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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


中正(ちゅうせい)公園

提供者:くろのすけさん
12.01.01
くろのすけさんのコメント:先日台湾は基隆を旅行した際、港を見下ろす中正公園にて、観音像を護る巨大にしてどこか愛嬌のある獅子一対を見ました。
狛犬とは少し違いますが、お話の種にお送りします。
(中華民国基隆市信義區壽山路)
狛太郎のひとこと:中正公園は台湾の北の玄関口の基隆市にあり、22mの巨大観音像で有名です。基隆港は日本統治時代に本格開発され、戦後国際的な主要港に成長しました。公園は「蒋中正」の名を冠したもので、日本では台湾初代総統蒋介石として著名な人物の本名です。
巨大観音像の守護なので、確かに普通の獅子では手に余るでしょう。台湾にも日本統治時代に伝わった日本風の狛犬が多数現存しますが、これはアウンとも開口であり、顔立ちもライオンぽくて、紛れもなく中国伝来の獅子です。玉にのし掛かる体勢や顔立ちが可愛らしいです。


池原(いけはら)神社

提供者:TAKOさん
12.01.02
TAKOさんのコメント:高仙山山頂。格子の中で光量が足りなかったですが、何とか撮れました。斎灘が手に取るように見渡せる、軍事拠点だと思います。こんなポイントがあるとは知りませんでした。いい年が迎えれそうです。新しい年が平安でありますように。
(愛媛県今治市菊間町種)
狛太郎のひとこと:斎灘を望む高仙山(たかぜさん)山頂の山城は、築城年代は不明ながら、室町時代には地元豪族池原氏の居城でした。毛利氏や来島氏などとの抗争では、眼下の斎灘に迫り来る敵の様子を一目瞭然に監視できたと思われます。当社はその池原氏を祀る神社です。
菊間町は瓦の生産で有名な町です。町内の砥鹿神社@八幡神社@と同じく、この狛犬も瓦製で、塑像らしい自由な曲線と細かい細工が持ち味です。いぶし銀の肌も、深みのある色合いで惹き付けられます。石という素材の制約を離れた、伸びやかな造形を楽しむことができます。


玉垂宮(たまたれぐう)

提供者:hisaLinさん
12.01.03




@





A
hisaLinさんのコメント:鹿島駅から柳川までサイクリングした時、立ち寄りました。
@この辺りでよく見かける狛犬1対と、A玉名市の熊野座神社、天草市の大浦阿蘇神社の狛ちゃん似が1対いました。
(福岡県柳川市下宮永町)
狛太郎のひとこと:玉垂神信仰は筑後国一宮の高良大社を中心に、筑後一帯に広く分布しています。玉垂神=武内宿禰説が有力ですが、玉垂神は他の誰でもなく、地方で生まれ地方で育まれてきた玉垂神そのものと考える方が、本来の信仰形態にかなうのではないでしょうか。
@柳川市(天満神社八幡神社など)や大川市(水天宮高良神社など)に多く分布するタイプです。個体によって技量や意匠に幅がありますが、それはとりもなおさず、このタイプが地域に根付いている証拠ともいえます。なお、原産は佐賀県である可能性が高いと考えています。
Aぐるりと首を取り巻く裾飾り状の顎ヒゲと、ウンの真一文字に閉じた口の形が特徴です。
また、前肢には関節状の隆帯があります。どこに中心地があるのかはまだ不明ですが、アの激しい風化具合を見ると、柔らかい天草石を産出する天草地方が有力候補ではあります。


玉垂命(たまたれのみこと)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.04
hisaLinさんのコメント:鹿島駅から柳川までサイクリングした時、立ち寄りました。
佐賀県内に多い岩登りタイプで、顔の大きい狛犬がいました。
(福岡県大川市郷原)
狛太郎のひとこと:玉垂神は筑後国一宮の高良大社の祭神です。玉垂神(高良大神)の起源は律令制以前であると思われ、記紀には登場しないローカル神です。多くの地方神が中央の神々に擬制する中、強固な信仰基盤によって独立を保ったまれな例と言うことができると思います。
狛犬は紛れもなく、砥川石工の得意とする岩狛です。三等身の大きな頭部と幼児体型の短い四肢が外貌の特徴で、吊り上がった眉などで表現される剽悍な気性といった内面性をも備えています。特に前立に岩を配してこれにのし掛かるスタイルは、砥川石工の独創で秀逸です。


窪田日吉(くぼた・ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.05
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から白川沿い(207号線)に熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。胴長短足で、髭が濃い熊本風の狛犬がいました。
(熊本県菊池郡大津町下町)
狛太郎のひとこと:窪田とは「窪地(くぼち)」にある田の意です。当地は白川沿岸の「窪田」だったかと思われます。また白川下流の菊陽町の「久保田」も当社の氏子地域であることから、「くぼた」とは両地域を含む広い範囲を指し、当社はその全体の守護神だったと推察されます。
狛犬は多毛・短足、細かい歯列などの熊本的要素を多分に保ちつつ、顔面の表現は極めて大胆です。比較的面長なイメージの強い熊本狛犬の中では、際立って横幅の広い顔立ちが個性的であり、とりわけアの開口部の大きさや、ウンの歯を食いしばるような表情が印象的です。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.06
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りで見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県大牟田市吉野)
狛太郎のひとこと:平安末期に熊野信仰が盛んとなり、修験者によって各地にもたらされました。当社もその頃に創立されたと考えられており、伊邪那美神、事解男神、速玉男神を祀っています。長い歴史の中で、神道と仏教、山岳信仰などが習合した複雑な信仰形態です。
狛犬は当地でよく見られるもので、太い眉にヒトミのある大きな目が印象的なことと、ウンが大きな子獅子を抱くモチーフが特徴です。市内の八幡神社諏訪宮(下段)熊野宮などのほか、熊本県荒尾市の野原八幡宮綿津見神社にも同系があります。熊本的要素が強いようです。


五の宮(ごのみや)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.07




@





A
hisaLinさんのコメント:諫早から鹿島を通って柳川まで走った時、立ち寄りました。
佐賀地方で見かける狛犬1対と、もう1対の狛犬がいました。
(佐賀県鹿島市森)
狛太郎のひとこと:和銅年間(8世紀初頭)に大和丹生神社から勧請と伝える古社で、水神の罔象女(みずはのめ)神を祀っています。農業や生活の利水、また水害防止も人々の切望するところでした。自然の猛威に無力な古代人にとって、罔象女への期待は大きかったと思います。
@は髪や尾の美しい毛筋により、塩田型であることが明らかです。体表には小さな渦の突起が多数施され、細部へのこだわりも感じられます。塩田型には岩狛タイプも多く、このような蹲踞型も同じく多いのですが、豊かな毛量と規則正しい毛筋のラインという特長は共通しています。
A恐らく塩田型と思われる作品ですが、典型的ではありません。胸や上腕の筋肉が強調され、優美さが身上の塩田型としてはやや異例です。ただ基本的な顔立ちが@と相似であり、鹿島市という地域柄を考慮すると、他の流派でもなさそうです。個体差の範囲と考えられます。


三笠(みかさ)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.08
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時、立ち寄りました。
阿蘇市の隼鷹神社、湯布市の宇奈岐日女神社の狛犬に似た狛犬がいました。
(福岡県大牟田市鳥塚町)
狛太郎のひとこと:大友氏の忠臣で、戦国武将の高橋紹運を祀っています。紹運は島津氏との闘いにおいて、岩屋城(大宰府)の籠城戦で戦死。しかしその長男宗茂は柳河藩初代藩主、二男直次は三池藩祖となっており、当地に紹運が祀られたのはそうした経緯によるものでしょう。
狛犬はご指摘の隼鷹神社のものとは非常に良く似ています。ヒトミを深く穿った目の造りや、長くて豊かな毛房は、偶然とは思えないほど相似です。一方宇奈岐日女神社のものは、ヒトミの感じはそっくりですが、毛量や髪の立体感に違いがあり、同系とまでは言えないようです。


老松宮(おいまつぐう)

提供者:hisaLinさん
12.01.09
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時、立ち寄りました。
未完成品ぽく見える狛犬がいました。
(福岡県みやま市瀬高町大草)
狛太郎のひとこと:当地は旧山門郡瀬高町でした。山門郡域は「やまと」という音通以外に、考古学的知見や神話伝説の研究などによって、「邪馬台国」の候補地の一つに挙げられています。当社の境内は前方後円墳の一部であり、この土地の歴史が古いことを物語っています。
狛犬は前肢の接地点が遠く、平伏するような姿勢です。顔面も横幅が広くて、全体的に押しつぶされたようなフォルムになっています。毛筋をはじめ各部のパーツはしっかり彫られていますが、風化によってメリハリが薄れたためか、確かに製作途中のようにも見えてしまいます。


井田原(いだはら)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.10
hisaLinさんのコメント:糸島半島をサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りで見かける狛犬と少し違うけど同類かな?と思われる狛犬がいました。
(福岡県糸島市志摩町井田原)
現祭神は国常立尊と天照皇大神という日本神話上の最高権威になっていますが、江戸末期に祭神変更が行われた結果です。それまでは永らく十六天を祀っていたようです。旧糸島郡内で十六天信仰が盛んだった形跡は、今でも随所に見ることができます(十六天神社など)。
狛犬は前原型です。横に張り出す耳、アが口に玉を含み、ウンが足で玉を取る姿は、この型では定番です。整った顔立ち、均整の取れた体型のこの型を前原型と名付けましたが、その分布は旧糸島郡全域に広がっており、どこが中心地であるのかは、実はまだ確認できていません。


若宮(わかみや)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.11
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
しっかりした前足を持った狛犬がいました。
(佐賀県三養基郡みやき町市武)
狛太郎のひとこと:「若宮神社」の他、集落名を冠した「江見八幡神社」また単に「八幡神社」とも称するようです。「若宮」とは応神天皇(八幡神)の子の仁徳天皇を指し、則ち「八幡の若宮」を意味します。永禄11(1568)年に再建とあるので相当な古社ですが、創祀年代は不詳です。
狛犬は全体的な雰囲気と髪、ヒゲの密な毛筋から、塩田型と目されるものです。しかし優美さが身上の塩田型としてはやや無骨で、洗練される以前のフォルムを保っているかのようです。
どことなく前世代的な印象があり、飾り気のない謹厳実直な内面性さえ漂わせています。


宮地嶽(みやじだけ)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.12
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。
この辺りでは見かけない、尖がり耳を持った狛犬がいました。
(福岡県田川市伊加利)
狛太郎のひとこと:宮地嶽神社は息長足比売(おきながたらしひめ=神功皇后)を祀る神社で、福津市の宮地嶽神社が総本宮です。皇后の巡幸説話は福岡県内で特に濃厚であり、皇后を祀る神社は当社のほか、香椎宮筥崎宮宇美八幡宮聖母宮など多数にのぼります。
上下が繋がった牙に田川狛犬の片鱗が見られるものの、それ以外は独特です。特に耳が立耳である点が、他との違いを際立たせています。顎ヒゲの形や足首のアンクレット状の飾毛などから、筑後型の面影も見えます。天降神社に筑後型の例があり、無縁とは言い切れません。


垢田八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.01.13




@





A
hisaLinさんのコメント:山口県の小串から門司までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける狛犬2対がいました。
(山口県下関市垢田町)
狛太郎のひとこと:響灘に面した微高地に鎮座し、応神天皇とその両親(仲哀天皇、神功皇后)を祀っています。かつては響灘を航行中の船舶にとって、一種の航路標識的な役割も果たしていたのではないでしょうか。下関にも神功皇后ゆかりとされる地が多くあります。
@Aとも同系と見てよいものと思います。小さく突起した丸い目、アの控えめな口の開き、花崗岩らしき石に刻まれた浅いレリーフによる装飾、ウンの一角などの共通点があります。この形は
安岡八幡宮A
でも見られます。アのおちょぼ口に比べ、ウンの口幅は著しく大きく特徴的です。


荒穂(あらほ)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.14




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚、嘉麻市をのんびりサイクリングした時立ち寄りました。443号線沿いにあった神社で、髭濃い一見熊本風にも見える狛犬@と、量産型風の狛犬Aがいました。
(福岡県嘉麻市牛隈)
狛太郎のひとこと:当社の祭神は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)です。瓊瓊杵命は天照大神の命を受け、高天原(たかまがはら)から初めて地上に降った「天孫降臨」の主役で、世に言う「天降り」とはこの出来事を指す言葉でした。基山町の式内社荒穂神社とは同系列の神社です。
@長髪多毛な点は熊本狛犬と共通ですが、全体的な雰囲気はそれとは異なっているようです。
前肢付け根の飾り毛や眉など細かい点まで気が配られており、また全身に筋肉か毛渦の凹凸が配されているなど、手の込んだ作品です。残念ながらアの上顎は破損しているようです。
A岡崎型風のモデルで、その点、量産型に似た印象があります。しかしよく見ると各所に凝った細工が施されていて、丸投げの輸入品とは一線を画すもののようです。アウンの顎ヒゲは造り分けられていますし、尾も量産型のおざなりな形ではなく、丁寧に刻まれているようです。


薦(こも)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.15




@





A
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りましたが、この神社は、宇佐神宮の祖宮らしいです。神社には2対の狛犬がいて、@浪花型風の狛犬とAお惚(とぼ)け顔した狛犬がいました。
(大分県中津市大貞209)
狛太郎のひとこと:応神天皇と神功皇后、宗像三女神を祀る八幡宮です。社名の由来は、境内の池に自生する真薦(まこも)で枕形の神具を造ることによります。社殿造営は承和年中(834〜48)と伝えられていますが、創祀は更に古く、宇佐神宮の元宮という説もあるようです。
@大分県の狛犬は非常にバラエティに富んでおり、特に国東地方では、浪花型桜八幡神社御祖社事代主神社)を始め幾つかの様式が混在しています。九州他県ではあまり見かけない浪花型が、中津市にも分布していたわけです。この傾向がどこから来たのか、興味深いです。
A大分県では、各地様式が混在(尾道型出雲型など)しているとともに、洗練されたものもあれば土俗的なものもあって、その多様さは九州随一かもしれません。この作品は前肢の付き方や顔立ちが日吉神社A若八幡神社@に似ており、田川系統ではないかと推察します。


日峯(にっぽう)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.16
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から平戸を廻って、佐世保駅までサイクリングに行ったとき、立ち寄りました。松浦鉄道の東山代駅近くにあった神社で、瞳まである狛犬がいました。
(佐賀県伊万里市東山代町長浜)
狛太郎のひとこと:佐賀藩祖・鍋島直茂は肥前戦国武将の一人で、江戸期を通じた鍋島政権の基礎を築いた人物です。社名の日峯は直茂の法名です。当社は慶長19(1614)年、当地の長浜塩田事業の繁栄を祈念して創立され、明治期に直茂を合祀して現社名に改名しました。
すらりとした前肢をややオープンに構え、瞳が穿たれた鋭い眼光の目で前方を直視する様子には、なかなかの風格があります。貿易港や炭鉱を有した歴史のせいか、伊万里は比較的多様な狛犬が存在する地域といえます。この狛犬も佐賀県内ではあまり見かけないタイプです。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.17




@





A
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
776号線沿いにあった神社で、@アの頭上にタンコブのような宝珠を乗せる狛犬1対と、
Aもう1対の狛犬がいました。
(福岡県みやま市瀬高町大廣園)
狛太郎のひとこと:大廣園という変わった地名は、明治3年に大木村、広安村、宮園村の合併で誕生した大廣園村の名残であり、その後、瀬高町の一部になっています。旧大木村には鎌倉期、栃木から下向した宇都宮氏が大木城を築き、柳川の蒲池氏の重臣として活躍しました。
@丸い目を見開き、見る者を凝視するような表情のこの狛犬は、大牟田辺りにその典型があるようです(熊野神社八幡神社諏訪宮Aなど)。鼻ヒゲの具合から、熊本風の要素を持っています。アの頭頂に宝珠を乗せるのは、様式としては古いタイプに属します(宝録稲荷神社)。
Aこちらは南筑後地方に典型があるタイプです。みやま市(聖母宮広田八幡宮など)や、柳川市(宝満宮など)に類例があります。このタイプでは目に象嵌や彩色が施されているものが散見され、これもその一つです。噛まれると痛そうな歯と相俟って、強烈な印象を放っています。


酒列磯前(さかつら・いそさき)神社

提供者:tocchiさん 
12.01.18
tocchiさんのコメント:
『あなた、狛犬に似てますね・・・』と言われたことから、狛犬には親しみを感じております・・・。
写真は、茨城県ひたちなか市磯崎町の“酒列磯前神社”の狛犬です。
表情がかわいい!
(茨城県ひたちなか市磯崎町)
狛太郎のひとこと:初投稿有難うございます。斉衡3(856)年創祀とされる、延喜式登載の名神大社です。主祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと)は医薬・酒を司る神です。海から渡来したとされるこの神が、鹿島灘を望む地に祀られているのは、それだけでも相応しい感じがします。
やや窮屈そうな直立不動の体勢と、顎を引き前方を凝視する姿には、緊張感が漲っています。
眉や髪に立体的な渦を多用し、髪の束や飾り毛は縁取りを施して厚く刻出しています。これらにより強いコントラストが付加されており、メリハリの利いたスキのない佇まいが実現しています。


酒列磯前(さかつら・いそさき)神社・続報

提供者:tocchiさん
12.01.28
tocchiさんのコメント:写真を見てみると、奥の方にもう一対(壁の隙間から撮って少しブレてます)居たのを思い出しました。焼き物だと思います。
狛太郎のひとこと:鮮やかな彩色の陶製獅子です。アウンとも開口で、胸には瓔珞(ようらく=ネックレス)を着けています。開口の獅子と閉口の狛犬、という配置は近隣諸国にもない、平安以来の日本独特のものです。なので、これは大陸か台湾で造られた「獅子像」だと思われます。


安武八幡(やすたけはちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.19




@





A





B





C





D
hisaLinさんのコメント:柳川から大善寺を通って、久留米方面を走ったとき立ち寄りました。
安武小学校の近くにあった神社に、5対の狛犬がいました。
(福岡県久留米市安武町安武本)
狛太郎のひとこと:15世紀に天満宮分霊を勧請して創祀したのが始まりです。16世紀には当地は、豊前の大友氏と肥前の龍造寺氏の数次にわたる抗争の舞台となりましたが、その後、当地を治めた安武安房守が、宇佐から八幡神を勧請して八幡宮と改称、今日に至ります。
@出雲式のモチーフを導入した地元作品です。三頭身の幼児体型と、両頬に施された渦巻型の飾り毛が微笑ましく、一方、屹立する直毛の短い尾には、若い力が宿っているかのようです。
A天草発祥と思われるタイプ(御領神社大浦阿蘇神社など)で、遠く離れたここ久留米でも、草葉天満宮で見られるほか、天満宮などその類縁ではないかと思われるものも存在します。
Bは厳つい筑後型に大きな玉を取らせてみたという、異色とも言える作品です。巨体の筑後型に可愛らしさという側面を付加できたことは、意図せざる効果だったに違いありません。
CDはオーソドックスな筑後型です。久留米発祥の筑後型は、様式として一つの完成形ではありますが、石工の個性や地域色の付加などにより、それぞれの持ち味が生じています。


宇原(うばる)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.21




@





A





B
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
JR苅田駅近くにあった神社に、北九州一帯で見かける狛犬3対がいました。
(福岡県京都郡苅田町馬場)
狛太郎のひとこと:鵜茅草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)とその両親等を祀っています。尊は、天孫降臨を果たした邇邇杵尊の孫です。そして尊の御子が初代神武天皇になられるわけで、神代からいよいよ人間の世へ移る、日本神話の一つのハイライトとも言えるシーンです。
@長い垂れ耳が頭部をヘルメット風に覆うのが、北九州狛犬の特徴です。また、唇にはっきりした輪郭があり、牙の上下は連結、比較的浅い各部のレリーフなども特徴です。その点この狛犬は彫りが深く、また尾道型風の大玉取に造られ、北九州型としては幾分異色ともいえます。
A北九州的のようでもあり、そうではないようにも見える狛犬です。顎の真下にこれほど豊かなヒゲを蓄えたものは、北九州の狛犬の一般的特徴とは言えないように思えるのです。
B比較的新しいようですが、最近の画一的なモデルとは違い、旧作を再現したもののようです。目鼻口の形から、恐らくAとは同系です。アウンで髪型を変え、尾も造り分けられています。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.22




@





A
hisaLinさんのコメント:宇佐から行橋方面をサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りは貴船神社が多い一帯ですが、宇佐文化会館ウサノピア、法鏡寺公民館近くにあった神社で、@首長の玉乗りタイプの狛犬と、Aもう1対の狛犬がいました。
(大分県宇佐市法鏡寺)
狛太郎のひとこと:宇佐地方には、奈良朝以前から官営の寺が建立されていました。中でも法鏡寺は、七堂伽藍を備えた大寺であったようです。宇佐神宮を営んだ宇佐氏、大神氏、辛島氏ら豪族による創建と見られています。廃寺になりましたが、その名は地名として残されました。
@宇佐市には大玉取りが多いようです。荒木天満宮大根川神社とは同系と見てよさそうです。当社のものはそれらよりは洗練されていますが、荒削りな猛々しさは失っていません。異様に長い首が妙にしっくり来る不思議な構図で、迫力も動感もある見応えのある作品です。
A同じモチーフの作品ですが、極めて手の込んだ装飾的な作品です。全身に立体的な渦を配し、眉、ヒゲ、歯などにも入念な細工が施されています。耳の縁にまで細かい刻みを入れるなど、驚くべき細心さが見られ、非常に豪華です。顔立ちにもどことなく高貴さがあるようです。


許斐(このみ)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.23


@





A





B
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川沿いにサイクリングした時、立ち寄りました。
@量産タイプの岡崎型、A浪花型風狛犬、B朝倉型風狛犬の3対がいました。
(福岡県飯塚市幸袋506-1)
狛太郎のひとこと:天孫降臨の際、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)に随行した、天太玉尊(あめのふとだまのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀っており、神話世界で、とてもきらびやかな祭神たちです。黒田家代々の崇敬社です。
@岡崎型を元にした、安易なコピーが全国を席巻中です。しかしそれは元のモデルが優れていたからであって、新旧を一緒くたにはできません。この作品は近年の量産型とは違うようです。
A九州では大分県宇佐〜国東地方以外、ほとんど見られない浪花型です。しかも、造形から独特のニュアンスまで、本場のものと同等です。大阪から持ち込まれたものではないでしょうか。
B朝倉型で間違いないと思うのですが、典型例に比べると肩や胸の張りがなく、顔立ちも大人しくて全体に線が細い印象です。典型例よりは小さそうなので、髪の表現も毛量が少なく、省略的とならざるを得なかったのでしょう。当地で造られたオマージュ的な作品ではないでしょうか。


志自岐(しじき)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.24
hisaLinさんのコメント:福岡から唐津までサイクリングした時、立ち寄りました。
糸島周辺で見かける狛犬がいました。
(福岡県糸島市二丈町福井)
狛太郎のひとこと:神社ごとに志志岐、志自岐、志式などと表記され、シシキ又はシジキと読まれます。長崎県平戸市の志々岐神社は肥前(佐賀・長崎)に4つある式内社の一つとされ、シシキ神社群の中心です。仲哀天皇の皇弟の十城別王(としろわけのみこ)を祀っています。
前原型と名付けているタイプで、合併前の前原市・志摩町・二丈町(以上現糸島市)における代表的な様式です。この地域には佐賀の古い様式の狛犬が多数残存しており、佐賀との濃密な交易・生活関係が伺えますが、このタイプは当地で独自に創案され発達した様式のようです。


諏訪(すわ)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.25
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時、立ち寄りました。
雰囲気が少し違いますが、この辺りで見かける?狛ちゃんに似た狛犬がいました。
(福岡県大牟田市橘)
狛太郎のひとこと:諏訪神社は長野の諏訪大社の分社です。祭神の建御名方命は、出雲の大国主命の御子で、「国譲り」に反対して天孫に抗戦、敗れて信濃に逃れた神です。その神が延喜式の名神大社かつ信濃国一宮に祀られているのです。神話の方に無理がありそうです。
狛犬は大牟田を中心として近隣に普及している型で、鼻ヒゲなど熊本狛犬の要素を多分に持ったモデルです。幾分彫りが浅く見えるのは、風化のせいでしょうか。八幡神社諏訪宮Aなどとは同系で、柳川の白鳥神社、熊本県荒尾市の綿津見神社なども同系統かと思われます。


白山(はくさん)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.26
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。胴長タイプの玉乗りスタイルの狛犬がいました。
(福岡県田川郡添田町添田)
狛太郎のひとこと:白山神社の総本社は、式内社で加賀国一宮の、白山比刀iしらやまひめ)神社です。祭神の白山比唐ヘ、日本書紀の「一書」(別伝)にのみ登場する菊理姫(くくりひめ)と同一とされます。どちらも伝わっているのは神名のみで、詳細は一切不明な謎の女神です。
田川市郡の狛犬たちは、超個性的な顔立ちだけでなく、スタイルの多様さでも群を抜いているようです。この大玉を取る尾道型風の一群(恵美須神社八幡神社U@稲荷神社@など)のほか、直立倒立の一対(鶴岡八幡神社鏡山神社天降神社)など多士済々といった状況です。


箱崎八幡宮(はこざき・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.01.27




@





A





B





C





D
hisaLinさんのコメント:久留米から日田方面にサイクリングした時、立ち寄りました。筑後川沿いにあった神社で、様々な5対の筑後型の狛犬さんがいました。
(福岡県久留米市大橋町蜷川)
狛太郎のひとこと:永正11(1514)年、草野城主藤原氏が筑前筥崎宮より勧請しました。その後は地元有力者とおぼしき鹿毛氏代々により、江戸期を通じて社殿が造営されました。境内には樹齢8百年の大銀杏があり、当社創祀以前からこの地が聖地であった可能性があります。
狛犬は全て筑後型であり、これだけ巨体が勢揃いするとなかなか壮観です。耳はB以外はアが垂耳、ウンが立耳と造り分けられており、約束通りです。オープンスタンスあり、クローズドスタンスあり、またそれぞれが少しずつ個性の範囲内でデザインが異なっています。
@とCはウンに一角があり、顔立ちや体つきも最も筑後型らしい筑後型です。製作年はこれらが古いものでしょう。Aは少しバランスが取れておらず、ぎこちない仕上がりです。Bは極端なほどのデフォルメに石工の強烈な個性が反映しているようです。Dは最もおとなしい感じです。


大洗磯前(おおあらい・いそさき)神社

提供者:tocchiさん
12.01.29

@





A
tocchiさんのコメント:名前(社名)の通り、海が目の前です。
@大きな鳥居のすぐ近くに古い狛犬が一対、A階段を上がると焼き物(?)の狛犬が一対。
ちなみに、階段を上がって後ろを振り返ると、海が広がっています!
(茨城県東茨城郡大洗町磯浜町)
狛太郎のひとこと:斉衡3(856)年創祀の古社で、延喜式の名神大社です。酒列磯前神社と2社で一体を成しています。中世に荒廃していたのを、有名な水戸光圀(黄門)公が再興しました。
光圀公と小城藩主鍋島氏との親交の記録が残されており、佐賀県とも縁のある方です。
@風化が進みあまり原型を留めていませんが、彫刻はかなり緻密だったように見受けられます。顔立ちや装飾の具合から、江戸型かそのバリアントではないかと推測されるものです。製作当時は、江戸型特有の華麗な曲線美に覆われていたと思われるのに、残念な状態です。
A焼き物の狛犬は各地で見られますが、石造より加工の自由度が高いというメリットを生かして、柔らかな曲線、曲面が多用され、流れるような毛筋にも塑像の持味が生かされています。
この狛犬は前後肢が密着して上体が立ち上がっており、出雲型蹲踞のようなフォルムです。


出雲大社(いずもたいしゃ)常陸教会

提供者:tocchiさん
12.01.30
tocchiさんのコメント:出雲大社常陸 (出雲大社 分社)”の狛犬です。
新しい建造物です。狛犬はブロンズ製でとても大きいんですよ!
『なんて立派なのかしら〜!』と思わずシャッターを切ってしまいました。
個人的には“石”のものが好きですね・・・
(茨城県笠間市福原)
狛太郎のひとこと:平成4年に島根県の出雲大社の分霊を勧請しました。祭神は出雲の英雄神・大国主命(おおくにぬしのみこと)です。命は少彦名命(大洗磯前神社酒列磯前神社の祭神)とともに、出雲国の経営に尽力し、のち天孫に国を譲って出雲大社に鎮まったとされます。
狛犬はブロンズ製の一対です。滋賀県の大宝神社に伝来する木造狛犬がモデルで、鎌倉彫刻の力強さの再現に、ブロンズの硬質感がよくマッチしています。ブロンズ(水天宮櫛田神社など)のほか、石造(護国神社@B警固神社など)でも盛んに造られている人気モチーフです。


若宮(わかみや)神社

提供者:TAKOさん
12.01.31
TAKOさんのコメント:40番札所観自在寺の北西約5・6km(直線距離)。
(年銘は)「大正三(1914)年九月吉日」。体高約42cm。サル顔の狛犬です。
少し傷んでいますが、現役で仕事中です。 
(愛媛県南宇和郡愛南町樽見)
狛太郎のひとこと:宝永3(1706)年創建で、応神天皇の子、仁徳天皇(若宮)を祀っています。そして、なぜかこの町には、その「若宮神社」が非常に多いです。合併(H16)前の5町村の全てに存在し、全体で42社中15社、樽見を含む旧西海町では実に8社中6社が若宮神社です。
地理的に南予型の領域と考えられ、実際に愛南町で既出の3社中2社が南予型(朝星神社新御霊神社)です。今回の狛犬は、その3社中の他の1社(篠山神社)と類似点があります。
櫛目のある特徴的な長髪がそれで、南予型とは別種の一流派ではないかと思われます。


賀茂宮(かもぐう)

提供者:hisaLinさん
12.02.01
hisaLinさんのコメント:飯塚、嘉麻市をのんびりサイクリングした時、立ち寄りました。
402号線沿いにあった神社で、しっかり瞳まで彫られた狛犬がいました。
(福岡県嘉麻市下山田)
狛太郎のひとこと:嘉麻市は平成18年に合併で誕生しました。かつて筑前国にあった嘉麻郡に因む命名です。当社は古代豪族賀茂氏の関連と思われますが、詳細は不明です。当地にその領地か荘園があったとすれば、「嘉麻」は「賀茂」に由来するものだったかも知れません。
狛犬は肩〜胸のラインや、ウンの小玉を取る前肢の形が朝倉型(垂裕神社大己貴神社など)を彷彿させ、長い牙や耳の形も似ていますが、顔立ちの印象は異なります。全身の筋肉の表現がリアルで、目鼻立ちも丁寧でしっかりした細工です。ヒトミのある大きな目が印象的です。


三宮(さんのみや)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.02
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
熊本風?の狛犬がいました。
(熊本県熊本市龍田1丁目)
狛太郎のひとこと:元弘2(1332)年に創建の古社で、熊本市を横切って流れる白川の治水の守護神です。当初は白川河畔に鎮座していましたが、寛文元(1661)年細川氏の時に、水害を避けて現在地に遷座しました。祭神は肥後国一宮の阿蘇神社の祭神、健磐龍命の義父です。
巻き毛の濃いヒゲや、口中の小さな玉と細かい歯列、ボリュームのある尾など、熊本狛犬の代表的なモチーフの一つです(阿蘇宮河尻神社など)。また陳内阿蘇神社菅原神社のものも、基本的な構成は同じといえそうです。熊本狛犬の基本形が、段々明確になってきました。


磯(いそ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.03
hisaLinさんのコメント:大牟田から、熊本方面に向かって走ったとき、立ち寄りました。
何処から見ても熊本風?の狛犬がいました。
(熊本県玉名市岱明町高道)
狛太郎のひとこと:来歴は不詳ですが、中世以来の当地の氏神です。祭神は海神の綿津見命です。鎮座地は有明海に注ぐ菊池川河口付近で、干拓が行われる以前はほぼ海岸沿いだった場所です。海の恵みと脅威をともに受ける人々にとって、海神への祈りは切実だったでしょう。
狛犬は三宮神社とほぼ同型の熊本狛犬(阿蘇宮河尻神社なども)です。大きな頭部に比べて小さめの体部というのが熊本狛犬の通例で、これも幼児体型の三頭身です。顔立ちの厳つさと体つきの可愛らしさが対照的で、その微妙なバランスが全体像を印象的なものにしています。


菅原(すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.04
hisaLinさんのコメント:神埼駅から大善寺、久留米方面に向けて走ったとき、立ち寄りました。
菅原神社Tの近所の神社で、柳川市出来町の天満神社に見られるような福岡南部地方、熊本よりに見られる狛犬がいました。
(佐賀県神埼市千代田町柳島)
狛太郎のひとこと:柳島は久留米市とは指呼の間にあり、大川・柳川両市ともひとつの生活圏を成しています。筑後川は古くから肥前と筑後の間の自然境界でしたが、相互に越境するような形で藩境が形成されていることからも、双方の交流が密接だったことが推察できます。
このタイプは柳川・大川両市に多く見られ、その特徴から塩田型のバリアントと推察しています。千代田町は昔の蓮池藩だったところで、塩田に飛び地があったため本場の塩田型が多く来ていますが、これなどは進化したバリアントが、当地に逆輸入されたものということになります。


尾崎(おざき)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.05




@





A
hisaLinさんのコメント:金沢旅行に行ったときに、立ち寄りました。
九州では見かけない狛犬と、編かごに入った狐がいました。
(石川県金沢市丸の内5-5)
狛太郎のひとこと:東照大権現(徳川家康)を祀る神社として、寛永20(1643)年に建立されました。ほかに天照大神、加賀藩三代藩主を祀っています。当初は金沢城内に建てられ、北陸日光と呼ばれるほどでしたが、明治になって城が陸軍に接収されたため、現在地に移りました。
@逞しい五体の偉丈夫です。アウンは約束通りに造り分けられており、伝統遵守的です。則ちアは巻毛で垂耳、ウンは直毛で立耳である他、頭上に一角を有しています。また前肢の位置は僅かに交差しています。これらの点は筑後型と共通で、同一モデルの存在がうかがえます。
Aキツネ像は狛犬に比べて画一的なものが多い中、この像には個性が感じられます。尾に宝珠の乗ったデザインは、狛犬では見たことがなく、キツネの場合に時々見られるものです。


万年(はね)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.06
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。
こんな遠いところに筑後型の狛犬がいました。
(大分県玖珠郡玖珠町塚脇)
狛太郎のひとこと:万年山(はねやま)の北麓に鎮座しています。祭神は大山津見命(山の主宰神)をはじめ、高良玉垂命(高良大社祭神)、八幡神、住吉神、武内宿禰命、天之御中主神(妙見神社祭神)など数多く、幾つかの神社が合祀された歴史を物語っていると考えられます。
狛犬は筑後型です。同町の瀧神社@Bも筑後型であり、久留米から遠く離れたこの地に、これだけ筑後型があるのは不思議です。筑後から日田経由で大分か別府に向かう経路上なので、交易的往来の中で、当地に何らかの商業関係が出来て、ここに奉納されたのでしょう。


島田(しまだ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.07



@






A
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。前足の感じが田川系の日吉神社A若八幡神社@を想像させるような狛犬と、もう一対大根川神社を連想するような狛犬がいました。
(大分県中津市島田本町)
狛太郎のひとこと:寛喜元(1229)年藤原頼経(鎌倉幕府第4代将軍)の許諾を得て、京都の貴船神社から勧請創建と伝えられる古社です。頼経この時11歳ということになり信憑性が危ぶまれるところでしたが、調べてみると8歳で将軍位に就いているので、つじつまは合っています。
@前肢と胴部の接続部が、少し前に湾曲しているのはご指摘の通りです。この形には古拙な印象があり、洗練される以前のデザインが踏襲されているのではないかと感じます。狛犬自体は新しそうですが、こうして昔の姿が残されていくことは、ファンにとっては喜ばしいことです。
A中津と宇佐の位置関係からみて、大根川神社のものと同系である可能性は高そうです。
但し大根川狛犬の荒々しい生命感の発露に比べると、こちらの方は幾分おとなしい感じです。
しかし玉の上で逆立ちをする構図は意表をつくもので、面白味は優っているかもしれません。


網田(おうだ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.08
hisaLinさんのコメント:熊本駅から有明海沿いに三角港を通って、八代海沿いに八代駅までサイクリングした時、立ち寄りました。顔立ちは熊本風?ですが、首周辺は天草地方で見るような狛犬(大浦阿蘇神社など)がいました。また、国東半島、宇佐市では良く見かけましたが、熊本では始めてみる石造りの仁王様がいました。
(熊本県宇土市上網田町)
狛太郎のひとこと:天養元(1144)年に阿蘇神社より勧請、という古社です。祭神の健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、神武天皇の皇子の八井耳尊の御子とされますが、実際には肥後で古来崇敬された地元神らしく思われます。妻も阿蘇津比刀iあそつひめ)という地元の女神です。
狛犬は熊本狛犬です。ただ熊本狛犬の特徴と考えていた鼻ヒゲはありませんし、短足でもありません。熊本狛犬にも数種の様式があるはずですが、今のところよく分類できずにいます。今後の課題です。ところで、よく見るとアの尾は直毛、ウンの尾はネジリであり、芸が細かいです。
仁王(金剛力士像)の一対です。狛犬ではありませんが、ずんぐりした親しみやすい体型と、「やあ!」「あれ?」といった感じの仕草が面白いので、掲載させていただきました。声を掛けられたのに相手が思い出せないことが時々あります。困った表情に見えて微笑ましいです。


老松宮(おいまつぐう)

提供者:hisaLinさん
12.02.09




@





A↓
  
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
一対の狛犬と、楼門内に肥前狛犬?がいました。
(福岡県みやま市瀬高町長田)
狛太郎のひとこと:瀬高町を含む旧山門郡は、新井白石以来の邪馬台国の候補地です。「ヤマト」という音通のほか、古くからの米作地帯で当時の経済力が予想されることや、田油津姫(たぶらつひめ)という地方豪族らしき人物の事績が伝えられていることなどが根拠のようです。
@みやま市では似たもののない、独特のフォルムです。しなやかで細長い胴部に長い前肢、小さめの頭部が続いています。佐賀っぽいテイストがありますが、確証はありません。優美な雰囲気を持ちつつも、アウンとも太く鋭い牙を誇示しており、狛犬の機能は十分備えています。
A肥前狛犬の中にも幾つかのタイプがありますが、それが地域差によるものか時代差によるものか、今のところ判然としません。形態で大別すると、頭部の形が丸いかブロック状か、四肢を彫り抜いているかいないか、となりますが、これは二つの特徴とも後者となりります。


宝登山(ほどさん)神社

提供者:tocchiさん
12.02.10




@





A
tocchiさんのコメント:蝋梅を見に行きました・・・。
@宝登山(ほどさん)神社本殿前。哀愁の後姿も写してみました。
A宝登山山頂付近の、宝登山神社「奥の院」前。車があってなかなか上手く写せません・・・
(埼玉県秩父郡長瀞町長瀞)
狛太郎のひとこと:日本初の国産銅の産出に因み、「和銅」と改元されたのは708年のことです。その産地がこの長瀞(ながとろ)でした。当社の創立はそれを遡ること約600年、第12代景行天皇の御代と伝えられています。秩父神社、三峯神社と並び、秩父三社と称されます。
@典型的な江戸型です。太めの体型と曲線的な装飾が相俟って、ゆったりした量感を漂わせています。木彫技法の再現を試行し、この型に結実したものと推察しています。垂れた尾が盤の縁にかかる意匠など、秀逸な発想です。やや肩を落とした大きな背中には、哀愁があります。
A秩父にはオオカミの狛犬が多数存在します。ほんの100年ほど前まで、関東・長野圏で食物連鎖の頂点に君臨した山の王でしたが、今は狛犬でその勇姿を偲ぶばかりです。肋の浮き出た痩身に、いかにも野生の王らしいすごみを感じさせますが、表情は心なしか淋しげです。


松尾大社(まつのお・たいしゃ)

提供者:hisaLinさん
12.02.11
hisaLinさんのコメント:阪急嵐山線、松尾駅近くにあった神社です。
眼つきのきつい狛犬さんが居ました。
(京都府京都市西京区嵐山宮町3)
狛太郎のひとこと:、延喜式の名神大社に列した古社で、渡来人の秦氏の氏神でした。大宝元(701)年に、秦氏が現在地に社殿を造営しました。祭神は山神の大山咋命(おおやまくいのみこと=日吉大社祭神)です。秦氏は酒造技術も伝えたので、酒の神としても崇敬されています。
狛犬は京都らしい装飾性に富む作品です。カールした長髪と太くて複雑な毛筋を刻んだ尾により、豪華さが強調されています。京都では下御霊神社A首途神社など、三重県でも椿大神社などに同様の傾向を見ることができます。また全般に、目つきは鋭いものが多いようです。


須佐(すさ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.12
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。
この辺りに多い、独特の雰囲気を持った狛ちゃんが居ました。
(福岡県田川市伊加利)
狛太郎のひとこと:素盞鳴尊(すさのをのみこと)を祀る社です。尊は天照大神の弟という高貴な身でありながら、素行不良で天上界を追放されてしまいます。「すさ」は「すさまじい」神の意です。しかし追放先の出雲では、「八岐(やまた)のオロチ」退治で一転、ヒーローとなりました。
狛犬はタドンのような目と荒々しい牙を持っており、田川市郡で共通性のある特徴を備えています(恵美須神社春日神社@など)。中でも八幡神社U@日吉神社@に雰囲気がよく似ており、これらとは同系でしょう。極端にデフォルメされた、大きく切れ上がった口角が特徴です。


日吉社(ひよししゃ)

提供者:hisaLinさん
12.02.13
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。
田川地方?と宇佐地方に多いような、ギョロ眼タイプの狛チャンが居ました。
(大分県玖珠郡玖珠町山田)
狛太郎のひとこと:全国日吉神社の総本山は日吉大社であり、山神の大山咋命を祀っています。俗に「山王」とも。比叡(ヒエ)山の神として本来は「ヒエ」神でしたが、「日吉(ヒエ)」と表記したことで音も「ひよし」と変化しました。各地の「日枝神社」はその元の音を伝えるものです。
タドン状の突出した丸い目は、確かに田川市郡域(若八幡神社など)に於ける一般的特徴に似ています。また宇佐地方(大根川神社など)にも類似例があるようです。目の形からは田川型に近いような気がしますが、遠隔地でもあり、関連づけるほどの材料は今のところありません。


八代宮(やつしろぐう)

提供者:hisaLinさん
12.02.14
hisaLinさんのコメント:八代駅から鹿児島本線沿いに、県道14号線を熊本まで走ったとき、立ち寄りました。八代城内にあった神社に、ズングリした熊本風の狛チャンが居ました。
(熊本県八代市松江城町7-34)
狛太郎のひとこと:明治17(1884)年に創建された社で、懐良親王を祀っています。親王は後醍醐天皇の皇子で、政権が二分された南北朝時代(1333〜)にあって、南朝の指導者として一生を闘いの中に過ごしました。活躍の舞台は主に九州で、その墓所はここ八代にあります。
見るからに熊本らしい狛犬です。頭が大きく、対照的に前肢が短いのがこの型の特色です。バランス的にやや不安定さもある構成ですが、角度によってはそれが迫力や動感の源泉ともなっています。数本の沈線の鼻ヒゲもありますし、一目でそれと分かる特徴は鑑賞上も貴重です。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.16




@





A
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
チョッと変わった狛ちゃんが2対居ました。
(福岡県みやま市瀬高町大江)
狛太郎のひとこと:「瀬高」は旧国鉄佐賀線のターミナルとして、佐賀市民にも馴染み深い町名でした。佐賀線は昭和62年には廃止されましたが、その線路跡は自転車道として整備され、筑後川にかかる鉄橋遺産「昇開橋」は、今日では大切な観光名所として親しまれています。
@近隣の柳川市の玉垂宮@など、同じく大川市の高良神社などと同系統であり、旧三潴郡、旧山門郡を含むこの地域に広く分布しているタイプです。比較的長い胴部がしなやかな曲線を描き、それに対して、垂直に屹立する太い尾の力強さが好対照のアクセントとなっています。
A有明海の湾岸交通の視点では、筑後地方は熊本県と一体的なエリアを成しています。そのせいか、この地域には熊本風狛犬も進出してきており、上記玉垂宮Aなどとは同系の天草狛犬です。全体に大きな亀裂が入っていて、素材も同じ柔らかい石質であることが分かります。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.19




@





A
hisaLinさんのコメント:福岡から小郡を通って、500号線沿いにキリンビール工場近くのコスモス園までサイクリングした時、立ち寄りました。
(福岡県小郡市上岩田)
狛太郎のひとこと:祭神は菅原道真と高良玉垂命などです。ところで、当地の地名は「神磐戸(かみいわと)」から変化したものとされています。すると「上」は「神」が変化したものということになりますが、近くに「下岩田」もあるので、この説は少々強引ではないかという気もします。
@立派な筑後型で、耳の造り分けもされています。クローズドスタンスの構えにも、どっしりした重量感が漂っています。ただ歯列は門歯から鋸歯列に変化しています。これは朝倉周辺の筑後型(阿蘇神社@など)に見られる特徴で、伝播のルートを示すサンプルと言えそうです。
Aスリムで素朴な感じの狛犬です。体型や髪形などから、木造狛犬を写したものと推察されます。そしてこれが筑後型のプロトタイプであろうと考えられるものです。時代を降るごとに石造らしい重量感が追求され、現在見るような重厚な筑後型として完成したものと推測しています。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.23
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から八代までサイクリングした時、立ち寄りました。
福岡南部地方に多い、眉毛の濃いおじいさん風?狛犬が居ました。
(熊本県玉名市岱明町下前原)
狛太郎のひとこと:熊野信仰は自然崇拝を基にしたものと考えられ、非常に古い時代に発祥したものであると同時に、熱心な布教活動により全国に熊野神社が勧請されました。東北地方にとりわけ多いとされますが(十二社参照)、九州にも各県に万遍なく分布しています。
庇のような剛毛の眉が最も目を引く特徴で、次に丸い鼻、円らなヒトミなど極めて個性的な顔立ちです。びっしり並んだ細かい歯列は熊本狛犬に一般的な特徴です。福岡県南部に多いというご指摘のとおり、大牟田市(諏訪神社諏訪宮A)など福岡県側にも進出しているようです。


諸岡八幡宮(もろおかはちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.02.24
hisaLinさんのコメント:福岡市内をポタリングした時、立ち寄りました。
福岡市では余り見かけない狛犬さんで、大分風化してたのか修理した後がありました。
(福岡県福岡市博多区諸岡)
狛太郎のひとこと:当社の鎮座地は標高30mの諸岡山の山頂で、福岡平野に浮かぶ微高地と言える場所です。有名な板付遺跡にも近く、当所でも古代の遺物が発見されています。「奴の津」の海外貿易と平野の農業生産力を背景に、古くから人口と文化が集積した地域です。
狛犬はシンプルな造形ながら、胸を張り長い前肢を誇示した力強い像容です。上体が反った姿勢と胸筋の盛り上がりなどは宋風狛犬が意識されているようにも感じられますが、その後継種(光雲神社など)に比べると華美さや威厳を強調せず、親しみやすい風貌に仕上がっています。


青幡(あおはた)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.26
hisaLinさんのコメント:唐津から伊万里を通って、肥前山口駅までサイクリングした時、立ち寄りました。唐津型の勢力範囲内ですが、唐津型とは違う、熊野神社(山本)にチョッと近い雰囲気で、鋭い牙を持った狛ちゃんが居ました。
(佐賀県唐津市相知町佐里)
狛太郎のひとこと:「延徳元(1489)年再建」の棟札を所蔵しており、相当な古社です。松浦党の波多氏の氏神であり、国常立尊などを祀っています。伊万里市に同名神社があり、同じ松浦党関連ではありますが、祭神は異なります。「青幡」は神功皇后の軍旗の色に由来する由です。
狛犬は2対の牙など唐津型の要素を一部持ちながらも、ヒゲや耳の形に塩田型の要素も併せ持ち、さらに蹲踞の形は前後肢の間隔が狭く体が直立している出雲型にも似ていて、色々な様式が合成されているようです。彫刻は丁寧で、目には浅い同心円のヒトミが彫られています。


平原(ひらばら)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.02.27




@





A
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府までサイクリングした時、立ち寄りました。
JR宇部駅付近の山手にあった神社で、参道の上り口付近に玉乗りタイプの狛犬が迎え、拝殿前に下関、北九州地方に多い狛ちゃんが迎えてくれました。
(山口県宇部市際波迫条)
狛太郎のひとこと:宇部市は明治期に宇部炭鉱の開発により、それまでの寒村から炭鉱都市として発展、宇部興産の発祥地となりました。当社は寛和元(985)年に宇佐八幡宮を勧請した古社で、応神天皇などを祀っています。八幡神が光る石となって顕現したという伝承があります。
@尾道型風の大玉を取るスタイルですが、狛犬本体はそれとは異なっています。目つきが鋭く、細身で精悍な尾道型に対して、これはやや太めでヒゲや尾の毛量も多く、より装飾的な造形です。九州ではあまり見かけないタイプであり、「所変われば…」の格言どおりと言えそうです。
A材質や浅い彫りなどが、北九州市周辺で見られるものに似ています。隣県同士なので、類似的な傾向があるのでしょう。九州ではアが玉を噛む意匠が多いのに対して、こちらでは舌を見せているものが多くなります。これもそのひとつであり、地域性が現れていると思います。


鷹見(たかみ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.28




@





A
hisaLinさんのコメント:門司港から遠賀川駅までポタリングした時、立ち寄りました。
折尾駅近くにあった神社に、この辺りに多い狛犬と、風化が激しいですが出雲型と思しき狛犬が居ました。
(福岡県北九州市八幡西区南鷹見)
狛太郎のひとこと:北九州地域に点在する、多くの鷹見神社のうちの一社です。これらは慶雲2(705)年に役行者が熊野から勧請、との伝承を共有しています。また同音の「高見」神社も存在していて、こちらも熊野系の神社です。この地域は熊野信仰の一大センターであったようです。
@北九州的な横広の顔面に、太い眉と大きな目が配されています。これは遠賀郡の浅木神社とほぼ同じものです。この狛犬の最大の特徴は口の形であり、厚い上唇のラインと、牙より外側の唇のラインを段違いにするという離れ業を用いて、迫力のある咆哮の様子を表現しています。
Aほとんど原型を留めていませんが、姿勢や足首の形から出雲型であったことは間違いなさそうです。またここまで激しく風化していること自体が、砂岩で造られた出雲型であることを示唆しています。元の姿の繊細で美しいプロポーションを思うにつけ、宿命とはいえ残念なことです。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.02.29
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
浮腫(むく)んだ感じの狛ちゃんが居ました。
(福岡県宗像市稲元)
狛太郎のひとこと:縄文時代にはこの稲元辺りまで海が広がっていたようです。いわゆる縄文海進です。弥生時代に陸地化して、生活遺跡が出現しています。稲元は宗像大社の根本神領とされており、大社の発生や進展と密接に関連していると思われるため、興味深い土地です。
吊り上がった眉と目を中心部に極端に寄せた配置や、口角の上がった口の形、平板な顔面の構成など、狛犬としては非常に特異な顔立ちです。この大胆なデフォルメにも拘わらず、そこから受ける印象は溌剌としており明朗です。肥満体の力士のような人間らしさを感じます。


松屋(まつや)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.03.01




@





A
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府まで走った時立ち寄りました。
近くに海上自衛隊の基地(小月航空基地)がありました。
下関地方に多い、2対の狛犬さんが居ました。
(山口県下関市松屋上町1-3-25)
狛太郎のひとこと:伝承によれば、貞観2(860)年に宇佐八幡宮から勧請された由です。歴史的事実に基づく由緒は詳細不明だそうですが、鳥居と石段がそれぞれ享保14(1729)年、明和6(1769)年の造営なので、少なくとも江戸前期には鎮座していたことになります。
@アの顔面は大きく破損していて残念な状態ですが、その他の部分及びウンの状態を見ますと、曲面を多用した滑らかな体つきや、柔らかくカールした髪など、非常に丁寧に造られていることがわかります。また五体のバランスも良く、熟達した石工の手になるものであるようです。
A扁平な頭部と横広な顔立ちは、北九州に多いデザインに似ています。またアは玉を噛んでおり、その点も九州的です。ヒトミのある大きくて丸い目が魅力的です。ところで、@とAの作風は全く違いますが、足指の形がそっくりであり、同じ地域的伝統を共有しているようにも見えます。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.03
hisaLinさんのコメント:島原半島を一周サイクリングした時、立ち寄りました。
雲仙温泉街に入る手前にあった神社で、社殿はありませんでしたが、灯篭の上に彫りのしっかりした小さな狛チャンが居ました。
(長崎県雲仙市小浜町北野)
狛太郎のひとこと:肥前風土記(8世紀前半)に、「高来峯(たかくのみね)から温泉が見える」と記されているのがこの小浜温泉とされ、相当古い時代から知られた温泉郷です。橘湾に面した集落に多くの温泉施設が軒を連ねています。「高来峯」とは普賢岳を主峰とする雲仙岳です。
燈籠の笠石には宝珠を置くのが基本ですが、こうして狛犬を置くことも珍しくありません。しかしこの狭い足場に狛犬を置くためには、小型化が要求されます。この小さくなりすぎる欠点を打開するため倒立・直立という構図も創案されましたが、これは蹲踞のままでうまく収まっています。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.04




@





A
hisaLinさんのコメント:386号線を走ったとき立ち寄りました。
筑後型の狛犬2対が居ました。
(福岡県朝倉市古毛)
狛太郎のひとこと:筑紫平野も東端に近い内陸部で、峠を超えれば大分県日田市です。筑後川沿いに鎮座しており、主祭神菅原道真のほかに水神の罔象女(みずはのめ)が祀られています。秋月大蔵氏が菅原大神を勧請とあり、平安から鎌倉時代にかけてのことと思われます。
いずれも筑後型で、耳の造り分け、スクエアでない足位置、アンクレット風の飾り毛など、基本形の要素が順守されています。ただ@は歯列が鋸歯列であること、細かい毛筋を施していることなど、朝倉地域で独自に付加された様式を備えています。Aは典型例そのものと言える造形で、写真では判然とはしませんが、髪型(直毛・巻毛)も造り分けられているように見えます。


吉部田(きべた)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.03.06
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府までサイクリングした時、立ち寄りました。
190号線沿いにあった神社で、この辺りまで、下関辺りで見かける狛犬が居ました。
(山口県山陽小野田市大字郡3451)
狛太郎のひとこと:寛弘2(1005)年に宇佐八幡宮より勧請と伝えられる古社です。室町〜戦国期に至っても、大内氏や毛利氏から寄進を受けた記録がある地方の名社でした。当時は地名としては「木部田」と表記したようですが、社名としては好字を用いて「吉部田」と表したようです。
突出した丸い目と笑ったような口の形に素朴さと親しみやすさを感じますが、さり気なく鼻ヒゲが描かれていたり、長く延びる柔らかそうな毛並みの美しさなど、装飾性も十分備えています。固そうな石なのに、これだけ柔らかく陰影のある彫刻を施すには、石工の腕も良かったはずです。


三島(みしま)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.10




@





A
hisaLinさんのコメント:柳川から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
この一帯は三島神社が多い地域なのでしょうか、至る所にありました。
その中の一つの神社の楼門内に肥前狛犬と、地元産の出雲式のスタイルでアウンの耳を作り分け、前足辺りに牡丹?の花をあしらった狛犬が居ました。
(福岡県三潴郡大木町三八松539)
狛太郎のひとこと:全国の三島神社は、伊予の大山祇神社か伊豆の三嶋大社のどちらかを総本社とします。両社とも同じ大山祇命を祀っており、そもそもどちらが本家なのかも不詳という不思議な関係です。当社の場合は、領主の蒲池氏が伊豆から勧請したと伝えられています。
@福岡筑後地方には肥前狛犬が数多く伝播しています。中でもこれは、佐賀産純正肥前狛犬と思しき作品です。肥前狛犬には頭部が丸いもの(三島神社)とブロック状のもの(熊野神社)がありますが、これは筑後地区では数少ない後者の例です。保存状態も良く、見事です。
A出雲式の勇壮なスタイルには各地の石工が触発されたらしく、これを模した作品は随所に見られます。しかしそっくり同じに作った例はほとんどなく、あくまで自分の作風は固守しながらの試行的作品です。この狛犬もそうしたものの一つで、むしろ地元らしさが強く出ています。


諏訪(すわ)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.14




@





A
hisaLinさんのコメント:瀬高から久留米まで走った時、立ち寄りました。
羽犬塚駅の近くにあった神社ですが、この辺りで遭遇する筑後型混じりの狛犬と、
田川周辺?で見かける狛犬がいました。
(福岡県筑後市山ノ井)
狛太郎のひとこと:筑後市は筑後平野のほぼ中央に位置しており、明治以来合併を重ねて、昭和29年に誕生しました。山ノ井とは一般には山中の湧水地を指しますが、当地は広い平野の中にあるのでちょっと不思議な地名です。諏訪神社の祭神は、出雲系の建御名方命神です。
@の狛犬はご指摘の通り、筑後型の要素を多分に持っています。体つき、尾の形、足首の飾り毛などがそれです。またウンだけが立派な宝珠を頭上に頂いていて、アウンが造り分けられている点もその感を強くします。筑後型のプロトタイプか派生型であろうと想像されます。
Aは顎ヒゲや尾に非常に丁寧な毛筋が付けられており、造り手の几帳面さと熟練した腕前をうかがわせます。しかし全体のバランスという点ではやや問題もあり、特に前肢の極端な短足ぶりには苦笑させられます。気取りのない顔立ちと併せ、古拙さを保った作品らしく思われます。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.03.15
hisaLinさんのコメント:神埼駅から大善寺、久留米方面に向けて走ったとき、立ち寄りました。
こんなに遠い所ですが、玉名市の熊野座神社、柳川市の玉垂宮Aと同じルーツじゃないかと思われる狛犬がいました。
(佐賀県神埼市千代田町迎島)
狛太郎のひとこと:迎島は千代田町の中でも東端にあたり、福岡県旧城島町(現久留米市)とは筑後川を挟んで隣接しています。藩は違っても彼我の生活圏は一体的だったと想像でき、現に佐賀らしい狛犬をかの地で容易に発見することができます(天満宮@大己貴神社など)。
狛犬はご指摘の神社のほか、天草市の御領神社大浦阿蘇神社(中段)や八代市の印鑰神社などとも同類です。すなわち有明海東岸に広く流布した様式で、天草がルーツと目される一群です。これが筑後川を超えて佐賀県にも来ていたわけで、目下のところ佐賀では新発見です。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.03.16
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から有田経由で佐賀駅まで走った時、立ち寄りました。
牙が一際目立つ狛犬さんがいました。
(佐賀県武雄市山内町大野)
狛太郎のひとこと:山内町は06年の合併で武雄市の一部になった町で、山に囲まれた農業主体の盆地です。有田町に近いため陶業も盛んで、中小の窯元が数多く立地しています。佐賀県の代表的伝承芸能に「浮立(ふりゅう)」がありますが、当社でも毎年奉納されています。
狛犬は長大な上下の牙を持ち、さらにアは口中に玉を噛んでいます。この複雑な細工によって、石工の腕前が尋常でないことを誇示しているかのようです。吊り上がった鋭い目や、顔つき体つきの特徴によって、唐津型である可能性が高そうですが、典型的とまでは言えません。


八剣(やつるぎ)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.18
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。
遠賀川沿いにある神社に、この辺りで見かける狛犬がいました。
(福岡県遠賀郡水巻町立屋敷)
狛太郎のひとこと:八剣神社は全国に同名神社があり、九州では福岡県北部に多いです。剣と言えば「草薙の剣」が想起されるのであり、祭神は剣の関係者の日本武尊、素盞鳴尊、大国主命などとなっています。当社の場合は、日本武尊と地元の砧姫の悲恋が伝えられています。
狛犬は浅木神社Aと同類で、丸く見開いた目、太い牙、全身の筋肉の表現などに共通性があります。扁平な頭頂部や頭部を覆うような耳の形などは、北九州の全般的特徴でもあります。各パーツは一つ一つ丁寧に造られていて、見た目よりずっとデリケートな作品といえます。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.19
hisaLinさんのコメント:糸島地方をポタリングした時、立ち寄りました。
顔の大きい3頭身の狛犬がいました。
(福岡県糸島市篠原東)
狛太郎のひとこと:合併前の旧前原市は魏志倭人伝の「伊都(いと)国」、旧志摩町は同「斯馬(しま)国」と目されています。倭人伝は3世紀頃の日本の姿を記録したものであり、「糸島(いと・しま)」は相当古い起源を持つ地名です。豊富な遺跡・遺物もそのことを裏付けています。
狛犬は一見、この地域で優勢な前原型(宝満宮など)に似た感じを受けます。石質をはじめ、小さくつぶらな目、玉を取る足の位置、爪の形などがそうです。しかし全体としてそれらとは異質なものも感じられ、特に耳の形が全く違います。人相や体型は佐賀狛犬に近いかも知れません。


八幡鶴市(はちまん・つるいち)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.20
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。山国川沿いにあった神社に、本物らしき出雲式の狛犬がいました。
(大分県中津市相原)
狛太郎のひとこと:推古天皇時創建と伝える古社です。『鶴市花傘鉾祭』は、保元元(1156)年に山国川の治水のために堰を築く際、人柱になった鶴と市太郎母子の慰霊として始まったとされ、社名もこれに由来します。今は穏やかな山国川にも、そんな悲話が残されています。
狛犬は本場ものらしき出雲式です。寿命100年未満とされる来待砂岩製の出雲狛犬ですが、この作品は繊細な彫刻や悠然たる相貌を欠けるところなく保っています。大分県にはなぜか、九州他県に比べて出雲狛犬(若宮八幡宮A産土神社山神社など)が多く見受けられます。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.24
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。鷹羽ロイヤルゴルフ場の近所にあった神社に、宇佐市の柁鼻神社@、築城町の綱敷天満宮@A、また狛犬の角度で違うように見えますが、宮若市の興玉神社の狛犬さん似の狛ちゃんがいました。
(福岡県田川郡大任町大行事)
狛太郎のひとこと:大任町の名は、大行事村と今任原村の合併による合成地名です。一方の今任原村自体が今任村+桑原村の合成地名でしたが、他方の大行事村は、明治初年の7村合併の際に新しくつけられた新地名です。なお「大行事」とは、仏教に関する用語のようです。
ご指摘の2社とは、同じ作者か工房のようです。ヒトミのある独特な目の表現から、上腕と下腕の境の段差までそっくりです。本件とこの2社は共にかつての豊前国にあり、同じ狛犬文化圏にあると理解できます。興玉神社は写真では分かりにくいですが、似ているかも知れません。


御霊(ごりょう)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.26




@





A
hisaLinさんのコメント:柳川から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
@同じ地域のせいでしょうか?筑後市の琴平神社@の狛犬に良く似た狛ちゃんと、
Aもう1対、全然様相が違う狛犬がいました。
(福岡県筑後市井田)
狛太郎のひとこと:祭神は桓武天皇(8世紀)の弟の早良親王と、桓武の子の伊予親王です。
どちらも冤罪により非業の最期を遂げた人物で、のちに異変が続いたため御霊を鎮めるために祀られました。後年二人とも名誉回復され、早良親王には「崇道天皇」の諡号が贈られました。
@筑後型のプロトタイプと目される型ですが、製作年不明のものが多く、時代考証ができていません。ですから筑後型からの派生型の可能性も残されています。ただ、全体的に素朴な印象を受けることから、先行的なモデルである可能性の方がかなり高いと思っています。
A大川・柳川地域で見られるものに似ているように思います(太刀帯神社など)。佐賀狛犬のテイストが感じられるタイプで、もしそうなら塩田型あたりが元になっているような気がします。


広門(ひろかど)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.28
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
佐賀県に多いポーズで、顔立ちは柳川?
久留米地方に多い、ミックスしたような狛ちゃんがいました。
(福岡県久留米市城島町下青木)
狛太郎のひとこと:九州戦国武将の筑紫広門を祀っています。筑紫氏は旧御笠郡(大宰府・大野城地域)の筑紫村が発祥の地とされます。広門は転変目まぐるしい大友・島津・龍造寺の3氏鼎立の時代を経て、秀吉の朝鮮出兵や関ヶ原も経験、波瀾に富んだ生涯を過ごしました。
狛犬は耳の造り分けなどに筑後型の影響をうかがわせつつ、岩に前足を掛ける砥川型特有の構図を踏襲しています。どちらがベースとも言い切れない、県境の町らしい折衷的なデザインというべきものです。この方向性が承継されていたら、珍しい様式に発達したかもしれません。


山神(やまがみ)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.31
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。小川内橋辺りにあった神社に、田川地方?玖珠町?に多いギョロ眼が印象的な狛犬さんが、いました。
(大分県中津市耶馬溪町栃木)
狛太郎のひとこと:山の神に対する信仰の起源は、極めて古い時代に遡ります。農業との関連では、春に山の神が降りてきて稲作を守護し、秋の収穫後に山に帰るとされます。稲作の成否を司る神の住処が、農地の彼方の山と考えることは、実に自然で素直に共感できるものです。
田川市の若八幡神社をはるかに凌駕し、玖珠町の八坂神社に匹敵するギョロ目ぶりです。しかもこれらのタドン目と比べると、目にはっきりした輪郭が描かれており、眼球の曲面も滑らかでデザイン的に洗練されています。下の歯を敢えて疎らにして、迫力を出す意図もうかがわれます。


四社(ししゃ)宮

提供者:hisaLinさん
12.04.01
hisaLinさんのコメント:福岡市の東区、志賀島周辺をボタリングした時、立ち寄りました。
大きい口の狛ちゃんがいました。
(福岡県福岡市東区塩浜一丁目)
狛太郎のひとこと:塩浜の地名は、かつてここが塩田であったことによります。四社宮はその塩田の守護神でした。四社とは、神功皇后、志賀神、住吉神、塩土翁(しおつちのおじ)の4柱を意味します。塩土翁は海神で、日本神話では天孫に知恵を授ける老人の姿で語られます。
狛犬は大きな口と横幅の広い顔が独特です。ウンは目をやや細め、口角も上がって笑っているかのようです。一方、尾の毛筋は非常に緻密で、指や爪、ヒゲ、歯に至るまでしっかり細工が施されていて、表情のユーモラスな印象とは裏腹に、生真面目な仕事ぶりに目を奪われます。


須賀(すが)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.02
hisaLinさんのコメント:赤間宿祭りを観に行った時、立ち寄りました。
場所がら近いのか、古賀市の古賀神社の狛チャン似の狛犬がいました。
(福岡県宗像市赤間)
狛太郎のひとこと:赤間宿は、小倉から唐津に至る「唐津街道」における、「筑前21宿」の一つです。街道は参勤交替のために整備され、大名が宿泊する本陣や家臣のための脇本陣も備えていました。当時は旅館や商家が建ち並び、現在もその面影をよく残しているとされます。
狛犬は古賀神社のものに良く似ていますね。目、眉、顎ヒゲの形などのほか、ざっくりとした尾の意匠もそっくりです。こちらはウンが玉取りという違いはあるものの、同じ石工か同一工房の作品と見てよさそうです。古賀神社のものも、本来はアが玉を噛んでいたのかも知れません。


天降(あまおり)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.04
hisaLinさんのコメント:糸島半島をぶらりポタリングした時、立ち寄りました。
場所がらか、糸島地方に多い狛犬が混じった狛ちゃんがいました。
(福岡県福岡市西区田尻)
狛太郎のひとこと:当サイト中に、糸島市に2社の「あめふり」神社と、古賀市と田川郡川崎町に1社ずつの「あまふり」神社があります。加えて当社は「あまおり」神社ですが、表記はいずれも「天降」です。邇邇杵命(ににぎのみこと)の「天降り(あまくだり)」が共通のモチーフです。
ウンの玉取りや装飾的な尾などに、前原型(井田原神社志自岐神社など)の要素が見られます。ウンが玉を取る様子や装飾的な尾などがそうですが、全体的な像容、特に顔立ちは異なっています。前原型の発祥地(糸島市)に近いので、その影響を受けているのは確かなようです。


八野屋(やつのお)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.16




@





A→

←石祠全体
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から平戸を廻って、佐世保駅までサイクリングに行ったとき、立ち寄りました。調川駅近くにあった神社で、階段を上がった所に柳川市の熊野神社、多久市の若宮八幡神社、金沢市の大野湊神社Dの狛ちゃん似の狛チャンが、海を眺めていました。
また、摂社の中に隠れるように、相方のいない狛ちゃんがいました。
(長崎県松浦市調川町下免)
狛太郎のひとこと:調川(つきのかわ)は難読地名の一つですが、律令時代の税制である租庸調と関係があるかも知れません。すなわち調(つき、みつぎ)です。当社名の八野尾もいわくありげな名なのに、由来は不明でした。実は祭神さえも分からないそうで、謎めいた存在です。
@立派な肥前狛犬です。ご指摘の神社ほか、三日月町の場所非公開Vとも同類です。前後肢を接着して強度を保つ工夫や、アの開口部が明瞭である点、耳を造り分けているように見える点など、このタイプとしては技巧的です。顔面の皺状の装飾は、湊厄神社Cに似ています。
A小型の狛犬です。この場所は本来の居場所ではなく、相方を失ってここに保護されているものでしょう。台座の位置からみて、元々直立型として造られたもののようです。燈籠狛犬だったかも知れません。ところで石祠の扉が本来のものだとすると、片開きの扉はかなり珍しいです。


岡田(おかだ)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.21




@





A
hisaLinさんのコメント:門司港から水巻駅までサイクリングした時、立ち寄りました。黒崎駅近くにある岡田公園の近くにあった神社に、容姿の違うこの辺りで見かける狛犬が二対いました。
(福岡県北九州市八幡西区岡田町)
狛太郎のひとこと:かつて崗(おか)と呼ばれていた遠賀(おんが)郡の支配者・熊族が、祖先神を祀ったのが創祀とされます。のち神武天皇が東征の途次逗留したという、「岡田宮」の候補地でもあります。名称などに類似性のある岡湊神社とは、何らかの関係があるかもしれません。
@北九州らしさのある狛犬ですが、顔立ちや姿勢には独自の特徴があります。小鼻が大きく、口元と口吻の形は熊を思わせます。ウンは一角を有しています。アが前肢で何かを踏んでいるようにも見えますが、玉にしては形がいびつです。狛犬としての系統はよく分かりません。
A眉と耳のラインがヘルメットを被ったように見える点や、細めの牙の上下が繋がっている構造などが北九州的です。ウンは小玉を踏んでおり、その玉を加えた右肢の長さと、反対側の肢が同じ長さなのは不自然ではあるのですが、そんなことにとらわれない大らかさが良いです。


宮地嶽(みやじだけ)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.23
hisaLinさんのコメント:糸島市周辺をポタリングしたとき、立ち寄りました。
陶器製でしたが、この辺りで見かける糸島型の狛ちゃんがいました。
(福岡県糸島市東)
狛太郎のひとこと:宮地嶽神社の総本社は福津市にあり、神功皇后を祀っています。当社の祭神は宗像神であるらしいので、本社とは別の所伝があるのかも知れません。当地は倭人伝の「伊都国」であり、「帯方郡の使者は常にここに留まる」と記された交通の一大拠点でした。
狛犬は典型的な前原型(糸島型)といえるものです。やや離れ気味の円らな目が愛らしく、横に張り出す尖った耳は、耐久性を犠牲にしてまで美観を優先する意図と思われ、作者の並々ならぬ意気込みが感じられます。眉と眉の間の経巻渦が、おしゃれなワンポイントになっています。


窪田阿蘇(くぼた・あそ)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.25
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
いかにも熊本出身です!と言いたげな狛ちゃんがいました。
(熊本県菊池郡大津町町)
狛太郎のひとこと:”大津町町”は「大津町大字町(まち)」であり、誤記ではありません。人が集住したから「町」という地名になりました。佐賀県にもこれに似た「大町町(おおまちちょう)」があります。また唐津市湊町の字は「浜」と「岡」の2つであり、のどかな昔話のような地名です。
狛犬はどこから見ても熊本狛犬です。眉やヒゲが濃く男らしい風貌である一方、非常に短足である点が、見るたびに微笑ましい感じがします。びっしり並んだ鋸歯列も熊本狛犬の特徴です。短い足をカバーするかのように、ぐっと反らした胸が勇ましく、「頑張っている」という風情です。


三島宮(みしまぐう)

提供者:hisaLinさん
12.04.26
hisaLinさんのコメント:柳川駅から久留米まで走った時、立ち寄りました。
千代田町の菅原神社の狛犬似の、芸術性高い狛犬がいました。
(福岡県三潴郡大木町三八松)
狛太郎のひとこと:全国三島神社の本社は、伊豆三嶋大社説と伊予大山祇神社説がありますが、筑後地方の三島神社は前者から、当地の領主蒲池氏が勧請しました。蒲池氏の祖は元々鎌倉武士であったらしいので、伊豆三嶋大社への信仰を持っていたのではないでしょうか。
狛犬は塩田型のうち最も華やかなタイプで、ボタンの花や葉の浮き彫りが見るからにゴージャスです。このタイプは菅原神社のほか、物部神社にもあります。ただそれらとは@目の形Aまばらな歯列B省略的な尾の毛筋、などの違いがあり、それらを模した写しの可能性もあります。


中津(なかつ)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.29
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。ちょうど祭りの時期で、神輿が中津城の近くの公園に集まって、中津神社に奉納の行事があってました。その神社に、瞳を持つ狛犬がいました。
(大分県中津市中津)
狛太郎のひとこと:明治13(1880)年に、大江八幡宮分霊などを合祀して創建されました。その大江八幡宮は宇佐神宮からの勧請ですから、いわば神宮の「孫」という関係です。当社では毎年、「上祇園」が行われているそうなので、祭神の中に素盞鳴尊が含まれているのでしょう。
狛犬は笑ったような顔立ちとは裏腹に、ヒトミのある目は眼光が鋭く、真っ直ぐにこちらを見つめています。金富神社@綱敷天満宮@Aとは別種ながら、同じように力のある眼差しです。ヒトミを穿つとリアルになり過ぎるようにも思いますが、一定の効果があることは確かなようです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.04.30
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米方面までポタリングした時、立ち寄りました。
柳川地方でよく見かける狛犬がいました。
(佐賀県三養基郡みやき町東津)
狛太郎のひとこと:佐賀と福岡の県境となっている筑後川ですが、完全に川によって区分されているわけでもありません。歴史的な経緯から、相互に越境する形で相手側に入り込んでいる土地もあり、この東津に隣接しているのは、福岡側から佐賀県内に延びる久留米市城島町です。
狛犬は柳川市の三柱神社天満宮などに似ています。佐賀県東部と福岡筑後地方は隣接しているため、狛犬文化も結構交雑しています。肥前狛犬が筑後地方で多く見られ、逆に佐賀県東部では筑後型が普及しています。ただし、このタイプを佐賀県側で見るのは初めてです。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.03




@





A
hisaLinさんのコメント:耳納連山沿いの151号線を、うきは市方面に走ったとき立ち寄りました。
ちょうど道路沿いにある神社に、ちょっと容姿の異なる筑後型が2対いました。
(福岡県久留米市田主丸町森部)
狛太郎のひとこと:耳納山地北麓には古墳が多数造られており、5〜6世紀のこの地域が豊かな生産力を背景として早くから発展していたことを物語っています。当地には森部平原古墳群(70基)が集積しており、山河の恵みを受けた人々の定住の歴史を垣間見ることができます。
@剛直さが持ち味の筑後型の中では比較的装飾性を意識したタイプで、口回りに剛毛を蓄えているのは、弓立神社@AC三春天満宮Bなどに類例があります。また、歯列が鋸歯列であるのは、朝倉地方(阿蘇神社@松峡神社)など、筑後平野の縁辺部で多く見られるものです。
Aほぼ典型例の筑後型です。ざっくりした髪の表現で、毛筋は省略されています。写真では明瞭ではありませんが、耳は垂耳・立耳、髪も巻毛・直毛に造り分けられているように見えます。
目が幾分突出しすぎていて、本来の深い眼窩からの凄味ある眼光には少し欠けるようです。


武蔵御嶽(むさし・みたけ)神社

提供者:tocchiさん
12.05.04



@
正面




A
本殿前




B
神明社




C
常盤堅磐社




D
大口真神社

tocchiさんのコメント:“武蔵御嶽神社”に行って来ました!
以前に一度訪れた際に、『とても立派な狛犬(?)』と記憶していまして、その時にカメラを持っていなかったので、もう一度行きたかったのです・・・
@芸術的な佇まい。北村西望作とのこと。
A本殿。こちらは中まで入れなくて隙間から写しました。“狼”ですね〜!
B末社神明社。こちらは顔が独特(?)。“狼”ではなく、現在の“犬”がモデル???
C末社常磐堅磐社。こちらは年期が入っている感じです・・・。ちょっと“ずんぐり”
D末社大口真神社。顔が怖いです!犬(?)狼(?)・・・狐のような!?
(東京都青梅市御岳山)
狛太郎のひとこと:関東平野の西端付近、御岳山(929m)山頂に鎮座し、主祭神・櫛麻智命(くしまちのみこと)のほか、大国主命などを祀っています。創祀は不詳ですが、第10代崇神天皇の時(史実ならBC1)と伝える古社で、延喜式内の大麻止乃豆乃天神社の論社の一つです。
@堂々たるブロンズ製で、均整の取れた体型には気品があり、北村西望の名が取り沙汰されるのも無理はありません。耳と尾は造り分けられており、「獅子と狛犬」という本来の組合せが意識された造形です。なお西望は、長崎平和祈念像の作者としても知られる彫刻の大家です。
Aこれもブロンズのようですが、まさしく「狼」です。痩せた体に大きな耳、細い尾など、ほんの100年前までこのあたりの山の王だった、「ニホンオオカミ」の姿を写実的に表しています。
B顔立ちは独特ながら、アウンの別があり、耳も造り分けられているところから、狛犬であることは確かなようです。あるいは@を参考にして、石でそれを写したもののようにも見えます。
C古そうな狛犬です。洗練された江戸型に比べるといかにも無骨で、顔立ちも古風です。顔立ちは三圍神社の(上段)、体つきは同(下段)に似ており、いずれにしても18世紀的です。
D大口真神とはオオカミの神格化ですから、それを祀る社の神使としては狼がふさわしいのですが、キツネっぽくも見えます。ただ尾がキツネ風ではないので、やはり狼なのでしょう。


千尋衣(ちひろぎ)神社

提供者:TAKOさん
12.05.10
TAKOさんのコメント:地元産の出雲型蹲踞。石工、奉納年なし。
この辺りでは、出雲型の人気があるようです。
本殿左の戸袋を拡大しました。瓦の紋も卍です。寺が神社に変身したような感じがしました。
(徳島県三好市池田町州津滝端)
狛太郎のひとこと:明治期に神仏混淆を廃し、神社として存続することを選択したものの、施設は往時のままという例です。祭神の棚幡姫(たなばたひめ)は日本古来の織神ですが、中国の七夕行事や牽牛織女の伝説などが習合して、一種ロマンチックな信仰形態が形成されました。
狛犬は出雲型風の地元産です。姿勢やカールした髪の房などにその影響がうかがわれますが、伸びやかで重量感と威厳のある原モデルに対して、本作品はやや幼児体型で可愛らしく、浪花型にも近い印象です。アが小玉を噛む点など、同町丸山神社と共通な作風です。


石清水(いわしみず)八幡宮

提供者:ishizakiさん
12.05.12
ishizakiさんのコメント:今年初めての狛犬。
場所は、東かがわ市、五名(ごみょう)ダムから東へ少しのところです。
(香川県東かがわ市入野山)
狛太郎のひとこと:五名ダムのある湊川は讃岐山地に源を発して東進し、瀬戸内海に注いでいます。この川沿いの狭隘な平地に当社は鎮座しています。京都石清水八幡宮が「男山」に鎮座するのに対し、当社の近くには「女体山」がそびえており、偶然にせよ何かしら意味ありげです。
狛犬は上体のがっしりした造りで、髪や尾の装飾性が畿内風にも見えます。体つきに比べて小さめの盤が、対比的に狛犬を雄大に見せており、この技法も京都などでしばしば見られるものです。ただ全体像として畿内風であるとは断言できず、当地独特の作風なのかも知れません。


八幡(はちまん)神社

提供者:tocchiさん
12.05.13
tocchiさんのコメント:近所の東京都東大和市“八幡神社”に行って来ました。“東大和市狭山緑地”というところがありまして、目的なく(カメラを持って)歩いていたら、たどり着きました。
(東京都東大和市奈良橋1-256)
狛太郎のひとこと:天正18(1575)年徳川家康の江戸入府に伴い、譜代の家臣たちも江戸各地に配属されます。狭山丘陵周辺では、石川太郎左衛門が奈良橋村の領主として着任しました。
この石川氏が当社の運営に深くに関与していたことを、史書などから窺い知ることができます。
子取り玉取りのモチーフをはじめ、ヒゲ、眉、尾など基本的な造作は紛れもなく江戸型なのですが、伝統的江戸型とは微妙に異なった印象を受けます。玉が真球でないこと、尾のレリーフが浅く立体感に乏しいこと、長すぎる爪などが原因で、あるいは外国産かとも見える造りです。


神明社(しんめいしゃ)

提供者:tocchiさん
12.05.14
tocchiさんのコメント:年中利用する新青梅街道通り沿いにありまして、カメラを載せていたので寄り道・・・。昭和61(1986)年とあり、新しい狛犬さんでした。
(武蔵村山市中央2-125-1)
狛太郎のひとこと:神明社の祭神は天照大神で、本社は伊勢の神宮です。天皇家の祖廟なので分霊授与など本来あり得なさそうですが、意外にも各地に存在しています(佐賀の伊勢神社など)。当社は延享4(1747)年の古文書に既に記載がある由なので、創祀はそれ以前です。
狛犬は現代岡崎型です。画一的・工業製品的であるとして、愛好家受けは良くありません。
個性のなさや、尾がおざなりで貧弱な点などがその理由です。ただこの狛犬は目つき、鼻の形、上唇付近の膨らみなど、江戸型の面影が幾分うかがえる点、個性はあるといえそうです。


花園(はなぞの)神社

提供者:tocchiさん
12.05.15




@



A








B
tocchiさんのコメント:
@先ずは、大鳥居の手前の一対。高さも高いところに鎮座した、大き目の狛犬さん。
 繁華街の神社を守っているようでした・・・。
A末社・威徳稲荷神社。お稲荷さんですが、子狐が甘えてる(?)ように張り付いている様子が
 かわいらしかったので、写してみました。しかし、大きな修復の痕あり・・・。
B新宿区有形文化財の唐獅子。金網が!!!残念です、しょうがないのかな?
(東京都新宿区新宿5-17-3)
狛太郎のひとこと:当社由緒によると、家康江戸入府(1590)以前に大和吉野山から勧請とあります。甲州街道の宿場として「内藤新宿」が開設されたのは元禄12(1699)年ですから、勧請当時はまだ旅人が通過するだけの寒村だったことでしょう。今の新宿からは想像もつきません。
@約束通りの江戸型です。アは子取り、ウンは玉取りで、玉にも細かい彫刻が施されています。風になびく柔らかい毛筋、横に垂れて盤にかかる豊かな尾など、石という素材の持つ制約を開放した高度な技術と発想が、この型には集約されていると言っても過言ではありません。
A稲荷神はその名を倉稲魂(うかのみたま)と言って、食物の神です。稲荷神の神使はキツネであるとされるので、キツネ像が置かれています。大抵は恐い顔をしているのですが、当社のキツネは子狐を慈しむような穏やかな顔立ちです。また体つきや尾もしなやかで慈母のようです。
B文政4(1821)年の銅製「唐獅子」と紹介されています。アの頭上には「宝珠」、ウンの頭上には一角を有しています。開口の唐獅子と閉口の狛犬という伝統的な組合せです。平安期には獅子と狛犬は体つきも違っていましたが、次第にどちらも「獅子」形に造るようになりました。


九体(きゅうたい/くたい)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.16




@





A
hisaLinさんのコメント:大牟田から久留米まで走った時、立ち寄りました。
筑後風1対と、熊本風の狛ちゃんが1対いました。
(福岡県みやま市高田町岩津)
狛太郎のひとこと:祭神は斯礼賀志命など9柱の神で、社名の九体もこれに因んでいます。彼らは高良大社の祭神「玉垂命」の親族たちです。玉垂命自身「記紀」に記載のない神で、その子となれば一層馴染みは薄いのですが、地方の雄として今日まで大切に祀られているのです。
@中心地の久留米から遠ざかるにつれ、幾分変化を遂げた筑後型の例です。このタイプ(歯列が鋸歯列)は久留米から見て外縁部にあたる朝倉周辺に多く(松峡神社阿蘇神社など)、熊本狛犬や佐賀狛犬の影響が顕著な筑後南部方面ではあまり見かけないような気がします。
A熊本県境に近いという地域柄からも、熊本狛犬そのものと思われます。口幅一杯に、小さめの鋸歯が規則正しく並んでいるのが特徴の一つです。また、天草狛犬(御領神社など)に典型的に見られるように、髪と一体となって首を取り巻くヒゲなども、共通の特徴と言えます。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.19




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A





B
hisaLinさんのコメント:唐津駅から鹿島までサイクリングした時、立ち寄りました。神社は村田英雄記念館の近所にあり、唐津型の狛犬さんのほか、2対の狛犬さんがいました。
(佐賀県唐津市 相知町相知)
狛太郎のひとこと:大正4年の相知郷土誌には、「相知村相知宿の中央高地に在り。眺望佳なり」と記されています。高い石段上に、山を削平して鎮座しています。享保4(1719)年、波多壱岐守が勧請しました。山に囲まれた相知では、山岳宗教系の信仰が盛んだったようです。
@アは唐津型ですが、ウンは印象が異なるものです。台座年銘は共に大正2年ではあるものの、アとウンでは別の石工の銘があります。共作の可能性もあるにはありますが、体勢は勿論、盤の意匠も違っていて、ここまで作風が違うと、本来の一対ではないのかも知れません。
A焼き物の狛犬です。塑像らしい自由で精密な彫刻が施されており、石では表現できない味わいがあります。顔立ちなどは「唐津くんち」で曳かれる「金獅子」や「赤獅子」に似ており、一般的に知られる獅子舞のものとも共通性があります。「獅子」の標準型とも言えるものです。
B比較的小型の狛犬です。尖った舌先が上顎に付く意匠や、扇状に近い尾の形などは佐賀県内の伝統様式とは違っています。銘がないので手がかりがありませんが、他産地から持ち込まれたものではないかと思われます。彫りは浅いものの、必要な細工は具備しています。


月瀬(つきせ)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.22
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。
北九州周辺に多い狛犬がいました。
(福岡県中間市上底井野)
狛太郎のひとこと:寛永15年(1638)年、筑前第2代藩主黒田忠之により、宇佐神宮から勧請創建されました。「月瀬」というロマンチックな名は、神宮の境内を流れる川に由来する由です。神宮から勧請された八幡宮であることを、形にして残したいという気持ちの表れと想像されます。
狛犬は際立った特色を持っていないのに何故か印象的な顔立ちで、同類を幾つか思い浮かべることができます。水巻町の八剣神社、遠賀町の浅木神社UA、鞍手町の貴船神社などがそうです。眉、髪、ヒゲが豊かで多毛、特に胸辺りまで回り込んだ長髪は生き生きとしています。


神崎(こうざき)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.23




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。
浅木神社@と同じスタイルの狛犬と、田川地方に多いギョロ目タイプの狛犬がいました。
(福岡県鞍手郡鞍手町古門神崎)
狛太郎のひとこと:第29代欽明天皇(6c)の時に、宇佐神宮を勧請して石祠を祀ったとされる古社で、元禄7(1694)年に至って神殿が建立されました。八幡神のほか仁徳天皇や玉依姫を祀っており、境内社としても多数の神々が祀られていて、合祀を重ねた古い歴史がうかがえます。
@灯籠の竿石に代えて、体勢の異なる狛犬一対を配し、変化に富む造形を志向しています。荷重を支えるために、支柱の役割を果たす部分にはあまり手を加えず、負担のない顔面にはかなり細かい彫刻を施しています。上唇のラインが段違いになっている点でも、浅木神社的です。
A目、牙、肩の肉付きなどが風治八幡神社Aに似ていて、恐らく田川狛犬であろうと思われるものです。この細い牙は北九州でもよく見られるもので、強度の点からは著しく不合理のように思えるのですが、どうしてもこうでなければならないという伝統が支配しているかのようです。


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