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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


広田(ひろた)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.05.27




@





A
hisaLinさんのコメント:柳川から瀬高方面に向かって走っていたとき立ち寄りました。
神社は、矢部川沿いにありました。だいぶ古くなった門を潜ったら階段は壊れてて・・・
なんか寂しい思いが残ってます。
(福岡県みやま市瀬高町下庄文廣
狛太郎のひとこと:縁起によれば、神亀元(724)年に宇佐八幡宮の分霊を当町本郷の仮宮に勧請し、その後神亀5(728)年に現在の地に宮殿を建てたとあります。前者が本郷の聖母宮で、後者が当社ということになります。毎年この両社間で、御神幸行列の神事が執行されます。
(上段)細部にこだわらない、ゆったりした大らかな造りです。大きな口にびっしり並んだ鋸歯列が独特ですが、ほかに際立った特色はないのに何故か印象的です。この狛犬は上記聖母宮と同型であり、また柳川市の宝満宮とも同型です。同型が3組も見つかるのは珍しいことです。
(下段)素朴な感じですが、ちょっとした特徴を持っています。それはまず、アウンが逆の位置にあることです。首の方向から見て、取り違えて置いたのではなく、最初からこのように造られています。次に、よく見ると、♂♀のシンボルが彫り込まれています。♂は比較的多く見られますが、♀は表現しないのが普通です。そんな点も素朴で大らかな印象を強めています。


三嶋(みしま)神社

提供者:hisaLinさん
09.05.28
hisaLinさんのコメント:柳川から久留米方面を走ったときに立ち寄りました。出雲風?ですか?
(福岡県三潴郡大木町大字上牟田口)
狛太郎のひとこと:三嶋神社の総本社は愛媛県の大山祇神社か、あるいは伊豆の三嶋大社とされます。しかしこの2社の関係はよく分かっていません。筑後地方に三島神社が多いのは、柳川城主蒲池氏の氏神だったからです。ここ大木町も蒲池一族の支配下にありました。
この構え方は「出雲式」としてつとに有名で、これもそのスタイルに触発された作品に違いありません。ただ、本場の出雲式の雄大さや威圧感はなく、むしろ可愛らしさが顕著です。


三嶋(みしま)神社

提供者:hisaLinさん
09.05.29
hisaLinさんのコメント:これも、(上記三嶋神社と)同じ時期に立ち寄ったと思います。
同じ名前の神社なのに狛犬さんがまったく別物でした。場所は近かったです。
(福岡県久留米市三潴町西牟田)
狛太郎のひとこと:筑後地方に三嶋神社が多いのは、上記三嶋神社で記した通りです。
ところで、同じ系統の神社でも原則的には独立した存在であり、その土地の氏子の支持で存立しています。ですから、奉納されている狛犬も土地によってまちまちということになります。
(上段)福岡県筑後地方にも数多く存在している肥前狛犬です。頭部の上面に顔の造作が集中する形態は、初期の肥前狛犬の通例です。一方、四肢が完全なレリーフではなく、幾分独立的に刻出されているのは、比較的進歩した状態と言えると思います。
(中段)典型例とは全く印象が異なりますが、筑後型のプロトタイプか派生型かと考えられるものです。足位置がややオープンであること、ウンの髪が直毛であること、前肢にアンクレット状の隆帯があるように見えることなどがその理由です。(参考:玉垂宮宮陣神社
(下段)完成型に近い筑後型です。「近い」と言うのは、典型例とは少し違いがあるからです。
それは、「アは巻毛で垂耳、ウンは直毛で立耳」という造り分けがなされておらず、前肢も片足を引くスタンスではないことです。ただし完成型との時系列的前後関係は不明です。


住吉(すみよし)神社

提供者:hisaLinさん
09.05.31
hisaLinさんのコメント:福岡市にある大きな神社です。敷地も広く癒しの空間が広がってます。
(福岡県福岡市博多区住吉3丁目1−51)
狛太郎のひとこと:全国住吉の総本社とされ、また筑前国一の宮でもある名社です。伊邪那岐命の禊ぎの際に誕生した筒男3神を祀っており、戦国期に一時衰えたものの、江戸期に入り黒田長政が復興しました。現在でも都心に8千坪もの境内を有し、氏子1万戸を擁する大社です。
(上段)重心が低く安定感のある造形です。アウンとも立派な角を有し、耳は横に張りだしています。この狛犬は実はモルタル造であり、石造では忌避されやすい角や耳の尖端部も、比較的自由に造ることができたものと思います。(モルタル狛犬例:櫛田神社山口大神宮
(下段)がっしりした体格で、特に前肢の太さが目を引きます。アは垂耳、ウンは立耳に造り分けられています。筑後型、岡崎型、大宝型など様々な要素がミックスされているようです。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
09.06.01
hisaLinさんのコメント:福岡から唐津方面に向かった走ったとき立ち寄りました。子狛犬を踏んづけてるスタイルが印象に残ってます
(福岡県糸島市高来寺92番)
狛太郎のひとこと:佐賀から三瀬峠を越えて周船寺方面に向かうと、高祖山周辺には多くの遺跡が分布しています。当社はそのうち怡土城跡に近く、倭人伝に言う「伊都国」の版図にあたる場所です。地名の元になった「高来寺」は「高麗」に由来すると思われ、かつて渡来人が活躍する先進地であったことが窺われます。こうした例は白木(新羅)などにも見ることができます。
狛犬は玉取りと子取りの一対です。子獅子が懸命に伸び上がってウンの足元にまとわりつく姿が微笑ましく、生き生きとしたひとこまがよく表現されています。ふさふさした髪の感じや、尾の渦の模様が椿大神社に似ているような気がしますが、関連付けるには地理的に無理そうです。


大分(だいぶ)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.06.02
hisaLinさんのコメント:福岡から飯塚方面に向かって走ったとき立ち寄りました。
峠を抜けてほっとした時に休憩した神社です。
ココの狛犬さんは立ったり、逆立ちしたり・・・忙しい狛犬さんでした。
見てるほうもくたびれました。
(福岡県飯塚市大分1272)
狛太郎のひとこと:神亀3(726)年に創建と伝える古社で、かつ筥崎宮の元宮という由緒を有しています。祭神は九州に伝説地の多い神功皇后で、当地の地名起源譚にも登場します。
すなわち、戦勝後に別れを惜しむ地元兵士達に向かい、皇后は「”いつか”また会おう」と仰せられました。これが「飯塚(いいづか)」の地名の起こり、と伝えられています。
(上段)直立と倒立の一対です。この意匠は北九州地方に多く見られるものですが、これで飯塚にも存在が確認されましたので、その伝播の範囲はかなり広いということが分かりました。
八剣神社十六神社伊豆神社河守神社
(中段)近年全国的に普及している岡崎型ですが、素材は御影石のように見受けられますので、真白な石質のごく最近の作ではなさそうです。それなりに風格が出始めています。
(下段)これは木造の一対です。極端なほど足が長くて体が立ち上がり、スマートな体形が一層強調されています。本来は彩色されていたと思われますので、新しい頃は美しかったでしょう。


榎社(えのき・しゃ)

提供者:hisaLinさん
09.06.03
hisaLinさんのコメント:西鉄二日市の近くにある神社です。ここは、藤原道真が亡くなるまで軟禁されてたらしいと、飲み屋さんで知り合った人が言ってました。
(福岡県太宰府市朱雀6丁目18-1)
狛太郎のひとこと:道真が当地に左遷され、延喜3(903)年に逝去するまで居住した跡地です。後にその霊を鎮めるため浄妙院を建立、境内に榎木の大樹があったので榎寺と呼ばれました。地名の朱雀は当地が大宰府の南に位置することによるもので、四神(方位の守護神)のうち南方の守護神の朱雀に由来します。因みに、他の3神は玄武(北)、青龍(東)、白虎(西)です。
狛犬は毛筋や鼻ヒゲに線刻を多用したざっくりした仕上げで、昭和13年の作品です。大宝型を思わせる精悍な体型ですが、各パーツはそれよりも丸味を帯びており、同系ではありません。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.06.04
hisaLinさんのコメント:柳川から瀬高方面を走ったときに立ち寄りました。眉毛が印象的でした。
(福岡県みやま市瀬高町山門)
狛太郎のひとこと:瀬高町には多くの遺跡や古墳群が密集し、古代のある時期、有力な支配層を輩出した土地であったようです。それは豊かで安定した生産力と、それに裏づけられた大きな人口の存在が予想されるのであり、邪馬台国の候補地として常に一定の支持を受けています。
狛犬はなで肩で女性的な体型をしており、特に前肢の緩やかなカーブは「脚線美」と言ってもよいほどです。神殿を守って雄々しく戦うようにはとても見えませんけれども、そんな必要のない平和な環境を暗示しているようにも見えます。足元の盤が前肢や尾がはみ出すほど小さいのは、本体を大きく見せる演出かと思われ、素朴な中にも一定の工夫は凝らされているのです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.06.05
hisaLinさんのコメント:柳川から大善寺を通って、久留米方面を走ったとき立ち寄りました。
童顔な顔で、しっかり脅した構えが印象的でした。
(福岡県久留米市三潴町玉満)
狛太郎のひとこと:「三潴(みずま)」という地名は、日本書紀に見られる「水沼君(みぬまのきみ)」「水間君(みずまのきみ)」また「水沼県(あがた)」などに関係があると思われ、極めて古いものです。明治維新後には一時「三潴県」が設置されるなど、非常に由緒ある地名です。
狛犬は地元石工による出雲式の一対です。本場の雄大かつ精細な彫刻と違い、大らかで和やかな印象です。一見して異なるのは尾の形で、尖端を垂らして背に接着させたのは、強度を考慮したものでしょう。事実、本場でも尾を失ったものが見られます。(末次神社など)


須賀(すが)神社

提供者:hisaLinさん
09.06.06
hisaLinさんのコメント:福岡から篠栗方面を走ったとき立ち寄りました。ちょうど道路沿いの神社で、ここを過ぎた辺りでお遍路さんとすれ違いました。こういうスタイルの狛犬さんが多いように思います。
(福岡県糟屋郡篠栗町篠栗)
狛太郎のひとこと:江戸初期に成立したとされる四国八十八ヶ所は、弘法大師の霊跡を辿る巡礼の旅でしたが、当時は想像を超える苦難が待ち受けていたはずです。お遍路さんのいでたちは死に装束であり、そのような覚悟を伴うものでした。その後各地にその「写し」が設けられ、篠栗町の「篠栗四国」は「日本三大四国」の一として、巡礼者や観光客でにぎわっています。
(上段)砥川石工が得意とした「岩狛」です。ただし顔立ちが微妙に違っているので、原産地でなく当地で造られたものかも知れません。岩狛はそれまでの「蹲踞」という常識を打破した大胆な変革でしたが、それを更に進めて、ウンを岩から駆け下りる姿に変化させています。
砥川系の作品としては、これまでで最も遠隔地での発見となります。(長瀬神社淀姫神社)
(下段)大宝型の系統ですが、元々の木造狛犬を写したもの(警固神社など)より、肉付き良くがっしりした体型に変化しており、また耳の造り分けもありません。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.06.07
hisaLinさんのコメント:嘉麻市方面に行った時、神社の看板に誘われて立ち寄りました。山の斜面にあった神社で、驚いたことに阿吽形とも、子狛犬を背中におんぶして微笑ましかったです。
(福岡県嘉麻市平山)
狛太郎のひとこと:律令時代の筑前国嘉麻郡の地です。遠賀川の上流域にあたり、幾つもの荘園があったように、古来生産力の豊かな地でした。近代以降は炭鉱が開発され、当社鎮座地も産炭地として栄えましたが、昭和の後半には他の多くの炭鉱とともにその歴史を閉じました。
狛犬は胴が細くくびれる一方、腰や大腿はしっかりと張っており、美しい体型をしています。
アウンともに子獅子を背中に乗せるという珍しい意匠で、さらにアの前肢にも子獅子が取りすがっています。髪や尾の毛筋も丁寧に付けられており、全体的に技巧が凝らされた作品です。


熊野座(くまのにます)神社

提供者:hisaLinさん
09.06.08
hisaLinさんのコメント:大牟田から、熊本方面に向かって走ったとき立ち寄りました。物静かな神社?のイメージがありました。熊本地方風?の狛犬さんですか。
(熊本県玉名市横島町横島)
狛太郎のひとこと:菊池川流域には、全国の装飾古墳の四半が集中しているといいます。
赤と群青色に塗られた三角や円の幾何学文様は、千五百年も前の「作品」とは思えないほどモダンで、現代の我々にも力強く訴えかける何物かを持っています。玉名市の大坊古墳はその中でも代表的なものです。これらは、この地域に特異な葬送儀礼を持つ大勢力が居た証です。
狛犬はスタンスを広めに取り、低重心でどっしりした構えです。襟巻き風のアゴヒゲ、唇を突き出すウンの表情、前肢の関節の膨らみなど、大浦阿蘇神社(中段)にそっくりです。襟巻きは他の天草狛犬にも見られるものであり、これは天草から海路運ばれたものと見てよさそうです。


御勢大霊石(みせ・たいれいせき)神社

提供者:hisaLinさん
09.06.09
hisaLinさんのコメント:福岡から久留米方面にサイクリングしたとき立ち寄りました。風格のある神社で改築?があってて、場所を移動させられていました。
(福岡県小郡市大保1032番地)
狛太郎のひとこと:延喜式内の古社で、仲哀天皇が熊襲征伐のために行宮(あんぐう=仮宮)を設けた地、また毒矢に当たって戦没された地でもあります。神功皇后は大石に天皇の鎧を着せてその薨去を伏せ、戦を続行しました。その石は今も社前にあり、これが大霊石である由です。
(上段)緩くカールして肩にかかる長い髪などから、塩田型かと思われる作品です。立派な歯並や鼻の形、また石質からもそのように見えます。筑後地方に塩田型が進出している事実はDogOneさんの投稿(八幡宮天満神社など)で確認されていますが、小郡市では初めてです。
(下段)痛みが激しいですが、筑後型の典型例です。アウンを垂耳と立耳、巻毛と直毛に造り分け、ウンは有角です。全身につつき仕上げを施すのも、この型ではしばしば見られる手法です。
この型は久留米市を中心として、北は小郡、大刀洗あたりまでの分布が確認されています。


琴平(ことひら)神社

提供者:hisaLinさん
09.06.10




@





A
hisaLinさんのコメント:瀬高から久留米方面にサイクリングしたとき立ち寄りました。
髪を茶髪にした狛犬さんているんですね。
(福岡県筑後市熊野1120)

狛太郎のひとこと:いわゆる「こんぴら」は金比羅金刀比羅、琴平など様々に表記されます。
実はhisaLinさんからは、恐らく鳥居の銘によって「金平」と頂いていましたが、ここでのタイトルは当社の宗教法人名に従って「琴平」としました。祭神は元々はヒンズー教のワニの化身「クンピーラ」に由来する海神であり、音訳として原音に近いのは「金平」であろうかと思われます。

(上段)これに似たタイプの発見が続くと(玉垂宮宮陣神社)、単純に筑後型のプロトタイプとか傍流と位置づけることは適切ではない可能性が高まっているように思います。これはこれとして、典型例とは別の系統的発展を辿ったものではないかと考えるようになりました。
(下段)どこかで見たタイプだと思って探してみたら、hisaLinさんから頂いていた三島神社の(下段)にそっくりでした。典型例とは著しく異なっているものの、これも筑後型であることはそちらで記した通りです。上記例と併せ、これまで一括していた筑後型も、類別が必要かも知れません。


彦山(ひこさん)神社

提供者:DogOneさん
09.06.11
DogOneさんのコメント:石工の里・砥川にはさぞかし沢山の狛犬さんが居るのではないかという期待と、山手の狛犬さんはどんな姿をしているかな、という興味があって訪ねてみました。
下ってきたら「谷」地区の上側の溜池の奥に「彦山神社」があり、小さい「肥前狛犬」さんが5体ありました。トタン葺きの祠には「小城新四国番外 本尊 役大行者」の札が付いていました。
右端(上左)が高さ23cm、次が高さ17cmで、顔は上を向いています。
左端(上右)は高さ20cm、長さ32cm。
奥の左(下)が高さ21cm、長さ27cm。右が高さ16cm、長さ22cm。
この5体が組になっている様には見えません。
(佐賀県小城市牛津町上砥川谷)
狛太郎のひとこと:佐賀藩初代藩主鍋島勝茂から6代の祖、経直公が英彦山権現から分霊を勧請して徳善院を開いたのが応永年間(1394〜1426)のことです。その後も藩主家は代々英彦山を深く信仰し、そうしたこともあってか、県内には彦山信仰が広く浸透しています。
(上左)ブロック状の頭部の上面に目鼻が付けられているタイプは、肥前狛犬の一つの典型です。この一組は同系ではありますが大きさが違いすぎ、本来の一対ではなさそうです。
(上右)破損が著しく元の姿を容易に想像できませんが、恐らくは下段右側のタイプであろうと思われます。丸味を帯びた頭部と体が特徴で、肥前狛犬のもう一方の典型といえるものです。
(下)この一組もタイプが異なるので、元来の一対ではありません。右側は四肢を丸彫りに近く刻出しており、顔も面長で原初的肥前狛犬よりも進化した趣が感じられます。
それに対し左側は、同じく丸味を帯びた頭部ながら短顔です。四肢は浅いレリーフで、古い様式を保っています。ただ首のくびれがあり、頭部と胴部に区切られているのは一つの進歩です。


熊野山大権現(くまのさん・だいごんげん)

提供者:DogOneさん
09.06.12
DogOneさんのコメント:谷公民館より少し上を東へ入った所に、「熊野山大権現」がありました。鳥居の右に「肥前狛犬」2体と「由緒書」、左に「布袋」像が鎮座しています。
像の高さは双方とも22cmですが、こちらも姿態が異なり、1対とは思えません。
布袋像の案内板に、平川(与四右衛門)氏制作の石仏が6体あると記されています。
(佐賀県小城市牛津町上砥川谷)
狛太郎のひとこと:寛永14(1637)年、多久美作守が島原の乱に出陣の折り、当社に祈願しています(『丹邱村誌』)。布袋像(下画像)は、元禄4(1691)年、平川与四右衛門青年期の作として有名である由です。与四右衛門は砥川の生んだ名工で、多数の作品が確認されています。
狛犬は肥前狛犬の一対ですが、様式が微妙に違っているように見え、DogOneさんご指摘のように、本来の一対ではなさそうです。ただ、四角張った顔の一群(彦山・上左)とは明らかに対照的であり、同じ丸顔のグループに属する2体であることは確からしく思われます。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:DogOneさん
09.06.15
DogOneさんのコメント:牛津高校の南側、天満町の通りから狭い参道を150mほど入った奥に「天満神社」。まるで尺取虫を思わせるような狛犬がいます。出雲構え型ですか。
体長は70cmで、「文久4(1864)年歳在甲子正月吉日」とありますが石工の銘はありません。体の瘤、大きなな鼻ひげ?蝸牛が寄り集ったような豪華な尻尾などが特徴のようです。
(佐賀県小城市牛津町天満町)
狛太郎のひとこと:大宰府に近いためか佐賀県には天満宮が多いのですが、牛津町でも30社中11社が天満宮です。当社にまつわる伝説に、歴史上の人物ながら謎の多い「悪七兵衛」こと平景清の関与が言われており、事実なら平安末には存在していた古社ということになります。
なお日本最古の天満宮とされるのは防府天満宮で、延喜4(904)年の建立と伝えられます。
これは道真公薨去の実に翌年であり、事実であれば確かに最古に違いありません。
狛犬は体勢、後肢の形、体に分布するコブ状の隆起など、本場の出雲式と見まごうほどです。しかしそうではない要素もまた顕著です。まずは尾の形ですが、出雲式のものは全て独立した棒状の尾であるのに対し、本品では体に密着した渦の集合体です。次にまさに「尺取虫」のような構えです(下画像)。これは顎が盤に、直に接していることによります。本場のものはやや顔を上げているため、側面観がこれほど極端な逆U字状にはなっていません。とはいえ、これは出雲式に触発された見事な独自作品には違いなく、発想、技巧ともに高く評価できると思います。


西宮(にしのみや)神社

提供者:DogOneさん
09.06.16
DogOneさんのコメント:R207の江津交差点にある「西宮神社」。建立・石工とも銘はありません。大きく開いた口、太った後ろ足は東与賀の若宮神社にもありましたが、これとは違うようです。これにも鼻髯がみられます。
(佐賀県小城市牛津町柿樋瀬1080番)
狛太郎のひとこと:祭神の蛭子(ひるこ)は、『記紀』に海から漂着したと記されている神で、異界からの訪問者を崇める客人(まろうど)信仰の伝統を示すものとされます。牛津は「一(市)に高橋、二(荷)に牛津」などと称された商都であり、牛津川の河川港として栄えました。多くの文物や人が集散する場所だった当地に、蛭子が祀られているのは自然なことのように思われます。
狛犬は岩狛です。岩に前肢を掛け、後肢を伸ばした姿は動的で、砥川石工の創案による斬新な意匠でした。岩は自然石風に加工され、牡丹花のレリーフを施すのが定番です。この狛犬の場合、牡丹花が特に大輪で、枝葉もしっかり刻出されていて、華やかさが強調されています。
なお、若宮神社の狛犬もこれと同系であり、見た目の違いは石工の個性の差の範囲内です。


姫子島(ひめこじま)神社

提供者:TAKOさん
09.06.17
TAKOさんのコメント:(鎮座地は)JR予讃線今治駅北西約9km海上。祭神は木ノ花開耶姫命(このはなのさくやひめ)、「天保六年(1835)年三月吉日、今治石工深見」。
25年前は孤島でしたが、広島と橋で連絡しています。半日で日焼けしました。
(愛媛県今治市関前岡村)
狛太郎のひとこと:芸予諸島は数百の島々からなる海上交通の要衝で、中世には村上水軍の活躍の場でした。諸島の西半は広島県、東半が愛媛県に分かれており、この岡村島が愛媛側の西端になります。社名の姫子島とは岡村島の旧称で、祭神に因んだ地名と思われます。
狛犬は浪花型風のぽっちゃりした体型ながら、鋭い眼光と荒々しい鋸歯列によって、その系統ではなさそうだと気付かされます。「今治石工」と明記されている点からは、「今治型」と呼ぶべきものである可能性もありますが、サンプルが少なく、まだ確認できる段階ではありません。


正八幡宮(しょう・はちまんぐう)

提供者:picapicaさん 
09.06.18
picapicaさんのコメント:狛犬は本社に二組、境内の石祠に一組、計三組がありました。
雨天で暗かったので手ぶれ等でうまく写っていません。
(上段)阿吽が通常とは逆位置になっています。
建造年や石工名も写してきましたが、ぼやけててはっきりしません。
(中段)前方からのアングルでは雨中下から見上げる形になり、レンズに水滴がついて殆どぼやけていました。したがって後方からのアングルです。建造年は昭和八(1933)年五月吉日とあり、石工名は中村正三と読めました。
(下段)境内石祠前の狛犬は高さ20cm強の小さいやつで、僕は大変気に入りました。
また、これも阿吽が逆位置になっています。
(福岡県田川郡川崎町大字田原894)
狛太郎のひとこと:picapicaさん、初投稿有難うございます。当社は、神功皇后の三韓征伐に随行した田原麻瑠の末裔の田麿なる人物が、貞観18(876)年に創建したと伝えられる古社です。
三韓征伐云々はともかく、弘和3(1383)年銘の棟札が残存しているといいますので、少なくともそれ以前に創建されたことは確かであり、やはり相当な古社には違いありません。
(上段)フォルムは均整が取れており、ヒゲや尾の毛筋にも乱れがありません。胸を張った姿には力強さもあり、バランスの良い安定感のある像容です。類例:六嶽神社濱生神社
(中段)巨大玉取が特徴の尾道型(波賀部神社など)です。尾道で発祥と伝えられる型で、中国・四国地方の瀬戸内沿岸に広く分布している大族です。白御影石が主流の本場ものに対し、本品は安山岩系統と見受けられるので、その様式を取り入れた地元作品かと思われます。
(下段)20a程度というのは、石造狛犬としては最小の部類に入ります。石造狛犬の歴史は概ね小→大の傾向を辿っており、大雑把に言えば小≒古となります。しかしこの作品は肥前狛犬などよりも技術様式とも格段に新しく、石祠に合わせて造った近代の作品のようです。


阿蘇(あそ)神社

提供者:hisaLinさん
09.06.21




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A





B

hisaLinさんのコメント:杷木町方面を走ったときに立ち寄りました。鳥居の横に狛犬さんが、鎮座してました(上段)。この辺りも筑後型?が猛威<笑>を振るってるな〜と思って階段を登り境内に入ったら、やはりそうでした(中段)。が、その横に鯰風の物がありました(下段)。
(福岡県朝倉市杷木町穂坂)
狛太郎のひとこと:当社の鎮座地は、阿蘇に水源を発した筑後川が、山地を抜けて筑紫平野へ向かう中流域に当たります。肥後一宮阿蘇神社の祭神「健磐龍命」を祀っており、近隣の「阿蘇山」に奥の院があるなど、阿蘇信仰が深く根付いているようです。
@筑後型ですが、典型例と大きく異なっているのは歯の形です。典型例では牙以外は門歯列であるのに対し、本例では鋭い鋸歯列が並んでいます。そのほかには殆ど違いはないものの、どことなく印象が異なっており、一つの派生型であるようです。(類例:筑紫神社B
A筑後型の典型的作品です。アウンの耳の造り分け、ウンの一角、足位置など、全て約束通りに造られています。ただ、やはり歯が少し違っており、これほど細かい歯列はこの型としては異例です。久留米から遠ざかるにつれ、わずかながら変化しつつある例かと思われます。
B鯰は日本では食用としては普及しませんでしたが、独特の容貌によって文化的には親近感のある存在でした。特に地震との関連は有名です。(参考:豊玉姫神社


高宮(たかみや)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.06.23
hisaLinさんのコメント:
飯塚に行ったとき立ち寄りました。変わったスタイルの狛犬さんがいました。
(福岡県飯塚市伊岐須)
狛太郎のひとこと:社伝によると、霊亀元(715)年に宇佐神宮から勧請したとあります。伊岐須村の高岐某が宇佐に通って神託を得、分霊を祀ったのが始まりです。宇佐神宮からの勧請は全国初である由です。当初は高岐の宮と呼ばれており、のち現社号に転じました。
狛犬自体は北九州市などで比較的多く見られるタイプですが(東大野八幡宮菅原神社など)、何と言っても体勢が独特です。特にウン像は、前肢で何かを抱えて半ば立ち上がり、その不安定な姿勢を尾で支えるという意匠です。水巻町などで見られる倒立と直立の一対に近いものとも言え、双方に何らかの関係があるかも知れません。(伊豆神社河守神社など)


太祖宮(たいそぐう)

提供者:hisaLinさん
09.06.24
hisaLinさんのコメント:久山から篠栗方面を走ったとき立ち寄りました。見てのとおり、山犬?みたいでしかも漫画に出てきそうな狛犬さんでした。
(福岡県糟屋郡篠栗町若杉)
狛太郎のひとこと:日本神話で創造主として描かれる、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を祀っています。この神は妻の伊邪那美命とともに、国土や多くの自然を生みだしました。当社の起源は不詳ながら、鎌倉時代作とされる宋風狛犬を伝来しており、かなりの古社であるようです。
狛犬は細身で敏捷そうな体型です。さらに顔立ちも厳しく、山犬のようだというご感想もうなづけます。この狛犬をより強く印象づけているのが、横にひらひらと張りだしている耳です。石造狛犬の場合、こうした欠けやすい形は避けるのが普通であり、実際あまりみかけないものです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.06.25



 
@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:筑後方面を走ったとき立ち寄りました。見てのとおり、多種多様の狛犬軍団がいました。
(福岡県筑後市常用)
狛太郎のひとこと:筑後市は筑後平野の中央部に位置する町です。当社は有名な船小屋温泉にもほど近く、広い田園の中のやや小高い丘の裾に鎮座しています。
@倒立と直立の一対は水巻町周辺(伊豆神社河守神社日吉神社など)で見ることができますが、倒立同士の一対は珍しいと思います。アウンの髪型を造り分けるなど、細部も丁寧に造り込まれているだけに、片側の損傷が激しいのが残念です。
A筑後型の一派で、筑後地方に分布しています。様式的に幾分未完成な印象があり、本作品でも髪は造り分けられているように見えますが、耳は分けられていません。このタイプが典型例になる前の姿なのか、または典型例から派生したものなのか、今のところ不明です。
B系統不詳ですが、筑後型の仲間ではなさそうです。三等身の幼児体型で、やんちゃ坊主のような人相はむしろ岩狛に似ていますが、砥川型がこの地域まで来ていた確証はありません。
かなり大きな子獅子を、がっしりした前肢で抱き寄せる姿には、微笑ましいものがあります。
C筑後型のプロトタイプではないかと思われる作品です。体も四肢も細く、典型例とはまるで違っているものの、全体的な印象からそのように思えるのです。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
09.06.26
hisaLinさんのコメント:瀬高方面を走ったとき立ち寄りました。前回投稿したエイリアンみたいな狛犬さんがいた天満神社から、そんなに遠くないところにあった神社で、藤(中山の藤)が有名なところにあった神社です。
(福岡県柳川市三橋町中山)
狛太郎のひとこと:みやま市瀬高町から、市境をなす矢部川を越えると柳川市です。矢部川をはじめとする河川群の沖積作用と、干拓によって開かれた田園地帯が、当社の鎮座地です。
(上段)当地の肥前狛犬は、その原型が佐賀からもたらされた後は、地元石工によって製作が続けられたと推察されます。そのため本場のものとは微妙な違いが生じています。本場では目はアーモンド型が主流であるのに対し、本作品ではまん丸です。ただし二重瞼のような輪郭線は継承されています。また四肢を完全に彫り抜いているのも、当地産の特徴といえます。
(下段)隣町大川市の高良神社の作品によく似ています。めくれ上がった唇と密な鋸歯列、しっかり彫り込まれた装飾性の強い髪と尾の意匠などがポイントです。その項で述べました通り、塩田系の作品かと思われます。子獅子が盤からずり落ちそうな意匠が微笑ましく秀逸です。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.06.27
hisaLinさんのコメント:国東半島一周したとき立ち寄りました。ここの狛犬さんは頭に灯篭を載せていました。重くないか、肩こりしないか心配でした<笑>・・・・地図には載ってませんでした。道路沿いの神社でした。
(大分県豊後高田市西真玉)
狛太郎のひとこと:「六郷満山」で知られる国東半島には多くの仏教遺跡が存在しますが、それらは宇佐の八幡信仰と結びついた神仏習合的なものとして発展したものと言われます。
周防灘に面した真玉海岸からの眺望は、日本の夕日百選にも選ばれた絶景である由です。
灯籠の笠石の上に直立と倒立の一対を配したものはしばしば見かけますが(住吉神社など)、竿石にも獅子をあしらったものがあります(貴船神社など)。単調になりがちな灯籠の造形に変化を持たせる意図であるようですが、このように竿石自体が獅子であるのは稀だと思います。


祇園社(ぎおんしゃ)

提供者:hisaLinさん
09.06.28
hisaLinさんのコメント:田主丸方面を走ったとき立ち寄りました。ここの狛犬さんは見てのとおり、角が別の石(御影石?)でした。触った見たら埋め込んでるようでした。
(福岡県久留米市田主丸町田主丸)
狛太郎のひとこと:北に筑後川をのぞみ、南に耳納連山をいただくこの地は、果樹栽培で知られます。珍しい地名の由来は、当地の開祖菊池丹後守の「我楽しう生まる」の言によります。
狛犬は堂々たる筑後型です。張った胸、筋肉の浮き出た前肢など、神殿を守る霊獣として十分な逞しさを備えており、また男性美の表現としても見応えがあります。ウンの角は折損したために補作したものでしょう。石質も違いますし、大きさもバランスを欠いているように見えます。
元々石造狛犬における角の存在は、石工にとって悩みの種だったと思われます。こうした尖端的構造部は欠け易い上に、原石に対してその分本体が小さくならざるを得ないからです。


日子(ひこ)神社

提供者:picapicaさん 
09.06.29
picapicaさんのコメント:先日、芦刈町三王崎、牛王公民館(芦刈中学校の南西)の所にある日子神社に行ってきました。まだ貴兄のHPに載っていない様なので画像を送ります。
木造の両部鳥居(下画像)も珍しかったのですが、狛犬も今まで見たことがないタイプでした。
顔などは結構細かく掘り込んであるのに四肢の間は彫り抜いてません。納入日に間に合わなかったのでしょうか。阿像のほうはかなり痛んでいます。建造年や石工名は確認できません。
(佐賀県小城市芦刈町三王崎牛王)
狛太郎のひとこと:芦刈町は福所江川と牛津川に挟まれた農業地帯であるとともに、有明海に開けた住ノ江港は石炭の積出港として栄え、戦前には「佐賀の香港」と称されほどでした。
狛犬はスマートな肢体と長い毛足から、塩田型とおぼしき作品です。この狛犬の特色は、四肢の間を彫り残していることです。塩田型の岩狛の特徴として、体が立ち上がっているために、岩と体の間が狭いという点がありますが、本作品はその極端な帰結ではないかと思われます。


沖(おき)神社

提供者:DogOneさん
09.06.30
DogOneさんのコメント:立野の八立虎公民館の隣に「沖神社」があります。
体長76cmと77cmの「氏子中寄進」の岩狛で、「明治3(1870)年8月・砥川石工:江頭友吉」の銘があります。大きな口、獅子鼻が目立ちます。
(佐賀県小城市芦刈町浜枝川立野)
狛太郎のひとこと:浜枝川は芦刈町の最北端に位置する地区です。公民館の「八立虎」という珍しい名称は、地図を見ると八枝・立野・虎坊という3つの集落を表していることが分かります。
さらに「浜枝川」という大字名自体、浜中・八枝・川越という3つの集落に由来していました。
狛犬は砥川型で、岩狛としてはやや大柄な部類に属します。石工の江頭友吉は売れっ子だったらしく多くの作品を残していますが、顔の造作が大きく、岩を含めた全体の印象も雄大な感じの作風が持ち味です。(梅野神社白山神社淀姫神社宇佐神社など)


熊野社(くまのしゃ)

提供者:DogOneさん
09.07.01
DogOneさんのコメント:八枝には「熊野社」があります。体長70cmと72cmの個人の寄進で、
「昭和9(1934)年2月。砥川町石工:塚原嘉三」の銘があります。頭でっかちで、尾は横から見ると単純な棒状に見えますが、後ろに回ると結構装飾があります。
(佐賀県小城市芦刈町浜枝川八枝)
狛太郎のひとこと:熊野は古来修験の聖地で、平安以降浄土思想と結合して隆盛を極めました。熊野信仰は修験者によって積極的に布教され、佐賀県内にも多くの熊野社があります。
狛犬はオーソドックスな砥川型蹲踞です。砥川系の狛犬は、岩狛を除いては比較的質素なものが多く、あまり装飾性を追求していません。尾の形も棒状を墨守しており、それ以外への展開は殆ど見られません。そうした中で、この尾には旧態を脱しようとする試みが表れています。


沖(おき)神社

提供者:DogOneさん
09.07.02
DogOneさんのコメント:浜中には「沖神社」があります。計測を忘れていましたが、80cm近くあったようです。建立・石工とも銘はありません。牛津の天満宮とは彫りが違います(胴の筋彫りとこぶ、尾の渦など。出雲風塩田型?)。
献燈には明治37(1904)年旧11月15日の銘があります。
(佐賀県小城市芦刈町浜枝川浜中)
狛太郎のひとこと:当社は大綿津見神を主祭神としていますが、本来は「沖神」という、独自の地方神を祀っていたのではないでしょうか。与止日女命神功皇后の妹の玉依姫とされたように、地方神が中央の有力神に関連づけられていく傾向は多くみられます。名前さえない、素朴な「沖の神」のままの方が、古代漁民の純粋な信仰が想像されて好ましく思えるのですが。
狛犬は出雲風の地元作品のようです。顎が直接盤に接しているため、本場よりも体勢にやや窮屈な印象を与えています。こうした変化に富む作品は佐賀県西部に多く見られるようであり、装飾性の高さからも塩田系ではないかと考えています。(伏尸神社山田神社志田神社など)


金刀比羅宮(ことひらぐう)

提供者:TAKOさん
09.07.04
TAKOさんのコメント:「寛政三(1791)辛亥歳三月」。素朴。いいですね。朝食の為立ち寄ったコンビ二にあった周辺地図で発見。ラッキィーでした。派手になる前の浪花型がこんなにシンプルだったんだ。長生きをするでしょう。 
(愛媛県大洲市新谷山口)
狛太郎のひとこと:大洲藩は当初藤堂高虎の所領で、のち加藤家が入封しました。ところが加藤家初代の急死により跡目問題で紛糾し、結果として藩内に新谷一万石という支藩が成立して明治に至りました。この小藩の陣屋は、当社鎮座地の新谷村に置かれていました。
さて寛政3年といえば、各地の狛犬たちが未だ試行錯誤の段階にあった時期であり、この時点でひとつの型として完成しているように見受けられるのは瞠目に値します。顔立ちや髪型などから、浪花型の祖型かとも思われますが、浪花型は砂岩製であるため、祖先よりずっと短命です。


水田天満宮(みずた・てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.07.05




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:瀬高から久留米方面をサイクリングした時立ち寄った神社です。
敷地が広くてこの辺りでは、有名な神社だろうという趣がありました。まったく異なった狛犬さんが4対と、品がありそうな狛鷽がいました。恋木神社なる華やいだ神社もありました。
(福岡県筑後市大字水田62番地の1)
狛太郎のひとこと:嘉禄2(1226)年に、勅命により建立されたという古社です。江戸時代には久留米藩主や柳川藩主から寄進があり、総高2千3百石を有していました。なお当社は、慶長15(1610)年銘を持つ肥前狛犬でも有名です。「肥前国与賀荘」の「長安」が寄進したものです。
@筑後型の祖型と思われる一対で、木造時代の面影を残しています。アが巻毛、ウンが直毛で有角と造り分けられており、尾も扇状に近づいていますが、耳の造り分けは見られません。
A岩狛の岩降り仕様で、塩田系のようです。筑後地方に塩田系が進出していることは、hisaLinさんなどのご投稿により明らかになっているところです。出雲式に似ていますが、出雲式が定位置で「構え」ているのに対し、これは岩を駆け下りる体勢である点が異なります。(長瀬神社
B系統不明ながら、髪や尾の毛量が豊かで渦も多く、装飾性に富んでいます。三頭身の体型は砥川型に近いようにも思われますが、砥川系でこれほど装飾的なものは見当たりません。
Cこの白っぽい石質から外国産のようですが、明らかにBを写したものです。目鼻立ちや尾の形など、かなり忠実にBをなぞっています。外国産でもこのような試みは好ましく感じられます。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
09.07.06




@





A





B
hisaLinさんのコメント:サイクリング終点の久留米で立ち寄った神社です。ここは土地柄?
筑後型?の狛犬さんが3対ありました。
(福岡県久留米市日吉町106)
狛太郎のひとこと:12世紀に当地の豪族が篠山城(久留米城)の近隣に勧請したと伝えられます。のち有馬氏が入国すると正保4(1647)年に現在地に遷座、以後代々の崇敬を受けました。
@はこの型として完成した時期の筑後型です。全身に盛り上がる筋肉と厳つい顔は男性美の象徴であり、前肢のスタンス、アウンの耳の造り分け、ウンの一角など揺るぎない様式美です。
Aは筑後型の祖型と見られるものです。スリムな体型は木造狛犬の伝統を写したもので、石造としては強度に問題があったかも知れません。アウンの造り分けは髪とヒゲに表れています。
Bは@とAの中間的段階、あるいは@の派生型かと思われます。体表のざらつきは体毛を表わしたもので、デッサンは未完成ながらこの表現はのちの筑後型の多くに見られるものです。


高祖(こうそ)神社

提供者:hisaLinさん
09.07.07
hisaLinさんのコメント:飯塚方面を走ったときに立ち寄りました。玉乗りスタイルの狛犬さんと、眼にガラス玉みたいなのが入った狛犬さんがいました。
(福岡県飯塚市高田字平瀬1045)
狛太郎のひとこと:飯塚市との合併(06)前は嘉穂郡穂波町でした。筑豊炭田で栄え、「日本一人口の多い村」(4万人)だった時期もあります。当社祭神は神功皇后の妹神の玉依姫です。
応徳年間(平安時代)に当地が宝満宮の社領となったので、その分霊を勧請したものです。
(上段)尾道型の様式を取り入れたのがひと工夫で、現代岡崎型の画一性を脱却する試みと見られます。そしてそれはある程度成功しているのであり、それ自体は歓迎すべきものですが、玉があまりにも真球であることなどにより、工業製品的な印象を払拭するには至っていません。
(下段)アが玉をくわえる意匠では、玉が固定されているものと口中で動かせるものとがあり、後者の方が細工として優れているわけです。当作品ではそのほかに、目に象嵌をしたり、上下の牙を噛み合わせて一体化し、細い部分の強度を保つなど、幾つかの工夫が施されています。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
09.07.09
hisaLinさんのコメント:飯塚から桂川を通って嘉麻市方面をサイクリングした時立ち寄りました。小高い丘の林の中にありました。静かな神社でしたが、境内に入って見るなり、ここは狛犬さんじゃなくて狛猿が向かい合って鎮座してました。滑稽さと微笑ましさで笑ってしまいました。
(福岡県嘉麻市下臼井561番)
狛太郎のひとこと:日吉神社の祭神、山の神の大山祇命(おおやまつみのみこと)の神使が猿であるため、各地の日吉神社には猿の像が多く奉納されています。それは狛犬のように一対であったり、いわゆる三猿であったり、また単独のものも見かけます(日吉神社日枝神社etc.)。
この一対の猿は、高い台座の上で腰掛けに座っています(下画像)。その様子はゆったりとくつろぐ人のようでもあり、特に左の像は扇子を手にして泰然自若のおもむきです。猿は顔立ちが人間に似ているだけに、その表情からはより具体的な印象を受け取ることになります。


月読(つきよみ)神社

提供者:hisaLinさん
09.07.10
hisaLinさんのコメント:小郡から田主丸を抜けて、日田方面を走ったとき立ち寄りました。
ここの神社は灯篭の上には兎さんが、社殿の前には狛犬さんがいました。
兎さんの灯篭は初めてみました。
(福岡県久留米市田主丸町田主丸)
狛太郎のひとこと:祭神の月読命(つくよみのみこと)は、天照大神、須佐之男命とともに、「三貴子」と呼ばれる至高神の一人です。しかし夜の世界を治めるという神格の故か、他の二人の華々しさに比べ、ほとんど物語もない地味な存在です。兎は月からの連想の産物でしょう。
(上段)厳つい筑後型に玉を取らせてみた、という風情が面白く、典型例とは全く違った愛嬌ある作品に仕上がっています。大きい玉を両前肢で抑えている姿が、仲々チャーミングです。
(下段)正統派筑後型です。久留米市を中心とする筑後地方で支配的な一族です。重量感に満ちた頑健そうな肢体が持ち味で、彫刻作品としての完成度も高水準に達しています。


若宮(わかみや)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.07.12




@





A
hisaLinさんのコメント:国東半島一周サイクリングした時立ち寄りました。
ここは宇佐駅をスタートした時に立ち寄りました。
(大分県宇佐市大字岩崎1130番)
狛太郎のひとこと:国東半島の付け根に位置し、全国八幡神社の総本社である、宇佐神宮からもほど近い場所に鎮座しています。「若宮」とは、元の宮に対してその御子神を祀る社の意です。宇佐神宮の祭神、応神天皇の皇子の仁徳天皇を祀っているものと思われます。
@北九州方面に多いタイプのように思われますが、よくは分かりません。しかしこのにこやかな表情は、誰の目にも好ましく映るに違いありません。一度見たら忘れられない笑顔です。
A量感が豊かで威厳も備えた優品です。出雲型のうちの蹲踞で、本場ものだとすると、比較的新しいものと思われます。出雲型は短命であり、長期間完形を保つのが難しいからです。


香々地別宮(かかじ・べつぐう)八幡社

提供者:hisaLinさん
09.07.13
hisaLinさんのコメント:国東半島一周サイクリングしようと、宇佐駅から国東方面に海岸沿いを走ってた時、立ち寄りました。隣が小学校になっていて、小学校内に神社があるのか、神社内に小学校があるのか、境界線が判りませんでした。ここの狛犬さんは、阿形が剥製の標本じゃないかと思うくらい風化が激しかったです。それと、亀に乗った狛犬さんは初めてみました。
それと狛犬さんじゃないのですが、何か判らないのがありました。
(大分県豊後高田市香々地3596)
狛太郎のひとこと:国東に5社ある宇佐神宮の別宮の一つで、養老年間(717〜24)の創建と伝えられる古社です。応神天皇のほかに、港町らしく海神の宗像三女神を併せ祀っています。
狛犬は出雲型の蹲踞をベースにした、地元石工の作品かと思われます。顔立ちが微妙に異なるのと、風化の具合が本場の来待石の特性とは違うように思われるからです。亀は龍などと並ぶ代表的な霊獣で、方位神である「四神」では北方の守護神の「玄武」として表されます。
(下段)灯籠の台座に霊亀を配した豪華な造りです。霊獣である亀を奉納する例は、ほかにも幾つか見ることができます。(八大龍王宮三島神社など)


厳島(いつくしま)神社

提供者:picapicaさん
09.07.14




@





A





B
C
picapicaさんのコメント:千代田町の隣、筑後川を渡らない久留米市の浮島に、集落の規模とは不釣合いな大きな神社がありました。
見事な神門の中に、
@木造(だと思う)彩色の1対と、A佐賀で見かけるのとは少し違う肥前狛犬っぽい1対。
B拝殿前の御影石?(脆そうな石で人造石かと思った)の1対。
C他に痛みの激しい1対が、神社の端に崩れた石灯籠と一緒においてありました。
拝殿の木鼻の獏の彫刻も見事でした。
(福岡県久留米市城島町浮島)
狛太郎のひとこと:筑後川による自然境界が、ほぼ現在の佐賀県と福岡県の県境ともなっていますが、ここ浮島は久留米市が筑後川を越えて、佐賀県側に入り込んでいる部分です。
@体色のほか、毛の色と尾の形でもアウンを造り分けています。アウンが獅子と狛犬であることを特に強調する意図かどうかは不明ですが、似た例としては手掘神社などがあります。
A肥前狛犬の特徴を備えていますが、オリジナルではなさそうです。筑後に伝播したあと、当地で造られているうちに、少しずつ変化したものと思われます。前肢を折って前に突き出す形は、佐賀では見当たらないものです。また眉が吊り上がった形も、オリジナルにはないものです。
B体型、足位置、前肢のアンクレット風の飾りなど、随所に筑後型の特徴を持っていますが、石質をはじめ、全体的な印象は典型例とはかなり異なります。(類例:大海神社八坂神社etc.)
Cこれも佐賀では見かけないタイプのものです。太い束で流れる後ろ髪と、同様のアゴヒゲで構成される首周りの意匠は、天草の狛犬に似ています。(大浦阿蘇神社上津浦諏訪神社etc.)


三柱(みはしら)神社

提供者:hisaLinさん
09.07.16
hisaLinさんのコメント:柳川から瀬高方面をサイクリングしたとき遭遇しました。
神社の立替で、境内の隅に居ました。
(福岡県柳川市三橋町高畑)
狛太郎のひとこと:柳川藩初代藩主の立花宗茂と、その親族2人の計3柱を祀っています。
柳川城の鬼門に位置し、1万8千坪もの境内を有する大社です。文政8(1825)年に造営された社殿は、平成11年の火災によって一部失われましたが、20年末に復興成ったそうです。
(上段)浪花型ではないかと思われる作品で、特にアの鼻と口の形にその特徴が出ています。コロコロした体型と扇状の尾にもその面影があります。断定できないのは、ウンの表情がそれとはかけ離れているからです。もし浪花型だとすれば、筑後地方では初見です。
(下段)資料には社宝として「銅造狛犬・文政12(1829)年」が掲げられています。これがそれのようであり、流麗な毛筋と渦が印象的です。アの頭上に宝珠を乗せる例は石造にもありますが、ちょっと古めかしい意匠です。(牛島神社C三圍神社上段宝録稲荷神社


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.07.17




@





A





B
hisaLinさんのコメント:これも柳川から瀬高方面をサイクリングしたとき、瀬高駅の近所で遭遇しました。
@の1対は聖母宮で遭遇した狛犬さん似の狛犬さん、A鼻が印象的な狛犬さん、
B天草地方でみかけた狛犬さん?の3対の狛犬さんが居ました。
(福岡県みやま市瀬高町小川836)
狛太郎のひとこと:承久2(1220)年に、宇佐神宮の分霊を勧請したと伝えられる古社です。
当地は平安以来宇佐の神領であったので、その縁で創建されたもののようです。
@hisaLinさんのこれまでの探索により、当地周辺ではかなり普及しているタイプであることが判明しています。顔立ち体つきがどことなく古めかしく感じられますが、渦や毛筋の表現の簡略さも、そんな印象を強める一つの要因になっています。(聖母宮広田八幡宮宝満宮
A吊り上がった眉、大きな鼻、鋭利な乱杭歯など、各パーツが極端に強調されていますが、よく見ると、これは砥川型久留間天満宮厳島神社etc.)であるようです。筑後に塩田型の影響があることが判明しているので、砥川型の進出も十分考えられるところです。
B首の周りを取り巻くアゴヒゲの房が、天草狛犬(大浦阿蘇神社上津浦諏訪神社etc.)に似ているようにも見えます。しかし角張った顔面や、三頭身の独特なスタイルは、むしろ当地に同類を多く見出すことができます。(三島神社金平神社etc.)


千手(せんず)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.07.19
hisaLinさんのコメント:
嘉麻市周辺をポタリングしてて、322号線を走ってたとき立ち寄りました。ここには2対の狛犬さんがいて、1対は直立と逆立ちしてました。このスタイルの狛犬さんの最南端?でしょうか。
もう1対は筑後型?ですか?
(福岡県嘉麻市千手)
狛太郎のひとこと:天智天皇が百済救援軍を率いて九州に下られた時、天皇に随従した千手氏はそのまま当地に土着、以来700年にわたって当地を支配しました。百済滅亡(660)や白村江の戦い(663)など、当時の激動する東アジア情勢に関連したスケールの大きな起源譚です。
(上段)倒立と直立のタイプは、福岡県水巻町(伊豆神社河守神社)、直方市(日吉神社)、鞍手町(十六神社)、飯塚市(大分八幡宮)など、筑豊地方の各地で発見されています。今回の嘉麻市も依然として筑豊の一角ながら、仰る通り現在時点での南限と言うことができます。
(下段)筑後型ではないものの、肩や胸の筋肉の張りはそれに似ています。眼光鋭く正面を見据えており、アのあまり開かない口元などは、寡黙に職務を全うする古武士のような趣です。


恵蘇八幡宮(えそ・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.07.20
hisaLinさんのコメント:朝倉街道から日田方面に、386号線を走ったとき立ち寄りました。
ここには、この辺で見かける狛犬さんと、変なもの(漏刻?)がありました
(福岡県朝倉市山田166番)
狛太郎のひとこと:斉明天皇を祀っています。斉明女帝は百済救援のため九州に下られ、当地に宮を設けたと伝えられます。上記筑豊千手氏の起源と同じ事件を縁起としているわけです。
この時女帝は高齢であり、当地で薨去されていますので、実際の指揮は天智天皇(中大兄皇子)が執られたのでしょう。天智天皇といえば、671年に初めて漏刻(水時計)を作ったことでも知られ、その日である6月10日は時の記念日に制定されています。(画像は漏刻のレプリカ)
狛犬は筑後型です。朝倉市の他の筑後型(安長寺阿蘇神社)と同様、久留米を中心とする典型例に比べるとやや変化を生じています。この作品の場合はアウンの耳の造り分けがなされていません。同じ型でも離れた地域で伝えられているうち、次第に独自性を帯びてくる例です。


杷木(はき)神社

提供者:hisaLinさん
09.07.21




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:これも朝倉街道から日田方面に386号線を走ったときのです。見てのとおり大きな狛兎さんと3対の狛犬さんがいました。 
(福岡県朝倉市杷木池田546番)
狛太郎のひとこと:筑前国上座郡19ヵ村の総鎮守かつ、継体天皇の御代に鎮座と伝える古社です。継体は継嗣なく薨じた武烈帝の跡を襲った天皇で(6世紀初頭)、その名の通り、絶えかけた皇統をかろうじて繋いだ人物であり、その治世中には九州で磐井の乱が勃発しています。
@〜Bのいずれも筑後型ですが、典型例に比して若干ずつ違いがあります。典型例に最も近いのはBで、遠いのが@と見受けました。@とそれ以外の違いは顔立ち、特に口の形です。典型例の上顎は横一文字で、かつ歯は門歯列であるのに対し、@は口の形が逆U字状、歯列は鋸歯列です。発祥地久留米と近からず遠からずの距離感が滲み出している作品たちといえます。
C当社は大国主命も祀っていますので、兎はその縁かと思われます。有名な「因幡の白兎」は単なる童話ではなく、『古事記』神話から採られたものです。今にも駆け出しそうな兎です。


吉香(きっこう)神社

提供者:hisaLinさん
09.07.23
hisaLinさんのコメント:錦川を上流(雙津峡辺り)から岩国までサイクリングしたときに、休憩を兼ねて観光したときのです。錦帯橋を渡った公園内にあった神社です。(上段)1対は芸術的で今にも動きそうな感じがしました。(下段)もう1対は玉乗りタイプでした。
(山口県岩国市横山2-8-10)
狛太郎のひとこと:岩国藩主吉川氏の歴代を祀る神社で、明治維新後、藩主居館跡である現在地に移設されました。当社の境内と庭園が吉香公園として整備されています。
(上段)所変われば品変わるで、九州では全く見かけない江戸型です。もっとも、この型は関東から東北までが分布域であり、中国地方としても非常に珍しい存在であると思います。このタイプは三遊亭円丈氏が「獅子山」と名付けたもので、雄々しさと優美さを兼備した造形です。
(下段)これも九州では殆ど見られない尾道型です。巨大な玉に前肢を掛けたスタイルは、独特の存在感を示しています。また尾が湾曲して後頭部に接着する形も、この型ではしばしば見られるものです。四国を含めた瀬戸内海沿岸部を中心に、かなり広範に分布しています。


伊美別宮社(いみ・べつぐうしゃ)

提供者:hisaLinさん
09.07.25
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から国東半島213号線沿いに一周したとき立ち寄りました。
近所に姫島行きのフェリー乗り場がありました。とても大きな神社で、見てのとおり変わった
狛犬さんがいました。
(大分県国東市国見町伊美)
狛太郎のひとこと:国東半島の北端、伊美港に鎮座しています。仁和2(886)年に京都の石清水八幡宮を勧請して創建と伝える古社で、国東最大の国東塔(石塔)などでも知られます。
狛犬は灯籠の竿石として造られたもので、単調になりがちな灯籠に変化を与える目的のもののようです。同様の例は天満神社などで見られ、これを笠石の上の宝珠のあるべき位置に配したもの(貴船神社妻山神社など)も比較的ポピュラーな意匠です。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
09.07.26
hisaLinさんのコメント:209号線を羽犬塚から、久留米方面に向かってサイクリングしたとき遭遇しました。狛犬さんは2対ありました。1対は足を岩においてる感じの狛犬さんで、もう1対はちょっとメタボっぽい感じの狛犬さんでした。
(福岡県筑後市熊野1441-1-2)
狛太郎のひとこと:熊野信仰は修験者によって全国に流布されました。平安後期には阿弥陀信仰と習合して仏教色を強め、皇室からも篤い崇敬を受けて活況を呈しました。
(上段)岩狛の一種と考えられますが、低い岩に片足だけ乗せるという意匠は初めて見ました。この岩狛というスタイルと、肩に配した牡丹花のレリーフなどから塩田系かとも見えますが、顔立ちは異なります。当地に移入された後、独自に発達した塩田型ではないかと考えます。
(下段)丸味を帯びた体つきと髪の処理が、八坂神社のものに酷似しています。また太田神社とも似通った点があります。肥前狛犬の面影が濃厚であり、いずれも佐賀県南部にあって筑後地方とは近接しているので、このタイプも佐賀から持ち込まれたものと考えてよさそうです。


客(きゃく)神社

提供者:TAKOさん
09.07.30
TAKOさんのコメント:内子五十崎IC南南東約11km、「明治43年12月」。
尾道型ですが、歯と尾、顔が違います。柔らかい雰囲気です。
上向きの顔が周辺で多く見られます。
牛鬼で有名な神社です 
(愛媛県大洲市肱川町予子林)
狛太郎のひとこと:大同2(807)年に、当地の豪農・孫一という人が大和から勧請したと伝えられる古社です。日本神話の創造神、イザナギ・イザナミの夫婦神を祀っています。
狛犬は波打つ髪とふくよかな尾が見事な尾道型です。尾道型の一般的特徴は、比較的細身で目つき鋭く、歯は鋸歯、尾は細い毛束で構成などといったところですが、この作品はそうしたイメージをかなり覆すものです。また、これだけ精巧な作品でも玉がややいびつであり、真球を作ることの難しさが分かるとともに、それが程良い手作り感を醸し出していて好ましく感じられます。


住吉(すみよし)神社

提供者:hisaLinさん
09.07.31
hisaLinさんのコメント:肥前町に行ったとき立ち寄りました。この神社は海に面した、小高い丘に建っていまして、狛犬さん達は海を眺めて鎮座してました。玉乗りタイプの狛犬さんは、広島辺りでよく見掛ける狛犬さんに表情、石の材質が似てましたが?
(佐賀県唐津市肥前町田野字土井浦乙143 )
狛太郎のひとこと:肥前町は、複雑な海岸線が多くの名勝を形づくる東松浦半島の西半を占める町です。鎮座地は新田川が伊万里湾に流れ込む河口にあたり、ここには小規模な漁港が営まれています。全国で唯一警察官を祀る増田神社もこの町に鎮座しています。
(上段)厳めしさが身上の唐津型です。首を傾げて睥睨する姿勢が特徴で、鋭い視線と牙が威圧感に満ちています。佐賀狛犬の中で、他の2流(砥川塩田)とはかなり趣が異なります。
(下段)佐賀県内では初出の「尾道型」です。しかも本場のもののようであり、どうしてここにこの型があるのか、ちょっと不思議なくらいです。瀬戸内地方から海路で持ち込まれたものと思われますが、本作品はこの型の中でも装飾性が高く、県内初の尾道型としても貴重な存在です。


竈門(かまど)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.01




@





A
hisaLinさんのコメント:小郡から田主丸方面を走ったときに立ち寄りました。2対の狛犬さんが居まして、1対は筑後型?ともう一対は鳥栖辺りで見かけた狛犬さんに似てました。
(福岡県三井郡大刀洗町下高橋)
狛太郎のひとこと:南北朝時代(14世紀)における九州南朝の雄、肥後の菊池武光が太刀の汚れを洗ったところから、この地名がついたと伝えられます。当地は筑前と筑後の国境にあたる場所でもあり、なにかと争乱の舞台になることが多かったのではないかと想像されます。
@典型例とは幾分違いの見える筑後型です。典型例はもっと顎が張っていて、アゴヒゲも剛毛を表していますが、ここでは比較的細い顎と、柔らかそうな毛筋のヒゲに変わっています。
Aウンの姿を見ればかろうじて原型が筑後型であることが理解されますが、アだけを見てもこれが筑後型であることを想像するのは難しそうです。鳥栖辺りで見かけた、と言われるものは、村田八幡宮千栗八幡宮若宮八幡宮などにいる「古代型」ではないでしょうか。
洗練された狛犬と違って、古代的な迫力に満ちているのでそのように名付けた一群です。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.02
hisaLinさんのコメント:これも、小郡から田主丸方面を走ったときに立ち寄りました。
ここも2対の狛犬さんが居まして、一対は筑後型?と、もう一対は、寝そべってるような阿像と逆立ちした吽像が鎮座してました。(逆立ち狛犬は)飯塚方面で遭遇した狛犬とはちょっと違ってますが、筑後型の多い中で出会うとは思いませんでした。
(福岡県久留米市田主丸町豊城)
狛太郎のひとこと:当地は江戸初期に、大庄屋の菊池丹後が開いたと伝えられます。丹後は受領名でしょうから、一定の地位ある人物かと思われるのですが、詳細は分かりませんでした。
(上段)ころころとした感じの筑後型です。足位置、アンクレット、ウンの角などこの型に必要なものは全て具備しています。しかし厳めしさはそれほどなく、むしろ可愛らしさが際立っています。
(下段)アは寝た姿ですが、本来は直立だったでしょう。倒壊したために、腹の下にセメントを盛り今の形に固定したと思われます。筑豊方面の直立倒立(伊豆神社河守神社千手八幡宮etc.)とは狛犬自体の様式が異なり、顔立ちや髪型もやはり筑後型に基づいているようです。


諏訪宮(すわぐう)

提供者:hisaLinさん
09.08.03




@





A





B
hisaLinさんのコメント:田主丸方面から、うきは市を走ったとき立ち寄りました。
ここは異なった3対の狛犬さんが居ました。
@一対は筑後型?と顔は筑後風?で玉乗り、
A立位の狛犬さんは飯塚辺りで見かけたのに似てました。
Bもう一対も筑後型?。
(福岡県うきは市浮羽町流川)
狛太郎のひとこと:浮羽町は筑後川と耳納連山の間の細長い平地に開けた町で、広大な筑紫平野がその東北部で山塊に阻まれようとするまさにその辺りに位置しています。
@久留米を中心とする筑後型も、そこから遠ざかるにつれて少しずつ手が加えられ、その土地ならではのものに変化しています。典型例が門歯列であるのに対し、変化形では鋸歯列になったりするのがその例です。この作品では更に、玉を取らせてみたという感じが斬新です。
Aこれは本来の一対なのか?と疑うほどアウンの印象が違いますね。姿勢の問題もありますが、前肢の指の造りが全く違うからです。しかし他の部分では別作と考える要素はありません。立ち上がったアの前肢の下には何かがあったのでしょうか。そうでないとしたら、このアは何をやっているのでしょうか。ともあれ、ユーモラスで楽しめる作品です。(参考:高宮八幡宮
B形が随分変わってしまっていますが、これもやはり筑後型をベースとする作品です。
典型例のような完成度の高さはないものの、かえって素朴な面白味がにじみ出ています。


佐志将監(さししょうげん)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.04
hisaLinさんのコメント:唐津から呼子方面(204号線)を走ったとき立ち寄りました。佐志八幡宮の近所にあった祠みたいな神社でしたが、ここの狛犬さんの表情が印象的でした。
(佐賀県唐津市佐志中通)
狛太郎のひとこと:中世に東松浦郡一帯を治めた松浦党の波多三河守の重臣、佐志氏を祀る神社です。佐志氏は歴代、「将監」を受領名としていましたので、それが社名になっています。
狛犬の全体的な造りは唐津型です。幾分変わっているのは、耳の形が垂耳ではないこと、首を傾げていないことなどです。またアウンとも開口である点は、狛犬の一般的形態としても異例です。顔立ちは顔の皺が深く刻まれて陰影に富み、勇猛な松浦党武士を彷彿させる表情です。


黒崎(くろさき)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.05
hisaLinさんのコメント:唐津から呼子方面(204号線)を走ったとき立ち寄りました。シャチホコみたいなのが乗った灯篭、唐津でよく見かける狛犬ともう一つは、広島圏内で見かけた狛犬さんとは顔が全く違う玉乗り狛犬さんがいました。
(佐賀県唐津市浦5138番ノ6)
狛太郎のひとこと:当社は江戸期には黒崎権現と称し、英彦山派の山伏が開いた修験道場でした。権現とは本地たる仏が、神の姿をとって「権に現れ」人々を導くという神仏混淆を説明する教理です。当社の本地仏は阿弥陀仏など3尊、権現は伊弉諾尊など3神でした。明治政府による修験道の禁止と神仏分離政策に従って仏教色を廃し、神社として存続することになりました。
(上段)典型的な唐津型です。目つきが鋭く、尖った鋸歯列には2対の牙を有します。こうした顔立ちは全体として非常に厳めしい印象を呈しており、最も忿怒相らしい忿怒相と言えます。
(下段)大玉取りを取り入れた唐津型で、引き締まった体躯には強靱そうな筋肉の束が浮き出ています。尾道型の様式を直接取り入れたものかどうかは不明ですが、唐津近隣には幾つか類例が見つかっています。(若宮神社増田神社藤瀬神社


田島(たじま)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.06




@





A





B
C
hisaLinさんのコメント:呼子から鎮西町を通って唐津方面まで走ったとき立ち寄りました。
ここは3対の狛犬と相方がいない寝そべってる狛犬さんがいました。玉乗りタイプと衝撃的な後ろ向き、口に何か銜えた1対、ともう1対いました。
(佐賀県唐津市鎮西町横竹585番)
狛太郎のひとこと:呼子町加部島に、肥前国に4社しかない式内社のひとつ、田島神社が鎮座しています。古代の大陸交通の要路であったために、ここに壮麗な神社が営まれたものです。旧東松浦郡一帯にはその末社が点在しており、当社もその一つです。
@玉乗りではなく唐津型岩狛です。唐津型の岩狛自体が珍しく、またその岩に牡丹花が彫られているのは砥川塩田のスタイルであって、こうした混合形式は初めて見ました。
A姿も独特ですがアウンの造りが全く違う点も特異です。髪の形も尾の形も違っていますし、目鼻立ちも異なります。これは本来の一対ではないかも知れません。真後ろを向くほど首を曲げている例としては光雲神社がありますが、どうしてこんな姿勢を取っているのかは全く不明です。
B比較的オーソドックスな唐津型です。各部の仕上げが丁寧で、全体像からも落ち着いた印象を受けます。アは鋸歯列、ウンは門歯列に造り分け、芸の細かいところも見せています。
Cこれが本来の姿勢とは思えません。前肢の形から蹲踞だったようには見えませんので、直立だったのではないでしょうか。この六角形の台座も、本来のものではなさそうです。


奈多宮(なだぐう)

提供者:hisaLinさん
09.08.07
hisaLinさんのコメント:国東半島一周サイクリングしたとき立ち寄りました。ここの神社は防砂林の中にあって、宇佐神宮と関係があるみたいです。玉乗りタイプの狛犬さんでした。
(大分県杵築市奈多229)
狛太郎のひとこと:国東半島東南部の奈多海岸近くに、宏壮な社地を構える奈多宮が鎮座しています。当社の大宮司から戦国武将に転じた「奈多氏」は、大友宗麟との関わり合いの中で盛衰を辿った一族です。奈多氏は宇佐氏の分脈であり、宇佐宮との関係もまた深いものでした。
狛犬は本場からもたらされたらしい尾道型です。狛犬に巨大な玉を取らせるという傑出したアイデアを生みだした尾道石工の作品は、広範な支持を得て瀬戸内地方全域に分布しています。
ところが九州への直接的伝播は意外にも多くなく、希少種にとどまっています。(住吉神社


宝満(ほうまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.08
hisaLinさんのコメント:大宰府方面へ行くとき立ち寄りました。
大きな眼が印象的な狛犬さんでした。
(福岡県大野城市中119番)
狛太郎のひとこと:白村江での敗戦(663)後、外国軍の本土来襲に備えるため各地に山城が築かれました。大野城もその一つで、水城とともに大宰府の防衛拠点でした。また御陵古墳群からは、さらに古い時代の卑弥呼(3世紀)に関係のある三角縁神獣鏡が出土しています。
狛犬はスマートな体形と流麗な毛筋を持っており、ぱっちりと見開いた目もチャーミングです。
ややクローズに構える足位置に、さりげない変化の演出を感じることができ、控えめで品の良い個性化に成功しています。前原系に似ているようでもありますが、系統はよく分かりません。


隈上正(くまのうえ・しょう)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.08.09




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A





B
hisaLinさんのコメント:耳納連山沿いの151号線から210号線に抜けて、うきは市に入ったとき立ち寄りました。2対の狛犬さん(筑後型?)と大きな狛鷽?が1対並んで鎮座してました。
(福岡県うきは市浮羽町西隈上)
狛太郎のひとこと:鹿児島神宮が大隅正八幡宮と称するように、この「正」には正統性を主張する意味があるようです。様々に変化(へんげ)して衆生を救済する観音の根元の姿を「正観音」と呼ぶので、正八幡にもそうしたニュアンスが込められているのではないかと想像しています。
@どっしりした重量感に加え、精悍さが強調された筑後型です。足元の盤が幾らか小さめに造られているのは、本体の威容を際立たせるテクニックかと思われます(椿大神社)。
A同じ筑後型ですが、並べてみるとかなり印象は異なります。こちらはアウンの髪型をはっきりと巻毛と直毛に造り分けています。体型は丸味を帯び、顔立ちもやや柔和です。
B天満宮でお馴染みの「鷽(うそ)」です。当社には菅原道真も祀られているのかも知れません。鷽は特徴をデフォルメしたものが多い中、これは彩色まで施したリアルな造形です。


須佐能袁(すさのお)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.10
hisaLinさんのコメント:耳納連山沿いの151号線を、うきは市方面に走ったとき立ち寄りました。大きな神社で、狛犬さんも大きくて圧倒されました。
(福岡県久留米市草野町草野443番ノ2)
狛太郎のひとこと:鎌倉時代の建久8(1197)年、地元の有力者草野永平によって創建されました。草野氏は佐賀の豪族高木氏の分脈で、肥前・筑後に勢力を有しました。当社の楼門、社殿は明治年間の建築物ですが、見事な木組みや彫刻が施され、県の重文に指定されています。
狛犬は筑後型です。大きく張った鼻と顎、全身にみなぎる筋肉の盛り上がりなど、力強さが余すところなく表現されています。毛筋を省略した太い束で表された髪と尾も、この造形には良くマッチしています。アウンの髪が巻毛と直毛に造り分けられているのがはっきりと分かります。


楯崎(たてさき)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.11




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A
hisaLinさんのコメント:津屋崎方面を走って、坂を登った途中にありました。自転車なので相当、疲れました。後ろに重心があるような、のけぞった様な感じの狛犬さんでした。
(福岡県福津市渡字御園)
狛太郎のひとこと:当社は旧津屋崎町にあって、玄界灘に突き出した岬の岡上に鎮座します。
祭神は大己貴命(大国主命)、綿津見命などであり、海難防止が祈られた社であるようです。
@四肢を大きく広げて踏ん張る姿が剛健です。髪、尾の毛先も荒々しく逆立ち、全身に筋肉か渦の突起が配されています。全体の雰囲気や目にヒトミが彫られていること、胸に筋肉か血管のような筋が施されていることなど、駕與八幡神社の狛犬と共通性があります。
Aこれはアウンを裏から見た画像のようです。上段の狛犬と同系かと思われるものの、髪や尾、飾り毛が更に派手に強調され、鳥類のような印象さえうかがえます。意欲的な仕事振りですが、ウンは前肢を踏ん張りすぎてのけぞっており、構図にバランスを欠いてしまいました。


椿(つばき)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.08.12




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚方面に行ったとき立ち寄りました。だいぶ風化が進んでましたが、変わったスタイルの狛犬さんが2対いました。
(福岡県飯塚市椿352番)
狛太郎のひとこと:一級河川遠賀川が造る沖積平野が、古代から豊かな集落を育みました。
江戸期には長崎街道が整備され、長崎と小倉を結ぶ要衝の地となりました。神功皇后伝説が色濃く残る地であり、「椿」地名も皇后が外征から帰還の折り、刀の鍔(つば)を奉納されたのが起こりとされます。当社は寛平9(897)年に創建と伝える古社です。
@ウンは出雲式を模したらしいデザインで、素材も本場に倣ってか砂岩系の石のようです。
しかしアは当地方ではお馴染みの直立の姿勢です(高宮神社千手八幡宮大分八幡宮)。
Aこちらはアは出雲式、ウンは蹲踞という取り合わせです。体勢だけでなく、アとウンで尾の形が全く異なる点も珍しいと思います。別作ではないかとも思いましたが、大腿の膨らみの具合や爪の形、アゴヒゲの形などから、本来の一対であることは間違いなさそうです。


天道宮(てんとう・ぐう)

提供者:hisaLinさん
09.08.13




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚から嘉穂方面に行ったとき立ち寄りました。ここも見てのとおり直立・逆立ちの狛犬さん一対と、風化が進んでましたが玉乗りスタイルの狛犬さんがいました。
(福岡県飯塚市天道94)
狛太郎のひとこと:昔はよく「お天道さま」などと言いましたが、最近はあまり聞かれません。
当社祭神は大ヒルメ、すなわち太陽神(天道)であり、日本神話の最高神天照大神と同神ともされる女神です。一方、別の神だったのに似た神格のために混同されたという見方もあります。
@倒立・直立の一対は、筑豊地方に多く見られる形態で、軽妙な味わいが特徴です。元々は灯籠の笠など狭いスペースへ設置するための工夫かと想像していますが、確証はありません(大分八幡宮河守神社千手八幡宮)。筑豊地方には直立・倒立のほかに、出雲式、大玉取り、その組合せなど変わり狛犬が多いのが注目されます(椿八幡宮高宮八幡宮)。
A大玉取りの一対です。本場の尾道型とは全く異なり、やはり筑豊地方に多い変わり狛犬のひとつのようです。当地方に変種が多いのは、炭鉱で栄えた土地ゆえに各地から人が集まり、その故郷の様式が地元石工に造形上のヒントを与えたという可能性はありそうです。


五社(ごしゃ)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.15
hisaLinさんのコメント:386号線を朝倉方面へ走って、それから77号線沿いに秋月に行ったとき立ち寄りました。階段を登ったら、この辺りでは見たことがない、驚いたような感じの狛犬さんがいました。
(福岡県朝倉郡筑前町赤坂)
狛太郎のひとこと:合併前の旧夜須町に当たります。この夜須町周辺の地名が、奈良県の三輪周辺の地名に位置関係も含めて数多く一致するところから、九州の勢力が集団で畿内に移住したとする「邪馬台国東遷説」の論拠の一つになっています。神話の「高天原」に流れる「天の安川」は、「夜須川(小石原川)」ではないか、ともささやかれており、古代ロマンをかきたてます。
狛犬は厳つい顔つき体つきの割に、両肢を揃えて行儀良く座っている姿が可愛いです。目にヒトミがあり、特にウンの目は切れ長でつり上がっているので、武者絵のように人間的です。
耳、角、尾に本来石造には不向きな尖った形が多用され、ブロンズのように硬質な印象です。


玉虫宮(たまむし・ぐう)

提供者:hisaLinさん
09.08.16
hisaLinさんのコメント:386号線から77号線に入って朝倉方面へ走る途中に立ち寄りましたが、珍しい神社名でした。ここの狛犬さんは、何処かで見たような狛犬さんと思い帰って調べたら、糸島郡志摩町にある桜井神社の狛犬さんに似てました。
(福岡県朝倉郡筑前町曽根田1750)
狛太郎のひとこと:曽根田の枝村の玉虫という集落で、那須与一と玉虫御前を祀っています。与一は源平合戦の際、平家の女官が掲げた扇を見事に矢で射落とした源氏方の若武者であり、その時の女官が玉虫御前です。与一は九州で平家掃討の軍事作戦に携わっており、ここで玉虫と再会したのでしょうか。戦争に翻弄された男女の数奇な巡り合わせに胸打たれます。
狛犬は全体の印象、足位置など筑後型に似た点もありますが、よく分かりません。むしろ、ご指摘の桜井神社とは本当に良く似ていますね。体型や顔立ちがそっくりな上に、同じように彩色されているので瓜二つです。ただ地域が離れているので、同系と判断するのもためらわれます。


日枝(ひえ)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.18
hisaLinさんのコメント:呼子方面を走ったとき立ち寄りました。玉乗りスタイルの唐津型風?の狛犬さんで玉の彫が見事でした。
(佐賀県唐津市鎮西町赤木)
狛太郎のひとこと:日枝神社の総本社は、滋賀県の日吉大社です。「日吉」は現在は「ひよし」と読みますが、古くは「ひえ」でした。祭神が「比叡山」の神であることからも、ヒエが本来の発音だということが理解されます。従って「日枝」は、その本来の音に基づく表記なのです。
狛犬は唐津型をベースにして、よりリアリティを強調し、さらに玉取りにしたという意欲作です。
しかも玉には細密に牡丹を浮き彫りして技術を誇示しています。旧東松浦郡一帯にはこれと同系のものがかなりあることが分かってきました。(若宮神社増田神社黒崎神社藤瀬神社


松枝(まつえだ)神社

提供者:picapicaさん
09.08.19




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A
picapicaさんのコメント:日本で唯一、二県にまたがる島(九州や本州も島だと言ってしまえばそれまでですが)の佐賀県側、大詫間の松枝神社に行ってきました。昭和18(1943)年に建てられたかなり凝った造りの1対と、文政2(1819)年の1対の計2対の狛犬がいました。
(佐賀県佐賀市川副町大詫間)
狛太郎のひとこと:古代から佐賀と福岡を隔てるのは、筑後川でした。しかし流路の変遷などもあり、境界線は必ずしも現在の地形に一致していません。16世紀には雄島、雌島の2つの三角州が出現し、それぞれ筑前と肥前に属していました。ところがやがて二つの洲は堆積作用で合体、境界の線引きに苦慮したことが伝えられています。現在島の北側は福岡県大野島ですが、これは雄島→おのしま→おおのしまと変遷したものではないかと想像する次第です。
@立派な口ひげと細かい鋸歯列という造形は、熊本(老神社)に多いスタイルのようにも見えますが、定かではありません。深く彫られた毛並みと牡丹は立体感に富み豪華です。ウンが上げた前肢で子を抱いていたのだとすれば、哀感の漂うたたずまいです。(井口八幡神社
Aややバランスを欠く体型ですが、鎚とノミしかなかった文政年間作としては驚くべき出来映えです。丹念に付けられた尾の毛筋、またヒゲと髪の重層的、立体的な造形は、近年作かとみまごうほどです。狛犬と台座の質感は同じであり、台座だけが古いのではなさそうです。


六所(ろくしょ)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.20




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A
hisaLinさんのコメント:前原周辺をサイクリングしたとき立ち寄りました。県道12号線沿い(長野川)にあった神社です。この辺りでは余り見掛けない?タイプの狛犬が2対いました。
(福岡県糸島市本545番)
狛太郎のひとこと:佐賀県から雷山経由で福岡県前原に至る山道は、古くから両県を結ぶ重要な街道でした。そのことは、前原周辺に多くの肥前狛犬八幡宮託社神社など)が存在することでも理解されるところです。峠から流れ下る長野川が、山間を抜けたあたりに、当社は鎮座しています。六所とは熊野の三神と住吉の三神を併せ祀るところから、そう称されるようです。
@これといった特色はなさそうに見えますが、太い前肢と四角張った体つき、たっぷりと豊かな尾などはよく見ると十分特徴的です。どちらかというと筑豊周辺(濱生神社千手八幡宮など)で見る形に似ており、確かに前原あたりではあまり見かけないようです。
Aウンは出雲式の体勢を取っており、蹲踞のアと好一対をなしています。この姿勢を取るために、ウンは尾の形もアとは違えています。棒状の尾では強度的に問題があるとの判断がなされたものでしょう。どんな狛犬にも、それ相応の工夫が凝らされているものです。


廣門(ひろかど)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.22
hisaLinさんのコメント:久留米から柳川方面にサイクリングした時立ち寄りました。八丁牟田駅から442号線沿いに走った所にあった神社で、1対の首太の狛犬がいました。
(福岡県大川市中木室)
狛太郎のひとこと:筑後の戦国武将で、勝尾城(佐賀県基山町)城主の筑紫上野介広門を祀っています。大友氏との抗争と連携、秀吉の九州侵攻、大阪の役など、目まぐるしく変遷する政治情勢に筑紫氏も翻弄されましたが、最終的に江戸期には3千石の旗本として存続しました。
狛犬は当地方で有力な筑後型塩田型とは大いに趣が異ります。比較的スリムでしなやかな体つきと短い前肢の組合せは、熊本方面(荒木宮など)でよく見るタイプです。首から胸にかけてのスペースが広く、その分前肢の付け根が後方にあるため、こういうバランスになります。


若宮八幡(わかみやはちまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.23




@





A





B
hisaLinさんのコメント:福岡から久留米方面に向けて、738号線を走ったとき立ち寄りました。
道路を挟んで小学校と神社がありました。3対の狛犬がいました。
1対はこの辺りでよく見掛けるタイプ、もう2対は筑後型の亜種?ですか。
(福岡県小郡市八坂325)
狛太郎のひとこと:小郡の地名は7世紀、新羅の使節を迎えた記事が初出とされます。大宰府と博多を結ぶ要衝の地として古くから開け、政治的にも整備されていたことが分かります。
@筑後型がこの型として完成した姿を示しています。どっしりした重量感が身上で、威圧感がありながらも親しみのある顔立ちをしています。これをベースにあとの2対を観察してみます。
A筑後型の前身か派生型と思われるタイプで、実は筑後地方には数多く存在しています(高良大社宮陣神社など)。ほっそりした体型で見た目はかなり違いますが、足位置などから、同系であることは間違いなさそうです。筑後型との時代的前後関係を解明したいものです。
B原型とは著しく変化しており、こうなると単独で見た場合には同系とは気付かないかも知れません。足位置、足首の飾り、ヒゲの形、などでかろうじてそれと分かるのみです。また耳は、脆い石造にはあるまじき形であり、あるいはモルタル造かも知れません(仁壁神社)。


彦山(ひこさん)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.24
hisaLinさんのコメント:松浦川沿いに相知町方面に行った時に立ち寄りました。桜井神社(糸島郡志摩町)で見た狛犬さんに似た3頭身?の狛犬がいました。
(佐賀県唐津市相知町中山)
狛太郎のひとこと:相知(おうち)の町名は、幾つかの川が「逢う地」(合流地点)に由来すると言われます。これらの川は町の中心部で松浦川に集約されて、唐津の町で玄界灘に注ぎます。
狛犬は佐賀ではあまり見かけないタイプです。三等身の幼児体型ながら各パーツともしっかりした細工が施されており、いずれもよく整っています。その体型のほか、長い耳、首を取り巻く渦、口中の玉など、確かに前原、糸島地方のものに良く似ています。(花掛神社十六天神社


山(やま)神社

提供者:hisaLinさん
09.08.25
hisaLinさんのコメント:国東半島一周サイクリングした時、立ち寄りました。213号線を宇佐市から豊後高田市に入ったとき、道路沿いにあった神社です。前原市にある高祖神社の狛犬さんに似てるような気がするんですが。
(大分県豊後高田市玉津1756番)
狛太郎のひとこと:国東半島の付け根に位置し、歴史的には宇佐神宮との関わりが深い土地です。各地の「山神社」の多くが山間部に鎮座するのに対し、当社は桂川が周防灘に注ぐ河口近くに鎮座しています。祭神は山の神、大山祇命(おおやまつみのみこと)です。
狛犬は本場から導入されたらしい出雲型の蹲踞です。流麗な細工とバランスのよい安定感が持ち味です。子獅子も細部まで緻密な彫刻が施されています。素材の来待石は風化に弱く、これほど保存状態の良いものは多くありません。高祖神社の狛犬もまさにこの系統のものです。


田中(たなか)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.08.26
hisaLinさんのコメント:篠栗町の町並みを、ぶらっとポタリングした時に立ち寄りました。見たとたん噴出しそうな顔が印象的でした。
(福岡県糟屋郡篠栗町田中)
狛太郎のひとこと:天保6(1835)年当村を訪れた尼僧慈忍が、弘法大師を奉じて霊場建設に着手したのが篠栗四国八十八ヶ所霊場の始まりです。多くの参拝者で賑わう中、とりわけ南蔵院の涅槃像は、ブロンズ製では世界最大と言われ、篠栗のシンボル的存在となっています。
狛犬は何型ともつかず、これはこれとしか言いようのないものです。目の表現には素朴さとシュールさが同居していて実に印象的ですし、笑いを噛みころしているようなウンの表情には、見る者の顔もほころばせるだけの力があります。それでいて、細工は決して稚拙ではありません。


旅石(たびいし)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.08.27
hisaLinさんのコメント:空港通りから宇美町方面を走ったとき立ち寄りました。須恵川沿いにあった神社で、ギョロ眼とメタポかかった感じが印象的な狛犬がいました。
(福岡県糟屋郡須恵町旅石)
狛太郎のひとこと:神功皇后の行啓中、「あなわびし(とても疲れた)」と言われたので、この地を「わびし」と呼んだとされます。それが訛って「たべし」となり、現在では「たびいし」と称するようになった由です。よくある地名起源譚の一つですが、無理矢理さがかえって微笑ましいです。
狛犬はふくよかな体型と丸い顔によって、可愛らしい姿に仕上がっています。しかしタドンのような丸い目の印象は強烈で、顔に似合わぬ鋭い眼光を発揮しています。また、前肢の飾り毛の位置や髪のスタイルをアウンで違えており、細部にも気を配っている様子がうかがえます。


志波宝満宮(しわ・ほうまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.08.29




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A





B
hisaLinさんのコメント:386号線を走ったとき立ち寄りました。大分自動車道を潜ったら右手に小高い丘?がありそこにこの神社がありました。2対に筑後型?狛犬がいて、もう1対は背中で子狛犬が戯れてる風?にみえて微笑ましかったです。
(福岡県朝倉市杷木志波)
狛太郎のひとこと:三笠郡の宝満山から竈門神社を勧請して祀ったと伝えられます。つまり大宰府の竈門神社の分社ということになります。当初の祭神は玉依姫(たまよりひめ)でしたが、後世神功皇后応神天皇を合祀しました。玉依姫は初代神武天皇の母とされる神です。
@筑後型ですが、細かい毛筋まで丁寧に彫り込んでいる点が、いささか無骨な典型例とは異なります。また髪やヒゲの毛量も多く、この型らしからぬ優雅さを備えています。
A筑後型の典型例に近いものです。小鼻がしっかり張って、顔立ちにも男性的な力強さが現れています。髪に粗いながらも毛筋が付されており、装飾性を意識した造りになっています。
B非常に特殊な形状で、系統は不明です。アウンとも大きな子獅子を背に乗せており、しかもその子獅子が体を乗り出すようにして外側に向かっています。また耳も類例のないほど大きく張り出しており、全体的に石という素材の脆さを意に介さない大胆な造りといえます。


多賀(たが)神社

提供者:TAKOさん
09.09.01




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A
TAKOさんのコメント:(上段)出雲蹲踞狛犬は「平成18年10月」、
(下段)出雲かまえ狛犬は「明治十二(1879)卯年十一月、○治町石工平助作」。
松江城の東南東約4・5kmに位置し、蜆(しじみ)漁を守っている神社です
(島根県松江市朝酌町矢田)
狛太郎のひとこと:出雲風土記(8世紀)所載の朝酌(あさくみ)下社に比定されている古社で、伊弉諾尊・伊弉册尊の他、出雲系の神々を祀っています。島根半島が宍道湖を包み込んで、松江市の東で閉じようとする、その尖端付近の河岸に鎮座しています。
@新作の出雲型蹲踞です。美しく彫刻された円形の台座に座る姿は、この型の定番と言えます。どっしりと安定感のある体躯、流麗な毛筋、ともにこの型の持つ美点です。素材の砂岩は寿命が短く、各地の出雲型が崩壊の危機にある中、こうした新作の誕生は心強い限りです。
A出雲型出雲式です。尻を上げ、尾を高く掲げた構図の独自性と、流れるような毛筋の美しさで見る者の目を捕らえて離しません。しかしこの精細な彫刻を可能にした来待石は、耐用年数が人の寿命程度とも言われており、この作品も明治にしては風化の跡が顕著です。


三坂(みさか)神社

提供者:hisaLinさん
09.09.03
hisaLinさんのコメント:564号線を雷山方面に走ったとき立ち寄りました。ここの狛犬さんは、前原地方でよく見る狛犬さんでした。
(福岡県糸島市三坂902番)
狛太郎のひとこと:前原・糸島には江戸期まで、天子社と称する仏教色の強い神社が点在していました。恐らく天台宗の影響下で普及した信仰と思われますが、明治の神仏分離政策で神社として再編され、社名も改称されました。当社も、それまでは十六天子社であったようです。
狛犬は前原地方で繰り返し登場するタイプで、これをもって前原型と位置づけてもよいかも知れません(雷神社託社神社加布里天満宮熊野神社など)。ただ、これが特定の石工、あるいは特定の工房のオリジナルである可能性もあり、地域の代表的様式と断定するためには、今後、石工名や製作年のデータが蓄積されていく必要があるように思います。


現人(あらひと)神社

提供者:hisaLinさん
09.09.05
hisaLinさんのコメント:385号線を南畑ダム方面を走ったとき立ち寄りました。ちょうど七五三の時期で華やいでました。ここの狛犬さんは、ア像に角がありました。
(福岡県筑紫郡那珂川町仲)
狛太郎のひとこと:神功皇后が外征の折り、海神が現れて神助を与えました。その海神が住吉三神であり、当社の祭神です。「姿を現した」ので「現人」神社とされていますが、古代史好きなら渡来神の「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」が連想されるはずです。現に田川の現人神社の祭神はこの神です。当社にも本来はこの伝承があったのではないかと想像する次第です。
狛犬はボディービルダーのような体つきですが、よく見ると、筋肉や骨格の表現は丁寧で繊細、かつ飾り毛などにも気を配っている様子が分かります。かつ髪とヒゲをアウンで造り分けるなど、細心に工夫された力作であるようです。アの角にも、何かこだわりがあったのでしょうか。


三島(みしま)神社

提供者:hisaLinさん
09.09.06
hisaLinさんのコメント:柳川から久留米方面に走ったとき立ち寄りました。
威嚇してるような狛犬さんがいました。
(福岡県柳川市高島377番)
狛太郎のひとこと:当地に三島神社が多く見られるのは、鎌倉以来の柳川の名族で、柳川城主の蒲池氏が氏神として崇敬したからです。その蒲池氏は同じ嵯峨源氏出身の松浦党主と同族とも言われます。佐賀には芦刈を領した「鴨打(かもうち)」氏があり、関係がありそうです。
狛犬は出雲式風の地元作品です。前肢の肘が地に付いていないので、相手に飛びかかる直前のような緊張感のある構図になっています。豊かな尾には美しく毛筋が施されており、逆R字状の構造で視覚的効果を一層高めています。アウンの耳ははっきり造り分けられています。


坂本(さかもと)神社

提供者:hisaLinさん
09.09.07
hisaLinさんのコメント:西鉄甘木線に沿って久留米まで走ったとき立ち寄りました。小さな神社だったんですが、立派な狛犬さん(典型的な筑後型?)が鎮座してました。
(福岡県久留米市北野町金島)
狛太郎のひとこと:筑紫平野の北部にあり、筑後川に寄り添うように鎮座しています。ここ金島地区に残る洪水にまつわる伝承は、治水に苦労した史実が偲ばれるものです。当社は醍醐天皇(885〜930)の時に創建という古社であり、高良玉垂命の第7皇子の坂本命を祀っています。
狛犬は仰る通り典型的な筑後型です。重量感のある魁偉な容貌は、もうすっかりお馴染みです。耳、ヒゲ、髪が造り分けられているのは定番ですが、この作品の場合、前肢のスタンスもクローズドとオープンに造り分けられており、その点はやや珍しいということができます。


金比羅(こんぴら)神社

提供者:hisaLinさん
09.09.08
hisaLinさんのコメント:唐津から203号線を、厳木方面に向けて走ったとき立ち寄りました。
ここの神社は小さな神社で、拝殿前には狛犬さんは居ませんでした。
帰ろうとしたんですが、裏に摂社があったので見に行ったら肥前狛犬?らしき2対の狛犬さんと、風化が進んでましたが狛犬さん?らしいのがポツンと居ました。
(佐賀県唐津市相知町長部田)
狛太郎のひとこと:金比羅神社の祭神は大物主命(大国主命)が一般的である中、当社は鉱山の神、金山彦命(かなやまびこのみこと)を祀っています(『相知町史』)。相知炭鉱は唐津炭田の中心的存在として栄えましたが、この神が構想された時代には勿論石炭の存在は知られていませんから、周囲の山からの金属産出の歴史の名残りを伝えるものと考えられます。
(上段)肥前狛犬の頭部形状には、ブロック状のものと丸味を帯びたものがあります。本品はブロック状に属します。また肥前狛犬は四肢をレリーフで表すのが一般であるのに対し、これは腹の下を彫り抜く一方、強度の保持のために前肢間は彫り残すという特殊な構造になっています。これと同様のものが隣の厳木町にも残されており、ある程度流布した形式であるようです。
(中段)これは本来の一対ではないかも知れません。一方の頭部はブロック状で他方は丸味を帯びていることのほか、体型や四肢の表現にも違いがあるからです。しかしそれぞれに肥前狛犬の典型であり、また発生期の姿をよくとどめていて、サンプルとして貴重なものです。
(下段)非常に風化していますが、上・中段の例よりは幾分時代を降るものかと思います。目鼻立ちが頭部上面に集中する原初型に比べ、口吻が伸び、顔の造作の配置が後世のものに近づいてきています。しかし肥前狛犬の進化には跛行性が大きく、一概には断定できません。


椎尾(しいのお)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.09.16
hisaLinさんのコメント:岩国を流れる錦川沿いを走ったとき立ち寄りました。九州では見られない狛犬さんが、2対鎮座してました。
(山口県岩国市岩国4-1-8)
狛太郎のひとこと:史実としては寛永3(1626)年、岩国藩主吉川氏により建立されたと明記されている神社ですが、大同年間(9世紀初)に、豊前国宇佐宮を勧請したとの伝承もあり、この小高い丘は古来、何らかの聖地であったかも知れません。
(上段)曲面で構成された滑らかな質感の肢体が、豊かな髪とヒゲによって上品に装飾されています。細密な歯列も技術的に高度です。様式としては出雲型の蹲踞に近いものです。
(下段)紅白の鉢巻がなかなかチャーミングです。狛犬自体もさることながら、こうした氏子さんの心遣いにも癒されるものです。様式は、かなり変化していますが浪花型のようです。


若宮(わかみや)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.09.17




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hisaLinさんのコメント:国東半島一周サイクリングして、杵築駅方面に向けて走ったとき立ち寄りました。玉乗りタイプと、半そでのシャツを着たような狛犬さんがいました。
(大分県杵築市宮司336)
狛太郎のひとこと:杵築城の北西方面にあって、鴨川のほとりに鎮座しています。寛和元(985)年、現宮司33代の祖が、勅を奉じて京都石清水八幡宮を勧請、創建と伝える古社です。
主祭神の大鷦鷯命(おおささぎのみこと)とは、仁徳天皇の和風謚号です。「若宮」という社名は、八幡神(応神天皇)の皇子を祀る宮であることを表しています。
@当社HPによると天保4(1833)年の産です。またその形態は「きわめて珍しく異色」と記されており、尾道型はやはり九州では稀少種であることが裏づけられます。ただし、hisaLinさんご投稿の奈多宮にも同類があり、九州の他の地方よりはこの型が多い可能性はあります。
A系統不明の狛犬で、素朴な味わいのあるものです。足下の盤の処理に特色があり、通常のまな板型ではなく、前方をやや盛りあげて前肢を置き、後方を低くして後肢に同化させています。側面観は輪を描いているようであり、この造形によって強度を高めているように見えます。


貴船宮(きふねぐう)

提供者:hisaLinさん
09.09.19
hisaLinさんのコメント:68号線を宇美方面に向けて走ったとき立ち寄りました。
宇美八幡宮亀山八幡宮の狛犬さんに似てませんか?
この辺りに多い狛犬さんのような気がします。
(福岡県糟屋郡宇美町貴船)
狛太郎のひとこと:貴船宮の総本宮は、京都鞍馬山に鎮座する貴船神社です。水の神として崇敬され、また「丑の刻参り」の舞台としても知られます。祭神の高オカミ神のオカミは、雨の下に口を3つ書き、その下に龍と書くものものしい字面であり、ミステリアスさが滲み出しています。
狛犬は、ご指摘の両社とは確かに同型のようです。というより、同じ工房の作品でしょう。
横に平べったい独特の顔立ちですが、そのお陰で八頭身のスマートな体つきを得ています。
各部とも丁寧に彫られており、個性的なだけでなく優れた技術の裏づけがあります。


下六丁(しもろくちょう)天満宮

提供者:picapicaさん
09.09.20
picapicaさんのコメント:貴兄のホームページに載っている肥前狛犬(下六丁天満宮)、今年の2月には居ませんでした。今日、一寸気になったので立ち寄ってみたら、新作が座っていました。奉納者の名前はありますが、石工名等はありませんでした。これも肥前狛犬に分類していいものでしょうか?
(佐賀県神埼市神埼町大字横武字下六丁)
狛太郎のひとこと:前の狛犬がどうなったのか気になるところですが、風化が著しかったので更新されたものと思われます。そのあとに、無個性な現代狛犬でなく、こうしてもとの姿を再現した肥前狛犬が奉納されたのは喜ばしい限りです。これを造った人は、肥前狛犬を相当研究されているようです。現在我々は風化した個体しか見ることができませんが、3〜400年前に造られた当時はまさにこのようであっただろうという、その雰囲気までが見事に伝わってきます。


沖(おき)神社

提供者:picapicaさん
09.09.21
picapicaさんのコメント:芦刈町三王崎三条(芦刈庁舎の西側)の沖神社です。
明治21年2月の建立。石工名は最初の一字が判読できませんが、武富多三でしょうか?
(佐賀県小城市芦刈町三王崎三条)
狛太郎のひとこと:沖神社の祭神は綿津見神とされていますが、本来はもっと素朴な無名の神ではなかったかと想像しています。沖神信仰の中心は文字通り有明海の沖にある岩礁であり、人々の自然発生的で切実な願いが結晶したしずくのように波間に浮かんでいるのです。
狛犬は恐竜型です。砥川型岩狛の一種ですが、それをリアルかつ動的に変化させ、ひとつの型として完成させたセンスと力量には瞠目すべきものがあります。この型の嚆矢は、今のところ上場八幡宮と目されますが、それ以降、多くの石工が取り組んでその洗練に寄与しました。
なお、武富氏は砥川石工に多い姓です。ただ私のデータには「多三」は見当たりませんでした。


八龍(はちりゅう)神社

提供者:picapicaさん
09.09.22
picapicaさんのコメント:大型の肥前狛犬が真新しい社殿の軒下に座っていました。
背中に文字が彫ってあるのは判るのですが、読めません。型を取って読むのでしょうか?
(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町下藤)
狛太郎のひとこと:八大龍王社は印度起源の八頭の龍を祀っており、仏教の護法神でした。明治の神仏分離の際、仏教色を排して神社として存続しました。農作には不可欠な水の神です。
肥前狛犬は2〜30a程の小型狛犬として発祥しましたが、次第に大型化の傾向を辿りました。
基本的な形態と意匠を変えないまま大型化したため、後期にはやや平板で抑揚の乏しいものが見受けられます。本作品は大型化に見合った細工が施されており、そうした欠陥を免れています。なお、銘は私の観察では「八○兵衛」でした。風化した銘の判読は至難で、結局は光の具合と相談しながら目に頼るほかありません。文字が異字体だったりすると本当に大変です。


玉垂命(たまたれのみこと)神社

提供者:hisaLinさん
09.09.23




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A





B
hisaLinさんのコメント:八丁牟田から羽犬塚を通って、八女方面を走ったとき立ち寄りました。
1対の狛犬さんが金網の中に入ってました。それと、柳川辺りでたまに遭遇する狛犬さん2対がいました。
(福岡県筑後市長浜1814-1)
狛太郎のひとこと:高良玉垂命は記紀には登場しない筑後の地方神で、その正体として武内宿禰命説もあるものの、決定的な定説はありません。筑紫君磐井(6世紀)など、筑後地方には古くから大きな勢力が蟠踞していたのであり、独自の信仰が根付いていたことが想像されます。
@これは陶磁器製の狛犬のようです。柔らかい風合いの地肌に、三彩風の彩色が施されています。流麗な毛筋やピンと張った耳は、彫刻とは一味違う陶磁器ならではのものです。
A三島神社八幡神社(下段)琴平神社(下段)など、筑後地方の各地に同類を見出すことができます。三島神社の項で書いた通り、これも筑後型の変化形だと考えています。
B木造狛犬を石で写した感のあるこのタイプは、筑後型のプロトタイプと考えられるものです。ほっそりとした体つきが優美で、後代の筑後型とは大いに趣が異なります。高良大社をはじめ、日吉神社A水田天満宮@三島神社宮陣神社など、当地方に広く分布しています。


厳島(いつくしま)神社

提供者:hisaLinさん
09.09.24
hisaLinさんのコメント:熊本から大牟田方面を走ったとき立ち寄りました。ここは、小さな漁港があり、また知る人ぞ知る、落ち着いた雰囲気の河内温泉があります。湾の向こうは島原半島の普賢岳も見えます。その中の小高い丘?にある神社です。狛犬さんは熊本地方に多い?狛犬さんでした。
(熊本県熊本市河内町船津)
狛太郎のひとこと:河内町は市の東北端、島原湾に面した河口近くに位置しています。船津という地名もそんな立地に関連したものでしょうし、ここに海神が祭祀されたのも自然な成り行きです。因みに、イツクシマの号は祭神の市杵島(イチキシマ)に由来するとも言われます。
狛犬は仰るように熊本風ですね。びっしり並んだ歯列とか短い前肢などが特徴です。ただこうした形の元になったモデルはどれなのか、いまだに不明確です。経験不足で標準を見いだせていないのです。必ず「肥後型」と言えるタイプがあるはずで、早くそこに到達したいと思っています。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.09.26




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hisaLinさんのコメント:柳川から瀬高方面に向かって走ったときに立ち寄りました。一対の肥前狛犬?さんと、聖母宮等と同じ狛犬さんがいました。この辺りに多いよう思いますが?
(福岡県柳川市三橋町上久末)
狛太郎のひとこと:平安期に藤原氏が瀬高庄を領したとき、上庄の政庁から柳川に向かう道が整備されました。それが瀬高街道で、その古道に架けられていた御三橋(おみつはし)が町名の由来である由です。ここは05年に柳川市と合併するまでは、山門郡三橋町でした。
@正統派と呼ぶべき肥前狛犬です。顔の造作が頭部の上面に集中しているのは、初期段階の特徴です。刳り抜かずに浅く刻出した四肢や、僅かな突起で表現する耳と角など、加工の程度を最小限にとどめています。ごく小型であるため、強度面を最重視した造形と思料します。
A聖母宮広田八幡宮宝満宮などと同型のモデルです。ウンは玉取が基本のようですが、ここでは玉が直方体に近く、真球にすることを試みたという様子もみられないところから、この狛犬の見どころはそこじゃない、という強烈な主張が込められているように感じられます。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.09.27
hisaLinさんのコメント:柳川から久留米方面に向けて走ったとき立ち寄りました。公民館の一角にいましたが印象に残る狛犬さんでした。
(福岡県柳川市矢加部679番1 )
狛太郎のひとこと:中世筑後地方を領した蒲池氏の重臣に矢加部氏がありました。柳川市矢加部の地名もこの一族と関係がありそうです。筑後川を隔てた佐賀県側にも矢加部姓の方々が居住されており、肥前と筑後の歴史的関わりの深さをここからもうかがい知ることができます。
狛犬はかなり独特の風貌をしていて、系統はちょっと判りかねます。ただアが玉を噛んでいるのは九州的な特徴であり、また全体的な印象から、地元産と見受けられます。ウンの顔立ちは特に印象的で、同じ市内の三柱神社に良く似ています。偶然かも知れませんが似ています。


須恵宝満宮(すえ・ほうまんぐう)

提供者:hisaLinさん
09.09.28
hisaLinさんのコメント:篠栗から35号線を、宇美方面に向けて走ったとき立ち寄りました。量産タイプの狛犬さんと、旅石神社の狛犬さん似のギョロ眼が印象的な狛犬さんがいました。
(福岡県糟屋郡須恵町須惠)
狛太郎のひとこと:大宰府の宝満山竈門神社の末社で、応徳2年(1085年)に創建と伝える古社です。祭神の玉依姫は、人皇初代の神武天皇の母にして海神大綿津見神の娘であり、天孫と海人族の結びつきを説明した象徴的な神話の主人公です。九州の日向が説話の舞台です。
(上段)よく見る岡崎型ですが、石肌にはそれなりに時代色があり、近年量産されているものとは異なるかも知れません。最近の岡崎型のコピーは工業製品的で不人気ですが、元のモデルが良かったから普及したのは確かであり、これがその時代のものだとすれば尊重に値します。
(下段)なるほど旅石八幡宮のものと良く似ています。ディテールは少しずつ異なりますが、タドンのような目、眉の造り、体つきなどはそっくりです。またアウンで髪型が微妙に異なる点なども共通です。同じ町内ですから、同一人か同じ工房の作品とみて間違いなさそうです。


御大之前(みほのさき)神社

提供者:hisaLinさん
09.09.29
hisaLinさんのコメント:島原半島一周したとき立ち寄りました。雲仙温泉を過ぎ、口之津方面に向かって走ってた時、道路沿いに建ってた小さな神社でした。神社名も変わってましたが、狛犬さんは愛着のある顔で迎えてくれましたので、疲れが取れた感じがしました。
(長崎県雲仙市小浜町飛子3376番)
狛太郎のひとこと:出雲の大国主命が、僚友の少彦名命に出会ったのは「小汀(おばま)」という海岸でした。また国譲りの際、大国主は「御大之前」にいた事代主命に意見を聞いています。
長崎県「小浜(おばま)」に「御大之前神社」が鎮座し、事代主命を祀っているという事実は興味深いものです。しかし当地と出雲にどんな関連があるのかは、残念ながら解明できかねました。
狛犬は顔が真っ直ぐに前を向くタテ置きタイプです。このタイプは室内用の木造狛犬をなぞったものと考えられ、石造としては試行錯誤的段階の過渡的なものです。デッサンの素朴さや風化の具合から見ても相当古いように見受けられ、最低200年はありそうに思えます。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
09.09.30
hisaLinさんのコメント:基山辺りをのんびりサイクリングした時、立ち寄りました。田園の中にある神社でした。この辺りは筑後型の縄張り?ですが、亜種?かぜんぜん違うのか?わからない狛犬さんがいました。
(佐賀県三養基郡基山町大字園部)
狛太郎のひとこと:肥前風土記は基山の地名を、「霧の国を訛って基肄(きい)という」としていますが、本来は「木の国」だったと想像されます。この頃中央政府は地名を二文字で記すよう命じており、「木」では困るので「基肄」と表記したものです。「紀伊」「斐伊」なども同様の例です。
佐賀県鳥栖市及び三養基郡は、経済面生活面ともに、隣接する福岡県久留米市の圏内にあるといっても過言ではありません。狛犬も当然のように筑後型が主流です。とは言えやはり佐賀勢も多く、特に塩田型が健闘しています。これはそのうちの蹲踞型(川良天満宮上滝八幡社など)で、筑後型の亜種ではありません。棒状の尾、細かくびっしり並んだ歯列が特徴です。


裂田(さくた)神社

提供者:hisaLinさん
09.10.01
hisaLinさんのコメント:575線を那珂川方面に向かって走ったとき立ち寄りました。小さな神社で、筑後型風の狛犬さんだけポツリといました。
(福岡県筑紫郡那珂川町安徳字龍頭)
狛太郎のひとこと:集落の灌漑のために那珂川から引かれた用水路が「裂田溝(さくたのうなで)」です。弥生時代の築造で、日本最古の農業用水路とされます。当社はその水路の中ほどにあり、神功皇后を祀っています。水路の開削が大岩のために行き詰まったとき、皇后が祈願すると雷が落ちて岩を砕いたと伝えられ、これが裂田の地名説話(岩を裂く)にもなっています。
狛犬はやや変化した筑後型です。ほぼ典型例の特質を保っていますが、異なるのは歯が鋸歯状であることで、阿蘇神社諏訪宮竈門神社など、久留米市からやや離れた地域に分布しています。しかし時代の前後が不明であるため、これが典型例の派生形であるのか、あるいは逆にこれらが洗練されて典型例として完成されていったのか、実は確認できていません。


岐部(きべ)神社

提供者:hisaLinさん
09.10.04
hisaLinさんのコメント:国東半島一周したとき立ち寄りました。狛犬さんは比較的新しかったですが、鳥居の隣に仁王様が立っていました。神社なのに不思議な感じでした。国東半島ではこういった神社にたまに遭遇しましたが。
(大分県国東市国見町岐部1883番)
狛太郎のひとこと:当社には、本来の祭神とされる保食神(稲荷神)に、天祖系、住吉系、仏教系の神々が加わり、さらに国東水軍の雄・岐部氏が奉じた武神の春日系まで、10柱もの神が祀られていて実に多彩です。国東には独自の仏教文化が栄えたので、その守護神として多くの神々もまた必要とされたのかも知れません。門前の仁王もその一環ではないかと思われます。
ちなみに、狛犬をアウンの形に造るのは、仁王像に影響を受けたものだとも言われています。
狛犬は新しい岡崎型です。趣のある古社にはちょっとマッチしないタイプではありますが、これも時代の趨勢というところです。このタイプが狛犬鑑賞家に不評なのは、ごく最近の作であって歴史的背景がまだないことと、全国一律に普及したため地域性という重要な要素を欠くからです。
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