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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


熊野(くまの)神社

提供者:DogOneさん
08.12.04
DogOneさんのコメント:初めてメールします。市内にある神社のリストでもないかとネットを見ていて、貴方のHPを見つけました。それにしても多くの狛犬フアンが居るのには驚きました。
(この写真は)熊野神社にある普通に見かける狛犬で、大正12(1923)年、精町(しらげまち)石工・平川良八の手になるもので、H85,L70, W34センチです。足の付け根にある渦巻模様は、翼の図案化されたものでしょうか。獅子には,オスのシンボルと思われるものがあります。
(佐賀県佐賀市西与賀町元相応)
狛太郎のひとこと:初投稿有難うございます。西与賀町は全狛犬を収録したと自負していましたのに、見たことのない作品が送られてきて、少し焦っています(笑)。しかも大型で細工も丁寧な、堂々たる蹲踞です。平川姓は砥川石工の代表的な名ですが、この狛犬は典型的な砥川型ではなく、むしろ塩田型の要素を強く持っているようです。全身に筋肉の凹凸を付けており、鋭い目つきや肉厚の太い尾とともに、力強さを特に意図した造形のようです。
足の付け根の渦巻きの正式名称は不明です。和文様の「雲」に似ているので、私は「雲毛」と呼んでいます。またオスのシンボルについては、時折見かけるものです。狛犬は本来は「つがい」ではないのですが、一対で置かれるものなので、どうしてもそのような発想が働くのだろうと思われます。なおメスのシンボルは、皆無ではないものの、滅多に見かけません。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:DogOneさん
08.12.06
DogOneさんのコメント:(上記熊野神社のある西与賀町の)隣村の、東与賀町中飯盛の天満宮にある一対で、普段見かけるのとは違った異様な形をしています。熊野神社より3年前の大正9(1920)年の製で、 H75, L60, W28センチ。こちらの獅子にも、オスのシンボルがあります。
尻尾はムツゴロウの背びれのように突っ立っています。また、 その後に円筒形のものが付いていますが、何を表しているのでしょうか。石工の銘(精町石工・平川良八)が刻んであります。
(佐賀県佐賀市東与賀町中飯盛)
狛太郎のひとこと:岩に足を掛けて立ち上がり、細く鋭い目で睨み付けています。爬虫類にも似た顔立ちと、スリムで敏捷そうな体つきが良くマッチしており、魚の背鰭のような尾もこの像の異様さを際立たせています。このダイナミックな造形を「恐竜型」と名付けていますが、このタイプの発祥は江戸期に遡ることができます。その中でもこの作品は極めて完成度の高いものです。熊野神社と同一人物の作品とは思えないほど作風が異なりますが、この作者の奔放な発想力の現れと見ることができ、並々ならぬ力量の持ち主であることがうかがい知れます。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
08.12.07
hisaLinさんのコメント:また、狛犬を投稿させていただきます。
狛太郎さんが思ってらっしゃる、雷山西の長野峠経由で佐賀−前原地域の交流が行われていた証になるかわかりませんが・・・。
長野峠(12号線)を越え、前原市に入り、加布里駅の近くにある神社です。
見ての通り、肥前狛犬じゃないかと思います。
(上)結構大きくて、高さが1mはあったと思います。後姿では、尾っぽらしいのが見えました。
(下)拝殿の横にあった末社に鎮座してました。高さは30cmぐらいだったと思います。
(福岡県糸島市東1105番)
狛太郎のひとこと:佐賀県富士町から長野峠を経由して福岡県前原市に至る街道は、上無津呂川と長野川がつくる自然の道筋を辿るもので、往古より幹線の役割を果たしていたでしょう。
旧糸島郡域に肥前狛犬が多数残存するのに驚いていますが、このルートを通じた文物の交流が、いかに盛んだったかを物語るものと考えられます。
(上)高さ1mだとすると、肥前狛犬としては最大級になります。江戸初期前後に30a未満の小型犬として造られた肥前狛犬も、基本的な構造は不変のまま、時代が下るごとに大型化が進んでいきます。それはやがて全国標準的な獅子型のものに吸収されることになるのですが、その最後あたりに出現したタイプであるようです。
(下)こちらは初期型の肥前狛犬です。恐らく神殿内に置かれていたために、風化を免れて細部の造りなどが比較的鮮明に残されています。それにしても、上下の狛犬は顔立ちやフォルムがとてもよく似ています。違う時代にそれぞれ佐賀から持ち込まれたというより、どちらも当地で造られた新旧の狛犬と考えた方が自然なほどです。もしそうなら、ちょっとした新発見です。


熊野八幡(くまの・はちまん)神社

提供者:TAKOさん
08.12.11
TAKOさんのコメント:奉納年、明治29(1896)年3月。石工坂上壽吾郎(44歳の作)。
ウンが綱をくわえています。尾道を基本に、少し変化し始めた頃の作品と思います。
境内には他に2個体、明治31年の作があります。凍結の季節になり、新宮IC近辺の探索は、
春までお休みです。12月も天候にめぐまれますように。しかし遠かった・・・  では又。
(愛媛県四国中央市富郷町寒川山下猿田)
狛太郎のひとこと:「四国中央」という名前に惑わされそうですが、実は愛媛県内では最東端に位置する市です。TAKOさんがお住まいの松山市からはゆうに100`はありそうで、ミニバイクの旅としては限界域ですね。お疲れさまでした。
狛犬は巨大玉取の尾道型に、浪花風の味付けを施したもののように見えます。顔立ちが尾道型の通例より柔らかく、また尾も太くふさふさです。そしてこの作品中、特に目を引くのは、ウンが綱のようなものをくわえていることです。中国式では、穴あきコインを通したヒモを、くわえたり持ったりした意匠をよく見かけますが、日本狛犬としては異例です。


八大龍王宮(はちだいりゅうおうぐう)

提供者:DogOneさん
08.12.14
DogOneさんのコメント:八田江川左岸に「八大竜王宮」がありました。場所は川副町広江です。
(上段)鳥居をくぐると大きな「亀」があります。ちゃんと玉を咥えており、さすが竜王だなと思いました。大きさはH40,L1400, L56で、 明治33年製ですが石工の銘はありません。
(中段)高さ約75センチ。明治32年製で石工の銘は無いが、 寄進者名のほかに北村弥七、 渡瀬〇次、江口浩吉の銘がある。獅子は胸から前足にかけてセメントで補修してある。
(下段)奥の1対は灯篭の上に設置してある。右の狛犬は逆立ちをしており、この型は初めて見ました。やや黒ずんではいますが彫りもまだしっかりしています。大きさは、 H45,W20,L17センチです。これに対し左の獅子はどうみても子犬にしか見えません。口もあけていません。
若しかしたら最初は倒立の獅子で、損壊か何かで置き換わったのかも知れません。大きさは22-28-20です。建立者・石工とも不明ですが、灯篭は文久3(1863)年となっています。
(佐賀県佐賀市川副町広江)
狛太郎のひとこと:八大龍王はインド発祥の護法神で、水を司るとされるため海や川のほとりなどに多く祀られています。当社は天文5(1536)年、当時の国主龍造寺隆信が、暴風雨に破壊された有明海沿岸の惨状に心を痛め、当地の守護神として祀らせたものと言われています。
(上段)亀は龍などと並ぶ瑞獣で、やはり治水に関係のある霊獣です。
(中段)どっしりとした重量感のある塩田型です。塩田型の特徴のひとつに尾の豊かさがありますが、この作品も上下二段式の立派な尾を持っています。尾は狛犬鑑賞の重要ポイントです。
(下段)灯籠の飾りとして造られる狛犬は、多くが倒立と直立の組合せになっています。
狭い足場に置くため、縦長のフォルムが適しているからだと思われます。
この一対はあまりにも形が違いすぎるので、ご指摘の通り、本来の対ではなさそうですね。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
08.12.16
hisaLinさんのコメント:唐津輪行時のもので、長野峠の延長上の神社です。
大通りから入ったところにあり、階段を登ったら2対の狛犬さんが・・・
(上段)拝殿の一番手前に鎮座してました。高さは1mありました。また、阿像は見ての通り、角らしき物がありました。また、後ろからはタテガミらしきもの、尾っぽらしきものもありました。
どう思いますか?いずれも顔の表情はわかりませんが・・・。
(福岡県糸島市二丈町大字田中411番)
狛太郎のひとこと:唐津への輪行は、天気が良ければ気持ちが良いでしょうね。遠い昔、呼子に上陸した魏国の使いが、博多に向かった道筋を逆に辿る旅です。魏使はその道中、「伊都国」(前原市)のことを書き留めていますが、ここいらも伊都国の一部であったでしょう。
(上段)紛れもなく肥前狛犬です。しかも1mというのは最大級です。江戸初期頃に30a前後で造り始められた肥前狛犬は、1700年代にかけて、全国標準の獅子型に対抗するかのように大型化が進みました。しかし基本形を変えないまま大型化したため、変化に乏しく、平板な印象を免れませんでした。この作品は獅子型と拮抗していた最後の時代のものと思われます。
(下段)肉付きの良い豊満な体型に加え、どことなく愛嬌のある顔立ちに親しみを覚えます。
耳が横に張り出す形は、旧糸島郡域に多い意匠です。ウンが小さな玉を踏む姿が可憐です。


霊丘(れいきゅう)神社

提供者:hisaLinさん
08.12.17
hisaLinさんのコメント:島原方面に行ったときのものです。霊丘公園の中にあった神社ですが、狛犬はイヌ科をモデルにしてると思ってたんですが、どう見てもネコ科がモデルかな?・・と思いませんか?
(長崎県島原市弁天町二丁目7341)
狛太郎のひとこと:島原の乱後の民心鎮定のため、当時の領主高力氏が寛文4(1664)年に東照宮(祭神徳川家康)を勧請したものです。次の領主松平氏もこれを崇敬し、そのまま明治に至って松平公の祖霊を合祀、現社名に改称しました。
狛犬はまったくもって奇想天外、珍奇無類の逸物です。ついでに古今無双とまで言いたいところなのですが、実は類例があります。ほかならぬhisaLinさんに頂いた「八幡神社」と、狛久さんの「猛島神社」の狛犬です。いずれも島原のものであり、これはもう島原型と名付けてもよさそうな勢いです。しかしどのケースも石工不明なのが残念であり、一人の石工、または一つの工房のみの作品という可能性も捨てきれません。その場合は、一人の異才の存在に瞠目すべきことながら、「島原型」と一般化することはできないことになります。今後の発掘が期待されます。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:DogOneさん
08.12.21
DogOneさんのコメント:川副町新村の天満宮です。狛犬は明治25(1892)年建立で、 石工は塩田の筒井弥太郎。大きさは、獅子がH79, L80, W37,狛犬は80-85-32 です。獅子の前足に欠損箇所がありますが、彫りはまだしっかりしています。前回の下古賀の竜王宮の像に似た、逆卍のような模様(前者は3本, こちらは4本)があります。また、両足には巻き毛の模様が刻まれています。ここら辺の像には多く見られるようです。これらで作者の系列が分るのでしょうか。
(佐賀県佐賀市川副町新村)
狛太郎のひとこと:07年に佐賀市と合併する前の川副町は、町域の半分以上が江戸期以来の干拓地といわれ、平坦で広大な農村地帯でした。縦横に張り巡らされたクリークでも有名です。
当社は天正4(1576)年に、上記八大龍王宮と同じく、当時の国主龍造寺隆信が勧請しました。
有明海沿岸地域は風雨や高波の害にしばしば見舞われており、当社が勧請されたのも、治水に対する領民の切実な願いを背景にしたものであったはずです。
狛犬は八大龍王宮と同型の塩田型で、どっしりしたフォルムと上下二段式の尾が特徴です。
製作年も近く、同じ石工の作品かも知れません。お尋ねの逆卍模様は巻毛の簡略な表現で、経巻渦を平面的に表したもののようです。石造狛犬ではよく見かける意匠であり、系統は問わないようです。また足の付け根などにある装飾は、和文様の「雲」に似たものが多いので、私は「雲毛」と呼んでいます。この飾りはどの狛犬にも必ずあり、不可欠な要素と言えるものです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:DogOneさん
08.12.22
DogOneさんのコメント:手前に丑が一体。奥に獅子・狛が一対あります。
丑は明治35(1902)年の建立で、池田安太郎の作です。大きさは 50-1150-32 です。
獅子(ア)は右前足を台の上に載せて蹲踞していますが、狛犬(ウン)は子供を抱いています。
前回の逆立ちと同様、初めて見る形です。台座も単なる角石でなく、生け花を載せる台のように作ってあります。銘はその下の基礎部に彫られており、「〇35/〇/14、〇太郎」 だけしか読めませんが、おそらく丑と同じ作者で同年に建立されたものと思います。大きさは、76-93-24 と72-92-28 です。本体はまだしっかりしています。鬣はあっさりしたものですが、 足には巻き毛の模様が彫ってあります。
(佐賀県佐賀市川副町久町)
狛太郎のひとこと:新村の天満宮と同じく、天正4(1576)に龍造寺隆信が勧請したものです。
隆信は同時期に7天神を祀っており、彼がいかに当地の防災に苦慮していたかが分かります。
狛犬はとぼけた味わいのある作品で、岩狛の一種ではありますが、尾の形など近隣ではあまり見かけないものです。「池田」姓石工は佐賀市周辺にはあまりなく、伊万里石工には数例あるものの、これもそうかどうかは不明です。アは小さな岩に前肢を掛け、ウンが右前肢で抱いているのは子獅子です。子取りとしては異例の大きさで、またこの形の配置も珍しいと思います。


金比羅大権現(こんぴらだいごんげん)

提供者:hisaLinさん
08.12.23
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から平戸方面にサイクリングに行ったとき、平戸の街中で遭遇しました。けっこう口が大きかったですネ。幸橋という眼鏡橋付近にありました。
神社はとっても小さかったですが、存在感はピカ一ありました。
(長崎県平戸市築地町571番4)
狛太郎のひとこと:平戸は古い港町で、鎖国以前には外国商館もある対外貿易都市でした。
イエズス会のフランシスコ・ザビエルも一時、ここで布教していたことがあります。江戸初期にオランダ商館が長崎に移って、平戸における南蛮貿易は幕を閉じたのでした。
狛犬は実に破天荒な一品です。全体のバランスもどことなく変で、いわゆるヘタウマといった風情ながら、タドンのような目と、異常に大きな口には迫力がみなぎっています。口腔をここまで深く彫り込んでしまうと強度が心配になるはずですが、この石工は意に介しません。それでも、口中の玉が支えとなって破損を免れているようです。また大きな頭の割に細い足など、「狛犬は歯が命」とばかりに、他のことは気にしない石工の大胆さ、剛毅さが伝わってくるような作品です。


住吉(すみよし)神社

提供者:hisaLinさん
08.12.24
hisaLinさんのコメント:家の近所をポタってた時に立ち寄りました。
両方共、角があるんですが?・・・どう思いますか。
(福岡県福岡市南区若久一丁目20番28号)
狛太郎のひとこと:住吉神社の祭神は、創造神イザナギが小戸の阿波伎原で禊ぎをしたときに生まれた3柱の海神です。渡航安全の神として、貿易港「那の津」(福岡市)には欠かせない存在だったに違いありません。ただしその小戸の阿波伎原が現在のどこであるかは不明です。
狛犬は筋骨逞しい重厚な造形です。一見、筑後型に良く似た外見ですが、多くの点で違いもあります。まずhisaLinさんご指摘のアウン両方が有角であることです。次にどちらも垂耳であること、更にスタンスがスクエアであることが挙げられます。「狛犬の類型」「筑後型」をご参照ください。なお、「獅子」と「狛犬」という本来のあり方に従えば、ア(獅子)が有角であることは規格外といわざるをえません。しかし狛犬の決まりは、それほど厳格なものではないのも事実です。


鎮宅霊符(ちんたく・れいふ)神社

提供者:うめぞーさん
08.12.27
うめぞーさんのコメント:奈良町(ならまち)では割り合いに有名どころの狛犬なので、ご存知かもしれませんが『鎮宅霊符神社』のペアです。台座の銘を写真に撮ったのですが、腕が悪くて刻まれた文字が殆ど読めない……慶応三(1867)年の四月のようです(~_~;)
顔つき、体つき、前脚のつき方といい、幕末の日本人の感性とは思えません(^^ゞ
アメリカンコミックの出来損ないみたいなどと言ったら可愛そうですが、こういう風貌のためなのか隠れたファンがいるようです。奈良市には月に二〜三度は用事で出かけますので、機会がありましたら、もう少し詳しく見て参ります。
(奈良県奈良市陰陽町)
狛太郎のひとこと:うめぞーさん、初めまして。「ならまち」もこの狛犬も、ご投稿により初めて知りました。有難うございます。「奈良町」が現代の行政区ではなく地域の通称というあたり、古都らしい風情を感じる点でありますし、霊符という聞き慣れない社名にも、歴史のベールを透かしてみるような興趣を覚えます。「霊符」というのは、いわゆる「お札」であって、道教由来のものであるようです。よほど霊験あらたかであったのか、やがてそのお札自体を祀るようになったのが、霊符神社である由です。なお「鎮宅」とは「宅」を「鎮める」で、家内安全を祈る意味です。
狛犬は浪花型の系統ですが、思い切り独自化されています。何と言っても、ここまでにこやかに笑いかけられると、ただもう微笑み返すしかありません。忿怒相を造ろうとしていたのに、何だか笑ったような顔になってしまった、なんて代物ではなく、初めからこれがこの石工の構想だったかも知れません。前足などは、うっかり彫り進んでいて、この位置に来てかろうじて思い出したという付け方です。維新前夜という切迫した世相を感じさせない、大らかそのものの作品です。


八大龍王宮(はちだいりゅうおうぐう)

提供者:DogOneさん
08.12.28
DogOneさんのコメント:八田江川右岸にある竜王宮です。場所は東与賀町下古賀搦です。
広江の広い社に比べ道端に建ってい居る小さな社ですが、 50mほどの参道があります。
大きさは75-85-30。台座の石の剥離が激しく、 建立や石工の銘は不明です。
獅子(ア)は前足が欠損し、石とセメントで補修してあります。また口回りもかなり欠けています。
狛犬(ウン)は顔面が剥離しています。
(下左)両体とも腿から足にかけて、 逆卍のような模様が刻まれています。
(下右)また両足に巻き毛の模様が彫られています。何でしょうか。
(佐賀県佐賀市東与賀町搦)
狛太郎のひとこと:「搦(からみ)」というのは干拓に関係のある地名です。海中に杭を打って竹などを絡め、それを芯にして築堤したことに由来し、佐賀県の有明海沿岸地方には開拓主の名などを冠した「○○搦」という地名が多く存在します。
狛犬はオーソドックスな塩田型です。見るも無惨な姿になっていますが、こうまでして狛犬を維持しようという氏子の皆様の熱意に、むしろ心打たれます。ここまで大破したら、更新されても不思議ではありません。しかし、今日これと同じ狛犬を新調するためには、多大な費用がかかるため、安価な輸入品に頼る例が多く、著しく風趣を欠く結果となっているのが実情なのです。
(下左)体表、特に大腿部にこうした逆卍模様が刻まれていることがあります。これは巻き毛の簡略な表現と思われます。古い獅子図などでは、羽根数の多い風車状に描かれています。
(下右)足の付け根や足首に施される飾り毛です。渦を核とし、葉状や雲状の広がりを伴っています。和文様の雲に似ているので私は「雲毛」と呼んでいますが、正式名称は分かりません。


伊弉諾(いざなぎ)神社

提供者:hisaLinさん
08.12.31




@





A





B
hisaLinさんのコメント:輪行時に通ったところで、ココの神社は、鳥居をくぐり、楼門?(だと思いますが)をくぐって、境内があり、拝殿がありました。
(上段)楼門の中に肥前狛犬?らしき一対と、
(中段)木で作られた狛犬が一対ありました。
(下段)境内には、いつもの石で作られた狛犬一対がありました。
(福岡県三潴郡大木町上八院793番)
狛太郎のひとこと:大木町は福岡県南部にあり、町域全体が筑後平野の一部をなす農業地帯で、米やイグサの生産で知られます。伊弉諾神社は国土創造神のイザナギ・イザナミを祀る神社です。由緒は不詳ながら、明治6年には村社に列しており、地元の古社であるようです。
@典型的な肥前狛犬のひとつです。アーモンド型の目、あるかなしかの耳、広い小鼻、わずかに開口するア像、など佐賀でも一番多く見られるタイプと言って差し支えありません。
A木造狛犬のことはあまり分かりませんが、石造より造形の自由度が高い分、曲線を多用した丸味を帯びた作品が多いように思います。しかしこれはどちらかというと、直線的でシンプルな印象です。元は彩色されていたと思われますが、今はすっかり剥落してしまいました。
B筑後型に属するものです。逞しい体つきやざっくりした細工、オープンスタンスの足位置などでそれと分かるのですが、典型例とは異なっています。尾が棒状であること、耳を立耳・垂耳と造り分けていないことなどです。ひとつの派生型と思われます。(プロトタイプは→こちら


今宮(いまみや)神社

提供者:hisaLinさん
09.01.02
hisaLinさんのコメント:これは京都に自転車を担いで行った時のです。
九州でも見かける気がしますけど、どうですか?
(京都府京都市北区紫野今宮町21)
狛太郎のひとこと:正暦5(994)年、平安京に疫病が流行したため、当社の南方1`ほどの船岡山に、疫神鎮護の神、素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀ったのが創祀と伝えられる古社です。
江戸期に社領50石を有し、明治14年には府社に列した大社でした。
狛犬は出雲狛犬です。出雲狛犬にはいわゆる出雲式と蹲踞(末次神社@A)があり、これは後者になります。流れるような美しい毛筋に見応えがあり、大腿部にある巻毛もしくは筋肉の表現と思われる凹凸も特徴のひとつです。さらに、前後肢が殆ど密着するスタンスのため、一般的な蹲踞に比べて体が立っています。なお出雲狛犬の蹲踞は、丹波型と呼ばれることがあります。


龍王(りゅうおう)神社

提供者:DogOneさん
09.01.03
DogOneさんのコメント:紀元2600年(昭和15年)記念として奉納されたもので、体長75cm。保存状態は良好です。但し、両方とも口の右端に蟻塚みたいな砂の塊が付着していました。
ウンの方は指先で崩せましたが、アの方は取れませんでした。
設置年と石工の銘は有りませんでしたが、 灯篭に昭和15年12月、鳥居に昭和15年12月、石工・古賀形左エ門 とあるので、同じ方の作品ではないかと思います。
また、拝殿の左右に珍しい瓦つくりの鯱のア・ウン像があります。姿態は画像で読み取っていただくとして、一言付け加えておきます。
アにはオスの印があり、ウンにはメスのそれと思えそうな薄い筋彫りらしきものが見て取れます(気のせいかな)。機会があれば現認してみてください。
(佐賀県佐賀市東与賀町下古賀仲割)
狛太郎のひとこと:龍王はヒンズー教の「ナーガラージャ(蛇の王)」が起源とされ、中国に渡って龍と習合したものです。日本では護法神、また水を司る神として祀られています。有明海沿岸は風波の害を被ることが多く、水神としての龍王がことのほか有り難がたがられたことでしょう。
狛犬はスマートな体つきで、スッと伸びた前肢が目を引きます。柔らかくカールする髪と豊かな尾も優美です。形式的には塩田型に近いと思いますが、石工古賀形左エ門の名は初めて見るものです。古風な名であり、あるいは古い台座に狛犬だけを再建した可能性もあります。
狛犬は本来「獅子と狛犬」で異なる動物なのですが、石造狛犬ではどちらも同形に造ることが多くなりました。その結果、これをツガイとする解釈が出現し、雌雄のシンボルを付けたものが散見されます。その場合でも、オスだけを表現するのが普通で、メスを表現したものはまれです。
シャチは屋根の大棟か降棟を飾っていたものでしょう。後ろに見える拝殿が新しそうなので、建て替えの際に古い建物から降ろして安置したのではないでしょうか。見事な細工です。


三社宮(さんじゃぐう)

提供者:DogOneさん
09.01.04
DogOneさんのコメント:野球場(ブルースタジアム)の東にある道で、「泊舟院入口」の看板から東に入り50m位の右手にあります。通りから鳥居が見えます。
龍王神社ではウンにメスのそれと思えそうな薄い筋彫りらしきものが見て取れましたが)、その点、「三社宮」の方ははっきり現認できます
(佐賀県佐賀市西与賀町高太郎)
狛太郎のひとこと:西与賀町の南端の集落で、有明海岸から遠くない所に鎮座しています。
町史によると祭神は、与止日女大神、大神宮、権現の3柱です。「権現」が何か明記されていませんが、「境内石祠に彦山権現(寛永2(1625)年)がある」と記されているので、「権現」とはこの神であろうと思われます。またこれにより、当社は江戸初期には鎮座していたことになります。
狛犬は古い形を残すものです。どことなく古めかしい顔立ちのほか、やや前に湾曲しているように見える前肢、扁平な大腿部、前に投げ出す形の後肢など、私が「古代型」と名付けた様式に属しています。なお、「古代的」であるかどうかは主観であり、必ずしも時代や地域区分とマッチしているわけではありませんが、概ね1700年代後半から1800年頃にかけてのものです。


今古賀(いまこが)神社

提供者:DogOneさん
09.01.05
DogOneさんのコメント:鳥居には天満宮とありましたが、お掃除に見えていた近所の方の話では「今古賀神社」とよんでいるそうです。阿像の玉はくり抜きで石工は矢加部氏、吽像は右手を上げた珍しい形で、石工は矢加部氏ほかの3名連記となっています。昭和3年の作なので、彫りもまだしっかりしています。
(佐賀県佐賀市川副町鹿江今古賀)
狛太郎のひとこと:均整が取れ、毛並みの美しい作品です。様式としては県内のどれとも位置づけできず、矢加部氏の独創であるようですが、しっかりした手堅い作品と思います。
矢加部姓石工の作品は、私のデータの範囲では、同町小々森の天満社の忠霊塔に一例あるだけです。それにも居所は記されていませんが、姓から見て地元の人と思われます。
このウンのようなポーズは滅多にないものの、たまに見かけることがあります。強度に問題があるので意味もなくそうしているとは思えないのですが、今のところその意図は未解明です。
類例:(井口八幡社猛島神社八幡神社霊丘神社


海童(かいどう)神社

提供者:DogOneさん
DogOneさんのコメント:
明けましておめでとうとうございます。今年もご教授のほどお願いします。
鳥居をくぐると、大きな恵比須さんと大黒天さんが迎えてくれました。
奥には3対の狛犬さんと馬が一体います。
(佐賀県佐賀市川副町犬井道)
狛太郎のひとこと:明けましておめでとうございます。いつもたくさんの狛犬をお送りいただき、ありがとうございます。今年もお互いに元気で、狛犬探索に精をだしましょう。
なお、今回は5組もの狛犬がいますから、見やすいように一件ごとにコメントを分けてみました。
海童神社の祭神は表津綿津見神(うわつ・わたつみのかみ)、中津(なかつ)綿津見神、底津(そこつ)綿津見神という3柱の海神で、彼等は古代日本を代表する海人族安曇氏の祖神とされます。海童とはこの綿津見神の別称であり、これを「わたつみ」と読ませる例もあります。
09.01.08
DogOneさんのコメント:最初の一対は青銅製です。盤台には昭和56年10月再建、台座には昭和11年10月建立の銘がある。もしかしたら、戦時中の金属供出に遭い、再建されたのかも知れません。体長1m超と大型ですが、 こまやんタイプですかね。
狛太郎のひとこと:昭和11年に造られたものが、昭和56年までに耐用年数に達したとは考えられませんから、仰るように供出で失われていたのでしょう。こんなものまで集めて軍需物資に供しなければならなかったあの戦争とは何だったのか、改めて考えさせられます。
ブロンズの作品は立派な姿ではありますが概ね画一的で、その意味では「こまやん」と言えなくもないのですが、この造語の提唱者小寺慶昭氏は、石造狛犬に限って用いているようです。
DogOneさんのコメント:次の一対は、体長83cmで、阿は池田丈佐衛門と二代安太郎の共作(欄干・石垣工事)、吽は安太郎の作(南西搦高潮復旧工事S8〜9年)となっています。
出身地の銘はありません。また、吽の足元には子供(長さ30cm)が寝そべっています。
保存状態は良好です。リストを見たら、池田安太郎の銘は今町の天満宮の丑の像にもありましたが、年代的に可なり離れています。
狛太郎のひとこと:オーソドックスな蹲踞で、タイプとしては塩田型に近いものです。
安太郎氏が二代目ということは、丈左衛門氏が創業者なのでしょう。()内の工事を請け負った記念に、彼等が奉納したもののようです。明治期に創業した池田家が、堤防など重要な工事に携わるまでになったことを、誇らしく感じている様子がうかがわれます。
DogOneさんのコメント:奥の1対は、体長76〜80cmで建立年・石工とも銘はなく、近年の建立のようで、これもこまやんですかね。
狛太郎のひとこと:これは「尾道型」と呼ばれる様式です。巨大な玉を取る姿が著しい特色で、険しい顔立ちと比較的スリムな体つきをしています。その名の通り広島県尾道市が発祥といわれ、本州や四国の瀬戸内海沿岸に濃密に分布しています。しかしこれはどうやら量産品のようであり、とりわけ尾のおざなりな感じから見て、新手の「こまやん」である可能性が高そうです。ともあれ、佐賀県内におけるこのタイプは、拙サイトではほかには保食神社の例のみです
DogOneさんのコメント:敷地内には境内社があり、左に弁財天社と稲荷神社、右に八幡社と寄せ宮があります。弁財天社の1対は、痛みが激しく全身に亘ってセメントで補修してあります。阿は下顎が欠落、前足・背・尾を、吽も頭・背・尾が補修してあります。建立石工の銘はありません。たてがみの形状からして、かなり古いものと思います。体長は90cmと76cmです。
狛太郎のひとこと:当社の中では、これが一番古いと思われます。激しく損傷していますが、滑らかな体のラインや力強く張り出した大腿部など、今も当初の面影を垣間見ることができます。
ウンの少し体を捻った感じなどが、道祖神社の狛犬に似ており、塩田系統かと思われますが、よく分かりません。ぐるりと首を取り巻く独特のヒゲの形は、あまり見かけないものです。
DogOneさんのコメント:八幡社の1対は体長82cmと76cmで、吽像はかなり風化して頭・口・足がセメントで補修してあります。台座は表面が剥がれ落ちて銘はありません。日差しの差が大きく、画像の補正ができません。
狛太郎のひとこと:塩田系統のものです。住吉神社をはじめ、各地で見かけるタイプです。
塩田石は柔らかいので繊細な細工が可能な反面、耐久性には難点があるようです。
酸性雨が風化に拍車をかけているという声もあり、せめて記録に留めておきたいものです。


綿津見(わたつみ)神社

提供者:hisaLinさん
09.01.09
hisaLinさんのコメント:本年もヨロシクお願いします。また、投稿させていただきます。
全部、自転車で走ってて、通りがかりに撮ったものです。
久しぶりに狛犬さんが、子を抱いてるのに遭遇しました。
(熊本県荒尾市一部1508番)
狛太郎のひとこと:荒尾市は北部で福岡県大牟田市に接し、西は有明海に面しています。
大牟田市と共に産炭地として栄えましたが、97年に三井炭鉱が最終閉山して一つの歴史を終えました。長く伸びる湾岸の平坦路は、天気が良ければ輪行には絶好のルートでしょう。
狛犬は肥後狛犬です。鼻ヒゲをたくわえ、目にはヒトミがあります。また密な歯並びも特徴のひとつです。細密な顔面の造りに比べ、ざっくりとした大腿部あたりの表現が対照的です。これは手抜きではなく、粗密の差を付けることによって正面観を際立たせるひとつのテクニックではないかと想像します。子獅子の顔がウンそっくりなのが微笑ましく、楽しい画像になりました。


垂裕(すいよう)神社

提供者:hisaLinさん
09.01.10
hisaLinさんのコメント:秋月に行ったとき、垂裕神社の境内じゃなく、階段を登る前の左側に一対で鎮座してました。普通境内にあるんじゃないかな、と思うんですが?
(福岡県朝倉市野鳥666)
狛太郎のひとこと:旧甘木市秋月町(06年朝倉市)は筑紫平野の東北縁辺部に位置し、江戸期には福岡藩の支藩、秋月5万石の城下町でした。安政6(1859)年に、10代藩主が初代黒田長興の霊を祀ったのが始まりで、京都吉田家から垂裕大明神の神号を授かりました。
狛犬は体格良く、重量感豊かな蹲踞です。アウンのアゴヒゲを造り分けているようにも見え、細部への配慮が行き届いているようです。全体によく整った造形で、強い個性は見いだせないものの、非常に安定感のある手慣れた作品といえます。
狛犬の設置場所は拝殿前のほか境内入口、鳥居の脇、参道の脇などがあります。いずれも通路を挟んで置くのが通常で、片側に寄せて置かれているとしたらちょっと珍しいですね。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
09.01.11

横から見るとこんな感じ
hisaLinさんのコメント:ココの狛犬さんは胴長でした。
(福岡県糸島市有田562-2)
狛太郎のひとこと:背振山地の雷山から糸島方向に、山の名残のような舌状の高台が伸びており、それが前原平野に呑み込まれる先端付近の裾に当社は鎮座しています。
(上段)デッサンがおかしいとしか言いようのないスタイルをしていますが、技術が稚拙かというとそんなことはないようです。立派な髪とアバラまで刻出され、指も丁寧に表されています。
これはこれで、ちゃんと造られたプロの作品に違いないのです。それにしても胴が・・長い。
(下段)それに比べると、こちらは大変均整の取れた美しい姿をしています。すらりと伸びた前肢が脚線美を発揮し、後肢の大腿部も豊かに張っています。筋肉質の力士のような力感です。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.01.12
hisaLinさんのコメント:天満神社にはビックリ仰天しました。ココには楼門があってそこに、狛犬さん?が一対ありまして、境内には狛鳥?が一対、そして普通の狛犬がありました。
(福岡県柳川市三橋町柳河)
狛太郎のひとこと:柳川市は堀割が縦横に走る「水郷」として名高い町です。戦国時代には肥前の龍造寺氏、大分の大友氏、薩摩の島津氏が鼎立して九州に覇を競い、当地もしばしば騒乱の舞台となりましたが、最終的には立花藩が成立してそのまま明治に至りました。
(上段)「ビックリ仰天した」と言われるのもごもっともで、肥前狛犬の中でもこれほど特異なものは見たこともなく、歯を剥き出した地球外生物のような姿には驚きを禁じ得ません。破損と風化が激しいもののそれだけでは首肯し難く、元々が通例とは著しく異なる容姿だったのでしょう。
(中段)この鳥は「鷽(うそ)」といい、スズメ目アトリ科の生物と説明されていますが、それよりも大宰府天満宮の鷽替え神事でつとに有名です。「去年の凶事を嘘(うそ)とし、今年の吉事と鳥(とり)替える」意とされ、多くの天満宮でこの行事が行われています。
(下段)四角張った厳つい顔立ちが独特です。体もそれに見合った無骨なもので、大腿部が扁平なため、余計に型枠にはめて造ったような感じになっています。前肢のヒジにある飾り毛も、その大きさ、形ともにほかでは見られないものです。地元石工の独自作品であるようです。
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