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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
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写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


五社(ごしゃ)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.10
hisaLinさんのコメント:柳川市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。2対の違った狛犬さんと、陶器製の狛犬さんがいました。
(福岡県柳川市三橋町蒲船津)
狛太郎のひとこと:三橋といい蒲船津といい、縦横に巡る水路を彷彿させ、水郷柳川らしい地名です。この蒲船津には、戦国時代に筑後を領した蒲池氏の居城がありましたが、肥前の龍造寺氏に敗れ城も滅亡しました。駆けめぐる武士達の姿を映した水面も、今は穏やかです。
(上段)熊野神社下段と同タイプで、塩田型の変種とおぼしきものです。髪は多数の渦と毛束で構成され、尾も太く量感が豊かです。このタイプは隣の大川市にもいくつか存在しています。
塩田型との比較については、高良神社の項で解説を試みていますので、ご覧ください。
(中段)系統はよく分かりませんが、三頭身で素朴な感じです。目立った特色はなく控えめな意匠ですが、よく見るとヒゲや髪、また体部の肉付きなどしっかりした彫りが施されています。
(下段)タイプは異なりますが、派手な色使いの彩色や、体部に分布する経巻渦の意匠など、同じ柳川の手掘神社のものと共通するものがあります。鉢巻のような眉がユニークです。


綱分(つなわき)八幡宮

提供者:hisaLinさん
10.06.11
hisaLinさんのコメント:柳川市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。この辺りでよく遭遇する狛犬さん2対いました。
(福岡県飯塚市綱分866-1)
狛太郎のひとこと:当地はかつての嘉穂郡庄内町です。06年に穂波町、筑穂町などとともに新飯塚市となり、これらの馴染み深かった地名も消滅してしまいました。飯塚は神功皇后伝説の強く残る地で、当社も皇后凱旋の帰途、報賽のためここに神を祀ったのが始まりとされます。
(上段)頭頂が平たく、眉と耳のラインがつながってヘルメットをかぶったように見える形は、北九州市周辺(菅原神社上段春日神社Aなど)で多く見られる特徴です。素材が固い花崗岩なので、彫りがやや浅いのが通例ですが、この作品は比較的良く彫り込まれています。
(下段)こちらは朝倉周辺に見られるタイプと同型と考えてよさそうです。そのタイプの例としては、濱生神社垂裕神社竹生嶋神社大己貴神社などかなりの数が存在します。その中心は恐らく朝倉市と想像するものの確証がなく、まだ「朝倉型」と呼ぶには躊躇いがあります。


市武(いちたけ)天満宮

提供者:hisaLinさん
10.06.12
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
神社が改築されたみたいで綺麗になってました。改築のせいかわかりませんが、相方のいない狛犬さんがいました。
(佐賀県三養基郡みやき町市武)
狛太郎のひとこと:ここは旧三養基郡三根町であり、役場などが集中する町の中心部でした。
05年に中原町、北茂安町と合併してみやき町となり三根町も消滅しましたが、「い草」の産地として県内ではよく知られた町です。町の南を筑後川が流れ、隣県福岡との県境をなしています。
狛犬は側面観が四分の一円をなす、典型的な肥前狛犬です。デザインも彫刻技術も未発達ですが、大胆な省略とデフォルメに独特の存在感があります。狛犬の石造化開始時代の姿を残す貴重な資料です。残念ながら、長い時の経過の中で、相方は失われてしまったようです。


志式(ししき)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.14
hisaLinさんのコメント:志賀島、新宮周辺をポタリングした時、立ち寄りました。神社の裏が海岸になっていて、波の音が聞こえてました。
(福岡県福岡市東区奈多字宮山1236番)
狛太郎のひとこと:志賀島に向かう「海の中道」に鎮座しています。社名からみて、平戸市の式内社「志志岐神社」や、新上五島町の「志自岐羽黒神社」などと関連がありそうで、実際に、十城別王が共通の祭神です。またいずれも海辺に鎮座しており、海人族の関与が考えられます。
狛犬は肥満体で顔が大きく、どっしりした風格は力士のようです。体つきや板状のアゴヒゲの形が五所八幡宮に似ています。やや開き気味に立つ前肢のスタンスや、飾り毛がくるぶしを覆うような後肢の意匠も共通であり、地理的にも近いことから、同系の可能性が高いと思われます。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.06.15
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。筑後型の狛犬さんと、楼門内にひょうきん顔の狛犬さんがいました。
(福岡県久留米市城島町大依)
狛太郎のひとこと:城島町は筑後川に沿って位置する県境の町であり、酒どころとして江戸時代から知られていました。05年に久留米市と合併して行政区分としての城島町は消滅しましたが、現在でも酒造業は盛んで、酒産地としての「城島町」の名は依然健在です。
(上段)筑後型ではありますが、個性が強調された作品です。歯は鋸歯列とし、口の周りにはびっしりとヒゲを配しました。もともと逞しさが特徴の筑後型に、デフォルメを重ねることによって、その個性をさらに際立たせるよう意図した意匠です。佐賀県上峰町の天満宮と同タイプです。
(下段)木造か塑像かは分かりませんが、狛犬としてはかなり異例な造形です。猛々しい乱杭歯や見開いた目は、シーサーに似ているようにも思われます。赤と青に塗り分けられた姿は赤鬼青鬼を彷彿させますが、必ずしも威圧感はなく、むしろ親しみやすい表情と言えそうです。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.16
hisaLinさんのコメント:鳥栖市周辺をポタリングしたとき立ち寄りましたが、この辺りは筑後型が多いですネ。
(佐賀県鳥栖市飯田町169番)
狛太郎のひとこと:鳥栖市は隣接する福岡県筑後地方とは生活面経済面における一体性が強く、そうしたことから狛犬も筑後型が主流です。また大宰府天満宮領(安楽寺領)を擁していたため、信仰面では天満宮系の神社が圧倒的多数であり、安楽寺という地名も残されています。
典型的な筑後型です。厳めしい顔立ちと、全身にまとった隆々たる筋肉が筑後型の特徴です。多くは耳型、髪型、角などでアウン造り分けており、この作品でもウンには立派な角が施されています。髪の毛筋を省略したものも多い中、ここでは粗いながらも毛筋が付けられています。


湯江温泉(ゆえ・おんせん)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.17
hisaLinさんのコメント:島原半島一周サイクリングした時立ち寄りましたが、なんと尾道型?のしかも尾っぽが頭に付いた狛犬さんがいました。
(長崎県島原市有明町湯江甲1006)
狛太郎のひとこと:有明海を包むように張り出した、島原半島の北端近くに鎮座しています。
ここでは村ごとに雲仙の温泉神社の分社が祀られていた由ですが、当社もその一つです。
祭神は九州各国の国魂を指すという、白日別命、豊日別命、豊久士比泥別命など5柱です。
狛犬は尾道型です。中国四国の瀬戸内海沿岸地方に多く分布しており、アウンとも巨大な玉に前肢を掛けて半ば立ち上がった体勢を取るものが殆どです。それらのうち尾の尖端が後頭部に接する独特なデザインのものがあり(波賀部神社阿智神社など)、これもその一つです。


八代妙見宮(やつしろ・みょうけんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.06.18
hisaLinさんのコメント:八代から熊本までサイクリングした時立ち寄りましたが、福岡にある櫛田神社(最下段右)の狛犬さんに似た1対と、熊本風?の狛犬さんがいました。
(熊本県八代市妙見町405)
狛太郎のひとこと:正式名称は八代神社というようです。妙見菩薩は北極星または北斗七星を象徴する仏で、本地垂迹説においては天御中主神(あめのみなかぬし)ともされます。上中下の3宮で成り、当社はその下宮です。下宮は文治2(1186)年に創建されたと伝えられます。
(上段)宋風狛犬と呼ばれるタイプで、モデルは東大寺南大門のものとされます。瓔珞を着けて胸を張る姿がエキゾチックかつ豪快であり、多くのオマージュが造られています。どちらかというと、フォーマルな感じの神社で多くみかけます(靖国神社上左比賣許曾神社上右など)。
(下段)パーツの細かいところまで良く彫り込まれています。系統はよく分かりませんが、ふさふさした豊かなヒゲは、やはり熊本風のように見受けられます。豪華な尾の意匠をはじめ、前肢の飾り毛なども凝っており、さらに手前側の前肢を少し引いて像全体に動きを与えています。


宝満宮(ほうまん・ぐう)

提供者:hisaLinさん
10.06.19
hisaLinさんのコメント:前原周辺を走ったとき、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける狛犬さんがいました。
(福岡県糸島市大字蔵持)
狛太郎のひとこと:糸島市は今年1月、前原市、二丈町、志摩町が合併して誕生した新しい市です。古代の伊都国の版図が含まれており、歴史も文化財も豊かな地域です。旧前原市は雷山経由で佐賀県とのつながりも深く、また福岡から唐津への街道の宿場町として栄えました。
狛犬はこの地域ではお馴染みのタイプです。先が尖って張り出す耳、アーモンド状でヒトミのある目、凝った唇の形など見どころが多く、装飾性に優れています。旧前原市域に多く見られるので、今後は「前原型」と呼ぶことにします。(加布里天満宮B託社神社下段三坂神社など)


矢倉(やぐら)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.21




@





A





B
hisaLinさんのコメント:久留米から耳納連山沿いの道を、吉井まで走ったとき立ち寄りました。3対の筑後型の狛犬さんがいました。
(福岡県久留米市田主丸町益生田1421番)
狛太郎のひとこと:耳納連山北麓には久留米−日田間の街道が通り、また筑後川が形成する筑紫平野は、古来生産力が豊かで早くから人の集住する地でした。6世紀には盛んに古墳が築かれ、中でも田主丸大塚古墳は全長100m以上、筑後川流域最大の前方後円墳です。
@3対の中で一番新しいと思われ、ヒゲ、髪、尾には丁寧な毛筋が付けられています。
明治以降の作品のようであり、工具や技法の発達に見合った高度な装飾が施されています。
A上段よりは古そうな作品です。風化によるものなのか、全体に彫りが浅く、平板な印象を受けます。顔立ちは素朴で髪の毛筋も省略されていますが、筑後型らしさは備えています。
Bこれが最も古いようです。現在の筑後型が確立した1800年代初期の作品と思われますが、体型がやや細目である以外は、この型の基本的な特徴は既に備えています。髪の渦は螺旋渦で、毛筋はありません。足位置をアウンで違えるなど、凝った演出も見せています。


金富(きんどみ)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.22




@





A
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋方面までサイクリングした時、立ち寄りました。飯塚辺りでみる倒立と直立のタイプと、顔が違う狛犬さんともう一対の狛犬さんがいました。
(福岡県築上郡築上町湊)
狛太郎のひとこと:神亀2(725)年に宇佐八幡宮を造営するにあたり、神託によって祭神が事前に当社に勧請されたと伝えられることから、宇佐の「元宮」とも称する古社です。初め矢幡八幡と称し、次いで湊八幡、絹富八幡と改称、江戸期の金富八幡を経て現社名に至った由です。
@直立と倒立というスタイルは、飯塚市(大分八幡宮天道宮)や岡垣町(伊豆神社)、鞍手町(十六神社)をはじめ、福岡県北部に多く見られるモチーフです。しかしこの狛犬はそれらとは大いに趣を異にしており、島原市の猛島神社八幡神社霊丘神社などと同類のようです。
Aアウンとも大玉取りですが、尾道型とは異なり地元産のようです。大きな玉を真球に仕上げるのはなかなか難しいらしく、尾道型の場合でも少し(またはかなり)いびつなものが多いのに対し、この作品ではきれいな真球に造られています。顔面や体部の造りも丁寧です。


倉岡(くらおか)神社

提供者:みずさん
10.06.24
みずさんのコメント:仕事の関係で行った、城原川上流の倉谷地区に神社があり、わんこを見つけたので写真を添付いたします。
(佐賀県神埼市脊振町広滝3435番)
狛太郎のひとこと:景行天皇が西国巡狩の際、当地に立ち寄り倉を建てたと伝承されています。これは「倉谷」という地名の起源説話でしょう。また近隣の村に大蛇が出て人を害していたのを天皇が退治、喜んだ村人が倉の場所に素盞鳴尊を祀ったのが当社の始まりとされます。
狛犬は塩田型の蹲踞です。見開いた目とくっきりした瞼が愛らしく、体型のバランスも良くて、全体に整った印象です。髪や尾に施された緻密な毛筋は、全く乱れのない美しい弧を描いています。また尾は塩田型らしく太く豪華に飾られ、この型としては珍しい逆R字に造られています。


弓頭(ゆがしら)神社

提供者:hisaLinさん
10.06.28




@





A





B
hisaLinさんのコメント:柳川から久留米方面をサイクリングした時、立ち寄りました。2対の筑後型と、もう一対、威嚇してる感じの狛犬さんがいました。
(福岡県久留米市三潴町高三潴)
狛太郎のひとこと:祭神の国乳別命(くにちわけみこと)は景行天皇の御子で、ヤマト王権時代に三潴(みずま)一帯を支配した水沼君(みぬまのきみ)の祖とされます。社名は国乳別命が、神功皇后の外征に弓頭(弓大将)として従軍したという故事に由来するものと思われます。
@筑後型の一つの派生型で、朝倉市周辺に多く見られるタイプです。筑後型との違いはほとんどありませんが、本場の筑後型が門歯列であるのに対して、この型では鋸歯列になっています(阿蘇神社上段筑紫神社Bなど)。筑後型の伝播を考える上で重要な標本です。
Aこちらは筑後型の典型例といえるタイプです。アウンは垂耳と立耳に造り分けられており、髪も巻毛と直毛に造り分けられているように見えます。歯列は伝統的な門歯列です。
Bアウンとも出雲式の体勢ですが、本場のものではありません。同じモチーフのものは、松尾神社蒲生八幡宮上段八坂神社@八幡宮下段など各地で見られますが、それぞれその地域で構想された独自のもののようであり、統一的な様式性はありません。


玉垂(たまたれ)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.03




@




A






B
hisaLinさんのコメント:日田をサイクリングした時、立ち寄ったんですが、2対の筑後型?の狛犬さんと、もう1対狛犬さんがいました。
(大分県日田市大字十二町583番地)
狛太郎のひとこと:久留米市の高良大社と関連があります。高良大社の祭神は高良玉垂命で、当社の祭神は武内宿禰ですが、この2神は同神との説があるからです。高良信仰は筑後地方に広く普及していますが、筑後川を遡って日田地方にまで及んでいたことになります。
@ずんぐりした体型と大きな顔面は確かに筑後型を思わせますが、それ以外の部分では必ずしも似ているとは言い切れません。アウンの造り分けもなさそうですし、髪型も異なります。ただ前肢を前後に少しずらす足位置は、筑後型の影響を受けているようにも見受けられます。
A@より更にずんぐりした肥満短躯の体型です。しかしこの二つは、口の形や渦、尾の造りが似ており、同系とみてよさそうです。また、どちらも目にマブタが表現されているようです。細かい歯列がびっしり並んでいる様子は、熊本狛犬に似ているようにも見えます。
B各地で造られている地元産出雲式(弓頭神社下段松尾神社蒲生八幡宮上段など)の一つです。上の二つとは体勢は異なりますが、目にマブタがあることや髪の渦の様子など似た点もあります。胴部のアバラや後肢の骨格・筋肉などが、生物的なリアリティを高めています。


産土(うぶすな)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.04
hisaLinさんのコメント:国東半島一周したとき、立ち寄りました。神社とお寺が合体したようなところの前に、出雲型?の狛犬さんがいました。
(大分県豊後高田市呉崎)
狛太郎のひとこと:血縁集団を代表する「氏神」に対し、地縁集団の神が産土神です。従って、各地の産土神社の祭神はまちまちです。この呉崎の地は周防灘干拓の町であり、各地から様々な出自の開拓農民が移住したので、氏神より産土神が求められたと思われます。
狛犬は出雲型の蹲踞です。出雲狛犬の素材は宍道湖畔に産する砂岩系の「来待石」で、精細な加工が可能な反面、耐久性には乏しいという特徴を持っています。小さな子獅子にこれだけの細工が施されているのを見ても、新しかったときの美しさが想像できるというものです。


素盞鳴(すさのお)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.05
hisaLinさんのコメント:小郡を散策したとき、カエル寺で有名な如意輪寺の近くにあった神社です。筑後型風の狛犬さんがいました。
(福岡県小郡市横隈)
狛太郎のひとこと:小郡市は筑紫平野の北部に位置し、「筑後地方」としては最北端となります。当地の七夕祭の原型らしき記事が「肥前風土記」に採録されており、8世紀初頭には既に知名度のある集落であったことが分かります。大宰府への要路として古くから開けていました。
狛犬は筑後型のバリアントのようです。典型例とはかなり違っていますが、同じ筑後地方でも中心地の久留米からは最も遠く離れているため、変化の度合いも大きいのだと思われます。マブタのある大きな目がカエルのようであり、近くのカエル寺にあってもおかしくない顔立ちです。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.06
hisaLinさんのコメント:柳川周辺を走ってたら、だいぶ朽ち果てた神社があり、楼門内に相方のいない肥前狛犬がポツンといました。
(福岡県柳川市大和町豊原)
狛太郎のひとこと:筑後地方、とりわけ柳川市は大川市とともに、歴史上も現代の生活圏としても、佐賀県とのつながりが非常に強いところです。それは狛犬の傾向にもよく現れており、佐賀で発祥した肥前狛犬がこの両地域でも多く見られるという事実がそれを裏付けています。
風化により詳細は不明ですが、前肢間と腹下を彫り残しており、また顔の造作が頭部上面に集中していたことがうっすらと見て取れ、こうした顕著な特徴から、肥前狛犬に相違ありません。
しかし肥前産なのか、それとも当地産なのかは、この状態からは何とも判断がつきかねます。


二本樹(にほんぎ)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.07
hisaLinさんのコメント:八代から熊本まで走り、市内散策してたとき立ち寄りました。小さな神社でしたが立派な尾を付けた狛犬さんがいました
(熊本県熊本市二本木三丁目3番5)
狛太郎のひとこと:仁和3(887)年に「遙拝大明神社」として創建されたという古社で、阿蘇の神々を祀っています。当地は肥後国府があったところなので、多忙な国司が役所の近くに遙拝所を設けたのではないかと考えられます。明治39年、地名にちなみ現社名に改称しました。
熊本の狛犬は一般に尾が豪華ですが、この狛犬の尾は特に巨大です。しかも体から離れているので、強度の面が心配になるほどです。密なアゴヒゲも熊本では一般的です。ただ、前肢の関節風の隆帯はほかでは見られず、大浦阿蘇神社中段御領神社に類例があるのみです。


波多江(はたえ)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.08
hisaLinさんのコメント:糸島市(旧前原市)をぶらっとポタリングした時立ち寄りましたが、このあたりでよく見かける狛犬さんがいました。
(福岡県糸島市波多江348-1)
狛太郎のひとこと:当社の祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)といい、国土の土台を支えるとされる神です。天地開闢の時に現れた七神中の1柱で、記紀ともに別格の扱いになっていますが、具体的神話は伴っていません。多分に象徴的意味合いの大きな神格といえます。
狛犬は前原型です。それも、最も基本的なモデルといえると思います。横に張り出す耳、整った体型、美しいラインを描く髪の流れなど、ひとつの完成された様式ということができます。またウンは小玉を踏んでいるのが一般的で、ちょっとしたアクセントにも心配りが行き届いています。


大西(おおにし)神社

提供者:TAKOさん
10.07.09



大西神社




(参考)八幡神社
TAKOさんのコメント: 大西神社の狛犬は、川之江近辺で多く見られる狛犬です。
顔が判りにくいと思い、近くの八幡宮(にある)コピー作品(下段)も添付しました。
八幡宮のほうがすこし体格を良くしているように感じられます。
変化は有りますが、古い狛犬が受け継がれて生き残ることはいいと思います。
上段:大西神社「明治十七(1884)年一月。東伊豫川之江石工・泉屋清兵衛義重」
下段:(参考)八幡宮(愛媛県四国中央市金生町下分大道)「平成十九(2007)年九月」
(愛媛県四国中央市金田町金川)
狛太郎のひとこと:天正5(1577)年に長宗我部氏に討たれた白地城主、大西備中守元武の霊を祀っています。白地城は四国島四ヶ国に通じる要衝にあり、この金田町とも街道でつながっています。四国の覇者となった長宗我部氏でしたが、その後秀吉によって滅亡してしまいました。
(上段)尾道型ですが、標準型とはかなり趣を異にします。体格やや豊満で、顔立ちも峻厳さが幾分和らいだ印象です。大腿部の渦か筋肉と思われる突起は、出雲型の蹲踞に似ています。
大玉にも緻密な彫刻が配されており、手仕事としては最高レベルの技術といえそうです。
(下段)参考作品としてつけていただいた、近くの八幡宮の新作です。(上段)のコピーには違いないものの、最近の味気ない海外産とは一線を画するものです。伝統が守られていることに安堵感を抱きました。モデルになった狛犬の、往年の勇姿を思い描くのに十分な出来映えです。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.12
hisaLinさんのコメント:糸島半島をサイクリングした時、立ち寄りました。小高い丘に神社があり、周辺に元冠防塁跡みたいなのがありました。糸島周辺で見かける狛犬さんと系統が違う、一対の狛犬さんがいました。
(福岡県福岡市西区横浜二丁目39番1号)
狛太郎のひとこと:鎮座地は糸島半島東端の小高い山上です。ここには弥生前期〜中期にかけて、石斧を生産した「今山遺跡」があり、その石斧は九州北部各県に行き渡っていたといいます。この生産力や交易技術が、のちに「伊都国」となるべき原動力となったかもしれません。
狛犬は肩の筋肉の盛り上がりや髪の一部など前原型に似た点もありますが、全体の印象は全く異なります。太い眉と窪んだ目に凄味があり、顔の表情がリアルです。楊枝をくわえたような、ウンの長い牙も目を引きます。なお、足元の盤は台座にはめ込み式になっているようです。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.13
hisaLinさんのコメント:白糸分校の近くにあった神社に、阿吽別じゃないかと思われる狛犬がいました。
(福岡県糸島市白糸)
狛太郎のひとこと:旧前原市内を潤して玄界灘に注ぐ長野川の最上流域であり、佐賀県との県境も間近な山間部に鎮座します。長野峠を経由した糸島と佐賀の交流については、この地域に肥前狛犬が多数存在することからも明白です。(託社神社上段荻浦神社加布里天満宮@
狛犬は前原型です。ただしウン像が古く、ア像は後年の補作です。ウンは前原型の特徴を既に持っており、本作品の年代が分かれば前原型の成立年代も推定できるはずです。アが補作であることの確証は、奥側の足下を彫り残すという珍しい技法をも忠実に再現していることです。


高宮八幡宮(たかみや・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.07.14
hisaLinさんのコメント:福岡市内をポタリングした時、立ち寄りました。福岡でよく見かける狛犬さんがいました。
(福岡県福岡市南区高宮4丁目9-34)
狛太郎のひとこと:天智天皇が当地に行幸して神を祀ったのが創祀とされます。天皇は友好国の百済が滅亡したため、その復興支援のため朝鮮に出兵しましたが、白村江で唐・新羅軍に敗れました(663)。この時の軍の動員と指揮のため、天皇は当地に滞在されていたのです。
狛犬はどこかで見かけたようなタイプではありますが、一々比較してみると、どれともあまり似ていません。ではとても個性的かというと、そうではないところが逆にこの狛犬の特徴なのかも知れません。強いて言えば五所八幡宮に似た印象はありますが、恐らく他人の空似です。


三島(みしま)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.15
hisaLinさんのコメント:唐津から204号線を走ったとき、立ち寄りました。ここの神社は仮屋湾に沿いに建っていました。1対の唐津型の狛犬さん(上段)と、階段脇に唐津型と違う狛犬さん(下段)がいました。
(佐賀県東松浦郡玄海町大字石田)
狛太郎のひとこと:東松浦半島の西側一帯は自然景観に恵まれ、サイクリングにも好適な地域ですね。三島神社のある三島は陸地から目と鼻の先ですが、昔は離島でした。今は橋により陸続きになっています。ここには温泉施設もあり、家族連れで楽しめる公園になっています。
(上段)きりっとした表情の唐津型です。アの顔面は残念ながら破損していますが、ウンの表情によって往年の面影を偲ぶことができます。尾の毛筋は深くシャープな線で構成されています。唐津型には玉取りが多い中、これは虚飾を排するように質実な風情に仕上がっています。
(下段)突き出した口吻に特徴があり、丸く盛り上がった尾の形も独特です。全体に加工の程度は小さく、素朴な印象です。唐津石工発祥の地の値賀に近いという場所柄を考えると、やはり唐津石工の作品と見るのが妥当でしょう。あるいは唐津型以前のタイプかも知れません。


社名非公開U-2

提供者:hisaLinさん
10.07.16
hisaLinさんのコメント:肥前狛犬の1対です。狛太郎さんが『社名非公開U(千代田町内)』とされてるのと同じだったら住所等は伏せて構いません。
(佐賀県神埼市千代田町)
狛太郎のひとこと:右は私がアップしたものと同じものです。左はそれより古く、この一組は本来の一対ではありません。右のものは頭部が小さく、全身のプロポーションがよく整っています。
この優美さ故に、出来心を誘わないとも限りませんので、今回も非公開とさせて頂きました。


菅原(すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.18
hisaLinさんのコメント:門司港から水巻駅までサイクリングした時、立ち寄りました。近所には旦過市場があり買い物する人、観光する人達で賑やかでした。ココの神社は派手な造りでしたが、狛犬さんは至って小柄で派手さはありませんでした。
(福岡県北九州市小倉北区古船場町1-6)
狛太郎のひとこと:菅原道真が九州に下向の途次、神嶽川のほとりの当地で休息を取りました。延喜3(903)年に公が没すると、人々が威徳を偲んでここに一祠を建て、祀ったのが始まりとされます。「北九州の台所」として有名な旦過市場の原点は、神嶽川の魚の荷揚場でした。
狛犬は変わった風貌をしています。大きく下方に曲がって「へ」の字を描く口角は他に例がないほどですし、頭上の突起には毛筋らしいものがあって、これが角ではなく「髪型」だとすれば、これもまた珍奇です。中国獅子のような雰囲気もありますが、そう断定する材料もありません。


御子(みこ)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.19
hisaLinさんのコメント:福岡市内をポタリングした時立ち寄りました。
眉毛が際立つ狛犬さんがいました。
(福岡県福岡市城南区樋井川3-43-17)
狛太郎のひとこと:当社は油山に源を発して百道で玄界灘に注ぐ樋井川のほとりに鎮座し、安徳天皇を祀っています。安徳帝は源平合戦における壇ノ浦の戦いのおり、最後を決意した二位の尼に抱かれて入水、わずか5歳で薨去した悲劇の幼帝です。寿永4(1185)年のことでした。
狛犬は眉が太く、目にはヒトミが彫られています。また口中には玉を噛んでおり、これらの点が高宮八幡宮のものに良く似ています。大腿部が扁平に造られているのは、原石の大きさをいっぱいに使う工夫かと思われます。前肢の付け根の位置と体型は熊本狛犬にも似ています。


菅原(すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.20
hisaLinさんのコメント:神埼駅から大善寺、久留米方面に向けて走ったとき立ち寄りました。この辺りで見かける狛犬さん1対がいました。
(佐賀県神埼市千代田町柳島)
狛太郎のひとこと:この狛犬は私も「菅原神社(大島)」としてアップしているのですが、塩田型の傑作の一つです。盤を含めて約90aあり県内の狛犬としては大柄な部類ですが、岩に配された華麗な牡丹花や、豊かな尾に刻まれた整然とした毛筋など、細部にまで神経の行き届いた仕事ぶりです。銘は「塩田石工・筒井覺兵衛、照政」とあり、親子の共作と思われます。


彦山(ひこさん)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.21
hisaLinさんのコメント:神埼駅から久留米方面に向けて走ったとき、立ち寄りました。下田大橋の近くの神社で、3対の異なった筑後型タイプ?の狛犬さんがいました
(福岡県久留米市城島町下田)
狛太郎のひとこと:下田地区は筑後川を越えて、佐賀県側に深く入り込んだ福岡県の領域です。ここは交易の拠点として古代からの要地で、堤氏が治める下田城がありました。のち大分の大友氏と肥前の龍造寺氏による覇権争奪戦に翻弄され、やがて城も滅亡してしまいました。
(上段)全体像は筑後型に違いありませんが、典型例に少し変化が加わって、独特の風貌を呈しています。目立つのは口の周りのヒゲで、粗めの筋を付けた剛毛風に造られています。
祇園神社上段
と同類であり、また天満宮若宮八幡神社御嶽神社にも類例があります。
(中段・下段)筑後型のプロトタイプであり、筑後地方を中心に比較的多く見ることができます(美奈宜神社下段玉垂宮@天満神社下段宮陣神社など)。のちの筑後型に比べるとずっと細身ですが、歯列や口、鼻の形などにその片鱗が現れています。


白山(はくさん)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.22
hisaLinさんのコメント:飯塚方面をポタリングした時、後藤寺線沿いにあった神社です。このあたりでよく見るポーズの狛犬さんと、筑後型らしき狛犬さんがいました。
(福岡県飯塚市上三緒字馬場)
狛太郎のひとこと:江戸中期に当地に鎮座した神社で、「上三緒の獅子舞」を伝承しています。この獅子舞の由緒は不詳ながら、旧庄内町の綱分八幡宮から伝わったものである由です。
(上段)飯塚周辺には「倒立と直立」、「倒立と出雲式」など変則スタイルの狛犬が多数存在します(大分八幡宮天道宮椿八幡宮など)。これら「変わり狛犬」のルーツを知りたいところですが、今のところ不明です。当社のものは、その中でも特に美麗な彫刻が施されています。
(下段)筑後型に似ていなくもありませんが、相違点の方が多いように思います。垂れた耳が顔の輪郭線のように見えるのは北九州の狛犬に見られる特徴です(東大野八幡宮各段)が、そのものではありません。結局、色々な要素が混じった折衷型というべきものかもしれません。


稲荷(いなり)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.24
hisaLinさんのコメント:島原半島一周サイクリングした時、立ち寄りました。眼が印象的な狛犬がいました。近所の高城(こじろ)神社の狛犬さんも結構ユニークでしたが、こっちも負けず劣らずユニークでした。
(長崎県島原市津吹町)
狛太郎のひとこと:島原市の狛犬は、非常にユニークなものが多いようです。しかもバラエティに富み、石工が腕を競うように独自な作品を輩出しているように見えます。これらにはどうやら2通りの系統があり、霊丘神社に代表される妖しくも美しいシュールな一群(猛島神社八幡神社)と、もう一つは高城神社や当社のような、思わず吹き出したくなる奔放な作風の一群です。


稲荷(いなり)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.25




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:田川駅から水巻駅までサイクリングした時立ち寄りましたが、4対の個性的な狛犬がいました。
(福岡県田川郡福智町金田405番)
狛太郎のひとこと:06年に金田町・赤池町・方城町が合併して福智町が誕生しました。高度成長期のエネルギー転換による産炭地衰退の渦中で、旧3町とも財政再建団体に転落するという厳しい経験を抱えています。しかし各町とも、その後立派に再建を果たして合併に至りました。
@四肢の長いスマートな尾道型です。広島県尾道市が発祥とされ、中国四国の瀬戸内海沿岸地方に多く分布しています。巨大な玉が特徴で、概ね顔つきは厳しく、痩身で剽悍な印象のものが一般的です。派生型の一つに南予型があります(熊野神社高田八幡神社下段など)。
A柳川市の一群(天満宮風浪宮上段天満神社下段など)に良く似ています。顔立ち体つきだけでなく、前肢関節裏の丸い飾り毛も共通であり、柳川石工の作に間違いなさそうです。
Bよく彫り込まれた手仕事感の漂う一品です。特に、ウンの丸い目と笑顔にも見える口の形には、親近感を覚えます。この作品の隠れた見どころは、盤からはみ出した前肢の位置です。
狛犬本体を大きく、躍動的に見せることができるよう、足元にも気を配っているのです。
C飾り気の少ない古風なデザインでありながら、しっかりした存在感を保っています。雷文のような渦型の眉と、大きくてヒトミのある目が力強く、印象的です。またアの巨大な口も独特です。


古賀(こが)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.26
hisaLinさんのコメント:古賀市周辺を走った時、立ち寄りました。眼が印象的な狛犬がいました。
(福岡県古賀市駅東二丁目2番1号)
狛太郎のひとこと:古賀市の前身は旧糟屋郡古賀町でした。糟屋という地名は相当に古く、磐井の乱(527)の戦後処理として、磐井の子息の葛子が糟屋の屯倉をヤマト王権へ献上したとあることから、6世紀にはこの地域は開発の進んだ先進地であったことがうかがわれます。
狛犬は顔面の趣向に重点が置かれ、体部や尾はざっくりした造りになっています。眉・目・歯並はそれぞれ力強くかつ丁寧に刻出され、特に突出した眼球は炯々たる光を放っています。目の造りは二段重ねになっており、この工夫が強烈な眼光の表現に役立っているようです。


春日(かすが)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.29




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:田川駅から水巻駅までサイクリングした時立ち寄りましたが、4対の狛犬がいました。
(福岡県田川市宮尾町6-13)
狛太郎のひとこと:弓造りを専担した古代氏族に弓削氏があり、当社はその祖神を祀っていました。その後宝亀6(775)年、弓削塩麿が豊前守として赴任したとき、その氏神の天児屋根尊などを勧請合祀して春日大明神としました。弓削地名や弓削姓は、福岡には結構あるようです。
@全体の印象が稲荷神社Bに似ています。目の形、眉根の渦、尾の毛筋の巻き方など、どちらかがもう一方を参考にしたと考えてもおかしくありません。福智町とは距離も近いので、その可能性は高いと思います。オーソドックスではありますが個性もあり、細部の造りも丁寧です。
Aどっしりした蹲踞で、朝倉型(濱生神社六嶽神社垂裕神社など)に近いもののようです。
ただしこの型につきもののウンの玉取りはありません。表面に剥離やヒビが見られ、保存状態は良くありませんが、完全な姿であったらなかなかの風姿であったろうと想像されます。
Bタドンのようなギョロ目と顎の剛毛で、インパクトのある顔立ちをしています。また尾も渦や房が重なった、立体感のある形です。しかし胴部は幼児体型で可愛らしさが目立っています。
C尾道型を模した造りですが、地元の産でしょう。@〜Cに共通しているのは、タドンをくっつけたような丸い目です。これが当地のスタンダードなのかも知れません。ゲジゲジ眉も個性的ですし、二股に分かれたアゴヒゲからのぞく喉のしわなど、小さな点にも独自性が現れています。


小烏(こがらす)神社

提供者:hisaLinさん
10.07.30
hisaLinさんのコメント:糸島半島をサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りに多い狛犬がいました。
(福岡県糸島市志摩久家2556番)
狛太郎のひとこと:当社の祭神は「神直日神・大直日神・八十枉津日神」で、イザナギ神が穢れを祓った時に生じた神です。同名の神社は福岡県各所のほか、鹿児島、山口、香川の各県にも存在します。ただし祭神は必ずしも同じではなく、八咫烏(建角身神)とする社もあります。
狛犬は前原型です。その典型は波多江神社加布里天満宮Bなどにあり、尖端がはねる耳の形、目の間が離れた独特の顔立ちなどが特徴です。またウンが玉取りであるのが通例です。


正八幡宮(しょう・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.07.31




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A





B
hisaLinさんのコメント:八女市周辺を走ったとき立ち寄りました。楼門内に木製の狛犬、拝殿前に並んで2対の狛犬がいました。
(福岡県八女市忠見)
狛太郎のひとこと:『今昔物語』に「初メ大隅ノ國ニ八幡大菩薩ト現ハレ在シテ、 次ニハ宇佐ノ宮ニ遷ラセ給ヒ」という一節があるそうです。これが大隅国一宮の鹿児島神宮であり、八幡の本家という意味で正八幡と称される所以です。当社も鹿児島神宮の分社かと思われます。
@木造の一対で、開口と閉口である以外はアウンの造りに差はないように見えます。彩色の場合、アウンを金と銀、赤と青などに塗り分ける例が多いですが、本件は塗装の剥離と褪色で判然としません。一般的な木造狛犬(日吉大社など)に比べ、体がかなり立っています。
A出雲式に構えていますが、地元産の狛犬のようです。このタイプには前肢の肘を盤に付けるものとそうでないものがありますが、本件は後者です。盤の対角線上に体を配置し、盤の角に顔の正面が来るように造られています。こうすることで、原石のロスが少なくなるわけです。
B同じく現地産の出雲式です。肘を盤に付けるタイプで、同じ市内の福島八幡宮のものと姉妹品のようです。本件も顔を対角線上に置き、原石の大きさを保つ工夫をしています。狛犬の費用は原石の大きさによるため、ロスを減らして大きく仕上げるというニーズがあるのです。


綱敷(つなしき)天満宮

提供者:hisaLinさん
10.08.03




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:大分県の宇佐駅から10号線沿いに小倉経由で折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。顔がよく似た@蹲踞型と、A逆立ち・直立型(金富神社と同じタイプ)が、この辺りまで進出?していました。その他に2対BCの狛犬がいました。とても綺麗な神社でした。また、菅公が太宰府に左遷されたときにこの地にたどり着かれたらしいです。
(福岡県築上郡築上町大字高塚794-2)
狛太郎のひとこと:天暦9(955)年創建という古社で、古くから築上郡の大社として崇敬を受けてきました。社名の由来は、菅公が大宰府下向の途次、当地に立ち寄られた際、住民が漁網の綱を敷いて迎えたという故事によります。大宰府天満宮と同様、梅の名所として有名です。
@切れ長で鋭い眼光を放つ目に、独特の存在感があります。体つきや毛筋や尾も美しく、どこか崇高な感じさえ受けます。同じ築上町の金富神社上段とはまぎれもなく同系のようです。
A@と同じ工房の作品かと思われますが、「直立と倒立」という組合せであり、特に玉を抱えて倒立という構図は、大分八幡宮天道宮十六神社河守神社など、飯塚〜鞍手、水巻方面に多いタイプと共通しています。謹厳な風貌と、剽軽な姿勢とのギャップにインパクトがあります。
B尾道型ふうの一対です。本場のものよりやや肉付きが良く、顔立ちも柔和な印象です。この大きさの玉を真球に造るのはとても難しいことが、この作品からも読みとることができます。
C系統はよく分かりません。ウンの前肢は補修されているようで、あるいは玉取りだった可能性もありますが不明です。大きな特徴は見当たりませんが、顔立ちには個性があります。


社名不詳

提供者:ishizakiさん
10.08.05
ishizakiさんのコメント:猫みたいな狛犬を見つけました。神社名はあまりにも小さくてわかりません。明治22年と書いてあるのであまり古くありませんが、かなり風化しています。標高1000mくらいの竜王山の近くです。
(徳島県美馬市美馬町)
狛太郎のひとこと:竜王山は徳島と香川の県境をなす、讃岐山脈の最高峰です。当社はその南方の地溝部分にひっそりと鎮座しているようです。残念ながら、社名などは判明しませんでした。しかし山間の小集落も、ある時期まではこうして狛犬を奉納する力を持っていたわけです。
狛犬は確かにネコのような体つきと顔つきをしています。狛「犬」なのに「ネコ」似とは奇異な感じを受けますが、狛犬のモデルは元々は猫科のライオンだなどと強弁してもせんないことです。
小首をかしげる仕草が可愛く、これはこれとして楽しむのがよろしいようですね。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.06
hisaLinさんのコメント:田川から水巻町までサイクリングした時立ち寄りました。この辺りでよく見かける狛犬さんと、朝倉地方で見かける狛犬さんがいました。
(福岡県遠賀郡水巻町吉田東4丁目)
狛太郎のひとこと:建久5(1194)年、麻生重業が鞍馬山から勧請したという古社です。祭神は祈雨止雨に霊験あらたかな水の神であり、龍神であると考えられています。堀川開削の難工事の際、河守神社に祭神を分祀しています。難航する治水工事に対する支援だったのでしょう。
(上段)大きな目と垂れた長い耳が、遠賀地方の狛犬の特徴といえそうです。大きな牙を誇示するように口の開き方も大きく、浅木神社のものと似通った印象です。まだ明確ではないものの、この地方独特の一つの型として、分類できるかも知れないと思っているタイプです。
(下段)垂裕神社大己貴神社などに代表される朝倉型です。豊かなヒゲ、盛り上がる肩の筋肉が特徴で、多くはウンが玉取りです。この狛犬が朝倉からの伝来なのか、それとも当地の産なのかは不明ですが、これだけの遠隔地でこの型が発見されたことは、ちょっとした驚きです。


鏡山(かがみやま)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.07
hisaLinさんのコメント:田川周辺をポタリングした時、立ち寄りました。飯塚辺りで見かける顔立ちと違う玉乗り、倒立タイプの狛犬がいました。
(福岡県田川郡香春町鏡山)
狛太郎のひとこと:神功皇后が当地で戦勝祈願をしたと伝えられており、皇后の鏡を祀ったので「鏡山」と称する由です。さて佐賀県唐津市の鏡山山頂にも「鏡山神社」、山麓には「鏡神社」があります。これらは由緒も似ており関連があると思われますが、突き止められませんでした。
狛犬はアが玉取りで倒立、ウンが尾道型ふうのスタイルをとっています。飯塚市とは田川市をはさんで近隣といってよい地域ですが、確かに顔立ちは違うようです。当地は江戸期までは豊前国に属していた地域であり、筑前国だった飯塚市とは狛犬圏も異なるのかも知れません。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.09
hisaLinさんのコメント:西鉄の八丁牟田駅から羽犬塚、八女方面をポタリングしたとき立ち寄りました。八女インター付近にあった神社で、この辺りでよく見かける筑後型が少し?混じった狛犬さんがいました。
(福岡県八女市室岡586番)
狛太郎のひとこと:八女という地名は矢部の女神「八女津媛(やめつひめ)に由来」(日本書紀)します。当地を巡幸中の景行天皇に、土地の首長がそう説明したとあり、史実とすれば1〜2世紀のことになります。その真偽はともかく、極めて古くから知られた土地であることは確かです。
狛犬はかなり変形していますが、筑後型に間違いないと思います。足首のアンクレット状の飾り毛、オープンスタンスの足位置、またウンの一角など、その特徴はしっかり残されています。一方、髪型や耳型の造り分けはなされていません。またアゴヒゲの形は本家にはないものです。


鹿島(かしま)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.10
hisaLinさんのコメント:八代駅から熊本、大牟田駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
熊似の狛犬さんがいました。
(熊本県八代郡氷川町鹿島)
狛太郎のひとこと:鎌倉時代の保元2(1157)年に、茨城県鹿島から勧請されたという古社です。祭神の武甕槌命(たけみかづちのみこと)は武神であり、公家に対する武家の優位が決定的になったといわれる保元の乱(1156)の翌年の勧請という巡り合わせも意味ありげです。
熊本で一般的な狛犬とは全く違い、特に顔面の趣向は極めて特異です。ワッペンのような二重の丸い目は、忿怒相とは無縁の温容を呈しています。この風貌と耳の形が、熊に似た印象を与えているようです。上唇が立派な口ひげのように見え、承教寺の特殊な狛犬を思い出しました。


大根川(おおねがわ)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.11
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋、折尾駅までサイクリングした時立ち寄りました。ちょうど10号線と213号線の交差する近くにあった神社で、休憩ついでに立ち寄った神社でしたが、玉乗りタイプの何とも独特の雰囲気のある狛犬さんがいました。
(大分県宇佐市大字佐野1344番)
狛太郎のひとこと:かつて宇佐神宮には八摂社巡幸という重要行事がありました。当社はその八社の一で、応神天皇を祀っています。行事の起源は8〜9世紀なので、当社の歴史も相当古いものです。しかしこの巡幸は、江戸初期に挙行されたのちは再興されず、現在に至ります。
狛犬は尾道型とりわけ南予型ふうの大玉取りです。しかし大玉取りという主題以外は、尾道型とは全く別の独自な作品です。牙と歯をむき出した荒々しい表情に加え、胴部のくっきりしたアバラや、毛筋のぞんざいなほど闊達なタッチが、見る者に非常に強い印象を与えています。


仲宿(なかやど)八幡宮

提供者:hisaLinさん
10.08.12
hisaLinさんのコメント:門司港駅から遠賀川駅までサイクリングした時立ち寄りました。北九州で見かける狛犬さんがいました。
(福岡県北九州市八幡東区祇園2丁目)
狛太郎のひとこと:神功皇后が三韓から凱旋後、国内統治に備えて当地に「中宿り」して斎籠し、天神地祇を祭祀しました。皇后が大和に帰還された後、村人はその「中宿り」の場所に一祠を建てて祀ったとされます。これが当社の始まりで、史実であれば3〜4世紀のことになります。
狛犬はアが口に玉をくわえ、ウンが小さな玉取りという、九州ではオーソドックスな組合せです。花崗岩は固い素材のため彫りが浅いのが一般的ですが、この作品は長い毛足を柔らかく刻出しており、大腿部などに渦の突起をつけるなど、細かい部分も極力表現しようとしています。


鶴岡八幡(つるおか・はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.13
hisaLinさんのコメント:田川周辺をポタリングした時、立ち寄りました。飯塚辺りで見かける狛犬と違う顔立ちの直立・倒立タイプの狛犬(上段)と、北九州方面で見かける狛犬さん(下段)がいました。
(福岡県田川郡香春町中津原)
狛太郎のひとこと:平安末期の武将、鎮西八郎こと源為朝が仁平3(1153)年に勧請したと伝えられる古社です。為朝は13歳のとき九州追放となりましたが、15歳で九州を平らげ鎮西総追捕使を称しました。佐賀県武雄市の黒髪神社にも、為朝の大蛇退治の伝説が残されてます。
(上段)直立・倒立のモチーフは飯塚周辺でお馴染みですが、この狛犬の場合は少し趣を異にしています。玉を抱えた倒立は大分八幡宮上段河守神社などと共通ですが、顔立ちがエキゾチックであり、強度保持のためか直立に前立を配するという工夫も他に例がありません。
(下段)頭頂が平らで、眉から耳にかけてのラインがヘルメットのような見かけになる特徴は、北九州方面の狛犬に多く見られるものです(菅原神社など)。アの上下の牙は連結されており、折れやすい部分の補強が図られています。四肢が太くがっしりしており、安定感があります。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.08.15
hisaLinさんのコメント:福岡から唐津までサイクリングした時、立ち寄りました。前原(現糸島市)方面でよく見かける狛犬さんがいました。
(福岡県糸島市二丈町松末)
狛太郎のひとこと:唐津街道は北九州若松から唐津まで、120qほどを結ぶ江戸時代の交通要路です。博多から唐津までは玄界灘を望みながらの旅で、この区間には姪浜・今宿・前原・深江・浜崎などの宿場がありました。当社の鎮座地は、その深江宿にほど近い場所です。
狛犬は前原型と名付けたタイプですが、合併で糸島市となったのを機に糸島型と改名すべきか検討中です。新糸島市の領域中、旧前原町のみならず、旧志摩町旧二丈町にもこのタイプが多く存在することが分かってきたからです。耳の形と顔立ち、体型が可愛いのが特徴です。


若菜(わかな)八幡宮

提供者:hisaLinさん
10.08.17
hisaLinさんJR瀬高駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。この辺りではあまり見かけない狛犬さんが2対いました。
(福岡県筑後市若菜)
狛太郎のひとこと:当社境内から、仁平3(1153)年頃と推定される「滑石経」が出土しています。滑石の表面に罫線を引き、経文をびっしりと刻み込んだものです。源氏物語が書かれてから半世紀後という古いもので、この地方の経済力や文化水準を表しているものと考えられます。
(上段)見慣れないタイプですが、筑後型のプロトタイプに似た感じを受けます。風化により鮮明ではないものの、口ヒゲらしい刻みが見られることや、やや湾曲した細い足、ウンが小玉を踏むことなど、琴平神社上段水田天満宮@などと共通点がありそうに見受けられるのです。
(下段)耳、足首の飾り毛、前肢の形、それに大腿部の扁平さなどが、水天宮(二段目)のものによく似ています。ただし、あちらは北九州タイプと推察されますが、本作品は目にヒトミが彫られていることや、口の形などがそれとは異なっています。色々な型の折衷作品のようです。


矢俣(やまた)八幡宮

提供者:hisaLinさん
10.08.18
hisaLinさんのコメント:JR佐賀駅から大善寺、小郡方面までサイクリングした時、立ち寄りました。当神社は筑後川沿いにありましたが、この辺りで見かける狛犬さんがいました。
(佐賀県三養基郡みやき町天建寺)
狛太郎のひとこと:元慶2(878)年に創祀と伝えられる古社です。当地に赴任した藤原秀清が、山城国石清水八幡宮から勧請しました。鎮座地は肥前国と筑後国の国境をなす筑後川のほとりです。そのため、国境守護神として国守や藩主から崇敬を受けていました。
狛犬は古代型と名付けている作品群の一つです。これらが造られたのは佐賀県における獅子型の揺籃期であり、肥前狛犬からの脱皮が図られた18世紀最後期頃であろうと推察します。
しかしまだ様式的には未確立で、垢抜けない風貌が逆に野性的な力強さを保っています。


明多意(みょうたい)神社

提供者:ishizakiさん
10.08.20
ishizakiさんのコメント:変な神社です、、、2つ並んでいます。一つは妙体神社、もう一つは明多意神社です。 昔行ったときには、明多意は メデタイの当て字だと書いてあるのを読んだことがあるんですが、(今は)書いてありません。 狛犬は文化九(1812)年申。
社の軒下の木の狛犬はどうですか、どちらの社の物も年代が同じようです
(徳島県美馬市脇町字東俣名98番)
狛太郎のひとこと:讃岐山脈中の妙体山(785m)頂上に鎮座し、明多意神社と妙体神社が並立しています。前者は旧阿波郡阿波町、後者は旧美馬郡脇町に属し、両社殿の間が郡境でした。祭神の木花咲耶姫は白山信仰の女神で、天孫降臨を果たした邇邇杵命の妃です。
狛犬は関西風の造りで、浪花型の萌芽を見出すことができます。浪花型が成立したのは19世紀前後と推測しており、この狛犬もその時期のものです。浪花型は丸味を帯びた親しみやすい体型が特徴で、ウンは一角を有していますが、本作品にはその造りわけはないようです。
軒下の狛犬は「木鼻」と言い、横架材の端を装飾するものです。当初は抽象的な文様を簡略に刻んでいましたが、江戸期に彫刻専門の大工が登場してから、見違えるほど豪華で洗練された作品に変貌しました。江戸型の石造狛犬は、これをモデルとして発達したものと思います。


生穂(いくほ)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.23
hisaLinさんのコメント:諫早から島原半島一周サイクリングした時立ち寄りました。ちょうど島原から山手方面を走っていたとき小さい神社があり、阿吽とも口を開けてる子供っぽい狛チャンがいました。
(島原市宇土町乙1649番地)
狛太郎のひとこと:島原半島の普賢岳東北麓に鎮座し、宇気母智命(ウケモチノミコト)を祀っています。ウケ、ウカ、ミケという言葉は食物を意味しており、食物や五穀豊饒を司る神です。この神は稲荷神社で祀られるのが一般的であり、当社も稲荷神社であろうと思われます。
ぽっちゃりした体型が可愛い狛犬ですが、どちらも開口というのは日本の狛犬ではまず例がありません。顔立ちもどことなくエスニック風なので、外国産ではないでしょうか。細かい装飾を省く一方、目にはヒトミを付け、足下の玉に模様を彫るといったワンポイントが施されています。


白鳥(しらとり)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.24
hisaLinさんのコメント:田川市街をポタリングした時、たちよりました。見ただけでもらい笑いしそうな狛ちゃんがいました。
(福岡県田川市白鳥町)
狛太郎のひとこと:各地の白鳥神社は日本武尊を祀っています。尊は全国に行幸伝説を残す人物で、その活躍ぶりと悲劇的な最期によって、日本神話中最も人気のあるヒーローと言えます。尊の魂が白鳥となって故郷に帰るという美しいエピソードも、情感に訴えるものがあります。
狛犬の役割は魔除けなので、古来その形相は忿怒相であるべきところ、この作品ではアウンとも楽しそうな笑顔に造られています。忿怒相を意図しながら結果的に笑顔になってしまったものはこれまでもありましたが、この作品では最初から新機軸を目指したようにしか見えません。


園田(そのだ)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.25
hisaLinさんのコメント:八代から熊本までサイクリングした時、立ち寄りました。顎鬚(あごひげ)等、如何にも熊本の狛チャンだぞう〜といった感じの狛チャンがいました。
(熊本県熊本市本山町)
狛太郎のひとこと:天御中主神を祀っています。天地開闢の時に最初に出現した神(古事記)であり、あと2神と合わせて「造化三神」と称されます。妙見系の神社では、北極星を神格化した妙見菩薩と同一神であり、また水天系神社では、世界の始源神として祀られています。
狛犬は顎ヒゲもさることながら、短足という熊本狛犬の特徴が極端に強調された作品です。そのため体がかなり寝ており、いつもは縦長構図で投稿いただくhisaLinさんも、これに限っては横長にせざるを得なかったようです。それにしても、熊本の狛犬は独特なものが多いと感じます。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.27
hisaLinさんのコメント:宇佐から杵築まで国東半島をサイクリングした時、立ち寄りました。
北九州、行橋辺りで観かける狛ちゃんがいました。
(大分県宇佐市西木)
狛太郎のひとこと:宇佐市の東部、豊後高田市との境界近くに鎮座。そばを流れる向野川は下流で寄藻川と合流し、周防灘に注いでいます。祭神の高おかみ神は水神であり、この川の治水を願って勧請されたものでしょう。
眉と耳のラインがヘルメットをかぶったように見える点は北九州的ですが、それよりはるかに装飾的です。長い髪を柔らかく垂らし、尾や飾り毛も丹念に刻んであります。胸から前肢にかけての処理や、眼にヒトミ、牙が2対といった特徴は、綱敷天満宮金富神社のものに共通します。


八坂(やさか)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.28
hisaLinさんのコメント:宇佐から行橋方面をサイクリングした時、立ち寄りました。顔立ちの雰囲気が唐津の佐志将監神社の狛チャンに似てませんか?
(大分県中津市大字中原)
狛太郎のひとこと:中津市は豊臣秀吉の軍師として名高い黒田官兵衛(如水)の入部以来、城下町として栄えました。同じ豊前国に属していた福岡県小倉、門司、田川、京築地方などとは、生活面文化面の結びつきが強いようです。福岡藩初代藩主の黒田長政は如水の嫡男です。
狛犬は素朴な像容ですが、稚拙というわけでもありません。ただ全体にバランスはあまり良くなく、玉と盤の間の彫り残した部分などは、造り始めてから寸法が合わなくなったのを調整したように見えてしまいます。佐志将監神社とは確かに似た点がありますが、偶々であるようです。


八坂(やさか)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.30
hisaLinさんのコメント:鹿島から柳川までサイクリングした時、立ち寄りました。スポーツ刈り風の狛ちゃんがいました。
(佐賀県杵島郡白石町大字福田2032)
狛太郎のひとこと:明治時代に発足した小村が合併などを繰り返し、最終的に05年、現・白石町が発足しました。玉ねぎと蓮根は質量ともに国内有数の産地です。古代の歌垣の地である杵島山を始め、和泉式部伝説を持つ福泉寺など、歴史的情緒に恵まれた地でもあります。
狛犬は新作のようですが、極めて個性的です。先代狛犬の破損に伴って更新されたものでしょうが、その際、先代の面影を残すことに留意する一方、当代としての個性化にも努めたものと思われます。スポーツ刈りのように見えるのは眉の形によるもので、とにかくユニークです。


姫宮(ひめみや)神社

提供者:hisaLinさん
10.08.31
hisaLinさんのコメント:鷹島肥前大橋を渡って鷹島をサイクリングした時、立ち寄りました。雰囲気のある神社に、唐津型が少し混じったような狛ちゃんがいました。
(長崎県松浦市鷹島町中通免)
狛太郎のひとこと:13世紀、元軍はこの鷹島を襲って島の松浦党を潰滅させました。しかし彼らの奮戦によって元の軍備が消耗し、博多では逆に日本が優勢になれたと言われます。波間に消えた無名の松浦党戦士たちが、日本の歴史を少し変えたと言えるのではないでしょうか。
狛犬はほぼ唐津型といえるものです。鋭く睨み付ける眼、逆R字状らしき尾などがそうです。
島は長崎県に属しますが、唐津型発祥地の佐賀県肥前町が最も近い本土なので、唐津型の波及は自然です。現在はその肥前町から立派な橋が開通し、更に交流が深まっています。


媛社(ひめこそ)神社

提供者:hisaLinさん
10.09.01
hisaLinさんのコメント:小郡方面をポタリングした時、七夕伝説?のある神社に遭遇しました。
(福岡県小郡市大崎)
狛太郎のひとこと:七夕の語源は「棚機(たなはた)」であり、織物に関連した言葉です。古代の小郡一帯は織物が盛んで、朝廷への献上品として有名でした。ここに織物を守る女神が祀られていましたが、のちに中国の織女伝説と混淆して七夕神となったものです。
狛犬は筑後型です。典型例からは若干変化していますが、アが巻毛で垂耳・ウンが梳毛で立耳に造り分けられており、伝統が順守されています。しかしこのアウンは仕上げがやや異なっており、どちらかが後の補作であるようです。大腿部や尾などに、違いがはっきりと出ています。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
10.09.02
hisaLinさんのコメント:小郡方面をポタリングした時、七夕伝説?のある神社に遭遇しました。
(福岡県小郡市稲吉)
狛太郎のひとこと:宝満川を挟んで、上記媛社神社の対岸に「牽牛社」が祀られていた由です。宝満川を天の川に見立てた粋な計らいです。牽牛社はその後区画整理のため当社に合祀されています。当社には「犬飼神」なる彩色立像があるといい、これが牽牛であるとされています。
狛犬は耳の造り分けやスタンスの取り方をはじめ、顔立ち体つきともに紛れもない筑後型なのですが、典型例とは微妙に異なっているようです。どこがどうと明確に指摘できませんが、強いて言えば眼の印象でしょうか。この丸い目は朝倉あたりのものと共通性があるようです。


六角(ろっかく)神社

提供者:hisaLinさん
10.09.06
hisaLinさんのコメント:鹿島から佐賀方面をサイクリングした時、肥前白石駅を通り過ぎた所で立ち寄った神社です。ひょうひょうとした感じの狛ちゃんがいました。
(佐賀県杵島郡白石町東郷)
狛太郎のひとこと:当社は文治3(1187)年に佐々木氏が当地の六角荘を賜ったとき、その守護神として天満宮を祀ったものと伝えられます。佐々木氏は平安期の近江の有力武将ですが、鎌倉期にこの家系から六角氏が出ているので、六角の地名はこれと関係があるかも知れません。
狛犬は古そうな塩田型です。この型は比較的胴や前肢が長く、その分柔軟でスマートな体つきをしています。彫刻は緻密で、とりわけ太い尾に規則正しく刻まれた毛筋は見事です。本作品はそうした特徴を備えている反面、荒々しい乱杭歯には様式として未完成な奔放さも窺えます。


はいたか神社

提供者:TAKOさん
10.09.07
TAKOさんのコメント:JR宇和島駅西南西約15km(直線ですが)。前回近くまで行っていたのですが、勘違いで行っていなかった神社です 呼ぶ声が聞こえたので 再度長旅をしてきました。根強い人気です。尾道の狛犬の尾が接着しないタイプです。「明治十六未旧九月吉日、尾道石工市村定助作」
(愛媛県宇和島市蒋淵大島)
狛太郎のひとこと:この名の神社は高知県から愛媛県にかけて分布していますが、表記は様々です。当社の場合はヘンが西の下に早、ツクリが鳥です。猛禽類のハイタカと関係があるならこの字が適していますが、「拝鷹」「拝高」の用例もあります。用字が一定しない珍しい社名です。
瀬戸内海沿岸地方に広く分布する尾道型ですが、これは尾道石工の作であり正に本場物ということになります。大きな耳とフサフサした髪を一体化した意匠は、豊かな量感を感じさせてくれます。大玉取りという優れた企画を案出した尾道石工のセンスはダテではありません。


稲荷大明神(いなりだいみょうじん)

提供者:hisaLinさん
10.09.08
hisaLinさんのコメント:小城方面をポタリングした時に立ち寄りましたが、なんと拝殿前の通常狛ちゃんたちが鎮座する位置にお馬さんがいました。
(佐賀県佐賀市大和町東山田)
狛太郎のひとこと:神社に馬を奉納する慣わしについては、延喜式(10世紀)に祈雨には黒馬、止雨には白馬を贈ることが記されています。昔は実物の馬を奉納していたようですが、馬は高価であり、また神社側の管理負担面からも、馬の像や絵(絵馬)を納めるようになりました。
馬は一昔前までは、農耕用として牛とともに身近な存在でした。馬の守護神の馬頭観音が多くの神社に祀られていますし、石馬もしばしば見かけるものです。狛犬と違って四肢で立つ姿勢のため、脚間を彫り残して補強しています。当時の農耕馬の小柄な体格が活写されています。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
10.09.10
hisaLinさんのコメント:鹿島から柳川を通り久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。瀬高にある聖母宮の狛ちゃんみたいに眼が水色の狛ちゃんと、もう1対系統の違う狛ちゃんがいました。
(福岡県大川市三丸)
狛太郎のひとこと:筑後平野の中南部に位置し、筑後川にも近い平坦地です。写真で見ると水田と住宅地が混在した地域ですが、かつては広大な水田地帯だったでしょう。この平野は佐賀平野と合わせて筑紫平野とも称され、両地域は歴史面生活面で近縁の関係にありました。
(上段)様式的には聖母宮広田八幡宮上段八幡神社上段(いずれも旧瀬高町=みやま市)および宝満宮(柳川市)に類例があります。旧瀬高町はかつて国鉄佐賀線のターミナルで、柳川とともに佐賀とは最も縁ある町です。しかし佐賀にはこの様式は見られず、独自なものです。
(下段)長い前肢と胴部、二段に分かれた立派な尾など、塩田型の特徴がよく出ています。
隣接する佐賀県諸富町や川副町に塩田型が多く見られることから、筑後川を挟んだだけのこの地域に塩田型があるのは自然なことです(太刀帯神社八幡宮天満宮など)。


御霊(ごれい)神社

提供者:hisaLinさん
10.09.13
hisaLinさんのコメント:篠栗方面をポタリングしたとき立ち寄りましたが、風化が進んでる出雲型の狛ちゃんがいました。
(福岡県糟屋郡粕屋町大隈)
狛太郎のひとこと:天変地異などの原因を、非業の死を遂げた人の魂(御霊)の働きであると考え、これを鎮める祀りが古代にはしばしば行われました。当社は貞治元(1362)年に大宰府から勧請とも言われ、配流地で憤死した菅原道真など、似た境遇の8柱の霊を祀っています。
狛犬は見事な出雲式です。来待石は精細な彫刻が可能な反面、極めて短命なこともあって、九州ではあまり現存していません。この作品もアの下顎とウンの尾の尖端は破損しており、材質の脆さを露呈しています。それでも新品の時はどれほど美しかったか、充分に察せられます。


三春天満宮(みはる・てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.09.15




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:久留米から日田までサイクリングした時立ち寄りました。筑後大石駅(JR九大線)近くにありましたが色鮮やかな神社でした。4対の筑後型の狛ちゃんがいました。
天満宮という名が付く神社は色鮮やかな神社が多いように思いますがいかがですか?
(福岡県うきは市浮羽町三春2508番)
狛太郎のひとこと:05年に浮羽町と吉井町が合併して誕生した町で、市名はそれまで属していた浮羽郡に因んで名付けられました。旧浮羽町は筑後平野の東端部に当たり、北には筑後川が流れ、南は耳納山地にかかっており、桃、葡萄などフルーツ全般の産地として知られます。
狛犬は4体ともちょっとずつ微妙に異なる筑後型です。このうちAが最も伝統的な様式で、アウンで髪型と耳型を造り分けており、更にウンは立派な一角を有します。@とCも耳の造り分けは順守されていますが、@BCとも歯が鋸歯列である点、地方色が表れていて興味深いです。


菅原(すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
10.09.19
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時立ち寄りました。宇島駅を過ぎて宝福寺山つつじ公園内にあった神社ですが、この辺りまで逆立ち・直立の狛ちゃんがいました。逆立ち・直立の狛ちゃんは、筑後型より勢力範囲が広いかも知れませんね。
(福岡県豊前市八屋)
狛太郎のひとこと:北九州市の東側と田川市郡及び京築地方は、江戸期までは大分県中津市や宇佐市までを含む豊前国の一部でした。福岡県に属することになった明治以降も、生活面では中津市との結びつきが非常に強いと言われます。狛犬文化もそれと重なるのでしょうか。
直立と倒立というモチーフは、遠賀郡から飯塚市にかけて盛んです。当地は旧豊前国地域であり、本件によって、国境を超えてこの様式が伝播していることが判明しました。筑後型が筑後平野内に限られるのに比べると、確かにこのモチーフの分布範囲の方が広いかも知れません。


正八幡(しょう・はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.09.21
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。行橋駅近くにある神社で、1対の狛ちゃんがいました。
(福岡県行橋市神田町)
狛太郎のひとこと:当地は中津街道の宿場町として栄えました。「行橋」の名は、明治年間の行事村と大橋村の合併によるものです。当社は貞観元(859)年宇佐八幡宮を勧請した古社で、「正」とは「正統」を主張する呼称です。往古は神宮寺も備え、宏壮な社地を誇っていた由です。
狛犬は長い耳と八方に流れる髪、ボリュームある尾などが特徴です。アは窮屈そうな姿勢で何とか玉を取っているという風情であり、色々な意匠を詰め込んだ感もあります。この狛犬は実は塩田石工の一部作品(川良天満宮上滝八幡社)に良く似ているのですが、偶然でしょうか。


波多(はた)八幡神社

提供者:hisaLinさん
10.09.24
hisaLinさんのコメント:唐津から202号線を伊万里まで走ったとき、立ち寄りました。
メタボっぽい唐津型の狛ちゃんがいました
(佐賀県唐津市北波多稗田)
狛太郎のひとこと:正暦元(990)年の創祀と伝える古社です。酒呑童子征伐などで勇名を馳せた渡辺綱(わたなべのつな)が稗田村に居城を築いたとき、当社を城の鎮護として崇敬しました。中世に松浦一帯を支配した松浦党の祖・渡辺久は、この渡辺綱の子孫とされます。
狛犬は唐津型の様式に造られていますが、私の調査では作者は砥川石工です。鳥居、灯籠も砥川系石工の作であり、当地に進出した砥川石工が、当地の様式を尊重しながら製作した作品と考えられます。そのため典型例とはやや趣を異にし、尾の形も棒状に造られています。


宝満(ほうまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.09.26
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米まで走ったとき、立ち寄りました。この辺りでよく見かけるポーズの狛ちゃんがいました。
(佐賀県三養基郡みやき町中津隈)
狛太郎のひとこと:天平4(732)年に宝満宮の神霊(玉依姫)を勧請して創建、弘仁元(810)年に比叡山から山王社(大山咋命)を勧請、興国2(1341)年に大宰府天満宮(菅原道真)を勧請とあり、来歴は県内屈指です。大友勢による戦火などで焼失するも、明治年間に再建されました。
狛犬は古代型です。この型は獅子型として洗練される以前のもので、200年ほど前に造られたものと推測されます。同系のものは千栗八幡宮綾部八幡宮若宮八幡神社天満神社老松神社など、鳥栖・三養基郡地域に多く残されてます。また県央でも鏡神社に例があります。


土井(どい)神社

提供者:ishizakiさん
10.09.27
ishizakiさんのコメント:さてどこだったか、、、徳島県、鴨島辺りです。
(徳島県阿波市土成町)
狛太郎のひとこと:つけて戴いたカーナビの画像から、阿波市土成町秋月あたりと見当をつけました。鳥居の額には「土井神社」と明記されていますし、阿波市内に「土井神社」があるのは確かなようですが、残念ながら確実な場所と由緒などの情報は得られませんでした。
狛犬は関西風の蹲踞です。顔立ちに浪花型の名残りがあり、尾も関西風の扇状です。大腿部が扁平なのは原石の大きさをいっぱいに使う工夫で、他の地域でも古いものにはよく見られる工法です。しかし彫刻としてはいささか不格好なので、近年は用いられなくなっています。


建布都(たけふつ)神社

提供者:ishizakiさん
10.09.30
ishizakiさんのコメント:二つの神社を一つにしたそうです。
一つが二つだったり(明多意神社)、二つをあわせてみたり、、色々ですね、、
(徳島県阿波市土成町郡)
狛太郎のひとこと:祭神は建布都(たけふつ)神と経津主(ふつぬし)命であり、西宮神社を合祀したので事代主神も祀っています。建布都神は武甕槌(たけみかづち)神と同神ともされ、いずれにしても武神です。また剣に関係があり、「ふつ」は物を切るときの擬音との説もあります。
(上段)精緻な細工が施されており、彫刻としての完成度の高い作品です。細かい毛筋を刻んだ髪や尾が豪華であり、三頭身ではありながら全身像も均整が取れています。地域柄か関西風のテイストを漂わせており、また顔立ち体つきには出雲型蹲踞に通じるものがあります。
(下段)古そうな狛犬です。像容に古拙な味わいがあり、20世紀的洗練を受ける以前の作品のように見受けられます。丸く小さな目、無骨な髪の渦、控えめな尾など、技術的造形的な「垢抜けなさ」が、却って個性を際立たせ、親しみやすく好ましく感じられます。


景福宮(けいふくきゅう/キョンボックン

提供者:hatsueさん 
10.10.02
hatsueさんのコメント:お話していた韓国景福宮の狛犬の写真を送ります。
アップで撮ってしまったので、背景が写っていません。
また、1枚しか保存してありませんでした。申し訳ありません。
この狛犬(獅子)は、景福宮勤政殿の周りの石垣にあり、何個も置いてありました。
表情が独特で気持ち悪いけれど、可愛い顔をしていたので撮ってきました。
(韓国ソウル特別市鍾路区世宗路1-56)
狛太郎のひとこと:景福宮は朝鮮最後の王朝・李氏朝鮮(李朝1392〜1910)の王宮です。明治43(1910)年、日韓併合条約締結により李朝の長い歴史は幕を閉じ、同じ敷地に日本の朝鮮総督府が築かれています。その総督府は議論の末、紆余曲折を経て、95年に解体されました。
日本の狛犬を見慣れた目には、極めて特異な風貌です。ヒトミのある鋭い目つきや、乱杭歯を剥き出して不気味な笑みを浮かべる口元に、誰しもがちょっとたじろがざるを得ないでしょう。
人間に近い顔立ちであるだけに、その印象がより増幅されています。参考:承教寺


新御霊(しん・ごりょう)神社

提供者:TAKOさん
10.10.05
TAKOさんのコメント:由良半島終点。大正四(1915)年旧二月奉納。状態がとても良いです。
しかし何回撮影しても、いい角度が未だに分かりません。  
(愛媛県南宇和郡愛南町網代261)
狛太郎のひとこと:当社は宇和海に突き出した由良半島に鎮座して、崇道天皇を祀っています。宮廷の陰謀に敗れて自死した早良親王は、死後その祟りを恐れた人々によって名誉を回復され、崇道天皇の名を贈られました。御霊とは非業の死を遂げた人の霊魂を指します。
狛犬は見事な南予型です。南予型は尾道型をベースに独創的な意匠を付加発展させた一群で、ヒトミのある大きな目と長大な牙が特徴です。玉にのしかかって首を突き出す姿勢は、挑戦的なようにも愛嬌があるようにも見えます。(高鴨神社高田八幡神社熊野神社


速津佐(はやつさ)神社

提供者:くろのすけさん
10.10.06
くろのすけさんのコメント:先日、広島県の芸予諸島に位置する豊浜町を訪れる機会がありまして、その際に添付の狛犬を見ました。いわゆる出雲式だと思いますが、狛犬さんには珍しく、狐のようになめらかで大きな尻尾がついています。場所は、大崎下島の大浜地区だったと記憶していますが、定かではありません。
(広島県呉市豊浜町大字大浜1144番)
狛太郎のひとこと:芸予諸島は文字通り安芸国(広島)と伊予国(愛媛)の中間に浮かぶ島々で、瀬戸内の海上交通の要衝でした。そのため安芸国一宮(厳島神社)と伊予国一宮(大山祇神社)は、ともにこの諸島中に設けられています。当社は大山祇神社17末社のひとつです。
狛犬は構えは出雲式ですが出雲産ではなさそうです。地域柄から尾道型の一種かとも思えますが、それも典型例とは大分異なっています。両方の折衷型と考えるのがいいかも知れません。それにしても特筆すべきは尾の形で、狐のように大きくて滑らかな尾がとても印象的です。


城王(じょうおう)神社

提供者:ishizakiさん
10.10.07
ishizakiさんのコメント:先週は城王神社と言うところへ行きました。
(徳島県阿波市市場町日開谷)
狛太郎のひとこと:当社は阿波富士と呼ばれる城王山の山頂に鎮座して、新田義宗を祀っています。義宗は足利尊氏に対抗した南朝方の武士でしたが、応安元(1368)年敗死しました。阿波に落ち延びて再起を図ったという異説があり、当社の縁起もそれに基づくものと思われます。
狛犬はきちんと足を揃えた端正な蹲踞で、出雲型かその写しのようです。前後肢が接近しているので、大柄な割には足場のスペースが狭いのが特徴です。また堂々とした尾もこの型の特徴です。出雲産の場合、石が柔らかく細密な彫刻が美しい反面、短命なのが残念なところです。


亀山(かめやま)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.08
hisaLinさんのコメント:飯塚から水巻駅までサイクリングした時立ち寄りました。小竹駅近くにあった神社で2対の狛ちゃんがいました。
(福岡県鞍手郡小竹町勝野字井田)
狛太郎のひとこと:当社の創立は不明ながら、宝暦2(1752)年と享保12(1727)年に遷座の記録がある由であり、少なくとも江戸時代には崇敬を受けていたようです。祭神は大年神で、毎年の豊作を祈念するための農業神です。町の中を遠賀川が流れる古くからの農作地帯です。
狛犬は2対とも共通のモチーフで造られています。タドンのような目、垂れた耳、小玉を踏むウンのポーズなど、一方が他方を踏襲しています。扁平な頭頂と耳の造るラインは、北九州に特有なヘルメットを被ったように見えるタイプに似ており、地域的にもその系統と見て良いようです。


愛宕(あたご)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.09
hisaLinさんのコメント:呼子の朝市が開かれる場所近くにあった神社です。唐津型の大きな狛ちゃんがいました。
(佐賀県唐津市呼子町大字呼子)
狛太郎のひとこと:呼子港の奥の高台に鎮座して、火の神の迦具突智命(かぐつちのみこと)を祀っています。江戸期この地は鯨漁で栄え、漁船や商船が密集する一方、上場台地からも産品が集まって交易が盛んに行われました。現在の朝市はその名残を留めるものです。
狛犬は典型的な唐津型で、昭和4年値賀川内の徳永石工の作品です。元々唐津型は恐い顔に造られている上に、目や牙に彩色が施されているため、その忿怒の表情が極めてくっきりと映し出されています。胸と腹を分けるエッジも鮮明で、厳めしさが五体にみなぎっています。


須賀(すが)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.10
hisaLinさんのコメント:宇美町方面をサイクリングした時、立ち寄りました。この辺りでよく見かける狛犬と、もう1対の異なる狛犬がいました。
(福岡県糟屋郡須恵町上須惠)
狛太郎のひとこと:須賀神社や八坂神社など素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀る神社は、概ね祇園祭の舞台となっています。尊が祇園精舎の守護神の牛頭天王(ごずてんのう)と同神とされるためです。祇園精舎はもとより仏教の概念ですが、日本では違和感なく習合してきました。
(上段)がっしりした五体に平べったい顔のこのタイプは、須恵町のほか宇美町など糟屋郡でよく見られるものです(宇美八幡宮A)、貴船宮亀山八幡宮上段など)。こうした強い個性を持った狛犬は、必ずしも美形とは言えないまでも、一度見たら忘れられない印象を残してくれます。
(下段)目にヒトミが刻まれていると、視線が固定されるためか、見る者の意識をそこに集中させる効果があるようです。ただそれが、他の部分への観察の妨げにならないよう留意しなければなりません。体に比べて極端に小さな玉を踏むチャーミングな仕草などを見落とさないことです。


浅木(あさぎ)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.11




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。投稿されてる分の他に、行灯を頭とお尻に載せた狛犬と、もう1対狛犬がいました。
(福岡県遠賀郡遠賀町浅木)
狛太郎のひとこと:当社は日本武尊が熊襲征伐を行ったゆかりの地とされます。尊は景行天皇の皇子で、天皇の命により東奔西走して国内の平定に活躍したとされ、各地にその足跡を残しています。悲劇的な最期とロマンチックなエピソードに彩られた、最も人気のある英雄です。
@灯籠狛犬は一般に笠石の上にあり、狭い足場をカバーするため直立倒立の一対に造られます。この作品では竿石の代替として火袋と笠石の荷重を受けるために、普通の体格の良い狛犬の形に造られています。それでも直立倒立以来の自由な発想は受け継いでいるようです。
A北九州的な横幅の広い顔立ちを踏襲しています。花崗岩という固い素材のため、古来の作品は髪やヒゲなどの装飾を浅いレリーフにとどめるのが一般的でしたが、この作品は彫りが深く陰影に富んでいます。工具が発達した、比較的近年の作品ではないかと思われます。


浜天満宮(はま・てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.10.12
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。近くに城島リバーサイドゴルフ場がありました。肥前狛犬と、もう1対の狛犬がいました。
(福岡県久留米市城島町浜)
狛太郎のひとこと:城島町は農業と酒造の町として知られます。この町で造られる日本酒「比翼鶴」は、その優雅なネーミングでもつとに有名な銘酒です。町全体が筑後川に寄り添っており、対岸の佐賀県側への渡しが多数あった由ですが、数本の架橋によってその役割を終えました。
(上段)保存状態の良い肥前狛犬です。上記のような地理的条件から、ここに佐賀風の狛犬が伝播しているのは必然とも言えます。かつ肥前狛犬のように400年も前のものがあることは、古くからの両地域の交流の証です。ただこれは、肥前オリジナルではないような気がします。
(下段)地域的に筑後型の勢力範囲ですが、前記のように佐賀風のものも幾つか見ることができます(天満宮上段厳島神社A)。そうした中で、これはどう位置づけてよいのかよく分かりません。筑後型の要素は殆どなく、髪の流れや尾の形に塩田型の片鱗があるようにも見えます。


豊山(ぶざん)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.13
hisaLinさんのコメント:秋月から県道80号線を走ったとき、立ち寄りました。小柄な狛犬さんがいました。
(福岡県朝倉市田代)
狛太郎のひとこと:当社は豊前坊とも称する由なので、英彦山信仰の神社です。英彦山は九州修験道の一大センターで、各地に修験道場を構えており、それらが豊前坊と称されるのです。なお豊前坊は全国八天狗の一でもあり、ほかには鞍馬山の僧正坊(鞍馬天狗)が有名です。
筑後型のうちの朝倉タイプ(阿蘇神社上段筑紫神社Bなど)が優勢な地域ですが、この狛犬はそれとは異なります。どことなく筑後型の片鱗は感じられるものの、やはり独自のものと考えるのが妥当なようです。小柄な体格に加え、玉を取るウンの手つきが可愛らしく感じられます。


北斗宮(ほくと・ぐう)

提供者:hisaLinさん
10.10.14
hisaLinさんのコメント:飯塚、嘉麻市周辺をポタリングしたとき、立ち寄りました。どっしり構えた狛犬がいました。
(福岡県嘉麻市大隈町988)
狛太郎のひとこと:天智天皇9(671)年に創祀と伝える古社です。これは壬申の乱の前年にあたりますが、この乱を制した天武天皇は陰陽道に精通していました。その時期に陰陽道に関係の深い星辰信仰の神社が創祀されたことは、そうした情勢と無関係ではなかったはずです。
狛犬はまだ新しそうですが、最近の無個性な新作とは明らかに異なります。彫刻も最新工具でざっと仕上げたようには見えませんし、ウンが小さな玉を踏むという伝統的な様式も踏襲しています。恐らく先代が老朽化したとき、それをなぞってこの作品を造り上げたものと推測します。


柁鼻(かじばな)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.15




@





A
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋方面までサイクリングした時、立ち寄りました。宇佐駅を出発して10号線に入ったところにあった神社で、綱敷天満宮の狛犬似の狛犬と、もう1対狛犬がいました。
(大分県宇佐市大字和気)
狛太郎のひとこと:初代神武天皇は日向を出発して、大和への長征の旅に出ます(神武東征)。遠征の途次、当地和気の柁鼻に上陸し、土地の豪族・菟狭津彦(うさつひこ)との縁を結んだとされます。当社は宇佐神宮にもほど近く、神武天皇及びその父と兄を祀っています。
@綱敷天満宮@Aと同タイプの作品で、ディテールもほぼ相似ですから、あるいは同じ作者のものかと思われます。細身で端正な体つきと、ヒトミのある目でじっと前方を見据えるたたずまいが、どことなく思索的でノーブルなものを感じさせます。石質も他とは違っているようです。
Aアウンで髪型が造り分けられ、アは巻毛・ウンは直毛という、木造狛犬以来の約束事が守られています。ウンには一角があり、耳形も造り分けられているようであり、こうした点では筑後型の場合に似ています。しかし全体としては、それとの関連はなさそうで独自のものです。


大浦(おおうら)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.16
hisaLinさんのコメント:諫早駅から鹿島まで走ったとき、立ち寄りました。量産タイプの狛犬がいました。
(佐賀県藤津郡太良町大字大浦丁亀ノ浦428)
狛太郎のひとこと:大浦村は明治5(1872)年に江戸期の3村が合併して誕生しました。昭和27(1952)年に、村内の氏神のうち浅間神社、諏訪神社、熊野神社を合祀、大浦神社と称しました。それぞれの祭神であった木花咲耶姫命、建御名方命、加武呂命などを祀っています。
狛犬は現代岡崎型です。伝統的な岡崎型をベースに、現代工具を駆使して装飾を付加し、彫りが深く均整の取れた造形に仕上げています。しかし、現代の狛犬に手仕事を望むのは無理だとしても、あまりにもそつのない無難な出来映えであるため、愛好家からは好まれていません。


船津(ふなつ)天満宮

提供者:hisaLinさん
10.10.18
hisaLinさんのコメント:大牟田周辺をポタリングしたとき立ち寄りましたが、熊本に近いせいでしょうか、熊本でよく見かける狛犬がいました。
(福岡県大牟田市南船津町)
狛太郎のひとこと:当社の縁起によると、菅原道真は大宰府の権帥として左遷される際、ここ船津に上陸したとされます。京から大宰府に向かうのに大牟田に上陸というのは普通に考えれば不自然ですが、公の遺徳を偲ぶ人々の思いが、そうした伝説をあちこちに残しているのです。
狛犬は顔立ちや尾の形が、確かに熊本風です。びっしり並んだ小さな鋸歯列もその特徴のひとつですし、通常は沈線で表されることの多い鼻ヒゲを、陽刻で施していることも熊本狛犬に多く見られる特徴です。地肌が黒っぽいので、目や牙の金彩が際立っています。


伊覩(いと)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.19
hisaLinさんのコメント:糸島周辺をポタリングした時、立ち寄りました。糸島で見掛ける狛犬さん(前原型)と混在地域ですが、これはちょっと違う狛犬さんがいました。
(福岡県福岡市西区周船寺)
狛太郎のひとこと:高天原から日向の高千穂の峰に天孫降臨を果たした邇邇杵尊(ににぎのみこと)と、その妃の木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)、そして古代豪族の伊覩県主を祀っています。姫の名の美しい語感が、この神話にロマンチックないろどりを添えています。
これまでに拝見した福岡市西区の狛犬たちは多様で、この地域に特有の傾向というものは、現時点では見いだせていません。この狛犬もアが玉を噛み、ウンが小玉を踏むというモチーフが前原型に似ているものの、体つきや飾り毛の様子は別物です。尾の毛筋のネジリが豪快です。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.20
hisaLinさんのコメント:糸島周辺をポタリングした時、立ち寄りました。糸島でよく見掛ける狛犬さんがいました。
(福岡県糸島市志摩小金丸)
狛太郎のひとこと:優美な山容で知られる「糸島富士」こと可也山(365m)の北麓に鎮座しています。熊野三山の主祭神は家都美御子大神・熊野速玉大神・熊野夫須美大神ですが、後二者は伊邪那岐・伊邪那美と同神とされるなど、複雑な教理や本地垂迹説などが入りくんでいます。
狛犬は前原型です。旧前原町に多く見られるので暫定的にそう呼んでいますが、発祥地や正確な分布圏は未解明です。横に張り出す耳、細かく彫刻されたパーツが特徴で、アは玉を噛みウンは小玉を踏むのが一般的です。両目が離れている点もチャーミングな要素の一つです。


若八幡(わか・はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.26




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A
hisaLinさんのコメント:田川周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。この辺りで見掛ける狛犬さんと、ひょうきん顔の狛犬さんがいました。
(福岡県田川市夏吉)
狛太郎のひとこと:現在の祭神は応神天皇などですが、本来は当地の地主神である神夏磯媛(かむなつそひめ)を祀る社でした。媛は景行天皇にいち早く帰順し、その筑紫平定に寄与しました。社名の「若」は、仁徳天皇(応神の皇子)が祀られていることによるもののようです。
(上段)恵美須神社春日神社@〜Cなどと共通なイメージを持っています。太い眉と大きなギョロ目、細い2対の牙などがそれで、独特で印象的な容貌です。田川特有のモデルではないかとも感じていますが、胸から肩〜前肢にかけてのラインは朝倉型に似ているかもしれません。
(下段)上段の狛犬とは印象がまるで違いますが、パーツを観察すると同系ではないかと思われる点があります。タドンのような目、太い眉、鼻ヒゲの存在、胸の縦の隆起などです。また、
上段の狛犬の盤には段差が付けられていますが、これもそうなっているように見えます。


須佐(すさ)神社

提供者:hisaLinさん
10.10.29
hisaLinさんのコメント:宇佐から行橋までサイクリングした時、立ち寄りました。逆立ち・直立タイプの狛犬さんが2対いました。
(福岡県行橋市元永)
狛太郎のひとこと:建長年間(1250年代)創建と伝えられる古社です。当時疫病の流行があり、祇園神を祀って悪疫退散を祈願したのが始まりとされます。祭神の素盞鳴尊は、祇園精舎の守護神の牛頭天王と同神とされるため、この神を祀る神社は祇園社とも呼ばれているのです。
(上段)直立倒立というモチーフは、飯塚(天道宮白山神社)や遠賀郡(伊豆神社河守神社)が中心と考えていましたが、築上町(金富神社綱敷神社)や行橋市(当社)など、京築地方にも存在することが明らかになり、どこからどう伝播したのか興味深いテーマができました。
(下段)上の狛犬をなぞって造られたことが、各パーツの類似から読みとれます。風化の具合からこちらの方が新しく、技法も発達しています。なお狛犬を雌雄のツガイとするのは、本来は曲解と言わざるを得ませんが、そのような理解で造られたものも微笑ましいものではあります。


若宮(わかみや)八幡宮

提供者:hisaLinさん
10.11.02
hisaLinさんのコメント:飯塚から嘉麻市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
糟屋郡の志賀神社の狛犬さんに似た狛犬さんと、もう1対狛犬さんがいました。
(福岡県嘉麻市中益)
狛太郎のひとこと:「若(わか)」は「別(わか)れ」と同根の語で、親から別れたもの、即ち「子」を意味します。その場合は仁徳天皇(応神天皇の御子)が祀られているのであり、また「分かれた宮」(分霊を勧請)の意味なら、八幡本宮と同じ応神天皇が祀られていることになります。
(上段)痩身長駆で、なで肩から続く脚線が優美です。また各パーツを見ても、長く垂れた髪の房といい、頭頂の一角といい、全体的に縦のラインが強調された造形と言えます。志賀神社とは同系のようですが、こちらの方が表情が和やかで、体つきも柔らかみを帯びています。
(下段)垂裕神社大己貴神社のものに、やや似ているようです。この狛犬の特徴はアウンの配置が通常とは逆であることです。左右を入れ替えると首の向きが参拝者にそっぽを向くことになってしまうので、取り違えたのではなく、最初からこのように造られたのは間違いありません。


梅安(うめやす)天満宮

提供者:hisaLinさん
10.11.05
hisaLinさんのコメント:宮若、中間市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
ちょっと小さめの狛犬さんがいました。
(福岡県中間市中央1丁目42)
狛太郎のひとこと:大永年間(1521〜1527)に、大宰府天満宮を勧請して創建したと伝えられています。当時この地が梅安と呼ばれていたことから、それを社名にしたとも伝えられています。一方、当社が安産の神として崇敬されたことから、産安(うみやす)とも呼ばれていた由です。
中間市の狛犬は初登場です。同じ遠賀川流域の遠賀郡、鞍手郡と隣接しており、系統的にはこの両地域に近いことが予想されます。盛り上がる胸の形、小玉を踏む足の角度が貴船神社(鞍手)貴船神社(小竹)に似ていることから、鞍手郡の狛犬により近いことが察せられます。


牟形八幡宮(むかた・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
10.11.07
hisaLinさんのコメント:唐津から204号線をサイクリングした時、立ち寄りました。島原市の三会温泉神社の狛犬さんに似た狛犬さんと、もう1対唐津型?ぽい狛犬さんがいました。
(佐賀県東松浦郡玄海町牟形)
狛太郎のひとこと:東松浦半島西側にあり、仮屋湾を望む風光の地です。農業主体の集落で、米の他にイチゴなどの栽培が盛んです。この半島西側は近年、棚田や温泉など観光資源の開発が進みつつあります。当社の秋祭りでは神輿巡幸が行われます。
(上段)三会温泉神社の狛犬とは、偶然とは考えられないほどよく似ています。眉から耳にかけてのラインや、小さく丸い突起した目、口の形などがそっくりです。島原産だとすると海路によったのでしょうが、大迂回してまで唐津型全盛の当地に持ち込む必要があったのか不思議です。
(下段)吊り上がった険しい目つき、首を傾げるポーズ、胸と腹を分ける横のラインなど、唐津型の特徴を備えています。尾も逆R字であれば間違いなく唐津型ですが、写真では確認できません。全体的に加工度合いが低いように見え、比較的早い時期の作品かも知れません。


天照宮(てんしょうぐう)

提供者:hisaLinさん
10.11.13
hisaLinさんのコメント:宮若、中間市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。3対の異なった狛犬さんがいました。
(福岡県宮若市磯光267)
狛太郎のひとこと:第11代垂仁天皇(景行天皇の父)の時に鎮座と伝えられる古社ですが、多分に神話的時代であり実年代は計り知れません。祭神の饒速日命(にぎはやひのみこと)は物部氏の祖先神であることから、当地における物部氏のプレゼンスが推察されるところです。
(上段)朝倉風の作品です(垂裕神社など)。かなり遠隔の地ですが、遠賀川沿いの北九州ルートの存在を考えれば、流布の範囲として妥当性があります。様式的完成度の高い作品です。
(中段)獅子顔の厳つい面相とは裏腹に、狭い肩幅と細身な体型の対比がやや不均衡な印象を受けます。ただし前肢の細さは風化の影響もありそうで、特にウンは欠失部分をセメントで補作したもののようです。なお若宮八幡宮(下段)同様、アウンの位置が逆に造られています。
(下段)近年の作と見受けられますが、北九州方面で見られる頭頂が扁平な一群の系統をなぞったもののようです。ウンは一角を戴き、古典的な狛犬像を踏襲しています。毛筋の流麗さなどは現代工具の成果と言えなくもありませんが、伝統的なスタイルの維持には共感を覚えます。


大石(おおいし)神社

提供者:hisaLinさん
10.11.18
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。池尻駅付近にあった神社で、ギョロ目の印象的な狛ちゃんがいました。
(福岡県田川郡川崎町池尻1482-2)
狛太郎のひとこと:祭神の中に「豊岩間戸神、櫛岩間戸神」という一対の神がいるらしいことが分かりました。この神たちはいわゆる門客神(もんきゃくじん)であり、門を守る役割です。豊は文字通り豊穣を意味し、クシは「奇」とも書くことがあるように、神秘性を表す古語です。
タドンのような丸く突出した目と2対の牙という取り合わせは、恵美須神社春日神社@〜Cに酷似しており、これが田川地区で普遍的なスタイルであることが分かります。さらに、白鳥神社若八幡神社はそのバリエーションと見て間違いないと思います。独特で印象的な造形です。


天降(あまふり)神社

提供者:hisaLinさん
10.11.26
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。筑後型、直立倒立型、田川地方で見かける狛チャンと3対3様の狛ちゃんがいました。
(福岡県田川郡川崎町川崎)
狛太郎のひとこと:第5代孝昭天皇の時に創祀と伝えられますが、実在とすれば紀元前のこととなり現実的ではありません。ただし実在説も根強く、歴史の霧の彼方にうっすらと日本史の面影が見えている時代の出来事と言えるかも知れません。祭神は初代神武天皇の親族多数です。
(上段)筑後型ですが、典型例からはやや乖離したデザインです。ヒゲや髪の毛筋を大胆に省略して迫力を追求する典型例に比べると、装飾性を重視した様子が見受けられます。また前肢の位置が揃っており、これも典型例とは異なっています。地域性が現れている点といえます。
(中段)須佐神社の例によって京筑地方にも分布していることの分かった直立・倒立のペアですが、この田川地域を含め、福岡県北半にかなり広く普及しているようです。当地にはほかにも尾道型風(正八幡宮日吉神社)のものもあり、色々なものが混在している地域であるようです。
(下段)田川地方特有のタドン目の一群とは、系統が異なるものです。正八幡宮上段のものに似ており、それは鞍手町の六嶽神社や飯塚市の濱生神社のものに連なる系統のようです。


天神社(てんじんしゃ)

提供者:hisaLinさん
10.12.01
hisaLinさんのコメント:篠栗周辺をポタリングした時、立ち寄りました。この辺りで見かける岩登り、岩下り風の狛ちゃんがいました。
(福岡県糟屋郡篠栗町高田)
狛太郎のひとこと:弘法大師が唐から帰国の際、当町を訪れたと伝えられます。天保年間、僧・慈忍が大師ゆかりのこの地に、四国八十八個所を模した霊場の建設を提唱。慈忍生存中には完成に到らず、志を引き継いだ村人の手によって、安政2(1855)に現在の姿が完成しました。
狛犬は岩狛で、かつ岩上りと岩降りの一対です。この形式は砥川石工の独創に相違ないのですが、なぜか遠く離れた糟屋郡に幾つも点在してます。顔立ち体つきが須賀神社和田八幡宮に酷似、体勢は異なるものの斎宮にもよく似ています。参考:長瀬神社淀姫神社鏡神社


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.12.04
hisaLinさんのコメント:鹿島から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。ちょっと小高い丘?に神社があって、1mぐらいある肥前狛犬がいました。久しぶりにこんな大きな肥前狛犬を見ました。糸島で遭遇した八幡宮、旧二丈町の熊野神社に匹敵するくらいの大型でした。
(佐賀県小城市牛津町下砥川)
狛太郎のひとこと:小城郡誌によれば、中世当地を領した千葉氏が、鶴岡八幡宮を勧請したとあります。千葉氏は鎌倉時代、関東千葉の名門御家人でしたが、元寇への対応のために九州に下向してそのまま肥前国小城に定着、少弐氏と肥前を二分する勢力を築きました。
肥前狛犬は時代を降るごとに大型化の傾向を辿りますので、これは肥前狛犬としては後期の作品と考えられます。本来縦置きにすべきものですが、のちの獅子型の影響を受けたのか、横置きで向かい合っています。更にアウンの位置が左右逆なのは、取り違えかと思われます。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
10.12.06
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。この辺りで見かける狛チャンがいました。
(福岡県大牟田市田隈)
狛太郎のひとこと:大牟田は古代、三毛(みけ)と呼ばれていましたが、日本書紀・風土記ともに、「御木(みき)」が元々の国名であったと説明している由です。三毛から更に三池へと転訛しますが、それは三毛氏が没落し三池氏が台頭した鎌倉後期頃のことだったかと思われます。
狛犬は同じ大牟田の諏訪宮下段船津天満宮のものと似ているほか、柳川の白鳥神社、さらに熊本県荒尾市の綿津見神社のものと同類です。鼻ヒゲの具合が熊本風であることから、荒尾付近にモデルがあり、隣接する大牟田、さらに柳川へと海伝いに伝播したものと想像されます。


八剣(やつるぎ)神社

提供者:hisaLinさん
10.12.10
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。熊本風の狛チャンがいました。
(福岡県みやま市高田町下楠田)
狛太郎のひとこと:八剣神社は全国各地に多数存在しているようです。当社の祭神は素盞鳴尊(すさのをのみこと)ですが、大国主命、日本武尊という社もあります。これらは皆、草薙の剣に関係した神々であり、社名の通り、元々は剣自体を神格化した信仰であったと推察されます。
狛犬は熊本風のものです。みやま市は福岡県筑後地方に位置しますが、熊本県にも一部隣接しており、狛犬文化圏も重なる点があるのでしょう。もっとも、これまで拝見したみやま市の狛犬の中には、これほどはっきり熊本狛犬と認識できるものはありませんでした。


北岡(きたおか)神社

提供者:hisaLinさん
10.12.11
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から八代までサイクリングした時立ち寄りました。熊本駅の近くにあった神社ですが熊本で見かけない?狛ちゃんがいました。
(熊本県熊本市春日1丁目8-16)
狛太郎のひとこと:朱雀天皇の承平4(934)年、山城国八坂神社を勧請したという古社です。
冷泉天皇(10世紀後半)の頃まで毎年勅使参向があったとされ、以後菅原家が勅使兼務として代々勤めました。その時々の国主の崇敬を受け、江戸期には細川氏が崇敬しました。
狛犬は近年作らしく見受けられますが、熊本狛犬の特徴を現代的感覚でデフォルメして表現しており、短い前肢やびっしり並んだ細かい歯列に加え、豊かなアゴヒゲなどにその面影を伝えています。比較的細身である伝統的熊本狛犬に比べ、太くどっしりした体型に造られています。


隼鷹(はやたか)天満宮

提供者:hisaLinさん
10.12.12
hisaLinさんのコメント:阿蘇市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。神社の近所に的石(まといし)御茶屋跡があってというか、的石御茶屋跡に神社があるのかわかりませんが、ここにある透き通るような池?の水は「くまもと名水百選」にも選ばれてるそうです。ここの狛チャンの瞳は、投稿されてる宇奈岐日女神社(由布市)のようにくり貫かれてました。
(熊本県阿蘇市的石)
狛太郎のひとこと:肥後藩主細川氏の海難の危機にあたり、白鷹が現れてこれを救ったというのが当社の由緒です。ここで、当社名「隼鷹」と宇和島の「はいたか」神社の音通は無視できない事象であり、四国の信仰が阿蘇にも伝播していたという可能性を強く示唆するものです。
狛犬は熊本風のようにも見受けられますが典型的ではなく、むしろくっきりとヒトミを穿った目の表現は、他の熊本狛犬には見られない特徴です。その点は宇奈岐日女神社の狛犬に酷似していますし、体型も似ていると言えます。ただそれをもって同系とまでは判断できないようです。


奈良原(ならばら)神社

提供者:TAKOさん
10.12.13
TAKOさんのコメント:楢原山山頂(松山城から北東約19km、標高1042m)。玉川町上木地部落の氏神様ということで、整備された登山道ではなく、部落の入り口から登りました。約2時間位、下りは45分位、スキーのスラロームで落ちる感じでした。体調が良かったので思い切って登りましたが、一般の人は必ず登山道から登りましょう(笑)。
狛犬は見かけない顔つきです。初めての顔だと思います。年号を見たかったのですが、縦長の台座を横倒しにして、その上に乗せセメントで固定してあり、断念しました。
(愛媛県今治市玉川町字上之成己709番地)
狛太郎のひとこと:持統天皇4(693)年、国司が役小角を招いて当地を開き、伊邪那岐命などを祀ったのに始まるといいます。南北朝の末に、長慶天皇が当山に潜行されたことに因み、同天皇の霊をも合祀しました。当社境内から出土した宝塔、経筒などは国宝に指定されています。
狛犬はどことなく関西風の趣です。尾道型が優勢な愛媛県内では、少数派ではないでしょうか。風化のせいか彫りは浅く、表面も傷みが目立ちますが、ウンが一角を有する古典的様式を堅持しています。どっしりとした太い四肢が安定感をもたらしており、存在感があります。


風浪宮(ふうろうぐう)U

提供者:ひーちゃんさん 
10.12.16
ひーちゃんさんのコメント:はじめまして。近頃、狛犬天国にはまっています。
大川市在住のひーちゃんです。風浪宮の本社殿の狛犬は普段見れません。
11/27、28は風浪宮の本社殿再建450年ということで、特別に見る事ができました。
境内の狛犬は(「狛犬天国」に)掲載されてありますが、これはなかったので投稿してみました。境内にある他の狛犬は普通っぽいですが、これは細工がシンプルでかわいかったです。
あ像の舌が欠けていましたが、欠片が足元に置いてありました(笑)
狛犬初心者なので、石工の名前がよくわかりません。
(福岡県大川市酒見726−1)
狛太郎のひとこと:ひーちゃんさん、初投稿有難うございます。風浪宮はその名の示すとおり、神功皇后の海難を救った少童神(わだつみのかみ)を祀っています。皇后はこの神助によって、当地の榎津に無事漂着されました。皇后がこの地で同神を奉斎させたのが当社の始まりです。
滅多に見られない貴重な狛犬なのですね。典型的な筑後型ですが、やや細身で端正な姿であるので、この型としては比較的早期のものです。台座銘「生葉宿石工秦幸○」から、江戸期のものと分かります。「生葉(いくは)」はのちの「浮羽」、「秦」氏は筑後型の代表的な一門です。


会下天満(えげ・てんまん)神社

提供者:ishizakiさん
10.12.17
ishizakiさんのコメント:市内なんで、車をとめるとこがないんですが、離れたところに止めているときに撮ってきました。奉納されている牛はなんなんですかね、、、
(丸亀市中府町五丁目14-13)
狛太郎のひとこと:菅原道真が讃岐の国司であった縁で、公薨去の延喜3(903)年、当地に祠を建立した由です。ところで天満宮には牛がつきものです。公の亡骸を運ぶ途中、牛が動かなくなったためその場所に葬ったと伝えられており、牛が天満宮の神使とされるようになりました。
狛犬はどことなく浪花型の面影を持っています。はっきりそうと断定できないものの、頭の大きさや丸っこい体つき、また扇状の尾などからそのように感じます。香川県と徳島県は、尾道型主体の愛媛県とはかなり異なる狛犬文化圏であるようで、関西の影響が強いように思われます。


獅子王大明神(ししおう・だいみょうじん)

提供者:ishizakiさん
10.12.25
ishizakiさんのコメント:小さい狛犬を見つけました。
後ろを見ると、あまり珍しい形ではありません。
(香川県高松市小村町)
狛太郎のひとこと:平安後期の武将、源頼政が鵺(ぬえ)退治に使った名刀の名を「獅子王」と言うようですが、それと神社名との関連はわかりません。しかし、祭神が草薙剣に関わりの深い大国主命であることから、草薙剣と名刀「獅子王」が結びついている可能性はあります。
小型狛犬の場合、加工度を下げて強度を確保するのが普通です。この狛犬も全体的にはそのような意図が感じられますが、アの前肢は細く彫り出しており、心許ない印象です。ウンの前肢は案の定破損してしまったらしく、セメントを腹下に充填して倒壊を防いでいるように見えます。


八龍(はちりゅう)神社

提供者:ひーちゃんさん
10.12.26
ひーちゃんさんのコメント:こんばんは、先日、風浪宮の狛犬写真を送りました、ひーちゃんと申します。狛犬天国のお陰で狛犬さんに出会う度、嬉しくなる今日この頃です。
さて、先日、八女市黒木町田代の八龍神社のお祭り、田代風流を見に行きました。
神社の狛犬はかなり苔むしていました。この神社は、立花藩七代藩主 立花鑑通公が再建した神社です。奉納年など、読めませんでした 申し訳ございません。
(福岡県八女市黒木町田代)
狛太郎のひとこと:元禄15(1702)年創建の古社で、八種(やくさ)の雷神を祀っています。台座銘を読むのは大変ですが、干支が記されている場合には、年号の一部が欠けていても特定できることがあります。古さが分かると楽しさも倍増します。これからもチャレンジしてください。
狛犬は同じ八女市の八幡宮下段熊野神社に似ています。目の形、前肢の位置、ウンの歯を食いしばる感じなどが相似であり、すなわち筑後型の変種と考えられるものです。今のところ八女市で筑後型の投稿事例はありませんが、地理的にその影響下にあることは考えられます。


温泉熊野(おんせん・くまの)神社

提供者:hisaLinさん
10.12.30
hisaLinさんのコメント:島原半島一周サイクリングした時、立ち寄りました。旋毛眉毛の狛ちゃんがいました。
(長崎県島原市杉山町甲502)
狛太郎のひとこと:雲仙岳東麓の島原湾を望む微高地に鎮座して、白日別命(しらびわけのみこと)なを祀っています。古事記には九州は「身一つにして面4つ」とあり、4つの古代国家が成立していたことを示唆しています。そのうちのひとつ、筑紫国を神格化した存在が白日別です。
狛犬は島原特有のもので、スマートな体に長い巻毛が配された美しいデザインが特徴です。
この作品はオーソドックスな蹲踞ですが、ほかに様々なバリエーションがあり、自由で大胆な発想を取り込んでいるのもこのタイプの特徴といえます。(猛島神社八幡神社霊丘神社


御祖社(みおや・しゃ)

提供者:hisaLinさん
10.12.31
hisaLinさんのコメント:国東半島一周サイクリングした時、立ち寄りました。大阪の浪速型っぽい狛チャンがいました。
(大分県国東市国東町富来浦)
狛太郎のひとこと:御祖社と言えば鴨御祖社(下鴨神社)が有名ですが、当社は応安元(1368)年に熊野権現を勧請とありますので、それとは無関係のようです。熊野信仰では原初神のほかに、伊邪那岐・伊邪那美も祀っており、御祖とはこの万物創成神を指すのかも知れません。
狛犬は浪花型です。笑っているような面相が特徴で、発祥地は大阪です。近畿地方以遠にはあまり広がりが見られないところ、この国東では桜八幡神社にも類例があります。また他にも、尾道型(奈多宮)や出雲型(山神社)など多様であり、国東の特殊な交流関係を伺わせます。


大己貴(おおなむち)神社

提供者:hisaLinさん
11.01.02
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米方面をサイクリングした時、立ち寄りました。この辺りで見掛けない狛犬がいました。
(福岡県久留米市城島町芦塚)
狛太郎のひとこと:当地は筑後川を越えて、佐賀県みやき町に食い込んだ形で久留米市の一部をなしています。そのせいか、肥前狛犬など佐賀風の狛犬が散見されます(厳島神社A)。
大己貴命は大国主命(大黒様)の別名ですが、地元では「おおなもじ」と呼んでいるようです。
狛犬は手足の長いスマートな体形をしています。この地区で優勢であるはずの筑後型とは異なり、断言できませんが佐賀の塩田型の特徴を有しています。風化が進んで不鮮明ですが、髪の渦が高く盛りつけられ、装飾性の強い造形であることなどにその片鱗を見ることができます。


内牧菅原(うちのまき・すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
11.01.03
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
熊本風?の狛ちゃんがいました。
(熊本県阿蘇市内牧416)
狛太郎のひとこと:内牧温泉は阿蘇北麓にあり、阿蘇温泉郷中、最大規模を誇っています。歴史的には明治以来と意外にも新しいものです。田園が広がる平坦地にあり、広範囲に施設が散在するため、いわゆる温泉街という風情はありませんが、アクセスの良さで賑わっています。
狛犬は熊本風です。その特徴は鼻ヒゲと豊かな顎ヒゲ、ウンのびっしり並んだ歯列などです。
また前肢の付け根が胸から腹側へやや退いた位置にあるため、どうしても短足にならざるを得ません。熊本狛犬の全体的な印象としては、まずこの点が目につきやすい特徴となります。


白山(はくさん)神社

提供者:hisaLinさん
11.01.04
hisaLinさんのコメント:福岡から唐津方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りで見掛ける狛犬1対(上段)と、あまり見掛けない狛犬さん(下段)がいました。
(福岡県糸島市二丈町福井)
狛太郎のひとこと:用明天皇(6世紀)の時代に加賀白山神社を勧請したという古社で、祭神は菊理姫(くくりひめ)です。姫は伊邪那岐命が黄泉国から生還のとき出現した神ですが、事績の伝わらない、いわゆる埋没神です。しかしその信仰は全国3千社にも及ぶと言われています。
(上段)横に張り出す独特の耳の形が可愛い前原型です。糸島市全域に分布しているようですが、中心が旧前原市にあると推測されますので、前原型と呼んでいます。どの個体もかなり完成度が高く、これの前身に相当するものが見られないのは不思議です。(託社神社下段など)
(下段)前原型とは明らかに違っていますが、胸の張り具合、尾の形、ウンの玉取りなど共通点もあります。画像ではかなり古く見えますので、あるいは前原型が完成するまでの過渡期的作品かも知れません。これの類例が幾つか見つかれば、そう位置づけることが可能になります。


八坂(やさか)神社

提供者:hisaLinさん
11.01.06




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A





B
hisaLinさんのコメント:北九州市内をポタリングした時、立ち寄りました。小倉城内付近の神社に3対の異なる狛犬がいました。
(福岡県北九州市小倉北区城内)
狛太郎のひとこと:創祀は貞観年中(9C)とされます。元和3(1617)年に小倉城主細川忠興が社殿を創建、爾来代々の崇敬を受けました。昭和9年に小倉城内に遷座。なお当社の神楽殿にはハート形でピンクの鰐口が架かっており、珍しいものなので参考までに付け加えておきます。
@北九州方面で一般的なタイプです。幅の広い顔立ち、扁平な頭頂、口の回りの縁取りなどが特徴で、固い御影石のため彫刻は浅めです。目にはヒトミを彫り、ウンは一角を有します。
Aこれも北九州的な作品ですが、他のものより複雑でシャープな線が刻まれています。
体型は細身で、前肢は不安定なほど華奢に見えます。また大腿部も細く尖った形です。
B様式的には五所八幡宮のものに通じます。独特なのは、恐らく石造でありながら全身に彩色を施している点です。石造であれば地肌の保護という意味合いは小さいはずなので、やはり装飾的意図によるものなのでしょうか。金色の輝きが美しいと言えば美しいのですが…。


竈門(かまど)神社

提供者:hisaLinさん
11.01.08
hisaLinさんのコメント:福岡市内から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。2対の少し違う?筑後型の狛ちゃんがいました。
(福岡県小郡市力武)
狛太郎のひとこと:各地の竈門神社の祭神は、玉依姫命が一般的です。しかし資料によると、当竈門神社は神功皇后の母を祀っています。皇后は14代天皇の妃なので、初代神武天皇の母である玉依姫命とは、だいぶ世代が違います。何か別のいわれがあるのでしょう。
(上段)筑後型には違いありませんが、どこか「そっくりさん」的な印象が否めません。この型に不慣れな職人の作品なのかもしれません。耳の造り分けなど特徴を忠実になぞっていることは分かりますが、顔立ちが細面で開口角も小さく、筑後型特有の迫力を再現しきれていません。
(下段)こちらは典型的な筑後型です。吊り上がる眉と眼光鋭いまな差し、大きく開いた口など、この型の持ち味である男性的な力強さがよく表現されています。体格は2体ともほぼ同じですが、下段の方が筋肉の張りや重量感が感じられ、やはり優れているように思われます。


八坂社(やさか・しゃ)

提供者:hisaLinさん
11.01.09
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋までサイクリングした時、立ち寄りました。
変わった雰囲気の狛犬がいました。
(大分県宇佐市北宇佐)
狛太郎のひとこと:八坂社はもと「祇園社」「感神院」などと称していました。「八坂社」は明治の神仏分離令以降の呼称です。当社鳥居の額には「天王宮」とあったそうですが、これは祭神の素盞鳴尊が、仏教の祇園精舎の守護神「牛頭天王」と同一神とされるところからきています。
狛犬はあまり見かけないタイプですね。スマートな体形で顔も小さく、バランスの取れた端正な容貌をしています。それがデザイン化されたヒゲの表現や滑らかな体表などと良くマッチしており、近代的な印象の作品です。あまり伝統様式に拘らず、自由な発想で造られているようです。


大野湊(おおのみなと)神社

提供者:hisaLinさん
11.01.10




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hisaLinさんのコメント:金沢旅行に行ったときに、立ち寄りました。神社は結構大きくて、出雲型の狛犬2対、系統の違う狛犬2対、それと驚いたことに、柳川市三橋町の熊野神社肥前狛犬に似た、約60cmもある狛犬がいました。もし、肥前狛犬なら驚きです。
(石川県金沢市寺中町)
狛太郎のひとこと:神亀4(727)年に猿田彦命を勧請したという古社で、延喜式にも登載された式内社です。当初は大野郷の湊に鎮座していましたが敷地が水没、建長4(1252)年に現在地に遷座しました。戦国時代に荒廃したものの前田利家が再興、以後代々の崇敬を受けました。
@出雲狛犬は日本海航路を通じて北陸方面にも流通しました。これは風化が著しく間もなく砂礫に帰す運命にあるようですが、時代としては100年をそれほど超さないものでしょう。素材の来待石は柔らかくて細密な彫刻に適していますが、それだけに寿命はとても短いのです。
A出雲式の狛犬です。厳めしい風貌と堂々たる体格、屹立する尾など迫力のある造形に見応えがあります。加えて、足元の盤は上面を自然石風に仕上げ、ワイルド感を増幅しています。
一方で繊細な技法も冴えており、ほぼ完形を保っているのは喜ばしいことです。
B関西風の狛犬です。比較的新しいようですが浪花型の面影も垣間見られ、ウンが一角を有する伝統様式が守られています。豊かな髪と尾に量感があり、この点も関西的であるようです。
砂岩でない石をこれだけ彫り込めているので、工具の発達した近現代の作品と推測します。
C装飾性の少ないシンプルな造形で、木造狛犬がモデルではないかと思われます。木造狛犬は細身で精悍に造るものが多く、それを石で写したのではないでしょうか。ただし素材が石の場合は痩躯に造ると強度に問題があり、次第に肉付き良く変わっていったと考えています。
D仰る通りこれが肥前狛犬だとすれば大変な驚きです。肥前と加賀の接点と言えば、名護屋城に諸将が終結した文禄慶長の役が思い当たります。前田利家もここに陣を構えていましたし、肥前狛犬の発祥もちょうどその頃ですから、彼らが肥前狛犬に接した可能性は大です。当時の肥前狛犬は30a未満が普通でしたから、この60aという大きさについては別途考察が必要ですが、これが戦国武将を通じた文化交流の遺産とすれば、歴史的発見かもしれません。


藤尾八幡(ふじお・はちまん)神社

提供者:ishizakiさん
11.01.14
ishizakiさんのコメント:ここは山自体が御神体です。タヌキ、ライオン、ウシ、ウマ、意味が良くわかりません。googleマップの写真にも、タヌキの石像は、「おまんさん」と書いて載っています。
(香川県高松市植田)
狛太郎のひとこと:讃岐平野は多くの川が造った沖積平野で、早くから人の集住がありました。そのため当社の創立も、養老または天平(いずれも8世紀)と古い歴史を伝えています。祭祀のあり方も、藤尾山を神体山とする神奈備信仰であり、原初的信仰形態を今に伝えています。
狛犬は関西風のオーソドックスな蹲踞です。このタイプは中国地方から北九州方面にかけても似たものが見られ、非常に分布範囲が広いため、実際の中心地がどこであるのかは未解明です。パルメット状の尾を扇状の尾と呼んでいますが、これが関西風たる要素の一つです。


宇佐八幡宮(うさ・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
11.01.26
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米方面までポタリングした時、立ち寄りました。筑後型っぽい狛ちゃんがいました。
(佐賀県三養基郡上峰町坊所)
狛太郎のひとこと:鎮西八郎を名乗った源為朝が、久寿2(1155)年に勧請したと伝えられます。為朝は2mを超す大男とされ、破天荒な活躍の伝説が残されてます。佐賀県内では有田の黒髪山の大蛇退治伝説が名高く、地元の万寿姫とのロマンスが今に語り継がれています。
三養基郡は鳥栖市と並んで筑後型が優勢な地域で、この作品もそうした中の一つになります。しかし口の回りの剛毛は典型例にはない特徴である一方、近隣の天満宮八大龍王神社などとは共通であるため、この地方で独特の地域性が付加されたものと見ることができます。


永草菅原(ながくさ・すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
11.01.29
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
胴長短足の熊本風?の狛ちゃんがいました。
(熊本県阿蘇市永草)
狛太郎のひとこと:阿蘇北麓の平坦地に位置し、肥後一宮の阿蘇神社にも近い場所です。当地には「虎舞」という伝統芸能があり、豊作祈願のために阿蘇神社に奉納したのが始まりとされています。画像で見る限り「獅子舞」のようですが、どうして「虎」なのかはよく分かりません。
熊本狛犬に特有の短足ぶりが際立っています。前肢の付け根が腹側に後退した位置にあるため、どうしてもこうしたプロポーションにならざるを得ません。その分、顔を前方に突き出すような姿勢となり、顔面を強く印象付けるのには役立っています。細かい歯列も特徴の一つです。


櫛原(くしはら)天満宮

提供者:hisaLinさん
11.01.30
hisaLinさんのコメント:久留米市内をポタリングした時、立ち寄りました。
筑後型の狛ちゃん2対と、もう1対狛ちゃんがいました。
(福岡県久留米市東櫛原町)
狛太郎のひとこと:後鳥羽天皇の時代、文治5(1189)年に創建と伝えられる古社で、菅原道真を祀っています。一説には源頼朝の創建とも。戦国期に古文書焼失で創建以来の記録を失いましたが、江戸期には久留米藩主有馬氏の崇敬を受け、明治の制では郷社に列しました。
(上段)筑後型のうち、幾分変化を含んだタイプに属します。久留米市からやや離れた地域では典型例に変化を加えたものがよく見られますが、本場の久留米では珍しいかも知れません。
ヒゲに毛筋を付けていること、ウンの下唇が上歯に隠れて見えないことなどがそれです。
(中段)こちらはほぼ典型例であるといえます。毛筋を省略した髪、ウンの一角、筋肉の盛り上がりなど筑後型そのものです。ただ、耳の造り分けがないことや、極端に強調した小鼻、ウンの顎の様子など、独自性を求めた様子もうかがえます。やや変化が認められる作例です。
(下段)筑後型のプロトタイプと位置づけているものです。顔立ちや髪の意匠にその片鱗がうかがえるものの、体格はまだ細身で木造狛犬の面影を偲ばせるものです。ただしまだ年代特定が不十分なので、本当に時代の前後を意味しているかは、今のところ確信できていません。


熊野宮(くまのぐう)

提供者:hisaLinさん
11.02.03
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時立ち寄りました。
この辺りで見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県大牟田市宮崎)
狛太郎のひとこと:大牟田は旧筑後国の中でも南端に位置し、肥後国との国境の町です。またここには三池藩が成立していて、中心地の久留米とは異なった文化が育まれていたと思われます。そのせいか大牟田の狛犬は、これまでのところ、かなり独特のものが多いようです。
吊り上がった三連経巻渦の眉、瞳のある見開いた目、大きな団子鼻などが、同じ大牟田市の船津天満宮と類似です。みやま市の天満神社や、柳川市の白鳥神社などにも似たものがあります。細部はそれぞれ違いますが、全体的なイメージには共通性があります。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
11.02.05
hisaLinさんのコメント:福岡市から朝倉市、日田までサイクリングした時立ち寄りました。
コスモスのシーズンでキリンビール工場近く(コスモス園?)のコスモスが綺麗でした。
その近くに筑後型の狛ちゃんがいました。
(福岡県朝倉市馬田)
狛太郎のひとこと:年代不詳ですが、桑野某が熊野に参詣のおり、祠の木片を持ち帰って像を刻み、ここに祀ったのが始まりとされます。祭神は伊邪那岐・伊邪那美の二神と樟日命(クスヒノミコト)です。前二者は国土の創造神、後者は天照大神の持ち物から生じた神です。
狛犬は典型的筑後型です。体型、顔立ち、歯列、アウンによる耳の造り分けから足位置に至るまで、筑後型そのものと言える作品です。筑後型には体表を滑らかに磨いたものとつつき仕上げを施したものがありますが、これは後者です。体毛を表現したものかと思われます。


庄山(しょうやま)神社

提供者:hisaLinさん
11.02.13




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hisaLinさんのコメント:大牟田駅から八代までサイキリングした時、立ち寄りました。
(上段)大牟田地方に多い狛ちゃん、(中段)スタイルだけは佐賀の神崎地方に多い狛チャン、(下段)色つきの瀬戸内海地方に多い尾道型の狛ちゃんと、多種多様の狛チャンが海辺じゃないところにいました。
(熊本県玉名市岱明町庄山)
狛太郎のひとこと:菊池川流域は古代から開けた地域で、全国の装飾古墳の4分の1がここに集中していると言われます。玉名郡和水町の江田船山古墳からは、雄略天皇のことを記したと思われる、有名な銀象嵌銘太刀が出土しています。当社はその下流域に位置します。
@大牟田市の諏訪宮(下段)八幡神社と同じ子取りのモチーフであり、顔立ちは熊野宮にも似ています。また荒尾市の綿津見神社や柳川市の白鳥神社とも共通性があり、福岡県南部から熊本県にかけて広く分布しているもののようです。いずれも目にヒトミを刻んでいます。
A「佐賀県の神埼地方に多い」というご指摘ですが、確かに熊本狛犬とはかなり風貌が異なっており、長い前肢や流麗な毛筋など、むしろ佐賀の塩田型を彷彿させる造形です。
B巨大玉取りの意匠は尾道型を踏襲したもののようですが、それ以外は全く別物です。
ひらひらと張り出した大きな耳は、強度の面から他の狛犬では見られないものです。禍々しい彩色ですが、後肢足首は塗り分けによってサンダル履きのようにも見え、微笑ましさもあります。


地禄(ちろく)神社

提供者:hisaLinさん
11.02.14
hisaLinさんのコメント:福岡市内をポタリングしてる時、立ち寄りました。ワッハッハと笑ってるような狛ちゃんがいました。
(福岡県福岡市南区井尻)
狛太郎のひとこと:地禄神社は福岡県北半に分布しており、埴安彦命(はにやすひこのみこと)を祀っています。埴は埴輪(はにわ)の埴であり、赤土や粘土質の土を指すとされるので、むしろ耕作には不適な土質であるのに、農業神として祀られているのは不思議な気がします。
狛犬はなかなかリアルな造形で、鎌倉彫刻のような力感と装飾性を兼備しています。凝った顎髭や全身の筋肉など緻密な細工が施されている反面、鼻ヒゲは3本の沈線で簡単に描かれており、そのギャップが印象的です。古賀市の五所神社とは、同じ作者であろうと思われます。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
11.02.17
hisaLinさんのコメント:飯塚から水巻までサイクリングした時立ち寄りました。
この辺り(遠賀川周辺?)でよく見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県宮若市鶴田)
狛太郎のひとこと:日吉神社そのものの由緒は不詳ですが、鎌倉初期に建立されたという天照宮の御神幸が、当社を御旅所として巡る慣わしであるところから、当社も相当に古い歴史を持つものと想像されます。神輿が到着の際には、巫女による優雅な舞いが披露される由です。
狛犬は大きな目と太い眉、肩幅広くがっしりした体つきが特徴です。また波打つような唇のラインと太い牙も目立っています。全体的な印象は福岡県北部で一般的なものと共通性が高いように思われ、特に隣接する小竹町の亀山神社(上段)とは雰囲気が良く似ています。


大島八幡(おおしま・はちまん)神社

提供者:TAKOさん
11.02.19
TAKOさんのコメント:JR予讃線、多喜浜駅北東約4km。
入口は一つですが、中に2社あります。浪花型の狛犬。笑い顔と怒り顔との中間で、観る人の心を映すかのようです。(銘は)「寛政六(1794)甲寅年、秋八月吉日」。
他に、八幡神社本殿内に、焼き物の狛犬が3種類、4個体あります。寒い一日でした。 
(愛媛県新居浜市大島宮山乙73)
狛太郎のひとこと:燧灘に浮かぶ大島は、伊予水軍の統領・村上義弘生誕の地と伝えられています。貞観元(859)年、宇佐八幡宮を京都に遷宮の際、風波を避けて当港に寄港したおり、行宮を造立したのが当社の始まりとされます。境内社には大元神社(国常立命)があります。
狛犬は浪花型弥坂神社下段御幸森天神社下段など)です。笑ったような顔つきと丸味を帯びた体つきが特徴です。寛政6年ならこのタイプとしてはかなり早期のものであり、その時期に新居浜にまで進出していたのは驚きです。体部にもかなり細かい仕事が施されています。


白山(しらやま)神社

提供者:ishizakiさん
11.02.20
ishizakiさんのコメント:この山に祝日には旗が上がるんですが、小さい山に旗が立って、お子様ランチかい、、と言うようなものです。以前に、偶然に旗をたたんでいるのを見ましたが、ものすごい大きさです。5m四方もあるようなもので、天気が悪くなって、夕立でぬれたりすると降ろせなくなるからと言っていました。畳んだ大きさも、通常のリックサックの数倍の大きさでした。
(香川県木田郡三木町大字下高岡字白山973番)
狛太郎のひとこと:標高203mの白山は、その秀麗な山容から東讃富士と称され、山頂に龍王神社、山裾に白山神社が祭られています。白山神社は延長4(926)年創建の式内社とする説があり、また一説には同町の式内社、鰐河神社の境外末社であったともされる古社です。
狛犬は大きな目がややつり上がり、特にウンは乱杭歯を噛みしめた厳めしい表情ですが、丸顔のためにその忿怒相は幾分和らいだものになっています。香川の狛犬はまだサンプルが少ないので全体の傾向は不明ながら、これは個性の点でも細工の腕でも、出色らしく思われます。


塩屋(しおや)神社

提供者:picapicaさん
11.02.25
picapicaさんのコメント:唐津高島の宝当神社に行ってきました。
宝当神社には狛犬はいませんでしたが、高島のもうひとつの神社の塩屋神社には、大正2年と昭和58年に奉納された2対の狛犬がいました。古いほうの阿像は上顎が破損していました。
石工名が彫ってありますが、「竹木〇 石工 〇永〇太郎」とは読めるのですが〇の部分が読めません。写真を添付しますので、読んでみて下さい。
新しいほうは最近あちこちで見かけるやつです。
(佐賀県唐津市高島)
狛太郎のひとこと:宝くじの当選祈願で有名な宝当神社のある高島には、実はもう一つ古い神社があります。それがこの塩屋神社です。当地の支配者野崎隠岐守綱吉が、天正9(1581)年に祖先の藤原氏を祀る神社を建立したのが始まりとされます。現在は日吉神を祀っています。
(上段)大正期の正統派唐津型です。顔面が破損し残念な状態ですが、全体では唐津型の威容を保っています。石工名は資料照合の結果、「竹木場 石工 徳永徳太郎」と判明しました。同人の作品は他にもあり、やはり大正初頭です。なお「徳永」は唐津石工の代表的姓です。
(下段)狛犬の画一化が進んだ頃のもので、岡崎型を元にした機械彫りの作品です。現在では中国などで加工したものが主流ですが、この頃はまだ国内で造られていたかも知れません。


朝星(あさほし)神社

提供者:TAKOさん
11.02.28
TAKOさんのコメント:四十番札所、観自在寺北東1km。「明治廿九(1896)年旧○月吉日。
平城石工、水野利三郎作」。地元産の南予型でした。牙が小さい分、柔らかく感じられます。
月初めで寒い一日でした。 
(愛媛県南宇和郡愛南町御荘長月光専池)
狛太郎のひとこと:当社祭神の加賀世男命(かがせおのみこと)は、天津甕星(あまつみかぼし=金星)と同神とされており、社名も「明けの明星」を意味すると思われます。またこの神は虚空蔵菩薩(宇宙)と関連づけられており、神仏分離以前は仏としての信仰であったと思われます。
狛犬はTAKOさん命名の「南予型」です。瀬戸内沿岸地方に分布する「尾道型」から派生した一派で、長大な牙と独特の面相が特徴です。完成度の高い造形が持ち味の南予型の中で、この作品は荒削りさが目立っており、その分、プリミティブな迫力と親しみ易さを兼備しています。


安岡(やすおか)八幡宮

提供者:hisaLinさん
11.03.05




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hisaLinさんのコメント:山口県の小串駅から折尾駅までサイクリングした時立ち寄りました。
北九州周辺で見る?ような狛チャンが2対いました。
石が硬いのか、彫りは浅いような感じがしました。
(山口県下関市安岡町)
狛太郎のひとこと:平安時代末の寿永年間(1182〜1183)に、源頼範が鎌倉鶴岡八幡宮を勧請したのが始まりとされる古社です。頼範はあの義経と同じく源頼朝の異母弟で、平家追討使としてこの地方にも進撃していますから、こうした由緒には真実味が感じられるところです。
(上段)北九州から中国地方にかけて見られる、御影石に比較的浅く彫ったタイプです。固い石なので、昔の工法では制約が多かったと推察されますが、これはその中では良く彫り込んであり、陰影に富んだ造形が実現されています。顔立ちも愛らしく、親しみの持てる作品です。
(下段)同じく固そうな石を用いた作品ですが、顔立ちや体型が古めかしく、時代を経たもののようです。そのせいか更に彫りが浅く、風化も進んでいるようですが、顔が小さくスタイルは抜群です。ウンには大きな破損痕があるものの、それさえも年を経た風格の形成に寄与しています。


河尻(かわしり)神社

提供者:hisaLinさん
11.03.13
hisaLinさんのコメント:大牟田から八代まで走ったとき立ち寄りました。ちょうど秋季例大祭があってて、流鏑馬・下り馬?があってましてお馬さんの競争?があってました。
(熊本県熊本市八幡)
狛太郎のひとこと:鎌倉初期の建久8(1197)年、地頭の川尻三郎が鶴岡八幡宮を勧請したのが始まりとされます。中世に至って川尻87ヶ村の総氏神となり、社領33町歩を有したとされる有力社でした。国主が加藤氏、細川氏と代わっても変わらぬ崇敬を受け、今日に至っています。
狛犬は典型的な熊本狛犬です。顔面の意匠に力点があり、頭部の大きさに比べて体格はやや貧弱です。特に前肢の短さがこのタイプの大きな特徴をなしています。しかし細工は丁寧で、細かい歯列をはじめ柔らかく流れる髪など、細部を疎かにしない配慮が行き届いています。


甲宗(こうそう)八幡神社

提供者:hisaLinさん
11.03.16
hisaLinさんのコメント:山口県の小串駅から折尾駅までサイクリングした時立ち寄りました。北九州でよく見かける狛チャンがいました。
(福岡県北九州市門司区旧門司)
狛太郎のひとこと:貞観2(860)年創建という古社です。文治元(1185)年源義経・範頼が社殿造営、建武3(1336)年足利尊氏、元禄12(1699)年には毛利元就がそれぞれ再興など、華麗な歴史に彩られています。社名は神功皇后の甲(かぶと)を祀るという由緒によるとされます。
狛犬は太い眉とタドンのような目、上下が繋がる牙などから、田川(恵美須神社春日神社)の系統のように思われます。固そうな石ですがきれいに仕上げてあり、毛筋などもくっきりと陰影に富んでいます。足指が盤の角を掴む意匠により、動きや力強さが表現されています。


山(やま)神社

提供者:hisaLinさん
11.03.17
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から杵築駅まで国東半島一周したとき立ち寄りました。
(大分県豊後高田市臼野)
狛太郎のひとこと:山神社という神社は各地に見られますが、おおむね山の主宰者「大山祇命(おおやまつみのみこと)」を祀っています。元々はその地方に特有の山神を祀っていたものと推察されますが、やがて記紀に登場する有名神に置き換わっていったらしく思われます。
狛犬はフォーマルな外貌を持つ子取り・玉取りです。このモチーフは江戸型に多く採用されているところであり、玉に文様を施したり、子獅子を立ち上げるなど個性化をはかろうとする意図もまた然りです。ただ狛犬自体は江戸型ではなく、強いていえば古い岡崎型に似た顔立ちです。


志賀(しか)神社

提供者:hisaLinさん
11.03.19
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
筑後型の血が濃いけど、ちょっと違う系統が混じってるような狛ちゃんがいました。
(福岡県三潴郡大木町大字前牟田)
狛太郎のひとこと:綿津見(わたつみ)三神を祀っています。嘉禎2(1236)年に中村伊豆守が勧請、とあるので、福岡志賀島の志賀海神社を勧請したものと思われます。綿津見は「海」の古語であり、志賀島は同じ福岡県の宗像とともに、海人族発祥の地と目されている場所です。
狛犬は筑後型のバリアントです。久留米市で完成された筑後型は、地域を遠ざかるにつれて少しずつ変化が加えられ、遠隔地では原型から遠く離れたものとなっていきますが、この作品は典型例の姿をよく残しています。アウンの耳の造り分け、ウンの一角などがそれです。


陳内阿蘇(じんない・あそ)神社

提供者:hisaLinさん
11.03.20
hisaLinさんのコメント:大牟田から八代まで走ったとき、立ち寄りました。
独特な雰囲気があって、熊本風じゃない?狛ちゃんがいました。
(熊本県熊本市龍田陳内)
狛太郎のひとこと:肥後国一の宮の阿蘇神社から祭神の勧請を願ったものの、主祭神の健磐龍命(たけいわたつのみこと)は許されず、妻の阿蘇都比当ス(あそつひめのみこと)を許されて祀ったと伝えています。健磐龍命は阿蘇山の神で、初代神武天皇の孫とされています。
狛犬は確かに熊本風ではない、変わった風貌をしています。特にモミアゲから顎にかけての毛房が独特であり、毛足の長い髪、豪快に刻まれた尾など、多分に装飾性が意識されています。
これまでの見聞の範囲では系統づけることのできない、独自性の強い作品です。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.03.30




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hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
3対の異なる狛ちゃんがいました。
(福岡県柳川市蒲生)
狛太郎のひとこと:柳川市と佐賀市は、筑後川を挟んで隣接する地域であるだけに、古来生活上の結びつきは強いものがありました。どちらも平野部にはクリークが網の目のように張り巡らされ、ともに「水郷」を称していますし、狛犬文化にも多々、類似性を指摘することができます。
@筑後型をベースにしたバリアントのようですが、筑後型にはない岩狛というスタイルに、佐賀狛犬の影響がうかがえます。またアウンの耳は造り分けられていますが、筑後型とは逆に、ウンが立耳です。全体に筑後型の典型例からは、かなり離れた造形になっています。
A同じ柳川市の三島神社のものと相似です。出雲式の体勢をとっていますが、地元産と思われます。尾は複雑な渦の集積で、ひとかたまりの蕾状を呈しています。柳川狛犬には幾つかのグループがあるようですが、いずれも独特で、個性の強いものです。本作品もその一つです。
B同じく出雲式の体勢ですが、中段のものよりも、形の上では本場の出雲式に近づいています。頭の位置が低く、顎がほとんど盤に接している点や、後肢がほぼ直立している点などがそうです。しかし顔立ちは全く違っており、地元産の雰囲気を濃厚に持っています。


淀姫(よどひめ)神社

提供者:hisaLinさん
11.03.31
hisaLinさんのコメント:唐津駅から204号線沿いを走ったとき、立ち寄りました。
外津橋を渡って降りたところある神社でしたが、唐津では見かけない狛チャンがいました。
(佐賀県東松浦郡玄海町今村)
狛太郎のひとこと:イカで有名な呼子から太閤秀吉の名護屋城址を通過すると、玄界灘から切れ込んだ外津(ほかわづ)湾にさしかかります。玄海町は佐賀三大石工のひとつ、唐津(値賀)石工のお膝元であり、その発祥はまさに名護屋城の築城にかかるものとされています。
狛犬は唐津地区では見かけない独特のものです。唐津石工のテリトリーでありながら唐津型とは全く異なるもので、犬歯の間の4本の鋭い歯やタドン状の大きな目、さらに出雲式の体勢など、異色の作品です。唐津型を思わせるところは眉の形くらいです。不思議な存在といえます。


和爾賀波(わにかわ)神社

提供者:ishizakiさん
11.04.01
ishizakiさんのコメント:三木町の神社です。嘉永です。
他のは平成、昭和。後ろ側は、、、従軍もあるし、忠魂碑も、日露も。
(香川県木田郡三木町井戸)
狛太郎のひとこと:山彦海彦で知られる山幸彦(火遠理命ほおりのみこと)の妻、豊玉姫命を祀っています。延喜式(10世紀)所載の明神小社・和爾賀波神社の後裔と目される古社です。
記録の途絶により、そうと断定しかねるものを「論社」と称しますが、当社もそのひとつです。
狛犬は嘉永(1848〜53)年間とのことで正に幕末、維新直前の作品です。顔立ちから察するに浪花型であるようですが、幾分典型例からは離れているようです。しかし笑ったような面相や、丸味を帯びた体つきは継承されており、親しみやすさと味わい深さは十分備わっています。


鰐河(わにかわ)神社

提供者:ishizakiさん
11.04.02
ishizakiさんのコメント:こまわりくん、思い出しませんか、、、
三木町、鰐河八幡です。
うんの顔が面白いですね、、、
(香川県木田郡三木町下高岡)
狛太郎のひとこと:上記と同じく式内社の論社です。祭神の豊玉姫は、海神の娘で鰐の化身でした。お産のとき元の姿に戻ったのを夫に見られため、御子を残して海に去ったと伝えられます。この「見るな」型のタブーは、日本では鶴の恩返しなど多くの民話で繰り返し登場します。
狛犬は顔立ちにどこか人間らしさがあり、横長のアーモンド状の目が独特です。特にウンの下ぶくれの顔は、かつて一世を風靡した漫画「がきデカ」の主人公、こまわり君を彷彿させます。
とは言え、製作態度は非常にきまじめであり、隅々まで気を配った秀作であると思います。


興玉(おきたま)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.03
hisaLinさんのコメント:宮若、中間市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。綱敷天満宮の狛犬さんに似た狛犬さんがいました。
(福岡県宮若市高野)
狛太郎のひとこと:祭神の猿田彦大神(さるたひこ)は、天孫降臨の際、道案内をした神です。
そこから中国の旅行神の道祖、さらに「さる」の音通から庚申(かのえさる)信仰とも習合するなど、複雑な様相を呈しています。「記紀」の描く姿から、天狗のモデルとも考えられています。
狛犬は筋骨逞しく、髪の渦も豪快です。顔面が損傷しているので分かりにくいですが、肩から胸にかけての筋肉の盛り上がり方や足の位置などから、垂裕神社大己貴神社貴船神社などで見られる朝倉型に近いように思われますが、どうでしょうか。


宗像(むなかた)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.04




@





A





B
hisaLinさんのコメント:大分県の宇佐駅から、10号線沿いに小倉経由で折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。3対の異なる狛犬がいました。
(福岡県北九州市小倉南区上曽根5丁目)
狛太郎のひとこと:宗像神社の祭神は市杵島姫など三姉妹神です。これを祀った宗像氏は響灘から玄界灘にかけて広大な海域を支配した古代豪族で、宗像大社の宝物は「海の正倉院」とも称されるほどです。地政学上の重要性から、大和朝廷の重要祭祀が頻繁に行われた証です。
@立ち上がった大きな子獅子を右肢で抱えるというモチーフは、綿津見神社白鳥神社などでも見られるものですが、それらが熊本系と見られるのに対し、こちらは北九州的造形です。
A大きく平べったい顔に目鼻口が集中して配置されており、個性的という以上のものがあります。唇の形に合わせて歯列も波打つというデフォルメは、他にはない驚きの意匠です。
Bアのアゴ下の毛並みが注目点です。中央で左右に分かれるのが一般的であるのに対して、これは全体が右肩方向に流れています。風に吹かれたような、モダンなデザインです。


春日(かすが)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.05
hisaLinさんのコメント:唐津から伊万里方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
唐津では見かけない狛犬がいました。
(佐賀県唐津市養母田)
狛太郎のひとこと:諸国の春日神社の総本社は奈良の春日大社です。大社は和銅2(709)年、平城京の造営に際し、藤原氏が武甕槌神を勧請して創建しました。藤原氏の勢力伸張とともに各地に分社が造られ、当社もその一つと思われます。松浦川河畔の高台に鎮座しています。
狛犬は力強さの強調が顕著です。ボタン花を配した前立てに足を掛ける体勢は、岩狛にヒントを得たものでしょう。全体に良く彫り込んでありますが、それほど古くはなく、昭和後期くらいではないでしょうか。系統不明ながら、牙が2対あるところから、唐津型の発展形と想像されます。


神鉾(かみほこ)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.06
hisaLinさんのコメント:久留米から、耳納連山沿いの151号線を吉井までサイクリングした時、立ち寄りました。
(福岡県久留米市田主丸町竹野)
狛太郎のひとこと:珍しい社名に興味をひかれますが、由緒は分かりませんでした。珍しいと言えば田主丸という地名も相当珍しいのですが、これについては、開祖菊池氏の「我、楽しう生まる」から転じたとも。しかし地名説話は総じて無理なこじつけが多いので何とも言えません。
狛犬は重量感が持ち味の筑後型です。片足を引くスタンスがこの型の目立った特色ですが、耳の造り分けという細部にも注目しなければなりません。またしばしばウンは一角を有し、さらに髪型も造り分けていることがあり、ひとつの完成した典型様式の存在がうかがえます。


須賀(すが)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.07
hisaLinさんのコメント:宮若、中間市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
綱敷(つなしき)天満宮の狛犬さんに似た狛犬さんがいました。
(福岡県直方市植木)
狛太郎のひとこと:舒明天皇の時(7世紀)に創建と伝える古社で、当初「武徳社」と号し、貞観15(873)年に「祇園社」と改めました。祭神の素盞鳴尊が祇園精舎の守護神であることによるもので、神仏習合の態様を示しています。明治の神仏分離令に伴って現社号に改めました。
狛犬は石の材質や目に瞳孔がある点で、ご指摘のものに似ていますが、系統としては北九州方面に見られるもののようです。眉の感じ、牙の形、体格、前肢の脚線などが、甲宗八幡神社多賀神社(下段)貴船神社(上段)に類似しており、石質も共通しています。


赤水(あかみず)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.09
hisaLinさんのコメント:阿蘇市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
熊本らしい狛犬がいました。
(熊本県阿蘇市赤水)
狛太郎のひとこと:赤水という地名は全国にあり、鉱物質を含んだ赤い水に由来するものが多いようです。仏教の聖水「閼伽水(あかみず)」からというものもありますが、地名の起源としては「赤い水」の方が自然に理解できます。当地の場合は酸化鉄を含んだ湧水が語源とされます。
狛犬は短い足を真っ直ぐに伸ばして胸を張る熊本狛犬です。ユーモラスな姿ですが、目が大きく眉もヒゲも濃く、なかなか威厳があります。ウンの前歯がやたら出っ張っているように見えましたが、実はアゴヒゲでした。尾の筋は規則正しく刻まれ、丁寧に造られていることが分かります。


大神(おおみわ)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.10
hisaLinさんのコメント:福岡の東区をポタリングした時、立ち寄りました。結構、真新しい神社に糟屋郡の宇美八幡宮貴船宮で見かけた狛犬さんがいました。
(福岡県福岡市東区高美台二丁目24番1号)
狛太郎のひとこと:神功皇后が三韓征伐の途次、当地に駐屯の折りに勧請したものとされます。北部九州には神功皇后伝説が色濃く残っており、単なる神話からの付会とは言い切れないほどです。なお奈良の大神神社は、大和朝廷発祥地と目される桜井市三輪に鎮座しています。
狛犬は平べったい顔と、雄大な感じのする体つきが特徴で、上記のほか亀山八幡宮(上段)にも同種のものがあります。いずれも糟屋郡内であり、この型の中心が宇美町あたりにありそうなことを示しています。当社もその地域に近いので、この型の分布圏に属すると考えられます。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
11.04.11
hisaLinさんのコメント:柳川から久留米辺りをポタリングした時、立ち寄りました。
玉名にある和多津海神社の狛犬さんに似た狛犬がいました。
(福岡県久留米市大善寺町黒田)
狛太郎のひとこと:大善寺は筑後川の恵みを受けて、早くから開けた土地でした。現在も寺や神社が多くあり、経済的な基盤が整っていたことをうかがわせます。そういう土地だけに争奪戦も激しく、在地領主と御家人の紛争、また外部勢力の介入なども絶え間がなかったようです。
狛犬はご指摘のとおり、顔立ちや首の周りの毛の房などからみて、和多津海神社のものと同系と思われます。久留米と玉名という離れた土地に同系の作品があるのは不思議に感じますが、この型は天草起源である可能性が高く、有明海沿岸伝いに伝播したことはあり得ることです。


宮地獄(みやじだけ)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.12




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A





B
hisaLinさんのコメント:久留米から、耳納連山沿いの151号線を、吉井までサイクリングした時、立ち寄りました。筑後型らしき狛犬が2対と、もう1対の狛犬がいました。
(福岡県うきは市吉井町屋部)
狛太郎のひとこと:宮地嶽神社の総本社は福岡県福津市に鎮座して、神功皇后及び勝村、勝頼両大神を祀っています。勝村勝頼の由緒は不詳であり、名前が新しいのでずっと後世に配祀されたものかと思われますが、その名から、何事にも「打ち勝つ」開運の神とされています。
@Aいずれも筑後型のバリアントです。典型例との違いは歯が鋸歯列であることと、アが玉を噛んでいることです。原型に比べて装飾性が意識されていますが、それ以外の、例えば耳の造り分けなどの伝統はしっかり踏襲されています。この地域で定着した意匠のようです。
B出雲式を参考にした地元産の作品です。後肢や尾の印象は出雲式をなぞった感がありますが、顔立ちとアが玉を噛む意匠にはローカル色が濃厚です。とはいえ、筑後型とは一線を画しており、作者の自由な発想のもとに製作された独自のスタイルであるようです。


弓削(ゆげ)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.16
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
ある一角に、浮気封じの祈願のために奉納されたのがありました。
そして、拝殿前にいかにも熊本出身ですと言いたげな狛犬がいました。
(熊本県熊本市龍田町弓削)
狛太郎のひとこと:弓削という地名は古代弓削氏に関係がありそうです。この地名から、孝謙女帝に取り入って皇位を狙ったされる弓削道鏡が連想され、失脚後に当地に住んだという伝説、さらに道鏡が艶福家だったとされることから、浮気封じというご利益も生まれたと想像されます。
狛犬は熊本狛犬です。鼻ヒゲと顎ヒゲが立派で、目鼻立ちも大きく、男性的な風貌は肥後もっこすの面目躍如といったところです。過剰な装飾は避け、質実ないでたちを意図した造りと見受けられます。ただ一個所、2対の牙のうち細い犬歯がピアスのように目立っておりおしゃれです。


弓立(ゆみたて)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.22




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A





B





C





D
hisaLinさんのコメント:久留米から日田まで筑後川沿いにあるサイクリングロードを走った時立ち寄りました。田んぼの中にポツンとある感じの神社に5対の筑後型らしき狛犬がいました。
(福岡県うきは市浮羽町高見)
狛太郎のひとこと:筑後川が造る広大な筑紫平野の東端に位置し、扇のかなめにあたる地です。東は大分県日田市と境を接しており、筑後型の東限と考えられる場所です。ここに5組もの筑後型が勢揃いしているさまはなかなか壮観であり、何か意味があるようにさえ感じられます。
@とAは同じタイプで、アは玉を噛み、耳は造り分けられています。典型例からはやや変化しており、中心地である久留米市からの距離と時間の隔たりを感じることが出来る例です。歯は小さく、ウンの歯並みの幅が狭いという特徴があります。宮地嶽神社上・中段素盞鳴神社など。
B典型例の雰囲気を最もよく伝えています。やや省略的な毛筋と房の形、大きく開口するアの顔立ちなどがそれですが、小さな犬歯をのぞかせるウンの表情はやはり当地風のものです。
C口の回りに剛毛を配したデザインは、筑後型の厳めしさをさらに強調する意図があるものと思われます。佐賀県上峰町の天満宮、同みやき町の八大龍王神社などでも見ることができます。
D筑後型の中でも、アが大きく開口するタイプの流れを汲むものです。筑後型草創期に、木造狛犬の写しを試みたと思われる例ですが、これも歯並みに当地風の意匠が加えられてます。


熊野速玉(くまの・はやたま)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.24




@





A
hisaLinさんのコメント:西鉄の八丁牟田駅から羽犬塚、八女方面をポタリングしたとき立ち寄りました。矢部川の近くにあった神社に、この辺りで見る筑後型の混じった、瞳まで掘り込んでる狛犬が2対いました。
(福岡県八女市馬場)
狛太郎のひとこと:弘文帝の時の創立と伝えられますが、この天皇は日本書紀では代の数に入っていません。日本古代史上最大の乱とされる壬申の乱(672)で敗れた人物であるため、勝者の歴史である書記の記事には、当然政治的バイアスがかかっていると考えられます。
@地域的にみて筑後型の影響はあるはずです。逆R字状の尾や髪の房などはそれとは全く異質のものですが、全体的な雰囲気、前肢のスタンス、アンクレット状の飾り毛などには、筑後型の片鱗が見て取れます。天満宮A玉垂命神社Aなどが同系とみられます。
A比較的新しそうですが、@の狛犬をなぞったもののようです。無個性な狛犬が増殖する中、こうして地域に固有の伝統が受け継がれているのを見ると安心します。


五社(ごしゃ)神社

提供者:hisaLinさん
11.04.27
hisaLinさんのコメント:唐津から204号線をサイクリングした時、立ち寄りました。見るからに唐津型とわかる狛犬がいました。
(佐賀県東松浦郡玄海町石田)
狛太郎のひとこと:昭和31(1956)年に値賀村と有浦村が合併して玄海町が発足しました。玄界灘、仮屋湾を望む風光明媚な景勝地ですが、この値賀村こそ佐賀三大石工の一つ、唐津石工発祥の地です。石工業隆盛の条件は良い石を産することと、海に近いことであるようです。
唐津型の特徴は恐い顔、首を傾げて睥睨すること、逆R字状の尾などですが、この狛犬はそれらを具備しています。三大石工のうち、砥川型塩田型には共通点が多く、同系と見て差し支えないほどなのに対し、唐津は藩が違っていたせいか、他の2産地とは全く趣を異にしています。


八坂(やさか)神社

提供者:hisaLinさん
11.05.01
hisaLinさんのコメント:宇佐から行橋方面をサイクリングした時、立ち寄りました。
見るからに古そうな狛犬がいました。
(大分県中津市一ツ松)
狛太郎のひとこと:中津市は江戸期まで、福岡県北九州市や行橋市などとともに豊前国の一部であり、現在も県を超えて一体感が強いと言われます。狛犬の様式では、特にそうした傾向は発見できていませんが、数が増えるにつれて、何らかの共通性が見いだせるかもしれません。
狛犬は石造狛犬の原初的な姿を残したものです。すなわち、木造のものを固くて脆い石で造る際の、試行的要素が凝縮されていると見ることができます。前後肢を連結して一体化しているのは、その典型的なあらわれであり、線刻の多用は加工程度を最小限にとどめる工夫です。


彦穂(ひこほ)神社

提供者:hisaLinさん
11.05.03
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川沿いにサイクリングした時、立ち寄りました。
3対の異なった狛犬がいました。
(福岡県飯塚市口原)
狛太郎のひとこと:天孫が日向に降臨して三代を過ごしたという、「日向三代」のうちの二代目、火遠理命(ほおりのみこと)を祀っています。この神は山彦・海彦に登場する山幸彦であり、山幸彦が勝利するストーリーは、山の民が制海権を掌握したことの反映とする見解もあります。
(上段)堂々とした体型、肩口から胸にかけて流れる長い髪の房などから、小竹町の貴船神社と同系とみることができます。飯塚市と小竹町は隣町であり、様式の伝播は自然なことです。
(中段)出雲式を模した地元作品です。狛犬の体勢に変化をつける試みのうち、出雲式はその効果を最も発揮し易い様式の一つと言えます(蒲生八幡宮八幡宮天満宮松尾神社など)。
(下段)風化が進み、破損も著しいのですが、かろうじてアの下顎に舌らしきものが見え、玉を噛むタイプでないことが分かります。北九州から西日本にかけては、このタイプが一般的です。


野原(のばら)八幡宮

提供者:hisaLinさん
11.05.04
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から八代までサイキリングした時、立ち寄りました。ここでは、古くから野原八幡宮大祭というのがあるらしいです。この辺りで見かける狛犬さんがいました。
(熊本県荒尾市野原1529)
狛太郎のひとこと:平安時代になると公地公民の制度が形骸化し、私有地が増加しました。地方豪族も所有地を有力な社寺などに寄進して、自らはその管理者となることで国の支配を免れるということが盛んになりました。当地もそうした荘園の一つで野原荘と呼ばれていました。
狛犬は福岡県大牟田市から熊本県荒尾市にかけて分布する一群で、ウンが大きな子獅子を抱くスタイルが印象的な様式です。また目は丸味を帯び、ヒトミが施されています。八幡神社諏訪宮下段白鳥神社など福岡県南部に多く、荒尾市では綿津見神社にも同系があります。


熊野大権現(くまのだいごんげん)

提供者:hisaLinさん
11.05.15
hisaLinさんのコメント:唐津から佐賀駅まで走った時、立ち寄りました。社殿もだいぶ朽ち果てていまして狛ちゃんもいつもの場所にはいませんでした。片隅に相棒を無くしてポツンといました。
(佐賀県多久市北多久町小侍)
狛太郎のひとこと:権現とは「権(かり)」に「現」われることです。中世の本地垂迹説では、本地である仏が、仮に神の姿となって現れ、人々を導くと説きます。熊野三山の神にもそれぞれ仏が割り当てられ、古来信仰されていた神は実は仏の化身であったという教義が広まりました。
狛犬は風化が著しく、元の姿はほとんど分かりません。腹下が彫り抜かれていないように見えますが、倒壊を防ぐためにコンクリートを充填したもののようでもあります。星霜を重ねるうちに相棒も失い、自らも石に帰ろうとしている姿に、哀れさと気高さがともに漂っています。


四所(ししょ)神社

提供者:hisaLinさん
11.05.16
hisaLinさんのコメント:糸島半島を一周した時立ち寄りました。目の前が今津湾の内海?で眺めるように鎮座してました。この辺りでは見掛けない、もしかしたら大量生産品?かなと思える狛犬がいました。
(福岡県福岡市西区今津)
狛太郎のひとこと:博多湾の西岸となる糸島半島の付け根付近に鎮座しています。今津は古来外国船が出入りするところであったので、その鎮守のために4柱の神を祀ったと伝えられます。天照大神のほか、海神の住吉大神、武神の八幡神と春日神です。まさに適材適所です。
狛犬は加工の仕方が現代風ですが、耳を垂耳と立耳に造り分け、また胸には鈴か瓔珞を着けるなど、味気ない大量生産品とは一線を画しています。ある程度、先代を再現する努力がなされたものと推測され、手作り感はやや乏しいものの、その試みは評価しなければなりません。


川棚(かわたな)神社

提供者:hisaLinさん
11.05.25




@





A
hisaLinさんのコメント:山口県の小串から門司までサイクリングした時、立ち寄りました。川棚温泉の近くに2対の異なった狛犬がいました。
(山口県下関市豊浦町川棚)
狛太郎のひとこと:応永4(1397)年に宇佐八幡宮より勧請と伝える古社です。川棚温泉も室町時代に開泉と伝えられており、相携えるように、脈々と今日まで地域に根付いてきたようです。
@扁平な頭頂と垂耳の作る角張った輪郭は、北九州で見られるものと共通しています。
しっかりと四肢を地に着けて端座する姿が美しく、豊かな髪と尾も佇まいに色を添えています。
A丸味を帯びた頭部と体部が、力士のような存在感を漂わせています。細く絞った足首との対比によって、その印象が一層際立っています。大相撲の仕切りのような迫力があります。


草葉(くさば)天満宮

提供者:hisaLinさん
11.05.29
hisaLinさんのコメント:柳川から久留米方面をポタリングした時、立ち寄りました。筑後型の勢力範囲内に、全く異なった、どちらかと言うと熊本狛犬に近そうな狛犬が2対いました。
(福岡県久留米市三潴町草場)
狛太郎のひとこと:古代、この地は「水沼(みぬま)」と呼ばれており、「日本書紀」や「肥前国風土記」などに、支配者の名として「水沼君」「水沼県主」が登場します。この地名は低平で湿潤な地形の特色を表していると考えられ、後世の水田地帯出現を予感させるものと言えます。
(上段)首の回りを取り囲むように密生するヒゲ、関節の表現とみられる隆帯、丸く突出した目など、まさしく天草狛犬の特徴が顕著です。有明海の沿岸航路で運ばれたものでしょう。
(下段)これも同じ類型のものです。どちらも首の付き方が独特で、ぐるりと回せるのじゃないかと思ってしまいそうです。類例は天草の大浦阿蘇神社(中段)、御領神社など。


田島(たじま)八幡神社

提供者:hisaLinさん
11.05.30
hisaLinさんのコメント:福岡市内をポタリングした時に、立ち寄りました。
福岡市では見かけない狛犬がいました。
(福岡県福岡市城南区田島4丁目)
狛太郎のひとこと:元徳2(1330)年の地図に、初めて「田島」の地名が記されている由です。
その頃に「田島」は開村したと思われ、当社もほどなく創祀されたと考えられているようです。
文亀3(1503)年現在地に遷座したともあるので、相当な古社であるのは間違いありません。
狛犬は顔が大きくて厳つく、体つきも筋肉を全身にまとった力強い姿です。鼻の形や胸の骨格などから、警固神社の狛犬の系統のようであり、さらに元をたどれば滋賀県の大宝神社の木造狛犬(重文)であろうと思われます。この系統については「兄弟特集」をご参照ください。


白鳥(しらとり)神社

提供者:hisaLinさん
11.06.05



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A




B




C
hisaLinさんのコメント:田川から322号線を嘉麻市周辺まで走った時、立ち寄りました。
田川で見かける狛犬2対(@A)、筑後型の混じった狛犬1対(B)、この辺りで見掛けない狛犬1対(C)と、計4対の狛犬がいました。
(福岡県田川市猪国)
狛太郎のひとこと:仁和3(887)年現在地に遷座、とあるので、創祀は更に古い奈良時代あたりになります。日本武尊を祀る神社が「白鳥」と称するわけは、東国平定に奔走した尊が、病の為に三重県で薨去されたとき、尊の魂が白鳥となって都に帰ったという伝説によるものです。
@タドンのような目と口の形が、同じ田川市の恵美須神社春日神社に似ており、系統的にはこれらと同類のようですが、髪の形などを含めた全体像では日吉神社に最もよく似ています。
A目の形が田川らしさを表しています。また極端にデフォルメされていますが、口の形にもそれが現れています。田川の狛犬は近隣のものとは大きく違っており、個性の強さが持ち味です。
B筑後型の特徴を有しているのは確かですが、耳の造り分けも見られず、顔立ちも典型例とは違っています。本場久留米から離れるに従って、変化の度合いを増していった例のようです。
C渦を4つ並べた眉と、ヒトミのある切れ長の目によって、独特の風貌を呈しています。また円筒形に近い髪の渦も独自の意匠です。類似作品は見当たらず、この石工の独創のようです。


風治(ふうじ)八幡神社

提供者:hisaLinさん
11.06.10




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:田川から水巻駅までポタリングした時、立ち寄りました。
異なった狛犬が4対いました。
(福岡県田川市番田町)
狛太郎のひとこと:神功皇后が凱旋の帰途、荒天のため当地に留まり、太刀を献上して祈願したところ風雨がやんだと伝えられます。社名はこの故事に因むものと思われます。当初海神を祀っていましたが、その後弘仁5(814)年宇佐宮を勧請し、以来八幡宮となったとされます。
@彩色を施した目と牙が異様に目立つ以外は、至ってオーソドックスな造りです。前肢で盤の縁を掴む意匠に力強さがある他、ペティキュアのような後肢の爪がアクセントになっています。
A田川らしい顔立ちで、ちょっと垢抜けない風貌ではありますが、親しみやすさがあり、地域色を強く感じることのできる造形です。このタイプが田川狛犬のベースと考えてよいようです。
B尾道型風の大玉取ですが、顔立ちなどから、地元産のように思われます。田川は筑豊炭田の「炭都」として繁栄、各地から人の集住があったためか、狛犬の意匠も多彩であるようです。
C比較的新しそうですが、没個性的ではありません。田川狛犬の伝統をなぞっているように思われますし、技法は新しくても、そうした姿勢がある限り、「作品」と呼ぶに値すると思います。


池戸(いけのべ)八幡神社

提供者:ishizakiさん   
11.06.11
ishizakiさんのコメント:池戸八幡です。
近くにあったけれど、外の新しいのしか見たこと有りませんでした。
(香川県木田郡三木町池戸)
狛太郎のひとこと:元慶8(1544)年に創建と伝えられます。以来度々造営を重ねるも長曽我部氏の兵火にかかり焼失。慶長7(1602)年に松原某によって再建されました。古くは「生延(いけのべ)」とも表記した由であり、「生き延びる」則ち息災延命の神として崇敬されたようです。
狛犬はどちらも浪花型を基調としたスタイルであり、丸味を帯びた体型と笑ったようなアの口の形が承継されています。同町内の和爾賀波神社や東かがわ市の與田寺などの例にも同じ傾向が見られますが、香川県全体が大阪狛犬文化圏に属しているかどうかは、まだ分かりません。


秋鹿(あいか)神社

提供者:TAKOさん
11.06.12
TAKOさんのコメント:祭神、秋鹿日女命(あいかひめ)。台座「文政八(1825)年酉八月」。
一畑電鉄秋鹿町駅の北1・5km。自転車乗り込みが出来る電車で、助かりました。
狛犬が新しい代になっているようです。かまえの型にしては、けっこう上を向いています。
出雲大社から佐太神社まで、帯の様に神社が連なっている内の一社です。
(島根県松江市秋鹿町)
狛太郎のひとこと:出雲風土記(8世紀)に所載の古社です。それによると、役所の近くに秋鹿日女の社があり、秋鹿郡の名もこれによるとも記されていて、極めて重要な地位にあったことが分かります。しかしこの姫の事績は今日では判然とせず、謎めいた埋没神のひとりです。
狛犬は雄大さと繊細さを併せ持つ出雲式です。来待石はその柔らかさ故に寿命が100年に満たないと言われていますから、台座銘はやはり初代の奉納年でしょう。この作品では腹の下を彫り残し、強度を保つ工夫がなされています。また顔を上に向けているのが特徴といえます。


阿蘇(あそ)神社

提供者:hisaLinさん
11.06.22




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:小郡周辺をポタリングした時、立ち寄りました。筑後型4対の狛犬がいました。
(福岡県小郡市干潟)
狛太郎のひとこと:佐賀、長崎、熊本は往昔、一体で「肥の国」でした。地図を見れば、この3県は「環有明海国家」というべきひとかたまりであることが一目瞭然です。そこに割って入った形の筑後国ですが、阿蘇神社の存在は「肥の国」文化の影響の一片を物語っているといえます。
@Aは同系で、口の回りに剛毛があるタイプです。これは典型例からやや変化した形で、佐賀県内にも多く見られます(御嶽神社天満宮宇佐八幡宮八大龍王神社など)。また玉を噛む意匠も、佐賀寄りの傾向を感じさせます。ただし耳の造り分けは、きっちり遵守されています。
BCもまた同系とおぼしき2対であり、こちらの方が典型例に近い印象です。口中に玉を噛まず、舌が表現されており、耳の造り分けなども踏襲されています。更に幾分細身の体つきと、口の形がこの型のプロトタイプを彷彿させ、当地方で育ってきた系統であることを物語っています。


河東(かとう)天満宮

提供者:hisaLinさん
11.06.25
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
この辺りで見かける狛犬がいました。
(福岡県宗像市河東)
狛太郎のひとこと:材質や形が北九州方面のものに似ています。ぽってりした体型と平べったい顔はスマートとは言いがたいものの、目にはヒトミを施し、きれいに整えられたアゴヒゲや唇、歯列など細部の造りが丁寧です。ウンには一角があり、古来の伝統にも則した造形です。


広山(ひろやま)神社

提供者:hisaLinさん
11.06.26
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
天津駅の近くにあった神社で、玉乗りタイプの狛犬がいました。
(大分県宇佐市上庄)
狛太郎のひとこと:当地が宇佐神宮の荘園となったことから、仁和3(887)年に同宮を勧請しました。広山荘8ヶ村の宗廟として80町歩を有したと伝えられます。戦国時代に大友、島津の戦禍に罹り荒廃しましたが、寛永3(1626)年氏子により再興、明治5年には郷社に列しました。
狛犬は尾道型風の大玉取です。この構図は姿勢に大きな変化を持たせることができ、見栄えも良いので各地でこれを模した作品が造られています。この作品も顔立ちをはじめ体型その他、尾道型とは違っているので地元産のようですが、造りは丁寧で気品もある秀作と思います。


若八幡宮(わか・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
11.06.30
hisaLinさんのコメント:福岡市内をポタリングした時に、立ち寄りました。福岡市周辺一帯で見かける狛犬がいました。
(福岡県福岡市博多区博多駅前1丁目29-47)
狛太郎のひとこと:「厄八幡」とも呼ばれており、都心部に鎮座するだけに、厄除祈願の善男善女で賑わっている由です。「若」八幡というのは、八幡神(応神天皇)の御子の仁徳天皇を祀っているからです。「若」と「分かれる」は同根の語で、別宮という意味合いもあるようです。
狛犬は力強い上半身を引き締まった細い足首で支えており、ブロンズ作品のような硬質感を漂わせています。似たものに、東区の志式神社の狛犬があります。目や歯列の形、大きな顎、やや外開きに構える足位置などに共通点があります。しかし同系といえるかは分かりません。


熊野皇(くまのこ)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.01




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:呼子方面を走ったとき、立ち寄りました。少しずつ違うよう見えますが、場所からして唐津型と思われる狛犬が4対いました。
(佐賀県唐津市鎮西町打上)
狛太郎のひとこと:標高100〜200mの溶岩台地である上場台地を、呼子町方面へ向かう道すがらですが、ドライブではメインのルートではありません。輪行ならではのコースなのでしょう。
社名は本来なら「くまのこう」と読むのでしょうが、地元では標記のように呼ばれている由です。
4対とも唐津型ですが、最も唐津型らしいのがAであり、@がそれに次ぎます。厳つい表情と、筋骨の逞しさを強調する胸のエッジが、この型の特徴を典型的に表現しています。
BとCの場合はそれらが幾分和らぎ、特にCでは石工の個性がより強く出ているようです。
顔立ちだけですと唐津型と判断できないかも知れません。ところで、4対の全てで盤が台座にはめ込み式になっているのが注目されます。製作上、あるいは設置などの運用上有用であったと考えられますが、その理由はよく分かりません。狛犬と台座は分業だったのでしょうか。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.03




@





A





B
hisaLinさんのコメント:久留米から日田までサイクリングした時、立ち寄りました。筑後型が3対ありましたが、その中の一つがマントヒヒみたいなお猿さん似の狛犬がいました。
(福岡県久留米市田主丸町牧)
狛太郎のひとこと:耳納連山と筑後川に挟まれた土地は豊かで、支流の巨勢川から分岐する多くの水路が町を潤しています。ここにカッパ伝説が伝えられているのもむべなるかなであり、駅舎をカッパの形に造るなど、地元の熱意も尋常ではありません。のどかで美しい町です。
3対とも耳が造り分けられ、それ以外の点も筑後型の特徴を踏襲していますが、少しずつ違いが生じています。Aはウンに一角があり、全体像もこの型の典型例といえる造形です。
@は歯列が典型例の門歯列から鋸歯列に変化しており、筑後川上流方面の各地でみられる派生型の特徴を有しています(素盞鳴神社阿蘇神社など)。Bは目が小さく窪んでいる点と、ウンの極端に長い牙列に特異性があります。マントヒヒに似ているというご指摘はごもっともです。


八龍(はちりゅう)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.10
hisaLinさんのコメント:福岡から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
筑後型だと思いますが1対の狛犬がいました。
(福岡県小郡市津古1372番)
狛太郎のひとこと:嘉元2(1304)年の創建とされる古社です。八龍とは「八大龍王」であり、インド由来の仏教神です。明治の神仏分離で多くの神社は仏教色の完全な排除を余儀なくされましたが、八大龍王など幾つかの神社は古来の信仰形態をかろうじて保ったのです。
狛犬は筑後型です。風化が進んでおりディテールがあいまいになっていますが、重量感のある外貌と迫力のある顔立ちは健在です。この型の典型例は久留米にあり、地域を遠ざかるにつれて種々の変化が現れますが、小郡地区では原型をよくとどめている例が多いようです。


一本松(いっぽんまつ)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.11
hisaLinさんのコメント:田川周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
この辺りでは見掛けない狛犬がいました。
(福岡県田川郡香春町中津原)
狛太郎のひとこと:香春町は筑豊地方を構成する自治体のひとつで、町のシンボルの香春岳は、石灰石採掘のため三の岳山頂が切り取ったように平らに削られ、往時のセメント産業のすさまじいまでの活気を物語っています。また古陶「上野(あがの)焼」が今に伝えられています。
狛犬は昭和後期以降のものと思われ、彩色があるため余計に新しい印象が強いのですが、昨今の画一的な製品とは一線を画しています。顔の輪郭を覆うような長い耳は、田川狛犬独特(風治八幡ABCなど)のものですし、尾の毛筋もおざなりでなく美しく付けられています。


下野菅原(しもの・すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.12
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。どこか、熊本市内の味噌天神宮の狛チャンに似てませんか?
(熊本県阿蘇郡南阿蘇村下野)
狛太郎のひとこと:南阿蘇村は平成17年に白水、久木野、長陽の3村合併によって誕生しました。各々の旧村名は我々にも馴染み深いものでしたが、それらは集落名にも名残を留めず、消滅してしまったようです。新村名も良い村名だとは思いますが、一抹の寂しさも感じます。
狛犬は顔立ち、ヒゲの形、前肢の付け根の位置、細長く滑らかな感じの体型、いずれをとっても熊本狛犬の特徴を備えています。しかし全体像として見た場合、他の熊本狛犬とはちょっと違った印象があります。ご指摘の味噌天神社とは同型ではないにせよ、同系とは言えるでしょう。


葛城(かつらぎ)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.13
hisaLinさんのコメント:八木山峠から450号線沿いに宮若市方面に行った時に立ち寄りました。
北九州地方でよく見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県宮若市三ヶ畑)
狛太郎のひとこと:「葛城」といえば、古代豪族の「葛城氏」(5世紀)と、その葛城氏が依った「葛城山」が想起されます。また記紀は雄略天皇と葛城一言主神の邂逅譚も伝えており、歴史と神秘が混然とした時代でした。しかし、当社とこれらの「葛城」との関係はよく分かりません。
狛犬は貴船神社(上下)浅木神社など、遠賀郡方面のものと相似です。太い眉、大きなギョロ目、豪快な牙などが共通点で、とりわけ、牙の部分でめくり上がるように大きく波打つ唇のラインが、このタイプの印象を決定付けています。極端なデフォルメですが不自然ではありません。


場所非公開

提供者:hisaLinさん
11.07.15
hisaLinさんのコメント:鹿島から柳川までサイクリングした時、立ち寄りました。
小さな神社に肥前狛犬がいました。
(佐賀県佐賀市久保田町)
狛太郎のひとこと:この場所にずっと昔からこうして座っていたのでしょう。地元の人だけが手を合わせに来ていた時代には何の問題もありませんでしたが、今日ではこのような無防備な姿ではつい心配せざるを得ません。ということで、場所は特定しないことにさせていただきます。
ごく浅いレリーフであるため顔立ちなどは判然としませんが、肥前狛犬の一つの典型です。
素朴な造りではありますが、脇腹に装飾の線を入れ、大腿部には筋肉の表現らしき彫刻がなされています。こうしたことから、最も原初的なタイプからは少し進化したもののようです。


松橋(まつばせ)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.16
hisaLinさんのコメント:八代駅から熊本、大牟田駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
熊本らしい狛犬がいました。
(熊本県宇城市松橋町松橋)
狛太郎のひとこと:後冷泉天皇の永承4(1049)年に熊野の三神を勧請したという古社です。
古豪菊池氏をはじめ、代々の国主の崇敬を受けました。キリシタン大名の小西行長によって社殿を焼かれるという事件がありましたが、その後加藤清正の時代に再興したと伝えられます。
狛犬はいかにも熊本らしい風貌です。アゴのくびれがない点(加藤神社下野菅原神社など)が特にそうですが、びっしり並ぶ細かい歯列も特徴のひとつです。ウンの牙は一本置きに彩色されており、ワイルドさが殊更強調されています。熊本狛犬特有の立派な鼻ヒゲも健在です。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.18
hisaLinさんのコメント:柳川をサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける狛犬がいました。
(福岡県柳川市出来町)
狛太郎のひとこと:柳川市と大川市は福岡県筑後地方に属していますが、筑後型は必ずしも優勢ではなく、この形のものがよく見られます(八幡神社五社神社高良神社太刀帯神社など)。これらは佐賀の塩田型の中の一派に似た点が多く(川良神社上滝八幡社甘久天満宮など)、また両地域に少なからず肥前狛犬が見られるところから、同じ筑後地方の久留米より、隣県佐賀の様式を取り入れる環境にあったことをうかがうことができます。


八天(はってん)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.19
hisaLinさんのコメント:鹿島市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
タイプの違う2対の狛犬がいました。
(佐賀県嬉野市塩田町谷所)
狛太郎のひとこと:わが国には八人の大天狗があるとされ、九州では彦山豊前坊がその一です。八天の名はこれによります。天狗は修験道と関係があり、その姿は山伏のいでたちに描かれます。修験道は火を尊ぶ信仰で、当社も迦具突智(かぐつち)神を祀る修験道場でした。
(上段)かなり古そうですが、塩田型の特徴を明確に示しています。びっしり密生するアゴヒゲと細かい歯列がそれで、頭部が丸味を帯びているのもこの型の一つのパターンです。またこのように、しばしば玉を取る姿勢です。もっと後期になると、更に緻密な造形に進化していきます。
(下段)典型的とまではいえませんが、唐津型と見てよいと思います。胸から前肢、また体表を滑らかに仕上げ、尾は逆R字かそれに近い形状です。顔の表情が典型例とはやや異なっていますが、厳めしさを強調する点は同じです。この地域で唐津型というのは珍しい存在です。


福江(ふくえ)八幡宮

提供者:hisaLinさん
11.07.24




@





A





B





C





D
hisaLinさんのコメント:山口県の小串から門司までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける5対もの狛犬がいました。
(山口県下関市福江)
狛太郎のひとこと:宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられます。大正2年に福江村の4つの集落にあった神社を合祀して、現在の当社が成立しました。古来流鏑馬神事が伝えられており、その馬具に元和6(1620)年の銘がある由であることから、かなりの古社と推察されます。
九州の狛犬は、安山岩など柔らかく黒っぽい石が多用されるのに対し、北九州地方から中国地方にかけては白くて固い花崗岩製のものが主流です。そのためか彫刻は比較的浅く、平板な印象を受けるものも多いのですが、これらはかなり個性的で、彫りもシャープです。
特にBとDは独特です。狛犬の場合は基本的に忿怒相である必要があり、人間ほど多彩な表情を造ることができないわけですが、それでも実に様々な面相で我々を驚かせてくれます。
Bはやや古拙な造形で、Dは細密な彫刻の冴えで、それぞれ強い印象を与えています。


菅原(すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.25
hisaLinさんのコメント:福津市、古賀市周辺をぐるっとポタリングした時に立ち寄りました。
ポーズ、雰囲気が福津市の楯崎神社の狛犬に似てませんか?
(福岡県古賀市米多比)
狛太郎のひとこと:米多比(ねたび)は市東部の山間部に位置し、中世には米多比氏が山城を築いて治めた地でした。見下ろす平地は穀倉地帯であり、その先の玄界灘は種々の交易の富をもたらしたに違いありません。5世紀宣化天皇の裔、多治比王を祖とする古豪でした。
狛犬は楯崎神社のもの(特に下段)とほぼ同型です。楯崎神社ほど極端ではないものの、上体を反らした姿勢や各パーツが似ており、髪や尾の毛筋の豪快さも同じです。福岡市の光雲神社も同類であり、このタイプは鎌倉期の宋風狛犬に源流をたどることができると思います。


篠山(ささやま)神社

提供者:TAKOさん
11.07.26
TAKOさんのコメント:篠山山頂。40番札所、観自在寺北東約10km。
阿の狛犬の「へ」の字の開口は例が少ないと思います。また阿吽で尾が違い、2人での合作のような気がします。登山は疲れました(笑)
(愛媛県南宇和郡愛南町一本松)
狛太郎のひとこと:清寧天皇(5世紀)の時代に篠山山頂に祀ったとされます。また用明天皇(6世紀)の勅願所になったとか、平城天皇(8世紀)の時に弘法大師が来山したなど、なかなか具体的なエピソードに彩られており、相当な古社であることは確かであるように思われます。
狛犬は南予に多い「南予型」とは異なり、少し浪花型の面影が感じられる蹲踞です。また、アとウンは明らかに造り分けられ、尾をはじめ髪の毛筋にも違いがあります。合作か補作も考えられますが、体部や脚部を見ると同一人の作品である可能性が高いのではないでしょうか。


三所(さんしょ)神社

提供者:hisaLinさん
11.07.28
hisaLinさんのコメント:飯塚から水巻までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りであまり見かけない狛ちゃんがいました。
(福岡県宮若市本城)
狛太郎のひとこと:「三所」という由縁は、当社が宗像大社の108末社の一であって、祭神が市杵島姫命をはじめとする3姉妹神であることによります。また当地が宗像大社の社領田であったことから、地名「宮田」が起こり、近年「若宮」との合併によって「宮若市」となったものです。
狛犬は確かにあまり見かけないタイプですね。太い牙と大きな目が目を引きますが、更にそれらが金色に彩色されていることで、独特な威圧感を発揮しています。よく見ると、鼻の下には立派なヒゲを蓄えており、その点、熊本風ではありますが、全体的にはそれとは異なっています。


松峡(まつお)八幡宮

提供者:hisaLinさん
11.07.31




@





A





B
hisaLinさんのコメント:福岡市から朝倉市の秋月方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
3対の筑後型の狛犬が鎮座してました。
(福岡県朝倉郡筑前町栗田)
狛太郎のひとこと:当地は昔の夜須(やす)郡で、邪馬台国の候補地のひとつです。そしてこれが東遷して大和朝廷になったとも。奈良県の三輪周辺には夜須郡と同じ地名が、同じような位置関係で多数存在していますが、彼らが移住先に故郷の地名をつけたと考えられています。
狛犬はいずれも筑後型ですが、それぞれが幾分変化を遂げており、地域的特色として定着したパターンと言えます。@は口の回りにびっしり剛毛を蓄えるタイプ(天満宮など)。Aはほぼ典型例のままですが、歯が鋸歯状に変わっています(阿蘇神社(上段)など)。Bはウンの口の幅が狭く見えるタイプ(日吉神社@など)です。さらに変化した筑後型もあり、目が離せません。


正八幡(しょう・はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.01




@





A





B
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
行橋駅近くに同名の神社がありましたが、こちらには3対のタイプの違う狛ちゃんがいました。
(福岡県行橋市行事)
狛太郎のひとこと:明治年間、行事村と大橋村が合併して行橋町となりました。行橋駅を挟んでもう一つの正八幡神社がありますが、共に宇佐八幡宮からの勧請であり、その時期も当社が貞観元(859)年、他方がその翌年と近く、別の神社ながら関連性が強いように思われます。
@とAは牙の形、ヒゲの巻き方などから、同類かと思われます。@の方が新しいらしく、大玉を取り入れたり、各パーツの細工も精密です。しかしAの茫洋とした趣も捨てがたいものです。
Bは冒頭に触れたもう一つの正八幡神社のものとほぼ同一です。体に似合わない小さい玉を取る姿が可愛い反面、前肢を盤からはみ出させるという演出で雄大さを表現しています。


大江(おおえ)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.04




@





A





B
C
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
こちらには3対のタイプの違う狛ちゃんと、相方のいない狛犬がいました。
(大分県中津市萱津町)
狛太郎のひとこと:天平の頃(8世紀)、宇佐八幡宮を勧請した古社です。社名は昔存在した大江村の氏神だったことの名残で、またその「大江」は、「麻殖(おえ)=麻を植えた」が語源とされます。こうした地名説話は要するに、古過ぎてよく分からないということを意味しています。
@尾の造りが類型的で最近作の通弊を表していますが、その他の部分は丁寧に彫り込まれています。先代の姿をなぞる意図が出ており、工業製品的でない造形に成功しています。
Aスマートな肢体に小さな頭部が乗っており、顔立ちは丸く扁平です。材質が花崗岩のため彫りは浅く、コントラストが弱いのはこの手の作品の通例ですが、味のある風貌です。
B吻が長く、洋犬のような顔立ちです。また、積み重なる直毛の束、太い前後肢と大胆な飾り毛の意匠などによって、他ではあまり見られない独特の雰囲気を醸しています。
C四肢が破損して寝そべった状態ですが、残った部分を見ると毛筋の付け方なども丁寧で、往時の勇姿を彷彿させます。経年劣化ではなく、災害にでも遭ったものでしょうか。


登志(とし)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.06
hisaLinさんのコメント:糸島半島一周サイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りでは見かけない狛犬がいました。
(福岡県福岡市西区今津)
狛太郎のひとこと:当地はかつての志摩郡登志郷であり、中世以来、登志の湊の鎮守として登志大明神が祀られていたといいます。志摩郡は渡来人の来集した土地であるためか、境内社には神功皇后、五十猛命など海外関連の神のほか、海上安全の神などが祀られています。
狛犬は岡崎型です。明治年間に愛知県岡崎市で確立した型で、従来の狛犬に比べて斬新さと完成度の高さにより好評を博しました。この狛犬はその本場ものと思われます。現在の大量生産的狛犬はこれを大幅に簡略化かつ画一化したもので、似てはいますが別物です。


八坂(やさか)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.07
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。
眼が印象的な狛犬がいました。
(大分県玖珠郡玖珠町小田)
狛太郎のひとこと:童話の父と言われた久留島武彦の故郷です。久留島は「夕焼けこやけ」の作詞者としても有名ですが、当地森藩藩主の直系子孫であり、元をただせば四国の来島(くるしま)水軍の末裔でもあります。森藩は維新後一時森県となり、のち大分県に編入されました。
狛犬は極めて特異なルックスで、とりわけ、巨大な眼球は強い印象を放っています。一見、バランスを欠いた稚拙なデザインのように見えますが、尾の造りも斬新ですし、アウンの毛筋を造り分け、更にウンには一角を施すなど、細部にも気を配ったベテランの作のようにも思われます。


繁根木(はねぎ)八幡宮

提供者:hisaLinさん
11.08.08
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から八代までサイクリングした時、立ち寄りました。
熊本風?の狛犬がいました。
(熊本県玉名市繁根木188)
狛太郎のひとこと:平安中期の応和元(961)年に、石清水八幡宮を勧請したという古社です。
玉名市を流れる菊池川の流域は全国有数の装飾古墳の密集地であり、当地が古代から生産力の豊かな土地であったことを物語っています。平安期には多くの荘園が営まれていました。
狛犬は細かい歯列などが熊本狛犬風ですが、全体像ではあまりそのようには見えません。
また熊本狛犬は基本的に垂れ耳であるところ、この狛犬の耳は横にピンと張りだしています。
長く流れる髪、複雑な形状の尾など見応えのある造形ですが、系統はよく分かりません。


伏見(ふしみ)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.10
hisaLinさんのコメント:575線を那珂川方面に向かって走ったとき立ち寄りました。福岡市周辺で見かけるの狛犬さんがいました。また、この神社では、毎年、岩戸神楽があってるみたいです。
(福岡県筑紫郡那珂川町山田字茶屋前)
狛太郎のひとこと:肥前国一宮の与止日女神社を勧請したもので、主祭神は淀姫命です。
後に伏見御香宮も勧請したのでこの社名があります。淀姫信仰は佐賀平野を中心に長崎県にも分布していますが、福岡県では初めて知りました。五ヶ山経由で伝播したものでしょう。
体格が良く、適度に筋肉質な肢体が伸びやかです。一方、顔立ちにはどことなく愛嬌があり、笑ったような表情が柔和です。若八幡宮五所神社とはほぼ同型で、桜坂天満宮志式神社も恐らく同じ系統かと思われます。福岡市周辺ではかなりポピュラーな一派であるようです。


恵美須(えびす)神社

提供者:TAKOさん
11.08.11
TAKOさんのコメント:41番札所龍光寺南東約2.4km。明治29(1896)年2月吉日。
出雲の「かまえ」(出雲式)が南予型に発展した個体です。海沿いの戎(えびす)神社は多いですが、山奥の恵比須神社は何を願うのでしょうか?(狛犬は)近辺の神社には多い型です。 
(愛媛県北宇和郡鬼北町吉波)
狛太郎のひとこと:吉波部落にあった8つの神社を、明治40年頃、当社に統合した由です。
明治の大合併の一環でしょうか。恵美須神は海の神ですが、なぜかその後商売繁盛の神となりました。彼の親神の大国主命は大黒様であり、ともに七福神の構成員となっています。
狛犬は長大な牙が特徴の南予型です。これを出雲式風の体勢とし、さらに後肢で子を抑えるという斬新なデザインを導入しました。もう一つ大きな工夫は、狛犬の体軸を盤の対角線に配置したことで、これにより像にダイナミズムをもたらし、原石の歩留まりを多くする利点も生じました。


井手(いで)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.14




@





A

hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。この辺りでよく見かける2対の狛犬がいました。
(福岡県遠賀郡遠賀町木守)
狛太郎のひとこと:町の中心部付近にあり、遠賀川支流の西川のほとりに鎮座しています。
祭神の罔象女(みずはのめ)神、闇(くら)おかみ神はともに水神であり、もうひと柱の埴安(はにやす)神は農業神です。川は農業を営む者に、恵みと災いを交互にもたらす存在でした。
@長い垂れ耳、丸く突出した目は、福岡県北部の狛犬によく見られる形です。ただこの狛犬はそれらより彫りが深く、特に唇の形や仕上げ方に細かい配慮がなされており、全体に陰影に富んだものになっています。また顔立ちは柔和で、浪花型のような親しみやすさを持っています。
A遠賀郡内にはこのタイプが幾つか見られます。浅木神社にその典型があり、特に目を引くのは太い牙によって極端にデフォルメされた口元の処理です。類型は郡内の狭い範囲に留まっているようなので、同一人か同一工房の作品かと思われます。強い個性を持った作品です。


菅原(すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.15
hisaLinさんのコメント:大牟田から八代まで走ったとき、立ち寄りました。同じ熊本のせいでしょうか、ひじ部分のくびれはありませんが、陳内阿蘇神社の狛犬さんに似た狛犬がいました。
(熊本県熊本市山室)
狛太郎のひとこと:大宰府天満宮はかつては神仏混淆の神社であり、むしろ寺院としての安楽寺の方が有名でした。玉名市や鳥栖市などの安楽寺町は、その寺領の名残であり、そこには菅原道真が祀られています。当社も山室村周辺の荘園を通じて祀られたものかも知れません。
狛犬は太い眉とヒトミのある大きな目が特徴で、立派な鼻ヒゲが施されていますが、全体的なフォルムは熊本狛犬的ではありません。顎ヒゲは太い直毛の束として表現され、唇のすぐ下から生えているのが特徴です。陳内阿蘇神社のものと同型ですが、こちらの方がやや省略的です。


大崎八幡(おおさき・はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.16




@





A
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から有田経由で佐賀駅まで走った時、立ち寄りました。
肥前狛犬っぽい狛犬と筑後型の狛犬さんがいました。
(佐賀県武雄市北方町大崎)
狛太郎のひとこと:明治年間に近隣の数社を合祀した由です。それらの中で八幡神社が主力であったので、現社名となったのでしょう。北方町は九州でも最有力だった杵島炭鉱の一部であり、その歴史は幕末に遡ります。当時は近くを流れる六角川を利して搬出されていたようです。
@大柄な肥前狛犬です。江戸初期前後に誕生した肥前狛犬は、その後大型化しながら100年ほど造られました。大型化に見合う高精度化は図らなかったため、後期のものは平板で単調な印象が強くなりました。しかし当初の意匠が保存されたという意味では資料的価値があります。
Aほぼ典型的な筑後型です。アウンの耳は造り分けられています。典型例の髪やヒゲが毛筋を省略したざっくりとした造りであるのに対して、本品は細かく毛筋を付けており、デザイン的に進化した形です。佐賀県西部では稀少で、従来の西限、大江神大神宮を超えたようです。


谷底(たにぞこ)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.17
hisaLinさんのコメント:福津市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
近所に『なまずの郷』という施設があり家族客で賑わっていました。その近くにあった神社で狛犬って言っていいのか分かりませんが、一応、狛犬さんが居ました。
(福岡県福津市上西郷)
狛太郎のひとこと:室町時代のこと、土地の領主がなまずに命を救われ、氏神の大森宮に神助を感謝したのがなまず伝説のはじまりの由です。当社はその大森宮の隣に鎮座して、稲田姫を祀っています。稲田姫は奇稲田姫(くしなだひめ)ともいい、豊かな水田の霊を表すとされます。
一応狛犬の形をしていますが、顔立ちといい全体像といい、果たして狛犬なのかどうか判断しかねる珍品です。素材も妙に滑らかであり、ひょっとしたらモルタルかも知れません。しかしこれが狛犬でないとしたら何であるのか、それも見当がつきません。ただ驚いて眺めるのみです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
11.08.18
hisaLinさんのコメント:唐津から伊万里経由で佐賀駅まで走った時、立ち寄りました。
爬虫類っぽい狛犬さんがいました。
(佐賀県伊万里市大川内町丙)
狛太郎のひとこと:大川内は、江戸期に「鍋島焼」を生産した藩窯の地元です。将軍家や諸大名家への贈答品の製造を専らとし、極めて精密でありながら斬新で大胆なデザインも創案され、当時最先端かつ最高峰の工房でした。今は藩窯公園として観光客を楽しませています。
狛犬は細身の体型ながら筋肉質で力強く、くっきりしたヒトミのある目と細かく密生する歯列は獲物を狙う爬虫類のようです。長く垂れる髪の房とネジリのある太い尾は塩田系統かと思われますが、かなり特異な部類です。両頬に引かれた沈線が険しい表情を更に増幅しています。


南良津(ならづ)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.19
hisaLinさんのコメント:飯塚から水巻駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
勝野駅近くにあった神社で、2対の異なる狛ちゃんがいました。
(福岡県鞍手郡小竹町南良津)
狛太郎のひとこと:宝永5(1709)年、蔵王権現(ざおうごんげん)を勧請しました。蔵王権現は吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)の本尊ですが、神仏習合色が強く、安閑天皇や大国主命、少彦名命、国常立命など日本の神々と同一視されました。当社では大国主命として祀っています。
@この形は同町内の貴船神社と同系らしく思われ、近隣の北斗宮彦穂神社などにも類似点があります。また垂裕神社など朝倉方面のものとも印象が似ており、注目されます。
A前肢や尾、台座まで破損の跡があり、気の毒な状態です。しかし頑丈そうな体躯、盛り上がる髪の渦、小さな玉を取る姿などは健在です。@がAを参考にした可能性が濃厚です。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.08.20
hisaLinさんのコメント:田川周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
近所に道の駅「おおとう桜街道」という出来立ての道の駅がありました。
その近くにあった神社で、田川でよく見かける狛犬がいました。
(福岡県田川郡大任町今任原)
狛太郎のひとこと:大任町は中世には宇佐、彦山の荘園として発展した町です。戦国時代には諸勢力が角逐する場となりましたが、江戸期に入り小笠原氏の治下に入りました。明治初年、大行事村と今任原村の合併により「大任村」が発足し、昭和35年町制に移行しました。
狛犬は大玉取りと子取りの一対です。玉の底はわずかに盤に着いていますが、一見浮いているかのようです。また子獅子はかなり大きめで、しかも2頭連れです。若松の恵比寿神社のものと恐らく同じ作者です。玉の見せ方が彼の特技であり、また得意とするところだったのでしょう。


竜王宮(りゅうおうぐう)

提供者:hisaLinさん
11.08.23
hisaLinさんのコメント:鹿島駅から柳川まで走った時、立ち寄りました。この辺りで見かける狛犬がいました。
(佐賀県佐賀市川副町小々森)
狛太郎のひとこと:佐賀はなだらかな沖積平野で、400年前にはこの小々森あたりが海岸線だったと言われています。それ以南は全て江戸期以降の干拓地であり、海抜の低さから風水害や潮害に見舞われることが多かったようです。竜王は風雨を司るとされる龍神です。
狛犬は塩田型です。塩田型にもいくつか系統があって、丸顔で眼が大きく、やや胴長で短足のグループがあります(妙見神社住吉神社など)。これらは装飾性に富む塩田型の中では地味な存在ですが、その分どっしりした安定感があり、その落ち着いた風情に妙に心引かれます。


羽野(はの)天満宮

提供者:hisaLinさん
11.09.04
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線を中津まで走った時、立ち寄りました。日田街道沿いにあった神社で、北九州っぽい?熊本風っぽい、この辺りでは見かけない狛犬がいました。
(大分県日田市三和)
狛太郎のひとこと:天暦6(952)年に、菅原道真公の甥の貞光が筑紫下向の折、公の霊示を受けて創建した由です。公が配流地の大宰府で客死してから、ほぼ半世紀後のことです。この頃には都で公の名誉回復が進んでおり、そうした情勢を反映したものだったと思われます。
狛犬は太い眉と、豊かな髪・ヒゲを持ち、短足らしき体型がうかがえます。また立派な鼻ヒゲを蓄えている点も、熊本狛犬の特徴を備えています。ただ鼻ヒゲ以外のパーツでは、玉垂神社の各狛犬や大原八幡宮@などとの類似性もあり、純熊本産かどうかはよく分かりません。


岡留熊野座(おかどめ・くまのざ)神社

提供者:hisaLinさん
11.09.08




@





A





B
hisaLinさんのコメント:湯前から人吉を通って、八代まで球磨川沿いを走ったとき、立ち寄りました。球磨川サイクリングロード沿いにあった神社です。「おかどめ幸福駅」という無人駅の近くにあった神社で、熊本風(天草風?)の狛犬と、量産タイプ2対の狛犬がいました。
(熊本県球磨郡あさぎり町免田西)
狛太郎のひとこと:球磨郡当主相良氏が、蒙古襲来(13c)に備えて国家安泰の祈願のため創建したと伝えられます。近くにくま川鉄道の「おかどめ幸福駅」があり、縁起の良い駅名として有名になりましたが、当社の別名「幸福神社」に由来することはあまり知られていないようです。
@ご指摘のように天草狛犬の特徴を持っています。首を取り囲む渦の形にそれがよく現れており、とりわけ上津浦諏訪神社のものとは顔立ちもよく似ています。また細くて長い牙という点では、大浦阿蘇神社中段と共通性があります。以上は熊本狛犬の一般的傾向でもあります。
ABどちらも岡崎型を元にした近年の作品のようですが、Aはアが玉取、ウンが子取で、一定の趣向が施されています。特にアが奥側の足で玉を取っているのは、少々珍しいと思います。
視覚的効果を考えれば、手前側の足に変化を付けるのが一般的と思われるからです。


亀都起(きつき)神社

提供者:hisaLinさん
11.09.15




@





A
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。
同じ玖珠町の八坂神社の狛犬とは全く似てない、玉を持ち上げてる猿っぽい狛犬(上段)と、瞳のある狛犬(下段)がいました。
(大分県玖珠郡玖珠町大隈)
狛太郎のひとこと:養老2(718)年、杵築大社(現出雲大社)から素盞鳴尊とその妻稲田姫を勧請したという古社です。社名の亀都起はこの「きつき」の音を写したものでしょう。また当社地には前方後円墳の亀都起古墳(6c)があることから、昔からの聖地であったと思われます。
@猿のように見えるのは、両目の間隔が狭いのと、顔の間際まで毛に覆われているためでしょう。また、玉取りではなく玉を抱え上げるデザインも奇抜です。まさか尾道型にしようとしてバランスを取り損なった失敗作ではないと思うのですが、玉が妙に縦長なのは気になります。
Aオーソドックスな蹲踞に見えますが、眉から眼にかけての印象は上段に似ています。
特にヒトミを彫った眼球は全く同じ手法です。更に、アウンとも片足でごく小さな玉を踏んでいるようです。こうした幾つかの点に、単調を嫌って工夫を凝らした様子が見て取れます。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
11.09.21
hisaLinさんのコメント:唐津から伊万里経由で佐賀駅まで走った時、立ち寄りました。
唐津なのに唐津型っぽくない狛犬がいました。
(佐賀県唐津市山本)
狛太郎のひとこと:当地区は松浦川に沿った盆地で、川の東岸には築造年代が3世紀に遡る可能性のある久里双水古墳があります。これが確かなら卑弥呼の時代に相当することになり、近畿発祥が定説の前方後円墳の歴史、ひいては邪馬台国論争に大きな一石を投ずるものです。
狛犬は確かに唐津型に見えないものです。まず眼が丸くて大きく、睥睨する唐津型のものとは違っています。また胸は肉付きがよく、削ぎ落としたような唐津型のそれとも異なるものです。
しかしそれ以外の部分(二対の牙など)や全体の印象では、唐津型の特徴を維持しています。


事代主(ことしろぬし)神社

提供者:hisaLinさん
11.09.23
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から国東半島213号線沿いに一周したとき立ち寄りました。
童顔な狛犬がいました。
(大分県国東市国東町鶴川)
狛太郎のひとこと:国東半島の東端の国東港に鎮座しています。祭神の事代主神は大国主命の御子で、「国譲り」の際、非戦論を主張しました。海神であり、釣り竿と鯛を抱えた「えびす神」の姿で親しまれています。なお、佐賀市は日本一えびす像の多い町として知られています。
狛犬は笑ったような顔とコロコロした体つきが愛らしく、浪花型の流れを汲むものと思われます。
肩と前肢の間の段差が乳児の腕に見られるくびれのようで、体型的にも幼児を想起させます。
同じ国東町の御祖社桜八幡神社も同系なので、この当地域で普及している型のようです。


荒木(あらき)天満宮

提供者:hisaLinさん
11.10.02
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
ちょっと変わった玉乗りタイプの狛犬がいました。
(大分県宇佐市荒木)
狛太郎のひとこと:宇佐市北部の田園地帯に鎮座しています。駅舘川が形成した宇佐平野は、古代から大分の穀倉地帯でした。近世の干拓も盛んだったようで、海辺には「新田」の地名が散見されます。この経済力を背景にして、古代文化がこの地に根付いていったようです。
狛犬は尾道型風の大玉取ですが、全体像はそれとは全く異なるものです。体つきは豊満でゆったりした量感を漂わせ、鋭く長い爪や牙が目立つ割りには穏やかな印象を受けます。長く垂れる直毛が背まで伸び、どことなくエキゾチックな顔立ちと併せて、独特な風情が持ち味です。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
11.10.03
hisaLinさんのコメント:福岡の東区をポタリングした時、立ち寄りました。福岡インターの料金所近くにあった神社で、福岡市内、那珂川町辺りで見かける狛犬がいました。
(福岡県福岡市東区蒲田三丁目)
狛太郎のひとこと:志賀島で出土した金印は、西暦57年に倭の奴国が後漢の光武帝から授与されたものです。この地域が極めて古い時代から有力であったことを示しており、志賀海神社香椎宮筥崎宮など歴史的に重要な古社が多いことも、それを裏付けるものかと思われます。
狛犬は若八幡宮志式神社五所八幡宮などと共通性があり、福岡市内周辺で一定の広がりを持つ様式です。薄い円板状のアゴヒゲが特徴です。筋肉質な五体を強調しており、本来は厳めしさをアピールするはずのところですが、どうしても笑っているように見えてしまいます。


寶満(ほうまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.10.08
hisaLinさんのコメント:福岡市から112号線(旧3号線)を走った時、立ち寄りました。
この辺りでは見かけない狛犬がいました。
(福岡県大野城市山田四丁目7番7号)
狛太郎のひとこと:御笠川の度々の氾濫に悩まされた旧山田村は、全村あげて現在の微高地に移転したとあり、その際、水分(みくまり)の神として当社を勧請しました。宝永年間(17c)のことです。主祭神は水神の玉依姫です。その後の村の生活が平穏だったことが願われます。
狛犬は大きな目にヒトミが描かれており、眼力を感じます。平たく長い耳がペタリと顔の輪郭を覆うような意匠には、北九州的な要素がありそうです。アウンでやや髪型を造り分けています。
逞しい前肢で小玉を取る姿には愛嬌があり、顔立ちにも心持ち人なつこさが感じられます。


宝地院(ほうちいん)

提供者:くろのすけさん
11.10.10
くろのすけさんのコメント:名水として知られる小城町清水の滝、天台宗宝地院のお堂前です。
ここにはお寺の本堂にはやや珍しいことに、新旧二対の狛犬さんが在りました。
お送りするのは、時代が古いとみられる方で、形としては肥前狛犬とみてよいと考えます。
ここで興味深いのは、吽形の前肢の間に「江里四儀右衛門」と読める人名が刻まれていることです。これは一般的には狛犬を奉納した願主の名前であろうかと思われますが、場合によっては作者の可能性もあるかと思いました。ご本堂におられたお寺の方に伺ったところ、この狛犬は大変に古いもので、鍋島藩お抱えの名工「平川儀右衛門」の作と伝えられているとのこと。
こうした石工の名前に思い当たられるでしょうか?
(小城市小城町松尾2209-1)
狛太郎のひとこと:落差75mの「清水(きよみず)の滝」は、天台宗の古刹、宝地院(803創建)境内にあります。当時としては正に秘境であり、静寂な山間に轟音を放つ名瀑の姿は神韻渺々の趣であったに違いありません。今日では鯉料理屋が軒を連ねる一大観光地でもあります。
狛犬は肥前狛犬の原型を維持しているものの、アウンの口の開閉が明瞭であり、髪に渦を施すなど造形上の発達が見られ、この型としては中期以降のものです。脚間の記銘「江里四儀右衛門」は奉納者で、首長クラスの有力者でしょう。一方「平川儀右衛門」については、手元の石工資料にはありません。名の似ている「平川與四右衛門」は石仏師で狛犬の作例はないので別人でしょうが、この狛犬を1700年頃の作と見ることは可能なので、時代的には合致します。


秋葉社(あきばしゃ)

提供者:TAKOさん
11.10.14
TAKOさんのコメント:JR予讃線喜多山駅北、約7km。秋葉山山頂。(奉納年)「昭和41年12月17日」。また山頂です。意外とバランスが取れているような、いないような…。顔の彫りはしっかりしていると思います。
(愛媛県大洲市)
狛太郎のひとこと:秋葉社は火の神・迦具土(かぐつち)を祀る社で、総本社は701年に行基が開いたと伝えられる浜松市の秋葉山本宮です。修験道との結びつきが強く、早い時期から神仏混淆の信仰形態が成立していたようです。火災の多発した江戸で、特に広く信仰されました。
狛犬は尾道型の変化型で、南予型に近いものと思われます。尾道型の持つシャープさや剽悍なイメージが薄れ、丸い目と笑ったような口の形で穏やかな表情をしています。前肢の付き方などが不自然でリアルさを欠きますが、顔の表情と相俟って素朴な親しみやすさは増しています。


植田宮(うえだぐう)

提供者:ishizakiさん
11.10.22
ishizakiさんのコメント:(空撮のためのラジコン機を)10分のタイマーが8分になってから、後2分あるからと飛ばしていたら、わからなくなって、わずかな西風から帰ってこられず、捜索隊…。
それで、捜索のために行ったら、小学校の北側に(狛犬が)ありました。猫型です。
(香川県高松市西植田町)
狛太郎のひとこと:四国山地に迫る山間の町です。ishizakiさんが空撮をしておられた松尾池は、満水面積が23haもある高松で代表的な溜池です。当社は日清日露以来の戦没者の霊を祀っていることが分かりました。毎年5月には遺族の人たちによる祭礼が斎行されています。
狛犬は四肢が太く、どっしりした印象を受けます。この狛犬の特徴は、極端に強調された吊り上がった目です。四肢が太く吊り上がった猫目の狛犬は、愛媛県西条市の綾延神社常盤神社横峯寺石鎚神社などで見ることができ、地理上からも文化的な近縁性が想像されます。


八方大荒神(はっぽうだいこうじん)

提供者:ishizakiさん
11.10.23
ishizakiさんのコメント:ことでん、学園駅に南北にある通りの南の方へ1kmです。鳥居の細部を載せて置きました。「八万…?」
(香川県木田郡三木町氷上)
狛太郎のひとこと:大木が3本あったので古来「三木郡」と称していたのを、昭和29年5町村合併の際、町名に採用した由です。荒神は火に関係のある神で、家庭ではカマドの神として親しまれています。修験者が流布したとされます。鳥居の額は、よく見たら「八方大荒神」でした。
狛犬はオーソドックスな蹲踞ですが、天を仰ぐ姿勢といい、各パーツの造りといい、なかなか豪快な作風です。小鼻の膨らみや頑丈そうな歯列に力強さがあります。四肢を盤からはみ出させる意匠にも、勢いが感じられます。アが玉を噛む意匠は中国四国では少ないように思います。


三宝大荒神(さんぽうだいこうじん)

提供者:ishizakiさん
11.10.24
ishizakiさんのコメント:コトデンの学園駅に近い南北の道路を南へ1kmで、(八方大荒神との)距離は200m程度です。(鳥居の額は)「三宝…」、読みにくいです。
(香川県木田郡三木町氷上)
狛太郎のひとこと:三宝とは「仏・法・僧」を指すもので、荒神は仏教神であることが分かります。
元は悪神であったものを、その強大な力に注目して、これを三宝の守護神として取り込んでいきました。「八方荒神」も本来は「八宝」であり、七福神に荒神を加えたものかと想像されます。
狛犬は様式といい各部の造りといい、八方大荒神のものとほぼ同型です。同じ工房か同門の作品と思われますが、こちらの方が盤を更に小さく造ることで、狛犬の量感をより際立たせています。体つきも一回り大きく、表現の仕方や装飾面でも洗練されているように思います。


雲八幡(くも・はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.10.30




@





A
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。
朝倉地方に多い狛ちゃん@と、なんと狛カッパ?Aが居ました
(大分県中津市耶馬溪町宮園)
狛太郎のひとこと:中津市と日田市を結ぶ「日田往還中津街道」の中ほどに鎮座、大宝3(703)年創建と伝えられる古社です。300年以上続く奇祭カッパ祭は、平家の落人の霊魂がカッパとなって悪行をなしたため、これを鎮魂し、併せて五穀豊穣を祈るために始まったとされます。
@朝倉市の垂裕神社などに見られる朝倉型です。朝倉地方で造られたものだとすると、移動には困難を伴ったでしょう。時代は分かりませんが、明治以降だとしても、山沿いの道を自動車で運ぶのは難しかったと思われますから、山国川の水運を利用したのではないでしょうか。
Aカッパかも知れない狛犬としては岩手の常堅寺(下段)があり、またカッパとして造られたものには愛媛の若宮八幡神社(未掲載)があります。ただし後者も一見そうとは分かりにくいものであり、かくもリアル(?)なものは見たことはありません。アは軍配、ウンは胡瓜を持っています。


小江(おえ)神社

提供者:hisaLinさん
11.11.02
hisaLinさんのコメント:諫早から鹿島を通って柳川まで走った時、立ち寄りました。
むっくりした狛ちゃんがいました。
(長崎県諫早市高来町下与)
狛太郎のひとこと:有明海に注ぐ本明川の河口付近は昔からの干拓地で、海沿いを走る207号線の沿線には、小江、湯江、白浜など海浜を思わせる地名が並んでいます。明治の合併で小江村が誕生し、各村の鎮守を合祀しました。伊邪那岐命ほか海神多数を祀っています。
体格の良さや足首のアンクレット風の隆帯は筑後型を思わせますが、全体像はそれとは全く違います。太い眉に張った小鼻、頑丈な歯列など男性的な風貌が印象的です。長崎県の狛犬はかなり多様で、島原の一群(猛島神社八幡神社霊丘神社)以外は分類できずにいます。


須賀(すが)神社

提供者:hisaLinさん
11.11.06
hisaLinさんのコメント:田川から遠賀川駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
この神社のある辺りは、小倉と長崎を結ぶ長崎街道の宿場町だったみたいで、町並みが整備されていました。この辺りでよく見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県北九州市八幡西区木屋瀬3丁目19番1号)
狛太郎のひとこと:長崎街道には多くの宿場がある中、筑前国(福岡県)内には主要宿場として「筑前六宿」がありました。木屋瀬宿はその一つで、大名が宿泊する本陣、重役クラスが宿泊する脇本陣を備えていました。この本陣・脇本陣跡に、木屋瀬宿記念館が設けられています。
狛犬はどちらも北九州風の作品です。特に上段は、耳と髪型によって四角張った顔立ちに見える点や、上下が繋がる牙などが特色をよく表しています。下段にはそうした特徴は見当たりませんが、全体として北九州的な雰囲気を持っています。ウンは有角で威厳のある風貌です。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
11.11.07




@





A
hisaLinさんのコメント:宮若、中間市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。この辺りでよく見かける狛ちゃんが2対いました。
(福岡県宮若市湯原)
狛太郎のひとこと:06年に鞍手郡宮田町と同、若宮町が合併して誕生したのが宮若市です。両町とも神社がらみの町名であったと推測され、それぞれの歴史を物語っていました。両町名を合わせる新市名は定番の手法ですが、当市の場合は少し紛らわしい感じもする命名です。
@垂裕神社に代表される朝倉型の要素を強く持っており、全体のフォルムから、ウンが玉を取るモチーフまでよく似ています。ただ顔立ちには独自性が現れており、太い牙を剥きだした口元は遠賀町の浅木神社に類似するものです。両方の混合型かも知れません。
A上段と同じく朝倉型を元にしたもののようです。顔立ちは下段の方が朝倉型の雰囲気を良く伝えているようです。地図の上からは、朝倉型がここまでストレートに伝播する条件があるようには見えませんが、実際にここにあるわけですから、いずれルートを解明したいものです。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.11.09
hisaLinさんのコメント:唐津駅から鹿島までサイクイリングした時、立ち寄りました。
小城町周辺でよく見かける狛ちゃんがいました。
(佐賀県多久市東多久町別府)
狛太郎のひとこと:大永8(1528)年に、佐賀領主龍造寺氏が宇佐八幡宮を勧請して創建しました。江戸期に至っても龍造寺系の多久家代々の尊崇を受け、明治期には村社となりました。
多久地区は砥川石工のテリトリーであるため、彼らが得意とした岩狛が数多く見られます。
狛犬は典型的な岩狛です。前立ての岩に前肢を掛けて半ば立ち上がり、後肢はピンと伸ばした勢いのある造形です。吊り上がった眉に大きく開く口、逆立つモミアゲのようなヒゲの形など、気の強そうな面相が特徴です。岩にはボタン花をあしらい、装飾性にも怠りがありません。


美奈宜(みなぎ)神社

提供者:hisaLinさん
11.11.10




@





A
hisaLinさんのコメント:久留米から田主丸を通って朝倉方面を走った時、立ち寄りました。
朝倉市荷原にある美奈宜神社と同名の神社に、筑後型の狛チャンがいました。
(福岡県朝倉市林田210番)
狛太郎のひとこと:荷原の美奈宜神社とともに、式内社の論社です。1800年前の神功皇后の熊襲平定を由緒としています。その時「蜷(ミナ)で築城したから蜷城(ミナギ)」だそうですが不合理で、タイラ貝→タイラギと同様、ミナ貝→ミナギの方が自然な気がしますがどうでしょうか。
@久留米の本家筑後型にほぼ近いのですが、歯列が鋸歯状である点が朝倉における同タイプの特徴となっています。本家からの距離に応じて幾分変化が加わる例として貴重です。
Aこちらはほぼ筑後型そのものといえるものです。耳の造り分けもありますし、その他の部分も約束通りです。しかし本家と比べると、どことなく印象が異なるのが面白いところです。


綿津見(わたつみ)神社

提供者:hisaLinさん
11.11.11
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
大牟田でよく見かける狛チャンがいました。この狛チャンは矢部川を境にして、南地方に多いように感じました。
(福岡県みやま市高田町江浦)
狛太郎のひとこと:筑紫平野の南部を流れて有明海に注ぐ矢部川は、高田町と大和町の境界を成しています。当社の鎮座地はその河口近くですが、近世の干拓を考慮すると、昔は海岸のすぐそばだったと想像されます。風水害や塩害の防除に、海神・綿津見は不可欠な存在でした。
この狛犬は大牟田(熊野宮諏訪宮など)のものが、北進して当地に進出したものと考えられます。従って矢部川以南に多いというご指摘は的確です。ただ、更に北上して柳川市の白鳥神社や、逆に南下して荒尾市の綿津見神社にも到達しており、分布範囲は意外に広いようです。


八幡(はちまん)神社U

提供者:picapicaさん
11.11.12




@





A
picapicaさんのコメント:hisaLinさん投稿の狛犬の他に、二対の狛犬が居ました。
@参道に一対。吽のほうは台座から落ちて、地面に直接置いてありました。
 (年銘は)「昭和11年12月吉辰」。石工名は「夏吉 緒方安平」と読めるようです。
Aは拝殿の裏、本殿の横あたりにありました。阿吽が逆になっています。「延享三(1746)年丙
 寅七月吉日」とあるのでかなり古いものでしょうが、それほど傷んでいませんでした。
(福岡県田川郡大任町今任原)
狛太郎のひとこと:当地では鎌倉期には既に、宇佐八幡宮から勧請した八幡神を祀っていました。その後寛永5(1628)年に、今任村を上下2ヶ村に分割することになり、八幡宮も2ヶ所に分祀されました。うち野原山(60m)に奉祀されたのが当社であり、「野原八幡宮」とも称します。
@尾道風の巨大玉取りというモチーフを取り入れながら、タドンのような目など田川独特の風貌は堅持しています。この狛犬はそれに更に強いデフォルメを加えて、忘れがたい強烈な印象を与えています。石工住所の「夏吉」は香春山西麓にあり、現在も石材業が営まれています。
A1700年代の古い狛犬の特徴を垣間見ることができます。則ち、洗練される以前のぎこちない五体のライン、扁平な大腿部、最小限な装飾などがそうです。しかし各部の細工は的確で、当時の水準は十分満たしていると思います。また現在の田川型の萌芽も窺うことができます。


老松(おいまつ)神社

提供者:picapicaさん
11.11.14
picapicaさんのコメント:JR篠栗駅の西南西、500mほどの所にある老松神社です。
尻尾が目を引く、貫禄のある堂々とした狛犬が居ました。
(福岡県糟屋郡篠栗町大字尾仲)
狛太郎のひとこと:篠栗町は、弘法大師が開いたといわれる新四国八十八霊場で有名です。
老松神社は菅原道真を祀る神社ですが、相殿の齊世(ときよ)親王は、道真が醍醐天皇を廃し皇位に就けようとしたとされる人物です。道真失脚に伴い、政界を退いて出家しました。
狛犬は福岡市周辺でよく見られるタイプ(八幡宮若八幡宮伏見神社など)で、立派な体格とブロンズのような硬質感が特徴です。また金属製に似た精緻な装飾が施されています。
逆R字状の尾も、木造や銅造に多用される形であり、打撃に弱い石造では多くありません。


荒神社(こうじんしゃ)

提供者:TAKOさん
11.11.16
TAKOさんのコメント:JR菊間駅南東 約1.2km。勘違いで見落としていた神社です。
「文久二(1862年)」ですが、劣化が激しい石だと思います。狛犬は今治を中心に好まれているのと、南予の香りがするのと、色々混じっていると思います。(今治の特徴としては)今治を中心してなぜか分かりませんが、炭団を埋め込んだような目が多いと感じています。
(愛媛県今治市菊間町)
狛太郎のひとこと:菊間町は瓦の生産地として名高い所です。当社の祭神は斎火武主命(いみびたけぬしのみこと)、奥津比古(比女)命(おきつひこ・ひめ)であり、いずれも火に関わりのある神です。瓦の焼成と関係があると思われ、実際、瓦業者の守護神として崇敬されています。
本件は尾道型をベースとして、タドン目という当地独特のデザインが加わる一方、南予型の長い牙を取り入れています。さらに顔立ちには浪花型の要素も感じられるというハイブリッドです。
江戸期としては高度な彫刻が施されており、子獅子の位置など十分に斬新でもあります。


旗頭(はたがしら)神社

提供者:hisaLinさん
11.11.27
hisaLinさんのコメント:門司港から水巻駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
北九州では余り見かけないような狛犬さんがいました。
(福岡県北九州市八幡西区陣原5丁目)
狛太郎のひとこと:景行天皇以降5代の天皇に仕えたとされる武内宿禰(たけうちすくね)を主祭神としています。西暦1世紀から280年ほど活躍したことになり不合理ではありますが、日本神話の中では人気のある人物で、戦前には紙幣のモデルにもなったことがあります。
狛犬は北九州で見られる花崗岩製の定型的なタイプとは異なり、安山岩らしき軟質の石材を用い、その分、細かい点までノミの運びが行き届いています。波打つ口の形は関西風出雲風と見受けられますが、全体像はそれらとも異なっています。丁寧な仕事ぶりが目を引きます。


郡瀬(ごうせ)神社

提供者:hisaLinさん
11.12.01
hisaLinさんのコメント:日田駅から中津、宇佐方面をサイクリングした時、立ち寄りました。
神社は宇佐神宮の近所にあり、橋の袂にあって車では素通りしそうな感じです。
威厳のある狛ちゃんがいました。
(大分県宇佐市樋田)
狛太郎のひとこと:宇佐神宮には境外8摂社と称するものがあり、当社はその一です。当社縁起によれば和銅3(710)年に八幡大神が顕現して当地に自らを祀らせ、その後、神亀2(725)年に宇佐神宮に遷ったとあり、そうであるならば宇佐宮に先行する聖地ということになります。
国東半島周辺には浪花型の要素を持つ狛犬が多いように感じていましたが、この作品も顔立ちについてはその面影を漂わせています。しかし全体像は、がっしりした体躯と太い前肢を持つ偉丈夫であり、幼児体型の浪花型とは何ら共通性はありません。重量感のある豊かな造形です。


菅原(すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
11.12.03
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。熊本風?の狛ちゃんに見えますが、福岡護国神社の狛犬さんにも似てるように思います。
(熊本県阿蘇市赤水)
狛太郎のひとこと:阿蘇山北西の外輪山麓に鎮座しています。温泉郷・内牧の周辺部といえる場所で、当地にも温泉が散在します。阿蘇市一帯は阿蘇の神、健盤龍命信仰が圧倒的に浸透する中、菅原神社もかなりの数、存在しており、大宰府との何らかの関係が想像されます。
狛犬は肉付きのよい肥満体ですが、原型は大宝型であるようです。大宝型は大宝神社の木彫狛犬をモデルとした、引き締まって俊敏そうな体型が特徴であるのに対し、この作品はそれに重厚感を加えて現地化されたもののようです。福岡県護国神社@Bは正に大宝型です。


志賀(しが)神社

提供者:hisaLinさん
11.12.04
hisaLinさんのコメント:島原半島一周サイクリングをした時、立ち寄りました。毛深い感じが熊本風の狛チャンに見えましたが、顔立ちは熊本風には見えませんでした。
(長崎県南島原市西有家町龍石)
狛太郎のひとこと:島原半島東南端の島原湾沿いに鎮座しています。祭神は底筒男之命・中筒男之命・表筒男之命(住吉三神)です。海に依存した暮らしにはつきものの、海難・潮害・風波などの自然災害に向き合う日常には、有力な海神の庇護を願う一途な祈りがあったのでしょう。
狛犬は豊かな髪に深い毛筋を刻んでいます。体格のバランスもよく、端正です。耳が横に張り出す形は前原型に似ていますが、その他の部分は似ていません。同じ南島原市の天満宮のものが、多量の髪、口中の玉、ウンの玉取り、鼻の形などにおいて類縁性が強そうです。


瀧(たき)神社

提供者:hisaLinさん
11.12.06




@
A






B
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングをした時、立ち寄りました。210号線沿いにあった神社で、@筑後型の狛犬と、A眼が印象的な狛犬、もう一対B筑後型の混じっているような狛犬がいました。
(大分県玖珠郡玖珠町戸畑)
狛太郎のひとこと:玖珠川の「滝」を御神体とした信仰ではなかったかと思われます。祀られている宗像三女神のうち、湍津姫(たぎつひめ)の名義は「激流」と解されており、滝とは同根の言葉です。宗像神は海神ですが、名の連想から滝の神として勧請されたのではないでしょうか。
@は筑後型で、うち、口の回りに剛毛を蓄えたタイプです。耳の造り分けもあり、クローズドの足位置、アンクレット状の隆帯もあります。ただし尾の形が典型例とは異なっており、朝倉あたりの変化形が持ち込まれたのではないでしょうか。それにしても遠くまで来たものです。
A大きな目にはヒトミが刻まれており、アウンが出雲式と大玉取というダイナミックな構成と相俟って、非常に強い印象を受けます。太い束の列の髪は、佐賀の古代型綾部八幡神社など)にも見られる表現で、素朴な力強さがある一方、尾には繊細な毛筋が美しく付けられています。
B筑後型であることは間違いなさそうですが、典型例のざっくりとした省略的表現に比べると、髪、ヒゲ、渦の表現が繊細さを帯びています。@とは近い関係にあるように思われ、やはり朝倉周辺で造られた筑後型ではないかと推測します。玖珠地方での筑後型は新発見です。


天神宮(てんじんぐう)

提供者:hisaLinさん
11.12.11




@





A
hisaLinさんのコメント:呼子方面を走ったとき、立ち寄りました。名護屋小学校の近所にあった神社に、唐津型と思われる狛犬が2対いました。
(佐賀県唐津市鎮西町名護屋)
狛太郎のひとこと:各地の天神社・天神宮は菅原道真を祀ったものが大半で、佐賀県もその例外ではありません。しかし菅公ではなく文字通り「天の神」を祀ったものも少数存在しており、それはより古い信仰を残しているのです。当社がどうであるのかは、よく分かりませんでした。
@Aとも唐津型です。唐津型の特徴である「恐い顔」「首を傾げて睥睨する」といった点ではAが典型的であり、@はその定義からは微妙にずれています。ただし逆R字状の尾や、胸と腹の境のエッジなど唐津型の特徴を有しており、地域的にも他流とは考えにくいようです。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.12.12




@





A
hisaLinさんのコメント:鹿島から柳川を通り、久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りは神社の多い地区で、投稿されている狛犬が多いのですが、この神社はまだだったので投稿しました。この辺りでは見かけない、2対の狛犬がいました。
(福岡県大川市津)
狛太郎のひとこと:「津」とは海岸や河川の着船地だそうですが、筑後川が流れ水路が入り組んだ大川市には、ほかにも浦、川などの地名が点在し、干拓地らしき新田という地名も存在するなど、海に近い立地を端的に示しています。当社周辺にも生活用の船着き場があったのでしょう。
@は近隣の小保八幡神社のものに似ており、塩田系の作品である可能性が高そうです。典型的ではないものの、顔立ちにはその面影があります。ただ、塩田型の特徴である繊細な尾の毛筋の表現はありません。顔の印象や体型のバランスなどから、そのように推測されるのです。
A顔立ちも体つきも、強度にデフォルメされています。特に顔面の表現では、丸く突出した目にはヒトミが施されて眼力が強調され、互い違いの太い牙は強力な咀嚼力を想起させます。
魔除けとしての霊力を意識した表現でしょう。あまり類例を見い出せない独特の作風です。


幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.12.17
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。道の駅むなかたの近くにあった神社で、見たことない1対の狛犬がいました。どこか古賀市の菅原神社の狛ちゃんに似てませんか?
(福岡県宗像市江口)
狛太郎のひとこと:地図を見ていて、「宗像駅」がないのに気付きました。「赤間」か「東郷」が宗像市の代表駅のようです。「むなかた」の知名度を考えると不思議な感じがします。当社は玄界灘に注ぐ釣川の河口付近にあり、その上流には有名な宗像大社が鎮座しています。
狛犬は力強く格調の高い造形で、アウンは明確に造り分けられています。ただし通常とは逆に、アが有角で直毛、ウンが巻毛のようです。菅原神社のものも角以外は同じパターンであり、同系です。ほかにも楯崎神社下段など、宋風狛犬が源流とおぼしき個体が散見されます。


阿蘇宮(あそぐう)

提供者:hisaLinさん
11.12.22
hisaLinさんのコメント:大牟田から八代までサイクリングした時、立ち寄りました。
熊本風の狛犬さんがいました。
(熊本県熊本市砂原町)
狛太郎のひとこと:肥後国一宮の阿蘇神社は、第7代孝霊天皇の時に創建と伝えます。もはや神話の世界ですが、恐ろしく古いことだけは確かです。大宮司の阿蘇氏は中世には武士化して絶大な勢力を有したので、各地に数多くの分社が建てられました。当社もその一つでしょう。
濃い巻き毛のアゴヒゲ、口中の小さな玉、大きな顔面の割りにやや華奢な体つきなど、熊本狛犬の特徴を十二分に発揮しています。また熊本狛犬は総じて尾が立派です。さらに、どこか深い思索を巡らせているような、ウンの哲学的な表情など、なかなか惹き付けるものがあります。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
11.12.23
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。
大分県辺りで見かける、瞳(亀都起神社)を持った狛犬さんがいました。
(福岡県田川郡添田町添田)
狛太郎のひとこと:貴船神社の総本宮は、延喜式の名神大社で、5世紀に創建と伝える京都の貴船神社です。祭神の「高おかみの神・闇(くら)おかみの神」は水神で、降雨・止雨を司ります。「おかみ」の漢字は、雨かんむりに「口口口」、その下に「龍」というものものしさです。
狛犬は田川市・郡で見られるタドン目の一群とは明らかに違っていて、目の小さなヒトミはご指摘の亀都起神社の感じに良く似ています。同じ田川郡でも添田町は初登場なので地域の傾向は不明ですが、立派な鼻ヒゲや豪快な尾など、近隣のものとは全く異なるタイプのものです。


三所(さんしょ)神社

提供者:hisaLinさん
11.12.25
hisaLinさんのコメント:糸島半島を一周した時に、立ち寄りました。
唐泊漁港近くにあった神社に、護国神社に多い狛犬がいました。
(福岡県福岡市西区宮浦)
狛太郎のひとこと:糸島半島東北端付近にあり、江戸時代には筑前五ヶ浦廻船の基地でした。
長距離海運を手がける廻船業者にとって、海上安全は何よりも優先的な課題であったでしょう。祭神は海神の宗像三女神であり、宮浦という地名も当社の存在に関係がありそうです。
狛犬は京都府宮津市の籠(この)神社の石造狛犬がモデルです。筋肉隆々たる五体に比べ極端に小さい頭部、太い前肢、首回りを覆う渦状の毛などが特徴で、ウンが一角を有する伝統的様式を保っています。福岡県では筥崎宮香椎宮など格式の高い神社に多く見られます。


松山(まつやま)神社U

提供者:hisaLinさん
11.12.29
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から平戸を廻って佐世保駅までサイクリングに行ったとき、立ち寄りました。松浦駅から志佐川を上流に行ったところにある神社で、(すでに)投稿されてる狛犬と、もう一つ肥前狛犬?らしき狛ちゃんがいました。
(長崎県松浦市志佐町高野免)
狛太郎のひとこと:平安時代から約500年間、松浦一帯を支配したのが松浦党ですが、志佐町を根拠地としていたのは、その一派の志佐氏でした。平安末以降の戦乱を生き抜いた志佐氏でしたが、戦国時代にその嫡流が滅び、所領は平戸領に併合されるという運命を辿りました。
この丸々とした肥満体に四肢を短く彫り出したスタイルは、肥前狛犬の一つの典型として、佐賀県内でも随所に見られるものです(太田神社など)。ア像の歯列が比較的明瞭で、毛筋の表現も鮮やかなことから、草創期(約400年前)よりは幾分時代を降るものと思われます。


織幡宮(おりはたぐう)

提供者:hisaLinさん
11.12.30
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
顎鬚が特徴的な狛犬がいました。
(福岡県宗像市吉田)
狛太郎のひとこと:玄界灘に突き出す鐘崎港に、履中天皇(5c初)時創建という式内名神大社の織幡神社が鎮座し、神話の英雄武内宿禰や綿津見三神などを祀っています。織幡の名は、宿禰が「旗を織った」という故事によるとされます。当社はその織旗神社の分社であるようです。
狛犬は太い眉の下にヒトミのある窪んだ目を持ち、上下が繋がった独特の形状の牙を有しています。またホホには沈線のヒゲが数本刻まれ、豊かな顎ヒゲとともに、威厳のある顔立ちを演出しています。尾の毛筋も美しく刻まれています。あまり似たもののない、独特な作品です。


草木八幡(くさぎはちまん)神社

提供者:hisaLinさん
11.12.31
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時立ち寄りました。
この辺りで見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県大牟田市草木902番地)
狛太郎のひとこと:大牟田には難読地名が多いそうですが、「草木」については「草木が繁っていたから」と、いたって簡明です。しかし境内には今も楠などの古大木が繁っている由で、その一端をとどめているようです。なお、当サイト中では諏訪宮の「久福木(くぶき)」が難読です。
狛犬はその諏訪宮のほか、熊野宮八幡神社船津天満宮などと同系で、柳川市の白鳥神社や熊本県荒尾市の綿津見神社にも存在します。丸い目や眉の渦の列、体表の卍型渦などが特徴ですが、鼻ヒゲや短足、細かい歯列などといった熊本的要素をも多分に共有しています。


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