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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
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写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


三嶋(みしま)神社

提供者:TAKOさん
09.10.06
TAKOさんのコメント:祭神は大山祇神、菊理姫神。
(上段)尾道型狛犬は「明治22(1889)年9月」。
(下段)蹲踞狛犬は「明治33(1900)年4月吉日。吉田町石工・三瀬庄太郎」。
ミルクとシルク、そして相撲の町・野村町です。尾道型の狛犬は本場産と思われます。
(顔が)上向きの狛犬は、南予では多く見られます。大きな牙と歯、団子鼻が特徴です。
(愛媛県西予市野村町野村)
狛太郎のひとこと:04年の合併で、東宇和郡野村町から西予市野村町になりました。
畜産と、明治以来の養蚕で栄えた町です。大相撲の元関脇玉春日の出身地でもあります。
(上段)髪、ヒゲの毛量が豊かで、尾も立派な形です。この装飾性は客神社のものと同等であり、耳の形や顔立ちも似ています。肱川に沿った、一つの狛犬文化圏があるかも知れません。
(下段)石工住所の「吉田町」は旧北宇和郡吉田町かと思われます。ここは宇和島藩から分知された吉田藩3万石の所領であり、本藩と同じく仙台から入封した伊達家が治めた所です。
そのせいか、南予の狛犬は愛媛県の他の地域とは少し趣を異にしています。特にこの巨大な牙が特徴で、高田八幡神社もその例です。ほかにも、未掲載の数社でそれを目撃しました。


会所宮(よそみや)

提供者:hisaLinさん
09.10.10
hisaLinさんのコメント:久留米から日田まで走った時立ち寄りました。道路拡張?か何かあったのか社殿は見当たらず、狛犬さんがポツンと鎮座してました。
(大分県日田市大字日高)
狛太郎のひとこと:日田の語源について、「日高見国→日田」説があります。日高見国は今の岩手県にあったとされる蝦夷の国です。日田郡を日高郡と表記した古書があるといい、日田市日高という地名も残っているなど、ロマンチックな想像を膨らませてくれる説ではあります。
狛犬は大きめな髪の渦や尾の毛筋が丁寧に刻出され、端正な像容です。前肢を少し突っ張った体勢により、一般的な蹲踞に比べ動きが感じられます。ウンが異例なほど巨大な角を有しているのは、特徴を出そうとしたのでしょうか。全体に伝統を踏まえた生真面目な作風です。


若宮(わかみや)神社

提供者:hisaLinさん
09.10.11
hisaLinさんのコメント:久留米から日田まで走った時立ち寄りました。近くに簗場(やなば)があり、鮎の塩焼きの店がありました。ここの狛犬さんは阿吽とも角がありました。
(大分県日田市若宮町3-78)
狛太郎のひとこと:市内を流れる三隈川のほとりに鎮座。別名を若宮八幡というように、八幡系の神社です。三隈川では伝統的な簗(やな)による鮎漁が行われており、日田の風物詩として親しまれています。日田祇園祭では当社と八坂神社の間で曳山巡行が行われます。
狛犬はライオンに似たリアルな顔立ちと毛量の豊かな髪、尾によって、どこかエキゾチックで優雅な雰囲気を漂わせています。太い尾の脇にレリーフされたパルメット状の房によっても、その趣が増幅されています。アウンとも有角という造りも異例で、不思議な魅力を発揮しています。


祇園(ぎおん)神社

提供者:hisaLinさん
09.10.12
hisaLinさんのコメント:福岡から久留米まで走ったとき立ち寄りました。西鉄の小郡駅近くにあった神社で、この周辺に多い筑後型と、もう一つは、スタイルは出雲風の狛犬さんがいました。
(福岡県小郡市祇園1丁目)
狛太郎のひとこと:祇園社は祇園精舎の牛頭天王を祀る神社でした。明治の神仏分離令で祭神を日本神話の素盞鳴尊に改め、また祇園社から八坂神社へと改称しました。当社は改称しなかったのかどうかは不明ですが、いずれにしても氏子には多くの葛藤があったことでしょう。
(上段)髪に毛筋を付けるなど、典型例より装飾性を高めた筑後型です。特に、ヒゲにびっしりと施された毛筋は目を引きます(天満宮若宮八幡神社御嶽神社など)。耳の造り分けがないこと、歯が鋸歯列であること、スタンスがスクエアであることなども典型例と異なっています。
(下段)出雲式を模した地元産です。本場と違って、素材が固いだけに加工は難しいと思われますが、それでもかなり精細な細工が施されています。このスタイルは本場以外では定番化しませんでしたが、各地の意欲的な石工が散発的に取り組んでいます(松尾神社など)。


秋月(あきづき)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.10.15
hisaLinさんのコメント:秋月方面を走ったとき立ち寄ったんですが、大己貴神社垂裕神社の狛犬さんに似てませんか?
(福岡県朝倉市上秋月1717)
狛太郎のひとこと:平安時代の中期、関東で平将門が乱を起こした頃、西の瀬戸内ではこれに呼応するかのように藤原純友が乱を起こしています。当社は乱を平定した大倉春実が、天慶9(946)年にその報賽として建立したと伝えられます。これらの乱は貴族の社会が爛熟して矛盾をはらみ、次第に武家の時代に移り変わるさきがけとなった事件ともいわれてます。
狛犬は盛り上がる肩の筋肉をはじめ、力強く重量感のある造形が特徴です。ご指摘の2社のほか、濱尾神社六嶽神社のものも同類と思われます。してみると、この型は飯塚、鞍手、朝倉方面で一定の様式として確立しているようにも思われます。その中心地を追求したいところです。


春日(かすが)神社

提供者:hisaLinさん
09.10.18
hisaLinさんのコメント:島原半島一周サイクリングしたとき立ち寄ったのですが、見てのとおり狛犬さんと鹿が鎮座してました。
(長崎県南島原市北有馬町己)
狛太郎のひとこと:春日神社の総本社の春日大社は、藤原氏の氏神として奈良朝の初期に創祀されました。藤原氏の勢力伸張とともに各地に分社され、今でも数多くの春日神社が全国に分布しています。春日神が鹿に乗って出現したことから、鹿が神使とされています。
狛犬は均整のとれた逞しい体つきをしています。胸板の厚い上半身と、それを支えるすらりとした前肢、引き締まった腰部の美しいプロポーションは、なかなかの肉体美です。個性派揃いの島原地方(猛島神社八幡神社霊丘神社)にあって、これはスタンダードな一品です。


水神社(すいじんしゃ)

提供者:hisaLinさん
09.10.20
hisaLinさんのコメント:386号線を日田に向かって走った時立ち寄りました。恵蘇神社の向かいにひっそりとあった神社です。筑後型と、もう一つは、顔立ちは志波宝満宮の狛犬さんに似てませんか?
(福岡県朝倉市山田161番)
狛太郎のひとこと:「朝倉の三連水車」で知られる堀川用水の取水口に鎮座しています。用水の最初の開削は寛文3(1663)年であり、以来今日まで広大な農地を潤し続けています。関係者の悲願を込めた大工事のシンボルとして、ここに水神が祀られたのは自然なことです。
(上段)典型例の様式がよく守られた筑後型です。中心地の久留米から離れた当地周辺では、独自の変化を遂げたもの(阿蘇神社など)が多く見られる中、歯の形、耳の造り分け、ウンの角などいずれも様式に忠実な造形です。あるいは久留米から持ち込まれたものかも知れません。
(下段)ぐりぐりと捻れた眉や、耳、鼻の形が志波宝満宮(下段)によく似ています。ただし体勢は全く異なっており、同系かどうかは分かりません。全体の感じでいえば、諏訪宮(中段)の狛犬の方が似ているようにも思われます。立ち上がったアの足元に何かあったのか気になるところですが、天道宮椿八幡宮の例を見ても、これはこういう姿勢のものであるようです。


天降(あまふり)神社

提供者:hisaLinさん
09.10.22
hisaLinさんのコメント:古賀市をぐるっとポタリング時に立ち寄りました。ひょうきん顔で一本眉風の狛犬さんがいました。
(福岡県古賀市大字薦野1863-1)
狛太郎のひとこと:「天降」とは、天孫の瓊瓊杵命(ニニギノミコト)が高天原から地上に降臨したことを指し、「あもり」「あまくだり」と読むことが多い語です。またこの名の神社は「天降」の主人公ニニギと、その一族を祀っている例が多く、当社のようにそれに対する抵抗勢力(大国主命)を祀っているのは稀なようです。「あまふり」という独特の読みとともに、興味深いところです。
狛犬は平たい顔と、眉、耳が一体化したようなラインが独特です。これは北九州方面に見られる特徴で、東大野八幡宮春日神社日吉神社神武天皇社など、各所で目にすることができます。似たものが中国地方にも分布しているようですが、まだ断言はできません(琴崎八幡宮)。


八坂(やさか)神社

提供者:hisaLinさん
09.10.23
hisaLinさんのコメント:島原一周サイクリング完走後、諫早をぶらっとした時立ち寄りました。スタイルは違いますが諫早神社高城神社の狛犬さんに似てました。
(長崎県諫早市八坂町5番15号) 
狛太郎のひとこと:諫早藩は初代から幕末まで、佐賀藩の支藩として龍造寺氏が治めました。しかし佐賀本藩との関係は必ずしも良好ではなく、本藩に対する領民の大規模な抗議行動なども勃発しています。本藩の経済的困窮が、支藩に対する苛斂誅求となって現れた結果でした。
上記の歴史的経緯から、狛犬にもどこか「佐賀らしさ」を見出したいところですが、この狛犬には全くそれはありません。太い眉と険しい眼差しに存在感があり、大きな渦や滑らかな毛筋の曲線には技術の確かさが見て取れます。ご指摘の両社とは同じ石工で間違いないようです。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
09.10.29
hisaLinさんのコメント:瀬高から久留米まで走ったとき立ち寄ったんですが、鬼瓦風の狛犬さんと筑後型?風の狛犬さんが鎮座してました。
(福岡県筑後市下妻)
狛太郎のひとこと:老松神社は菅原道真の父、是善公を祀っています。大宰府天満宮は神仏習合の社で、江戸期にはむしろ安楽寺としてその名が知られていました。安楽寺領は各地に広範に存在しており、その場所に老松神社が祀られることが多かったようです。
(上段)現代風の作品ながら、造りは粗雑ではなくしっかり彫られています。頭部に比べて胴部の意匠は簡略ですが、つつき仕上げで体毛を表すなど、それなりの工夫が凝らされています。この技法は筑後型にしばしば見られるところであり、その影響を受けたものかも知れません。
(下段)筑後型の変種のようです。アウンのヒゲと髪を造り分け、ウンには立派な角が施されています。ただし耳の造り分けはなされておらず、体型も典型例よりはスリムです。筑後型の変種はこれまでにも多く紹介されていますが、それらが典型例からの派生なのか、それともこれらの集大成として典型例があるのか、その追求がこれからの課題だと感じています。


場所非公開

提供者:NAOさん 
09.10.31
NAOさんのコメント:境内(敷地内?)にある小祠前に置かれていたものです。高さは40cmくらいでしたでしょうか……。空間把握力が低いものですから、目分量にしても自信がありません。
ただ、周囲のツワブキ等と比較していただけば判りますように、然程大きいものではありません。口の中には玉らしきものを咥え、尾は欠損しているようでした。奉納年、石工名、小祠の説明等は見当たらなかったように思います。対たる吽形(写真のものが阿形とすれば、ですが)が無かったのは間違い有りません。
(佐賀県鹿島市浜町)
狛太郎のひとこと:NAOさん、初投稿有難うございます。当地は塩田石工の領分ですが、本件はその作風には該当せず、姿勢も狛犬としては不自然です。小さいというヒントから、これは灯籠狛犬だろうという結論に達しました。鳴瀬神社に類例があり、姿勢や顔の向きなどに共通点があります。小さいながら、大腿部の枝葉状の装飾など精妙な細工が施されています。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
09.11.02
hisaLinさんのコメント:飯塚から水巻方面に走ったとき、立ち寄りました。ちょうど神社の前が長崎街道らしく、宿場町の雰囲気が漂ってました。任務を終えて石に還ろうとする狛犬さんに遭遇しました。
(福岡県鞍手郡小竹町勝野字小竹)
狛太郎のひとこと:以前、長崎街道を辿った時のことを思い出しました。遠賀川の悠然とした流れが印象的でした。難所の多い長崎街道にあって、この小竹付近は広く平坦な地域であり、旅人にはひとときの安らぎを与えたことでしょう。貴船社の祭神は闇(クラ)オカミ神という秘密めいた名の神で、水を司っています。遠賀川の治水や流域の農耕の守護神だったと思われます。
(上段)がっしりした体格と豪快な髪の渦が目を引きます。眉も太く男性的な顔立ちでありながら、どことなく親しみを感じる表情でもあります。筑後型をベースにしているようにも見えますが、「他人の空似」かも知れません。いずれにしても、個性があり心に残る一品ではあります。
(下段)もはや元の形が想像がつかないほどに、風化して朽ちゆく一対です。それでもこうして台座に安置され、静かに余生を送っている姿には心安らぐものがあります。ほどなく石に還るのは避けられないとしても、それは生まれ出た所に戻る幸せなプロセスなのではないでしょうか。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
09.11.03
hisaLinさんのコメント:213号線で国東半島一周したとき立ち寄りました。ちょうど雨が降ってきて、雨宿りできました。ここの狛犬さんは、宇佐の若宮八幡宮の狛犬さんに似てました。この辺りでは多いタイプかも知れません。
(大分県豊後高田市草地)
狛太郎のひとこと:豊後高田市は国東半島の西側に位置し、宇佐市とは隣接しています。古代以来宇佐神宮の重要な荘園が営まれるなど、その影響下で六郷満山の仏教文化が開花したと言われています。山間部にある国宝富貴寺は、宇佐宮大宮司の氏寺として開かれました。
狛犬はにこやかな表情であり、穏やかな眼差しが印象的です。狛犬の役割からは忿怒相が当然であるべきところ、この作品では顔立ちから体つきまで柔和な感じに仕上げられています。
花崗岩らしき固そうな石ですが、丹念な彫刻が施されていてありがちな平板さを免れています。


五所(ごしょ)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.11.06
hisaLinさんのコメント35号線を笹栗から、古賀市まで走ったとき立ち寄りました。太祖宮の狛犬さんに似てませんか?
(福岡県古賀市青柳1658番)
狛太郎のひとこと:五所と称する所以は、神功皇后応神天皇、玉依姫命、住吉神、保食神の5柱を祀っていることによります。明応2(1493)年の棟札を有するといいますから、少なくとも室町時代には存在していた古社です。ここ青柳は小倉〜唐津を結ぶ唐津街道の宿場町でした。
狛犬は曲線と曲面が巧みに組み合わされた滑らかな構造で、まるで鋳造品のような印象です。特にアゴヒゲ部分と耳は、石造とは思えないほど薄く精巧に造られており、強度より装飾性を優先したと思われます。そのせいか、ウンの耳はどうやら折れてしまったようであり、残念です。


志賀(しか)神社

提供者:hisaLinさん
09.11.08
hisaLinさんのコメント:笹栗をサイクリングした時、立ち寄りました。ここの狛犬さんは、阿吽とも角がありました。この地方では見かけたことがない狛犬さんでした。
(福岡県糟屋郡粕屋町大字仲原1985)
狛太郎のひとこと:糟屋郡の名は相当に古く、京都妙心寺鐘銘(698)の「糟屋評」が初出だそうです。郡(こほり)を古くは「評」と表記していましたから、それによってもこの土地が早くから開けていたことを知ることができます。また「糟屋郡」は、香椎・志珂など現在の福岡市の一部を含む広い地域でした。当社は同じ郡内だった「志珂郷」から勧請されたものということになります。
狛犬はすらりとした体躯に長く伸びた毛足の髪を持ち、ウンは角、アは宝珠を戴いています。
この個体の製作年は不明ながら、宝珠を載せた形式は江戸中期頃の古いものです。すっきりした上品な感じのする造りで、玉を取る前肢の指が細く長いこともその印象を増幅しています。


若宮(わかみや)神社

提供者:hisaLinさん
09.11.11
hisaLinさんのコメント:久留米から日田まで走ったとき、休憩を兼ねて立ち寄りました。重要文化財に指定されてる狛犬さんと、阿像も筑後型?と思うような狛犬さんがいました。
(福岡県うきは市吉井町若宮)
狛太郎のひとこと:若宮とは八幡神の御子を意味するので、すなわち仁徳天皇を祀る社かと思われます。仁徳天皇はその名の通り、仁愛の治世を行った聖帝とされます。「倭の五王」(5世紀)の一人に比定され、また巨大な「仁徳天皇陵」の主としても知られる人物です。
(上段)ブロンズは複雑かつ華麗な装飾が可能であり、またその硬質性と光沢により力強くも端正な表現に適しています。そうした特性はややもすると温かみに欠けるきらいもありますが、フォーマルな印象では石よりも優れた面があり、格式を重んじる神社などで多用されています。
(下段)筑後型の変化形です。典型例では牙は一番奥の歯であるのが通例で、このように犬歯を牙に造り、かつ非常に大きいのは珍しいと言えます。また目は丸味を帯びて見開いた形が多い中、この作品ではア像は目を細めて睨み付けており、その点でもかなり特殊な作風です。


鎮守大明神(ちんじゅ・だいみょうじん)

提供者:hisaLinさん
09.11.15
hisaLinさんのコメント:唐津から204号線を走ったとき立ち寄りました。
ここの狛犬さんは、岩狛でしょうか?
(佐賀県唐津市肥前町梅崎)
狛太郎のひとこと:東松浦半島の西側、仮屋湾に沿って走る204号線はかなりの絶景に恵まれています。ここは海辺の寺浦温泉に近いところで、道はやがて山間部に向かって険しさを増していきます。鎮守神社という名は各地にあり、祭神はまちまちです。文字通りその集落の鎮守であると同時に、神仏習合時代には寺院の鎮守社であったものが多いようです。
狛犬はなかなか面白い造りで興味深いものです。狛犬の全体像は唐津型で、これに砥川型岩狛のスタイルを取り入れています。またウンは岩に玉の一部を刻出しながら、途中で止めたようにも見え、そのありように大胆な発想がうかがえます。尾道型の影響も否定できません。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
09.11.18
hisaLinさんのコメント:柳川から大牟田方面に向かって走ったとき立ち寄りました。肥前狛犬?らしき一対と、眉毛がカールした狛犬さんがいました。
(福岡県柳川市大和町豊原)
狛太郎のひとこと:05年に柳川市と合併するまで存在した山門郡の領域であり、その山門郡はかの「邪馬台国」の候補地のひとつでもあります。江戸時代に新井白石が山門説を唱えて以来、多くの学者たちがこれを支持しています。音が似ていることも要素の一つです。
(上段)見事な肥前狛犬です。口以外の顔の造作が上面に集中している造りは、初期の肥前狛犬に見られる特徴です。豊かなアゴヒゲはアウンで微妙に造り分けられており、素朴な中にも芸の細かいところを見せています。アの歯列も丁寧に刻まれていて、見応えがあります。
(下段)眉が片側3個の渦で構成されています。渦状の房を連ねた眉はよく見かけますが、この作品では独立した渦の列であり、それによって目元周辺に独特の印象が与えられています。
比較的簡素な造りながら、目に力があってどことなく心に残る狛犬です。


白鳥(しらとり)神社

提供者:hisaLinさん
09.11.24
hisaLinさんのコメント:柳川から瀬高方面をポタリングしたとき立ち寄りました。顔は違いますが雰囲気が、荒尾の綿津見神社の狛犬さんに似てるように思いますが?。
(福岡県柳川市三橋町白鳥)
狛太郎のひとこと:天正年間、柳川勢は肥前龍造寺の大軍を白鳥城で迎え討ちましたがついに落城、中世以来の蒲池氏の時代が幕を閉じました。当社は城址のすぐ近くに鎮座しています。
日本平定のため東奔西走した英雄、日本武尊が亡くなったとき、魂が白鳥となって飛び去ったという伝説により、白鳥神社、大鳥神社など、鳥の名のついた神社の多くは尊を祀っています。
狛太郎のひとこと:顔立ちはやや異なりますが、ご指摘の綿津見神社のものとは同系と見受けられます。材質も似ていますし、子獅子の抱き方や、その子獅子がかなり大きいこと、目にヒトミがあることなど共通点が顕著です。そうしたことから、この作品は熊本系と推察されます。


福島(ふくしま)八幡宮

提供者:hisaLinさん
09.11.26




@





A
hisaLinさんのコメント:八女方面に行ったとき立ち寄りました。スタイルは出雲風?の一対と、
もう一対狛犬さんがいました。
(福岡県八女市大字本町)
狛太郎のひとこと:八女は6世紀、筑紫君磐井が強大な権力を蓄えて独自の文化を築いたところであり、その墓とされる岩戸山古墳で発掘された石人石馬はその一端を物語っています。
降って16世紀には筑紫広門が福島城を築き、のち田中氏、有馬氏へと権力が変遷しました。
@出雲式に造られた地元作品です。容貌は本場のものとは全く異なりますが、体勢や尾の角度などはそれを十分に意識して造られているようです。顔立ちはみやま市の八幡神社(下段)と似ており、この一帯で造られたものであることは間違いないようです。
A標準的な蹲踞ですが、細かい部分に工夫が見られます。尖端がちょっとはねた耳の形がなかなかチャーミングですし、長く伸びた毛筋も目立たないながらよく見れば優雅です。
また前肢の接地部は、飾り毛の形を取っていますが、実は補強なのではないかと思われます。比較的足が細いための措置ですが、見栄えの点で支障にならない工夫が凝らされています。


岩倉社(いわくら・しゃ)

提供者:hisaLinさん
09.11.28
hisaLinさんのコメント:213号線で国東半島一周したとき立ち寄りました。ここの神社はケベス祭りが有名らしいです。狛犬さんは結構新しく大量生産品?みたいでした。
(国東市大字櫛来字古江)
狛太郎のひとこと:当社は櫛来の氏神で、寛平元(889)年に宇佐八幡宮から勧請したという古社です。宗教法人名は「櫛来社」ですが、古来岩倉社と称されています。岩倉は「磐坐(いわくら)」であり、神の御座所としての巨岩信仰の名残を伝えるものです。
狛犬は現代岡崎型で、これといった特徴はありません。どことなく工業製品的で、個性に乏しい点が愛好家には不満の種です。しかし費用の面からは手作品など求めるべくもなく、せめてもの信仰心の発露として、こうしたものでも設置しようとする氏子の心情は好ましく感じられます。


竹生嶋(ちくぶじま)神社

提供者:hisaLinさん
09.12.01
hisaLinさんのコメント:飯塚、嘉麻市をのんびりサイクリングした時立ち寄りました。神社は川沿いにあったんですが、三輪の大己貴神社、秋月の垂裕神社の狛犬さんに似てるように思いますが?八丁峠を通じて朝倉と近い位置にあるので昔から交流があったんでしょうか?。
(福岡県嘉麻市西郷754番)
狛太郎のひとこと:元禄16(1703)年に近江国(滋賀県)竹生島から勧請され、市杵島姫命を祀っています。命は宗像三女神の一で、かつ仏教神の弁財天とは同一神とされます。
狛犬は上記2社とは確かに良く似た姿で、一つの様式に属しているように見受けられます。
これは各社とも江戸期、秋月藩に属して同一の文化圏にあったことによると考えられます。


日吉(ひよし)神社

提供者:TAKOさん
09.12.03
TAKOさんのコメント:出雲かまえ狛犬現地産、明治十二年九月九日(1879年)。やわらかい感じがいいですね。社殿は火事でなくなりましたが 6千万の寄付が集まり来年には再建されるそうです。600m近くにある上鍵山の日吉神社とは集落が違うそうです。 
(愛媛県北宇和郡鬼北町下鍵山)
狛太郎のひとこと:R197が南から北上して来たR320に接する辺りに位置し、周囲に千m級の山々がそそり立つ山間の集落に鎮座します。江戸期には、宇和島藩の支藩の吉田藩3万石に属していました。宇和島藩は伊達政宗の庶長子秀宗、吉田藩は秀宗の子が藩主でした。
狛犬は体勢が出雲式である以外は、独自なタッチと工夫が施されています。全体的なテイストは尾道風を残しながら、やや太めの体つきとし、大銀杏のような尾の形、また後肢で子を抑える意匠など、独創を加えています。南予独特の長大な牙が本作品でも見られ、これは三嶋神社(下段)、高田八幡神社(下段)などとも共通する特徴です。


三嶋(みしま)神社

提供者:TAKOさん
09.12.10
TAKOさんのコメント:西予宇和IC 北東約7km。
(上段)南予的狛犬。「万延元(1860)年申九月吉日」
(下段)シルクロードの雰囲気が感じられる吽(勝手に想像しているだけです)。
「嘉永元(1848)年」。阿は見当たりませんでした。
(愛媛県西予市野村町四郎谷内場)
狛太郎のひとこと:野村町は四国山地の支脈に囲まれた山間の町で、明治以前の集落名を見ると、「〜谷」「〜川」など、地形そのものの名が並んでいます。四郎谷もその一つでした。
明治以降養蚕と畜産(乳牛)が盛んとなり、「シルクとミルクの町」を標榜しています。
(上段)牙が大きく、ややずんぐりした体型で、日吉神社などと共に「南予的」な特徴を備えています。仙台伊達家から封じられた宇和島藩の領域であり、同じ愛媛県でも違った狛犬文化が育っていたのではないでしょうか。そろそろこれを「南予型」と名付けていいかも知れません。
(下段)単立のウンです。系統的には「南予型」で、やや古いものです。見開いた目と太い眉が「日本人離れ」しているようにも見え、遠い昔、中国の西域にいた人たちの面影を彷彿させるようでもあります。素朴さと斬新さを併せ持ち、親しみやすさまで備えています。


志賀宮(しか・ぐう)

提供者:hisaLinさん
09.12.27
hisaLinさんのコメント:久留米から208号線下って大牟田まで走ったとき、吉野駅辺りにありました。この周辺ではあまり見かけない狛犬さんでした。髭の感じが違いますが、場所がらこれも熊本風の狛犬ですか?
(福岡県大牟田市吉野)
狛太郎のひとこと:志賀社の総本宮は志賀海神社であるとされ、海神の綿津見三神を祭っています。この神は伊邪那岐命が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊(みそぎ)をした時に、住吉三神と共に出現しました。海人の安曇族によって全国に広められたといわれています。
狛犬は比較的装飾性に富んだ蹲踞です。目にヒトミがあり、小さな歯列がびっしり並ぶさまなど、熊本風の特徴を備えています。アゴヒゲの尖端がめくれるように突起する様子も、荒木宮大浦阿蘇神社御領神社などとの比較から、それらに近い意匠であるように見受けられます。


天降(あめふり)神社

提供者:hisaLinさん
09.12.30
hisaLinさんのコメント:福岡から49号線を日向峠越えて唐津方面に行ったとき立ち寄りました。前原辺りで見かける狛犬さんがいました。
(福岡県糸島市瀬戸)
狛太郎のひとこと:古賀の天降神社と同様、高天原から初めて地上へ降り立った邇邇杵尊(ニニギノミコト)を祀っています。その場所を『古事記』は「竺紫日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」と述べていますが、具体的地名は特定されてはいません。しかし九州であることは異論のないところであって、九州各地に瓊瓊杵尊を主祭神とする神社が存在しています。
狛犬は前原市を中心とした地域に多く見られる様式(加布里天満宮B熊野神社託社神社など)で、比較的装飾性に富み、特に耳が横に張り出す意匠が独特です。また足で小さな玉を踏むのが定番です。ただし今のところ、どの個体をもって典型例とすべきかは決めかねています。


天降(あめふり)神社

提供者:hisaLinさん
10.01.01
hisaLinさんのコメント:福岡から49号線を日向峠越えて唐津方面に行ったとき立ち寄りました。上記(前原天降神社)と場所は近かったんですが、こちらは前原辺りで見かけないギョロ眼の狛犬さんがいました。
(福岡県糸島市二丈町大字波呂)
狛太郎のひとこと:前原市、志摩町、二丈町は10・1・1をもって合併し、糸島市となりました。この地域は明治期に糸島郡として一体でしたが、その郡名は律令時代の怡土(いと)郡、志摩郡からとられていました。さらにそれは、『魏志倭人伝』にみえる伊都国、志摩国に由来するもので、二千年来の地名が度々の合併を経ても一応保たれたものとして、喜ばしい限りです。
狛犬は横一文字の眉が凛々しく、突出した丸い目にも力があります。パルメット状のアゴヒゲも独特で、肩にかかる髪を含めた上半身の意匠には細心の配慮が込められているようです。
反面、尾や飾り毛などはややそっけない印象を受けます。頭部周辺の意匠に全力が注がれた結果といえるかも知れません。いずれにしても、前原周辺で主流のものとは異なる様式です。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
10.01.03
hisaLinさんのコメント:柳川に行った時に立ち寄りました。阿は直毛ですが、水田天満宮等の狛犬さんに似た狛犬さんがいました。
(福岡県柳川市坂本町)
狛太郎のひとこと:日吉神社の総本社は滋賀県の日吉大社です。祭神の大山咋命(おおやまくいのみこと)は山の支配者で、「山王」とも称されます。「日吉」はもと「ひえ」と呼ばれており、これが本来の地名の発音でした。「吉」を「え」と読むのは、住吉(すみのえ)の場合と同じです。なお、柳川市坂本町という地名は、大社所在地の大津市坂本に由来するように思われます。
狛犬はゆったりとした風格のある像容で、細部にこだわらない作風が、像を大きく見せているようです。ただし髪の表現は木造狛犬のものを忠実に再現しており、顔立ちにもその片鱗がうかがえます。日吉大社の各殿に置かれた狛犬と比較してみると、それがよく理解できます。


稲築(いなつき)八幡宮

提供者:hisaLinさん
10.01.05
hisaLinさんのコメント:飯塚から嘉麻方面に行ったとき立ち寄りました。
ここの狛犬さんは、朝倉地方の大己貴神社垂裕神社の狛犬さんに似てませんか?
八丁峠を越えたら近所なので、交流があったのではと思ったりします。
それともう一対は、この地方に多い椿高宮八幡宮で吽の玉乗りタイプがいました。
(福岡県嘉麻市漆生)
狛太郎のひとこと:神功皇后が都へ帰還の途次、村人が稲藁を敷いて急造の座敷を造ったのが、「稲築」地名の始まりとされます。その後その聖跡に八幡宮を勧請しました。隣の飯塚市にも皇后の伝説があり(大分八幡宮参照)、この地域にはその足跡が色濃く残されています。
(上段)この地域にはこのタイプが数多く存在しています。柔らかくカールするアゴヒゲや、豊かな髪の渦が豪華で見応えがあります。またウンは小玉取りが定番のようです。このタイプでは十六神社A六嶽神社が、幕末の宮田町石工・金子氏の作品であり、恐らくこのあたりが手本となって筑豊各地に伝播したものと思われます。宮若市の若宮八幡宮も幕末の同型作品です。
(下段)水巻町周辺から筑豊地方にかけては、変化に富んだ狛犬が多数あります。代表例は伊豆神社などですが、この作品は尾道型と出雲式を一対にしており、仲々意表を突いています。この地域では炭鉱に各地から人が集まってきたため、多様な意匠が求められたと推測します。


大歳(おおとし)神社

提供者:hisaLinさん
10.01.07
hisaLinさんのコメント:筑紫野市の平等寺方面に行ったとき立ち寄りました。
これは、筑後型風の狛犬さんがいました。
(福岡県筑紫野市山口字宮脇)
狛太郎のひとこと:大歳神は新年に各家を訪れる神で、その年の豊作を祈念する為に構想されました。父は八岐大蛇(やまたのおろち)退治で名高い出雲の英雄、素戔嗚尊です。この一族には農業や食物などに関係する神々が多く、挙げて人々の暮らしの安定に寄与しています。
狛犬は厳つい顔立ちや堂々たる体躯、ややクローズドに構える足位置など、筑後型の影響が濃厚です。しかし奇麗な筋目のついた棒状の尾や、巻き毛でない直毛の髪の房など、それ以外の部分では別系統の様式がうかがわれ、何かとの折衷的な作品と見受けられます。


幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.01.09
hisaLinさんのコメント:久留米から筑後川サイクリングコースを、吉井方面までサイクリングした時立ち寄りました。筑後型と出雲風?の狛犬さんがいました
(福岡県久留米市北野町千代島)
狛太郎のひとこと:北野町の名は、平安期に京都北野天満宮を勧請したことによると思われます。また千代島は筑後川の河川敷を開墾した「島」の一つであり、いずれも古い地名を今に残すものです。ここに当八幡宮が創建されましたが、北野天満宮とは深い関わりを持っています。
(上段)立派な筑後型です。耳だけでなく髪もアウンで造り分けられているようですし、体表には「つつき」による体毛が表現されています。ほぼ約束通りの筑後型ですが、歯がやや鋸歯状を呈しているのと、尾の形が扇状でないように見えるのが、典型例と幾分異なる点と言えます。
(下段)出雲式を模した地元作品です。この狛犬の特徴は、顔だけでなく、上半身全体を手前に向けていることです。この構図は葛西神社Bにも見られますが、ダイナミックな動きを表現するとともに、素材の原石を大きく用いることにも役立っています。この工夫が見どころといえます。


和田(わだ)八幡宮

提供者:hisaLinさん
10.01.10
hisaLinさんのコメント:福岡から笹栗方面を走ったとき立ち寄りました。この辺りでよく見かける狛犬さんがいました。
(福岡県糟屋郡篠栗町和田)
狛太郎のひとこと:弘法大師ゆかりの地に、「篠栗四国」が整備されたのは江戸初期のことです。信者達は「四国八十八ヶ所」を踏破し、当地にその姿を再現するとともに、持ち帰った霊場の砂を納めたといいます。交通手段も乏しい中、信仰の情熱が成し得た壮大な事業でした。
狛犬は砥川型の岩上りと岩降りの一対です。砥川石工の定番「岩狛」の優れたバリアントで、岩狛のマンネリ化を打破し、次の「恐竜型」へのステップともなった記念すべき作品群です。
須賀神社の狛犬とともに、砥川型としてはその本拠地から最も遠隔地に存在する例です。
なぜこの町にこの型が2例もあるのか、ひとつの謎といっても過言ではないようです。


花宗(はなむね)神社

提供者:hisaLinさん
10.01.11
hisaLinさんのコメント:久留米から3号線を八女方面に向かって走った時立ち寄りました。
風化が激しかったですが、瀬高の八坂神社の狛犬さんに似てるような感じがします。
(福岡県八女市津江)
狛太郎のひとこと:矢部川に設けられた「花宗堰」の近くに鎮座。素盞鳴尊を祀っていた当社が、明治期に近隣の数社を合祀して現社名に改称。その結果系統の異なる9柱もの神が祀られています。「対等合併」であったことがうかがえ、地域の連帯感が反映されているようです。
狛犬は瀬高から八女にかけて分布するタイプで、筑後型に連なる系統と推察されます。歯を食いしばったような角張った顔が印象的です。アウンともに子取りで、特にウンは授乳する姿に造られていて、珍しいものです。(八坂神社D八幡神社下段三島神社琴平神社etc.)


塩屋(しおや)八幡宮

提供者:hisaLinさん
10.01.24
hisaLinさんのコメント:湯前から人吉を通って八代まで球磨川沿いを走ったとき立ち寄りました。球磨川の下流に面した所にあった神社です。天草市にある本渡諏訪神社の狛犬さんにポーズが似てるような気がしますが?
(熊本県八代市八幡町1-11)
狛太郎のひとこと:九州三大祭とされる八代妙見祭では、当社が神幸行列の出発地となっています。妙見信仰は道教や陰陽道や密教などから混成された思想で、基本的には中国由来の北辰(北極星)信仰である由です。因みにあとの二大祭とは、博多祇園山笠と長崎くんちです。
狛犬は立派な髪とヒゲをたくわえた、威厳ある容貌が印象的です。ご指摘の本渡諏訪神社のものとは玉取り子取りのモチーフが共通で、構図も一致しています。大きめの玉と大柄な子獅子で迫力を出す一方、子獅子には幼い感じの尾を配して微笑ましさが演出されています。


王宮(おうぐう)神社

提供者:hisaLinさん
10.01.26
hisaLinさんのコメント:湯前から人吉を通って、八代まで球磨川沿いを走ったとき立ち寄りました。球磨川サイクリングロード沿いにあった神社です。楼門は青井阿蘇神社に匹敵するような、藁葺き屋根で出来てました。狛犬さんは、熊本で見かけるものでしたが、楼門内に木造で造った仁王様が鎮座してました。
(熊本県球磨郡多良木町大字黒肥地1278)
狛太郎のひとこと:当社は大同2(608)年に、当地に住した土持氏が帝廟を勧請したのが始まりとされ、神武天皇を祀っています。当社の楼門は応永23(1416)年に当地の領主相良氏が建立したもので、室町時代の様式を残す建築物として、県の重要文化財に指定されています。
狛犬はヒゲの豊かな独特の風貌で、とりわけ立派な鼻ヒゲは熊本狛犬に特有のものです。
他地域の多くの狛犬では、鼻ヒゲは線刻であったり、また全然なかったりしますが、熊本では立体的に刻出して毛筋をつけた本格的なものをよく見かけます。
仁王は金剛力士ともいい仏教の護法神です。当社がかつては神仏習合の施設であったことがうかがわれます。製作年は不詳ながら、楼門と同時期の応永年間と考えられています。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
10.01.29




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川沿いに走ったとき立ち寄りました。違った感じの狛犬さんが2対いました。
(福岡県鞍手郡鞍手町上木月)
狛太郎のひとこと:今は穏やかな遠賀川の流れも、昔は治水に苦労した暴れ川であったようです。当社の鎮座地付近には三日月湖ではないかと思われる池が点在し、流路の変遷や洪水などの痕跡と想像されます。当社は永禄4(1561)年に京都から勧請されて水神を祀っています。
@大腿部から尾にかけての意匠は出雲型の蹲踞を思わますが、全体像は全く異なります。特に顔立ちには中国風の面影があります(靖国神社下段左)。ウンのアゴヒゲの生え際が上唇に隠れる意匠にも、やはりその印象があります。とはいえ、外国産とも断定できません。
A風化が進んでおり、胴や足はかなりやせ細っています。しかし尾の美しい毛筋は保たれており、往年の美観をうかがい知ることができます。また、湾曲した長い牙が目を引きます。


祇園社(ぎおん・しゃ)

提供者:hisaLinさん
10.01.30
hisaLinさんのコメント:三角駅から天草市まで走ったとき立ち寄りました。神社の前は石でできた橋が架かっていました。
(熊本県天草市船之尾町)
狛太郎のひとこと:当地は天草の乱(1637)の折り、キリシタン軍と唐津藩兵が激戦を交えた場所でした。社頭の橋は45脚もの石柱を持つ長大な石橋で、天保3(1832)年に架設されたものです。往年の血なまぐさい事件を払拭するような、見事な出来映えだったに違いありません。
狛犬は長毛のアゴヒゲが肩あたりで髪と一体化する意匠で、立体感のある豊かな印象の造出に成功しています。また鼻ヒゲも陽刻されており、熊本狛犬の特徴がよく出ています。


桜八幡(さくら・はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.01.31
hisaLinさんのコメント:国東半島一周サイクリングした時立ち寄りました。宿泊した近所にあった神社で、可愛らしい狛犬さんがでした。どこか、前原地方に多い狛犬さんに感じが似てました。
(大分県国東市国東町鶴川 213)
狛太郎のひとこと:養老4(720)年に大隅・日向の隼人族が反乱、宇佐八幡宮の辛島氏が国崎(国東)の浦より出撃しました。このとき当地に宇佐の分霊を勧請して武運を祈願したのが当社の始まりとされます。歴代城主、藩主の崇敬を受け、国東郷の中心的神社として栄えました。
狛犬は耳の意匠が前原狛犬に似ていますが、全体としては浪花型です。丸い目、笑ったような口元が愛らしく、本場のものですと、体つきももう少し丸味を帯びています。それにしても、国東半島には各地の様式が幾つも存在しているようです。→尾道型奈多宮)、出雲型山神社


諏訪宮(すわぐう)

提供者:hisaLinさん
10.02.01




@





A
hisaLinさんのコメント:柳川から大牟田方面を走ったとき立ち寄りました。
この神社は見てのとおり、本殿の前に狛猪?が鎮座してました。境内には、柳川で見かける狛犬さんに似てましたが?
(福岡県大牟田市久福木)
狛太郎のひとこと:明治22(1889)年に、久福木村など7村が合併して銀水村が発足しました。その銀水村も、昭和16(1941)年には大牟田市に編入されました。
(上段)全国的には狛猪が存在する由ですが、当サイトでは初登場です。一心に突き進む猪の姿に、施主の心情がマッチしたのでしょう。ただ、石工にとっては馴染みのないモチーフだったらしいのと、「猪を蹲踞させる」という動物学的な無理も加わって、どことなくぎこちない造形です。
(下段)ギョロ目と垂れた耳、大きな子獅子を抱く様子は、柳川の白鳥神社によく似ています。またそれは荒尾の綿津見神社にも共通の特徴です。鼻ヒゲの具合は後者により似ています。体表の経巻渦は、獅子絵によく見られる文様で、獅子舞の胴部などにも用いられています。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.02.03
hisaLinさんのコメント:福岡から久留米方面に向かって走ったとき立ち寄りました。
(上段)筑後型の狛犬、
(中段)玉乗りタイプの筑後型、
(下段)天満宮なのに狛猿さんがいました。
(佐賀県鳥栖市水屋町)
狛太郎のひとこと:福岡との県境に近いこの地は、筑後川に合流する数本の川に囲まれた低平地です。そのため、古来水田耕作には適していましたが、近代に至るまで度々水難を被る地でもありました。水屋町という地名の由来は不明ですが、それを想起させる名ではあります。
(上段)約束通りの筑後型です。盛り上がる筋肉は錦絵の力士に似て、男性の肉体美を極限まで追求した造形であり、詳細を省いた大胆なタッチがこの様式には良くマッチしています。
(中段)筑後型と塩田型が交錯するこの地にあって、そのいずれでもないタイプです。実物をご覧になったhisaLinさんが筑後型と仰っているので、写真で見るより実際にはその要素が強いのでしょう。いずれにしても、かなり大きな玉を取るこの意匠は、県内では多くありません。
(下段)「聞かざる」と「言わざる」のペアかと思ったら、背中の小猿が「見ざる」でした。三猿は日吉神社で定番の石像であり、境内末社に日吉社が祀られているのではないかと思われます。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
10.02.05
hisaLinさんのコメント:八女方面に行ったとき立ち寄りました。猿顔の狛犬さんがいました。ま
た、柳川で遭遇する狛犬さんにも似てるような感じがしました。
(福岡県八女市前古賀12番)
狛太郎のひとこと:日本書紀に「八女津媛」の名があるので、当時すでに「八女」地名があったことが分かります。また恐らく「矢部川」とその水源地「矢部村」も「八女」と同根の地名と想像されます。6世紀の豪族筑紫君磐井の根拠地であり、古くから開けた土地だったことは確かです。
狛犬の目にはくっきりとヒトミが刻まれ、鋭い眼光が表現されています。狛犬としては小鼻が小さく、それらの特徴から、顔立ちが霊長類に似ているようです。胸骨の突起やアンクレット状の装飾などは筑後型に近いものであり、幾つかの様式を混合した作品と見るのが妥当でしょう。


波多津(はたつ)神社

提供者:hisaLinさん
10.02.09
hisaLinさんのコメント:唐津から204号線を走ったとき立ち寄りました。
スリムな唐津型の狛犬さん?が鎮座してました
(佐賀県唐津市鎮西町串344番)
狛太郎のひとこと:東松浦半島の北端に近く、大小の湾や岬が複雑に入りくんだリアス式海岸が続いています。その海沿いの地で、海神の住吉大神と豊玉姫命を祀っています。農業には向かぬ土地で、零細な漁業に依存して暮らした人々の切実な願いが込められているようです。
狛犬は典型的な唐津型です。この型では顔面の忿怒相に力点が置かれ、鋭い眼光や荒々しい鋸歯列に加え、多くは2対の牙を持っています。やや首をかしげて睥睨する姿勢も、恐ろしげな印象をさらに増幅しています。この作品では胸と腹の境のエッジが曲線で描かれ、前肢のラインと連続的に配されていることにより、スリムでスマートな体型が強調されています。


風浪(ふうろう)神社

提供者:hisaLinさん
10.02.13




@





A
hisaLinさんのコメント:柳川をサイクリングした時立ち寄りました。三柱神社の狛犬さん似の狛犬さんと、肥前狛犬?らしきのが楼門内に鎮座してました。
(福岡県柳川市三橋町藤吉)
狛太郎のひとこと:大川市の風浪宮は1800年もの歴史を持つとされます。神功皇后が海難に遭ったとき、綿津見神の神助で風波が治まったというのが縁起です。大川市と柳川市は、ともに有明海の恵みと脅威を受ける地なので、海神信仰が共有されるのも自然なことでした。
@同じ柳川市の天満神社下段天満宮のものと似ています。角張った顔立ちは厳つく、鋭い鋸歯状の歯を持っています。柳川は筑後地方に属していながら筑後型は意外にも少なく、独自なタイプが発達しているようです。何かしらそうなる要因があるはずですが、未解明です。
A腹の下を彫り抜かず、足下に盤を持たないことなどは、肥前狛犬の特徴そのものです。
しかし、前肢間にスペースがない点、耳が長い垂れ耳である点などで、本場産とは異なっています。柳川に多くの肥前狛犬があるのは、佐賀との歴史的関係の深さを物語るものです。


鏡(かがみ)神社

提供者:picapicaさん
10.02.20
picapicaさんのコメント:小城の西端、東多久との境界近くに鏡山という小さな山があります。
(上段)その山の麓の鏡神社に、千栗八幡宮の境内社にいるやつとそっくりの狛犬がいました。
千栗の狛犬が寛政12(1800)年、鏡神社のが享和2(1802)年と制作年代も近いので同じ石工の作品ではないかと思いました。
(下段)ほかに灯篭の上にも1対の狛犬がいました。
(佐賀県小城市小城町池上484番)
狛太郎のひとこと:当社は天平12(740)年、大宰府で蜂起したものの失敗、唐津で処刑された藤原広嗣を祀っています。この乱は、古代政権で圧倒的な力を持った藤原氏が衰退する過程を象徴していました。唐津市の鏡神社が本社で、当社はそこから勧請されたものと思われます。
(上段)狛太郎が「古代型」と名付けているもので、とりわけウンが出雲式の体勢であるものが、
千栗八幡宮
若宮八幡宮綾部神社など三養基郡内に集中していました。銘により砥川型であることが判明していましたが、今回初めて砥川石工の地元で発見されたことになります。
(下段)灯籠の笠石の上に設置する小型の狛犬です。タイプは砥川型です。殆どが直立と倒立の一対になっているのは、足場が狭いのでタテ置きにしないと小さくなりすぎるからでしょう。


鐘ヶ江(かねがえ)天満宮

提供者:picapicaさん
10.02.21
picapicaさんのコメント:道海島から鐘ヶ江大橋で筑後川を渡り、二つ目の信号を左折して200メートル程のところに鐘ヶ江天満宮があり、1対の狛犬が座っていました。
(福岡県大川市鐘ヶ江387番)
狛太郎のひとこと:佐賀と福岡を隔てるのは「筑紫三郎」こと筑後川ですが、川を越えて相互に相手側に張り出した部分が数カ所存在します。海道島もそのひとつで、佐賀県側に張り出した福岡県大川市の一部です。道海島から橋を渡ると、まもなく当社鎮座地に至ります。
狛犬は隆々とした筋肉をまとった蹲踞型です。ややクローズドに構えた足位置や全体的な印象から、筑後型らしく思えるものの、典型的ではありません。大川は佐賀県と隣接していて、佐賀の塩田型の影響を強く受けているため、両者を折衷したデザインとみることもできそうです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:picapicaさん
10.02.23




@





A
picapicaさんのコメント:大川市の最北端、鐘ケ江地区と隣接する久留米市城島町西青木にある神社です。鳥居に掛けてある額には「八幡宮・天満宮・琴平宮」と三つの神社名が書いてあり、2対の狛犬がいました。
(上段)古いほうの阿像の顔面は殆ど原形をとどめず無残な姿でした。
(下段)新しいほう(昭和14年10月)は大詫間の松枝神社のものとそっくりで、どっしりとしたかなりの重量感が感じられる作品です。
(福岡県久留米市城島町西青木)
狛太郎のひとこと:「青木之荘総鎮守」と称する当地域の中心は上青木の天満宮で、例祭では御輿が関連の数社を巡幸する習わしです。当社もその御旅所の一つになっています。扁額に三つの社名が掲げられているのは、当社が他の2社を合祀した歴史を物語るものでしょう。
@顔面が著しく破損していますが、その他の部分から塩田型であることが分かります。
それは長く伸びた美しい巻き毛であり、またすらりとした体躯であり、さらに、ボリュームのある尾などが、塩田型の美点を遺憾なく発揮しているからです。
A厳つい顔立ちと体つきに加え、うずたかく積まれた経巻渦が迫力を増しています。系統は不明ですが、松枝神社とは同じ作者か工房の作品と見受けられます。どちらもウンの前肢の下には何もないので、本来あるべきものが失われたのではなく、元々こういう意匠のようです。


社名非公開

提供者:picapicaさん
10.02.25
picapicaさんのコメント:
(上段)肥前鳥居をくぐり石段を登りきったところに1対の肥前狛犬
(中段)拝殿前に大正4(1915)年、江頭友吉作の1対。
(下段)柵で囲まれた本殿前にもう1対の肥前狛犬がいました。こいつは柵の中にいるために、顔の表情など見る事ができませんでした。
(佐賀県多久市)
狛太郎のひとこと:当社の環境は無防備というご懸念に基づき、場所を特定せずご紹介することにしました。肥前狛犬は小型で固定もされていないため、この措置を採らせて頂いています。
(上段)肥前狛犬としては様式的に完成の域に達しています。目はアーモンド状の陽刻、眉があり、小さな立耳と角の突起も見えます。ウンの口には歯列があり閉口が表現されています。頬のラインは忿怒相を強調する意匠です(水天宮参照)。保存状態良好で美麗な一品です。
(中段)砥川石工の江頭友吉は人気作家だったらしく、主に大和町周辺に多くの作品を残しています(梅野神社白山神社淀姫神社宇佐神社など)。長い顔に大きな小鼻が特徴で、忿怒相ながらどこかゆったりした表情が独特です。体つきはやや豊満、全体の印象も柔らかです。
(下段)肥前狛犬ですが、上段の作品と比べると明らかに古拙です。風化の様子からも相当古いものでしょう。彫刻が浅く、左右で不揃いな感じが試行錯誤的段階にあることを思わせます。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:picapicaさん
10.02.26
picapicaさんのコメント:山裾の質素な拝殿の後ろの石祠の前に、肥前狛犬と並んで置かれていますが、玉取のように見えます。年代的には結構古そうに見えますがどう思われますか?
これの掲載も貴兄のご判断にお任せします。
(佐賀県小城市牛津町砥川谷)
狛太郎のひとこと:この社は集落の中の主要道に沿っており、比較的人目に付きやすい環境にあります。ある程度安全性が確保されていると判断し、掲載させていただくことにしました。
(左)単立の肥前狛犬です。風化が進みアウンの別もはっきりしませんが、基本構造は明瞭です。ブロック状の頭部の上面に、口以外の造作が全て配置されています。これは初期の肥前狛犬に共通に見られる特徴で、上記「社名非公開」のものと比べてもさらに古いもののようです。
(右)これも単立の小型狛犬で、ア像です。玉取りという意匠は江戸期も後半になって現れるもので、比較的新しいものです。砥川石工のお膝元ですが様式的には砥川型の典型ではなく、さりとて県内他産地のものとも違うようです。灯籠狛犬かも知れませんが、よく分かりません。


飯積(いいづみ)神社

提供者:TAKOさん
10.02.27
TAKOさんのコメント:愛媛県西条市天神川北 JR西条駅 北東約2km。
「明治十三(1880)年十月吉日」、石工名なし。
この型で背中に尾が接着するタイプは数多く見かけますが、頭まで伸びているのは初登場だと思います。小玉を持ち、可愛く仕上げられています
(愛媛県西条市下島山甲1883 )
狛太郎のひとこと:四国山地の裾が瀬戸内海に向かって下り降り、燧灘に指呼の間まで迫ったところに鎮座します。主祭神は倉稲魂命(稲荷神)で、他に当地に縁の深いとされる十城別王(とおきわけのみこ)も祀っています。十城別王は日本武尊と吉備出身の妃との子です。
狛犬は尾道型ですが、巨大な玉を取る典型例に比べて玉が小さく、またアは玉取りではありません。そのためやや前傾姿勢を取っており、幾分出雲式の影響もあるやに見受けられます。
尾道型では尾の尖端が後頭部に接着する例(阿智神社高野天満神社など)はままありますが、この作品のように更に尾を伸ばして、頭頂にまで達しているのは他に例がありません。


阿蘇(あそ)神社

提供者:gochanさん 
10.02.28
gochanさんのコメント:はじめまして、gochanと申します。
先日、朝倉市の阿蘇神社に狛鯰?を見に行った時に、ちんちんのポーズをしている狛犬を見ました。(当サイトに掲載されている)阿蘇神社の項には、その狛犬の写真が有りませんでしたのでメールしました。筑前では珍しい狛犬のポーズだと思います。
逆光で写真が見にくい点はご了承下さい。
(福岡県朝倉市杷木町穂坂)
狛太郎のひとこと:はじめまして、狛犬天国へようこそ。鯰は古来食用としてもお馴染みの魚ですが、反面、禁忌の対象となったりもしています。同じ川魚でも、鯉や鮒とは大いに容貌が異なるせいか、地震予知能力が信じられたり、どこか神秘性を帯びて語られることが多いようです。
狛犬は福岡県遠賀郡(伊豆神社水守神社etc.)に多い直立・倒立の一対です。またこのタイプは、飯塚市(天道宮椿八幡宮etc.)辺りまで伝播していることが分かっています。いずれも産炭地であり、そのことと何らかの関係がありそうに思えるのですが、今のところ未解明です。


厳島(いつくしま)神社

提供者:まささん  
10.03.02
まささんのコメント:(当サイトの)リストにあると思ったのですが、なかったので送ります。
(上段)は陸の鳥居近所に、(下段)は海の鳥居と本殿の間にあったものです。
大正8(1919)年となっていました。
(広島県廿日市市宮島町1-1)
狛太郎のひとこと:まささん、初投稿有難うございます。安芸の宮島こと厳島神社は国宝にして世界遺産、また延喜式の名神大社かつ安芸国一の宮として、1400年もの歴史に彩られた地方の名社です。祭神は宗像三女神で、うち市杵島姫の名が「厳島」になったともされます。
(上段)大宝神社(滋賀)蔵の木造重文狛犬の系統かと思われるブロンズ作品です。元のモデルは痩身で剽悍な印象ですが、これは肉付き良く、たくましさが強調されています。この系統は石造では数多く造られています(警固神社福岡県護国神社@B御馬神社(右)など)。
(下段)素材の特性を生かした自在な造形が目を引きます。横に張りだした耳や、細い毛の束で構成される尾の形などは、脆い石造ではあり得ないもので、ブロンズならではのものです。
伝統的な木造狛犬を写したものですが、金属の硬質性によって、力強さが増しています。


稲主(いなぬし)神社U

提供者:NAOさん
10.03.03
NAOさんのコメント:既に貴サイトでも紹介されている、志久地区の稲主神社境内に到る階段前に立つ燈籠の上にいらっしゃいました。残念ながら風化・破損が著しく、左右の現存状況を合わせましても原型を想像するのは難しいですね。建立年は「文政九年(1826)二月」、願主は「大串伝右衛門」とあり、「加勢人」として何事かが刻まれていたのですが、判読しかねました。
(佐賀県武雄市北方町志久)
狛太郎のひとこと:当社はR34沿いの静かな山麓の集落に鎮座しています。当地に伝わる悲劇の物語については、拙稿「稲主神社」でご紹介した通りですが、今は早、仮にそれが史実であったとしても、歴史の波に洗われて、静かで穏やかな佇まいを呈しているのみです。
狛犬は灯籠狛犬の一対で、「直立・倒立」型の一種です。風化が著しく、かろうじて原型をとどめているアの顔面から、これが砥川型であることをうかがい知ることができます。ウンが倒立なので、アは直立であるのが通り相場であるところ、砥川型に相応しく岩狛の形が採られています。


素鵞(すが)神社

提供者:TAKOさん
10.03.07
TAKOさんのコメント:新宮IC北東約3・7km。石工名無し、奉納年昭和十七(1942)年十月。
シンプルに仕上げられています。耳が、輪と垂耳と作り分けられています。系統は不明です。
長生きしそうです
(愛媛県四国中央市新宮町上山中上)
狛太郎のひとこと:銅山で有名な別子を水源とする銅山川は、狭隘な四国山中を東進して阿波への街道を形成しながら、やがて四国三郎吉野川へと合流します。当社はその街道の徳島県境に近い山腹に鎮座、素盞鳴尊を祀っています。「須賀」と表記されることが多い社名です。
狛犬は固そうな石に、浅い彫りで顔面や毛筋が描かれています。口角が吊り上がって、笑っているように見える表情が独特です。耳の造り分けのほか、髪の束や渦にも違いがあるように見えます。全体の造りは素朴で技巧性には乏しいものの、その分親近感を抱かせるモデルです。


稲荷(いなり)神社

提供者:hisaLinさん
10.03.08
hisaLinさんのコメント:日田方面を走ったとき立ち寄ったんですが、稲荷神社と書いてあったのにお稲荷さんはいなく、狛犬さんがいました。
(大分県日田市高瀬)
狛太郎のひとこと:お稲荷さんがいない、というのはキツネの像がなかったということでしょうか。
キツネは稲荷神の神使とされますが、稲荷社には必ずその像があるというものでもありません。
狛犬は技巧を凝らした作品です。系統は不明ですが、横に張りだした耳、立体感のある髪やヒゲなど、非常にデザインが重視されています。またアが口に玉を含んでいるのも技術力の誇示といえます。ウンの背には子獅子が横向きに乗っていますが、子獅子の造りも丁寧です。


恵美須(えびす)神社

提供者:hisaLinさん
10.03.09
hisaLinさんのコメント:田川から水巻まで、英彦山川沿いを走ったとき立ち寄りました。
玉乗りタイプでしたが、瀬戸内海周辺でみる狛犬さんと顔が違うので、地元産?じゃないかと思いますが。
(福岡県田川市大黒町)
狛太郎のひとこと:田川は「炭都」と称された産炭の町で、「炭鉱節」発祥の地です。また「青春の門」の舞台としても知られています。恵美須神は元々は海神で大漁を約束する神でしたが、次第に商売繁昌の神として商家でも祀られるようになったものです。
狛犬は巨大な玉を取る尾道型の様式で造られています。尾道型は瀬戸内海地域に広く分布しており、比較的スリムで精悍な姿を特徴としています。この作品はご指摘の通り、顔立ちが本場のものとはかなり異なっています。タドンのようなギョロ目と二対の牙が荒々しく険しい表情であるものの、玉を取る手つきがちょっとたどたどしい様子なのが微笑ましく感じられます。


佐渡(さど)神社

提供者:hisaLinさん
10.03.10
hisaLinさんのコメント:筑後川沿いをサイクリングした時立ち寄りました。
近所に投稿されてる乙宮神社がありました。
この辺りで見るスタイルですが、鼻が印象的でした。
(佐賀県三養基郡上峰町坊所)
狛太郎のひとこと:延元元(1336)年、筑前多々良浜(福岡市)での合戦は、九州南北朝時代の一つのハイライトです。九州南朝方の雄、肥後の菊池武敏は足利尊氏を迎え撃つも敗走。
しかしその菊池一族の姉川氏が肥前に来着し、仁徳天皇を祀って創建したのが当社です。
狛犬は古代型です。洗練されていない荒削りな造形からそう名付けました。県東部に多く見られ、中でもこの作品のようにウンが出雲式であるものが、何故か鳥栖・三養基地区に集中しています(綾部神社若宮八幡神社天満神社千栗八幡宮村田八幡宮など)。


市房山里宮(いちふさやま・さとみや)神社

提供者:hisaLinさん
10.03.11
hisaLinさんのコメント:球磨川鉄道の湯前駅から、サイクリングコースを人吉まで走ったとき立ち寄りました。髭はそんなに多くないようですが、熊本でよく見る狛犬さんの雰囲気はありました。
(熊本県球磨郡湯前町下城)
狛太郎のひとこと:市房山(1722m)は熊本第二の高峰で、その中腹に市房神社がありますが、参拝が困難でした。そこで山麓の湯前に、里宮(遙拝所)として建てられたのが当社です。
狛犬は仰るように熊本風の作品です。熊本風である要因は、@びっしり並んだ小さな歯並Aたっぷりした巻毛のアゴヒゲB首のくびれがなくアゴから胸への曲線が平坦、といったところでしょうか。よく彫り込まれた緻密な彫刻で、全体のバランスにも優れ、安定感のある造形です。


秋葉(あきば)神社

提供者:hisaLinさん
10.03.13
hisaLinさんのコメント:羽犬塚から八女方面を走ったとき立ち寄ったんですが、この辺りでよく見かける狛犬さん(上段)と、眼の窪んだ狛犬さん(下段)がいました。
(福岡県八女市本町)
狛太郎のひとこと:八女という地名は大変古く、日本書紀に西暦1世紀のこととして描かれている景行天皇条に、「八女津媛(やめつひめ)」という女首長の名がみえるのが初見です。また6世紀には筑紫君磐井(いわい)がこの地で一大勢力を築いており、古くから開けた土地でした。
(上段)系統不明ですが、場所柄、筑後型の祖型または変化型であろうと推察されます。ざっくりした髪の房のデザインやアンクレット状の意匠に、その片鱗が見えるからです。典型例にみられるアウンの造り分けは明瞭でありませんが、髪型に幾分その要素があるように見えます。
(下段)こちらは更に系統が不明です。すっきりしたスマートな体形で、肥満体の筑後型とは全く異なっていますし、玉取りというスタイルも同タイプでは見かけないものです。しかし尾は小さいながらも扇状を呈しており、全体的な印象から、やはり筑後系統に近いものかも知れません。


住吉(すみよし)神社

提供者:hisaLinさん
10.03.14
hisaLinさんのコメント:鷹島大橋を渡って鷹島を廻ったとき立ち寄りましたが、長崎県なのに唐津が近いせいか唐津型の狛犬さんが、それも玉に彫り物をした凝った狛犬さんがいました。
(長崎県松浦市鷹島町里免114番)
狛太郎のひとこと:元寇(13世紀)については、博多湾の戦闘でこれを撃退したことになっていますが、それに先立ち、この鷹島で松浦党が激戦を展開したことはあまり語られていません。
しかし、これが元の軍備を消耗させ、博多湾での戦闘能力を著しく低下させていました。
狛犬は唐津型ですが、この型の通例に比べると体格も尾のボリュームも一回り大きく、かつ、玉に牡丹花を立体的にレリーフするなど、極めて装飾性に富んでいます。唐津型は蹲踞が基本で、こうした大玉取り自体が珍しいのですが、その類例は唐津周辺に幾つか存在します。
若宮神社増田神社日枝神社黒崎神社(下段)など)


多賀(たが)神社

提供者:hisaLinさん
10.03.15




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川沿いに走ったとき立ち寄りました。
地元産?の玉乗りタイプと、横長な顔の狛犬さんがいました。
(福岡県直方市直方町701)
狛太郎のひとこと:養老3(719)年の創建と伝える古社です。日本神話のアダムとイブとも称される伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っており、南北朝時代には西征将軍懐良親王、江戸期には黒田氏の崇敬を受けて、造営や改築が行われました。祭神の故事から、セキレイを神紋とします。
@尾道型に代表される大玉取のスタイルは、その新奇性と類い希な動感のゆえに、各地でそれに倣った作品が造られました。九州では原産地から導入されたものは少なく、大半は地元石工がそれぞれの個性を残しつつ、この様式を取り入れています。これもその一例です。
A北九州市から遠賀地方にかけて、横に平たい顔立ちのものが多く見られます。このタイプは恐らく西日本から伝播し、当地で変化が加えられて独自の様式に育ったものと推察します。枝光八幡宮(中段)はこれを極端にデフォルメしたではないかと想像しています。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
10.03.16
hisaLinさんのコメント:福岡から385号線沿いを走った時、立ち寄りました。
筑後型?の狛犬さんがいました。
(福岡県筑紫郡那珂川町市ノ瀬字日吉)
狛太郎のひとこと:脊振山に水源を発して福岡市を潤す那珂川は、山深い五ヶ山を通って佐賀県側に至る、細々とした山中の街道を、その流れに沿って形成しました。当社は佐賀県神埼町の仁比山神社から勧請といわれ、やはりこの山道を辿って信仰の伝播があったのでしょうか。
狛犬は体格の良い蹲踞で、筑後型を彷彿させる重量感のある造形です。ただ上唇の形や足のアンクレット状の飾り毛などに類似点はあるものの、アウンの造り分けがないことや、尾が扇状でないことなど、相違点も大きく、別系統のものと考えた方がよさそうに思います。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.03.18
hisaLinさんのコメント:柳川に行った時、立ち寄りました。
一対の狛犬さんと、相方のいない肥前狛犬さんがいました。
(福岡県柳川市吉富町)
狛太郎のひとこと:矢部川の分流沖端川は、柳川市の中心部を潤しながら進み、やがてこの吉富町で有明海に注いでいます。その河口付近に当社は鎮座しています。
(上段)柳川市は佐賀県に隣接しているため、狛犬にも佐賀の色合いが濃厚に残っています。この狛犬は柳川や大川でよく見られるタイプですが、ルーツは塩田型ではないかと推測されるもののひとつです。類似形は熊野神社(下段)八坂神社天満神社高良神社など。
(下段)当地に肥前狛犬が分布していることも、佐賀との文化的近縁性を裏付けるものです。
開口か閉口かはっきりしない口の形は、初期の肥前狛犬の通例です。額に一角を有し、目はアーモンド状、二重のまぶたがあるように見えるのも、その特徴をよく表しています。


手取(てとり)天満宮

提供者:picapicaさん
10.03.21
picapicaさんのコメント:熊本城の東、鶴屋デパートのすぐそばという、繁華街にある手取天満宮です。吽像のほうは、木の枝が邪魔をして後方からの写真になりました。
昭和13(1938)年12月吉日と彫ってありましたが、石工名は入ってなかったようです。
(熊本県熊本市上通町5番34号)
狛太郎のひとこと:承平5(935)年に朱雀天皇が、承平の乱平定祈願のために創建したという古社です。承平の乱は平将門による謀反事件とされますが、複雑な権力闘争に心ならずも巻き込まれた、地方の青年武将という側面が大きかったのではないかと思います。(国王神社参照)
狛犬は荒々しい歯並みを露わにした厳めしい顔つきながら、髪、ヒゲ、尾の毛量は豊かで、その毛筋は繊細で美しい曲線を描いています。びっしり並んだ牙の列や、たっぷりしたアゴヒゲが熊本狛犬の特徴です。また比較的短い前肢も、特徴のひとつということができます。


藤崎八幡宮(ふじさき・はちまんぐう)

提供者:picapicaさん
10.03.22
picapicaさんのコメント:熊本城の東、白川を背にして西向きに藤崎八幡宮があります。
二層の見事な神門を備えた大きな神社で、広い参道の中ほどに、大き目の非常に尻尾が目立つ狛犬(上段)がいました。「嘉永6(1853)年癸丑(みずのと・うし)正月」「石工 大阪西横堀 岡田五兵衛」「江戸 山鹿屋政吉」と彫ってありました。江戸の商人が、大阪の石工に彫らせて奉納したのでしょうか。また本殿前に、彩色された一対の狛犬(下段)がいました。中には入れず、遠目なのでよくわかりませんが木造ではないかと思っています。
(熊本県熊本市井川淵町)
狛太郎のひとこと:手取天満宮と同じく、承平5(935)年、争乱の鎮定祈願のために石清水八幡宮を勧請して創建されました。関東の平将門と時を同じくして、西海の藤原純友も兵を挙げるなど、騒然とした世相でした。貴族政権が終焉に近づき、武家台頭の契機となった事件でした。
(上段)重量感に富む端正な佇まいが、出雲型蹲踞の特徴です。全身に施された緻密な彫刻に加え、尾の存在感も特筆すべき点です。ただし本作品は顔立ちが関西風であり、浪花石工の名が明記されていることにより、浪花で造られた出雲様式の狛犬であることは確実です。
(下段)鮮やかに塗り分けられた木造狛犬です。顔立ちや体をくねらせる体勢などは明らかに中国様式であり、前肢に宝珠を持ち、首に瓔珞(ネックレス)を着けた意匠なども、その特徴を示しています。中国狛犬は石造でも見ることができます。(筥崎宮靖国神社マラッカなど)


加藤(かとう)神社

提供者:picapicaさん
10.03.23
picapicaさんのコメント:熊本城内にある加藤神社です。
(上段)古いほうの狛犬は熊本型というやつでしょうか。
昭和11(1936)年6月24日と彫ってありますが、石工名はなかったようです。
(中段)新しいほうは、皆さんがこまやんと言ってるタイプです。
(下段)境内には、加藤清正公お手植えの銀杏の木というのもあり、虎もいました。
(熊本県熊本市本丸2-1)
狛太郎のひとこと:加藤清正は熊本城築城のおり、近江から穴太衆(あのう・しゅう)を呼び寄せています。彼等は石垣などを得意とする石工集団で、各地の築城に携わりました。その一部が熊本にとどまって多くの優れた石橋などを手がけ、肥後石工の祖となったといわれています。
(上段)びっしり並んだ小さな歯列と、首を取り巻くアゴヒゲが熊本狛犬に共通する特徴です。
またヒゲが豊かなあまり、アゴのくびれがないように見える点も特徴の一つです。ただ熊本にはそれらを共有しつつも系統が異なる幾つかの流派があり、一括して語るには多様すぎます。
(中段)「狛犬学」の提唱者ねづてつや氏が、その著「狛犬学事始」で名付けた「こまやん」そのものです。金太郎飴のように、どこを切っても同じ顔が現れる「おたやん」なる食べ物に因んで、画一的で無個性な現代狛犬を揶揄して命名しました。価格面のメリットがあり、増殖中です。
(下段)加藤清正の「虎退治」の伝説に因んで奉納されたものでしょう。


熊本城稲荷(くまもとじょう・いなり)神社

提供者:picapicaさん
10.03.24
picapicaさんのコメント:上通のすぐそば、熊本城の東端にある熊本城稲荷です。
とにかくいろんな社や祠がある賑やかな神社でした。
石造の狛犬は1対だけ見かけました。大正15(1926)年4月と彫ってあります。
(熊本県熊本市本丸3-13)
狛太郎のひとこと:加藤清正が熊本入国にあたり、天正16(1588)年に勧請と伝えられる古社で、地元では「白髭さん」と呼ばれている由です。多数の祭神中に、確かに白髭大明神(猿田彦)が掲げられている反面、社名である稲荷神が見当たらないのが不思議なところです。
狛犬は熊本狛犬です。このタイプの特徴は加藤神社で列挙した通りですが、髪の房先の処理などに違いがあります。全体的な印象も異なっており、同じ熊本狛犬でも幾つかの系統があることは間違いありません。ただし系統付けできるだけのデータは、まだ整っていないのです。


河上(かわかみ)神社

提供者:hisaLinさん
10.04.01
hisaLinさんのコメント:柳川から大牟田方面までサイクリングした時立ち寄りました。
あまり見かけない狛犬さん1対と、肥前狛犬?らしいのがいました。
(福岡県柳川市佃町)
狛太郎のひとこと:佐賀〜長崎にかけて、河上(川上)神社が数多く分布しています。祭神は肥前の女神である淀姫で、その根本社は佐賀市大和町の与止日女神社です。佐賀と柳川の歴史的関係から、当社もそうした神社の一つであろうと想像しますが、確かなことは不明です。
(上段)3個の経巻渦で構成された太い眉と、くっきりした目鼻立ちが印象的です。特に目の周囲が溝状に彫られているため、鋭い眼光が強調されています。毛量も多く装飾性に富む顔面周辺の趣向に比べると、体つきは細くやや素っ気ない造りです。系統はよく分かりません。
(下段)肥前狛犬を写した作品ですが、曲線的な口の形や長い垂耳など、原型より進んだ意匠と技術がみられます。柳川には肥前狛犬の写しが多数確認されており、ある時期に人気のあるモチーフだったことが推測されます。(熊野神社天満神社天満宮日吉神社など)


御自作(ごじさく)天満宮

提供者:hisaLinさん
10.04.02
hisaLinさんのコメント:二日市にある武蔵寺の隣にあった神社ですが、大量生産型?の狛犬がいました。この神社は、菅原道真公と関係がありそうです。
(福岡県筑紫野市武蔵)
狛太郎のひとこと:菅公が左遷されて大宰府に在った時(10世紀初頭)、自らの尊像を彫刻して武蔵寺に安置したとされます。像はその後当社に遷され、今日に至ります。公の境遇の故か、像は激しい感情を露わにした忿怒相に造られているということです。
狛犬は岡崎型です。装飾性に優れ均整の取れた像容が好まれ、多くの写しが造られました。
この型の近年作は、工業製品的な質感が愛好家に疎んじられて不人気です。この個体の時代は不明ですが、もし古いものであれば、一つの確立された様式として一定の評価に値します。


若宮八幡宮(わかみや・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.04.04




@





A





B
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から国東半島一周して、杵築駅までサイクリングした時立ち寄りました。ちょうど川を渡ったところにあった神社で、3対の狛犬さんが鎮座してました。2対は(アウンの形が)似てるので判るんですが、(Bの)1対はあまり似てませんでした。
(大分県豊後高田市是永町)
狛太郎のひとこと:若宮とは「若い宮」または「別宮(わけみや)」の意で、元になる社の子神を祀る社と解されています。「八幡神」は応神天皇を指しますので、その若宮は仁徳天皇(大鷦鷯命)ということになります。大阪府の2基の巨大前方後円墳が、彼等の墓に比定されています。
@典型的ではありませんが、出雲型蹲踞を踏襲した作品です。アウンとも大きな子獅子を連れており、髪の毛筋も流麗で、構図、技術とも優れています。当地方では山神社のものが本場の出雲型のようであり、当作品はその影響下にデザインされたものではないでしょうか。
A系統不明ながら、なかなか個性的な顔立ちです。全体の印象は、西日本から九州北部に分布する、御影石製の一群に似通っています。ウンは一角を有し、伝統を踏まえています。
Bご指摘のように、アウンで相当印象が違っています。体型や体表の仕上げ法などは共通ですが、ヒゲの形や牙の位置は異なっています。どちらかが補作であるかもしれません。


住吉(すみよし)神社

提供者:hisaLinさん
10.04.30
hisaLinさんのコメント:福岡から大宰府方面までサイクリング中に立ち寄った神社ですが、この辺りでは見かけない狛犬さんがいました。
(福岡県春日市小倉三丁目37番)
狛太郎のひとこと:1700年頃の創建と伝えられます。神功皇后伝説が色濃く残る博多周辺では、博多区住吉の筑前国一宮住吉神社を筆頭として、住吉大神が数多く分布しています。
住吉大神は表筒男命・中筒男命・底筒男命の三柱の総称で、皇后の航行を守護しました。
狛犬は大きなギョロ目を見開き、太い眉をつり上げて、眼光鋭く前方を睨んでいます。アは口を一杯に開いて攻撃的な相貌を呈し、ウンは鋭い歯を噛みしめて不敵な面構えを見せています。
系統は不明ですが、横幅の方が広い顔面に力強さがあり、とても印象深い一品です。


素盞鳴(すさのお)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.01
hisaLinさんのコメント:久留米から筑後川サイクリングロードを走って、うきは市まで行った時立ち寄りました。堂々とした狛犬さんがいました。
(福岡県うきは市吉井町1083−1)
狛太郎のひとこと:素盞鳴尊は三貴子の一人という最高の出自を持ちながら、凶暴さ故に天上界を追放されてしまいます。しかしその後は、ヤマタノオロチ退治など英雄的な働きによって一躍ヒーローとなりました。祇園精舎の守護神とされ、この神を祀る神社は祇園社とも称します。
狛犬は筑後型の1バージョンで、久留米から遠ざかるにつれ、少しずつ変化していく過程を示しています。アウンで耳と髪を造り分けるなど伝統様式を遵守しているものの、歯が鋸歯列に変わって猛々しさが増し、忿怒相が強調されています。(阿蘇神社上段、筑紫神社Bなど)


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.05.02
hisaLinさんのコメント:球磨川鉄道で湯前駅まで輪行して、人吉までサイクリングロードを走ったとき立ち寄りました。熊本地方に多い?狛犬さんがいました。
(熊本県球磨郡多良木町大字多良木)
狛太郎のひとこと:熊本狛犬については、hisaLinさんのご投稿により、天草狛犬が独特であることが分かってきましたが、それ以外はまだ混沌としています。しかし全体的な印象として、
@短足A毛が豊かB歯列が細かいC首のくびれがない、などが共通の特徴といえそうです。
この狛犬もそうした特徴を全部併せ持っています。ただ熊本狛犬によく見られる、浮き彫りによる鼻ヒゲ(老神社など)の表現はないようです。尾は膨らみのある本体に細かい毛筋がつけられ、仲々見事な出来映えです。今後熊本狛犬の系統立てが、徐々にでもできれば幸いです。


藤原(ふじわら)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.03
hisaLinさんのコメント:563号線を瑞梅寺ダムに向けて走った時、立ち寄りました。ここの狛犬さんは、岩の上に鎮座してました。
(福岡県糸島市瑞梅寺)
狛太郎のひとこと:前原市は今年1月、合併により糸島市に生まれ変わりました。新市名は魏志倭人伝にいう伊都(いと)国、志摩(しま)国に由来するものであり、弥生時代以来2千年の地名が堅持されたことになります。安易な新地名増殖の折り、市民の英断に敬意を表します。
狛犬は糸島型と呼ぶべき様式で、装飾性に富んだ造りが特徴です。特に耳の張り出しが目を引きます。打撃に弱い石という素材を顧みれば、かくも薄く尖端部を造るにはためらいがあって然るべきです。ところが糸島型は、リスクと引き替えに敢然とデザインを優先させています。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.04
hisaLinさんのコメント:八代市から熊本市まで、サイクリングした時立ち寄りました。
ここの狛犬さんは寝そべったように見えたのでじっくり見たのですが、手足がないのか?
短いのか?はっきり判りません。
(熊本県八代市千丁町吉王丸479)
狛太郎のひとこと:八代平野は3分の2が、江戸時代以降の干拓地です。その中で当町は、九州山地に迫られた古い土地です。明治初期に4村合併で新村が誕生した時、合計農地面積が千町歩(約9.9平方`)あったので千丁村と名付けられたという通り、広大な農村地帯でした。
狛犬は系統も用途も不明な不思議なものです。何よりこの寝そべった体勢が不可解です。
目を浅い線刻で二重瞼に表し、眉や髪も同様の表現で素朴です。耳の形状が独特で、一見耳朶欠失の如くですが、元々こうだったとも見えます。一方、顔面以外の部分は精巧であって、例えば灯籠狛犬などのように、正面観が最重要ではない用途のものと推測することも可能です。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.05.05




@





A
hisaLinさんのコメント:西鉄の八丁牟田駅から、442号線で八女市まで走ったとき立ち寄りました。境内近く?そのもの?が飲食街、駐車場になってましたが、2対の趣の違う狛犬さんがいました。
(福岡県八女市本町105番)
狛太郎のひとこと:6世紀の筑紫君磐井(いわい)の本拠地は八女であり、当地が筑紫国の中心でした。その300年前の3世紀には博多周辺が重きをなしています(魏志倭人伝)が、その後稲作の発展に伴って、水稲耕作に適した筑紫平野に中心が移動したことがうかがえます。
@体全体の黒っぽさと、真紅に塗られた目や口元とのコントラストが強烈です。また足の爪とアンクレット状の飾り毛の白も、体色との対比が鮮やかです。石造狛犬への彩色は時折見られますが、良くも悪くもこれほど目を引く色使いのものはまれです。筑後型に近い作品です。
A筑後型の変種です。アウンの造り分けはウンの角のみですが、力強い全体像、ややクローズドに構える足位置、アンクレット状の飾り毛などにその特徴を残しています。ただ顔立ちは柳川(熊野神社下段)や大川(高良神社)で見られる一群との共通性が感じられます。


嚴島(いつくしま)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.06
hisaLinさんのコメント:糸島半島を走ったとき立ち寄りました。道路脇に小さな神社でしたが、大量生産品?らしい狛犬さんがいました。
(福岡県福岡市西区太郎丸751番)
狛太郎のひとこと:厳島神社の祭神は宗像三女神であり、社名の「いつくしま」は、そのうち市杵島(いちきしま)姫に由来するともいいます。厳島信仰の広がりは、海人族が九州宗像に発して北上する途次、各地にその信仰を残した痕跡とする説には、壮大な古代ロマンを感じます。
狛犬はどの系統ともつかぬものですが、姿形は比較的整っており、目にはヒトミを入れるなど独自性もあります。写真ではよく分かりませんが、実物が「大量生産品」らしく見えたとすれば、そうなのかも知れません。髪や尾の毛筋は粗く、尾の形もそういえばおざなりな印象です。


大権現(だいごんげん)石祠

提供者:DogOneさん
10.05.07
DogOneさんのコメント:「八龍神社」の南西方向、「長勝寺」とを結ぶ線の中間の畑の中にあります。周りは昨年の稲作後は非耕作地となり、草が生い茂っていますが、祠には注連縄も付けられて、信仰の跡が見られます。
右の狛犬は丸っこい作りで、口は河馬さん、全体は子犬を思わせる形をしています。
左の狛犬は側面で、写真を見たときに「柱に抱きついている。面白い」と思ったのですが、回り込んでみたら長い前足でした。でもこんな長い足で、どうやって歩くんでしょうね。角ばった顔を上に向けています。上砥川彦山神社(上左)の角張った狛犬よりも洗練されています。
双方の姿態が大きく違うので、本来の1対ではなさそうです。
(佐賀県佐賀市西与賀町厘外)
狛太郎のひとこと:「権現」とは「権(かり)」に「現」れる、の意で、仏教側から神の立場を説明したものです。即ち、神を仏の化身と位置づけ、信仰実態としての神仏習合を理論化する試みです。この「大権現」が表している神が何かは分かりませんが、仏教との関連が強いものです。
狛犬はどちらも肥前狛犬ですが、本来の一対ではありません。肥前狛犬を大別すると、頭部が丸味を帯びたものと角張ったものに分けることができます。丸型が素朴で、角型はデザイン化されているようにも感じますが、どうでしょうか。産地による差も予想していますが、未解明です。


大日宮(だいにち・ぐう)

提供者:picapicaさん
10.05.08
picapicaさんのコメント:先日小城町岩蔵「天山酒造」北東の集落(江里口?)にある、大日宮という小さな神社に行ってきました。鍵が掛かった本殿の中に、珍しい花立がありましたので写真を添付します。最初は耳が見当たらないので亀かと思ったのですが、亀にしては脚が長いし・・・阿吽になってるし・・・狗や獅子には見えないし・・・ ???
動物には間違いないのでしょうが、これはいったい何なのでしょうか?前のほうに文字も彫ってありますが、数文字しか判読できません。
(佐賀県小城市小城町岩蔵江里口)
狛太郎のひとこと:大日如来は密教の最高仏であり、大日宮は当地における真言信仰の名残と思われます。それをもたらしたのは神仏混淆の山伏たちと考えられますが、明治初期の神仏分離、修験禁止政策で衰退しました。なお本地垂迹説では大日如来は天照大神とされます。
これが狛犬であるかどうか判然としません。口吻がなく、目立つ耳朶もありませんので、少なくとも顔立ちは狛犬らしくありません。天の邪鬼や河童の可能性も考えてみましたが、四足歩行の動物であることは間違いないので、強いて分ければ狛犬の仲間にするしかなさそうです。


熊野(くまの)神社

提供者:TAKOさん
10.05.09
TAKOさんのコメント:JR予土線、伊予宮野下駅北西約3km。四国霊場42番札所、佛木寺西500m。「萬延元(1860)年申八月、吉田裏町二丁目石工・法花津屋豊活良」作。
150年前の狛犬ですが、このタイプにしてはいい状態です。
(愛媛県宇和島市三間町則西谷)
狛太郎のひとこと:三間町は江戸期、宇和島伊達家の支藩3万石の吉田藩に属していました。町を流れる三間川は広見川、さらに四万十川に合流して太平洋に注いでいます。山に囲まれた盆地ながら有数の米産地であり、四国霊場のうち佛木寺、龍光寺の二ヶ所を有する要衝です。
狛犬は南予型(日吉神社三島神社下段高田八幡神社下段など)と名付けられるべき一品で、県内瀬戸内沿岸地方で主流の尾道型とは一線を画するものです。その特徴として@装飾性が高いA牙が長いB丸く大きな目C丸顔などを挙げることができます。本品は保存状態も良く、丁寧に施された細工と独特の存在感を、十分に鑑賞することができる好標本です。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:DogOneさん
10.05.10
DogOneさんのコメント:赤松小学校の前の道の東の突き当たり、曲がり角のところにある中の館の「天満宮」です。大きさは45cmくらいで、大きな目玉が目立ちます。吽像は左足と半身がごっそり崩れ落ちて可哀相でした。文久元(1861)年5月と読めますが、他は判読不能です。
(佐賀県佐賀市中の館町)
狛太郎のひとこと:中の館(なかのたて)は、佐賀城の四囲を巡る堀の南外側に位置した武家の居住区で、佐賀城下絵図によると主に多久藩士が集住していたようです。
狛犬は佐賀産には違いないと思いますが、塩田か砥川か迷う作品です。細身が多い塩田型にしては肉付きが良く、砥川型にしては尾の形が異なります。もっとも、そのような形式が確立するのはもう少し後の時代であり、文久元年頃にはそれほど明確な差はないのかも知れません。


伊勢神社末社・恵比寿(えびす)神社

提供者:DogOneさん
10.05.11
DogOneさんのコメント:門を入って南西の角にある二つの木祠のうち、右の祠の前に1対の肥前狛犬さんが居ました。阿・吽の別は分かりませんが、祠に向かって右が65cm、左が55cm。右はくっきりした目が可愛いですが、真正面から撮ったら眼鏡をかけたようになりました。
右の肥前狛犬の側にはもう1体の狛犬風の像があります。前足を石の上に載せていますが、かなり痛んではいますが石は固いもののようです。大きさは45cmあります。
(佐賀県佐賀市伊勢町)
狛太郎のひとこと:社伝によると寛保3(1743)年、当社の氏子である長崎街道筋の商家が、商売繁昌を祈念して恵比寿像を奉納したのが始まりとされます。佐賀市で最古の恵比寿とされており、現今脚光を浴びている市中400体あまりの恵比寿像の本家とも言える存在です。
(上段)肥前狛犬としてはかなり大柄な部類です。初期の肥前狛犬は、30a未満の小像が主流でした。その後大型化し、1b近いもの(湊疫神宮下段)も現れましたが、獅子型の普及とともに、19世紀を待たず絶滅しました。これは肥前狛犬の中でも後期に属するもののようです。
(下段)県内の狛犬にはもっぱら安山岩が使われており、この赤味を帯びた石はあまり例がありません。また、姿勢が不自然で通常の蹲踞ではなさそうに見えます。細工は丁寧になされており、然るべき作品ではありそうですが、産地、用途などよく分からない謎の狛犬です。


八坂(やさか)神社

提供者:akemiさん  
10.05.13
akemiさんのコメント:武雄市西川登小田志にある八坂神社へ行ってきました。先日お話しておりました、ゴッホとも関わりのある松尾儀助の名が、こちらの鳥居に刻まれているとの情報を得、早速見てきたのです。確かにありました!!多分同一人物だと思います。
小田志は焼物の産地として随分と栄えていたところだそうですが、今は静かな山里でした。
樋口治実という陶工のガンジュ焼というのは特に有名だったらしいです。
100年以上も前のアメリカの雑誌にも紹介されていました。
八坂神社には狛犬も沢山いました。
とても見事な細工で、塩田石工のものと思いますがいかがでしょうか?
(佐賀県佐賀市西川登小田志)
狛太郎のひとこと:陶芸が盛んだったのは、武雄、波佐見(長崎県)、有田という非常に広範な地域に及んでいたのですね。特に武雄市小田志は有田に匹敵という記事もありました。また塩田(志田)や嬉野(吉田)も含めると、県西部地区に一大陶芸エリアを描くことができます。
(上段)塩田型にも2派あり、この作品は比較的体格が良く、どっしりした蹲踞というタイプに属します。毛量が豊かで髪、ヒゲ、尾はいずれもたっぷりした量感を持ち、柔らかい石質がそのまま狛犬の肌合いであるかのような、曲面を多様した豊満な造形が特徴です。
(下段)塩田型が塩田型たるべき、装飾の粋を凝らした見本例です。塩田の岩狛は細身であること、体が立っていること、精緻な彫刻で彩られていることが特徴ですが、特に本作品では、岩の牡丹花がレリーフでなく丸彫りで大胆に刻出され、なおかつ完形を保っているのは見事です。


太神宮(だいじんぐう)

提供者:picapicaさん
10.05.14
picapicaさんのコメント:牛津の国道34号線砥川郵便局の斜め前に小さな社がありました。
覘いてみたら真新しい肥前狛犬がいました。唐人神社のものと殆ど同じもので、「奉献。平成二十一(2009)年九月」と彫ってありますが石工名はありません。
拝殿の後の石祠には太神宮とありました。
(佐賀県小城市牛津町上砥川)
狛太郎のひとこと:単に「神宮」と言えば伊勢神宮を指し、またそれが正式名称でもあります。
それだけ超越した存在なのであり、「大神宮」「太神宮」はそれを更に尊んで言う呼称です。
各地に残る「大神宮」石碑は、参拝記念碑として建立されたものが多いようです。
狛犬は復刻版肥前狛犬です。作者は平川石材店(佐賀市神野西)で、ご指摘のとおり唐人神社のものとは姉妹品です。作者によれば、多久市の神社にある肥前狛犬を基に、少しふくよかさを増し、また現代の感覚を加味して造られたそうです(取材)。よく再現されています。


路傍の肥前狛犬

提供者:DogOneさん
10.05.15
DogOneさんのコメント:所用で行った北川副の帰りに肥前狛犬さんに会いました。
(民家前に)地神の石祠と並んでちょこんと坐って居ました。高さ25cm、幅17cm、長さ?。
彫りはだいぶ薄くなっていて、目の位置が分かる程度です。1体だけというのは寂しいですが、下流の粟島神社には沢山のお宮の遺品が集まっているので、水害か何かの事情があるのかも知れません。
(佐賀県佐賀市本庄町)
狛太郎のひとこと:「地神」「堅牢地神」「中央」「五神塔」などを総称して「地神」と呼ぶようです。元々は個人宅などで祀られる「屋敷神」だったと思われますが、区画整理などによって神社に移設されたものも多く見かけます。この地神はこのお宅に本来あったものかも知れません。
狛犬は配偶を失った単立の肥前狛犬です。目鼻立ちがほとんど不明なほど風化していますが、顔の造作が頭部上面に集まる初期の様式であることは判別でき、また頭部が丸いタイプであることも分かります。前肢をやや開いて立つ姿には、安定感とともにくつろいだ感じを受けます。


印鑰(いんにゃく)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.16
hisaLinさんのコメント:八代駅から鹿児島本線沿いに、県道14号線を熊本まで走ったとき立ち寄りました。近所に鏡ヶ池公園があって、長閑な感じでした。ココの狛犬さんの容姿はやはり熊本タイプでしたが、渦を巻いた眉毛と眼を剥いた感じが印象的でした。
(熊本県八代市鏡町鏡村)
狛太郎のひとこと:古代当地に八代郡の郡司があり、租米の保管庫が置かれていました。
その管理のための公印(印)と鍵(鑰=やく)が印鑰です。各地の印鑰神社はその保管所だったとも伝えられています。祭神は朝廷の財産管理を任されていた蘇我石川宿禰(すくね)です。
狛犬は襟巻きのようなアゴヒゲと細かい歯列という、熊本狛犬全般に共通する特徴を備えています。中でも熊野坐神社のものに良く似ており、大浦阿蘇神社とも共通点があります。八代、玉名と天草は海を挟んだ対岸関係にあり、海路によるこの型の普及が想像されるところです。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.17
hisaLinさんのコメント:飯塚から桂川町周辺をサイクリングした時立ち寄りました。
この辺りでもあまり見掛けない狛犬さんがいました。
(福岡県嘉穂郡桂川町九郎丸)
狛太郎のひとこと:桂川町では紀元前10世紀と見られる石器が発掘されており、古くから人が住んでいました。6世紀には装飾古墳で有名な王塚古墳などが築かれるなど、一貫して人の定住に適した土地だったようです。当社は、江戸初期に整備された長崎街道に近い場所です。
狛犬は足が長く、スマートな体形をしています。ヒゲの毛量は少なく、後肢の造りもやや省略的であるようですが、アの口中の玉、ウンの右肢の玉など、一定のデザイン性は備えています。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.18




@





A





B
hisaLinさんのコメント:飯塚から桂川町周辺をサイクリングした時立ち寄りました。上の貴船神社の近所にありましたが、貴船神社の狛犬さんと全く違う狛犬さんが3対鎮座してました。
(福岡県嘉穂郡桂川町土居)
狛太郎のひとこと:第11代垂仁天皇の時に出雲大社の分社として創建と伝えられ、主祭神は大国主命です。11世紀に当地が安楽寺(大宰府天満宮)領となった際、菅公を合祀して現社名に改めました。他の祭神をみても、当初は出雲系の神社であったことは確かなようです。
@がっしりした重厚な造りです。ウンは太い前肢で小さな玉を踏みつけており、力強さと安定感に加え、若干の変化を求めた構図といえます。またウンは立派な一角を有しています。
A風化が著しいですが、元はかなり美麗だったと想像されます。極端に張り出した肩や胸の筋肉が見所です。垂裕神社などと類似点があり、筑後型の影響が想像されるところです。
B上2作品とは趣を異にする一品です。筋肉の張りや小玉を取る姿勢などは似ていますが、ヒゲや尾の毛筋は粗く、細かい装飾より力感を強調する意図があるように見受けられます。


小浜(おばま)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.20
hisaLinさんのコメント:島原を一周サイクリングした時、立ち寄りました。場所は雲仙温泉街にありましたが、綺麗な神社だったので建て替え?があったのかなと思いました。そのせいか判りませんが、量産タイプの狛犬さんがいました。それと2対、肥前狛犬じゃないと思いますが、相当古そうな狛犬さんもいました。
(長崎県雲仙市小浜町北本町862番地)
狛太郎のひとこと:現在では「雲仙」と表記されていますが、歴史的には「温泉」と書いて「うんぜん」と読んでいました。温泉の効能、薬理効果は古代から知られていたため、各地の温泉神社などでは医薬の神、大国主命・少彦名命が祀られており、当社の祭神も大国主命です。
(上段)このタイプは岡崎型とともに、近年よく見られるものです。滋賀県の大宝神社に伝わる重要文化財の木製狛犬がモデルのようであり、警固神社など多数の神社で見ることができます。
(中段)肥前狛犬をベースにして、全国標準の獅子型に近づけようとした作例と思われます。
肥前狛犬より彫りが深く技法も進化していますが、顔立ち、後肢の形にその名残があります。
(下段)上と同様、肥前狛犬の進化型です。肥前狛犬は1800年頃までは造られていましたが、やがて獅子型が席巻することになります。おおむねその過渡期の作品のようです。


値賀(ちか)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.21
hisaLinさんのコメント:唐津から204号線を走ったとき、立ち寄りました。玄海原発を通り過ぎた所にありました。唐津型ともう1対、ズングリしてて笑っちゃいそうな狛犬さんがいました。
(佐賀県東松浦郡玄海町普恩寺)
狛太郎のひとこと:原発の近くの普恩寺集落に鎮座し、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を祀っています。天孫降臨を果たした邇邇杵命の父神です。値賀周辺は有力な安山岩産地で、石材産業が発達しました。唐津石工の発祥は、秀吉の名護屋城築城の時とされます。
(上段)牙が二対あり、尾は逆R字です。また少し首をかしげて睥睨するのが唐津型の特徴で、この作品もそうなっていますが、体つきが細身なのと頭が大きいため、むしろ可愛らしく見えます。ウンの抱く子の位置が独特です。後付けでなく、彫り残したものとすると結構な腕前です。
(下段)丸味を帯びた体と奇抜な渦の表現が目を引きます。また目を見開き、鋭い歯列を見せる顔立ちも独特です。明和6(1769)年という古いもので、唐津石工の作品には違いないと思われるものの、今の唐津型が確立する前の段階の作品と考えるのがよいと思います。


天降(あまふり)天神社

提供者:hisaLinさん
10.05.22
hisaLinさんのコメント:福津市をサイクリングした時に立ち寄りました。ココ辺りで古墳が発見されたらしく、色んな物が出土したらしいです。
(福岡県福津市須多田)
狛太郎のひとこと:旧津屋崎町の古墳群のうち、最大規模の雨降天神社古墳(前方後円墳)の後円部に鎮座し、出雲系の少彦名命を祀っています。古墳の主は宗像族の王といわれます。
狛犬はネジリのある太い眉の下に、アーモンド状の二重瞼の目を見開き、ちょっと人間らしい表情をしています。頬からアゴにかけてつながる板状のアゴヒゲには、浅い沈線で毛筋を描いています。注目すべき点は、アではなくウンが玉を噛んでいることで、他に例がありません。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.23




@





A
hisaLinさんのコメント:田川駅から水巻駅まで英彦山川をサイクリングした時、松山駅を過ぎた所にありました。玉乗りの狛犬さんと、顔が異様に大きい狛犬さんがいました。
(福岡県田川郡糸田町)
狛太郎のひとこと:糸田町は田川盆地の一角にあり、かつては炭鉱を擁して栄えました。
田川方面の狛犬のサンプルは少なく、未知の領域です。新種発見を期待したいところです。
@田川市の恵美須神社のものと同じく、当地産の尾道型です。細かい点まで共通性があり、同じ作者か工房の作品ではないかと思われます。また飯塚の高祖神社も大玉取りの意匠を用いており、広義の筑豊地方には似た狛犬文化があるのではないかと想像されます。
A猛々しい顔つきには不似合いな三頭身の幼児体型であり、姿勢もどことなく頼りなげです。一方で細工は精密なので、技術が未熟というよりはデッサンに問題がありそうです。上下の牙を噛み合わせて強度を保つ手法は(上段)に同じ。これは他地域でもしばしば見られます。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.25
hisaLinさんのコメント:福岡から鳥栖を通って久留米まで走った時、立ち寄りました。ココの神社は久留米市と思ってましたが、鳥栖市になるらしいです。このあたりに多い狛犬さんと、肥前狛犬らしいのが鎮座してました。
(佐賀県鳥栖市下野町)
狛太郎のひとこと:当社鎮座地は鳥栖市の南端に近く、筑後川を挟んで久留米市とは指呼の間です。佐賀と福岡の県境はおおむね筑後川の流れに一致しますが、川を越えて佐賀県側に張り出した久留米市長門石町とも接しており、福岡県に囲まれているような地域です。
(上段)古代型と名付けているタイプです。何故か鳥栖・三養基地域に多く見られ、さらに、この地域の古代型はウンが出雲式の体勢であることが多いのです。洗練された獅子型が登場する以前の作品群と考えられ、1800年前後かそれ以前のものと推測しています。
(下段)肥前狛犬ですが、髪の渦をはじめパーツの彫りが深く、全体的にもよくバランスがとれています。原初的なモデル(若宮八幡神社来迎寺天満宮老松神社など)より加工度合いが高まっており、洗練された感じがあります。このタイプとしては後期のものかと推測されます。


鮭(さけ)神社

提供者:てん子さん  
10.05.26
てん子さんのコメント:鮭神社と言う、鮭を祭った変わった神社に遭遇しました。
拝殿内は‘鮭’が沢山飾ってあって、何だか風変わりな神社。そんな神社に奉納されてた狛犬がとってもカワイイ事!!阿像には子が背中に乗ってます。阿像の方が女像なんでしょうか?吽像の方にチ○チ○があるのか、確認しておけばと悔やむばかり(笑)。鮭と言えば、沢山の卵を想像します。そういう意味では、子沢山なイメージを発想するのですが、石工さんもそのイメージで子を背中に乗せたりしたのかな?なんて色々と想像が膨らんじゃいます。
(福岡県嘉麻市大隈542)
狛太郎のひとこと:宝亀元(770)年創建と伝える古社で、主祭神は彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)です。「鮭」を祀る慣わしは、遠賀川で鮭漁が行われていたことを想像させます。祭神は昔話の「山彦」で山の住人ですが、妻の豊玉姫が海神なので、鮭とのつながりはあります。
狛犬は量感のある端正な体型をしています。この様式は垂裕神社大己貴神社秋月八幡宮など朝倉方面に類例が多いようです。特に細密ではないものの、しっかりした毛筋が彫られており、安定した技量がうかがえます。狛犬は「獅子と狛犬」というのが本来の姿ですが、「雌雄」という理解で造る場合は、多くは阿像を雄としています。♂が刻出されている場合があります。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.05.28
hisaLinさんのコメント:熊本から大牟田まで走ったとき、立ち寄りました。389号線を走って南荒尾駅を過ぎ、裏道に入った所にあった神社です。変わったスタイルの狛犬さんがいました。
(熊本県荒尾市増永)
狛太郎のひとこと:福岡との県境に近い有明海沿岸部に鎮座します。その対岸は佐賀県と長崎県であり、地図を見ると佐賀・長崎・熊本3県で、古代「肥の国」という広大な「環有明海国家」を形成していたことがよく理解できます。「肥の国」は「火の国」であり、「不知火」に由来します。
狛犬は長い前肢や細い胴部をはじめ、凹凸の少ないアウトラインによって、水生動物のような特異な外観を呈しています。狛犬の重要なアイテムであるアゴヒゲなどは、下唇に申し訳程度に付けられているのみです。しかし目にはヒトミ、口には几帳面な歯列が施され、決して粗略ではありません。この造形が意図したものだとすると、作者は希に見る新感覚のクリエーターです。


呼子三(よぶこ・さん)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.29
hisaLinさんのコメント:呼子に行ったとき、立ち寄りました。朝市のある場所の奥にあった神社です。
2対の唐津型ともう1対、場所からして唐津型?なのか分からない狛犬さんがいました。
(佐賀県唐津市呼子町呼子)
狛太郎のひとこと:3柱の神を祀っているのでこの名があるようですが、由緒・沿革は詳らかではありません。享保14(1729)年銘の石段があるので、創祀はそれ以前であろうとされています。古老伝承によると、国守が近海を航行の折りには、必ず寄港して参拝した由です。
(上段)耳がピンと立ち、元々険しい顔立ちを更に厳めしいものにしています。唐津型の特徴の一つに、この「恐い顔」があります。他流の狛犬も忿怒相ではありますが、唐津型ではそれを特に追求しており、「魔除け」としての本来の機能を遺憾なく発揮しているということができます。
(中段)同じ唐津型で意匠もほぼ同様ですが、上段に比べるとやや肥満体型です。また目つきも、鋭い中にも幾分和らいだ感があり、体型の印象とあわせ、この型としては穏やかさのある像容です。同じ様式でも、作者の個性の違いが彼我の差となって現れている例と言えそうです。
(下段)様式、石質とも唐津型ではありません。胸と腹を分けるエッジもありませんし、尾の形も逆R字ではなさそうに見えます。ただ、アの口の形は唐津型に似ているかも知れません。これが唐津型のプロトタイプの可能性があるのか否か、時代が分からないので何とも言えません。


高良(こうら)八幡宮

提供者:hisaLinさん
10.05.30
hisaLinさんのコメント:八代から熊本までサイクリングした時、立ち寄りました。見たことのない狛犬さんがいました。
(熊本県宇城市不知火町高良2692番)
狛太郎のひとこと:宇城市は05年に誕生した新しい市です。旧宇土郡と旧下益城郡の範囲であることが命名の由来ですが、そこに含まれる三角町、不知火町、松橋町などは、県外の者にとっても馴染みのある地名でした。天草に向かって突き出す宇土半島の南半を占めています。
狛犬は極めて異例な表現方法で、幾多の「面白狛犬」の中でも群を抜いています。長い胴を支える四肢の構図は、不安定さの中に適度な緊張感を醸し出していますし、密な巻毛と独特の髪型は、古代西洋彫刻を彷彿させるほどです。日本人離れ?した面相もエキゾチックです。これほどの逸品が九州に埋もれていたことに、驚きと喜びを禁じ得ません。まさに全国級です。


森(もり)神社

提供者:hisaLinさん
10.05.31
hisaLinさんのコメント:福津市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。風変わりな顎鬚をした狛犬さんがいました。
(福岡県福津市渡)
狛太郎のひとこと:福津市は05年、福間町と津屋崎町の合併により誕生。津屋崎は古代から大陸との交流があり、江戸期から昭和初期にかけては、「津屋崎千軒」と称され大いに栄えました。鎮座地は渡半島の付け根付近、祭神は大己貴命(航海安全)と少彦名命(医薬)です。
狛犬はがっしりした体格で顔立ちも厳めしく、剛毅な印象です。エスカレーターのステップ状に刻まれた顎ヒゲが鎧のようであり、その印象を増幅しています。髪の毛筋もかなり独特です。
ネジリの眉と顎ヒゲの意匠は雨降天神社のものと共通で、同一工房の作品かと思われます。


諏訪(すわ)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.01
hisaLinさんのコメント:大牟田市をポタリングした時、立ち寄りました。ご近所なのに、熊本で見かける狛犬さんの顎鬚に似てない狛犬さんがいました。
(福岡県大牟田市諏訪町二丁目22番)
狛太郎のひとこと:延元2(1337)年に創祀と伝える古社で、武神・建御名方命を祀っています。「古事記」には、この神は出雲の大国主命の御子で、「国譲り」の際、諏訪の地に敗走したと記されていますが、本来諏訪の地方神だったはずです。諏訪大社は「御柱祭」で有名です。
狛犬は顔面の趣向に重きが置かれ、体部は省略的です。顔の造作が大きく、男性的な存在感が強調されており、特にウンのヒゲは、左右に分かれて横になびく独特の形状に勢いがあります。大牟田市は熊本県との県境の町ですが、この作品に熊本狛犬の影響は見当たりません。


大原(おおはら)八幡宮

提供者:hisaLinさん
10.06.02




@





A





B
C                        
hisaLinさんのコメント:久留米から210号線を、日田までサイクリングした時立ち寄りました。3種類の違った狛犬さんと、相方のいない狛犬さんがいました。
(大分県日田市大字田島184)
狛太郎のひとこと:貞観元(859)年に宇佐宮を勧請して創祀と伝える古社で、建久4(1193)年には大友氏が柞原八幡宮を東の総社、当社を西の総社と定めるなど、来歴も明らかです。なお柞原八幡宮は豊後国一の宮であり、当社はそれと比肩される社格ということになります。
@毛量が豊かで、体部に曲面を多用した造形は、逞しさと優美さを備えています。朝倉方面で見られるタイプ(垂裕神社など)と同型であり、わずかに手前側の足を引くスタンスが気の利いたアクセントになっています。この型には、筑後型の影響がありそうに思われます。
Aやはり筑後型の影響を考える余地があります。朝倉方面を中心とする筑後型のバリエーション群(阿蘇神社上段、筑紫神社Bなど)とは、特に鋭い鋸歯列に共通点があります。久留米からの距離とともに、本家とは次第に遠ざかってゆく様式の変遷をここに見ることができそうです。
B筑後の琴平神社下段や柳川の三島神社下段などに似ています。特に口の形がそうです。そうであると、やはりこれも筑後型のバリエーションということになります。全体の印象は全く異なりますが、@A、及びCも筑後型であるとすれば、これもそう考える方が妥当なようです。
C筑後型のプロトタイプと位置づけている様式です。高良大社をはじめ宮陣神社玉垂宮@
日吉神社A
など、久留米周辺に分布しており、筑後型の発生を考える上で貴重な資料群です。


白山(はくさん)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.04




@





A





B








C↓D↓↓





E
hisaLinさんのコメント:唐津から204号線を走ったとき、立ち寄りました。階段の登り口に、@奉納した年代の違う唐津型1対、A両方とも角のある1対(博多の櫛田神社とはちょっと違いますが)、B拝殿前に古そうな狛犬1対ありました。C〜E拝殿の裏にその他色々な狛犬さん達がいました。
(佐賀県東松浦郡玄海町値賀川内)
狛太郎のひとこと:白山神社は佐賀県内ではあまり馴染みがありませんが、全国的には3千もの分社を持つ一大勢力です。しかしその祭神の菊理姫(くくりひめ)は、神話の一場面に登場して、何か重要な役割を果たしたらしく見えるものの、事績は全く伝わらない「埋没神」です。
@唐津型の中に、大玉取りのスタイルのものが散在します(若宮神社など)。この様式では砥川の平川伊三(烏森稲荷神社乙宮神社など)が第一人者ですが、唐津周辺のものは伊三の作品ではありません。この特異な様式の源流を知りたいと願っているのですが、未解明です。
Aやはり唐津型ですが、アウンとも巨大な角を有しているのは異例です。こうした例は唐津型では他に見当たりませんし、狛犬全体の中でも稀です。また、肩周辺に体毛の表現と思われる凹凸があるのも、唐津型としては珍しいといえます。通常はこの部分は平らに加工されています。
B風化のため明確ではありませんが、長い垂耳や顔の向き、体型などから、塩田型ではないかと想像します。足下の盤を平らに加工せず、自然石風に仕上げているのも独特です。
CDE系統不明の一群です。DとEは加工度合いが低く、獅子型完成以前のものと思われます。さりとて肥前狛犬よりは技術的に向上しているようであり、過渡期のものと考えられます。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.05
hisaLinさんのコメント:田川から北九州方面を走ったとき、立ち寄りました。福岡市ではあまり見られない犬歯?が印象的な狛犬さんが2対いました。
(福岡県田川郡糸田町3243)
狛太郎のひとこと:田川市郡は北九州工業地帯への石炭供給を通じて、北九州市とは強いつながりがありました。そのせいか、狛犬はその方面のものと、材質、意匠とも似通っているように見えます。ただし田川市郡のサンプルとしてはまだ4社目であり、即断はできません。
(上段)花崗岩らしき白っぽい石は、北九州方面で一般的な材質です。固い石なので昔のものは彫りが浅く、装飾性は高くありませんでした。これは工具が発達してからの作品と思われ、各パーツはしっかり彫刻されています。ずんぐりした体型ですが、愛嬌のある表情をしています。
(下段)上のものと同じ材質で、意匠も似通っています。牙の上下を噛み合わせてつないでいるのは強度保持のための工夫で、その点も上と同じです。また、ともに大きなドングリまなこに特徴があり、温かみのある雰囲気を漂わせています。小さな玉を踏む姿もキュートです。


美奈宜(みなぎ)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.06
hisaLinさんのコメント:朝倉から日田方面に行ったとき、立ち寄りました。神社のある場所は、漢字は違いますが「三奈木」という地名の近くにある神社で、筑後型の狛犬さんが2対いました。
(福岡県朝倉市荷原2421番)
狛太郎のひとこと:佐田川が扇状地に流れ出す「水口」を祀ったものとされ、仁徳天皇の御代(4世紀)に創建したと伝えられる古社です。延喜式に登載された「式内社」であり、天照大神など3柱を祀っています。鎮座地は昔の三奈木村であり、その旧字が美奈宜である由です。
(上段)逞しい五体の朝倉風筑後型です。筑後型の本家の久留米から離れるに従って、次第に姿を変えることは他の例(諏訪宮・上段など)でも見られますが、朝倉風もそのひとつであり、本家が門歯列であるのに対してこれは鋸歯列に変化しています(阿蘇神社・上段など)。
(下段)これも筑後型ですが、本家からの変化型ではなく、筑後型のプロトタイプと目されるものです。久留米やそれ以外の地域でも数多く見ることができ、それらの例は大原八幡宮Cで紹介した通りです。筑後型が早くから筑後平野全般に分布していたことを知ることができます。


味噌天神宮(みそ・てんじんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.06.07
hisaLinさんのコメント:八代市から熊本市までサイクリングした時立ち寄りましたが、小さな神社でした。熊本風には見えませんでしたが、存在感のある狛犬さんがいました。
(熊本県熊本市大江本町)
狛太郎のひとこと:和銅6(713)年に医薬の祖神「御祖(みそ)」、あるいは神の着衣である「御衣(みそ)」を祀ったと伝えられる古社です。その後、腐った味噌が当社の霊験で復活したという話が生じ、「味噌」の字が当てられるようになったようです。正式名称は本村神社といいます。
狛犬は前肢が体部の中央付近から出て、斜め前に伸びる独特の構図です。この形とスリムな体つきによって、柔らかく婉然とした風情が醸し出されています。アゴヒゲの特徴と細かい歯列によって、熊本狛犬であるらしく思われますが、その中でも特異な部類であるようです。


高鴨(たかがも)神社

提供者:TAKOさん
10.06.08
TAKOさんのコメント:JR四国予土線出目駅東、約1km。「明治三十二(1899)年三月。石工・当村水野力松、近永酒井定吉、吉田町浅野熊治郎」。石工業界のトップランナーとして招かれたのか、師弟関係なのか、連名はめずらしいと思います。他にもあるのでしょうか?  
(愛媛県北宇和郡鬼北町興野々)
狛太郎のひとこと:予土線は四万十川の上流域を走る山間の鉄道です。四万十川は上流域では広見川と呼ばれており、当社はその広見川のほとりに鎮座しています。祭神から察するに奈良県の高鴨神社の分社と思われるものの、当社の社伝では別の由緒が説明されています。
狛犬は尾道型のうちの南予型(高田八幡神社下段熊野神社など)です。長大な牙と大きく鋭い目が特徴ながら、その姿にはどことなく温かみがあります。連名の石工はみな近隣住民なので、師弟か兄弟弟子と推察します。2人連名は佐賀でも幾つかありますが、3人は初めてです。


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