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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


萩岡(はぎおか)神社

提供者:TAKOさん
07.01.01
TAKOさんのコメント:新居浜市萩生、JR予讃線中萩駅東約1km。
明治26(1893)年、石工「元塚・小野嶋平」。新居浜市まで、短い足を精一杯伸ばして行ってきました。尾道型です。玉がややキューブ状なのと、団子鼻、房状の尾、柔らかい顔。
コピーは嫌だという石工の思いでしょうか。(このような)温和な狛犬もあっていいと思います。
(愛媛県新居浜市萩生)
狛太郎のひとこと:明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
今回は松山市から新居浜市まで、ミニバイクで走破されたということで、その情熱に感服しきりです。しかしそのかいあって、珍しい尾道型をゲットされました。
ちょっと照れたような眉と目の表情が、顔立ち全体を柔和にしているようです。
尾がキツネのようにフサフサなのも、尾道型としては珍しい部類と思います。
玉がややキューブ状とのことですが、よく見ると前後肢も角張っており、原石の外面ぎりぎりまで使って大きく仕上げる工夫のように見受けられます。


四王子(しおうじ)神社

提供者:みずさん
07.01.28
狛太郎のひとこと:今回は提供者みずさんのコメントはありませんが、興味深い2対の狛犬を送っていただきました。長洲町は熊本県北部に位置し、福岡県荒尾市と接する海浜の町です。その名の通りかつては有明海に突出する洲であったのを、江戸初期以来、歴代藩主が干拓を行って広大な水田に変えていきました。
当社は平安末期の永暦元(1160)年、筑前国(福岡県)の四王子嶽から勧請したと伝えられます。祭神の日本武尊(やまとたけるのみこと)は日本神話のヒーローで、父の景行天皇とともに、九州各地に色濃く足跡を残しています。
(左)口の周囲にびっしりヒゲを蓄えた顔立ちは、熊本産に多い特徴といえます。
また太い束のネジリ尾も同様です。体格が良く、豪快な造形です。
(右)足が長く、体つきもスマート。玉を噛み、顔を上げた姿勢とともに、高級犬の趣です。毛足が長く、特に多くの毛束で火焔状に構成された尾が優美です。
(熊本県玉名郡長洲町長洲)


三島(みしま)神社

提供者:TAKOさん
07.02.03 TAKOさんのコメント:招き狛犬という分類を追加致しました。大変ご利益がありそうです。願いは一つ、「あたりますよ〜に」パンパン。四肢は出雲型蹲踞に似ています。
また尾は浪花型によく見かけます。顔は尾道型でしょうか。寄せ集めにしては全体のバランスが良く、何処かに原型となる狛犬が存在すると思われます(思いたいです)。足の裏の肉球も丁寧に仕上がっています。阿狛犬の腕は水平に近く、吽狛犬の腕は水平より上にあり、より招き度を感じます。「安政五(1858)戊午年三月吉日」。石工の名前は川の一字しか読めません。
土居町の狛犬は色々と有り面白いです。棒状の尾の逆Rと、扇状の尾の逆Rが2個体、オウム貝のような狛犬が4個体、などです。浪花3、尾道3、岡崎3が大きな勢力図といったところです。
(愛媛県四国中央市土居町小林) 
狛太郎のひとこと:ミニバイクでの最長記録更新ですね。片道70`はありそうな大遠征、お疲れ様でした。土居町は切り立つ赤石山系を背にし、燧灘に向かう農村地域で、04年に伊予三島市、川之江市などと共に四国中央市になりました。
愛媛県も東端に近いここまでくると、浪花系との混在や交流が始まるようです。
狛犬は硬そうな石にしっかりした彫刻が施された、端正な浪花風です。規則的な毛筋が刻まれた髪や尾が見事で、均整のとれた体躯とともに完成度の高さがうかがえます。ノミ一本でこれを仕上げた「川・・」氏の技量は、当時傑出していたのではないでしょうか。それにしても、この上げた前肢の意味するところは謎です。
一応、似た例をあげておきます。(井口八幡神社猛島神社


大亀(おおき)八幡大神社

提供者:TAKOさん
07.03.04
TAKOさんのコメント:色々な狛犬のスタイルがあるものですね。尾道型大玉取りの改定版でしょうか。子連れ狛犬は見かけますが、何故か不自然な、何処か変な・・。阿狛犬は尖った舌が上顎に接着するタイプです。
狛犬の中心線が左にずれているのが気になります。
昭和七(1932)年三月、石工讃岐木田郡牟礼村久通、和泉滝次刻
今を去る約千年前後、三條天皇の御代延久元(1069)年、伊予国司源朝臣頼義公が豊前国宇佐八幡宮より御勧請したのがその起源という(参百年祭記念碑より)。
(愛媛県今治市吉海町八幡)
狛太郎のひとこと:今治ICに発した「しまなみ海道」が初めて海に出て、来島海峡を眼下に望みながら、第一〜第三の大橋を渡り終えたところがこの大島です。
当社は国指定名勝八幡山の西麓に鎮座し、歴代水軍の崇敬を受けてきました。
狛犬は立派な大玉取の尾道型です。このタイプとしては体格が良く、どっしりした印象を受けます。各部とも丁寧に彫られており、体と玉のバランスも均整の取れたものです。ただ、ウンが連れている子獅子は通例に比べて異様に大きく、しかも親が両前肢で子にのしかかるという構図も当サイトでは初登場です。石工和泉滝次の住所「木田郡牟礼村」は、現在の香川県高松市であり、松山を中心とする愛媛県域とはやや趣を異にする文化圏なのかも知れません。


聖母(しょうも)八幡宮

提供者:テンカラさん
07.03.11
テンカラさんのコメント:
境内は綺麗に掃き清められ、地元の方のこの神社に対する思いが伝わってきます。神楽殿もありました。小さい頃、母が発疹かなにか出来た時、父がここに連れてきて家族でお参りした記憶が残っています。
(下左)狛犬には作者等書いてなく、かすかに明治19(1886)年とありました。
(下右)帰りしな楼門のなかに、木製の狛犬が収まっているのを見つけ写真を撮りましたが、鬼気迫るものがあり、かなりの迫力のあるワンコでした。
(熊本県山鹿市鹿央町千田)
狛太郎のひとこと:反正天皇3年(5世紀)の創祀とされる古社ですが、この地域の装飾古墳群の存在に照らせば、その伝承もぐっと現実味を帯びてきます。装飾古墳の多くは熊本県にあり、とりわけ菊池川流域の山鹿市・玉名市を中心とする地域に集中していて、これらの発祥が5世紀と考えられているからです。
聖母とは応神天皇(八幡神)の母神の神功皇后を指し、鎌倉期以降、香椎宮との関連で流布した信仰であるようです。壱岐勝本の聖母宮をはじめ、皇后が応神天皇を産んだ地とされる宇美八幡宮など、九州各地に聖母宮が祀られています。
上段左右の狛犬は灯籠狛犬のようですが、うち左は以前お送りいただいた、同町内の霜野日吉宮のものと瓜二つです。右はアウンとも倒立です。灯籠狛犬はどうしてか、これらのように直立か倒立が大半で、蹲踞のものは滅多にないのです。
(下左)非常に独特の風貌と体型で、当サイト内には類例が見当たりません。
省略的なように見えて、髪にはきっちりした毛筋が施されています。
(下右)獅子型狛犬が多い中、これは細身で精悍な狛犬型です。目つきが鋭く、わずかな動きも見逃さない気迫と敏捷性が感じられます。


場所非公開

提供者:くろのすけさん
07.04.12 くろのすけさんのコメント:「肥前狛犬」の言葉をネット検索していて、貴サイトにたどり着きました。「肥前狛犬」独特の造形に惹かれた、狛犬鑑賞の初心者です。
サイトを拝見し、県内県外を詳しく調査されているのに驚きました。こんなサイトがあったとは!という感じです。
弊方からも、添付の肥前狛犬をご紹介させてください。所在地は藤津郡太良町。像高20数センチの小型犬で、至って素朴な感じのものです。
記銘等はなく、年代等は不詳です。
(佐賀県藤津郡太良町)

狛太郎のひとこと:はじめまして。太良町初の狛犬を有難うございます。
古い肥前狛犬が今なお現役でいる姿を目にして、元々の可愛らしさに加え、その健気さに胸うたれる思いです。本作品の絶対年代は不明ながら、様式的には江戸初期前後のもののようです。四肢を浅いレリーフ表現とし、正面観を長方形、側面観を四分の一円形に整えています。ブロック状の頭部前面に直線の溝で口を表し、また目・鼻・耳を上面にわずかに刻出することも、肥前狛犬の通例です。
地域的に塩田石工のテリトリーですが、藩政時代は諫早領であったので、あるいは何か独自な要素があるかも知れません。しかしそれを指摘しうるほどには、まだサンプルが十分でないのが実情です。これからもどうぞよろしくお願いします。
なお、防犯上の見地から、本作品の具体的な場所は明らかにしませんでした。


瀬戸(せと)八幡大神社

提供者:TAKOさん
07.05.06 TAKOさんのコメント:高速上浦PA(しまなみ海道)の真東。腰を一段ずらしての蹲踞は独特で、足が浮き出ているように感じられます。垂れた耳はいつ見てもかわいいです。文政八(1825)年酉二月。石工・今治城下・中谷元右衛門。
(愛媛県今治市上浦町瀬戸)

狛太郎のひとこと:しまなみ海道は四国本島を離れると、来島海峡を渡り、大島、伯方島を経て、大三島に至ります。当八幡神社はその大三島の東端にあり、山を挟んだ反対側には、日本総鎮守と称される大山祇神社も鎮座しています。
当社は養老2(718)年の創祀と伝える古社で、藩主久松家累代の崇敬を受けたほか、眼下の海上の難所、鼻栗瀬戸を航行する漁民からも篤く尊崇されました。
狛犬はオーソドックスな蹲踞ですが、顔の造作は彫りが深く、太い眉と大きな眼は個性的です。またびっしりと並んだ鋸歯列に、丁寧な仕事ぶりがうかがえます。
ただ、バランスの取れた端正な造りにしては、ご指摘のように後肢の位置が少々不自然です。後肢が幾分高い位置にあり、盤に段差があるかのようです。大腿部も体躯のわりには小さく、これらは製作上のどんな意図に基づくのでしょうか。


琴路(きんろ)神社

提供者:くろのすけさん
07.05.14
くろのすけさんのコメント:私の知っている限りで最も大きな肥前狛犬は、琴路神社にあります。地元では「きんどさん」と呼ばれている古い神社で、祐徳温泉の近くです。神社の手前に浮かぶ島に置かれた狛犬で、肥前狛犬としては大型犬に属すると思います。 保存状態の良い阿形(?)に比べ、社殿に向かって左の吽形は前肢を欠損して、残念な姿です。もしかすると製作年代も異なるのかもしれません。
(佐賀県鹿島市納富分行成)
狛太郎のひとこと:仁和2(886)年に創建と伝える古社で、広国押武金日命(ひろくにおしたけかねひのみこと=安閑天皇)を祀っています。祭神としてはかなり稀少な存在です。実際、即位時すでに66歳、在位わずか4年の安閑帝にはさしたる事績もなく、そもそも既に歴史時代の人物であって、神話的要素は希薄なのです。
これは元々、神仏習合の世界で安閑帝と修験道の仏教神である蔵王権現が同体とする教説によって祀られていたものが、明治の神仏分離令で蔵王権現が分離された結果であるようです(Wikipediaなどによる)。
(左)狛犬はアウンともに肥前狛犬です。ア像は比較的大柄で、髪に梳毛状の筋目を入れ、前肢には関節を表現しています。均整が取れ、技巧も優れた個体であるため、常識的には後世のものと思えるのですが、最古級の肥前狛犬にも通ずるものがあり、判然としません。ウン像は胸像状態で顔立ちも不明瞭ですが、口先の角張った形がア像と似ており、本来の一対である可能性もありそうです。
(右)池の中に円柱状の石垣を築き、大切に保存されています。


亀岡(かめおか)神社

提供者:みずさん
07.05.16
みずさんのコメント:平戸城を見物しようと下の駐車場に車を置き、歩いて登っていると広い場所に出たので、お城の庭なのかと思ったら、そこは神社でした。登っている途中で1対、境内に2対のわんこを見つけました。神社の名前もいろいろ書いてあり、よくわかりませんし、石工、作成日もわんこの裏を見たのですが確認できませんでした。
(長崎県平戸市岩の上町)
狛太郎のひとこと:平戸城は松浦党の一派、平戸松浦氏の居城でした。松浦党は平安期から戦国期にわたる500年間、佐賀・長崎両県にまたがる松浦地方に蟠踞した自治的武士団として有名です。亀岡神社はその歴代平戸松浦氏を祀る霊椿山神社を主祭神として、城下の七郎・乙宮・八幡の各社を合祀して、明治12(1879)年に創祀されました。神社名が色々あったというのは、これらが掲出されていたものでしょう。これらのうちでは七郎神社が最も地元色が強く、歴史も古いと推察されます。ここでの祭神は七郎氏廣公、志自岐大明神などとなっています。
(上左)参道の狛犬です。波打つ上唇に縁取られた口は耳の下まで切れ込み、大きな鼻孔といい、アゴの剛毛といい、実に猛々しい相貌です。足元にうずたかく積まれた小石が、この狛犬の何となく人を惹き付ける雰囲気を物語っています。
(上右)神門前の一対です。玉取り子取りのペアで、いわゆる岡崎型です。3組の中では一番新しそうですが、なかなか手が込んでおり、おざなりではありません。これで尾がもうちょっとどうにかしてれば、とは多くの愛好家の思いでしょう^^
(下左)神門前のもう一対です。製作地不明ながら、関西風のフォルムを持っています。特に、複雑な渦の集合体としての尾の形は、九州ではあまり見られないものです。柔らかくカールした髪の房が優美で、前肢を少し曲げた姿勢も、そう思って見れば上品さが感じられます。古さもあり、優品の一つと言えると思います。
(下右)上記の狛犬の尾


承教寺(じょうきょうじ)

提供者:くろのすけさん
07.06.23 くろのすけさんのコメント:
趣向を変えて、こんなのは如何でしょう。
所在は東京、港区芝高輪二本榎。
日蓮宗承教寺という、なぜか寺院の門前に鎮座します。どういう系統に属するものか、皆目分かりませんが、なかなかユニークで面白げです。因みに承教寺は、江戸の絵師英一蝶の墓所があることで知られているようです。
(東京都港区高輪二丁目)

狛太郎のひとこと:
正安元(1299)年創立の日蓮宗寺院で、立正大学の前身とされる古刹です。四十七士の墓がある泉岳寺にもほど近く、一帯にはほかにも寺や神社が多いため、散歩コースとして親しまれているようです。
 
 もう一つ、このお寺の名物は、極めて特異な容貌を持つこの狛犬です。人間のような面相といい、星形の眉といい、狛犬らしからぬヒゲの形といい、とにかく異例づくめです。ヒザを折って座る姿に加え、どうやらヒヅメらしきものも見えるところから、これは牛ではないか、という疑問も生じるのですが、寺に問い合わせたところ、やはり獅子か狛犬であろうとの回答でした。さらに、今から半世紀ほど前、ある商人が大陸から持ち帰って自宅に安置していたところ、不幸が続いたので当寺に奉納したものということも判明しました。狛犬が奉納されてから寺の周囲での交通事故が減ったそうで、それなりにご利益を発揮しているようです。


長池(ながいけ)神社

提供者:チャッピーさん 
07.08..08
チャッピーさんのコメント:狛犬の研究をしている大学生チャッピーです。いつも「狛犬天国」を楽しく拝見させていただき、また参考にさせていただいております。
写真の狛犬は地元、長野で撮影したものです。
通常、狛犬のデータ採取をする際には、正面から同じ高さで撮影することを心がけているのですが、なにしろとても大きいので背伸びしてもうまく撮れませんでした。(後で遠くからズームで撮影すればよかったと気付いて撮り直したのですが・・・)
大きいこともこの狛犬の特徴ではありますが、愛嬌のある顔と、でっぷりとした体型。そして、両像とも玉取りであるという点が珍しい特徴だと思います。阿形には角、吽形には宝珠が乗っている形で、長野ではあまり見かけないものです。
残念ながら、奉納年、石工名などは記されておらず(奉納者名はたくさんありましたが)これらはいずれ市史などで調べたいと思っています。
(長野県長野市南長池)
狛太郎のひとこと:チャッピーさん、初投稿有難うございます。調べてみますと、当社は寛和年間(10世紀)には鎮座していたという古社で、元々は大山咋命(おおやまくいのみこと)を祀る山王系の神社だったようです。時代が下って慶長19(1614)年、長池村が南北に分かれたのに伴い、延宝2(1674)には神社も二つに分けられました。そのとき山王さんは北長池の長池水原(みなもと)神社に遷し、南長池の当社には、建御名方命(たけみなかたのみこと)を勧請した由です。
町が北に向かって発展拡大する様子が窺えて、興味深いですね。
なお、建御名方命は有名な諏訪大社の祭神です。
(左)狛犬は120aもあるそうなので、最大級に属します。形式としては江戸型で、これほどの大きさにも拘わらず、丁寧な細工のお陰で大味な感じはしません。江戸型ではアが子取、ウンが玉取というのが一般的ですから、両方玉取りは確かに珍しいのではないかと思います。また玉を透かし彫りにするなど、技術を誇る意図も垣間見えて、職人らしい腕自慢に微笑ましさがあります。江戸型としては幾分ぎこちなさもありますが、大きさ、オリジナリティなどの点で優品の一つです。
(右)実際はこんなに高い所にいます。チャッピーさんの背丈が、立て札と同じくらいだそうですから、狛犬の大きさも台座の高さも際立っています。


老松(おいまつ)神社

提供者:かうひい屋さん 
07.09.08 かうひい屋さんのコメント:先日、筑紫野市の隣町の筑穂町を訪ね、旧長崎街道沿いの内野宿(宿)と呼ばれる旧宿場町跡を訪ねて、老松神社なるところで子供を抱いた狛犬を発見しました。「子供を抱いている」と申しましたが、当日同行した方と話していると「乳を飲ませている」姿なんだそうですね。「ということは、昔の人は獅子のおっぱいは胸にあると思っていたと言うことですかね」とは私のつっこみでした。
(福岡県飯塚市内野)
狛太郎のひとこと:かうひい屋さん、初投稿有難うございます。長崎街道のうち、大名が利用する「本陣」を備えた宿は福岡藩領には6ヶ所(筑前六宿)あり、内野宿もその一つでした。宿の東西の端には「構口(かまえくち)」と呼ばれる門塀が設けられていて、この老松社は西構口に近い場所に鎮座しています。
狛犬は雄大な体躯と、迫力のある顔立ちで威風辺りを払っていますが、すがりつく子獅子を抱き寄せる構図は微笑ましいものです。よく見ると、台座に「觀世音寺國寶之貌冩」という刻字が読みとれます。太宰府市の古刹、観世音寺の国宝狛犬の写しであるという意味のようです。調べてみると、観世音寺のものは宋風狛犬と呼ばれる鎌倉期の作品であることが分かりました。宋風狛犬といえば東大寺南大門の狛犬が有名ですが、観世音寺の狛犬もそれに似ているのでしょう。
私自身は東大寺狛犬の画像を持っていないため、その模写作品をご紹介することにします。大阪市東成区比売許曽神社の上右の作品がそれです。
口の形や胸に着けた瓔珞などに共通点がありますが、老松神社の作品の方がずっと体格も良く、観世音寺の狛犬が東大寺狛犬に似ているとすると、「写し」とは言っても、全体に作者の創意が込められた独自作品といえそうです。


東大寺(とうだいじ)

提供者:くろのすけさん
07.09.22
くろのすけさんのコメント:東大寺の南大門で、重文の獅子とご対面。南都復興の際に、宋の石匠が、大陸の石材を用いて作ったとされるものです。子細にみると、肥前狛犬の素朴さとは全く違う世界の(^^)、精緻で美しい彫刻でした。
しかしこれ、これほどメジャーな観光スポットにありながら、足を止めて見る人が少ないようです。お隣の金剛力士が有名すぎるのか、それとも南大門の屋根が高すぎるのでしょうか。。
空しく咆哮しているようで、やや寂しげに見えないこともありません。
ところで、これって日本の神社の狛犬の流れと関係はあるのでしょうか?
それともスポットであらわれた、違う系統のものと考えたほうがよいのでしょうか?
考えはじめると、いろいろと悩んでしまいます。。。
(奈良県奈良市雑司町)
狛太郎のひとこと:東大寺は聖武天皇の発願で、8世紀に創建された古刹です。
全国の国分寺の総本山としても知られ、その南大門には国宝、運慶快慶作の金剛力士(仁王)像が安置されています。その同じ建物の、仁王とは背中合わせの位置に、狛犬史上欠かすことの出来ない宋風狛犬が蹲踞しているのです。
宋風の名の通り、鎌倉時代に、宋の石工が製作したとされる重要文化財です。
それが事実であるなら、江戸期に盛んになる石造狛犬との間には400年もの隔たりがあり、日本の石造狛犬の中では飛び抜けて古いものなのです。
ただし江戸初期から盛んに造られ始める狛犬の姿とはあまりにも隔絶していて、これが日本の石造狛犬の直接のモデルになったとは考え難いように思います。
しかし明治以降にこれを参考にした作品がかなり造られたようで、この瓔珞(ネックレス)を着けて胸を張り、そっくり返っるようにして咆哮する姿をあちこちで見ることができます(比賣許曽神社など)。また、これと同系統の作品(未見)が福岡県観世音寺にあるそうで、それを写したとする狛犬が先日かうひい屋さんから投稿されています(老松神社)。孫引き的な作品ということができ、だいぶ容貌は変わっているものの、瓔珞を着けた姿などにオリジナルの面影をみることができます。


春日(かすが)神社

提供者:TAKOさん
07.10.06
TAKOさんのコメント:冬は関門海峡から大陸の寒風が一気に舞い降り、瞬時に雪化粧をし、南国四国とは思えない景色を見せてくれます。
夏は盆地特有の暑い熱い、地獄の沙汰も盆地しだいと思えるような気候です。
米は美味いですが、住むのは大変そうです。
浪花型の狛犬です。まだポッチャリとした完成形になる前と思われます。
つぶらな瞳と団子鼻はこれから変化していくのでしょう。
狛犬の足元の手洗には享保十二(1727)丁未九月八日とあり、280年前ということになりますが、欠損部分や状態から可能性はありますが決定打が無く、奉納年を見送りたいと思います。
(愛媛県西予市宇和町下松葉)
狛太郎のひとこと:数百mの山々に囲まれた宇和盆地は、四国最西部域に位置します。宇和町は宇和島藩に属し、宇和島街道の宿場町として発達しました。
当社は藤原氏の氏神で、奈良の春日大社の祭神武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀っています。鎌倉期に領主の西園寺氏が社領を寄進して創祀しました。
狛犬は18世紀的浪花型です。各地の狛犬のスタイルが確立するのは19世紀前後で、それ以前は試行錯誤的な製作が続けられていたと考えられます。いささか稚拙で泥臭さの残るそれらの作品群ですが、旺盛な創作意欲や創意の発露によって、多彩で溌剌とした個体群を生み出しました。この作品も、後世の完成された浪速型(秋葉神社など)の片鱗を既に持ちつつも、どこかアンバランスで愛嬌のある顔立ちはプリミティブな魅力に満ちています。


八重山(やえやま)神社

提供者:ツボセンさん 
07.10.24
ツボセンさんのコメント:ごめんください、突然ですが、私の近くの神社の狛犬が気に掛っていたものですから・・・。ひょっとしたら珍しい狛犬では?と思って送らせていただきます。神社の隋神門の前にある狛犬ですが、犬、獅子と言うより豹の様な姿です。神社は松江藩松平家の祈願社で在郷の氏子はいません。
岩窟の中に建つ小さな神社ですが、なかなかの造りです、いかんせん氏子がいないので痛みも激しく、代々神社を守って頑張っておいでの宮司さんもお悩みの所です。昔は、例大祭の時にはシャトルバスも出たり、近郷在からの参拝客で馬場が一杯になっていた記憶があります。私も小さい頃には、春、秋の例大祭が楽しみでした。たくさんの屋台や、婦人会のバザー、演芸団などで山里が沸きかえったようなお祭りでした。古くから牛馬の神様として崇敬されていました。
かの七冠馬、シンボリルドルフの馬主さんも信者さんで有名です。
(島根県雲南市掛合町入間)
狛太郎のコメント:ツボセンさん、神話の国から初投稿、有難うございます。
中国山地の高峰を背に大小の山塊が立ち並ぶ中、八重山の中腹に当社は鎮座します。伝説上は出雲の英雄・素盞鳴尊(スサノヲノミコト)の故地、歴史的には出雲藩主松平公により、「一社一例国主守護之社」として創立された神社です。
維持経営にはご苦労が多いと察せられますが、写真(右)の通り岩窟の窪みに建つ社殿は、孤高の趣と神韻に満ちて類い希であり、深い感慨を禁じ得ません。
(左)狛犬は長い前肢とスマートな体躯に加え、肩を怒らせて首を下げるポーズが独特です。島根県には有名な出雲型狛犬がありますが、それとは全く違う風情です。宮司様から頂いた資料によると、この狛犬は石州福光(大田市温泉津町)からもたらされたものでした。調べてみると福光は「福光石」(凝灰岩)の産地であり、石工業が盛んで狛犬も造られていたようです。一方出雲型狛犬は宍道湖畔に産する「来待石」(凝灰砂岩)製で、どちらも柔らかい石という共通点があります。この狛犬以外に福光産の狛犬を見たことはありませんが、石質も似ていて産地も近いとなれば、両産地の作風は似ていた可能性があります。もしそうだとすると、当狛犬と出雲型がこれほど違うのは、想像に過ぎませんが、時代差なのかも知れません。当狛犬は出雲型の古い形態なのかも知れず、興味は尽きません。


稲荷(いなり)神社

提供者:TAKOさん
07.11.05 TAKOさんのコメント:この稲荷神社には三年前に行き、(その時は狛犬は)いなかったので、ほったらかしのまま。
先日近くを通ると、何やら狛犬の影が・・。
(予定していた)昨日の探索とは別に、(足を伸ばして)確認に行きました。
私がPCを使う時代ですから、専門家にしてみれば、岡崎型に浪花型を混ぜるのは瞬時に出来るのでしょう。
羊の皮を被った狼は定番ですが、こちらは狼の皮を被った羊といったところでしょうか?少し複雑な思いがいたします。
(愛媛県松山市小村町)
狛太郎のひとこと:鎮座地は松山市の南方郊外にあり、久万高原に発した御坂川が、道後平野に注いで形成する小規模な扇状地に位置しています。
狛犬はいわゆる現代岡崎型で、3年前には居なかったそうなので、平成16年以降作ということになります。整った容貌と白い地肌が美しく、また恐らくは中国製で安価なため、近年急速に普及しつつあるのです。しかし画一的な意匠と、電動工具でざっくり仕上げた工業製品的な趣が災いして、愛好家にはごく不人気です。
しかしながら、この岡崎型には「おや?」と思わせるポイントがあります。全体としては型通りの「子取り・玉取り」で、尾の形もこのタイプの通弊とも言うべきおざなりな尻切れトンボではありますが、顔立ちに個性らしきものが垣間見えるのです。このタイプにも、ようやくそういう気運が生じ始めたのであれば、喜ばしい限りです。つまり、TAKOさんご指摘のように、顔に浪速型の特徴が表れているのです。これがたまたまなのか、あるいは作者の意欲の表れなのか、現段階で即断はできないものの、できれば後者であって欲しいと願うものであります。


大雷(おおいかづち)神社

提供者:TAKOさん
07.12.09
TAKOさんのコメント:今回は宇和島近辺の探索の報告です。以前、藤森三島神社で首がギロチンになっている狛犬を報告しましたが、その訳が何となく分かりました。(その後)石がかみそりでスパッと切れている部分を多数見ました。これは石の目が、表面からは分からない石なのでしょう。接着剤で補強されている狛犬はとても痛々しいです。一時は石工の技量を疑った私がいました。大変反省をしています。石工さんごめんなさい。
(左)浪花型狛犬にしては寸胴で、少しダイエットが必要でしょうか。耳は阿吽共に垂れていて、輪のような耳も無く鼻も平らで、全体的に凹凸を少なくしている感じがします。文政十二(1829)巳丑年九月吉日。石工名無し
(右)本殿玉垣内の狛犬も添付しました。相方の顔面は崩壊していました。
見かけないおじさん顔と宝珠のような丸角?飾り気の無い胴体、不自然な前足の肉付と。ん〜ん、神様の領域に踏み込むには神社の許可がいるので、ときを待ちたいと思います。
(愛媛県宇和島市吉田字河内)
狛太郎のひとこと:天徳2(958)年、土佐国から移住した藤原重則という人物が、雷神を勧請したと伝える古社です。当初は南側の釘切山に鎮座し、現在地へは寛政2(1790)年に遷ったと記されています。雷神とは、出雲の国譲りで活躍した武甕槌(たけみかづち)神を指します。同神は藤原氏の祖神であるので、当地に来着した藤原氏が勧請したというのも故あるところです。
(左)浪花風のゆったりした体つきに加え、少し内側に寄った愛嬌のある丸い目や、八の字眉が人なつこさを滲ませています。髪の毛筋を短く、浅いレリーフにとどめているのは、耐久性を考慮した造形なのでしょうか。石の目ですっぱり切れている例を多数見かけたというご報告から、そのように想像した次第です。
(右)頭上のものが宝珠だとすると、それ自体が古風であり、風化の具合からもかなり古いもののようです。豊かな体型を持ち、柔らかく流れる毛筋や尾が魅力的な一品です。顔が小さく全体のバランスも優美であるだけに、胴部と腰部に一直線の亀裂が見え、危険な状態であるのが気がかりです。


生駒聖天(いこましょうてん)

提供者:かなちさん  
07.12.22 かなちさんのコメント:狛太郎さん、こんにちは。「隠国」のかなちです。先日、大阪府と奈良県の県境の生駒山にある生駒聖天へ行って来た時に、ちょいスマートな狛犬の写真を撮ったのでメールさせて頂きます。仮設テントがあったので、「阿」の狛犬のアングルが正面からになってしまったのがちょっと残念です…。
(奈良県生駒市門前町1−1)
狛太郎のひとこと:かなちさん、初投稿有難うございます。
生駒聖天宝山寺は役行者(えんのぎょうじゃ=7世紀)を開基と伝える、真言律宗の寺院です。役行者は多くの奇譚に彩られた神仏習合の宗教者で、修験道の祖として知られます。また聖天とはインド由来の大聖歓喜自在天(歓喜天)の呼称で、象頭人身の異形ながら、二天一体の造像により夫婦和合の象徴とされます。様々な要素が混然とした、密教独特の雰囲気を持つ寺院であるようです。
狛犬は筋骨逞しく力強いブロンズの作品で、滋賀県大宝神社の重文狛犬を象ったものです。このタイプには木・石・金属のモデルがありますが、痩身で精悍な印象は、金属の硬質感と相俟って、ブロンズの場合に最も良く表現されているように思います(水天宮(ブロンズ)、警固神社(石造))。またその格調の高さから、比較的フォーマルな感じの神社に置かれていることが多いように感じます。
かなちさんはサイト「隠国」中で自作の「万葉人形」を紹介しておられます。
可愛い古代人群像を是非一度ご覧下さい。また、その一部を、当サイトの「狛犬事典」でキャラクターとしてお借りしています。


小烏(こがらす)神社

提供者:てん子さん  
08.02.02
てん子さんのコメント:一角獣だ!と喜んでたら2体ともでした!ビックリ。
ウンの顔つきがニンマリ顔で愛嬌あってカワイイです。町中にポツリとある神社なのでそんなに由緒もないのかな?と思ってたけど、鎮座400年記念の由緒書がありました。白いカラスが神社の由来に関係あるらしいのですが、白いカラスっているのかなぁ??台座と狛犬の石の色が違ってたので、年号が?!残念。
(福岡県福津市中央6丁目 )
狛太郎のひとこと:05年に宗像郡内の津屋崎町と福間町が合併して、福津町が誕生しました。北九州、福岡という二つの政令指定都市の中間に位置しながら、自然豊かで観光資源に恵まれた地域として知られます。
当社は元亀2(1571)年に創祀と伝えられる古社で、医薬の神・少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀っています。「小烏神社」は瀬戸内海沿岸地方〜九州各地に散在しており、いずれも海に面した地に分布していることから、海洋民が奉戴して各地に広めたのかも知れません。ただ祭神は各地でまちまちです。
狛犬は佐賀では見かけないタイプです。大きく開口するアと、笑いをこらえているかのようなウンが、それぞれ豊かな表情を見せています。石造狛犬では無角かウンのみ一角が多い中、両像有角は珍しいものです。また髪や尾には球体に近い大きな経巻渦が配置され、後方観を重厚で力強いものにしています。


住吉(すみよし)大社

提供者:てん子さん  
08.02.06
てん子さんのコメント:
「すみよっさん」の呼び名で有名な、全国の住吉神社の総本社へ。
(左)太鼓橋 のそばの左側(ウン)は、一角獣のなんとも凛々しい狛犬でした。
耳が立ってますが、これも(ウン)の特徴でしょうか?(ア)の方は垂れ下がってます。元文元年(1736)。

(右)大社の西側には巨大な燈篭が並んでまして、多分西門にあたると思いますが、そこに居た狛犬です。犬の様な立体的なかたちはしておらず、なんとも原始的な格好の狛犬です。アウンとも両方口をあけてるのが面白いですね。
年号は分かりませんでした。
(大阪府大阪市住吉区住吉 2丁目)
狛太郎のひとこと:摂津国一の宮住吉大社は、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中(なか)筒男命、表(うわ)筒男命および神功皇后を、各々の社殿に祀っています。いずれも神社建築の古い形を残すとされる住吉造(すみよしづくり)で、国宝に指定されています。筒男三神は航海の神であり、計4殿の配列は海路の指針たるオリオン星座を象ったものとも言い、古代海人の深く崇敬するところでした。
(左)大阪府で最も古い狛犬としてつとに有名です。のちに出現する浪花型に比べると洗練度合いで一歩譲りますが、その分古拙な味わいを残す優品です。
アが垂耳で無角、ウンが立耳で有角という対照は、平安期の木造狛犬の規格を順守したもので、アが獅子、ウンが狛犬という本来のあり方が再現されています。
(右)瓔珞(ようらく=ネックレス)を着けて反っくり返る姿や、螺髪に似た強めの巻毛などが印象的です。これは東大寺南大門の「宋風狛犬」を写したもので、元になったモデルは鎌倉時代の作品と言われます。宋(当時の中国)の工人が造ったとされるので、エキゾチックな装いや風貌であるのも納得のいくところです。


中生保内(なかおぼない)神社

提供者:てん子さん  
08.02.13
てん子さんのコメント:乳頭温泉郷(秋田県)へ入る手前に狛犬が居ました!
“中生保門神社“とありますがなんと呼ぶのか分かりません。
鳥居をくぐると…コリャ面白い!!ブタじゃない??ずんぐり、むっくりで、可愛いったらありゃしない!年号は大正五年と思われます。後ろから見たら、正にコブタちゃんです。座ってる訳でもないし、出雲式にお尻をつんと上げてもないし・・。
(秋田県仙北市田沢湖生保内字中生保内)
狛太郎のひとこと:日本最深(423m)を誇る田沢湖の東側に、八幡平に発した玉川が細長い平坦地を形成しています。当社はそのほとりに建つ平将門ゆかりの社です(参考:国王神社)。延命地蔵尊を奉じて創祀されたといい、また大山祇神社と称したともいい、さまざまに信仰の変遷を重ねた古社であるようです。
東北地方の狛犬は以前、てんもりさん(狛名:狛盛)からたくさん送って頂きましたが、江戸系、出雲系、岡崎系などが見られるほか、その土地にしかないだろうと思われるような、独特のものが多く含まれていました。そうした中でもこれなどは、その土地どころか、まさしくこれ一体しかないものではないでしょうか。これが石工の美意識だったのか、あるいはどうしても変わったものを造りたかったのか、何とも不明です。ちなみに社名は「中生保門」ではありません。惜しかった(;^_^A


三島(みしま)神社

提供者:TAKOさん
08.02.23 TAKOさんのコメント:JR伊予三島駅北北東約600m。神社内には14個体の狛犬。うち2個体はブロンズ製。奉納年は明和四(1767)年丁亥歳八月吉祥日、または明治廿(1887)年丁亥の可能性あり。
ただ、浪花の吽が怒り顔でないのと、飾りの尾がまだ小さく素朴なので、明和四年に軍配を上げたいと思います。台座が違うと 文化・文政の頃が妥当な気もしますが…。

(愛媛県 四国中央市 三島宮川1)
(続報)先月末に送りました三島神社の奉納年がわかりました。
三島神社の南東約1kmに、中曽根神社が有ります。その本殿登り口に浪花の狛犬が2個体、同じ石工で「大坂炭屋町みかげや助三郎」、奉納年は「明和三(1766)丙戌年三月吉祥日」と一年違いですが、間違いないものと思います。
狛太郎のひとこと:四国中央市は、平成16年に伊予三島市、川之江市など4市町が合併して誕生した新しい町です。当社はこのうち旧伊予三島市の市域にあり、燧灘に注ぐ三島川の河口付近に鎮座しています。遡れば古代以来、宇摩郡と称された地域です。由緒によれば、奈良時代に宇摩郡を領した越智氏が、大三島宮を当地に勧請し、以来、この地を三島と称するようになった由です。
狛犬は明和4(1767)年の浪速型です。TAKOさんの熱心な追跡調査によって、この製作年が確定しました。大阪住吉大社の狛犬が府下最古(元文元(1736)年)とされていますが、それが前世代の浪速型とすれば、これは新世代浪速型のはしりといえそうです。同じ18世紀中頃には杭全(くまた)型も登場するなど、この頃の大阪では新機軸が打ち出されていく背景があったのかも知れません。
それにしても、新世代浪速型が創出されて間もない時期に、既に伊予の国にまでこれが到達していたというスピードに驚きを禁じ得ません。


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