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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


竹台社(たけだいしゃ)

提供者:hisaLinさん
09.03.01
hisaLinさんのコメント:近くに千栗八幡宮という大きな神社があり、(こちらは)見過ごすぐらいの小さな神社です。鳥居を抜けると階段があり、少し登ったところにありました。鳥居には「竹●社」となっていて、●の字が壷?、筆?・・・はっきりわかりません。
(佐賀県鳥栖市三島町於保里)
狛太郎のひとこと:私も確認に行ってきましたが、鳥居の額は「竹臺社」となっています(臺は台の旧字)。地元では単に権現さんと呼ばれており、それ以上の情報は得られませんでした。鳥栖市史にも社名は載っているものの、由緒など一切不明の謎の神社です。
狛犬はころころした体つきが可愛らしく、大きく見開いた目が印象的です。切れ長の目にはヒトミが彫られ、視線を合わせるとじっと見つめられるような、不思議な感覚にとらわれます。頭頂は丸いものと思いがちですが、実際にはこの作品のように本当に丸味を帯びているものは、あまりありません。そのことを含め、県内では見かけない様式です。奉納年は安政3(1856)年です。


御香宮(ごこうのみや)神社

提供者:うめぞーさん
09.03.02
うめぞーさんのコメント:
先日、京都に出かけた時、電車の乗換駅の近くで寄り道をしてきました(^^ゞ
一メートル近い堂々とした子達で、砂岩製のようです。「文化十三(1816)年丙子九月日/世話人百足屋三郎兵衛」さん以下、大勢の名前が台座の周囲に刻まれています。
さすが京都、奈良県中部の田舎では、こんな古い狛犬にはお目にかかれませんσ(^◇^;)
相変わらずの下手な写真で申し訳ありませんm(__)m
また、お手が空きました時に紹介して頂ければ幸いです。
(京都府京都市伏見区御香宮門前)
狛太郎のひとこと:千年もの時間と空間の集成たる京都には、至る所に歴史の現場が残存し、まさに時空の迷宮とも言うべき奥深さがあります。この狛犬奉納の世話人「百足屋三郎兵衛」の名も、検索すればちゃんとヒットしました。相当な大商人だったように思われますが、三郎兵衛さんの商売向きや、中京区の「百足屋町」との関係などは、残念ながら分かりませんでした。
アが垂耳で無角、ウンは立耳で有角と造り分けられているのは、狛犬における平安以来の約束事です。タイプ別では浪花型に属します。しかし浪花型の特徴である丸っこい体つきがこの作品では影を潜め、筋肉質で逞しい肢体が強調されています。それに伴って顔立ちにも凛々しさが漂い、この型としては異例なほど忿怒相が忿怒相らしく表現されています。


三会温泉(みえ・おんせん)神社

提供者:hisaLinさん
09.03.03
hisaLinさんのコメント:諫早から島原に行く途中に立ち寄ったんですが、口と眉毛の印象が強い狛犬さんでした。
(長崎県島原市亀の甲町乙1700番)
狛太郎のひとこと:温泉神社の祭神は九州島を治める一身四面の神であり、四面神社とも称します。総本社は雲仙市の温泉神社で、当社は周辺各地に数多く分布している末社(四面神社諫早神社など)の一つでした。神仏習合のいわゆる山岳信仰として発達した神社です。
狛犬は丁寧に彫られた装飾性豊かな作品で、特に顔面の表現に最も力が注がれているようです。とりわけ大きな渦で構成された太い眉が目を引きます。目にはヒトミが施され、口には細かい牙がびっしりと並んでいます。アゴヒゲの部分は丸彫りになっており、体毛や尾の彫りも深くて、全体に立体感が強調されてます。ウンの玉を取る手がなかなかチャーミングです。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
09.03.05
hisaLinさんのコメント:ここの狛犬さんは印象的でした。人の顔似?、猿似?の狛犬さん(上段)と、相当古そうな狛犬さん(下段)でした。
(福岡県福岡市博多区立花寺695番)
狛太郎のひとこと:全国の日吉神社、日枝神社、山王社の総本社は滋賀県の日吉大社であり、祭神は山の支配者とされる大山咋命(おおやまくいのみこと)です。この神の使い(神使)が猿であるため、山王系の神社では三猿(見ざる聞かざる言わざる)をはじめ猿関連のものが多く奉納されています。また狛犬の代わりに猿の一対が置かれていることも珍しくありません。
(上段)狛犬はまさにその猿のアウンです。ア像を見たときはライオンかとも思いましたが、ウン像を見ると明らかに霊長類の顔です。ただし尾の形からニホンザルではありません。これはマントヒヒではないかと思われるのですが、そうだとしたら極めて珍しいものだと思います。それにしても遠くを見つめるような思索的な眼差し、上品で物静かな風情には大いに癒されます。
(下段)肥前狛犬に近い古拙な雰囲気を持っていますが、四肢が彫り抜かれていることや足下に盤を持つことなど、それよりも技術や様式が進歩したものです。それでも獅子型として洗練を受ける前の姿のようであり、一定の古さはありそうに思われます。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
09.03.06
hisaLinさんのコメント:福岡から久留米方面にサイクリング中に立ち寄ったのですが、見てのとおり色付き狛犬さんでした。社殿もカラフルな色合いだったので、それに合わせたのかな?
(福岡県小郡市上西鰺坂58番)
狛太郎のひとこと:筑紫平野の北部に位置する小郡市は、筑後川水系の支流宝満川が潤す平坦地で、大宰府への要路として古くから開けた土地です。縄文遺跡、古墳、古代の役所跡など連綿とした文化の跡を辿ることができ、七夕伝説の地としても知られています。
狛犬は筑後型です。九州は勿論、全国的にみても最もマッチョな一族で、アウンの造り分けは比較的厳しく守られています。すなわち垂耳と立耳、無角と有角という区別ですが、髪の形も異なっていることがあります。しかしこのように、色分けされているものは初めて見ました。
目や口など部分的な彩色はたまにありますが、全身の彩色は石造では殆ど例がありません。


玉垂命(たまたれのみこと)神社

提供者:hisaLinさん
09.03.08
hisaLinさんのコメント:柳川輪行時のものですが、ポーズ疲れで休憩中?みたいに感じました。
(福岡県柳川市矢加部)
狛太郎のひとこと:筑後川と矢部川に挟まれた柳川市は、全域が沖積平野と干拓地で成る平坦地であり、干拓地の農地造成に伴う網の目のような堀割りによって「水郷」と称されます。
当社祭神の玉垂命は記紀には現れない地方神ながら、その信仰圏は高良大社を筆頭に筑後全域にわたっています。玉垂命=武内宿禰など諸説あるものの、確かなことは不明です。
狛犬は筑後型のお膝元にしては、それとはまるで印象の異なるものです。これといったモデルを持たずに彫り始めてしまったような、それでいて狛犬の必要十分条件は心得ていたような、なんだか不思議な出来映えです。といって素人に出来るものではなく、狛犬には不慣れだったプロの作品といったところでしょうか。「休憩中」のように見えるのは体が寝ているからでしょう。


託社(たくしゃ)神社

提供者:hisaLinさん
09.03.09
hisaLinさんのコメント:前原にあった神社です。拝殿の横にいた肥前狛犬さんが、近隣の子供さんたちの遊び友達みたいで、目に小石がはめられてました。写真撮るのに外しましたけど。
もう一対の狛犬さんは、この地方に良く見かける狛犬さん?のような感じがしました。
(福岡県糸島市多久698)
狛太郎のひとこと:地図をみますと「十六天神託社神社」とありますので、以前に頂いた二丈町の十六天神社と同じ系統の神社であるようです。天台宗信仰をベースにした神仏習合の神社と思われ、明治の神仏分離令以来、仏教色を排して神社として存立してきたもののようです。
なお鞍手郡鞍手町にも十六神社があり、これも同種のものかと思われます。
(上段)hisaLinさんのこれまでのご投稿によって、佐賀独特のはずの肥前狛犬が糸島〜二丈地区に多数存在することを知り、大変驚いているところです。これも典型的な肥前狛犬で、ブロック状の頭部の上面に顔の造作が集まり、短辺の側面に浅く歯列が刻まれています。
(下段)これが前原糸島地区の代表的なモデルであることも、やはりhisaLinさんのご投稿によって明らかになってきた次第です。黒っぽい石質の素材に丁寧な細工が施され、バランスの取れた堂々とした体躯です。このタイプで特に目を引くのはやはり、横にひらひらと張り出す耳です。
このような欠けやすい形のパーツは、他のモデルでは極力回避されています。
雷神社熊野神社花掛神社熊野神社十六天神社


駕與(かよ)八幡神社

提供者:hisaLinさん
09.03.11
hisaLinさんのコメント:
これは、駕与丁公園までサイクリングに行ったとき、公園内にある神社の狛犬さんです。
(上段)見てのとおり、ちょっと恐そうな感じでした。
(下段)その後ろの小さな狛犬さんが印象的でした。
(福岡県糟屋郡粕屋町駕与丁三丁目9番1号)
狛太郎のひとこと:駕與丁という言葉も地名も初めて知りましたが、調べてみると「駕」と「與」は貴人の乗物の名称、「丁」は「成人男子」や「人夫」であり、つまり貴人が外出するときに用いる輿(こし)の担ぎ手であることが分かりました。地名としての駕與丁は、その職業に就いていた人達の集住地であったことを示しています。このような例は「雑司」などにも残されています。
(上段)猛々しい顔つきと体つきが、粗野なほどの存在感を発揮しています。「話せば分かる」と言っても「問答無用!」とばかりに襲われそうな威圧感があり、歯並びの悪そうな口元が殊にその感じを増幅しています。魔除けという意味からは、存分に役目柄を果たしていそうです。
(下段)配偶を失った単立の小型狛犬です。足元に欠損がありそうで、形がはっきりしません。また台座もあり合わせのものです。幾つもの困難に耐えている姿がいじらしく思われます。


當田(とうだ)八幡宮

提供者:TAKOさん
09.03.12
TAKOさんのコメント:安政六巳未(1859)年石工名無し。平成16年で千百年祭の写真が拝殿に在りました。潮早神社(愛媛県今治市)の狛犬に似ています。島に比べて大きな神社です。昔の海運、海軍の拠点だったのでしょうか。
(愛媛県松山市中島町睦月)
狛太郎のひとこと:忽那(くつな)諸島の一つで、JR柳原駅から真西方向に約10`の沖合に浮かぶ睦月島に鎮座しています。この諸島は平安以来の豪族忽那氏の支配するところで、当社も忽那氏が勧請しました。平成16年に千百年ということは、延喜4(904)年の勧請ということになります。嘉保元(1094)年説もありますが、いずれにしても相当な古社と言うことができます。
狛犬は尾道型をベースとした華やかな変種で、随所に新機軸が盛り込まれています(潮早神社参照)。潮早神社のものとは時代も近く、意匠もほぼ同じです。高縄半島を巡る海路によって運ばれた同根のものとみて間違いないと思いますが、類例は今のところこの2件だけであり、その発祥地はまだ不明です。これを見るにつけ、「狛犬は尾が命」という感を深めざるをえません。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:DogOneさん
09.03.13
DogOneさんのコメント:体長70cmの蹲踞型。石工は紺屋町の小柳綱治朗、電話1079番と彫ってありました。横にぴんと張った耳。左右2本ずつの4本の犬歯(阿は欠けている)が目立ちます。昭和15年9月の建立で、「紀元2600(1940)年天満宮改築記念。東京市品川区五反田、寄進、狛犬一基、古川喜作」の銘があります。台座は平成12年7月に更新されています。
(佐賀県佐賀市川副町西古賀)
狛太郎のひとこと:小柳綱治朗の作品としては本件のほか、あと2基の狛犬と1基の鳥居を確認していますが(牛島天満宮久池井天満宮)、本件以外では「綱次郎」と記名しています。
狛犬はいずれも体格が良く、やや足を拡げて立つ独特のスタンスを特徴としており、安定感に優れた構図を実現しています。ちなみに綱次郎は他の作品でも「電話1079番」と記しており、局番なしの番号が時代を表していて懐かしいとともに、当時珍しかったはずの電話をすでに持っていることにより、綱次郎の家業の盛況ぶりをも彷彿とさせるものです。


天神社(てんじんしゃ)

提供者:DogOneさん
09.03.14
DogOneさんのコメント:体長76cmの岩狛。明治39年7月の建立で、早津江石工・古賀近十の銘が辛うじて読めますが、献燈に同氏の銘があるので間違いないようです。長い犬歯、豊かな顎ヒゲ、横に広がった大きな尻尾。岩によじ登ろうと片足掛けた姿に愛嬌を感じます。
(佐賀県佐賀市川副町大字小々森字道免)
狛太郎のひとこと:菅原道真を祀っていますが、創祀年代などは不詳です。安政5(1858)年本殿再建の記録があり、昔から当地の氏神として崇敬されていたようです。
狛犬は岩狛です。高い岩に前肢を掛けて幾分立ち上がった姿勢が面白く、片足を上げたスタイルにも独自性と微笑ましさが感じられます。古賀近十は志賀神社でも灯籠(明治28)を製作していますが、そちらでは「砥川石工」と称しており、この天神社の狛犬と灯籠を造った10年ほどの間に「早津江」に移転していたことになります。また志賀神社の狛犬は「上砥川石工・平川儀助」ですが、当社の狛犬と顔立ちがそっくりであり、二人は師弟か兄弟弟子、または同じ工房に所属していたのではないか、などと想像を巡らしています。


海童(かいどう)神社

提供者:DogOneさん
09.03.15
DogOneさんのコメント:貴サイトでの調査後の平成14年5月に、新しい狛犬さんが寄進されていました。寄進者で当時の区長さんに石屋さんを尋ねたら、中国産とのことでした。
公民館を改築するときに狛犬が1体しかないことに気付いて、再建しようとしたが高価過ぎるので、小城の石屋を介して買ったそうです。注文して約半年、横浜港を経由して来たので運送費が相当かかったんだろうと。でも国内産の1/3位の値段だったそうです(額は教えてもらえませんでした)。黙って注文すると豚みたいなのが来ることもあるとの忠告で、写真で確認するなど相当苦労があったそうです。彫りは丁寧なようですが、デザインが淡白です。でも坂井の狛犬より上等です。古い狛犬は玉を咥えていたが、いつのまにか無くなっていたそうです。
(佐賀県佐賀市西与賀町丸目)
狛太郎のひとこと:私が以前に訪れたときには、ア像のみが淋しげに置かれていました。良い出来の岩狛で、保存状態も良好な砥川石工の作品でした(海童神社)。新しい狛犬は中国製とは言え、その岩狛を再現したものだけに、それなりに趣もあり、一般的な輸入品とはひと味もふた味も違っています。渦の形が元のものより簡略ですが、尾などは忠実に再現されています。
価格面から中国製に頼るのはやむを得ないとしても、せめてこのように、元の姿を残すよう努めて欲しいものです。そういう意味で、この区長さんには大いに拍手を送りたいと思います。


風浪宮(ふうろうぐう)

提供者:DogOneさん
09.03.17
DogOneさんのコメント:
(上段)像は高い台座のうえに載っていたので、採寸不能。高さ1m以上はありそうです。台座に石屋 若津 山本とあるが、姓名なのか若津の山本なのか?(城島に石の山本という店がある)。昭和17(1942)年12月8日の寄進で、御影石はまだ汚れなし。
(中段)は末社祇園社で境内にはいってすぐ左手にあります。
大きさは計り忘れましたが80cmくらいはあるでしょう。御影石製でまだ新しい。
(下段)は境内左奥にある末社稲荷社です。大正2(1913)年9月の寄進で、石工・筬島小一(三又村字中古賀)の銘があります。飾台に載っており、たてがみ、顎鬚は豪華ですが、尻尾はあっさりしています。高さは65cmです。保存状況は良好です。赤っぽく写っているのは光線の加減のようです。
(福岡県大川市酒見)
狛太郎のひとこと:1万4千坪もの境内に、多くの末社や文化財を有する有数の古社です。
神功皇后親征の折、神助によって風波が鎮まったので、ここに仮宮を営んで少童命(わたつみのみこと)を祀りました。それは西暦192年のこととされ、またこの故事によって風浪宮の名が起こったと言います。少童命は綿津見命と表記されることもある、志賀神社系の祭神です。
(上段と中段)この2組は顔立ちもデザインも良く似ていますね。ただ若干の違いもあって、この種のものでも機械で大量生産しているのではなさそうだ、ということが窺われる次第です。この2組の場合は、顎ヒゲの形が異なっています。銘は「大川市若津の山本」ではないでしょうか。
(下段)飾り気のないシンプルな意匠ながら、しっかりしたオーソドックスな造りは見る人に安心感を与えます。ざっくりした髪の房や太くて立派な尾が、たくましい体によくマッチしています。
毛筋もきちんと平行に引かれており、細部まで丁寧に造られているようです。


年塚宮(としつかぐう)

提供者:DogOneさん
09.03.18
DogOneさんのコメント:風浪神社に案内標識があったので訪ねました。前の道を道なりに300mほど南へ行ったところで、通りから20mほど入ります。平成4年4月の寄進で、御影石製。
これも汚れなし。石工の銘はありません。宮の履歴から行けば可なり古いはずですが、鳥居が昭和56年製で狛犬の寄進日との隔たりはどんな事情があったのでしょうか。
像の高さは、60cmと63cmです。
(福岡県大川市酒見)
狛太郎のひとこと:神功皇后親征の帰途、風波を避けて上陸したのがこの地であり、ここに仮宮を営んだとされます。その後、現在の風浪宮の地に神殿を造営して遷座しました。仮宮での期間は短く、1年未満であったので「としつか」と言うと聞きましたが、よく意味が分かりません。
狛犬は現代岡崎型です。江戸・明治期の狛犬が耐用年数を迎える中、その代替モデルとして急速に勢力を伸ばしつつあります。殆どが中国産とみられ、それなりに整った容姿であるとは言え、近くで見るとグラインダーで一気に成形したらしい部分もあり、風趣に欠けるのが難点です。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:DogOneさん
09.03.19
DogOneさんのコメント:酒見中原のバス停そばの天満宮です。(風浪宮からの)帰り道にひょっこり出会いました。像の高さは95cmと大きく、台座に昭和16(1941)年9月の銘がありますが、石工の銘はありません。保存状況は良好ですが、風浪神社より1年早いにしては汚れかたが極端に違います。灯篭にある明治31(1898)年10月がこのお宮の誕生日かな。
お宮の系列か石屋の系列のせいか、近くに似たものが住んでいます。
(福岡県大川市酒見)
狛太郎のひとこと:岡崎型の戦前のモデルですね。岡崎型もこれくらいになりますと、個性的かどうかはともかく、それなりに風格を感じることができるようです。基本的にデザインの完成度は高いと思いますので、そこに時代色が加わり、手作り感もあるとなれば、鑑賞対象としてあまり遜色ないように思われるのです。確かに風浪宮とは1年違いとは思えないほど風合いが異なっていますが、こうして見るとこちらの方が時代に合っているような気がします。風浪宮のものは、台座を残して狛犬だけが更新されているのかも知れません。


宇美八幡宮(うみ・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.03.20
hisaLinさんのコメント:福岡から、二丈町に行く49号線と12号線が交差する付近にある神社です。鳥居を潜って階段を上ったところにいた狛犬さんです。年を召したお爺さん風に見えました。
(福岡県糸島市川付787)
狛太郎のひとこと:神功皇后が応神天皇(八幡神)を「産んだ」地なので「宇美」という、と記紀に記されています。この母子はその後、抵抗勢力を駆逐しながら東征し、大和国の奪還に成功しました。こうしたことから八幡神は武神として武家に崇敬され、全国に流布していきます。
狛犬は前足を揃えて、ちょこんと座っています。この足位置と鋭いツメ、柔らかいヒゲの感じなどから、出雲型の蹲踞ではないかと思われるものです。出雲型は精細な彫刻が見事な反面、耐用年数が短いという難点があります。これが出雲型だとすると、かなり良い保存状態です。


宇美八幡宮・追加レポート

提供者:hisaLinさん
10.06.26
hisaLinさんのコメント:前回投稿した宇美八幡宮の追加ですが、前原(現糸島)地方では見かけない狛犬さんです。佐賀地方に多いように思いますがどうなんでしょうか?。
狛太郎のひとこと:確かに佐賀県鳥栖・三養基地方に点在する古代型に似ていますね。アが蹲踞でウンが出雲式という組合せや、胴部に肋骨を浮き立たせる表現、また頭部の両脇から垂れる直毛の束など、そっくりです(天満神社綾部神社若宮八幡神社下段)。直ちに同系とは断言できないものの、前原に佐賀型が多いことを考慮すると、あるいはと思わざるを得ません。


志登(しと)神社

提供者:hisaLinさん
09.03.21
hisaLinさんのコメント:前原駅から志摩町方面へ向かうと田園風景の中にぽつんとあった神社です。見ての通り、以前投稿した前原地方の狛犬とは一味違う狛犬さんで、出雲式?ですか。
(福岡県前原市志登82番)
狛太郎のひとこと:延喜式内の古社で、中世以来国主の尊崇を受けました。江戸期には黒田氏による社殿造営、鳥居の寄進があり、志摩郡の総社として上下の崇敬が篤かった神社です。
(上段)島根県から移入されたと思しき本格的な出雲式です。台座にも丁寧に彫刻が施されています。材質は砂岩で、本場ものだとすると、宍道湖畔に産する「来待石」で造られています。
耐用年数が「人の寿命くらい」と言われており、なかなか完品には出会えないのが残念です。
(下段)こちらは新しそうですが、明らかに上の狛犬をなぞって造られています。しかもかなり良い出来です。石質の感じからすると中国製かも知れませんが、昔の形を残そうという奉納者の意欲に好感が持てます。価格面から輸入に頼るにしても、せめてこのようにありたいものです。


聖母宮(しょうも・ぐう)

提供者:hisaLinさん
09.03.22
hisaLinさんのコメント:瀬高駅近くにあった神社で、神社名も変わってましたが、狛犬さんも見ての通り、眼にガラス玉のようなものが入れてありました。
(福岡県みやま市瀬高町本郷)
狛太郎のひとこと:聖母宮は八幡神(応神天皇)の母神、即ち神功皇后を祀る神社です。香椎聖母宮とも言うように、同じく神功皇后を祀る香椎宮との関係が深い社で、壱岐市の聖母宮など九州各地に点在しています(聖母宮)。ところで「しょうも」という発音は呉音であり(漢音では「せいぼ」)、呉音を用いることの多い仏教との関連もありそうですが、その点は不詳です。
狛犬は精悍な顔立ちと体つきを持っており、アウンでヒゲの形が造り分けられています。びっしり並んだ鋸歯列は熊本風でもありますが、系統はよく分かりません。何と言っても目にガラスを象嵌したものは珍しく、独自性を狙った石工の創案だったのでしょう。因みに黒石を象嵌したものは見たことがありますが、躯体はモルタル製でした(山口大神宮)。


玉垂命(たまたれのみこと)神社

提供者:hisaLinさん
09.03.24
hisaLinさんのコメント:以前投稿した三島神社の近くにあった神社です。2対の狛犬さん(上段と中段)と相方がいない肥前狛犬(下段)?さんがいました
(福岡県柳川市高島299番)
狛太郎のひとこと:玉垂信仰は高良大社をはじめ、筑後川流域に広がっています。その実体は武内宿禰(たけうちすくね)とも景行天皇とも言われますが、いずれにしてもそれらは後世の付会であって、本来は当地の有力者が奉じたローカル神ではないでしょうか。そうなるとその有力者とは、やはり筑紫君磐井(いわい)の名が思い浮かびますが、あくまで想像に過ぎません。
(上段)体つき、足位置、鼻の形などに筑後型の特徴がうかがえます。ウンは著しく破損していますが、立派な一角を有し、髪もアとは造り分けられているように見えます。
(中段)ネジリ房の眉にドングリ目を見開き、アは玉を噛んでいます。アゴヒゲと髪は一体化し、胸に緩やかに垂れています。全体に局面が多用され、ゆったりした穏やかな造形です。
(下段)角張った頭部が一般的な肥前狛犬にあって、このように円形の頭部をもつものは非常に珍しいです。円柱の側面を彫り窪めて大きな口腔を表しているのも、この狛犬だけのオリジナルです。こうなると相方がどのように造られていたか是非知りたいところですが、残念です。


荒木宮(あらき・ぐう)

提供者:hisaLinさん
09.03.31
hisaLinさんのコメント:熊本港の近くにあった神社で、小さな社殿の前に鎮座してました。熊本に多い?ヒゲ濃いくは見えませんが。
(熊本県熊本市中島町)
狛太郎のひとこと:ここは熊本平野が島原湾に向かって尽きようとする辺りで、地形上からも古い干拓地であることが分かります。現在はすっかり市街化して、干拓の面影を探すことはできないそうですが、「中島」という地名はその名残りかもしれません。祭神は阿蘇神社と同じ健磐龍命(たけいわたつのみこと)で、永享元(1429)年の創建といいますから、相当な古社です。
狛犬は顔が大きくて足が短いという、熊本ではよく見かける体型です。細かくびっしり並んだ歯列も熊本狛犬の特徴ではありますが、これは飛び抜けて歯の数が多く、まるでジッパーのようです。首の回りを取り囲むようなアゴヒゲは、御領神社のものによく似ています。


宅春日(たく・かすが)神社

提供者:うめぞーさん 
09.04.02
うめぞーさんのコメント:再び奈良市内の神社に戻って参りました。
『新薬師寺』から『白毫寺』に行く途中にある『宅春日神社』です。神護景雲2(768)年、春日大社の最初の末社として創建されたそうです。
(上段)まずは鳥居の前に、このような四角張った新しいペアがいました。
70センチくらいでしょうか、割り合いにスタンダードな大きさです。
台座には、『昭和六十一年十月吉日建之 中川泰宏 下田昌英』 と刻まれています。
(下段)大きさは50センチくらい、妙に人間臭い顔で頭でっかちです。創建された年月も、奉納者の名前も石工の名前もありませんでした。花崗岩製だとは思うのですが、あまり見かけるタイプではありません。また面白い子達がいましたら、お知らせいたしますm(__)m
やっぱり橿原近辺には、幕末から明治の無難な『浪花型』の子達が多いみたいです。
(奈良県奈良市白毫寺町116)
狛太郎のひとこと:神護景雲2年といえば、僧道鏡が法王に登り詰めたのがその2年前、そしてその得意絶頂も長くは続かず、称徳天皇の薨去とともに失脚したのが今度はその2年後でした。そんな歴史の残照が、奈良の町には昨日今日のことのように張り付いています。
(上段)昭和製の新しい狛犬なのに、この個性の際立ちかたはどうでしょう。角張った体型と獅子舞のような顔立ちが強烈に自己主張しているのに加え、尾の形などは思わず笑ってしまうほどの奇抜さです。世に多い凡庸な新作とは一線も二線も画す作品です。
(下段)ころころした体つきや、柔らかくカールする毛筋などに、浪花型の面影があります。
しかもウンには小さな角もあって、血筋の良さ主張しているようです。全体的なデッサンには少々欠けるところがあるとしても、人間の手を経た温かみで十分に補えています。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
09.04.03
hisaLinさんのコメント:住宅街の中にある小さな神社でした。
鳥栖地方でよく見る狛犬さん?ですか。
(佐賀県鳥栖市古賀町639番)
狛太郎のひとこと:鳥栖市北方郊外に位置し、九千部山系への入口といった場所に鎮座しています。老松神社は菅原道真を祀る神社で、天満宮とともに鳥栖市では一番多い系統です。
鳥栖市史によると、当社は永久元(1113)年創建という相当な古社でした。
狛犬は仰る通り典型的な筑後型で、鳥栖市では最も優勢な一族です。極めてマッチョな体躯に、ざっくりした髪の房がよく似合っています。この写真でもよく分かるように、筑後型ではアウンの髪の房や耳の形が造り分けられ、ウンには一角が施されているのが普通です。


大村(おおむら)神社

提供者:hisaLinさん
09.04.04
hisaLinさんのコメント:唐津にある玉島川を上流方面にサイクリングした時に立ち寄った神社で、境内にあった大きなイチョウの木が印象的でした。近くに玉島神社がありますが、玉島神社の狛犬さんの雰囲気と違う狛犬さんでした。また、灯篭の上にも狛犬さんがいました。
(佐賀県唐津市浜玉町五反田219)
狛太郎のひとこと:奈良の朝廷では藤原一門が圧倒的な権勢を誇っていましたが、やがて吉備真備など反藤原勢が台頭、その政争が武力衝突に発展したのが藤原広嗣の乱です。広嗣は肥前国で捕らえられ、唐津で処刑されました。当社はその広嗣の霊を祭っています。
(上段)肩や胸の筋肉の盛り上がりが著しく、濃い眉と張った小鼻が男性的な印象を増幅しています。佐賀県内の系統には当てはまらない造形であり、当サイト内で探すと、福岡県前原市に類例がありました(雷神社熊野神社加布里天満宮など)。耳が横に張り出す形が特徴です。
(下段)いかつい顔で、やや首をかしげるようにして睥睨するのが唐津型の特徴です。尾は唐津型としては異例なほどダイナミックな造形ですが、基本的には唐津型に多い逆R字状が踏襲されています。玉島神社とは少し印象が違いますが、同じ唐津型で間違いありません。


筑紫(ちくし)神社

提供者:hisaLinさん
09.04.05




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A





B





C
hisaLinさんのコメント:JR原田駅の近くにあった神社で階段を登ったところにいた狛犬さんです。唐獅子?筑後型?・・・等々、イロイロな狛犬さんが居ました。
(福岡県筑紫野市原田2550番)
狛太郎のひとこと:『古事記』は九州島を「身一つにして面四つあり」と記しています。当時九州には4つの勢力が分立していたことを示唆するものです。このうち筑紫国は「白日別(しらひわけ)」と称されます。当社はその白日別を祀る延喜式内の古社です。
@扁平な頭部と垂れた両耳の造る形が兜をかぶっているように見え、また顔も人間に近いため、狛犬よりは四天王のような風貌です。このタイプの元がどこにあるのかまだ不明ですが、北九州に多く見られるほか、山陽地方でもしばしば見かけました。
A中国の唐獅子ですが、一応アウンに造り分けられています。髪が豊かで、胸には瓔珞を付けた派手な装いです。これを見ると唐獅子のルーツがライオンだということが納得できます。
Bなかなか迫力のある咆哮で威圧感があります。重量級の体つき、垂耳と立耳に造り分けられた耳の形など、原形が筑後型であることは明白です。しかし鋭い鋸歯列であるのは筑後型では異例であり、時間と地域の隔絶によって、原型から離れつつある例といえると思います。
Cこれは以前私が訪れた時には無かったと思いますので、新しいもののようです。筑後型を参考にしているようにも見え、またそうではないようにも見えます。大きな体のわりに小さすぎる玉を踏んでいるのが、可愛いかも知れません。残念なことに、尾がおざなりです。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.04.06
hisaLinさんのコメント:31号線を走った時に立ち寄った神社で、階段を登ったところに狛犬さんがいました。この辺りは、このような狛犬さん(千栗八幡宮でもいたような?)が多いのでしょうか?
(佐賀県鳥栖市平田町3102番)
狛太郎のひとこと:当社の鎮座地は鳥栖市の西方郊外、JR麓(ふもと)駅に近い場所です。
九千部山系(847m)の南縁にあたり、文字通り山の「麓」に鎮座しているのです。
狛犬は堂々たる古代型です。試行錯誤期の作品であり、彫刻技法も未熟ながら、かくも力強いデザインを産みだした石工の創造性には脱帽のほかはありません。内面から満ち溢れる生命力が、あたかも石の肌を通して見る者をも照射するかの如くです。
類例は若宮八幡神社村田八幡宮などにもあり、ある時期、このスタイルが鳥栖三養基地区で流布したことは確かです。ただしこれがどの系統の石工の手になるものかは、未解明です。


田島(たじま)神社

提供者:hisaLinさん
09.04.07
hisaLinさんのコメント:伊万里から、204号線を波戸岬方面へ走ってたときに、立ち寄った神社です。階段を登ったら、結構大きい狛犬さんだったのでビックリしました。
(佐賀県伊万里市波多津町筒井1007番)
狛太郎のひとこと:R204は東松浦半島の外周をぐるりと取り巻くように走っており、延々と続く海岸線の美しさが見事で、また観光資源も豊富です。地方道もよく整備されていて、今の季節は輪行にもドライブにも最適なエリアです。呼子の田島神社は佐賀県で最も古いとされ、伊万里にもその分社が幾つか見られます。当社のその一つで、宗像三女神を祀っています。
狛犬は大柄な唐津型です。この例のように忿怒相に迫力があり、少し首をかしげて睥睨する姿勢が特徴です。また胸と腹の境目に横にエッジを付けるのが通例で、蹲踞と玉取という組合せもお馴染みのパターンです。佐賀産の他の2系統とは全く違う独特の雰囲気を持っています。


染井(そめい)神社

提供者:hisaLinさん
09.04.08
hisaLinさんのコメント:県道56号線沿いに南下して走ってる時、染井の井戸という看板に釣られて向かったら、静寂な中に広い敷地に神社がありました。階段を登っていくと拝殿があり、狛犬さんが鎮座してました。
(福岡県糸島市大門672番)
狛太郎のひとこと:魏志倭人伝にいう「伊都(いと)国」の領域にあり、奈良時代に怡土城の鎮護として創建された高祖神社にも近い場所です。「染井の井戸」とは、神功皇后が戦況を占うために純白の鎧を沈めたところ、真紅に染まって吉兆を顕したという伝説のある井戸です。
狛犬は滋賀県の大宝神社が所蔵する木造狛犬をモデルとしたものです。厳めしくフォーマルな容貌が好まれており、このタイプは各地に広く分布しています(警固神社福岡県護国神社
榊神社靖国神社など)。元の木造狛犬が精悍でほっそりした姿なのに比べて、石造では次第に逞しく造られる傾向にあります。この狛犬の場合は特に肉付き良く造られている例です。


南都鏡(なんと・かがみ)神社

提供者:うめぞーさん
09.04.09
うめぞーさんのコメント:春日移しの本殿で有名な、奈良市高畑町の『南都鏡神社』です。
60センチくらいだったと思います、大きくもなく小さくもなく。
「阿」の台座には「明治十七(1884)年建之、石工石田元造」とあるのですが、狛犬のすぐ下の台には「石工桜井○、平井庄太郎」と、消えそうな字で刻まれていました。ひょっとして、狛犬本体と台座が別物なんでしょうか?台座は花崗岩、狛犬は砂岩にみえますので。
(奈良県奈良市高畑町468番地)
狛太郎のひとこと:春日山南西麓に鎮座。大同元(806)年に新薬師寺の鎮守社として創建された古社です。祭神は吉備真備らとの政争に敗れ、肥前唐津で憤死した藤原広嗣です。
その後真備自身も肥前守に左遷されており、因果は巡るというべき歴史の綾に感ずるところ大です。因みに広嗣の処刑地の唐津市にも鏡神社大村神社があり、その霊を祀っています。
狛犬は中肉中背ながら、筋力がありそうな体つきです。顔つきは厳めしく、浪花型に見る親しみやすさとは一線を画しています。玉取と子取の一対ですが、ウンの子を取る手が大きく、また爪も鋭くて、子獅子の頭は大丈夫か、と思う程です。髪も尾も豊かで、見応えがあります。
狛犬と足下の盤は一体成形なので、狛犬の製作者は「平井庄太郎」で間違いないでしょう。
台座の年銘との食い違いについては、明治17年に奉納された「石田元造」の作品も寿命の短い砂岩製で、その耐用年数が尽きたため、平井氏が新たに製作したのではないでしょうか。


太刀帯(たちおび)神社

提供者:DogOneさん
09.04.11
DogOneさんのコメント:大川市へ行く機会がありましたので、榎津と周辺数社を梯子してみました。社格はかなり上のようで大正初期の建立のようですが、狛犬さんは平成14年8月に更新されているようです。体長は80cmと82cmで、頭頂も210cmを越えており見上げる大きさです。大きな犬歯、口まわりに近年に制作された狛犬に共通する姿態が感じられます。
(福岡県大川市大字上巻)
狛太郎のひとこと:永禄年中(16C半ば)に再建といいますから、かなりの古社であるようです。
珍しいのは当社の祭神で、天穂日命(あめのほひのみこと)と申します。天孫が出雲国を没収する時、宣撫使として派遣されたにも拘わらず、大国主命に心酔して職務を放棄した神です。
しかし「記紀」の伝えない隠れた功績があったのか、こうして彼を祀る神社が他にも存在します。
狛犬は新作とはいえ、元の狛犬を再現しようとしているように見えます。柔らかく伸びる毛筋や、二段式の立派な尾の様子から、元の狛犬とは恐らく塩田型ではなかったでしょうか。
確かに長すぎる牙や全体のバランスなど、印象がだいぶ変わってしまっているものの、こうして先代に敬意を払い、その姿を残そうとするあり方は、旧狛犬が次々に更新時期を迎えつつある今日、望ましい方向性として歓迎すべきものです。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:DogOneさん
09.04.12
DogOneさんのコメント:50m程の参道から鳥居をくぐってすぐに狛犬さん(上段)が、その奥に楼門があり肥前狛犬さん(下段)が囲いの中に鎮座しています。狛犬さんが塩田の筒井弥太郎の作で、楼門に肥前狛犬が居るなど小保八幡宮とそっくりです。
(上段)狛犬は体長90cmと92cmとこれも大きいのですが、阿像の顔面が見事に剥離しているのが哀れです。 塩田系の石の運命なのか、他の部分にも剥離が進んでおります。小保八幡ではあまり目立たなかった胴体のあばら骨模様の凹みが、こちらではくっきり付けてあるのも作者の特徴でしょうか。「肥前国藤津郡」と彫ってあり、筑後藩への意地を示しているようです。
(下段)楼門内の狛犬さんは格子の中にあるので詳細は分かりませんが、スフインクスが起き上がったらこんな格好かなと想像しています。頭が上向き加減なためよく分かりませんが、目玉がカエルのおもちゃのような感じです。体長は54cmと56cmです。
(福岡県大川市上巻)
狛太郎のひとこと:塩田狛犬と肥前狛犬を備えた神社が藩堺を越えた大川市にある、という事実は、以前狛乙さんのご投稿によって知られていたわけですが(小保八幡宮)、今回同じ大川市に同様の神社がもう一つあるというご指摘を頂いたことには、少なからず驚かされました。
hisaLinさんのご投稿によって、前原糸島地区が肥前狛犬文化圏であることが明らかになったことと併せ、狛犬地図が少しずつ変化しつつあります。こういう発見こそまさに至福です。
因みに筒井弥太郎は、当社のほか前述の小保八幡宮及び救世神社天満社に狛犬作品を残しています。嘉永6(1853)年から明治25(1892)年にかけてのことです。
(上段)上記により、幕末〜明治中期にかけての作品です。剥離が著しく、残念な状態です。
(下段)肥前狛犬としては後期に属する作品のようです。アウンの別が明瞭になっており、毛筋の処理も洗練されています。四肢に飾り毛をつけ、顔立ちも後世の獅子型に近づいています。


水天宮(すいてんぐう)

提供者:DogOneさん
09.04.13
DogOneさんのコメント:榎津の明治橋の上流側に「水天宮」があります。おなじみのコマヤン。
昭和47年の建立(再建?)で体長は55cmです。
(福岡県大川市榎津向町)
狛太郎のひとこと:水天宮の総本宮は久留米市の水天宮です。東京日本橋の水天宮は、久留米藩主有馬公が江戸屋敷に分霊を祀ったのが始まりです。壇ノ浦で散った幼帝安徳天皇をはじめ、一緒に入水した高倉平中宮、二位の尼などを祀っており、安産・子授けの神とされます。
狛犬は…コマヤンですね。あまりにも数が多いのと、工業製品的な趣によって愛好家には甚だ不評のコマヤンですが、数が多いのはとりもなおさず人気の証と言えなくもありません。よく見ると確かにハンサムですし、バランスの取れた良い体型をしています。しかし、古くなると白い肌の汚れが目立ってしまうのと、このおざなりな尾がマニアに受けない要因と推察します。


日吉(ひよし)神社

提供者:DogOneさん
09.04.14
DogOneさんのコメント:社殿は道路側でなく川のほうを向いています。
(上段)拝殿の前にはコマヤンが鎮座していました。
(下段)入口の階段の右に1体、吽像がありました。体長80cm、大きな歯が特徴で、右前足に小さな玉を押さえ、正面やや上の方を向いています。銘はありません。
(下段右)3mほど離れたところに狛犬の顔面が水槽の縁に載せてありました。前頭部と目の部分だけでお面のような状態です。口の部分がないのでどちらの像か分かりませんが、多分阿像だと思います。何があったのでしょうか。哀れみを感じます。
この神社には文化財の船神輿があります。社殿が川のほうを向いているので、川に浮かべるのかなと思ったのですが、四輪の木車を取付けて、とあるので道路上を曳行するもののようです。
(福岡県大川市榎津浦町)
狛太郎のひとこと:川の方を向いているということは北向きということですね。古代中国に「天子南面」という思想があり、神社もそれに倣って南面を原則としています。敢えて北面するからには何らかの理由があるはずです。川を連想させる船御輿神事と関係があるかも知れません。
(上段)水天宮のものより更に工業製品化したコマヤンで、近年はこのタイプが大半になってしまいました。同じものばかり造る方が安上がりかも知れませんが、淋しい限りです。
(下段)塩田型かそれに倣った作品のようです。洗練されているとは言い難いデッサンですが、石工の個性は十分に発揮されています。踏んでいる玉が極端に小さいのにも、はじめからこうするつもりだったのか、またはこうなってしまったのか、などと想像して楽しむことができます。
頭部だけの狛犬には哀感が漂います。胴体は修理不能なほど壊れてしまったのでしょう。
それでもこうして、せめてもの面影を留めてもらっているのは幸いかも知れません。


八坂(やさか)神社

提供者:DogOneさん
09.04.15
DogOneさんのコメント:明治橋から銀座道路を100mほど行って右へ折れると「八坂神社」があり、 狛犬さんが2対鎮座しています。
(上段)手前の1対は、体長75cmと70cmで、大正15(1926)年6月「友達中」5名の寄進ですが、石工の銘はありません。刻み模様は少なく、渦もすこししかありません。あとで気付いたのですが、この地区の像は殆ど飾り台の上に乗っています。
(下段)奥の1対は、体長55cmの小柄な狛犬さんです。天保7(1836)年12月吉日、紺屋制作の銘があります(紺は一寸怪しい)。かなり風化が進んでいるので模様はよく分かりませんが、可愛い感じが伝わってきます。
(福岡県大川市榎津城町)
狛太郎のひとこと:「明治橋」「銀座道路」といった名称に、歴史の断片を見るような、味わい深さを感じます。少しセピア色になった、懐かしい風景を写した写真のようでもあります。
(上段)ごくオーソドックスな蹲踞ですが、どういう系統かはよく分かりません。ウンの尾の疎らな毛筋が、コマヤンに通ずるように見えるのが気がかりではあります。それよりも、台座銘の「友達中」にほのぼのされられます。「中」とは「仲間」とか「全員」という意味で、「氏子中」が代表的であるほか、「若者中」「講中」「村中」などをよく見かけます。「家中」は大名家の家臣団です。
(下段)筋骨隆々の筑後型です。天保7年はこの型が確立していく時期です。同期には鳥栖市の四阿屋神社の狛犬があり、養父八幡宮永世神社が2年後輩ということになります。


宇須多伎比売命(うすたきひめのみこと)神社

提供者:うめぞーさん 
09.04.17
うめぞーさんのコメント:『日本書紀』の皇極天皇元年に見える、“八月の甲申(きのえさる)の朔(ついたちのひ)に、天皇(すめらみこと)、南淵(みなぶち)の河上に幸(いでま)して、跪きて四方を拝む”で始まる有名な雨乞いの行われた場所は、この神社とされているようです。
一メートル近い大きな狛犬です。台座には「天保十四(1843)年八月日 ○村 入谷村」と書かれているようなのですが、とにかく風化が進んでいて、拓本でも取らないと良く分かりません……
もし天保十四年だとしたら、中和では珍しく古い狛犬です。さすが式内社?
(奈良県高市郡明日香村稲渕字宮山698)
狛太郎のひとこと:稲渕は古代の「南淵」で、中大兄皇子(天智天皇)や中臣鎌子(藤原鎌足)はここに住んだ南淵請安の塾に通って、大化改新の構想を練ったと言われています。
この地で厳かに雨乞いの神事を営まれた皇極女帝も、3年後に眼前で入鹿暗殺を目撃することになるとは、想像だにされなかったことでしょう。ご苦労の多い生涯の始まりでした。
狛犬は堂々たる浪花型です。柔らかく膨らみのある髪が美しく、体格も小太りなものが多い同タイプの中では逞しさが際立っています。浪花型の成立は1800年前後とされますが、40年ほどで当地(入谷は稲渕の南にあった村)でもこれほどのものが造られるようになっていたのです。
なお当社の正式名称は、「飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社」(あすかかわかみにます・うすたきひめのみこと)です。また、「中和」とは奈良県中部をいい、「大和」の「中部」を意味します。


天満(てんまん)神社

提供者:DogOneさん
09.04.18
DogOneさんのコメント:榎津には「7天神ある」と出来町の人に聞きました。出来町に親戚があったので、子供のころよく来ていましたが、今ではどこら辺だったか分かりません。旧町名は今の地図には載っていないので、図書館で大川町史をくっていたら、見取り図と神社一覧がありました。しかし栄町の場所が分かりません。手持ちの地図やYAHOOの地図データにもそれらしい位置は確認できず、6社だけの訪問となりました。
北の方から1社目は向島の天満神社。体長は80cmと82cm。「昭和7(1932)年7月25日、蒲池村大字立石、石屋田中頼太郎」の銘があります。御影石の像は表面が荒れていますが、下の飾台はきれいな面をしているので後で置かれたのでしょうか。横長の目、前足のこぶ、大きく平べったい尾が目立ちます。また梳き目のないタテガミはこの周辺でよくみかけます。
(福岡県大川市榎津向町)
狛太郎のひとこと:旧町名と照合しながらのご訪問、ご苦労様でした。私も地図でそれを追いかけながら、楽しい空想旅行を楽しませていただきました。
狛犬は西日本一帯に広く分布している一族ではないかと推測しています。しかし特徴を整理しきれていないので、一つの型として認識するには至っていません。扁平な頭頂と垂れた耳の造る角度の印象から、北九州に似たタイプが多いように感じています。(菅原神社高倉神社


天満(てんまん)神社

提供者:DogOneさん
09.04.19
DogOneさんのコメント:2社目は出来町の天満神社。体長は75cmと76cm。
「明治26(1893)年7月25日、柳河蟹町、石工安〇安太郎」(彫りはあるが読めない字)の銘がある。あごの下に大きなこぶ状のものがあるので、ズングリした感じをうける。渦が大きな束で彫られており、一寸大雑把な感じを受ける。双方とも短い角がある。

(福岡県大川市榎津出来町)
狛太郎のひとこと:狛犬は筑後型です。久留米市を中心に、柳川、大川、鳥栖を含む筑後地方で優勢な一族です。大柄で極めて筋骨逞しく造られ、顎下のコブ状のものは張り出した胸筋の表現です。髪はざっくりした梳毛、渦は毛筋のない螺旋渦で表現されます。「大雑把な感じ」というご感想の通り、あえて繊細さを求めず、力強さやダイナミックな造形が追求されています。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:DogOneさん
09.04.20
DogOneさんのコメント:3社目は浦町の天満宮。体長は70cmと74cm。「大正13(1924)年6月、石工深川新太郎」の銘がある。鎧を着けたような感じで、左右から見ると違ったものを見ているような異様な感じがする。吽を左前から見ると(画像下)、スターウオーズのダースベイダー?の仮面を思い出す。尾は菊水の紋を見るようだ。境内には丑(昭和41年4月)が1体居り、丑と鳥居・フェンスを内田米蔵氏、狛犬と獻燈を深川氏が作っている。
(福岡県大川市榎津浦町)
狛太郎のひとこと:榎津、浦町という地名が海の存在を表しており、近くには津、若津、堤などという地名も点在して、この地が筑後川や有明海の恵みを受ける土地であることを示しています。
狛犬は幾分デフォルメされた筑後型です。著しく盛り上がる筋肉、アウンの耳の造り分け、ウンの一角、どれをとってもこの型の基本を遵守しています。ただ、どこと指摘はできないものの、通常のものより全体的に角張っているような感じがあります。下の写真ではその印象がより鮮明です。髪や飾り毛や耳など、隆起している部分の立ち上がりが急だからかも知れません。


天満(てんまん)神社

提供者:DogOneさん
09.04.21
DogOneさんのコメント:4社目は本町の天満神社。体長は70cm。
「大正14(1925)年12月、川口村石工、吉川松次郎」の銘がある。
大きな犬歯と尻尾が目立つ。(後ろの暗がりに騙されて露出オーバーで失礼)
(福岡県大川市榎津本町)
狛太郎のひとこと:本町という地名は、一定の地域のコアを指しています。本町の西側に新町があるので、町の発展が西に向かって進行したことが窺われます。その更に西側には浜口など漁村らしい地名が点在し、ここが商業地と漁村で混成された地域であったことも理解されます。
狛犬はちょっと風変わりな容姿ですが、大正年間なら外国産というわけではなさそうです。
長い毛房が肩と背を覆っており、尾も太くボリュームがあります。ところがそれらには細かい毛筋が見当たらず、細工としてはやや簡略です。全体的な印象として、太刀帯神社の新作狛犬に似通った点があるようにも思えます。両者には何らかの関係性があるのかも知れません。


天満(てんまん)神社

提供者:DogOneさん
09.04.22
DogOneさんのコメント:5社目は長町の天満神社。体長は68cmと70cm。文政5(1822)年秋の銘があるが、石工の銘は見えない。頭を前へ突き出した姿は、犬の蹲踞のようだ。足元はくりぬかず牡丹を刻んであるのは、柔らかい石の崩落を防ぐための手法かもしれない(吽像の左前足は剥離欠落している)。この地の像の毛にしては珍しく筋目が入っている。
(福岡県大川市榎津長町)
狛太郎のひとこと:花宗川に架かる明治橋から南へ延びる「銀座通」と、それに直交して西に延びる「駅前通」によって区分された数百b四方の範囲に、このシリーズである「榎津七天神」の全部が含まれています。しかも全部に狛犬を備えており、各町の意気込みが伝わってきます。
筑後型の勢力範囲にありながら、当地に塩田型が相当進出していることは、DogOneさんのこれまでのレポートで明らかになっているところです。これも非常に美麗な塩田型です。塩田型の特徴である精細な髪と尾の毛筋を、下段の写真でより鮮明に確認できます。正確に平行に刻まれた筋が、美しい陰影を伴って柔らかに流れ下りあるいは巻上がるさまは、まさに絶品です。


天満(てんまん)神社

提供者:DogOneさん
09.04.23
DogOneさんのコメント:6社目は水入町の天満神社。
体長は83cm、「大正13(1924)年2月25日、中田辰次郎」の銘があります。御影石製でまだ綺麗な肌をしています。横3峰の大きな尻尾、末端の渦が5層にもなったたてがみ(下左)が目立ちます。吽像には短い角があります。地元の方の話では、この神社は明治元(1868)年に建立された社殿の手前に増築されており、狛犬はその時に作られたものだそうです。
古い社殿は土地の豪商(さけみ氏)の寄進で造られたものものだそうで、「彫刻師村石吉太郎」の作品が飾られていました。垂木(下右)の作りにも特徴があります。
(福岡県大川市榎津水入町)
狛太郎のひとこと:「榎津七天神」の最終回です。6社目で終了というのは、DogOneさんのご努力にもかかわらず、最後の「栄町」天満神社が判明しなかったからです。心残りではありましょうが、丹念に旧地名を辿りながらの探索行には敬服の至りです。お疲れ様でした。
狛犬は北九州風の御影石の狛犬ですが、丁寧に付けられた規則正しい毛筋が秀逸で、特にコイルのような五重もの巻き毛は類を見ないものです。中田石工の独特の感性が光ります。
豪華な彫刻もさることながら、軒の造りも社殿鑑賞ではなかなかの見どころです。垂木が放射状に造られたものを「扇垂木」といい、特に全体が扇状のものを「禅宗様(よう)」と称します。
「平行垂木」より装飾性が強く、女性的でエレガントな美しさを持っています。


牛頭天王(ごずてんのう)/八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.04.25
hisaLinさんのコメント:福岡空港を横切って、宇美町に向けて走ってた時に立ち寄った神社です。前足がスリムな狛犬さんでした。
(福岡市博多区東平尾2丁目)
狛太郎のひとこと:二社が合祀された神社であるようです。牛頭天王は祇園精舎の守護神で、祇園社、八坂神社、櫛田神社などに祀られています。一方、八幡宮の祭神は応神天皇です。
狛犬は痩身長駆で現代っ子のようなスマートな体つきですが、顔立ちはどことなくひょうきんです。目と眉が離れているので、人間の顔のように見えるせいかも知れません。アとウンでは髪型が少し違っており、飾り気がなく簡素な中にも、変化を持たせる工夫が見られます。


斎宮(いつきのみや)

提供者:hisaLinさん
09.04.26
hisaLinさんのコメント:久山町までサイクリングした時、立ち寄りました。狛犬さんが前足を乗せてる岩に、花模様の彫りがありました。
(福岡県糟屋郡久山町山田)
狛太郎のひとこと:神功皇后は熊襲征伐のため筑紫香椎宮に行啓、更に熊襲を支援する新羅を親征することとし、この地に斎宮を営んで戦勝を祈願しました。当宮はその霊跡とされます。
狛犬は砥川石工が得意とした岩狛に酷似しています。自然石風に加工した岩に、牡丹花を配する意匠も然りです。ただ狛犬の人相体型は全く異なっており、砥川系の作品でないことは明らかです。岩狛を見た当地の石工がそれを参考にしたことは考えられますが、確かではありません。小さく丸い目、横に張り出す耳、びっしり並んだ歯など、なかなか可愛らしい顔だちです。


天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.04.27
hisaLinさんのコメント:久山町の546号線を走った時、立ち寄った神社です。ここは、木の鳥居でした。また、山肌を背に建っていました。
(福岡県糟屋郡久山町猪野)
狛太郎のひとこと:猪野川の流れが急角度で蛇行する川辺に、遠見岳を背にして南面しています。現在の鳥居はほとんど石造ですが、起源的には木造であったことは間違いなく、伊勢神宮をはじめ特に格式を重んじる神社では、木造鳥居が多く用いられています。
狛犬もそうした神社でよく見かける大宝神社型です。厳めしさと力強さを兼備したフォーマルな印象が、神社の性格によく合致すると考えられているようです。元の木造狛犬が細身で俊敏そうな体つきなのに対して、石造化されてからは筋肉隆々に表現される傾向にあります。


松尾(まつお)神社

提供者:hisaLinさん
09.04.28
hisaLinさんのコメント:
西鉄の朝倉街道駅近くの神社で、出雲式風?の可愛らしい狛犬さんでした。
(福岡県筑紫野市石崎字浦畑150番)
狛太郎のひとこと:朝倉街道は筑前国博多と豊後国日田を結ぶ交通の要路で、秋月街道がこれに交わる筑紫野市は、戦略的にも大変な要衝であったようです。松尾神社の祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)といい、山の支配者としての神格ですが、松尾大社を祀った渡来系の秦氏が酒造の技術も有していたため、醸造の祖神としても崇敬されています。
狛犬は出雲式の体勢を取っています。ただし本場のものとはかなり違いがあり、地元石工の作品のようです。出雲以外の地でもこのスタイルを持つものが散見されますが、変化や個性を求める地元石工たちの創意工夫の産物らしく思われます。(伏尸神社綾部神社蒲生八幡宮


宝満宮(ほうまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.04.29
hisaLinさんのコメント:柳川から瀬高町方面に向かって走った時に立ち寄りました。
鼻が印象的でした。聖母宮の狛犬さんに似てませんか?
(福岡県柳川市三橋町五拾町)
狛太郎のひとこと:宝満宮は大宰府竈門神社の神を祀る社で、福岡県内に数多く分布しています。祭神の玉依姫命は海神の娘で、人皇第一代神武天皇の母に当たる神です。
狛犬は仰るとおり、聖母宮のものにそっくりです。似ているというより、当社のウンが玉取りである以外は、アウンのヒゲの造り分けをはじめ、各パーツに至るまでほとんど同一物です。
聖母宮のあるみやま市と柳川市は隣接しており、同じ石工の作品とみて間違いないでしょう。
たまにこうした例を発見することがあるのも、狛犬探しの大きな楽しみのひとつです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.04.30
hisaLinさんのコメント:柳川から瀬高町方面に向かって走った時に立ち寄りました。
大きさは小さかったんですが、どっしりとした印象を受けました。
(福岡県柳川市三橋町久末)
狛太郎のひとこと:旧山門郡三橋町は、平成大合併により柳川市に属しました。市の周縁部に当たり、い草などの栽培が盛んです。当社も広い田園地帯の中に鎮座しています。
狛犬は四肢のスタンスにゆとりがあり、安定感のある造形です。ボリュームのあるヒゲと髪の房が首を覆い、胸幅の広さと相俟って男性的な体つきが表現されています。系統は不明ですが、天草の狛犬(大浦阿蘇神社上津浦諏訪神社御領神社)にやや似た点があります。


北野(きたの)天満宮

提供者:hisaLinさん
09.05.01



@




A




B




C
hisaLinさんのコメント:北野町にある大きな神社でした。
筑後型?の狛犬さん達(@A)の中に金、銀に彩られた狛鷽(B)が拝殿前に鎮座してました。
楼門内には赤、青色した狛犬さん(C)もいました。
(福岡県久留米市北野町中)
京都北野天満宮の分霊がこの地に祀られたのは天喜2(1054)年のことですから、千年に近い歴史を有する社です。それまで河北庄と呼ばれていたこの地は、以来北野と称するようになった由です。学問の神として崇敬され、また「鷽替え神事」でも知られる地方の名社です。
@とAはともに筑後型ですが、そっくりな中にも印象が異なることにお気づきのことと思います。まずは明らかにAの方がマッチョです。それに肌の処理が@の「磨き」に対し、Aは「ツツキ」という技法で仕上げられています。表現法としてAに進化の跡があり、年銘は不明ながら、@が古くAが新しいように思われます。しかし@の初期的素朴さにも惹かれるものがあります。
Bは「鷽替え神事」の「鷽(うそ)」の一対です。「鷽」が「嘘」に通じることから、嘘のない世の中を希求する願いの象徴とされています。鷽=アトリ科、体長16a。春の季語。
C鮮やかな赤と青に彩色され、尾の形も木造ならではの繊細さですが、鼻の形や前足のオープンスタンスとアンクレット風の隆帯など、筑後型の原型ではないかと思わせる造形です。


世田谷(せたがや)八幡宮

提供者:狛若さん
09.05.03
狛若さんのコメント:東京というところは、高層ビルが密集した、息の詰まる大都市というイメージがありますが、結構神社やお寺などのゆったりとした空間もあるんですよね。この神社も、経堂駅の近くにある、地元の人々に大事にされている神社という印象を強く持ちました。
狛犬は、中型犬サイズです。阿吽、それぞれ子犬を携えています。これって珍しいんじゃないでようか?少なくとも佐賀では見かけないような気がします(小生の数少ない経験からの推測ですが・・・)。
(東京都世田谷区宮坂一丁目26番3号)
狛太郎のひとこと:当社は源義家が後三年の役から凱旋の途次、当地に暫時逗留の折り、宇佐八幡宮を勧請したとされる古社です。義家は「八幡太郎」の異名を持つ武将で、多田源氏の祖、源義仲4代の孫です。多田源氏については、「多田神社」をご参照ください。
狛犬はゆったりした造形が特徴の江戸型です。曲面を多用した柔らかな肢体と、長く流れる毛筋が優美で、とりわけ盤の外にこぼれ落ちる豊かな尾は、他の流派が創案し得なかった優れた意匠です。江戸型では子取り玉取りが定番で、両方子取りは珍しいかも知れません。なお台座には「下総国」の表記がある一方、姓名は近代のものなので、明治初期のものと判断します。


鶴岡(つるがおか)八幡宮

提供者:くろのすけさん
09.05.04
くろのすけさんのコメント:本日、たまたま訪れた鎌倉、鶴岡八幡宮にてこの狛犬さんに出会いました。実朝暗殺で有名な、かの大銀杏の際にあるものです。記銘はなく年代不詳ですが、太い四肢に個性的でユーモラスな顔つきと、どことなく肥前狛犬の進化型(?)を思わせるような容姿だと感じました。
(神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31) 
狛太郎のひとこと:多田源氏(多田神社参照)の祖・満仲から3代目の源頼義が、京都石清水八幡宮を勧請して当地に創建、永保元(1081)年にはその子八幡太郎義家(世田谷八幡宮参照)が修復しました。その後源氏の棟梁となった頼朝も当社を崇敬し、関東総鎮守としました。
狛犬は系統は分かりませんが、古い素朴な姿を残しています。肥前狛犬に通じる点は、顔が真っ直ぐに前を向くタテ置き型であることです。ただし、デッサンは未熟ではありながら、足の指爪まではっきりと刻出し、前肢には飾り毛の表現も見られるなど、細部への配慮も怠りがありません。特に尾は立派な扇状が完成しており、ある型への完成間近の作品と見受けられます。


八幡(はちまん)神社

提供者:DogOneさん
09.05.05
DogOneさんのコメント:九網の田圃の中の八幡神社。高い台の上に、体長84cmのコマヤンが乗っていました。昭和63(1988)年12月、柳川市・梅崎石材産業(有)の扱いのようです。
鳥居は昭和2(1927)年5月、旗を立てる石柱は昭和8年4月、献燈昭和11年となっているので、(狛犬は)再建したのかもしれません。
(福岡県大川市九網)
狛太郎のひとこと:筑後川の古称は『肥前風土記』に「御井の大川」と紹介されています。
その頃の「御井」は筑後川の両岸地域全体、すなわち久留米市と旧三井郡を含む広い範囲を指していたようです。その「大川」の河口付近が「大川(市)」と呼ばれているわけです。
当社の鎮座地「九網」は大川市の最西部に当たり、「大川」に寄り添うように立地する町です。
狛犬は大柄でそれなりの存在感を示していますが、コマヤンの通弊として尾の貧弱さは如何ともし難いものです。それでもちゃんと〆縄を飾ってもらい、大事にされている様子です。コマヤンといえども、神殿守護の願いを託した氏子さんの期待に、頑張って応えて頂きたいものです。


高良(こうら)神社

提供者:DogOneさん
09.05.06
DogOneさんのコメント:(八幡神社から)さらに300mほど下った九網・野口の高良神社。ここは高位の神社だそうです。体長は87cmと82cm。大正11(1922)年11月吉日「下新田石工・山口茂吉」の銘があります。たてがみの派手な渦模様、大きな尻尾が目立ちます。吽は子供を足でおさえています。
(福岡県大川市九網野口)
狛太郎のひとこと:高良大社を勧請した社と思われます。高良信仰は筑後一帯を中心に、京都や四国にも同名の社が分布しています。実は祭神の高良玉垂命が具体的に誰であるのか、論争があります。武内宿禰命とするのが一般的ながら、諸説があって一定しないのが実情です。
狛犬は装飾性に富んだ意匠が凝らされています。アゴヒゲは多数の渦の連なりで成り、鼻ヒゲも口端を通って長く伸びています。尾も単純な棒状ではなく、豪快な渦を伴う肉厚の芯が目を引きます。石工銘の「下新田」は九網の南にある「新田」と思われ、当地の石工の作品に違いありませんが、この作風は武雄の川良天満宮上滝八幡社甘久天満宮などとの比較により、また当地に塩田型が多数存在するという事実にも鑑み、やはり塩田の系統と判断されます。


水天宮(すいてんぐう)

提供者:DogOneさん
09.05.07
DogOneさんのコメント:新田大橋へ出ようと堤防の方へ上がったら神社が見えました。
上新田の水天宮です。道を間違えて拾い物をしました。体長は85cmと90cm。「石工/柳川/石川伊三郎/第142号」の銘がありました。142体作ったとすればすごいですね。
製作年は銘無しかメモ忘れか、思い出しません。台座に「御大典記念」とありました。
吽の右45度は逆光で真っ黒でしたので左45度しかありません。頭頂が2.5mと高いので顔面はよく分かりません。
(福岡県大川市新田上新田)
狛太郎のひとこと:鎮座地は筑後川のほとりです。新田という地名からは干拓により新しく開かれた農村であったことが想像され、半農半漁の生計を営む人々の様子が彷彿されるようです。
狛犬はスマートでバランスの良い体型をしています。アゴヒゲが二つに分かれて両肩へ長く流れる形は当地の他の例でも多く見かけるところであり、これが大川市では一般的な意匠であるようです(高良神社天満神社八坂神社太刀帯神社など)。なお 「第142号」は作品数とは考えにくいのですが、さりとてこれといった解釈も思いつきません。また「御大典」は天皇の「即位の礼」で、明治以降4回あるわけですが、昭和天皇ならば昭和3(1928)年のことになります。


厳島(いつくしま)神社

提供者:DogOneさん
09.05.08
DogOneさんのコメント:体長80cmと91cm。「昭和20(1945)年9月吉日、野田伊勢松」の銘があります。昭和20年9月といえば終戦直後。よくこんなものが作れたものだと思います。派手で繊細な牡丹の飾り、たてがみや尻尾の毛裁き。吽の乳房に吸い付く子供。後ろ足にすがりつく子供の表情。奥に見える牡丹の枝。見事です。平川清級ですか。阿の尻尾もちょっと変わっていますね。親同士はお互いにそっぽ向いているのも不思議です。
(福岡県大川市大野島)
狛太郎のひとこと:ここ大野島は、「筑紫二郎」こと筑後川の河口に浮かぶ巨大な三角州です。北半分が福岡県大野島で、南半分は佐賀県です。これはこの島が元々は二つの島だった名残りです。当時の島の名は「雄島」であり、「雄の島」→「大野島」となったのかも知れません。
狛犬は極めて装飾性の強いものです。体に見事な牡丹花、尾には正確に幾何学的な渦があしらわれています。さらに、全身が細かい櫛目の毛筋で覆われており、驚嘆すべき入念さです。職人の意地のようなものさえ感じられる出来映えです。この狛犬の奉納時期は、8月にポツダム宣言の受諾決定と玉音放送、9月は宣言の正式調印という社会情勢でした。DogOneさんが比較されている平川清の作品は、王子宮平尾天満宮有重神社、参考例は乙護神社です。


大海(たいかい)神社

提供者:DogOneさん
09.05.09
DogOneさんのコメント:小保・浜口の大海神社の狛犬さんは、体長74cmと78cmで、白っぽい石に刻んであり、表面が金平糖の表面のような荒れかたをしています。
「大正15年7月川口村・吉川松次郎」の銘があります。この地でよく見かける型のようです。
(福岡県大川市小保浜口)
狛太郎のひとこと:筑後川の河口に近い場所に鎮座し、海神を祀っています。近くには同じく海神を祀る住吉神社もあって、ここが漁業や水運の盛んだった土地であることを示しています。
この狛犬と同じ「吉川松次郎」の作品が、前に頂いていた本町の天満神社にありましたね。
長い直毛の髪と、太い尾に付された粗い毛筋が持ち味のようです。しかし製作月が1ヶ月しか違わないのに、作品の印象はかなり異なります。この違いが石質によるのか、あるいは仕上げ手法によるのかは不明です。また城町の八坂神社も恐らく同一人の作品と思われるものです。


八坂(やさか)神社

提供者:DogOneさん
09.05.10
DogOneさんのコメント:体長73cmと74cmで、太い足、大きな尻尾、分厚い耳、長いあごひげを垂らしています。石工の銘はありませんが、昭和10(1935)年5月の建立です。
鳥居が「明治5(1872)年9月、塩田石工筒井幾太良」の作で、狛犬の肋骨らしきものが作り込まれていることから、これも塩田系ですかね。献燈が明治15(1882)年でかなり年月が離れていることから、再建されたのかもしれません。
(佐賀県佐賀市諸富町為重)
狛太郎のひとこと:秦の徐福上陸地と伝えられる「浮盃(ぶばい)」に近い、新川の河畔に鎮座しています。町史には明治11年創建とされており、そのままでは「明治5年」の鳥居との整合が取れませんが、合祀とか移築とか、何らかの事情が潜んでいるものと思われます。
狛犬はどっしりとした蹲踞です。太い前後肢が密着し、ここに空間を造らないことで重量感や安定感をもたらしています。また尾には複雑な渦と毛筋が付けられ、見応えのある背面観です。
これは出雲狛犬の蹲踞型を模した作品で、地元石工が手がけたものでしょう。本場の出雲狛犬が砂岩製で短命なのに対し、これは大きな損傷もなく造られた時の美しさを保っています。


丸山(まるやま)神社

提供者:TAKOさん
09.05.11
TAKOさんのコメント:主神素盞鳴命、JR四国阿波池田駅北西、約500m。
「明治十七(1884)申歳三月、徳島石工・三ツ田春蔵作」。
徳島県産ですが、出雲型蹲踞の雰囲気でていると思います。
(徳島県三好市池田町ウエノ)
狛太郎のひとこと:当社の鎮座地は、四国三郎こと吉野川が大歩危・小歩危で四国山地を横切り、東に向かおうとする曲がり角に当たります。1974年の甲子園大会で、「さわやかイレブン」ブームを巻き起こした池田高校は、当社とはまさに指呼の間にあります。
狛犬は徳島石工の作品ですが、明らかに出雲狛犬を意識したものです。そういう意味では上記八坂神社のケースと同じですが、それぞれに地元のテイストが加わっており、オマージュ作品同士を比べるとそれほど似ていないというのも面白いところです。


祇園社(ぎおんしゃ)

提供者:DogOneさん
09.05.12
DogOneさんのコメント:久保田町の王子板紙の工場から南側の14社をハシゴしてみました。
小さな社が多く、狛犬さんが居たのは4社だけでした。R207に面した久保田宿の祗園社。
体長68cmと70cmの岩狛です。石工の銘は無く、万延9年11月と刻まれています。
吊り上がった顔面、踏み出した後ろ脚、今にも飛びかからんばかりです。
(佐賀県佐賀市久保田町久保田宿)
狛太郎のひとこと:久保田は長崎街道の宿場町として栄えたところで、各種の商家が軒を連ねていました。当社はその中ほどに鎮座し、弘化3(1846)年以前の創建と推定されます。
祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)で、荒神様として畏敬され崇敬される神です。
狛犬は典型的な砥川型岩狛です。四肢を伸ばし、前肢を岩に掛けて咆哮する意匠は、眉の吊り上がった気の強そうな表情と相俟って、若々しく躍動的な姿を遺憾なく表現しています。
なお奉納年は「万延九年」ではなく「万延元(1860)年」が正しいです。この刻字は風化のせいか筆跡のせいか読みにくく、私も最初は間違って「乙」と読んでいました。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:DogOneさん
09.05.13
DogOneさんのコメント:(久保田の)2社目は大字久富字福島の天満宮です。
福島公民館と民家の影に隠れて、表道路からは見えません。3度ほど往復してやっと見つけました。目印は社の裏にあった注連縄でした。鳥居はありません。
体長41cmと58cmの岩狛です。吽は逆さ岩狛で始めて見ました(八田の粟島神社で見たのは普通のかまえでした)。石工の銘は無く、文久2(1862)年11月と刻まれています。
顔面は苔で表情はよく読めませんが、背後は綺麗な面をしています。
阿を後ろ側から見ると、ずり落ちるのを堪えているようで滑稽です(下画像、アの裏面)。
(佐賀県佐賀市久保田町大字久富字福島)
狛太郎のひとこと:旧佐賀郡久保田町は、北はJR長崎線、南は有明海に達する南北に長い町域を有し、町の南半は近世以降に陸地化したものです。当社鎮座地は町の中央域に位置していますが、江戸期には、今よりずっと海に近い場所であったのです。
狛犬は岩狛の発展形である恐竜型に属するものです。動感豊かな恐竜型の中でも、この岩降りのパターンは一層変化に富み、見る人を楽しませてくれます。岩降りの類例は県内で幾つか見ることができ、作風は各々異なるものの、いずれも精緻な細工が施された秀作揃いです。
淀姫神社内砥川八幡神社上小田乙護社大木神社


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:DogOneさん
09.05.14
DogOneさんのコメント:(久保田の)3社目は大字新田字福富の八幡宮です。体長70cmと69cmの蹲踞です。「石工金田亀吉、大正11(1922)年5月」の銘があります。在所は記名なし。
八幡宮建設記念での建立のようです。前足付け根の膨らみや、鎧を着たような感じは厳めしいが、低い台座に乗っていて、扁平な頭・獅子鼻は親しみやすい感じを受けます。
榎津浦町の天満宮の像にちょっと似ています。(下左画像)吽の写真は頭が少し切れましたが、鬼太郎の漫画に出てくる砂掛けババアを思い出して思わず笑っちゃいました。
(佐賀県佐賀市久保田町大字新田字福富)
狛太郎のひとこと:新田は久保田町の東端、嘉瀬川に沿って南北に伸びる地域です。新田という地名には、河岸の未利用地を開墾して農地化した努力の跡が込められているようです。
狛犬は筑後型です。この型の分布は、県内ではほぼ鳥栖・三養基地区に限られています。
蓮池町の出雲神社のものがこれまでの西限でしたが、今回これが新しい西限になりました。
筑後型の特徴は、髪は無筋で渦は螺旋渦、尾は扇状という点にありますが、この作品は髪に繊細な毛筋が付けられ、渦は経巻渦です。また尾は微妙ですが棒状に近い(下右画像)など、塩田型の要素を持っています。石工「金田亀吉」の在所が不明なのは非常に残念ですね。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:DogOneさん
09.05.15
DogOneさんのコメント:由来書によると創建は建歴・建保(1211〜1218)の頃となっています。
石造肥前鳥居や四脚門が有名だそうですが、肥前狛犬もちゃんと居ました。
(上段)肥前狛犬は、地面に直に鎮座していました。口は横一文字の筋が彫ってあるだけなので、阿・吽の区別は分かりません。右の像は体長58cmで前足が欠けてチンチンしているようですが、左の像のような前足があったはずです。左の像は体長62cmで、足が刳り貫きとなっているのでやや進化した過程のものでしょうか。口回りや尻尾は彫り込みで表現しているようです。
石工銘や年号はありません。
(下段)狛犬は、体長84cmと82cmの岩狛です。石工は武富文吉、明治27(1894)年菊月(旧暦九月)の銘があります。在所は不明です。子豚(失礼)が怖々と岩に掴まっているようで、ユーモラスな感じです。
(佐賀県小城市芦刈町大字芦溝字小路)
狛太郎のひとこと:小城市は律令時代の条里制の名残のあるところで、早くから農地として開けた土地でした。「芦刈」もその一つで、「〜ヶ里」であったと思われます。鎌倉時代に千葉氏が関東から下向して当地を支配、戦国時代には鴨打氏、徳島氏がここを本拠として活躍しました。
(上段)非常にバランスの取れた美しい肢体の肥前狛犬です。60a前後もあるのは同タイプとして最大級です。肥前狛犬はその基本的な形態を変えないまま、時代を降るごとに大型化するという発展経緯を辿っていますので、この大きさからは最後期の作品と推察されます。
(下段)70a以内が一般的な岩狛としては、比較的大柄な一対です。岩の牡丹など細部にわたる彫りも巧みで、「武富文吉」は相当な熟練者だったように見受けられますが、デッサンがイマイチですね。作者不明ながら、藤木天満宮の作品がこれに良く似ています。


わら天神宮

提供者:hisaLinさん
09.05.16
hisaLinさんのコメント:金閣寺の近くにありました。髪型と眼が印象的でした。
(京都府京都市北区衣笠天神森町10)
狛太郎のひとこと:正式社号を敷地神社と称します。太古より衣笠村(1918京都市編入)に鎮座の神であったところ、天長8(831)年この地に氷室が設けられた際、そこに従事した人々が加賀より木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を勧請し、合祀したものと伝えられます。
狛犬はいわゆる岡崎型のようですが、現代の工業製品的なステレオタイプではなく、その基となった世代かと思われます。江戸期には様式的に完成の域に達した江戸型、浪花型に対して、名古屋では近代に至って、現代的テイストを加味した岡崎型の発祥を見たようです。そのためか像容は最も装飾性に富み、デザイン的にも完成度が高いということが出来ると思います。


亀山(かめやま)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.05.19
hisaLinさんのコメント:宇美町方面にサイクリングしてる途中で休憩した神社です。
小高い丘にありました。見てのとおり、違ったタイプの狛犬さんがいました。
(福岡県糟屋郡志免町別府)
狛太郎のひとこと:福岡空港の東部に位置し、応神天皇とその両親である仲哀天皇、神功皇后を祀っています。いずれも神話と歴史のはざまに登場する人物たちで、物語の主要舞台が九州であるだけに、各地に数多くのエピソードが残され、我々には特に馴染深いメンバーです。
(上段)ゆったりした体型が穏やかな印象を醸し出す一方、顔面は横幅の方が広いユーモラスな表情で、大きな垂耳、首を取り巻くアゴヒゲの輪などがアクセントになっています。ちょっと前足を出して玉を取る姿もキュートです。同系かどうか分かりませんが、似た印象のものに次の2社があります。(宇美八幡宮志賀海神社
(下段)上の作品とは対照的に、引き締まった筋骨逞しい体つきです。デテールもしっかり造られており、隙のないデザインといえます。その一方で細かい毛筋などは省略されており、力強さや厳めしさの表現を優先した製作意図であるようです。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.05.20
hisaLinさんのコメント:善導寺方面に行く途中の田園風景の中に、ポツンと神社がありました。
(一つは)この辺りに多いタイプ、もう一つは余り見かけないタイプの狛犬さんがいました。
(福岡県久留米市北野町高良)
狛太郎のひとこと:三井郡北野町は筑後川北岸に位置する田園の町でしたが、2005年にいわゆる平成の大合併で、久留米市に編入されました。この時に、田主丸町、城島町、三潴町といった、佐賀県民にも馴染みの深い筑後地方の町々が、同時に消滅しています。
(上段)ご当地狛犬と言うべき「筑後型」です。堂々たる肥満体に厳めしい形相で、威圧感に満ちています。さりながら、アとウンで髪型、耳型を造り分けるデリケートさも具有しています。ウンが立派な角を持っているのも定番です。前肢の位置を少しずらしたスタンスがお洒落です。
(下段)断言できませんが、筑後型のプロトタイプではないかという趣があります。典型例とは全く違う風貌ですが、細身でありながら安定感のある姿勢や、僅かに片足を引くスタンスなどにその面影を感じるのです。宮の陣神社のものによく似ており、玉垂宮とも共通性があります。


八坂(やさか)神社

提供者:hisaLinさん
09.05.21



@




A




B




C




D




E
hisaLinさんのコメント:柳川から瀬高経由、久留米方面をサイクリングしたときに、立ち寄った神社です。大きな神社で多種多様な狛犬さんが6対も居ました。
(福岡県みやま市瀬高町上庄631)
狛太郎のひとこと:矢部川が造る沖積平野は早くから開けた土地で、『日本書紀』には、当地に「田油津媛(たぶらつひめ)」なる土蜘蛛が蟠踞して、大和朝廷に対抗したことが記されていますが、それはとりもなおさず、この地の人口と軍事力、ひいては生産力を示唆するものです。
@出雲式の狛犬ですが、本場物とは各所に違いがあり、出雲狛犬を参考にした当地石工の作品のようです。ただし、細部まで行き届いた仕事振りによって、模倣の域は超えています。
A滋賀県の大宝神社の重文狛犬を石像化したモデルです。精悍な顔立ちと体つきに人気があり、各地で盛んに採用されています。(警固神社福岡県護国神社氷川神社etc.)
Bアウンの首の長さと人相が明らかに違っており、片方は補作ではないかとさえ疑われる作品です。しかしその他の部分の処理には一貫性があって、やはり本来の一対であるようです。
素朴で柔和な表情に地域性が強く感じられ、とても好感の持てる作品です。
C全体的には現代岡崎型の作品ですが、人相は一般的なそれとは違っています。また何より、肌の「つつき仕上げ」という手法が、ありきたりの岡崎型ではないことを主張しています。
入念に整えられた、「個性的な」岡崎型として貴重な作例であって、類を見ないものです。
D典型例とは著しく異なっていますが、どうやら筑後型のバリエーションであるようです。顔の大きさ、前肢の位置、足首のアンクレット風隆帯によって、かろうじてそれと分かるほど、デフォルメされています。三島神社に類例があり孤立的存在でないものの、同系かどうかは不明確です。
E細部に違いはあるものの、大川市の高良神社水天宮のものと全体像が似通っています。
特に口の形と歯並びはよく似ています。そうしたことから、これも塩田系ではないかと思われる作品です。筑後方面に塩田型が定着していることが、更に明らかになってきました。


住吉(すみよし)神社

提供者:hisaLinさん
09.05.22
hisaLinさんのコメント:唐津の鏡山の裏手にこじんまりとした温泉(野田温泉)があって、そちらに行ったとき立ち寄った神社です。
(佐賀県唐津市浜玉町平原)
狛太郎のひとこと:ここに温泉があるなんて、佐賀では殆ど知られていないと思います。
最近は、佐賀県の山間部の遊び場のことは、福岡の人の方が詳しいという状況です(;^_^A
狛犬は唐津型です。牙が2対あり、尾も逆R字のようです。ウンが玉取りであるのも定番です。ただ、この写真では目元がよく分からないものの、睨み付ける鋭い眼差しではないようですし、髪や尾の毛筋が唐津型にしては繊細すぎます。また歯が鋸歯列ではないことも、獰猛さを和らげています。そこで、比較的新しい、ソフティフィケートされた唐津型と位置づけてみました。


草場(くさば)天神社

提供者:hisaLinさん
09.05.23
hisaLinさんのコメント:こちらは、印象的な眉毛と顎鬚の狛犬さんでした。
(佐賀県唐津市浜玉町平原草場)
狛太郎のひとこと:弘治3(1557)年創建以来、草場の氏神として崇敬されています。
祭神の埴安神(はにやすのかみ)は、泥土(埴)を神格化した神です。「伊邪那美神の迦具土神を生んで病み給うた時、屎に生(な)りました神」とされ、現代感覚では首をひねりたくなるような発想ですが、当時はさほど忌避すべき対象ではなかったようです。(参考:新具蘇姫命神社
狛犬は短躯で肥満、さらに三等身ではありますが、鍛えられた筋肉をまとい、いかにも腕力が強そうです。顔立ちも、あまり笑わない人のようで威圧感があります。怖い顔と少し首を傾げて睥睨する姿勢が唐津型の特徴を表していますが、やはりこの体型はやや規格外になります。


鷲尾愛宕(わしお・あたご)神社

提供者:hisaLinさん
09.05.24
hisaLinさんのコメント:福岡市天神から姪浜方面に行く途中に、室見川を渡ると小高い山?があります。この山は愛宕山(標高60m)といってその頂上にある神社です。見てのとおり鎧を纏ったような狛犬さんでした。
(福岡県福岡市西区愛宕2丁目7-1)
狛太郎のひとこと:愛宕神社は火の神、迦具突智命(かぐつちのみこと)を祀る神社です。
奈良時代、役行者(えんのぎょうじゃ)が創始、神仏習合の修験道場として発展しました。
福岡の愛宕神社は、藩主黒田忠之が、寛永11(1634)年に京都愛宕神社を勧請したものです。
狛犬は全体的なフォルムはオーソドックスな蹲踞ですが、パーツが凄いですね。特に髪などはどうやって彫ったのか、と驚くばかりです。腰、大腿部の張りが力強く、盤からはみ出した四肢にも破天荒な勢いが感じられます。石工の創意だったのか、施主の特注だったのかは分かりませんが、ほかに類例がないとすると、奇抜さが世の評価を得られなかったのかも知れません。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.05.25
hisaLinさんのコメント:292号線を玄海町を過ぎた所で休憩した神社です。道路沿いに階段があり、登ったところに鎮座してました。半分が影になってて見にくいと思いますが、狛犬と唐獅子の中間型に見えますがどう思われますか?
(佐賀県東松浦郡玄海町大字有浦上3124番)
狛太郎のひとこと:東松浦半島のほぼ中心部にあたり、上場台地を西進する有浦川に沿う狭い平地に鎮座しています。創建は永享元(1429)年で、大宰府の天満宮を勧請しました。
狛犬は這いつくばるような姿勢が独特です。これは肥前狛犬をはじめ、各地における発生期の石造狛犬に共通する特徴で、江戸中期に現在見るような獅子型が登場してもなお、この傾向はしばらく続きました。しかしこの狛犬について言えば、素朴な感じは残しているものの細工は比較的緻密であり、発生期の作品と見ることはできません。系統も不明な不思議な造形です。


富松(とみまつ)神社

提供者:DogOneさん
09.05.26
DogOneさんのコメント:所用で大村市へ行きました。近くの5社と昔住んでいた所の1社を尋ねましたが、何故か狛犬さんは1社しか居ませんでした。キリスト教の地と関係があるのか知れません。その1社が富松神社です。当初は狛犬さんは社殿の前に設置されていたそうですが、昭和63年の改築の際に50mほど離れた楼門?の中に移設されたそうです。
ここの狛犬さんはちょっと変わっています。境内で除草作業をしていた宮司さんに、何か訳がありますかと聞きましたが、知りませんとのことでした。
その1は、社殿に向かって左に阿像、右に吽像。
その2は、普通の阿像の口は大きく開いていますが、ここではわずかに開けているだけ。
その3は、阿像(左)が子供を抱き、吽像(右)が玉を抑えている。
囲いの中に居るので詳細な観察は出来ませんでしたが、昭和29年8月の奉納で、「天草石工:大塚源三、大村左官:和田勇一」の銘があります。天草とキリスト教の関連の有無、左官の役割は何でしょう。体長は70cmで、屋根の下に移設されたせいか殆ど痛みはありません。
柔らかい天草の石でなく硬い石です。繊細な歯並み、豪華な尻尾、台盤の飾が印象的です。
(長崎県大村市三城町1247)
狛太郎のひとこと:文献上の初見が正平19(1364)年という古社で、15世紀には多良岳権現の遙拝所となり、領主大村氏の崇敬を受けました。しかし16世紀、大村純忠のキリシタン改宗に伴って、領内の寺社が焼き討ちに遭い、多くが灰燼に帰するという事態が生じました。このあたりの事情は天草の大浦阿蘇神社上津浦諏訪神社などにも通ずるものです。
狛犬には覆屋が架けられ、立派な〆縄も着けてもらい、大切にされているようです。そのため、風化を免れ保存状態は良好です。特に台座に彫られた見事な牡丹花は、木彫かと見まごうほどです。DogOneさんが列挙された特徴は、本渡諏訪神社の狛犬と共通するものです。びっしり並んだ細かい歯列という点も同じです。もっとも、全体的なフォルムは似ていません。
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