
松山の東南東、直線距離で約27km。面河(おもご)ダム北端に鎮座。
(上左)明治17年。阿の前歯は人間の歯のようです。吽の歯は櫛の様な・・。
ひげではないと思います。
(上右)昭和38年11月。尾道のスタイルではありますが、顔や足の爪、肉付きなど、愛媛の尾道スタイルなのでしょう。
(下左)木製の狛犬が神殿の両脇に鎮座。雨に濡れています。
耳と鼻は分かりますが、目は何処になるのか想像してみて下さい。
不思議な顔の造りをお楽しみ下さい。
天気も晴れと絶好調で、ミニバイクで220km走り抜けました。
しかし遠かったです。では又。
(愛媛県上浮穴郡久万高原町大字笠方字市口)
狛太郎のひとこと:西日本最高峰の石槌山をはじめ、1500m超級の山々が立ち並ぶ四国山地の一角に面河ダムはあります。このダムの流域は南に延び、やがて仁淀川となって高知県を潤しています。当社は和銅6(713)年に京都の上下加茂宮から勧請され、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)などを祀る古社です。昭和38年、ダム建設で旧社殿が水没するのに伴い、現在地に移転しました。
(上左)大玉取りの尾道型ですが、タドンのようなギョロ目が独特です。一見素朴な感じを受けるものの、玉の上部にボタンの花と葉をあしらうなど、他に見られない凝った装飾を施しており、意外に技巧的な面を持っています。
(上右)均整のとれた体躯です。いびつになりがちな大玉もきれいな真球に整えられており、(上左)の時代に比べて工具と技術が進歩したことが分かります。
(下左)本殿の脇障子の前に、随身像と共に置かれています。大胆なデフォルメに驚かされますが、よく見るとウンには一角があり、古来の伝統が守られています。
(下右)小振りながら、唐破風と千鳥破風を備え、彫刻で満たされた重厚な本殿。


宇都宮(うつのみや)神社

提供者:TAKOさん
06.10.01 TAKOさんのコメント:狛犬!といった感じの顔です。吽の慈悲深い顔、阿の精悍な顔。尾道系が多い中でホッとしました。石工名が読み取れなかったのが残念です。
作が「尾道」とまでしか読み取れませんでした。阿の前足の一部が剥離していますが、全体にバランスの取れた狛犬と思います。JR内子駅南東約1km。
文政十(1827)丁亥十月。

(愛媛県喜多郡内子町五十崎)

狛太郎のひとこと:逆臣藤原純友を征伐するため、宇都宮氏が下野国から下向して五十崎を領有し、竜王城に居城しました。承平4(934)年のことです。
その際、故国から祖先神・宇都宮大明神を勧請して当社を創建したとされます。
狛犬はオーソドックスで均整の取れた蹲踞です。尾道型とは体型も体勢も違いますが、耳の張り出し具合がやはり尾道系なのかなという感じです。ただ、尾の膨らみや前肢の付き方などは関西風のようにも見え、よく分かりません。内子は大洲藩に属していたので、狛犬の系統も松山周辺とは異なるのかも知れません。


三島(みしま)神社

提供者:TAKOさん
06.11.05 TAKOさんのコメント:JR八多喜駅(大洲市八多喜)西約7Km。文政二(1819)己卯年。この時代の浪花狛犬としては、いい状態で残っています。阿狛犬の口がW形になっていて、柔らかさを感じます。

(愛媛県大洲市豊茂)

狛太郎のひとこと:一緒に送っていただいた由緒画像によると、当社は出石山鎮座の霊場出石寺の別当社として、平治元(1159)年に勧請されたという古社です。
狛犬は典型的な浪花狛犬で、恐らく本場から持ち込まれたものと思われます。
ころっとした体型が愛らしく、憤怒相の中にも柔和さが浮かんでいます。「口の形がW形」とは誠に的を得たご指摘で、これが浪花型の表情を決定付けていると言っても過言ではなさそうです。文政2(1819)年は、砂岩製の限界点に近いと思いますが、これは良く完形を保っており、これからも大切にされることを期待します。


諸富町内の辻堂

提供者:サン21号さん 初投稿
06.12.03 サン21号さんのコメント:わたくしは「肥陽八十八ヶ所霊場」を調査しているもので、神社仏閣を回りますのでその関係から、狛犬さんにはよく出くわします。
特に肥前狛犬には興味がそそられます。
先日も添付の狛犬と対面しました。知っておられるのかも知れませんが、1枚お送りしておきます。
もう一体はすぐ近くの公民館にあるものだと思いますが、お知らせしておきます。

肥陽八十八ヶ所霊場とは、宝暦九(1559)年に木版刷りで発行された、札所巡りの案内書というべきものです。
http://blog.goo.ne.jp/san21_2006
(佐賀県佐賀市諸富町) 
狛太郎のひとこと:初投稿有難うございます。ブログを拝見しましたが、身近な所にも、知的好奇心を刺激する様々なテーマがあるものだと、つくづく感心しました。
狛犬に遭遇されたときは、これからもどうぞよろしくお願いします。 
さて狛犬ですが、肥前狛犬のア像としては開口角が大きく、牙も鮮明です。
また口中に玉または舌の表現もあって、技巧が凝らされています。反面、耳が小さく四肢の刻出も曖昧であるなど、全体に古拙な雰囲気も持ち合わせています。
色々と考えさせられる狛犬で、こういうタイプと出会うのもなかなか楽しみです。
なお、台座などに固定されていない状況から、所在地は特定しませんでした。


八幡宮

提供者:TAKOさん
06.12.10 TAKOさんのコメント:宮内の三島神社(八幡浜市保内町)の南東、約1.4km。
明治34(1901)年5月。
顔が何というか、なまはげ風です。
バリ島辺りにいそうな狛犬です(行ったことはありませんが)。
ここまで変化すると、尾道系とするには戸惑いがあります。

(愛媛県八幡浜市保内町喜木)
狛太郎のひとこと:宮内の三島神社には実際に足を運びましたので、その近くの狛犬と聞くと、とても親しみを感じます。ただし、近隣とは言っても、三島神社の狛犬とは趣が大いに異なります。大玉取りのスタイルは尾道型にほかなりませんが、角張った顔面に加え、切れ上がった口端が厳めしさを強調しています。
確かに神楽面かなまはげ面のようにも見え、またバリ島のバロン風でもあります(私も行ったことはありませんが・・)。尾道型としては型破りのようですが、全体に手慣れた印象があり、特に牙やアゴヒゲは精密な加工が施されているようです。


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