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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


中正(ちゅうせい)公園

提供者:くろのすけさん
12.01.01
くろのすけさんのコメント:先日台湾は基隆を旅行した際、港を見下ろす中正公園にて、観音像を護る巨大にしてどこか愛嬌のある獅子一対を見ました。
狛犬とは少し違いますが、お話の種にお送りします。
(中華民国基隆市信義區壽山路)
狛太郎のひとこと:中正公園は台湾の北の玄関口の基隆市にあり、22mの巨大観音像で有名です。基隆港は日本統治時代に本格開発され、戦後国際的な主要港に成長しました。公園は「蒋中正」の名を冠したもので、日本では台湾初代総統蒋介石として著名な人物の本名です。
巨大観音像の守護なので、確かに普通の獅子では手に余るでしょう。台湾にも日本統治時代に伝わった日本風の狛犬が多数現存しますが、これはアウンとも開口であり、顔立ちもライオンぽくて、紛れもなく中国伝来の獅子です。玉にのし掛かる体勢や顔立ちが可愛らしいです。


池原(いけはら)神社

提供者:TAKOさん
12.01.02
TAKOさんのコメント:高仙山山頂。格子の中で光量が足りなかったですが、何とか撮れました。斎灘が手に取るように見渡せる、軍事拠点だと思います。こんなポイントがあるとは知りませんでした。いい年が迎えれそうです。新しい年が平安でありますように。
(愛媛県今治市菊間町種)
狛太郎のひとこと:斎灘を望む高仙山(たかぜさん)山頂の山城は、築城年代は不明ながら、室町時代には地元豪族池原氏の居城でした。毛利氏や来島氏などとの抗争では、眼下の斎灘に迫り来る敵の様子を一目瞭然に監視できたと思われます。当社はその池原氏を祀る神社です。
菊間町は瓦の生産で有名な町です。町内の砥鹿神社@八幡神社@と同じく、この狛犬も瓦製で、塑像らしい自由な曲線と細かい細工が持ち味です。いぶし銀の肌も、深みのある色合いで惹き付けられます。石という素材の制約を離れた、伸びやかな造形を楽しむことができます。


玉垂宮(たまたれぐう)

提供者:hisaLinさん
12.01.03




@





A
hisaLinさんのコメント:鹿島駅から柳川までサイクリングした時、立ち寄りました。
@この辺りでよく見かける狛犬1対と、A玉名市の熊野座神社、天草市の大浦阿蘇神社の狛ちゃん似が1対いました。
(福岡県柳川市下宮永町)
狛太郎のひとこと:玉垂神信仰は筑後国一宮の高良大社を中心に、筑後一帯に広く分布しています。玉垂神=武内宿禰説が有力ですが、玉垂神は他の誰でもなく、地方で生まれ地方で育まれてきた玉垂神そのものと考える方が、本来の信仰形態にかなうのではないでしょうか。
@柳川市(天満神社八幡神社など)や大川市(水天宮高良神社など)に多く分布するタイプです。個体によって技量や意匠に幅がありますが、それはとりもなおさず、このタイプが地域に根付いている証拠ともいえます。なお、原産は佐賀県である可能性が高いと考えています。
Aぐるりと首を取り巻く裾飾り状の顎ヒゲと、ウンの真一文字に閉じた口の形が特徴です。
また、前肢には関節状の隆帯があります。どこに中心地があるのかはまだ不明ですが、アの激しい風化具合を見ると、柔らかい天草石を産出する天草地方が有力候補ではあります。


玉垂命(たまたれのみこと)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.04
hisaLinさんのコメント:鹿島駅から柳川までサイクリングした時、立ち寄りました。
佐賀県内に多い岩登りタイプで、顔の大きい狛犬がいました。
(福岡県大川市郷原)
狛太郎のひとこと:玉垂神は筑後国一宮の高良大社の祭神です。玉垂神(高良大神)の起源は律令制以前であると思われ、記紀には登場しないローカル神です。多くの地方神が中央の神々に擬制する中、強固な信仰基盤によって独立を保ったまれな例と言うことができると思います。
狛犬は紛れもなく、砥川石工の得意とする岩狛です。三等身の大きな頭部と幼児体型の短い四肢が外貌の特徴で、吊り上がった眉などで表現される剽悍な気性といった内面性をも備えています。特に前立に岩を配してこれにのし掛かるスタイルは、砥川石工の独創で秀逸です。


窪田日吉(くぼた・ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.05
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から白川沿い(207号線)に熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。胴長短足で、髭が濃い熊本風の狛犬がいました。
(熊本県菊池郡大津町下町)
狛太郎のひとこと:窪田とは「窪地(くぼち)」にある田の意です。当地は白川沿岸の「窪田」だったかと思われます。また白川下流の菊陽町の「久保田」も当社の氏子地域であることから、「くぼた」とは両地域を含む広い範囲を指し、当社はその全体の守護神だったと推察されます。
狛犬は多毛・短足、細かい歯列などの熊本的要素を多分に保ちつつ、顔面の表現は極めて大胆です。比較的面長なイメージの強い熊本狛犬の中では、際立って横幅の広い顔立ちが個性的であり、とりわけアの開口部の大きさや、ウンの歯を食いしばるような表情が印象的です。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.06
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りで見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県大牟田市吉野)
狛太郎のひとこと:平安末期に熊野信仰が盛んとなり、修験者によって各地にもたらされました。当社もその頃に創立されたと考えられており、伊邪那美神、事解男神、速玉男神を祀っています。長い歴史の中で、神道と仏教、山岳信仰などが習合した複雑な信仰形態です。
狛犬は当地でよく見られるもので、太い眉にヒトミのある大きな目が印象的なことと、ウンが大きな子獅子を抱くモチーフが特徴です。市内の八幡神社諏訪宮(下段)熊野宮などのほか、熊本県荒尾市の野原八幡宮綿津見神社にも同系があります。熊本的要素が強いようです。


五の宮(ごのみや)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.07




@





A
hisaLinさんのコメント:諫早から鹿島を通って柳川まで走った時、立ち寄りました。
佐賀地方で見かける狛犬1対と、もう1対の狛犬がいました。
(佐賀県鹿島市森)
狛太郎のひとこと:和銅年間(8世紀初頭)に大和丹生神社から勧請と伝える古社で、水神の罔象女(みずはのめ)神を祀っています。農業や生活の利水、また水害防止も人々の切望するところでした。自然の猛威に無力な古代人にとって、罔象女への期待は大きかったと思います。
@は髪や尾の美しい毛筋により、塩田型であることが明らかです。体表には小さな渦の突起が多数施され、細部へのこだわりも感じられます。塩田型には岩狛タイプも多く、このような蹲踞型も同じく多いのですが、豊かな毛量と規則正しい毛筋のラインという特長は共通しています。
A恐らく塩田型と思われる作品ですが、典型的ではありません。胸や上腕の筋肉が強調され、優美さが身上の塩田型としてはやや異例です。ただ基本的な顔立ちが@と相似であり、鹿島市という地域柄を考慮すると、他の流派でもなさそうです。個体差の範囲と考えられます。


三笠(みかさ)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.08
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時、立ち寄りました。
阿蘇市の隼鷹神社、湯布市の宇奈岐日女神社の狛犬に似た狛犬がいました。
(福岡県大牟田市鳥塚町)
狛太郎のひとこと:大友氏の忠臣で、戦国武将の高橋紹運を祀っています。紹運は島津氏との闘いにおいて、岩屋城(大宰府)の籠城戦で戦死。しかしその長男宗茂は柳河藩初代藩主、二男直次は三池藩祖となっており、当地に紹運が祀られたのはそうした経緯によるものでしょう。
狛犬はご指摘の隼鷹神社のものとは非常に良く似ています。ヒトミを深く穿った目の造りや、長くて豊かな毛房は、偶然とは思えないほど相似です。一方宇奈岐日女神社のものは、ヒトミの感じはそっくりですが、毛量や髪の立体感に違いがあり、同系とまでは言えないようです。


老松宮(おいまつぐう)

提供者:hisaLinさん
12.01.09
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時、立ち寄りました。
未完成品ぽく見える狛犬がいました。
(福岡県みやま市瀬高町大草)
狛太郎のひとこと:当地は旧山門郡瀬高町でした。山門郡域は「やまと」という音通以外に、考古学的知見や神話伝説の研究などによって、「邪馬台国」の候補地の一つに挙げられています。当社の境内は前方後円墳の一部であり、この土地の歴史が古いことを物語っています。
狛犬は前肢の接地点が遠く、平伏するような姿勢です。顔面も横幅が広くて、全体的に押しつぶされたようなフォルムになっています。毛筋をはじめ各部のパーツはしっかり彫られていますが、風化によってメリハリが薄れたためか、確かに製作途中のようにも見えてしまいます。


井田原(いだはら)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.10
hisaLinさんのコメント:糸島半島をサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りで見かける狛犬と少し違うけど同類かな?と思われる狛犬がいました。
(福岡県糸島市志摩井田原)
現祭神は国常立尊と天照皇大神という日本神話上の最高権威になっていますが、江戸末期に祭神変更が行われた結果です。それまでは永らく十六天を祀っていたようです。旧糸島郡内で十六天信仰が盛んだった形跡は、今でも随所に見ることができます(十六天神社など)。
狛犬は前原型です。横に張り出す耳、アが口に玉を含み、ウンが足で玉を取る姿は、この型では定番です。整った顔立ち、均整の取れた体型のこの型を前原型と名付けましたが、その分布は旧糸島郡全域に広がっており、どこが中心地であるのかは、実はまだ確認できていません。


若宮(わかみや)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.11
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
しっかりした前足を持った狛犬がいました。
(佐賀県三養基郡みやき町市武)
狛太郎のひとこと:「若宮神社」の他、集落名を冠した「江見八幡神社」また単に「八幡神社」とも称するようです。「若宮」とは応神天皇(八幡神)の子の仁徳天皇を指し、則ち「八幡の若宮」を意味します。永禄11(1568)年に再建とあるので相当な古社ですが、創祀年代は不詳です。
狛犬は全体的な雰囲気と髪、ヒゲの密な毛筋から、塩田型と目されるものです。しかし優美さが身上の塩田型としてはやや無骨で、洗練される以前のフォルムを保っているかのようです。
どことなく前世代的な印象があり、飾り気のない謹厳実直な内面性さえ漂わせています。


宮地嶽(みやじだけ)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.12
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。
この辺りでは見かけない、尖がり耳を持った狛犬がいました。
(福岡県田川市伊加利)
狛太郎のひとこと:宮地嶽神社は息長足比売(おきながたらしひめ=神功皇后)を祀る神社で、福津市の宮地嶽神社が総本宮です。皇后の巡幸説話は福岡県内で特に濃厚であり、皇后を祀る神社は当社のほか、香椎宮筥崎宮宇美八幡宮聖母宮など多数にのぼります。
上下が繋がった牙に田川狛犬の片鱗が見られるものの、それ以外は独特です。特に耳が立耳である点が、他との違いを際立たせています。顎ヒゲの形や足首のアンクレット状の飾毛などから、筑後型の面影も見えます。天降神社に筑後型の例があり、無縁とは言い切れません。


垢田(あかだ)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.01.13




@





A
hisaLinさんのコメント:山口県の小串から門司までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける狛犬2対がいました。
(山口県下関市垢田町)
狛太郎のひとこと:響灘に面した微高地に鎮座し、応神天皇とその両親(仲哀天皇、神功皇后)を祀っています。かつては響灘を航行中の船舶にとって、一種の航路標識的な役割も果たしていたのではないでしょうか。下関にも神功皇后ゆかりとされる地が多くあります。
@Aとも同系と見てよいものと思います。小さく突起した丸い目、アの控えめな口の開き、花崗岩らしき石に刻まれた浅いレリーフによる装飾、ウンの一角などの共通点があります。この形は
安岡八幡宮A
でも見られます。アのおちょぼ口に比べ、ウンの口幅は著しく大きく特徴的です。


荒穂(あらほ)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.14




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚、嘉麻市をのんびりサイクリングした時立ち寄りました。443号線沿いにあった神社で、髭濃い一見熊本風にも見える狛犬@と、量産型風の狛犬Aがいました。
(福岡県嘉麻市牛隈)
狛太郎のひとこと:当社の祭神は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)です。瓊瓊杵命は天照大神の命を受け、高天原(たかまがはら)から初めて地上に降った「天孫降臨」の主役で、世に言う「天降り」とはこの出来事を指す言葉でした。基山町の式内社荒穂神社とは同系列の神社です。
@長髪多毛な点は熊本狛犬と共通ですが、全体的な雰囲気はそれとは異なっているようです。
前肢付け根の飾り毛や眉など細かい点まで気が配られており、また全身に筋肉か毛渦の凹凸が配されているなど、手の込んだ作品です。残念ながらアの上顎は破損しているようです。
A岡崎型風のモデルで、その点、量産型に似た印象があります。しかしよく見ると各所に凝った細工が施されていて、丸投げの輸入品とは一線を画すもののようです。アウンの顎ヒゲは造り分けられていますし、尾も量産型のおざなりな形ではなく、丁寧に刻まれているようです。


薦(こも)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.15




@





A
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りましたが、この神社は、宇佐神宮の祖宮らしいです。神社には2対の狛犬がいて、@浪花型風の狛犬とAお惚(とぼ)け顔した狛犬がいました。
(大分県中津市大貞209)
狛太郎のひとこと:応神天皇と神功皇后、宗像三女神を祀る八幡宮です。社名の由来は、境内の池に自生する真薦(まこも)で枕形の神具を造ることによります。社殿造営は承和年中(834〜48)と伝えられていますが、創祀は更に古く、宇佐神宮の元宮という説もあるようです。
@大分県の狛犬は非常にバラエティに富んでおり、特に国東地方では、浪花型桜八幡神社御祖社事代主神社)を始め幾つかの様式が混在しています。九州他県ではあまり見かけない浪花型が、中津市にも分布していたわけです。この傾向がどこから来たのか、興味深いです。
A大分県では、各地様式が混在(尾道型出雲型など)しているとともに、洗練されたものもあれば土俗的なものもあって、その多様さは九州随一かもしれません。この作品は前肢の付き方や顔立ちが日吉神社A若八幡神社@に似ており、田川系統ではないかと推察します。


日峯(にっぽう)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.16
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から平戸を廻って、佐世保駅までサイクリングに行ったとき、立ち寄りました。松浦鉄道の東山代駅近くにあった神社で、瞳まである狛犬がいました。
(佐賀県伊万里市東山代町長浜)
狛太郎のひとこと:佐賀藩祖・鍋島直茂は肥前戦国武将の一人で、江戸期を通じた鍋島政権の基礎を築いた人物です。社名の日峯は直茂の法名です。当社は慶長19(1614)年、当地の長浜塩田事業の繁栄を祈念して創立され、明治期に直茂を合祀して現社名に改名しました。
すらりとした前肢をややオープンに構え、瞳が穿たれた鋭い眼光の目で前方を直視する様子には、なかなかの風格があります。貿易港や炭鉱を有した歴史のせいか、伊万里は比較的多様な狛犬が存在する地域といえます。この狛犬も佐賀県内ではあまり見かけないタイプです。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.17




@





A
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
776号線沿いにあった神社で、@アの頭上にタンコブのような宝珠を乗せる狛犬1対と、
Aもう1対の狛犬がいました。
(福岡県みやま市瀬高町大廣園)
狛太郎のひとこと:大廣園という変わった地名は、明治3年に大木村、広安村、宮園村の合併で誕生した大廣園村の名残であり、その後、瀬高町の一部になっています。旧大木村には鎌倉期、栃木から下向した宇都宮氏が大木城を築き、柳川の蒲池氏の重臣として活躍しました。
@丸い目を見開き、見る者を凝視するような表情のこの狛犬は、大牟田辺りにその典型があるようです(熊野神社八幡神社諏訪宮Aなど)。鼻ヒゲの具合から、熊本風の要素を持っています。アの頭頂に宝珠を乗せるのは、様式としては古いタイプに属します(宝録稲荷神社)。
Aこちらは南筑後地方に典型があるタイプです。みやま市(聖母宮広田八幡宮など)や、柳川市(宝満宮など)に類例があります。このタイプでは目に象嵌や彩色が施されているものが散見され、これもその一つです。噛まれると痛そうな歯と相俟って、強烈な印象を放っています。


酒列磯前(さかつら・いそさき)神社

提供者:tocchiさん 
12.01.18
tocchiさんのコメント:
『あなた、狛犬に似てますね・・・』と言われたことから、狛犬には親しみを感じております・・・。
写真は、茨城県ひたちなか市磯崎町の“酒列磯前神社”の狛犬です。
表情がかわいい!
(茨城県ひたちなか市磯崎町)
狛太郎のひとこと:初投稿有難うございます。斉衡3(856)年創祀とされる、延喜式登載の名神大社です。主祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと)は医薬・酒を司る神です。海から渡来したとされるこの神が、鹿島灘を望む地に祀られているのは、それだけでも相応しい感じがします。
やや窮屈そうな直立不動の体勢と、顎を引き前方を凝視する姿には、緊張感が漲っています。
眉や髪に立体的な渦を多用し、髪の束や飾り毛は縁取りを施して厚く刻出しています。これらにより強いコントラストが付加されており、メリハリの利いたスキのない佇まいが実現しています。


酒列磯前(さかつら・いそさき)神社・続報

提供者:tocchiさん
12.01.28
tocchiさんのコメント:写真を見てみると、奥の方にもう一対(壁の隙間から撮って少しブレてます)居たのを思い出しました。焼き物だと思います。
狛太郎のひとこと:鮮やかな彩色の陶製獅子です。アウンとも開口で、胸には瓔珞(ようらく=ネックレス)を着けています。開口の獅子と閉口の狛犬、という配置は近隣諸国にもない、平安以来の日本独特のものです。なので、これは大陸か台湾で造られた「獅子像」だと思われます。


安武八幡(やすたけはちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.19




@





A





B





C





D
hisaLinさんのコメント:柳川から大善寺を通って、久留米方面を走ったとき立ち寄りました。
安武小学校の近くにあった神社に、5対の狛犬がいました。
(福岡県久留米市安武町安武本)
狛太郎のひとこと:15世紀に天満宮分霊を勧請して創祀したのが始まりです。16世紀には当地は、豊前の大友氏と肥前の龍造寺氏の数次にわたる抗争の舞台となりましたが、その後、当地を治めた安武安房守が、宇佐から八幡神を勧請して八幡宮と改称、今日に至ります。
@出雲式のモチーフを導入した地元作品です。三頭身の幼児体型と、両頬に施された渦巻型の飾り毛が微笑ましく、一方、屹立する直毛の短い尾には、若い力が宿っているかのようです。
A天草発祥と思われるタイプ(御領神社大浦阿蘇神社など)で、遠く離れたここ久留米でも、草葉天満宮で見られるほか、天満宮などその類縁ではないかと思われるものも存在します。
Bは厳つい筑後型に大きな玉を取らせてみたという、異色とも言える作品です。巨体の筑後型に可愛らしさという側面を付加できたことは、意図せざる効果だったに違いありません。
CDはオーソドックスな筑後型です。久留米発祥の筑後型は、様式として一つの完成形ではありますが、石工の個性や地域色の付加などにより、それぞれの持ち味が生じています。


宇原(うばる)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.21




@





A





B
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
JR苅田駅近くにあった神社に、北九州一帯で見かける狛犬3対がいました。
(福岡県京都郡苅田町馬場)
狛太郎のひとこと:鵜茅草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)とその両親等を祀っています。尊は、天孫降臨を果たした邇邇杵尊の孫です。そして尊の御子が初代神武天皇になられるわけで、神代からいよいよ人間の世へ移る、日本神話のハイライトとも言えるシーンです。
@長い垂れ耳が頭部をヘルメット風に覆うのが、北九州狛犬の特徴です。また、唇にはっきりした輪郭があり、牙の上下は連結、比較的浅い各部のレリーフなども特徴です。その点この狛犬は彫りが深く、また尾道型風の大玉取に造られ、北九州型としては幾分異色ともいえます。
A北九州的のようでもあり、そうではないようにも見える狛犬です。顎の真下にこれほど豊かなヒゲを蓄えたものは、北九州の狛犬の一般的特徴とは言えないように思えるのです。
B比較的新しいようですが、最近の画一的なモデルとは違い、旧作を再現したもののようです。目鼻口の形から、恐らくAとは同系です。アウンで髪型を変え、尾も造り分けられています。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.22




@





A
hisaLinさんのコメント:宇佐から行橋方面をサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りは貴船神社が多い一帯ですが、宇佐文化会館ウサノピア、法鏡寺公民館近くにあった神社で、@首長の玉乗りタイプの狛犬と、Aもう1対の狛犬がいました。
(大分県宇佐市法鏡寺)
狛太郎のひとこと:宇佐地方には、奈良朝以前から官営の寺が建立されていました。中でも法鏡寺は、七堂伽藍を備えた大寺であったようです。宇佐神宮を営んだ宇佐氏、大神氏、辛島氏ら豪族による創建と見られています。廃寺になりましたが、その名は地名として残されました。
@宇佐市には大玉取りが多いようです。荒木天満宮大根川神社とは同系と見てよさそうです。当社のものはそれらよりは洗練されていますが、荒削りな猛々しさは失っていません。異様に長い首が妙にしっくり来る不思議な構図で、迫力も動感もある見応えのある作品です。
A同じモチーフの作品ですが、極めて手の込んだ装飾的な作品です。全身に立体的な渦を配し、眉、ヒゲ、歯などにも入念な細工が施されています。耳の縁にまで細かい刻みを入れるなど、驚くべき細心さが見られ、非常に豪華です。顔立ちにもどことなく高貴さがあるようです。


許斐(このみ)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.23


@





A





B
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川沿いにサイクリングした時、立ち寄りました。
@量産タイプの岡崎型、A浪花型風狛犬、B朝倉型風狛犬の3対がいました。
(福岡県飯塚市幸袋506-1)
狛太郎のひとこと:天孫降臨の際、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)に随行した、天太玉尊(あめのふとだまのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀っており、神話世界で、とてもきらびやかな祭神たちです。黒田家代々の崇敬社です。
@岡崎型を元にした、安易なコピーが全国を席巻中です。しかしそれは元のモデルが優れていたからであって、新旧を一緒くたにはできません。この作品は近年の量産型とは違うようです。
A九州では大分県宇佐〜国東地方以外、ほとんど見られない浪花型です。しかも、造形から独特のニュアンスまで、本場のものと同等です。大阪から持ち込まれたものではないでしょうか。
B朝倉型で間違いないと思うのですが、典型例に比べると肩や胸の張りがなく、顔立ちも大人しくて全体に線が細い印象です。典型例よりは小さそうなので、髪の表現も毛量が少なく、省略的とならざるを得なかったのでしょう。当地で造られたオマージュ的な作品ではないでしょうか。


志自岐(しじき)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.24
hisaLinさんのコメント:福岡から唐津までサイクリングした時、立ち寄りました。
糸島周辺で見かける狛犬がいました。
(福岡県糸島市二丈町福井)
狛太郎のひとこと:神社ごとに志志岐、志自岐、志式などと表記され、シシキ又はシジキと読まれます。長崎県平戸市の志々岐神社は肥前(佐賀・長崎)に4つある式内社の一つとされ、シシキ神社群の中心です。仲哀天皇の皇弟の十城別王(としろわけのみこ)を祀っています。
前原型と名付けているタイプで、合併前の前原市・志摩町・二丈町(以上現糸島市)における代表的な様式です。この地域には佐賀の古い様式の狛犬が多数残存しており、佐賀との濃密な交易・生活関係が伺えますが、このタイプは当地で独自に創案され発達した様式のようです。


諏訪(すわ)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.25
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時、立ち寄りました。
雰囲気が少し違いますが、この辺りで見かける?狛ちゃんに似た狛犬がいました。
(福岡県大牟田市橘)
狛太郎のひとこと:諏訪神社は長野の諏訪大社の分社です。祭神の建御名方命は、出雲の大国主命の御子で、「国譲り」に反対して天孫に抗戦、敗れて信濃に逃れた神です。その神が延喜式の名神大社かつ信濃国一宮に祀られているのです。神話の方に無理がありそうです。
狛犬は大牟田を中心として近隣に普及している型で、鼻ヒゲなど熊本狛犬の要素を多分に持ったモデルです。幾分彫りが浅く見えるのは、風化のせいでしょうか。八幡神社諏訪宮Aなどとは同系で、柳川の白鳥神社、熊本県荒尾市の綿津見神社なども同系統かと思われます。


白山(はくさん)神社

提供者:hisaLinさん
12.01.26
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。胴長タイプの玉乗りスタイルの狛犬がいました。
(福岡県田川郡添田町添田)
狛太郎のひとこと:白山神社の総本社は、式内社で加賀国一宮の、白山比刀iしらやまひめ)神社です。祭神の白山比唐ヘ、日本書紀の「一書」(別伝)にのみ登場する菊理姫(くくりひめ)と同一とされます。どちらも伝わっているのは神名のみで、詳細は一切不明な謎の女神です。
田川市郡の狛犬たちは、超個性的な顔立ちだけでなく、スタイルの多様さでも群を抜いているようです。この大玉を取る尾道型風の一群(恵美須神社八幡神社U@稲荷神社@など)のほか、直立倒立の一対(鶴岡八幡神社鏡山神社天降神社)など多士済々といった状況です。


箱崎八幡宮(はこざき・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.01.27




@





A





B





C





D
hisaLinさんのコメント:久留米から日田方面にサイクリングした時、立ち寄りました。筑後川沿いにあった神社で、様々な5対の筑後型の狛犬さんがいました。
(福岡県久留米市大橋町蜷川)
狛太郎のひとこと:永正11(1514)年、草野城主藤原氏が筑前筥崎宮より勧請しました。その後は地元有力者とおぼしき鹿毛氏代々により、江戸期を通じて社殿が造営されました。境内には樹齢8百年の大銀杏があり、当社創祀以前からこの地が聖地であった可能性があります。
狛犬は全て筑後型であり、これだけ巨体が勢揃いするとなかなか壮観です。耳はB以外はアが垂耳、ウンが立耳と造り分けられており、約束通りです。オープンスタンスあり、クローズドスタンスあり、またそれぞれが少しずつ個性の範囲内でデザインが異なっています。
@とCはウンに一角があり、顔立ちや体つきも最も筑後型らしい筑後型です。製作年はこれらが古いものでしょう。Aは少しバランスが取れておらず、ぎこちない仕上がりです。Bは極端なほどのデフォルメに石工の強烈な個性が反映しているようです。Dは最もおとなしい感じです。


大洗磯前(おおあらい・いそさき)神社

提供者:tocchiさん
12.01.29

@





A
tocchiさんのコメント:名前(社名)の通り、海が目の前です。
@大きな鳥居のすぐ近くに古い狛犬が一対、A階段を上がると焼き物(?)の狛犬が一対。
ちなみに、階段を上がって後ろを振り返ると、海が広がっています!
(茨城県東茨城郡大洗町磯浜町)
狛太郎のひとこと:斉衡3(856)年創祀の古社で、延喜式の名神大社です。酒列磯前神社と2社で一体を成しています。中世に荒廃していたのを、有名な水戸光圀(黄門)公が再興しました。
光圀公と小城藩主鍋島氏との親交の記録が残されており、佐賀県とも縁のある方です。
@風化が進みあまり原型を留めていませんが、彫刻はかなり緻密だったように見受けられます。顔立ちや装飾の具合から、江戸型かそのバリアントではないかと推測されるものです。製作当時は、江戸型特有の華麗な曲線美に覆われていたと思われるのに、残念な状態です。
A焼き物の狛犬は各地で見られますが、石造より加工の自由度が高いというメリットを生かして、柔らかな曲線、曲面が多用され、流れるような毛筋にも塑像の持味が生かされています。
この狛犬は前後肢が密着して上体が立ち上がっており、出雲型蹲踞のようなフォルムです。


出雲大社(いずもたいしゃ)常陸教会

提供者:tocchiさん
12.01.30
tocchiさんのコメント:出雲大社常陸 (出雲大社 分社)”の狛犬です。
新しい建造物です。狛犬はブロンズ製でとても大きいんですよ!
『なんて立派なのかしら〜!』と思わずシャッターを切ってしまいました。
個人的には“石”のものが好きですね・・・
(茨城県笠間市福原)
狛太郎のひとこと:平成4年に島根県の出雲大社の分霊を勧請しました。祭神は出雲の英雄神・大国主命(おおくにぬしのみこと)です。命は少彦名命(大洗磯前神社酒列磯前神社の祭神)とともに、出雲国の経営に尽力し、のち天孫に国を譲って出雲大社に鎮まったとされます。
狛犬はブロンズ製の一対です。滋賀県の大宝神社に伝来する木造狛犬がモデルで、鎌倉彫刻の力強さの再現に、ブロンズの硬質感がよくマッチしています。ブロンズ(水天宮櫛田神社など)のほか、石造(護国神社@B警固神社など)でも盛んに造られている人気モチーフです。


若宮(わかみや)神社

提供者:TAKOさん
12.01.31
TAKOさんのコメント:40番札所観自在寺の北西約5・6km(直線距離)。
(年銘は)「大正三(1914)年九月吉日」。体高約42cm。サル顔の狛犬です。
少し傷んでいますが、現役で仕事中です。 
(愛媛県南宇和郡愛南町樽見)
狛太郎のひとこと:宝永3(1706)年創建で、応神天皇の子、仁徳天皇(若宮)を祀っています。そして、なぜかこの町には、その「若宮神社」が非常に多いです。合併(H16)前の5町村の全てに存在し、全体で42社中15社、樽見を含む旧西海町では実に8社中6社が若宮神社です。
地理的に南予型の領域と考えられ、実際に愛南町で既出の3社中2社が南予型(朝星神社新御霊神社)です。今回の狛犬は、その3社中の他の1社(篠山神社)と類似点があります。
櫛目のある特徴的な長髪がそれで、南予型とは別種の一流派ではないかと思われます。


賀茂宮(かもぐう)

提供者:hisaLinさん
12.02.01
hisaLinさんのコメント:飯塚、嘉麻市をのんびりサイクリングした時、立ち寄りました。
402号線沿いにあった神社で、しっかり瞳まで彫られた狛犬がいました。
(福岡県嘉麻市下山田)
狛太郎のひとこと:嘉麻市は平成18年に合併で誕生しました。かつて筑前国にあった嘉麻郡に因む命名です。当社は古代豪族賀茂氏の関連と思われますが、詳細は不明です。当地にその領地か荘園があったとすれば、「嘉麻」は「賀茂」に由来するものだったかも知れません。
狛犬は肩〜胸のラインや、ウンの小玉を取る前肢の形が朝倉型(垂裕神社大己貴神社など)を彷彿させ、長い牙や耳の形も似ていますが、顔立ちの印象は異なります。全身の筋肉の表現がリアルで、目鼻立ちも丁寧でしっかりした細工です。ヒトミのある大きな目が印象的です。


三宮(さんのみや)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.02
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
熊本風?の狛犬がいました。
(熊本県熊本市龍田1丁目)
狛太郎のひとこと:元弘2(1332)年に創建の古社で、熊本市を横切って流れる白川の治水の守護神です。当初は白川河畔に鎮座していましたが、寛文元(1661)年細川氏の時に、水害を避けて現在地に遷座しました。祭神は肥後国一宮の阿蘇神社の祭神、健磐龍命の義父です。
巻き毛の濃いヒゲや、口中の小さな玉と細かい歯列、ボリュームのある尾など、熊本狛犬の代表的なモチーフの一つです(阿蘇宮河尻神社など)。また陳内阿蘇神社菅原神社のものも、基本的な構成は同じといえそうです。熊本狛犬の基本形が、段々明確になってきました。


磯(いそ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.03
hisaLinさんのコメント:大牟田から、熊本方面に向かって走ったとき、立ち寄りました。
何処から見ても熊本風?の狛犬がいました。
(熊本県玉名市岱明町高道)
狛太郎のひとこと:来歴は不詳ですが、中世以来の当地の氏神です。祭神は海神の綿津見命です。鎮座地は有明海に注ぐ菊池川河口付近で、干拓が行われる以前はほぼ海岸沿いだった場所です。海の恵みと脅威をともに受ける人々にとって、海神への祈りは切実だったでしょう。
狛犬は三宮神社とほぼ同型の熊本狛犬(阿蘇宮河尻神社なども)です。大きな頭部に比べて小さめの体部というのが熊本狛犬の通例で、これも幼児体型の三頭身です。顔立ちの厳つさと体つきの可愛らしさが対照的で、その微妙なバランスが全体像を印象的なものにしています。


菅原(すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.04
hisaLinさんのコメント:神埼駅から大善寺、久留米方面に向けて走ったとき、立ち寄りました。
菅原神社Tの近所の神社で、柳川市出来町の天満神社に見られるような福岡南部地方、熊本よりに見られる狛犬がいました。
(佐賀県神埼市千代田町柳島)
狛太郎のひとこと:柳島は久留米市とは指呼の間にあり、大川・柳川両市ともひとつの生活圏を成しています。筑後川は古くから肥前と筑後の間の自然境界でしたが、相互に越境するような形で藩境が形成されていることからも、双方の交流が密接だったことが推察できます。
このタイプは柳川・大川両市に多く見られ、その特徴から塩田型のバリアントと推察しています。千代田町は昔の蓮池藩だったところで、塩田に飛び地があったため本場の塩田型が多く来ていますが、これなどは進化したバリアントが、当地に逆輸入されたものということになります。


尾崎(おざき)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.05




@





A
hisaLinさんのコメント:金沢旅行に行ったときに、立ち寄りました。
九州では見かけない狛犬と、編かごに入った狐がいました。
(石川県金沢市丸の内5-5)
狛太郎のひとこと:東照大権現(徳川家康)を祀る神社として、寛永20(1643)年に建立されました。ほかに天照大神、加賀藩三代藩主を祀っています。当初は金沢城内に建てられ、北陸日光と呼ばれるほどでしたが、明治になって城が陸軍に接収されたため、現在地に移りました。
@逞しい五体の偉丈夫です。アウンは約束通りに造り分けられており、伝統遵守的です。則ちアは巻毛で垂耳、ウンは直毛で立耳である他、頭上に一角を有しています。また前肢の位置は僅かに交差しています。これらの点は筑後型と共通で、同一モデルの存在がうかがえます。
Aキツネ像は狛犬に比べて画一的なものが多い中、この像には個性が感じられます。尾に宝珠の乗ったデザインは、狛犬では見たことがなく、キツネの場合に時々見られるものです。


万年(はね)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.06
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。
こんな遠いところに筑後型の狛犬がいました。
(大分県玖珠郡玖珠町塚脇)
狛太郎のひとこと:万年山(はねやま)の北麓に鎮座しています。祭神は大山津見命(山の主宰神)をはじめ、高良玉垂命(高良大社祭神)、八幡神、住吉神、武内宿禰命、天之御中主神(妙見神社祭神)など数多く、幾つかの神社が合祀された歴史を物語っていると考えられます。
狛犬は筑後型です。同町の瀧神社@Bも筑後型であり、久留米から遠く離れたこの地に、これだけ筑後型があるのは不思議です。筑後から日田経由で大分か別府に向かう経路上なので、交易的往来の中で、当地に何らかの商業関係が出来て、ここに奉納されたのでしょう。


島田(しまだ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.07



@






A
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。前足の感じが田川系の日吉神社A若八幡神社@を想像させるような狛犬と、もう一対大根川神社を連想するような狛犬がいました。
(大分県中津市島田本町)
狛太郎のひとこと:寛喜元(1229)年藤原頼経(鎌倉幕府第4代将軍)の許諾を得て、京都の貴船神社から勧請創建と伝えられる古社です。頼経この時11歳ということになり信憑性が危ぶまれるところでしたが、調べてみると8歳で将軍位に就いているので、つじつまは合っています。
@前肢と胴部の接続部が、少し前に湾曲しているのはご指摘の通りです。この形には古拙な印象があり、洗練される以前のデザインが踏襲されているのではないかと感じます。狛犬自体は新しそうですが、こうして昔の姿が残されていくことは、ファンにとっては喜ばしいことです。
A中津と宇佐の位置関係からみて、大根川神社のものと同系である可能性は高そうです。
但し大根川狛犬の荒々しい生命感の発露に比べると、こちらの方は幾分おとなしい感じです。
しかし玉の上で逆立ちをする構図は意表をつくもので、面白味は優っているかもしれません。


網田(おうだ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.08
hisaLinさんのコメント:熊本駅から有明海沿いに三角港を通って、八代海沿いに八代駅までサイクリングした時、立ち寄りました。顔立ちは熊本風?ですが、首周辺は天草地方で見るような狛犬(大浦阿蘇神社など)がいました。また、国東半島、宇佐市では良く見かけましたが、熊本では始めてみる石造りの仁王様がいました。
(熊本県宇土市上網田町)
狛太郎のひとこと:天養元(1144)年に阿蘇神社より勧請、という古社です。祭神の健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、神武天皇の皇子の八井耳尊の御子とされますが、実際には肥後で古来崇敬された地元神らしく思われます。妻も阿蘇津比刀iあそつひめ)という地元の女神です。
狛犬は熊本狛犬です。ただ熊本狛犬の特徴と考えていた鼻ヒゲはありませんし、短足でもありません。熊本狛犬にも数種の様式があるはずですが、今のところよく分類できずにいます。今後の課題です。ところで、よく見るとアの尾は直毛、ウンの尾はネジリであり、芸が細かいです。
仁王(金剛力士像)の一対です。狛犬ではありませんが、ずんぐりした親しみやすい体型と、「やあ!」「あれ?」といった感じの仕草が面白いので、掲載させていただきました。声を掛けられたのに相手が思い出せないことが時々あります。困った表情に見えて微笑ましいです。


老松宮(おいまつぐう)

提供者:hisaLinさん
12.02.09




@





A↓
  
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
一対の狛犬と、楼門内に肥前狛犬?がいました。
(福岡県みやま市瀬高町長田)
狛太郎のひとこと:瀬高町を含む旧山門郡は、新井白石以来の邪馬台国の候補地です。「ヤマト」という音通のほか、古くからの米作地帯で当時の経済力が予想されることや、田油津姫(たぶらつひめ)という地方豪族らしき人物の事績が伝えられていることなどが根拠のようです。
@みやま市では似たもののない、独特のフォルムです。しなやかで細長い胴部に長い前肢、小さめの頭部が続いています。佐賀っぽいテイストがありますが、確証はありません。優美な雰囲気を持ちつつも、アウンとも太く鋭い牙を誇示しており、狛犬の機能は十分備えています。
A肥前狛犬の中にも幾つかのタイプがありますが、それが地域差によるものか時代差によるものか、今のところ判然としません。形態で大別すると、頭部の形が丸いかブロック状か、四肢を彫り抜いているかいないか、となりますが、これは二つの特徴とも後者となりります。


宝登山(ほどさん)神社

提供者:tocchiさん
12.02.10




@





A
tocchiさんのコメント:蝋梅を見に行きました・・・。
@宝登山(ほどさん)神社本殿前。哀愁の後姿も写してみました。
A宝登山山頂付近の、宝登山神社「奥の院」前。車があってなかなか上手く写せません・・・
(埼玉県秩父郡長瀞町長瀞)
狛太郎のひとこと:日本初の国産銅の産出に因み、「和銅」と改元されたのは708年のことです。その産地がこの長瀞(ながとろ)でした。当社の創立はそれを遡ること約600年、第12代景行天皇の御代と伝えられています。秩父神社、三峯神社と並び、秩父三社と称されます。
@典型的な江戸型です。太めの体型と曲線的な装飾が相俟って、ゆったりした量感を漂わせています。木彫技法の再現を試行し、この型に結実したものと推察しています。垂れた尾が盤の縁にかかる意匠など、秀逸な発想です。やや肩を落とした大きな背中には、哀愁があります。
A秩父にはオオカミの狛犬が多数存在します。ほんの100年ほど前まで、関東・長野圏で食物連鎖の頂点に君臨した山の王でしたが、今は狛犬でその勇姿を偲ぶばかりです。肋の浮き出た痩身に、いかにも野生の王らしいすごみを感じさせますが、表情は心なしか淋しげです。


松尾大社(まつのお・たいしゃ)

提供者:hisaLinさん
12.02.11
hisaLinさんのコメント:阪急嵐山線、松尾駅近くにあった神社です。
眼つきのきつい狛犬さんが居ました。
(京都府京都市西京区嵐山宮町3)
狛太郎のひとこと:、延喜式の名神大社に列した古社で、渡来人の秦氏の氏神でした。大宝元(701)年に、秦氏が現在地に社殿を造営しました。祭神は山神の大山咋命(おおやまくいのみこと=日吉大社祭神)です。秦氏は酒造技術も伝えたので、酒の神としても崇敬されています。
狛犬は京都らしい装飾性に富む作品です。カールした長髪と太くて複雑な毛筋を刻んだ尾により、豪華さが強調されています。京都では下御霊神社A首途神社など、三重県でも椿大神社などに同様の傾向を見ることができます。また全般に、目つきは鋭いものが多いようです。


須佐(すさ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.12
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。
この辺りに多い、独特の雰囲気を持った狛ちゃんが居ました。
(福岡県田川市伊加利)
狛太郎のひとこと:素盞鳴尊(すさのをのみこと)を祀る社です。尊は天照大神の弟という高貴な身でありながら、素行不良で天上界を追放されてしまいます。「すさ」は「すさまじい」神の意です。しかし追放先の出雲では、「八岐(やまた)のオロチ」退治で一転、ヒーローとなりました。
狛犬はタドンのような目と荒々しい牙を持っており、田川市郡で共通性のある特徴を備えています(恵美須神社春日神社@など)。中でも八幡神社U@日吉神社@に雰囲気がよく似ており、これらとは同系でしょう。極端にデフォルメされた、大きく切れ上がった口角が特徴です。


日吉社(ひよししゃ)

提供者:hisaLinさん
12.02.13
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。
田川地方?と宇佐地方に多いような、ギョロ眼タイプの狛チャンが居ました。
(大分県玖珠郡玖珠町山田)
狛太郎のひとこと:全国日吉神社の総本山は日吉大社であり、山神の大山咋命を祀っています。俗に「山王」とも。比叡(ヒエ)山の神として本来は「ヒエ」神でしたが、「日吉(ヒエ)」と表記したことで音も「ひよし」と変化しました。各地の「日枝神社」はその元の音を伝えるものです。
タドン状の突出した丸い目は、確かに田川市郡域(若八幡神社など)に於ける一般的特徴に似ています。また宇佐地方(大根川神社など)にも類似例があるようです。目の形からは田川型に近いような気がしますが、遠隔地でもあり、関連づけるほどの材料は今のところありません。


八代宮(やつしろぐう)

提供者:hisaLinさん
12.02.14
hisaLinさんのコメント:八代駅から鹿児島本線沿いに、県道14号線を熊本まで走ったとき、立ち寄りました。八代城内にあった神社に、ズングリした熊本風の狛チャンが居ました。
(熊本県八代市松江城町7-34)
狛太郎のひとこと:明治17(1884)年に創建された社で、懐良親王を祀っています。親王は後醍醐天皇の皇子で、政権が二分された南北朝時代(1333〜)にあって、南朝の指導者として一生を闘いの中に過ごしました。活躍の舞台は主に九州で、その墓所はここ八代にあります。
見るからに熊本らしい狛犬です。頭が大きく、対照的に前肢が短いのがこの型の特色です。バランス的にやや不安定さもある構成ですが、角度によってはそれが迫力や動感の源泉ともなっています。数本の沈線の鼻ヒゲもありますし、一目でそれと分かる特徴は鑑賞上も貴重です。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.16




@





A
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
チョッと変わった狛ちゃんが2対居ました。
(福岡県みやま市瀬高町太神)
狛太郎のひとこと:「瀬高」は旧国鉄佐賀線のターミナルとして、佐賀市民にも馴染み深い町名でした。佐賀線は昭和62年には廃止されましたが、その線路跡は自転車道として整備され、筑後川にかかる鉄橋遺産「昇開橋」は、今日では大切な観光名所として親しまれています。
@近隣の柳川市の玉垂宮@など、同じく大川市の高良神社などと同系統であり、旧三潴郡、旧山門郡を含むこの地域に広く分布しているタイプです。比較的長い胴部がしなやかな曲線を描き、それに対して、垂直に屹立する太い尾の力強さが好対照のアクセントとなっています。
A有明海の湾岸交通の視点では、筑後地方は熊本県と一体的なエリアを成しています。そのせいか、この地域には熊本風狛犬も進出してきており、上記玉垂宮Aなどとは同系の天草狛犬です。全体に大きな亀裂が入っていて、素材も同じ柔らかい石質であることが分かります。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.19




@





A
hisaLinさんのコメント:福岡から小郡を通って、500号線沿いにキリンビール工場近くのコスモス園までサイクリングした時、立ち寄りました。
(福岡県小郡市上岩田)
狛太郎のひとこと:祭神は菅原道真と高良玉垂命などです。ところで、当地の地名は「神磐戸(かみいわと)」から変化したものとされています。すると「上」は「神」が変化したものということになりますが、近くに「下岩田」もあるので、この説は少々強引ではないかという気もします。
@立派な筑後型で、耳の造り分けもされています。クローズドスタンスの構えにも、どっしりした重量感が漂っています。ただ歯列は門歯から鋸歯列に変化しています。これは朝倉周辺の筑後型(阿蘇神社@など)に見られる特徴で、伝播のルートを示すサンプルと言えそうです。
Aスリムで素朴な感じの狛犬です。体型や髪形などから、木造狛犬を写したものと推察されます。そしてこれが筑後型のプロトタイプであろうと考えられるものです。時代を降るごとに石造らしい重量感が追求され、現在見るような重厚な筑後型として完成したものと推測しています。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.23
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から八代までサイクリングした時、立ち寄りました。
福岡南部地方に多い、眉毛の濃いおじいさん風?狛犬が居ました。
(熊本県玉名市岱明町下前原)
狛太郎のひとこと:熊野信仰は自然崇拝を基にしたものと考えられ、非常に古い時代に発祥したものであると同時に、熱心な布教活動により全国に熊野神社が勧請されました。東北地方にとりわけ多いとされますが(十二社参照)、九州にも各県に万遍なく分布しています。
庇のような剛毛の眉が最も目を引く特徴で、次に丸い鼻、円らなヒトミなど極めて個性的な顔立ちです。びっしり並んだ細かい歯列は熊本狛犬に一般的な特徴です。福岡県南部に多いというご指摘のとおり、大牟田市(諏訪神社諏訪宮A)など福岡県側にも進出しているようです。


諸岡八幡宮(もろおかはちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.02.24
hisaLinさんのコメント:福岡市内をポタリングした時、立ち寄りました。
福岡市では余り見かけない狛犬さんで、大分風化してたのか修理した後がありました。
(福岡県福岡市博多区諸岡)
狛太郎のひとこと:当社の鎮座地は標高30mの諸岡山の山頂で、福岡平野に浮かぶ微高地と言える場所です。有名な板付遺跡にも近く、当所でも古代の遺物が発見されています。「奴の津」の海外貿易と平野の農業生産力を背景に、古くから人口と文化が集積した地域です。
狛犬はシンプルな造形ながら、胸を張り長い前肢を誇示した力強い像容です。上体が反った姿勢と胸筋の盛り上がりなどは宋風狛犬が意識されているようにも感じられますが、その後継種(光雲神社など)に比べると華美さや威厳を強調せず、親しみやすい風貌に仕上がっています。


青幡(あおはた)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.26
hisaLinさんのコメント:唐津から伊万里を通って、肥前山口駅までサイクリングした時、立ち寄りました。唐津型の勢力範囲内ですが、唐津型とは違う、熊野神社(山本)にチョッと近い雰囲気で、鋭い牙を持った狛ちゃんが居ました。
(佐賀県唐津市相知町佐里)
狛太郎のひとこと:「延徳元(1489)年再建」の棟札を所蔵しており、相当な古社です。松浦党の波多氏の氏神であり、国常立尊などを祀っています。伊万里市に同名神社があり、同じ松浦党関連ではありますが、祭神は異なります。「青幡」は神功皇后の軍旗の色に由来する由です。
狛犬は2対の牙など唐津型の要素を一部持ちながらも、ヒゲや耳の形に塩田型の要素も併せ持ち、さらに蹲踞の形は前後肢の間隔が狭く体が直立している出雲型にも似ていて、色々な様式が合成されているようです。彫刻は丁寧で、目には浅い同心円のヒトミが彫られています。


平原(ひらばら)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.02.27




@





A
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府までサイクリングした時、立ち寄りました。
JR宇部駅付近の山手にあった神社で、参道の上り口付近に玉乗りタイプの狛犬が迎え、拝殿前に下関、北九州地方に多い狛ちゃんが迎えてくれました。
(山口県宇部市際波迫条)
狛太郎のひとこと:宇部市は明治期に宇部炭鉱の開発により、それまでの寒村から炭鉱都市として発展、宇部興産の発祥地となりました。当社は寛和元(985)年に宇佐八幡宮を勧請した古社で、応神天皇などを祀っています。八幡神が光る石となって顕現したという伝承があります。
@尾道型風の大玉を取るスタイルですが、狛犬本体はそれとは異なっています。目つきが鋭く、細身で精悍な尾道型に対して、これはやや太めでヒゲや尾の毛量も多く、より装飾的な造形です。九州ではあまり見かけないタイプであり、「所変われば…」の格言どおりと言えそうです。
A材質や浅い彫りなどが、北九州市周辺で見られるものに似ています。隣県同士なので、類似的な傾向があるのでしょう。九州ではアが玉を噛む意匠が多いのに対して、こちらでは舌を見せているものが多くなります。これもそのひとつであり、地域性が現れていると思います。


鷹見(たかみ)神社

提供者:hisaLinさん
12.02.28




@





A
hisaLinさんのコメント:門司港から遠賀川駅までポタリングした時、立ち寄りました。
折尾駅近くにあった神社に、この辺りに多い狛犬と、風化が激しいですが出雲型と思しき狛犬が居ました。
(福岡県北九州市八幡西区南鷹見)
狛太郎のひとこと:北九州地域に点在する、多くの鷹見神社のうちの一社です。これらは慶雲2(705)年に役行者が熊野から勧請、との伝承を共有しています。また同音の「高見」神社も存在していて、こちらも熊野系の神社です。この地域は熊野信仰の一大センターであったようです。
@北九州的な横広の顔面に、太い眉と大きな目が配されています。これは遠賀郡の浅木神社とほぼ同じものです。この狛犬の最大の特徴は口の形であり、厚い上唇のラインと、牙より外側の唇のラインを段違いにするという離れ業を用いて、迫力のある咆哮の様子を表現しています。
Aほとんど原型を留めていませんが、姿勢や足首の形から出雲型であったことは間違いなさそうです。またここまで激しく風化していること自体が、砂岩で造られた出雲型であることを示唆しています。元の姿の繊細で美しいプロポーションを思うにつけ、宿命とはいえ残念なことです。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.02.29
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
浮腫(むく)んだ感じの狛ちゃんが居ました。
(福岡県宗像市稲元)
狛太郎のひとこと:縄文時代にはこの稲元辺りまで海が広がっていたようです。いわゆる縄文海進です。弥生時代に陸地化して、生活遺跡が出現しています。稲元は宗像大社の根本神領とされており、大社の発生や進展と密接に関連していると思われるため、興味深い土地です。
吊り上がった眉と目を中心部に極端に寄せた配置や、口角の上がった口の形、平板な顔面の構成など、狛犬としては非常に特異な顔立ちです。この大胆なデフォルメにも拘わらず、そこから受ける印象は溌剌としており明朗です。肥満体の力士のような人間らしさを感じます。


松屋(まつや)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.03.01




@





A
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府まで走った時立ち寄りました。
近くに海上自衛隊の基地(小月航空基地)がありました。
下関地方に多い、2対の狛犬さんが居ました。
(山口県下関市松屋上町1-3-25)
狛太郎のひとこと:伝承によれば、貞観2(860)年に宇佐八幡宮から勧請された由です。歴史的事実に基づく由緒は詳細不明だそうですが、鳥居と石段がそれぞれ享保14(1729)年、明和6(1769)年の造営なので、少なくとも江戸前期には鎮座していたことになります。
@アの顔面は大きく破損していて残念な状態ですが、その他の部分及びウンの状態を見ますと、曲面を多用した滑らかな体つきや、柔らかくカールした髪など、非常に丁寧に造られていることがわかります。また五体のバランスも良く、熟達した石工の手になるものであるようです。
A扁平な頭部と横広な顔立ちは、北九州に多いデザインに似ています。またアは玉を噛んでおり、その点も九州的です。ヒトミのある大きくて丸い目が魅力的です。ところで、@とAの作風は全く違いますが、足指の形がそっくりであり、同じ地域的伝統を共有しているようにも見えます。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.03
hisaLinさんのコメント:島原半島を一周サイクリングした時、立ち寄りました。
雲仙温泉街に入る手前にあった神社で、社殿はありませんでしたが、灯篭の上に彫りのしっかりした小さな狛チャンが居ました。
(長崎県雲仙市小浜町北野)
狛太郎のひとこと:肥前風土記(8世紀前半)に、「高来峯(たかくのみね)から温泉が見える」と記されているのがこの小浜温泉とされ、相当古い時代から知られた温泉郷です。橘湾に面した集落に多くの温泉施設が軒を連ねています。「高来峯」とは普賢岳を主峰とする雲仙岳です。
燈籠の笠石には宝珠を置くのが基本ですが、こうして狛犬を置くことも珍しくありません。しかしこの狭い足場に狛犬を置くためには、小型化が要求されます。この小さくなりすぎる欠点を打開するため倒立・直立という構図も創案されましたが、これは蹲踞のままでうまく収まっています。


老松(おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.04




@





A
hisaLinさんのコメント:386号線を走ったとき立ち寄りました。
筑後型の狛犬2対が居ました。
(福岡県朝倉市古毛)
狛太郎のひとこと:筑紫平野も東端に近い内陸部で、峠を超えれば大分県日田市です。筑後川沿いに鎮座しており、主祭神菅原道真のほかに水神の罔象女(みずはのめ)が祀られています。秋月大蔵氏が菅原大神を勧請とあり、平安から鎌倉時代にかけてのことと思われます。
いずれも筑後型で、耳の造り分け、スクエアでない足位置、アンクレット風の飾り毛など、基本形の要素が順守されています。ただ@は歯列が鋸歯列であること、細かい毛筋を施していることなど、朝倉地域で独自に付加された様式を備えています。Aは典型例そのものと言える造形で、写真では判然とはしませんが、髪型(直毛・巻毛)も造り分けられているように見えます。


吉部田(きべた)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.03.06
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府までサイクリングした時、立ち寄りました。
190号線沿いにあった神社で、この辺りまで、下関辺りで見かける狛犬が居ました。
(山口県山陽小野田市大字郡3451)
狛太郎のひとこと:寛弘2(1005)年に宇佐八幡宮より勧請と伝えられる古社です。室町〜戦国期に至っても、大内氏や毛利氏から寄進を受けた記録がある地方の名社でした。当時は地名としては「木部田」と表記したようですが、社名としては好字を用いて「吉部田」と表したようです。
突出した丸い目と笑ったような口の形に素朴さと親しみやすさを感じますが、さり気なく鼻ヒゲが描かれていたり、長く延びる柔らかそうな毛並みの美しさなど、装飾性も十分備えています。固そうな石なのに、これだけ柔らかく陰影のある彫刻を施すには、石工の腕も良かったはずです。


三島(みしま)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.10




@





A
hisaLinさんのコメント:柳川から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
この一帯は三島神社が多い地域なのでしょうか、至る所にありました。
その中の一つの神社の楼門内に肥前狛犬と、地元産の出雲式のスタイルでアウンの耳を作り分け、前足辺りに牡丹?の花をあしらった狛犬が居ました。
(福岡県三潴郡大木町三八松539)
狛太郎のひとこと:全国の三島神社は、伊予の大山祇神社か伊豆の三嶋大社のどちらかを総本社とします。両社とも同じ大山祇命を祀っており、そもそもどちらが本家なのかも不詳という不思議な関係です。当社の場合は、領主の蒲池氏が伊豆から勧請したと伝えられています。
@福岡筑後地方には肥前狛犬が数多く伝播しています。中でもこれは、佐賀産純正肥前狛犬と思しき作品です。肥前狛犬には頭部が丸いもの(三島神社)とブロック状のもの(熊野神社)がありますが、これは筑後地区では数少ない後者の例です。保存状態も良く、見事です。
A出雲式の勇壮なスタイルには各地の石工が触発されたらしく、これを模した作品は随所に見られます。しかしそっくり同じに作った例はほとんどなく、あくまで自分の作風は固守しながらの試行的作品です。この狛犬もそうしたものの一つで、むしろ地元らしさが強く出ています。


諏訪(すわ)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.14




@





A
hisaLinさんのコメント:瀬高から久留米まで走った時、立ち寄りました。
羽犬塚駅の近くにあった神社ですが、この辺りで遭遇する筑後型混じりの狛犬と、
田川周辺?で見かける狛犬がいました。
(福岡県筑後市山ノ井)
狛太郎のひとこと:筑後市は筑後平野のほぼ中央に位置しており、明治以来合併を重ねて、昭和29年に誕生しました。山ノ井とは一般には山中の湧水地を指しますが、当地は広い平野の中にあるのでちょっと不思議な地名です。諏訪神社の祭神は、出雲系の建御名方命神です。
@の狛犬はご指摘の通り、筑後型の要素を多分に持っています。体つき、尾の形、足首の飾り毛などがそれです。またウンだけが立派な宝珠を頭上に頂いていて、アウンが造り分けられている点もその感を強くします。筑後型のプロトタイプか派生型であろうと想像されます。
Aは顎ヒゲや尾に非常に丁寧な毛筋が付けられており、造り手の几帳面さと熟練した腕前をうかがわせます。しかし全体のバランスという点ではやや問題もあり、特に前肢の極端な短足ぶりには苦笑させられます。気取りのない顔立ちと併せ、古拙さを保った作品らしく思われます。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.03.15
hisaLinさんのコメント:神埼駅から大善寺、久留米方面に向けて走ったとき、立ち寄りました。
こんなに遠い所ですが、玉名市の熊野座神社、柳川市の玉垂宮Aと同じルーツじゃないかと思われる狛犬がいました。
(佐賀県神埼市千代田町迎島)
狛太郎のひとこと:迎島は千代田町の中でも東端にあたり、福岡県旧城島町(現久留米市)とは筑後川を挟んで隣接しています。藩は違っても彼我の生活圏は一体的だったと想像でき、現に佐賀らしい狛犬をかの地で容易に発見することができます(天満宮@大己貴神社など)。
狛犬はご指摘の神社のほか、天草市の御領神社大浦阿蘇神社(中段)や八代市の印鑰神社などとも同類です。すなわち有明海東岸に広く流布した様式で、天草がルーツと目される一群です。これが筑後川を超えて佐賀県にも来ていたわけで、目下のところ佐賀では新発見です。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.03.16
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から有田経由で佐賀駅まで走った時、立ち寄りました。
牙が一際目立つ狛犬さんがいました。
(佐賀県武雄市山内町大野)
狛太郎のひとこと:山内町は06年の合併で武雄市の一部になった町で、山に囲まれた農業主体の盆地です。有田町に近いため陶業も盛んで、中小の窯元が数多く立地しています。佐賀県の代表的伝承芸能に「浮立(ふりゅう)」がありますが、当社でも毎年奉納されています。
狛犬は長大な上下の牙を持ち、さらにアは口中に玉を噛んでいます。この複雑な細工によって、石工の腕前が尋常でないことを誇示しているかのようです。吊り上がった鋭い目や、顔つき体つきの特徴によって、唐津型である可能性が高そうですが、典型的とまでは言えません。


八剣(やつるぎ)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.18
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。
遠賀川沿いにある神社に、この辺りで見かける狛犬がいました。
(福岡県遠賀郡水巻町立屋敷)
狛太郎のひとこと:八剣神社は全国に同名神社があり、九州では福岡県北部に多いです。剣と言えば「草薙の剣」が想起されるのであり、祭神は剣の関係者の日本武尊、素盞鳴尊、大国主命などとなっています。当社の場合は、日本武尊と地元の砧姫の悲恋が伝えられています。
狛犬は浅木神社Aと同類で、丸く見開いた目、太い牙、全身の筋肉の表現などに共通性があります。扁平な頭頂部や頭部を覆うような耳の形などは、北九州の全般的特徴でもあります。各パーツは一つ一つ丁寧に造られていて、見た目よりずっとデリケートな作品といえます。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.19
hisaLinさんのコメント:糸島地方をポタリングした時、立ち寄りました。
顔の大きい3頭身の狛犬がいました。
(福岡県糸島市篠原東)
狛太郎のひとこと:合併前の旧前原市は魏志倭人伝の「伊都(いと)国」、旧志摩町は同「斯馬(しま)国」と目されています。倭人伝は3世紀頃の日本の姿を記録したものであり、「糸島(いと・しま)」は相当古い起源を持つ地名です。豊富な遺跡・遺物もそのことを裏付けています。
狛犬は一見、この地域で優勢な前原型(宝満宮など)に似た感じを受けます。石質をはじめ、小さくつぶらな目、玉を取る足の位置、爪の形などがそうです。しかし全体としてそれらとは異質なものも感じられ、特に耳の形が全く違います。人相や体型は佐賀狛犬に近いかも知れません。


八幡鶴市(はちまん・つるいち)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.20
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。山国川沿いにあった神社に、本物らしき出雲式の狛犬がいました。
(大分県中津市相原)
狛太郎のひとこと:推古天皇時創建と伝える古社です。『鶴市花傘鉾祭』は、保元元(1156)年に山国川の治水のために堰を築く際、人柱になった鶴と市太郎母子の慰霊として始まったとされ、社名もこれに由来します。今は穏やかな山国川にも、そんな悲話が残されています。
狛犬は本場ものらしき出雲式です。寿命100年未満とされる来待砂岩製の出雲狛犬ですが、この作品は繊細な彫刻や悠然たる相貌を欠けるところなく保っています。大分県にはなぜか、九州他県に比べて出雲狛犬(若宮八幡宮A産土神社山神社など)が多く見受けられます。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.24
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。鷹羽ロイヤルゴルフ場の近所にあった神社に、宇佐市の柁鼻神社@、築城町の綱敷天満宮@A、また狛犬の角度で違うように見えますが、宮若市の興玉神社の狛犬さん似の狛ちゃんがいました。
(福岡県田川郡大任町大行事)
狛太郎のひとこと:大任町の名は、大行事村と今任原村の合併による合成地名です。一方の今任原村自体が今任村+桑原村の合成地名でしたが、他方の大行事村は、明治初年の7村合併の際に新しくつけられた新地名です。なお「大行事」とは、仏教に関する用語のようです。
ご指摘の2社とは、同じ作者か工房のようです。ヒトミのある独特な目の表現から、上腕と下腕の境の段差までそっくりです。本件とこの2社は共にかつての豊前国にあり、同じ狛犬文化圏にあると理解できます。興玉神社は写真では分かりにくいですが、似ているかも知れません。


御霊(ごりょう)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.26




@





A
hisaLinさんのコメント:柳川から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
@同じ地域のせいでしょうか?筑後市の琴平神社@の狛犬に良く似た狛ちゃんと、
Aもう1対、全然様相が違う狛犬がいました。
(福岡県筑後市井田)
狛太郎のひとこと:祭神は桓武天皇(8世紀)の弟の早良親王と、桓武の子の伊予親王です。
どちらも冤罪により非業の最期を遂げた人物で、のちに異変が続いたため御霊を鎮めるために祀られました。後年二人とも名誉回復され、早良親王には「崇道天皇」の諡号が贈られました。
@筑後型のプロトタイプと目される型ですが、製作年不明のものが多く、時代考証ができていません。ですから筑後型からの派生型の可能性も残されています。ただ、全体的に素朴な印象を受けることから、先行的なモデルである可能性の方がかなり高いと思っています。
A大川・柳川地域で見られるものに似ているように思います(太刀帯神社など)。佐賀狛犬のテイストが感じられるタイプで、もしそうなら塩田型あたりが元になっているような気がします。


広門(ひろかど)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.28
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
佐賀県に多いポーズで、顔立ちは柳川?
久留米地方に多い、ミックスしたような狛ちゃんがいました。
(福岡県久留米市城島町下青木)
狛太郎のひとこと:九州戦国武将の筑紫広門を祀っています。筑紫氏は旧御笠郡(大宰府・大野城地域)の筑紫村が発祥の地とされます。広門は転変目まぐるしい大友・島津・龍造寺の3氏鼎立の時代を経て、秀吉の朝鮮出兵や関ヶ原も経験、波瀾に富んだ生涯を過ごしました。
狛犬は耳の造り分けなどに筑後型の影響をうかがわせつつ、岩に前足を掛ける砥川型特有の構図を踏襲しています。どちらがベースとも言い切れない、県境の町らしい折衷的なデザインというべきものです。この方向性が承継されていたら、珍しい様式に発達したかもしれません。


山神(やまがみ)神社

提供者:hisaLinさん
12.03.31
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。小川内橋辺りにあった神社に、田川地方?玖珠町?に多いギョロ眼が印象的な狛犬さんが、いました。
(大分県中津市耶馬溪町栃木)
狛太郎のひとこと:山の神に対する信仰の起源は、極めて古い時代に遡ります。農業との関連では、春に山の神が降りてきて稲作を守護し、秋の収穫後に山に帰るとされます。稲作の成否を司る神の住処が、農地の彼方の山と考えることは、実に自然で素直に共感できるものです。
田川市の若八幡神社をはるかに凌駕し、玖珠町の八坂神社に匹敵するギョロ目ぶりです。しかもこれらのタドン目と比べると、目にはっきりした輪郭が描かれており、眼球の曲面も滑らかでデザイン的に洗練されています。下の歯を敢えて疎らにして、迫力を出す意図もうかがわれます。


四社(ししゃ)宮

提供者:hisaLinさん
12.04.01
hisaLinさんのコメント:福岡市の東区、志賀島周辺をボタリングした時、立ち寄りました。
大きい口の狛ちゃんがいました。
(福岡県福岡市東区塩浜一丁目)
狛太郎のひとこと:塩浜の地名は、かつてここが塩田であったことによります。四社宮はその塩田の守護神でした。四社とは、神功皇后、志賀神、住吉神、塩土翁(しおつちのおじ)の4柱を意味します。塩土翁は海神で、日本神話では天孫に知恵を授ける老人の姿で語られます。
狛犬は大きな口と横幅の広い顔が独特です。ウンは目をやや細め、口角も上がって笑っているかのようです。一方、尾の毛筋は非常に緻密で、指や爪、ヒゲ、歯に至るまでしっかり細工が施されていて、表情のユーモラスな印象とは裏腹に、生真面目な仕事ぶりに目を奪われます。


須賀(すが)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.02
hisaLinさんのコメント:赤間宿祭りを観に行った時、立ち寄りました。
場所がら近いのか、古賀市の古賀神社の狛チャン似の狛犬がいました。
(福岡県宗像市赤間)
狛太郎のひとこと:赤間宿は、小倉から唐津に至る「唐津街道」における、「筑前21宿」の一つです。街道は参勤交替のために整備され、大名が宿泊する本陣や家臣のための脇本陣も備えていました。当時は旅館や商家が建ち並び、現在もその面影をよく残しているとされます。
狛犬は古賀神社のものに良く似ていますね。目、眉、顎ヒゲの形などのほか、ざっくりとした尾の意匠もそっくりです。こちらはウンが玉取りという違いはあるものの、同じ石工か同一工房の作品と見てよさそうです。古賀神社のものも、本来はアが玉を噛んでいたのかも知れません。


天降(あまおり)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.04
hisaLinさんのコメント:糸島半島をぶらりポタリングした時、立ち寄りました。
場所がらか、糸島地方に多い狛犬が混じった狛ちゃんがいました。
(福岡県福岡市西区田尻)
狛太郎のひとこと:当サイト中に、糸島市に2社の「あめふり」神社と、古賀市と田川郡川崎町に1社ずつの「あまふり」神社があります。加えて当社は「あまおり」神社ですが、表記はいずれも「天降」です。邇邇杵命(ににぎのみこと)の「天降り(あまくだり)」が共通のモチーフです。
ウンの玉取りや装飾的な尾などに、前原型(井田原神社志自岐神社など)の要素が見られます。ウンが玉を取る様子や装飾的な尾などがそうですが、全体的な像容、特に顔立ちは異なっています。前原型の発祥地(糸島市)に近いので、その影響を受けているのは確かなようです。


八野屋(やつのお)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.16




@





A→

←石祠全体
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から平戸を廻って、佐世保駅までサイクリングに行ったとき、立ち寄りました。調川駅近くにあった神社で、階段を上がった所に柳川市の熊野神社、多久市の若宮八幡神社、金沢市の大野湊神社Dの狛ちゃん似の狛チャンが、海を眺めていました。
また、摂社の中に隠れるように、相方のいない狛ちゃんがいました。
(長崎県松浦市調川町下免)
狛太郎のひとこと:調川(つきのかわ)は難読地名の一つですが、律令時代の税制である租庸調と関係があるかも知れません。すなわち調(つき、みつぎ)です。当社名の八野尾もいわくありげな名なのに、由来は不明でした。実は祭神さえも分からないそうで、謎めいた存在です。
@立派な肥前狛犬です。ご指摘の神社ほか、三日月町の場所非公開Vとも同類です。前後肢を接着して強度を保つ工夫や、アの開口部が明瞭である点、耳を造り分けているように見える点など、このタイプとしては技巧的です。顔面の皺状の装飾は、湊厄神社Cに似ています。
A小型の狛犬です。この場所は本来の居場所ではなく、相方を失ってここに保護されているものでしょう。台座の位置からみて、元々直立型として造られたもののようです。燈籠狛犬だったかも知れません。ところで石祠の扉が本来のものだとすると、片開きの扉はかなり珍しいです。


岡田(おかだ)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.21




@





A
hisaLinさんのコメント:門司港から水巻駅までサイクリングした時、立ち寄りました。黒崎駅近くにある岡田公園の近くにあった神社に、容姿の違うこの辺りで見かける狛犬が二対いました。
(福岡県北九州市八幡西区岡田町)
狛太郎のひとこと:かつて崗(おか)と呼ばれていた遠賀(おんが)郡の支配者・熊族が、祖先神を祀ったのが創祀とされます。のち神武天皇が東征の途次逗留したという、「岡田宮」の候補地でもあります。名称などに類似性のある岡湊神社とは、何らかの関係があるかもしれません。
@北九州らしさのある狛犬ですが、顔立ちや姿勢には独自の特徴があります。小鼻が大きく、口元と口吻の形は熊を思わせます。ウンは一角を有しています。アが前肢で何かを踏んでいるようにも見えますが、玉にしては形がいびつです。狛犬としての系統はよく分かりません。
A眉と耳のラインがヘルメットを被ったように見える点や、細めの牙の上下が繋がっている構造などが北九州的です。ウンは小玉を踏んでおり、その玉を加えた右肢の長さと、反対側の肢が同じ長さなのは不自然ではあるのですが、そんなことにとらわれない大らかさが良いです。


宮地嶽(みやじだけ)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.23
hisaLinさんのコメント:糸島市周辺をポタリングしたとき、立ち寄りました。
陶器製でしたが、この辺りで見かける糸島型の狛ちゃんがいました。
(福岡県糸島市東)
狛太郎のひとこと:宮地嶽神社の総本社は福津市にあり、神功皇后を祀っています。当社の祭神は宗像神であるらしいので、本社とは別の所伝があるのかも知れません。当地は倭人伝の「伊都国」であり、「帯方郡の使者は常にここに留まる」と記された交通の一大拠点でした。
狛犬は典型的な前原型(糸島型)といえるものです。やや離れ気味の円らな目が愛らしく、横に張り出す尖った耳は、耐久性を犠牲にしてまで美観を優先する意図と思われ、作者の並々ならぬ意気込みが感じられます。眉と眉の間の経巻渦が、おしゃれなワンポイントになっています。


窪田阿蘇(くぼた・あそ)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.25
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
いかにも熊本出身です!と言いたげな狛ちゃんがいました。
(熊本県菊池郡大津町町)
狛太郎のひとこと:”大津町町”は「大津町大字町(まち)」であり、誤記ではありません。人が集住したから「町」という地名になりました。佐賀県にもこれに似た「大町町(おおまちちょう)」があります。また唐津市湊町の字は「浜」と「岡」の2つであり、のどかな昔話のような地名です。
狛犬はどこから見ても熊本狛犬です。眉やヒゲが濃く男らしい風貌である一方、非常に短足である点が、見るたびに微笑ましい感じがします。びっしり並んだ鋸歯列も熊本狛犬の特徴です。短い足をカバーするかのように、ぐっと反らした胸が勇ましく、「頑張っている」という風情です。


三島宮(みしまぐう)

提供者:hisaLinさん
12.04.26
hisaLinさんのコメント:柳川駅から久留米まで走った時、立ち寄りました。
千代田町の菅原神社の狛犬似の、芸術性高い狛犬がいました。
(福岡県三潴郡大木町三八松)
狛太郎のひとこと:全国三島神社の本社は、伊豆三嶋大社説と伊予大山祇神社説がありますが、筑後地方の三島神社は前者から、当地の領主蒲池氏が勧請しました。蒲池氏の祖は元々鎌倉武士であったらしいので、伊豆三嶋大社への信仰を持っていたのではないでしょうか。
狛犬は塩田型のうち最も華やかなタイプで、ボタンの花や葉の浮き彫りが見るからにゴージャスです。このタイプは菅原神社のほか、物部神社にもあります。ただそれらとは@目の形Aまばらな歯列B省略的な尾の毛筋などの違いがあり、それらを模した写しの可能性もあります。


中津(なかつ)神社

提供者:hisaLinさん
12.04.29
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。ちょうど祭りの時期で、神輿が中津城の近くの公園に集まって、中津神社に奉納の行事があってました。その神社に、瞳を持つ狛犬がいました。
(大分県中津市中津)
狛太郎のひとこと:明治13(1880)年に、大江八幡宮分霊などを合祀して創建されました。その大江八幡宮は宇佐神宮からの勧請ですから、いわば神宮の「孫」という関係です。当社では毎年、「上祇園」が行われているそうなので、祭神の中に素盞鳴尊が含まれているのでしょう。
狛犬は笑ったような顔立ちとは裏腹に、ヒトミのある目は眼光が鋭く、真っ直ぐにこちらを見つめています。金富神社@綱敷天満宮@Aとは別種ながら、同じように力のある眼差しです。ヒトミを穿つとリアルになり過ぎるようにも思いますが、一定の効果があることは確かなようです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.04.30
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米方面までポタリングした時、立ち寄りました。
柳川地方でよく見かける狛犬がいました。
(佐賀県三養基郡みやき町東津)
狛太郎のひとこと:佐賀と福岡の県境となっている筑後川ですが、完全に川によって区分されているわけでもありません。歴史的な経緯から、相互に越境する形で相手側に入り込んでいる土地もあり、この東津に隣接しているのは、福岡側から佐賀県内に延びる久留米市城島町です。
狛犬は柳川市の三柱神社天満宮などに似ています。佐賀県東部と福岡筑後地方は隣接しているため、狛犬文化も結構交雑しています。肥前狛犬が筑後地方で多く見られ、逆に佐賀県東部では筑後型が普及しています。ただし、このタイプを佐賀県側で見るのは初めてです。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.03




@





A
hisaLinさんのコメント:耳納連山沿いの151号線を、うきは市方面に走ったとき立ち寄りました。
ちょうど道路沿いにある神社に、ちょっと容姿の異なる筑後型が2対いました。
(福岡県久留米市田主丸町森部)
狛太郎のひとこと:耳納山地北麓には古墳が多数造られており、5〜6世紀のこの地域が豊かな生産力を背景として早くから発展していたことを物語っています。当地には森部平原古墳群(70基)が集積しており、山河の恵みを受けた人々の定住の歴史を垣間見ることができます。
@剛直さが持ち味の筑後型の中では比較的装飾性を意識したタイプで、口回りに剛毛を蓄えているのは、弓立神社@AC三春天満宮Bなどに類例があります。また、歯列が鋸歯列であるのは、朝倉地方(阿蘇神社@松峡神社)など、筑後平野の縁辺部で多く見られるものです。
Aほぼ典型例の筑後型です。ざっくりした髪の表現で、毛筋は省略されています。写真では明瞭ではありませんが、耳は垂耳・立耳、髪も巻毛・直毛に造り分けられているように見えます。
目が幾分突出しすぎていて、本来の深い眼窩からの凄味ある眼光には少し欠けるようです。


武蔵御嶽(むさし・みたけ)神社

提供者:tocchiさん
12.05.04



@
正面




A
本殿前




B
神明社




C
常盤堅磐社




D
大口真神社

tocchiさんのコメント:“武蔵御嶽神社”に行って来ました!
以前に一度訪れた際に、『とても立派な狛犬(?)』と記憶していまして、その時にカメラを持っていなかったので、もう一度行きたかったのです・・・
@芸術的な佇まい。北村西望作とのこと。
A本殿。こちらは中まで入れなくて隙間から写しました。“狼”ですね〜!
B末社神明社。こちらは顔が独特(?)。“狼”ではなく、現在の“犬”がモデル???
C末社常磐堅磐社。こちらは年期が入っている感じです・・・。ちょっと“ずんぐり”
D末社大口真神社。顔が怖いです!犬(?)狼(?)・・・狐のような!?
(東京都青梅市御岳山)
狛太郎のひとこと:関東平野の西端付近、御岳山(929m)山頂に鎮座し、主祭神・櫛麻智命(くしまちのみこと)のほか、大国主命などを祀っています。創祀は不詳ですが、第10代崇神天皇の時(史実ならBC1)と伝える古社で、延喜式内の大麻止乃豆乃天神社の論社の一つです。
@堂々たるブロンズ製で、均整の取れた体型には気品があり、北村西望の名が取り沙汰されるのも無理はありません。耳と尾は造り分けられており、「獅子と狛犬」という本来の組合せが意識された造形です。なお西望は、長崎平和祈念像の作者としても知られる彫刻の大家です。
Aこれもブロンズのようですが、まさしく「狼」です。痩せた体に大きな耳、細い尾など、ほんの100年前までこのあたりの山の王だった、「ニホンオオカミ」の姿を写実的に表しています。
B顔立ちは独特ながら、アウンの別があり、耳も造り分けられているところから、狛犬であることは確かなようです。あるいは@を参考にして、石でそれを写したもののようにも見えます。
C古そうな狛犬です。洗練された江戸型に比べるといかにも無骨で、顔立ちも古風です。顔立ちは三圍神社の(上段)、体つきは同(下段)に似ており、いずれにしても18世紀的です。
D大口真神とはオオカミの神格化ですから、それを祀る社の神使としては狼がふさわしいのですが、キツネっぽくも見えます。ただ尾がキツネ風ではないので、やはり狼なのでしょう。


千尋衣(ちひろぎ)神社

提供者:TAKOさん
12.05.10
TAKOさんのコメント:地元産の出雲型蹲踞。石工、奉納年なし。
この辺りでは、出雲型の人気があるようです。
本殿左の戸袋を拡大しました。瓦の紋も卍です。寺が神社に変身したような感じがしました。
(徳島県三好市池田町州津滝端)
狛太郎のひとこと:明治期に神仏混淆を廃し、神社として存続することを選択したものの、施設は往時のままという例です。祭神の棚幡姫(たなばたひめ)は日本古来の織神ですが、中国の七夕行事や牽牛織女の伝説などが習合して、一種ロマンチックな信仰形態が形成されました。
狛犬は出雲型風の地元産です。姿勢やカールした髪の房などにその影響がうかがわれますが、伸びやかで重量感と威厳のある原モデルに対して、本作品はやや幼児体型で可愛らしく、浪花型にも近い印象です。アが小玉を噛む点など、同町丸山神社と共通な作風です。


石清水(いわしみず)八幡宮

提供者:ishizakiさん
12.05.12
ishizakiさんのコメント:今年初めての狛犬。
場所は、東かがわ市、五名(ごみょう)ダムから東へ少しのところです。
(香川県東かがわ市入野山)
狛太郎のひとこと:五名ダムのある湊川は讃岐山地に源を発して東進し、瀬戸内海に注いでいます。この川沿いの狭隘な平地に当社は鎮座しています。京都石清水八幡宮が「男山」に鎮座するのに対し、当社の近くには「女体山」がそびえており、偶然にせよ何かしら意味ありげです。
狛犬は上体のがっしりした造りで、髪や尾の装飾性が畿内風にも見えます。体つきに比べて小さめの盤が、対比的に狛犬を雄大に見せており、この技法も京都などでしばしば見られるものです。ただ全体像として畿内風であるとは断言できず、当地独特の作風なのかも知れません。


八幡(はちまん)神社

提供者:tocchiさん
12.05.13
tocchiさんのコメント:近所の東京都東大和市“八幡神社”に行って来ました。“東大和市狭山緑地”というところがありまして、目的なく(カメラを持って)歩いていたら、たどり着きました。
(東京都東大和市奈良橋1-256)
狛太郎のひとこと:天正18(1575)年徳川家康の江戸入府に伴い、譜代の家臣たちも江戸各地に配属されます。狭山丘陵周辺では、石川太郎左衛門が奈良橋村の領主として着任しました。
この石川氏が当社の運営に深くに関与していたことを、史書などから窺い知ることができます。
子取り玉取りのモチーフをはじめ、ヒゲ、眉、尾など基本的な造作は紛れもなく江戸型なのですが、伝統的江戸型とは微妙に異なった印象を受けます。玉が真球でないこと、尾のレリーフが浅く立体感に乏しいこと、長すぎる爪などが原因で、あるいは外国産かとも見える造りです。


神明社(しんめいしゃ)

提供者:tocchiさん
12.05.14
tocchiさんのコメント:年中利用する新青梅街道通り沿いにありまして、カメラを載せていたので寄り道・・・。昭和61(1986)年とあり、新しい狛犬さんでした。
(武蔵村山市中央2-125-1)
狛太郎のひとこと:神明社の祭神は天照大神で、本社は伊勢の神宮です。天皇家の祖廟なので分霊授与など本来あり得なさそうですが、意外にも各地に存在しています(佐賀の伊勢神社など)。当社は延享4(1747)年の古文書に既に記載がある由なので、創祀はそれ以前です。
狛犬は現代岡崎型です。画一的・工業製品的であるとして、愛好家受けは良くありません。
個性のなさや、尾がおざなりで貧弱な点などがその理由です。ただこの狛犬は目つき、鼻の形、上唇付近の膨らみなど、江戸型の面影が幾分うかがえる点、個性はあるといえそうです。


花園(はなぞの)神社

提供者:tocchiさん
12.05.15




@



A








B
tocchiさんのコメント:
@先ずは、大鳥居の手前の一対。高さも高いところに鎮座した、大き目の狛犬さん。
 繁華街の神社を守っているようでした・・・。
A末社・威徳稲荷神社。お稲荷さんですが、子狐が甘えてる(?)ように張り付いている様子が
 かわいらしかったので、写してみました。しかし、大きな修復の痕あり・・・。
B新宿区有形文化財の唐獅子。金網が!!!残念です、しょうがないのかな?
(東京都新宿区新宿5-17-3)
狛太郎のひとこと:当社由緒によると、家康江戸入府(1590)以前に大和吉野山から勧請とあります。甲州街道の宿場として「内藤新宿」が開設されたのは元禄12(1699)年ですから、勧請当時はまだ旅人が通過するだけの寒村だったことでしょう。今の新宿からは想像もつきません。
@約束通りの江戸型です。アは子取り、ウンは玉取りで、玉にも細かい彫刻が施されています。風になびく柔らかい毛筋、横に垂れて盤にかかる豊かな尾など、石という素材の持つ制約を開放した高度な技術と発想が、この型には集約されていると言っても過言ではありません。
A稲荷神はその名を倉稲魂(うかのみたま)と言って、食物の神です。稲荷神の神使はキツネであるとされるので、キツネ像が置かれています。大抵は恐い顔をしているのですが、当社のキツネは子狐を慈しむような穏やかな顔立ちです。また体つきや尾もしなやかで慈母のようです。
B文政4(1821)年の銅製「唐獅子」と紹介されています。アの頭上には「宝珠」、ウンの頭上には一角を有しています。開口の唐獅子と閉口の狛犬という伝統的な組合せです。平安期には獅子と狛犬は体つきも違っていましたが、次第にどちらも「獅子」形に造るようになりました。


九体(きゅうたい/くたい)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.16




@





A
hisaLinさんのコメント:大牟田から久留米まで走った時、立ち寄りました。
筑後風1対と、熊本風の狛ちゃんが1対いました。
(福岡県みやま市高田町岩津)
狛太郎のひとこと:祭神は斯礼賀志命など9柱の神で、社名の九体もこれに因んでいます。彼らは高良大社の祭神「玉垂命」の親族たちです。玉垂命自身「記紀」に記載のない神で、その子となれば一層馴染みは薄いのですが、地方の雄として今日まで大切に祀られているのです。
@中心地の久留米から遠ざかるにつれ、幾分変化を遂げた筑後型の例です。このタイプ(歯列が鋸歯列)は久留米から見て外縁部にあたる朝倉周辺に多く(松峡神社阿蘇神社など)、熊本狛犬や佐賀狛犬の影響が顕著な筑後南部方面ではあまり見かけないような気がします。
A熊本県境に近いという地域柄からも、熊本狛犬そのものと思われます。口幅一杯に、小さめの鋸歯が規則正しく並んでいるのが特徴の一つです。また、天草狛犬(御領神社など)に典型的に見られるように、髪と一体となって首を取り巻くヒゲなども、共通の特徴と言えます。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.19




@





A





B
hisaLinさんのコメント:唐津駅から鹿島までサイクリングした時、立ち寄りました。神社は村田英雄記念館の近所にあり、唐津型の狛犬さんのほか、2対の狛犬さんがいました。
(佐賀県唐津市 相知町相知)
狛太郎のひとこと:大正4年の相知郷土誌には、「相知村相知宿の中央高地に在り。眺望佳なり」と記されています。高い石段上に、山を削平して鎮座しています。享保4(1719)年、波多壱岐守が勧請しました。山に囲まれた相知では、山岳宗教系の信仰が盛んだったようです。
@アは唐津型ですが、ウンは印象が異なるものです。台座年銘は共に大正2年ではあるものの、アとウンでは別の石工の銘があります。共作の可能性もあるにはありますが、体勢は勿論、盤の意匠も違っていて、ここまで作風が違うと、本来の一対ではないのかも知れません。
A焼き物の狛犬です。塑像らしい自由で精密な彫刻が施されており、石では表現できない味わいがあります。顔立ちなどは「唐津くんち」で曳かれる「金獅子」や「赤獅子」に似ており、一般的に知られる獅子舞のものとも共通性があります。「獅子」の標準型とも言えるものです。
B比較的小型の狛犬です。尖った舌先が上顎に付く意匠や、扇状に近い尾の形などは佐賀県内の伝統様式とは違っています。銘がないので手がかりがありませんが、他産地から持ち込まれたものではないかと思われます。彫りは浅いものの、必要な細工は具備しています。


月瀬(つきせ)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.22
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。
北九州周辺に多い狛犬がいました。
(福岡県中間市上底井野)
狛太郎のひとこと:寛永15年(1638)年、筑前第2代藩主黒田忠之により、宇佐神宮から勧請創建されました。「月瀬」というロマンチックな名は、神宮の境内を流れる川に由来する由です。神宮から勧請された八幡宮であることを、形にして残したいという気持ちの表れと想像されます。
狛犬は際立った特色を持っていないのに何故か印象的な顔立ちで、同類を幾つか思い浮かべることができます。水巻町の八剣神社、遠賀町の浅木神社UA、鞍手町の貴船神社などがそうです。眉、髪、ヒゲが豊かで多毛、特に胸辺りまで回り込んだ長髪は生き生きとしています。


神崎(こうざき)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.23




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。
浅木神社@と同じスタイルの狛犬と、田川地方に多いギョロ目タイプの狛犬がいました。
(福岡県鞍手郡鞍手町古門神崎)
狛太郎のひとこと:第29代欽明天皇(6c)の時に、宇佐神宮を勧請して石祠を祀ったとされる古社で、元禄7(1694)年に至って神殿が建立されました。八幡神のほか仁徳天皇や玉依姫を祀っており、境内社としても多数の神々が祀られていて、合祀を重ねた古い歴史がうかがえます。
@灯籠の竿石に代えて、体勢の異なる狛犬一対を配し、変化に富む造形を志向しています。荷重を支えるために、支柱の役割を果たす部分にはあまり手を加えず、負担のない顔面にはかなり細かい彫刻を施しています。上唇のラインが段違いになっている点でも、浅木神社的です。
A目、牙、肩の肉付きなどが風治八幡神社Aに似ていて、恐らく田川狛犬であろうと思われるものです。この細い牙は北九州でもよく見られるもので、強度の点からは著しく不合理のように思えるのですが、どうしてもこうでなければならないという伝統が支配しているかのようです。


神代(くましろ)天満宮

提供者:hisaLinさん
12.05.28
hisaLinさんのコメント:筑後川沿いにポタリングした時、立ち寄りました。
神代橋近くにある神社に、筑後型の狛犬がいました。
(福岡県久留米市山川神代3丁目)
狛太郎のひとこと:筑後国神代村で代々高良大社に奉仕した神代氏は、戦国時代には佐賀三瀬村に移りました。佐賀城主龍造寺氏と対峙した神代勝利が有名です。両者は一歩も譲らない闘いの一方で、相互に敬意を育んでいたようであり、幾つかのエピソードが残されています。
典型的と言える筑後型の狛犬です。細部を省いた大胆な表現は、肉付きの良い大柄な体格にマッチしています。反面、耳を垂耳・立耳に造り分けるなど、この型の約束事はきちんと順守されています。押し出しの良さにかかわらず、どことなく親しみやすい表情であるのも特徴です。


生目(いきめ)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.29




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:久留米から151号線沿いに、吉井までサイクリングした時、立ち寄りました。4種類の多種多様な筑後型の狛犬がいました。
(福岡県久留米市山本町耳納)
狛太郎のひとこと:福岡県神社庁によれぱ当社は「八幡宮」なのに、過去の調査では主祭神は「大国主命」である由です。合祀などの経緯がありそうです。また「生目」は、眼病平癒などの信仰と関連がありそうです。いずれにしても、複雑な信仰形態をたどったことがうかがわれます。
@〜Cまで、いずれも筑後型です。耳の造り分けなどもきちんと行われており、さすがに「本場」ではあるのですが、典型的と思われるものはCだけで、@〜Bは発祥地に近い割には相当に変化していて、見慣れていなければ元が筑後型であることに気付かないかも知れません。
Cはゆったりとした量感豊かな全体像、忿怒相を特に強調することなく、しかも威厳のある顔立ちなど、「完成」した感じがよく表れています。これを基準にして@〜Bを見てみると、未熟さは否めない反面、素朴さが個性を生みだしており、なかなか味のある風貌に仕上がっています。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.05.30




@





A
hisaLinさんのコメント:福岡から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
14号線沿いにあった神社に、筑後型の狛犬2対がいました。
(福岡県小郡市二森20)
狛太郎のひとこと:「小郡」の名は古くて、日本書紀の持統帝3(689)年の条に記事があります。当時の交通の要衝であり、大宰府防衛の拠点でもあったようです。ところで、二森(ふたもり)の近くに二タ(ふた)があります。関連した地名と思われますが、ちょっと珍しい読みと表記です。
@筑後型の変化形です。同型の前身という可能性もありますが、プロトタイプはもっと細身であるものが多いので、やはり一度完成した筑後型から、典型性が少しずつ薄れていく過程にあるものだと思います。それでも耳の造り分けや足首の飾り毛は、しっかり受け継いでいます。
A筑後型の典型例に近いものです。典型例である生目神社Cとの違いは、歯が鋸歯列である、髪や尾の細かい毛筋、アゴの下までヒゲに覆われている、などであり、朝倉方面で見られるもの(阿蘇神社@)に似ています。即ち、典型例に更に手を入れて装飾性を付加しています。


白山比刀iしらやまひめ)神社

提供者:hisaLinさん
12.05.31
hisaLinさんのコメント:錦川を上流(雙津峡辺り)から岩国までサイクリングしたときに、休憩を兼ねて吉香公園を観光した時、立ち寄りました。吉香神社の近くにあった神社に量産タイプ?かなと思われる狛犬がいました。
(山口県岩国市横山)
狛太郎のひとこと:貞観18(876)年に、加賀国一宮の白山比盗_社を勧請しました。白山比唐ヘ、日本書紀の「一書」にのみ登場する「菊理姫」と同一神とされます。この姫は名のみ残り事績一切不明の「埋没神」の代表格であり、白山の神となった経緯なども不詳の謎の女神です。
狛犬は新しそうですが、近年増殖中の「さっくり」作ったような感じのものとは違い、元々ここにあった「先代」を再現したもののように思われるのです。そしてその「先代」とは、いわゆる大宝神社型(警固神社福岡県護国神社@Bなど)ではなかっただろうか、と思わせる作風です。


豊福(とよふく)神社

提供者:hisaLinさん
12.06.02
hisaLinさんのコメント:八代市から熊本市まで、サイクリングしたとき立ち寄りました。
阿吽があまり似てない一対の狛犬がいました。
(熊本県宇城市松橋町豊福)
狛太郎のひとこと:日本書紀によれば景行天皇が九州巡幸の折り、「葦北」より船出して「豊村」(今の豊福か)に着岸しました。日が暮れると遠方に火の光が見えたので、天皇はこの国を『火の国』と名付けたといいます。「火の国」即ち「肥の国(のち肥前肥後に分割)」です。
狛犬はいかにもの熊本狛犬です。顔面の趣向に力が尽くされて見応えがある反面、体部は相対的に貧弱なのが一般的傾向です。アウンを見比べると、確かにあまり似ていません。ただ各パーツは完全に同一と見てよく、この差は原石の形状の制約に由来するものと想像します。


駒形大(こまがた・だい)神社

提供者:tocchiさん
12.06.03
tocchiさんのコメント:本日、千葉県の“市川市動植物園”へ行きまして、帰りに見つけた“駒形大神社”で写してきました。『あまり見かけたことがない表情だな・・・』と思ったんです。
足元の“子”と言うのでしょうか?こちらも気になりアップを写してみました。
(千葉県市川市大野町4-2758)
狛太郎のひとこと:市川市は旧上総国の国府比定地です。当社には主祭神の経津主神(香取神宮などと同神)のほか、関東で絶大な人気を誇る平将門(参考国王神社)が合祀されています。当地はまた、万葉集にも歌われた、美女「真間の手児奈(てこな)」の故郷でもあります。
狛犬は豊かな量感と、流れるような毛筋が持ち味の江戸型です。特に、横に垂れて盤にかかる尾の意匠は秀逸であるとともに、こうするためには狛犬本体より一回り大きな原石を使う必要があり、ぜいたくな造りといえます。子獅子の仰向けの姿勢は、安心しきった心情の発露です。


天神社(てんじんしゃ)

提供者:TAKOさん
12.06.04
TAKOさんのコメント:大洲北只IC南南東、約4.2km。(狛犬銘は)「昭和十二(1937)年九月。石工・叶(?安)明」。現役で大事にされているようです。
(愛媛県大洲市梅川447)
狛太郎のひとこと:天地開闢のとき、最初に現れた5代と7代の神々が元々の「天神(あまつかみ)」です。後世「火雷天神(菅原道真)」と同一視され、当社もその両方を祀っています。本殿は安政元(1772)年の古い建築であり、華麗な彫刻が施されているように見受けられます。
狛犬は尾道型です。ただ、大玉取りという基本スタイルは継承しながらも、本来の猛々しく剽悍な印象は薄らぎ、柔和な顔立ちと丁寧な装飾は同市内の客神社と同系のようです。また、同じく尾道型の進化形の「南予型」(高田神社下段三嶋神社下段など)にも近いもののようです。


笹森(ささもり)神社

提供者:hisaLinさん
12.06.14
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線を中津まで走った時、立ち寄りました。
日田街道沿いにあった神社で、筑後型、朝倉型とは違うような、どちらかと言うと朝倉型がチョッと混じった狛ちゃんが居ました。
(大分県日田市三和)
狛太郎のひとこと:日田盆地から三隈川の支流に沿って、中津へと向かっていたのが日田往還です。当時は天領の日田へ文物が集散する重要路とは言え、山間を縫う細々とした山道でした。今はその街道に沿って212号線が走り、高規格の中津日田道路も建設が進んでいます。
狛犬は筑後型朝倉型と同じくがっしりした体格で、顔の造作が大きく、獅子舞のような面相である点もこれらの型と共通する特徴です。しかし全体的には雰囲気が異なっており、特に、尾の独特な形状とくっきりした毛筋は固有のものです。胸の毛は朝倉型に近いかも知れません。


若宮(わかみや)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.06.17
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。
朝倉型風?の狛ちゃんがいました。
(大分県玖珠郡玖珠町帆足)
狛太郎のひとこと:平安時代から当地の有力者であった帆足氏が、寛元三年(1245)に創建したと伝えられる古社です。神社縁起には根拠が不明瞭なものも多い中、当社の社宝の仏像には、応永4年(1397)の墨書銘がある由で、歴史のある神社であることは確かなようです。
狛犬は風化が著しく、顔立ちも不明瞭になっていますが、体格や口の形などに朝倉型の面影があるように見えます。朝倉からは距離がありますが、日田市までは朝倉型が到達しています(大原八幡宮@)し、日田から玖珠町までは遠くはないので、波及している可能性はあります。


若八幡宮(わかはちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.06.18
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。尾道型似の地元産玉乗りタイプ?に宇佐、中津周辺の血が混じってるような狛ちゃんが居ました。
(福岡県宗像市田久)
狛太郎のひとこと:玄界灘に注ぐ釣川の上流域で、山に囲まれた盆地状の平地に鎮座しています。当社の由緒など情報がほとんどありませんでしたが、「若」八幡宮というからには、いわゆる「若宮」であって、八幡神(応神天皇)の御子の仁徳天皇を祀っているものと思われます。
狛犬は尾道型に似た大玉取りです。体つき・顔立ちから見て、尾道型を参考にした地元作品のようです。吊り上がった目に大きなヒトミが刻まれており、本来は鋭い眼光を表現したものでしょうが、どことなく目が笑っているようにも見え、また口を尖らせている感じにも愛嬌があります。


十二祖(じゅうにそ)神社

提供者:hisaLinさん
12.06.20
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。
この辺りに多い、独特の雰囲気を持った狛ちゃんが居ました。
(福岡県田川市丸山町)
狛太郎のひとこと:熊野系の十二柱の神を祀っているのが「十二社(しゃ)」、「十二所(しょ)」、そしてこの「十二祖(そ)」などと表記される神社群です。東京都新宿区に「十二社(じゅうにそう)」という地名がありますが、そこには応永年間に創建された熊野神社が鎮座しています。
田川の狛犬はとにかく独特で、特に顔立ちの奇抜さが際立っています。そうした中でこの作品は、白鳥神社@若八幡神社@などとの共通性が高いようです。また、尾道型風の大玉取りというモチーフも多く見られ、他産地の様式をも柔軟に取り入れていった様子がうかがえます。


辛崎(からさき)神社

提供者:hisaLinさん
12.06.22
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
熊本風の狛犬がいました。
(熊本県熊本市南熊本)
狛太郎のひとこと:熊本市と大分市を結ぶJR豊肥本線の、南熊本駅近くに鎮座しています。
この鉄道に並行して走る豊後街道は、阿蘇の外輪山を横切って肥後と豊後を結ぶ大胆な最短コースであり、九州横断の重要路線でした。熊本藩主の参勤交替のルートでもありました。
狛犬は典型的な熊本狛犬です。顔面の綿密な彫刻に比べて、胴部にはさほどの趣向は見られず、全体としては「短足」「細い腰周り」の印象が強い造形です。しかし尾は太く重厚であるなど、それらの要素が混然一体となって、一見して熊本狛犬と分かる像容を呈しているのです。


野原(のばら)八幡神社

提供者:hisaLinさん
12.06.23
hisaLinさんのコメント:田川周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
田川地方に多い狛犬とはチョッと違う狛ちゃんが居ました。
(福岡県田川郡大任町今任原)
狛太郎のひとこと:今任原には2社の八幡神社があります。寛永5(1628)年に分村したときに、元々あった八幡神社を分社したものです。当社がその一つで、過去に投稿を頂いた八幡神社が他の一つであるようです。ただ残念ながら、どちらがどうと、場所の特定はできませんでした。
狛犬は田川市郡の奇抜な表情の一群とは、趣を異にしています。タドンのような目は当地の狛犬の特徴であるものの、口周りの縁取りがなく、牙の位置も独特です。また髪の毛筋の流れ方や同心円に近い渦の形なども他とは違っています。また前後肢の間隔がとても狭いです。


海童(かいどう)神社

提供者:hisaLinさん
12.06.24
hisaLinさんのコメント:唐津駅から鹿島までサイクイリングした時、立ち寄りました。
玉名市の和多津海神社、天草地方に多い狛犬がいました。
(佐賀県杵島郡白石町深浦)
狛太郎のひとこと:海神の豊玉姫命を祀っています。有明海漁民にとって海神の神助は不可欠であるとともに、姫はまた水を司る龍神であるともされたため、農業者にとっても大切な神として広く信仰されました。当地の地名「竜王」は、姫の龍神としての神格が語源とされます。
狛犬は和多津海神社のものと同型とみて間違いないようです。玉名、天草方面のものが、有明海航路で運ばれたものでしょう。和多津海神は海の大神であり、上記豊玉姫の父でもあるので、何か縁があったのかも知れません。いずれにしても、佐賀県内では珍しい存在です。


岸津(きしづ)神社

提供者:hisaLinさん
12.06.25
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府までサイクリングして、JRの待ち時間に防府市街をポタリングした時、立ち寄りました。下関・宇部周辺に多い狛ちゃんに、ちょっと違う血が混じった狛ちゃんが居ました。
(山口県防府市岸津)
狛太郎のひとこと:鎮座地は山陽本線より内陸部にありますが、「岸津」の名の通り、かつては周防灘の沿岸であり、周防国の国府も近い、国の中心地でした。7c初、当社に百済の琳聖太子が来着、日本国から領地を賜って後の大内氏の祖となったという興味深い伝説を有します。
山陽地方から下関や北九州にかけて普及しているタイプで、相当広範囲に類例を持つ大族と言えます。固い石に比較的浅いレリーフを施しており、横広の顔やウンの短い角などが特徴です。
ただしアが玉を噛んでいるのは九州的特徴であり、当地では少数派であろうと思います。


脳天大神(のうてんおおかみ)龍王院

提供者:くろのすけさん
12.06.26
くろのすけさんのコメント:先日、奈良は吉野山の金峯山寺に行く機会がありまして、その折、境内の「脳天大神龍王院」の祖師堂にて、阿吽形一対の蛙さんを見ました。
同寺には「蛙飛び行事」といった伝統行事もあることから、お祀りされている五條覚澄大僧正はたいへん蛙を大切にされ、また蛙の置物の収集家でもあられたそうで、こういうことになったと、お寺の方から伺いました。お話のタネに、お送りします。
(奈良県吉野郡吉野町吉野山)
狛太郎のひとこと:金峯山寺は飛鳥時代に、役小角(えんのおづぬ)が開いたとされる修験道の総本山です。当社はその境内社で、おどろおどろしい社名は、頭を割られた蛇がのちに寺の守護神になったという伝説に由来します。不気味さも、超俗の世界では信仰の要素なのでしょう。
カエルは両生類としての生態がほ乳類とは全く違うためか、人間の興味を惹きやすく、神格化された例も多々あるようです。身近な存在でもあり、ユーモラスな面もあって、古来親しまれてきました。このカエルも子を背に載せた夫婦の姿であり、健気さと微笑ましさを滲ませています。


神田(かんだ)神社(神田明神)

提供者:picapicaさん
12.06.27





@






A↓





B





C
picapicaさんのコメント:先日久々の東京(20年ぶり)で、初めて神田明神にも行って来ました。
神門(左)と拝殿(右)は、さすがに江戸総鎮守ですね。貫禄があります。
@は一見狼のような狛犬。Aは狛犬ではないのでしょうが、千代田区の文化財に指定されてる石獅子。Bは境内社の狛犬。昭和7年9月再建とありますが、狛犬そのものが再建されたものかどうかは?です。Cは別の境内社の狛犬。
(東京都千代田区外神田2-16-2)
狛太郎のひとこと:天平2(730)年、芝崎村(現大手町)に入植した出雲系氏族が創祀と伝えられます。古来境内に将門社があったとされ、主祭神は出雲系の大国主命ながら、関東における平将門(参考国王神社)の人気を窺い知ることができます。有名な神田祭は当社の祭礼です。
@左右に踏ん張った前肢に膂力がみなぎり、極めて豪快な造形です。宋風狛犬大宝神社型を念頭に置いた作品と想像します。作品評価以外では、原石の歩留率が極めて低そうであり、原石の大きさが基準となる狛犬製作費を考えれば、非常に贅沢な造りということもできます。
A三遊亭円丈氏命名の「獅子山」です。見上げるような大岩に、徘徊する獅子を配した構図は、古来の狛犬の概念からすると画期的であり、かつ技術の粋を凝らした装飾が施されています。
Bゆったりした体型と流れるような曲線美が江戸型の特徴です。豊かな尾が盤の脇に垂れるデザインも秀逸です。発想も技術も、全国から人的資源を吸い寄せた江戸ならではの産物です。
Cごく新しいもので、画一的な像容が不評な現代岡崎型です。価格面の要請に応えたものではありますが、後世の狛犬愛好家の目を楽しませることは残念ながらできそうもありません。


今戸(いまど)神社

提供者:picapicaさん
12.06.28




@



A





B
picapicaさんのコメント:隅田川の近く、台東区今戸の今戸神社です。沖田総司終焉の地の看板が立っていました。狛犬は@昭和49年6月とA文政5(1822)年奉納の2対のほか、B山口マサルの銘が彫ってある、可愛らしいのが(これも狛犬でしょうか?)1匹いました。
(東京都台東区今戸1丁目5-22)
狛太郎のひとこと:康平6(1063)年に源頼義・義家父子が、奥州討伐の折りに京都石清水八幡宮を勧請、創祀した古社です。続く永保元(1081)年にも清原氏討伐の戦勝祈願をしています。八幡神は源氏の守護神として広く武士に崇敬されました。その総本社が宇佐神宮とされます。
@典型的な大宝神社型です。同神社に伝わる重要文化財の木造狛犬を写したもので、原モデルよりは太く逞しく造られいます。凛々しさが好まれて、現在でも脈々と造り続けられています。昭和49年は新しいと言ってもかれこれ40年前であり、昭和もすっかり遠くなりつつあります。
A江戸型です。この型の確立は1800年頃と考えていますので、文政5年といえば当時の最新流行モデルだったと考えられます。それだけに細工には力が入っています。毛量の豊かさや緻密な毛筋が非常にファッショナブルであり、肉眼でならその美しさがよく分かられたでしょう。
B狛犬は魔除けの霊獣なので、「架空の動物」、「忿怒相」、「阿吽の対」などが決まりです。
本作品はどれにも該当せず、狛犬ではありません。でもそんなことどうでも良くなる可愛さです。


熱田(あつた)神社

提供者:picapicaさん
12.06.29




@





A
picapicaさんのコメント:今戸神社から200メートル程北西にある、熱田神社です。
@狛犬は昭和40年の新しいものです。岩山風の古そうな台座に乗せてありますが、元は先代の狛犬がいたのでしょうか? A境内社の豊川出世稲荷には狐がいました。
(東京都台東区今戸2-13-6)
狛太郎のひとこと:永禄年間(1558〜1569)に創建と伝える古社で、日本武尊と妻の橘姫を祀っています。尊は東奔西走の活躍で日本平定に貢献した英雄です。尊は東征に向かうとき草薙の剣を携えましたが、当社にも「陰陽丸」なる大太刀が社宝として保存されています。
@均整の取れた体型や手の込んだ装飾などは、それなりによくできているのですが、工業製品的な画一感が災いして不人気です。粗製の外国産も多く、更に興趣が失われつつあります。
A稲荷神社の祭神は宇迦之御魂(うかのみたま)と言う穀物・食物神です。農業主体の日本社会で、この神格を持つ神々は各地に多様に存在したと思われますが、次第に同一視されます。その神使がキツネとされ、稲荷神社では狛犬に代えてキツネの阿吽を置くのが一般的です。


金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)

提供者:picapicaさん
12.06.30




@





A
picapicaさんのコメント:@浅草寺の境内にある、「恵日須大黒天堂」の前に置いてある狛犬です。赤いガウン?と前掛けで、細かいところは判りませんでした。小さなお堂といっても浅草寺の境内です。人が沢山いて、はぐって見る勇気はありませんでした。
Aもう一対の狛犬?は、浅草寺の五重塔の北側に置いてあるものです。大理石製のようで、子取り玉取りになっていますが阿吽ではありません。
外国製のような感じですが、これも狛犬でしょうか?
(東京都台東区浅草2丁目3番1号)
狛太郎のひとこと:山号を金龍山と言います。推古天皇36(628)年に地元猟師が観音像を得たのが始まりで、大化元(645)年勝海上人の開基とされる古刹です。本尊の聖観世音菩薩像は慈覚大師円仁(794〜864)の作とされ、古来「浅草観音」として広く親しまれています。
@細部が不明ですが、かなり古いものかもしれません。様式的には江戸型が登場する前、試行錯誤的に造られていた雑多なタイプ(葛西神社A大宮八幡宮A牛嶋神社C三圍神社上下など)の一つのように思います。洗練を受ける前の素朴な姿に、古拙な味わいがあります。
A中国の石獅です。狛犬と一言で呼んでいるものは元来「唐獅子と狛犬」の一対であり、外来の霊獣を組み合わせた日本独特のものです。類例として韓国の「サジャ」と沖縄の「シーサー」がありますが、ともに「獅子」を現地の音で読んだものであり、即ち獅子の一対に他なりません。


氷川(ひかわ)神社

提供者:tocchiさん
12.07.01



@





A





B
tocchiさんのコメント:本日、埼玉県川越市宮下町の“氷川神社”で写してきました。
縁結びの神様とのことで・・・そちらのパワースポットとしても有名らしい!?
女子高生が境内の石を拾っていましたよ・・(何か探しながら???)
@氷川神社本殿 こちらは囲いの隙間からであまり色々な角度は写せませんでした・・・
A末社護国神社 台座(?)にも彫があって・・・普段は写すの忘れちゃうんですけどね・・・
B末社柿本人麻呂神社 直前に囲いの門があって、正面が写せませんでした・・・
(埼玉県川越市宮下町2-11-3)
狛太郎のひとこと:氷川神社の主祭神は素盞鳴尊と妻の奇稲田(くしなだ)姫で、旧武蔵国一円に広く分布しており、その中心は武蔵国一宮の氷川神社(さいたま市大宮)です。上古、武蔵国の国造が出雲系だったとされ、氷川の名も出雲の「簸川(現斐伊川)」によるとされます。
@江戸型の様式は順守されているものの彫りがシャープで、通常の江戸型が持つゆったりした感じよりも「固い」印象を受けます。盤にこぼれ落ちる尾に膨らみがなく、体型も幾分角張っているようです。石工が斬新な造形を意図したものでしょうか。これはこれでなかなか良いです。
A非常に装飾性に富んだ狛犬で、髪や体毛は複雑で流麗に造形されています。欠け易い部分なのに耳を大きく張り出しており、耐久性よりも美観を重視した様子が窺われます。盤に立体的なボタン花をあしらい、子獅子や玉も入念に細工されています。京風狛犬に似ているようです。
B簡素な装飾や独立していない尾など、古い狛犬の特徴を持っています。玉も真球ではなく、技術的に未完成です。この狛犬の注目点は、頭頂の凹みです。ここに何があったのでしょうか。角または宝珠でしょうか。他にも類例があり(常堅寺)、カッパ狛犬などと呼ばれています。


高尾山薬王院(たかおざんやくおういん)

提供者:tocchiさん
12.07.02


@





A





B
tocchiさんのコメント:先日、休日に珍しく早起きをし、天気も良かったので高尾山“高尾山薬王院”に行ってきました。神社ではないので、狛犬さんはいない・・・と思ったら、一対いらっしゃいました!?? お稲荷さんも、天狗様も。
(東京都八王子市高尾町2177)
狛太郎のひとこと:正式名称「高尾山薬王院有喜寺」は、天平16(744)年に行基が開山したと伝えられる真言宗の寺院です。当初薬師如来を祀ったのでこの名があり、のち南北朝時代(14c)に飯縄(いづな)大権現を迎えました。飯縄神は戦国武将の守護神として崇敬されました。
@アは頭上に宝珠、ウンは立派な二股の角を有します。頑丈そうな体にはウエーブした剛毛が密生し、「猛獣」を思わせるいでたちです。尾にも複雑な毛筋と立体的な渦が施されています。顔立ちは江戸型に近いような気もしますが、系統的にどういうものかは分かりません。
A境内に稲荷社があるようなので、キツネはそちらの神使なのでしょう。キツネ像は険しい顔立ちをしていることが多いのですが、左端のものはどこか物思いに耽っているような表情です。
B天狗は古くから、超自然的な力を持つ存在として信仰されてきました。原初的には中国のキツネか犬の形をした霊獣だったようですが、日本に渡ってからは、鼻の高い山伏の姿と考えられるようになりました。ヤツデの葉のような団扇を持ち、一本歯の高下駄を履く姿が一般的です。


諏訪(すわ)神社

提供者:TAKOさん
12.07.03




@





A
TAKOさんのコメント:井川池田IC西 2.3km。
@何となく懐かしい、おじさん顔の狛犬。「元治元(1864)年甲子九月」建立。
A地元産の出雲蹲踞。「徳島(向?)石場三田春?」「明治十三(1880)辰歳九月」
台座には神紋の「丸に違い鎌」。100年経ってもきれいです
(徳島県三好市池田町ウヱノ)
狛太郎のひとこと:諏訪神社の総本社は長野県の諏訪大社です。祭神の建御名方命は大国主命の御子ですが、「国譲り」で出雲国を退出し諏訪の神となりました。当社は承久3(1221)年、信濃から阿波国守護に転入した小笠原氏が、故郷の諏訪神を当地に勧請して創祀しました。
@系統のよく分からない狛犬です。確かに「おじさん顔」ではありますが、細く締まった足首やタスキかと思うほど長くしなやかに伸びる胸の毛など、意外におしゃれな一面もあります。毛筋の描き方はごく薄いレリーフで、Aの台座の神紋の描き方に通じるものがあります。
A出雲型蹲踞を写した地元産の狛犬です。顔立ちや凹凸のある体表の感じなど、出雲型の特徴を丁寧になぞっています。台座の「丸に違い鎌」は諏訪神の神紋で、農具の鎌をクロスさせたデザインです。鎌を諏訪神に捧げる神事があったそうで、奉仕者の家紋にもなっている由です。


剣(つるぎ)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.04
hisaLinさんのコメント:宮若、中間市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺り(日吉神社@等々)でよく見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県宮若市龍徳)
狛太郎のひとこと:各地の剣神社の祭神は必ずしも一定していませんが、だいたい素盞鳴尊日本武尊など「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」の関係者です。剣は素盞鳴尊の退治した大蛇の腹から見つかり、日本武尊は東征の際に携行しました。皇室の三種の神器の一つでもあります。
狛犬は福岡県北部地方でよく見られるものです。頑丈そうな牙が上下噛み合い、つながっていることが多いのは、デザイン上の意図のほかに、強度を保つという意味もありそうです。口の周りを縁取りしたような厚い唇とともに、豪快で逞しい印象を放っていて、まず目につく部分です。


示現(じげん)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.05
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
この辺りでは見かけない、印象深い鼻を持った狛犬がいました。
(福岡県宗像市田熊)
狛太郎のひとこと:主祭神の素盞鳴尊宗像大社の三女神の父です。元は示現大明神と称していたものを明治初頭に田熊神社と改称し、その後また現社名に戻っています。「示現」とは仏が化身して衆生の救済に現れるの意ですから、神仏習合色の強い神社だったと思われます。
狛犬は当地では見掛けないものです。細身の体で耳と髪型を造り分けており、古いタイプの狛犬に属します。モデルは古い木造の狛犬ではないかと思われるもので、「示現神社T」によれば文化2(1805)乙丑年の作です。筑後型のプロトタイプにも似た点があり、興味深いです。


照天(しょうてん)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.06
hisaLinさんのコメント:福岡市内をポタリングした時、立ち寄りました。
福岡市周辺でよく見かける狛犬がいました。
(福岡県福岡市南区野多目四丁目)
狛太郎のひとこと:伊邪那岐・伊邪那美の夫婦神を祀っており、正保元(1644)年に現在地に移転したとありますから、相当な古社です。当時は「聖天宮」と称していた由です。隣の野多目大池の周辺からは弥生遺跡が出土しており、古くからの農業生産地であったことが分かります。
狛犬は福岡市周辺で普及しているタイプです。若八幡宮志式神社八幡宮五所八幡宮などと同系で、顔と上半身が特に大きく造られています。半月形の板状のアゴ鬚が顔面下部を取り巻き、アゴの下で左右に分割されています。ウンの歯を食いしばるような表情が印象的です。


竹原(たけはら)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.10
hisaLinさんのコメント:八代駅から鹿児島本線沿いに、県道14号線を熊本まで走ったとき、立ち寄りました。見るからに熊本風丸出しの狛犬がいました。
(熊本県八代市竹原町)
狛太郎のひとこと:当社の祭神は、天地創造のときに最初に現れた神である天御中主命です。名が北極星を連想させるためか、北辰信仰における妙見菩薩と習合していることもあります。
八代の代表的な神社である八代神社は別名を妙見宮ともいい、そうした例の一つです。
狛犬はご指摘の通り、どこから見ても熊本狛犬です。短い前肢と、相対的に長い胴、細かい歯列、立派な鼻ヒゲを具備した姿を見れば、まず見誤ることはありません。鼻ヒゲを重視する結果、いわゆる鼻の下が長くなりがちなのもこの型の特徴です。ウンのヒゲは特に立派です。


水天(すいてん)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.11
hisaLinさんのコメント:大牟田から久留米まで走った時、立ち寄りました。
この周辺でよく見かける狛犬がいました。
(福岡県みやま市高田町海津)
狛太郎のひとこと:安徳天皇を祀っています。壇ノ浦の決戦で、幼帝安徳は最期を覚悟した二位の尼(平時子)の手に抱かれて、海中に沈みました。享年6歳の幼童の思いやいかに。天皇でなければ母の懐中で永らえたに違いなく、まことに平家物語の説く「諸行無常」の極みです。
狛犬は当市周辺に分布する、特異なモデルです。極端に大きな目にはヒトミが刻まれ、それだけでも十分に印象的な上に、大きな丸い鼻も目につき、更に子獅子の大きさも人並み以上です。彫刻はさして繊細ではありませんが、記憶には残りやすいタイプです(八幡神社@など)。


八所(はっしょ)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.13
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける狛犬がいました。
(福岡県遠賀郡水巻町二西)
狛太郎のひとこと:社地は古代から「浮島」と呼ばれた高地であり、熊襲征伐の際、日本武尊がここで戦勝を祈願したと伝えられます。実際には古墳であったようで、石棺や鈴などが出土しています。遠賀郡では八剣神社浅木神社など、日本武尊にまつわる伝説が色濃いようです。
狛犬は当地周辺ではよく見掛けるものです。オーソドックスな蹲踞で、扁平な頭頂に垂れた耳が連続したラインを描いているタイプです。牙の上下が繋がっているのも特徴の一つですが、これには太い牙細い牙の二種類があるようで、これは細い牙の部類に属するようです。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.14
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から平戸方面にサイクリングに行ったとき、平戸大橋の手前にあった神社の拝殿の後ろに、隠れるようにひっそりと1対の狛犬がいました。
(長崎県平戸市田平町小手田免)
狛太郎のひとこと:昭和52年に平戸大橋が開通するまでは、旧平戸市は全市が離島でした。田平町は平戸島へのフェリー発着地である田平港を擁しており、むしろ「平戸口」という呼称でよく知られていました。05年に平戸市・生月町・大島村が合併し、新平戸市が誕生しました。
狛犬は全体によく整った姿をしています。目が大きく、耳は曲線的に張り出しており、髪の毛筋が胸から肩、背に細く伸びています。尾は扇状のようです。特に目立ったパーツはないものの、装飾性が意識された造りです。隣県ですが、佐賀の狛犬とはあまり似ていないようです。


埴生(はにゅう/はぶ)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.15




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。
ポーズは違いますが、場所が近いせいか、水巻町の伊豆神社の狛犬に似た狛犬@と、もう1対全く違う狛犬Aがいました。
(福岡県中間市垣生)
狛太郎のひとこと:鎮座地の「垣生(はぶ)」はかなりの難読地名ですが、社名「埴生」も「はぶ」と読むようなので、どちらかが宛字なのでしょう。「埴生」は「埴(はに)の産地」の意で、土器生産に必要な粘土が取れる土地を指します。ちなみに「埴輪(はにわ)」は「埴の輪(筒)」です。
@すらりとした肢体に複雑な髪や尾の毛筋を施した、装飾性の強い造形です。またヒトミが刻まれた目に力があり、印象的な眼差しです。耳は大きくヒラヒラと張り出して、美観をより重視したらしい意図が伺えます。伊豆神社のものとは、特にウンの顔立ちが良く似ていると思います。
Aがっしりした体躯で牙も太く、@とは対照的な作品です。上下の牙が繋がる形は福岡県北部地方ではよく見られるものです。髪の毛量が豊かで巻き毛が美しいとともに、長く胸に垂れる毛筋も体つきに似合わぬ繊細な意匠です。地元産と思われますが、系統はよく分かりません。


阿蘇(あそ)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.18
hisaLinさんのコメント:大牟田から久留米まで走った時、立ち寄りました。阿吽の口の開きが逆になっていて、顔もひょうひょうとした顔で・・・、見たとき笑っちゃいました。
(福岡県みやま市高田町海津)
狛太郎のひとこと:建武3(1336)年、宮方の菊池氏と足利尊氏が多々良浜(福岡市東区)で戦い、尊氏が勝って上洛・反攻、南北朝時代に突入しました。このとき菊池氏とともに敗れた肥後の阿蘇惟澄は筑後に移り、故郷の阿蘇神社分霊を勧請、当社を創建して代々奉仕しました。
狛犬はアウンが逆に置かれています。顔の向きから見て左右を取り違えたのではなく、初めからこのように造られたもののようです。短足ぶりや鼻ヒゲなどが熊本風であり、当社の性格を併せ考えると、熊本から取り寄せたものかとも思われます。アは小玉を噛んだ剽軽な表情です。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.20
hisaLinさんのコメント:日田駅から中津、宇佐方面をサイクリングした時、立ち寄りました。
近所には宇佐神宮があり、また、郡瀬神社の近くの神社でした。きりっとした顔立ちといい、筋肉のつき具合といい、なかなか、いい狛犬でした。
(大分県宇佐市別府)
狛太郎のひとこと:貴船神社は水神の闇(くら)おかみ神を祀る神社です。水は生活や農耕に不可欠で、その恵みを乞う気持ちは地域や時代に関わらず普遍的な要求です。鎮座地別府(びゅう)は荘園の名残りかと思われます。租税の一部が免除された土地が「別府」と呼ばれました。
狛犬は太い眉と鋭く切れ上がった目が、まず目を引きます。邪悪なものを寄せ付けない「忿怒」の相がよく表現されています。加えて全身にみなぎる筋肉の張りが力強く、動感が豊かです。毛筋や渦、尾には丁寧に筋目が付けられ、迫力と優美さを併せ持つ力作と思います。


吉永(よしなが)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.07.21
hisaLinさんのコメント:山口県の小串駅から、(福岡県北九州市)折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。北九州周辺で見る狛犬がいました。
(山口県下関市豊浦町吉永)
狛太郎のひとこと:創建年代は不詳ですが、壇之浦の源平合戦の後に、源範頼が鶴岡八幡宮を勧請して創建したと伝えられます。範頼は源頼朝の異母弟で鎌倉幕府の重鎮でした。壇之浦の戦前戦後に頼朝の代官として活躍し、長門国に滞在していたころのエピソードと思われます。
北九州周辺でもよく見るタイプで、固そうな石に比較的簡略な装飾を施しています。ウンの歯を食いしばったような表情に特徴があり、小さな突起した目とともに、どことなく親しみを感じさせます。細身の胴と長い前肢がスマートで、素朴な顔立ちに関わらず、洗練された印象を受けます。


船岡(ふなおか)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.22
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。
近所に、あの面白狛犬のいる亀都起神社があります。
こちらは、ギョロ眼の田川タイプ似?の狛犬がいました。
(大分県玖珠郡玖珠町塚脇)
狛太郎のひとこと:神亀3(726)年、宇佐神宮の御神影が現れた時が創祀と伝えられます。その後、当地に左遷された少納言清原正高公も併せ祀りました。また公を慕ってはるばる当地まで下った小松女院の悲劇的な物語が伝えられており、女心の一途さと哀れさに胸打たれます。
狛犬は田川市郡で見られる、大きなタドン目のタイプ(若八幡神社@など)に似ているようでもありますが、彼らの目と目の間が狭いのに対してこちらはやや広く、そのため人相(犬相?)としては違った印象を受けます。また前肢の付き方も、田川一般とは明らかに異なっています。


今福(いまふく)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.23
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から平戸を廻って、佐世保駅までサイクリングに行ったとき、立ち寄りました。鷹島口駅の近所にあった神社で、出雲型の狛犬がいました。
(長崎県松浦市今福町東免68)
狛太郎のひとこと:松浦党は平安末期以降、500年にわたって松浦地方を治めた自治的武士団です。その祖・松浦久は大江山の鬼退治で有名な渡辺綱の末裔で、応徳元(1084)年に当地に来着、滋賀の多賀神社より伊邪那岐・伊邪那美を勧請して当社を創建したと伝えられます。
狛犬は本場から持ち込まれたらしい出雲型です。幾分小柄のようですが、堂々とした重量感のある風姿は本場ならではです。砂岩製で耐用年数が100年ほどと言われ、本場でも完品の少ないこの型にしては、威厳のある顔つきやその他のパーツも完全に保たれているようです。


太刀帯(たちおび)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.24
hisaLinさんのコメント:鹿島駅から柳川までサイクリングした時、立ち寄りました。
神崎市の冠者神社亜狛犬じゃないかとビックリしましたが、よく観ると風化で手足が無くなっていて、石に載せられてる狛犬が2対いました。
(福岡県大川市本木室)
狛太郎のひとこと:天穂日命(あめのほひのみこと)を祀る神社です。古事記では、出雲国を接収するために派遣されたものの、大国主命に心酔して任務を放棄した神とされています。出雲国造の祖とされますが、そうした経歴のためか、この神を祀る神社はかなり珍しいと言えます。
2対の狛犬であるようですが、損傷が著しく、元の姿を想像し難いほどです。それでも亜狛犬に比べると2対の蹲踞だったことがかろうじて分かり、顔立ちや毛筋の具合から、見た目ほど古くはないように思えます。自然の風化以外に、地震などで被災したものかも知れません。


大富(おおとみ)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.26
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
ギョロ眼の田川タイプ似?の狛犬がいました。
(福岡県豊前市四郎丸)
狛太郎のひとこと:景行天皇が当地の土蜘蛛(つちぐも=抵抗勢力)征伐に訪れたとき、宗像三女神を祀ったのが始まりとされます。その後住吉三神、八幡大神も併せ祀りました。宇佐神宮への勅使の往来の際の宿泊所ともなっており、歴史の朝もやから姿を現したような古社です。
狛犬はがっしりした五体と、目鼻立ちの大きな顔で存在感を発揮しています。毛の渦や尾にも配慮が行き届いており、均整の取れた全体像に仕上がっています。目の形は田川タイプによく似ています。古くは同じ豊前国に属していたため、こうした類似性があるものと推察できます。


麻利支(まりし)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.27
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。吽(うん)の狛犬さんの風化が激しく、また、たぶん対じゃないだろうと思う狛犬がいました。
(福岡県宗像市東郷)
狛太郎のひとこと:朱鳥5年(1400年前)に天御中主命を祀って創建、とされる超古社です。
この神は北辰信仰の妙見菩薩と習合する例が多く、麻利支天と同一視されているのは初めて見ました。麻利支天は印度由来の神で陽炎の神格化とされ、戦国武将に多く信仰されました。
アは2対の細い牙を持っているように見え、北九州一帯に多いタイプのようです。脆い石質なのか、アも欠損部分が目立ちますが、ウンの顔面は殆ど崩壊して顔立ちは不明で、本来の一対であったかどうかもよく分かりません。ただ、足首の様子からは別物のようにも思われます。


下大野(しもおおの)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.29
hisaLinさんのコメント:八代から三太郎峠を越えて水俣、薩摩川内まで走った時、立ち寄りました。三太郎峠の手前にあった神社に、思い出せませんがどこかで出会ったような瞳のある狛犬がいました。
(熊本県八代市二見下大野町)
狛太郎のひとこと:350年前から伝わる「酒飲み祭」が執行されていることからも、江戸初期には既に鎮座していた古社のようです。祭神の建御名方命(たけみなかたのみこと)は出雲系の神とされ、「国譲り」の後に諏訪大社の祭神となりました。軍神で、かつ農業神でもあります。
体型や鼻ヒゲなどから、熊本狛犬に属するものと思われます。目にヒトミが刻まれていると強い印象を受けますので、「どこかで見たことがある」という感じを覚えるものです。他産地の狛犬にもヒトミを付けたものがありますが、視線がはっきりしているため、睨まれているように感じます。


宮地獄(みやじだけ)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.30
hisaLinさんのコメント:久留米から210号線を、日田までサイクリングした時立ち寄りました。
大原八幡宮の近くにあった神社に、筑後型の混じった狛犬がいました。
(大分県日田市大字田島)
狛太郎のひとこと:宮地嶽神社の総本宮は福津市にあり、神功皇后が三韓征伐にあたって戦勝祈願をしたのが創祀で、1600年前のこととされます。配祀の勝村・勝頼大神はよく分からない神です。人名としては古代的ではなく、さりとて歴史上の人物にも該当者がいないようです。
狛犬は筑後型の変化型であるようです。大原八幡宮Bでも明らかなように、筑後型は藩を越えて日田まで進出していたことが確実になってきました。ただ、かなり変貌を遂げているのも確かで、特に尾の複雑で精密な彫刻は笹森神社と共通であり、当地独自の意匠と思われます。


古物(ふるもん)神社

提供者:hisaLinさん
12.07.31
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。
このあたりに多い狛犬とチョッと違うかな、と思う狛犬がいました。
(福岡県鞍手郡鞍手町古門)
狛太郎のひとこと:地名「古門(ふるもん)」の湯桶読みが気になっていましたが、祭神の中に「布留魂(ふるのみたま=石上神宮)」がありました。由緒には触れられていませんが、古い時代にはこの神こそ、地名にもなるほど重んじられた、中心的な存在ではなかったのでしょうか。
狛犬は当地では少し変わったタイプかもしれません。がっしりした体格や長い垂れ耳などは、当地の南良津神社亀山神社などと似ていますが、顔立ちはそれらとは異なります。鼻ヒゲが口の上部を囲んでおり、強いアクセントになっています。荒々しくも可愛らしくも見える面相です。


七社宮(ななやしろぐう)

提供者:hisaLinさん
12.08.01
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
北九州周辺で遭遇する狛犬がいました。
(福岡県宗像市石丸)
狛太郎のひとこと:674年に七柱の神をお祀りしたのが始まりとされます。これは天智天皇薨去の後、後継を巡って勃発した壬申の乱で、天武天皇が勝利した翌年ということになります。
7柱の神とは天地創造関係、天孫降臨関係及び伊弉諾尊や大己貴命などの神々です。
狛犬は固そうな素材に比較的浅いレリーフを付けた様子が、北九州でよく見掛けるタイプです。
中でも宗像神社Bとは耳の形、先端にかけてストレートに細くなる前肢、小さな握りこぶしなどがほぼ同じです。縁取りのある丸い目で、遠くを見つめているような眼差しもそっくりです。


松江(まつえ)神社

提供者:hisaLinさん
12.08.04




@





A
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府までサイクリングした時、立ち寄りました。
目出駅の近くにあった神社に、@玉乗りスタイルの本物らしき吉香神社の尾道型と同じ狛犬1対と、A下関、北九州周辺に多い狛犬がいました。
(山口県山陽小野田市小野田7060)
狛太郎のひとこと:岸津神社と同様、百済国の琳聖太子にまつわる由緒を有します。琳聖は日本に仏教を伝えた(538)聖明王の王子で、多々良浜に来着したことから多々良氏を名乗ったとされ、のち大内氏となって周防、長門など最大6ヶ国を領有、西国の大大名に成長しました。
@尾道型は巨大な玉を取る姿で知られ、尾道で発祥したためこの名があります。瀬戸内海沿岸に広く分布しており、険しい表情と俊敏そうな痩躯が特徴です。鋭い目と牙により、面相は時として凶悪なほどです。この作品では横に張った大きな耳により、その印象が増幅されいてます。
A山陽地方から北九州地方において、細かいバリエーションを加えながら広く分布している一群です。丸くて小さな突起した目を持ち、垂れた耳、ウンの一角などの共通点を備えています。この作品は安岡八幡宮A垢田八幡宮@A吉永八幡宮などと近縁のものかと思われます。


生目八幡(いきめはちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.08.05
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
この辺りで見かける狛犬がいました。
(福岡県宗像市土穴)
狛太郎のひとこと:平景清を祀っています。景清は藤原秀郷(百足退治で有名な俵藤太)の子孫で、平安末期〜鎌倉初期に活躍しました。「悪七兵衛」の異名を持つ剛勇の武士でしたが、平家と命運を共にしました。宮崎に逃れたとの伝説があり、当地にも立ち寄ったとされます。
そっくりとまでは言えないながら、七社宮とは似た点があります。前肢の付け根付近の形や、足首に向かって細くなる前肢、小さな握りこぶしのような足首、腹の下の彫り方などが似ています。目の回りの縁取りも共通です。同じ市内なので何らかの影響を受け合っているのでしょう。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.08.06




@





A
hisaLinさんのコメント:福岡から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。
509号線沿いにあった神社に、(タイプが)少し違いますが、筑後型が2対いました。
(福岡県小郡市下岩田)
狛太郎のひとこと:小郡市は古代から開けた土地で、博多への交通の要衝でもありました。
そのためか、七夕神、神功皇后、土蜘蛛など多彩な伝説に彩られています。当地が大宰府天満宮の荘園であった縁で、上岩田に老松宮、下岩田に当社が祀られたものと思われます。
@典型的な筑後型は大胆な省略とデフォルメが持ち味であるのに対し、この作品では口の周りの剛毛や、髪の細かい毛筋など装飾性が意識されています。これに似たものは久留米の周縁部に多く(天満宮など)、後発組として新奇性や独自性を付加する必要があったと想像します。
A同じく筑後型の変種ですが、こちらは新しい表現というよりは、同じように造ろうとしたのにあまりうまくいかなかった、という風情です。長すぎる鼻の下は、ここに鼻ヒゲでも彫ろうとしたのでしょうか。全体像もどことなくアンバランスですが、それが却って素朴な微笑ましさを誘います。


弁財天(べんざいてん)

提供者:hisaLinさん
12.08.08
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米方面までポタリングした時、立ち寄りました。
近くの天満宮と一緒で、こちらにも柳川地方でよく見かける狛犬がいました。
(佐賀県三養基郡みやき町東津)
狛太郎のひとこと:弁財天はヒンズー教の水神「サラスヴァティー」が、仏教や神道に取り込まれたものです。そのため弁財天の祠は大抵は水辺にあり、白蛇像が安置されていたりします。またこの神は音楽神でもあり、琵琶を持った女性の姿で表されるのが一般的です。
狛犬は柳川市(宝満宮)やみやま市(八幡神社@聖母宮広田八幡宮など)で普及しているタイプで、体勢は蹲踞、玉取りなどまちまちです。この作品では大きめの子獅子を抱いています。デフォルメされた口の形と、鋸のような歯列が特徴です。尾の形などはむしろ簡素といえます。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
12.08.14
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。宇佐市で見かけるような狛犬がいました。
(大分県中津市下宮永町二丁目)
狛太郎のひとこと:2百年以上続く「さいすくい」は、川で魚をすくう当社の神事で、「さい」は方言で「魚」のこととされています。ただ「さい、さひ」と言えば「小刀、鉄、砂鉄、鋤」を意味する古語が連想され、かつて当地に製鉄の歴史があったのでは、などと想像するのも楽しいことです。
「宇佐市で見かける」とのご指摘通り、何故か宇佐市には尾道型にヒントを得たらしい大玉取りが多いです(別府貴船神社法鏡寺貴船神社荒木天満宮など)。その傾向が中津市にも波及したもののようですが、全体が平面で構成されていて、角張った感じを受ける点が独特です。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
12.08.15
hisaLinさんのコメント:福岡市周辺をポタリングしたとき立ち寄りました。
福岡周辺では見かけない狛犬がいました。
(福岡県糟屋郡粕屋町内橋)
狛太郎のひとこと:糟屋(カスヤ)の名は古く、698年の梵鐘銘に「糟屋評」とある由です。記紀等にも「糟屋」が見られますが、語源は不明です。ただ、糟屋郡中に香椎(カスヒ)郷があり、「カスヤ」と「カスヒ」の地名の間には、何らかの対応関係がありそうに思われて興味深いです。
狛犬はかなり変わった風貌をしています。大きな目とその上の隆起した骨、さらにその上の眉らしきパーツなどが特徴的です。非常に小さな鼻と鼻孔も、狛犬としては異例です。全体の造りは手慣れた感があり、同一人の作品は他にもありそうなものですが、今のところ見当たりません。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
12.08.16
hisaLinさんのコメント:糸島半島をサイクリングした時、立ち寄りました。ちょうど小高い丘にあった神社に、これまた糸島地方では見かけない、愛嬌のある狛犬がしゃがみ込んでいました。
久しぶりにひょうきんな狛犬に遭遇しました。
(福岡県糸島市志摩東貝塚)
狛太郎のひとこと:当社には、福岡県に7面残る算額のうちの1面が残されている由です。算額とは江戸時代、町の和算家が自ら考案した数学の難題とその解法を記して神社に納めたもので、全国に例があります。内容は褪色して読めませんが、天保4年末長良助の銘があります。
狛犬は体勢もさることながら、顔立ちや尾の意匠などからして糸島風ではありません。まず壁のように真っ直ぐな歯列が印象的です。またカーテンのようにアゴを覆い尽くすヒゲも独特です。何と言っても、あまりにも無理な後肢のスタンスが、下図の角度から見ると殊更際立っています。


菅原(すがわら)神社

提供者:hisaLinさん
12.08.17
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。
玉乗りというより、玉にもたれてるような狛犬がいました。狛犬の顔はどうなんでしょうか?
田川地方の狛犬には似てないような感じがしますがいかがでしょうか?
(福岡県田川郡添田町庄)
狛太郎のひとこと:天孫降臨の場所については、「高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)」、「襲(そ)の高千穗峯」、また「添山(そほりのたけ)」などのほか、当町の英彦山説があります。襲(そ)、添(そほり)と添田(そえだ)には共通の語感があり、一定の説得力があると思います。
大玉取というモチーフは同町内の白山神社のほか、田川市の十二祖神社風治八幡神社B春日神社Cなど、この近隣では多く見かけられるものです。ただし顔の表情、特にヒトミのある目や口の形などは、田川独特のプリミティブな荒々しさがなく、比較的洗練された印象です。


大石(おおいし)神社

提供者:hisaLinさん
12.08.18
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米方面までポタリングしたとき、立ち寄りました。
古いタイプの筑後型?みたいな狛犬がいました。
(福岡県久留米市大石町)
狛太郎のひとこと:当社鎮座地は、弥生期の遺跡が広がる筑後川沿いの台地であり、古くから人が集住した土地です。その歴史にふさわしく、当社は延喜式(10c)登載の「伊勢天照御祖神社」と目される古社で、大石筑前守が下向の際、伊勢神宮から勧請したとも伝えられます。
狛犬は筑後型のプロトタイプではないかと思われるものです。大きく口を開いたアの面相や、髪を束で表現している点、前肢のアンクレット状の飾毛など、後世に完成した筑後型の要素をすでに含んでいます。このタイプの発展過程を知る上で、製作年不明のものが多いのが難点です。


祐徳稲荷(ゆうとくいなり)神社

提供者:hisaLinさん
12.08.22
hisaLinさんのコメント:鹿島市の祐徳稲荷神社に行ったときに、(当サイトに)投稿されていない狛犬がいましたので投稿しました。
(佐賀県鹿島市古枝乙)
狛太郎のひとこと:佐賀藩には佐賀本藩のほか、鹿島、小城、蓮池の3支藩が内在し、それぞれ大名格を有するというなかなか複雑な様相を呈していました。当社は鹿島藩主の妻、花山院萬子姫が貞享4(1687)年に、降嫁の際持参した稲荷大神の神鏡を祀ったのが始まりです。
狛犬は佐賀のものとしてはちょっと風変わりです。上唇と牙の形、また顎ヒゲの形状も他では見かけないものです。伝統的には鹿島は塩田石工のテリトリーということになるのですが、塩田型には見えません。しかし赤い前掛けをあてがわれ、すっかり馴染んでいるようではあります。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.08.26
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
776号線沿いにあった神社で、しかも、八幡神社の狛犬に似たというより、この辺り周辺に多い狛犬がいました。
(福岡県みやま市瀬高町大廣園)
狛太郎のひとこと:「大廣園」は明治3年、大木・広安・宮園の3村合併で誕生しました。この3村ともに蒲池系の城が築かれており、肥前で強大化する龍造寺氏への備えであったとされます。中世は権力構造が流動的で、領主は常に領地保全の努力を強いられていたようです。
狛犬はみやま市周辺で見られる大きな目をしたタイプで、同市瀬高町の八幡神社天満神社、高田町の水天神社のほか、大牟田市の熊野神社八幡神社などにも例があり、筑後地方からその南方にかけて分布しているようです。大きな子獅子を抱いているのも際立った特色です。


竹重宮(たけしげぐう)/八幡神社

提供者:hisaLinさん
12.08.29
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
この辺りでは見かけない狛犬がいました。
(福岡県宗像市朝町)
狛太郎のひとこと:当地は弥生から古墳時代にかけての、170基以上の弥生墓が見つかっている竹重遺跡に隣接しています。当社の現社名は「八幡神社」ですが、鳥居額には「竹重宮」とある由であり、これが古い呼称ではないかと思われます。この「竹重」は地名であるようです。
狛犬はちょっと幼児体型で、笑ったような顔立ちとともに可愛らしい印象です。しかし眼にヒトミが彫られている分、眼光は鋭いと言えます。髪の毛筋や渦は装飾としては抑制的ながら、それが清楚な印象をもたらしており好ましく感じられます。確かに宗像では見かけないタイプです。


三瀧(みたき)神社

提供者:TAKOさん
12.08.31




@





A
TAKOさんのコメント:三滝山山頂付近。西予宇和IC東、約24km。
@台座銘「明治十三(1880)年奉献」
A台座銘「明治八(1875)年」と「明治廿四(1891)卯九月」 
盆休み、涼みに行きました。いつもの南予狛犬ですが、(台座銘の)年代がばらばらです。
(どれが正しいか分からないので、一括して)明治前半の狛犬ということにします。
(愛媛県西予市城川町窪野)
狛太郎のひとこと:文明4(1482)年、三滝城の守護神として創祀されました。明治45年に3社、後に近隣の31社をも合祀して現在の社になりました。台座の年銘がまちまちなのは、それぞれの神社にあった台座のうち、使用可能なものを選んで使った結果ではないでしょうか。
@南予型は尾道型から分化し、独自の美意識のもとに発展した形式と考えられます。それだけに、元の尾道型よりは様式的に柔軟で、多彩な表現が見られるのが魅力です。この作品は南予型に共通な長大な牙を持つ一方、丸く突出した目という独自な意匠を付加しています。
A同じ南予型ながらこちらは大玉取りではなく、蹲踞です。南予型にはこのほか出雲式の体勢を取るもの(恵美須神社)もあり、様式は各石工の創意に任せられている感があります。独特な尾の形状や、丸く突出した目が@と共通で、これが当地における標準なのかも知れません。


愛宕(あたご)神社

提供者:hisaLinさん
12.09.01
hisaLinさんのコメント:嘉麻市周辺をポタリングして、322号線を走ってたとき立ち寄りました。
朝倉地方でよく見かける狛犬がいました。
(福岡県嘉麻市千手)
狛太郎のひとこと:愛宕神社の総本社である京都の愛宕神社は、8世紀初頭に修験の祖の役小角(えんのおづぬ)が創建したとされる、神仏習合の火除の神です。当社は明和7(1770)年、千手町が大火に見舞われたことを受け、天保4(1833)年に京都から勧請創建されたものです。
狛犬は大己貴神社垂裕神社秋月八幡宮など、朝倉方面で普及している型の仲間のようです。顔立ちのほか、がっしりした体格と張り出した胸の筋骨、小さな玉を踏む姿などが良く似ています。アウンが通常とは逆に造られているようですが、この型としては珍しいと思います。


宇佐八幡(うさはちまん)神社

提供者:hisaLinさん
12.09.05
hisaLinさんのコメント:大牟田から久留米まで走った時、立ち寄りました。江の浦駅の近所にあった神社に、筑後型が少し混じった狛犬がいました。
(福岡県みやま市高田町江浦)
狛太郎のひとこと:伝説では、壇之浦で敗れた平家の落人が当地に来着し、川底から光る石を引き揚げて宇佐八幡の神として祀ったのが始まりとされます。壇之浦合戦の3年後の文治3(1187)年のことです。山奥ではなく、開けた漁村での落人伝説は、珍しいように思います。
狛犬はみやま市のどの狛犬とも似ていません。強いて言えば唇の形や歯列が八幡神社@に似ているかも知れません。体型はずんぐり型で、筑後型に近い可能性はありますが、特にそれを指摘できる部分はありません。ただ顔立ちなどが、どことなく筑後的ということは言えそうです。


高倉(たかくら)神社

提供者:hisaLinさん
12.09.07




@





A
hisaLinさんのコメント:岡垣、芦屋周辺をポタリングしたとき、立ち寄りました。
(過去に)投稿されている狛ちゃんともう1対、北九州、下関周辺で見かける狛犬がいました。
(福岡県遠賀郡岡垣町高倉)
狛太郎のひとこと:日本書紀に記載のある「国史現在社」で、仲哀天皇勅祭の古社とされます。
祭神の大蔵主命と菟夫羅媛命は、あまり馴染みのない神々です。天皇の行幸の際、この神々の神慮に沿わないことがあったらしく、二神を鎮めるために当地に祀ったと記されています。
@四角張った顔立ちと、口の周りの縁取りのような表現は、北九州市周辺ではよく見るタイプです。とりわけ八坂神社@とは、垂れた耳やアウンの口の形、髪の毛筋の流れ方と渦の配置、後肢の折り畳み方などが酷似しています。更に下関市の川棚神社@とも相似です。
A笑ったような顔の一群は、山口県にかけて多いようです。ウンはしばしば一角を有しており、比較的ふっくらした体型をしています。似た特徴を持つものとして、防府市の岸津神社、下関市の松屋八幡宮A福江八幡宮B、山陽小野田市の松江神社Aなどを挙げることができます。


三島(みしま)神社

提供者:hisaLinさん
12.09.08




@





A
hisaLinさんのコメント:鹿島駅から柳川までサイクリングした時、立ち寄りました。
楼門内で大事にされている肥前狛犬と、拝殿前に八女地方で見かける狛犬がいました。
(福岡県大川市下木佐木)
狛太郎のひとこと:三島神社は筑後の蒲池氏の氏神だったので、筑後一帯に分布しているものです。三島神社の総本社は伊豆の三島大社か愛媛県大三島の大山祇神社とされますが、この双方の関係は不詳です。また蒲池氏がなぜ三島神社を崇敬したのかも、よく分かりません。
@保存状態の良い肥前狛犬で、様式的にはかなり古いもののようです。アウンの四肢の表現がレリーフと彫り抜きで異なり、本来の一対だったかは分かりませんが、当地産の倣製品ではなく、佐賀から持ち込まれた「本場もの」ではないかと思われる典型的な肥前狛犬です。
A八女地方で多く見られる(熊野速玉神社@熊野神社日吉神社など多数)、筑後型の面影を残した作品群の一つかと思われます。オリジナルの作風はほぼ失われているものの、足首の飾り毛や前肢のスタンスなどから、わずかに筑後型の片鱗をうかがうことができます。


石浦(いしうら)神社

提供者:hisaLinさん
12.09.09
hisaLinさんのコメント:金沢旅行に行ったときに、立ち寄りました。
大宝神社型の狛犬がいました。
(石川県金沢市本多町3-1-30)
狛太郎のひとこと:延喜式登載の「加賀十三座」の一、「三輪神社」が当社であるとされます。
主祭神の大物主神は奈良の三輪大社と同じです。またこの神は日吉大社と同体との見方から、「石浦山王」などとも称されましたが、明治初期に神仏混淆を廃し、現社名に改めました。
狛犬は大宝神社の重文狛犬を写した「大宝神社型」です。元の木造狛犬は、いかにも鎌倉彫刻らしく精悍で力強い作風であり、石造モデルもその雰囲気を良く伝えています。靖国神社Aをはじめ、各地の護国神社(福岡県護国神社@Bなど)に多く採用されていると言われます。


大歳宮(おおとしぐう)

提供者:hisaLinさん
12.09.10
hisaLinさんのコメント:熊本駅から有明海沿いに三角港を通って、八代海沿いに八代駅までサイクリングした時、立ち寄りました。熊本風の狛犬がいました。
(熊本県宇城市不知火町松合)
狛太郎のひとこと:歳神(年神)とは毎年正月に各家に来訪する神で、門松はその依代と考えられます。この神は身近な存在であるだけに色々な神格が与えられることとなり、代表的なものは穀物神としての性格です。方位神ともされており、「恵方」はこの神がいる方角を意味します。
胴長短足の典型的な熊本狛犬とはやや異なり、均整の取れた体型をしています。また、どことなく愛嬌のある典型例に比べて顔立ちが端正で、じっと一点を見つめるような眼差しは思索的でさえあります。比較的新しいように見えますので、現代版熊本狛犬といったところでしょうか。


白山宮(はくさんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.09.11
hisaLinさんのコメント:福岡から唐津までサイクリングした時、立ち寄りました。
143号線沿いにあった神社に、この辺りでは見かけない狛犬がいました。
(福岡県糸島市二丈町吉井)
狛太郎のひとこと:白山信仰は石川県の白山(2702m)を御神体とする山岳信仰が始まりで、その後修験者によって体系化と布教が行われました。祭神は神名のみ残り事績不明の埋没神、菊理姫です。二丈町には数社の白山社があり、修験道が盛んだったことをうかがわせます。
狛犬は全体の雰囲気から唐津型と思われますが、口の形に特徴があり、特にウンの結んだ唇の位置や形が独特です。その唇から前歯が3本覗いている様子は、どこか滑稽味を帯びています。唐津型には目などに彩色を施したものがよくあります(大石神社@佐志八幡宮@など)。


野坂(のさか)神社

提供者:TAKOさん
12.09.12




@
↓参考:野村町四郎谷 三嶋神社の単立狛犬       ↓A当社の単立狛犬
TAKOさんのコメント:西予宇和IC北東 約11km
近隣の神社から集合した狛犬達です。
@宝珠を頂いた狛犬は、愛媛県では少ないようです。
Aもう一個体は、西予市野村町四郎谷の三嶋神社の相方と思いたいです。
会いたかった。何時かは「対」としてお勤め願います。
(愛媛県西予市野村町高瀬)
狛太郎のひとこと:長禄2(1458)年に尾首城主が、紀州熊野の十二所大権現を勧請して創祀と伝えられる古社です。十二所の数え方は何通りかあるようですが、当社では天神七代と地神五代となっています。天地開闢の後に現れた神々で、天照大神や伊弉諾尊などを含んでいます。
@アは宝珠、ウンは一角を頭頂に戴いています。このあり方は恐らく江戸中期以降に流布したスタイル(牛嶋神社C宝録稲荷神社など)で、顔立ちにもどことなく古めかしさが感じられます。腹下を彫り抜いておらず、四肢が深いレリーフに留まっている点にも古さが現れています。
Aは単立のアで、@とは同系統のもののようです。注目すべきはTAKOさんご指摘のように、三嶋神社の単立のウン(下左)とは一対だったのではないかという発見です。近隣の多数の社が当社に合祀されており、その際、何らかの事情で別れてしまったもののように思われます。


大國魂(おおくにたま)神社

提供者:tocchiさん
12.09.12




@
tocchiさんのコメント:大きな立派な神社でした・・・。色々な狛犬さんが居ました。
比較的に新しい感じの方と、年期が入っている方と・・・。
@大鳥居前の狛犬さんは尻尾(と呼ぶのかな?)がありませんでした。
[犬]じゃないのかな?
(東京都府中市宮町3-1)
狛太郎のひとこと:景行天皇の時に創祀と伝えられる古社です。大化改新後、国守管内の多数の神社をここに合祀したのが、武蔵国総社の起源です。境内末社が多いのも、この歴史があるからでしょう。鎌倉期以来、時の将軍の崇敬を受け、明治に至って官幣小社に列しました。
@狛犬は、大宝神社の重文狛犬がモデルの大宝型に近いものと思われ、髪の表現も木造狛犬が原型であることを予想させるものです。ところが、アウンとも「尻尾がない」ということをどう考えて良いか分かりません。折れたので削って整形したのか、それとも最初からなかったのか…





B
tocchiさんのコメント:
A[中雀門]は苔むしてまして、お顔もなかなかはっきり写らないから…アップも送ります。
B[隨神門]の一対はやさしい顔立ち。
狛太郎のひとこと:ABともに江戸型です。柔らかく横に流れる尾が、この型の大きな特徴です。全体的に曲線と曲面を多用し、優美でありながらずっしりした量感も持ち合わせています。





C
tocchiさんのコメント:C[本殿]にはピカピカの一対が〜!(金と銀!?)
囲いの中なので一方向からしか写せませんでした・・・
狛太郎のひとこと:C足が長く直立した姿勢は、初めから室内の狭いスペースに置くことを意図したもののようです。不安定なので、外には置けないはずです。狛犬の体色については、黄色と白、金と銀などと決められているようであり、これもそれに沿ったものです。奇麗ですね。





D
tocchiさんのコメント:D末社[住吉神社/大鷲神社]の狛犬。今日一番のお気に入り・・・。
写真を撮っていても思わず“ニコッ!”としてしまう良い(私好みの)表情でした。
(でも上手く写せなかったな〜!残念!)
狛太郎のひとこと:Dは幅の広い首輪を付け、鈴や飾り金具が下げられています。こうした首飾りを「瓔珞(ようらく)」と言いますが、仏像の装身具等としてもお馴染みであり、それ自体がエキゾチックなものです。この狛犬もアウンの別がなく、外来種ではないかと思われるものです。





E
tocchiさんのコメント:E末社[東照宮]の狛犬。大きく開けた口から尖った牙・・・怖いですよ・・・
狛太郎のひとこと:E前足を突張って胸を反らせた姿は、最古の石造狛犬と言われる宋風狛犬を彷彿させます。しかし、まるで木彫のようにシャープな眉、ヒゲ、髪には江戸型の特徴が表れています。顔立ちは三圍神社(上段)に似て古めかしく、江戸型の先駆かも知れないものです。





F





G





H
tocchiさんのコメント:F[府中街道側鳥居]G[宮乃盗_社]H[結婚式場側鳥居]は、新しい感じですかね?
狛太郎のひとこと:この3対はいずれも昭和後期以降の大量生産時代のもののようで、3つともほぼ同じ造りです。まだ若いというだけでなく、こうした個性のなさが不人気の理由です。





I
tocchiさんのコメント:I[稲荷神社]のお稲荷さんはキリリとした印象
狛太郎のひとこと:キツネ像は厳しい表情をしたものが多いですが、このキツネはそれだけでなく、前肢や大腿部の筋肉が発達して、狛犬と似たような造りになっているのが珍しいです。


雷(かみなり/いかづち)八幡神社

提供者:ishizakiさん  
12.09.18
ishizakiさんのコメント:さぬき市か三木町の神社、、、
雷の神社?
(香川県木田郡三木町田中)
狛太郎のひとこと:持統天皇2(687)年、当地では長期間の雷雨による凶作に苦しめられていました。しかし人々の切実な祈願が叶って雷雨が止んだので、ここに雷塚を築いて祀ったのが始まりとされます。承平6(1596)年に八幡神を合祀してから、現社名を称するようになりました。
今まで投稿された香川県の狛犬の中に、この狛犬にそっくりなものはなく、與田寺のウンの表情が似ているくらいです。ただ丸くて突出した目は他の香川狛犬に共通です(獅子王大明神藤尾八幡神社)。これからサンプルが増えて、もっと色々なことが分かることを期待しています。


烏帽子岩(えぼしいわ)神社

提供者:hisaLinさん
12.09.19
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府までサイクリングした時、立ち寄りました。下関、北九州地方に多い狛ちゃんが迎えてくれました。
(山口県山陽小野田市西高泊)
狛太郎のひとこと:西高泊は周防灘に面した町です。神社の場所は海から少し離れていますが、昔はこの近くまで海が迫っていたと思われます。神功皇后が三韓征伐の折り、風雨を避けてここに停泊した際、王冠を大石に掛けたのでそれを烏帽子岩と呼び、社名にもなりました。
狛犬は山陽地方から北九州あたりまで分布するタイプで、四国にも似たものが存在します。
かなり広範な分布域にも関わらず、このタイプの典型例はまだ特定できず、中心地も不明なため何と呼ぶべきか思案中です。丸くて突出した目と、子供のような体つきが可愛い狛犬です。


玉祖(たまのおや)神社

提供者:hisaLinさん
12.09.24




@





A
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府までサイクリングした時、立ち寄りました。
山陽自動車道沿いにあった神社です。@一対は、ギョロ眼タイプの田川地方の狛ちゃんに似ていました。Aもう一対はこの周辺で見かけるタイプの狛チャンでした。
(山口県防府市大崎)
狛太郎のひとこと:延喜式登載の古社で、周防国一宮です。祭神の玉祖命(たまのおやのみこと)は高天原で勾玉を作った神とされ、天孫降臨の際には天孫に従った5柱の神の1柱、かつ古代豪族の玉造連の祖神です。命が当地で没したとき、社殿を営んだのが始まりとされます。
@タドンのような目が田川狛犬(若八幡神社など)に似ています。また山陽方面では玉を噛んだものは少ないので、その点も九州風と言えそうです。ただ、ウンには一角があり、前肢が長くスマートな体形です。素朴な感じに共通点はありますが、田川狛犬とは違う面も多いようです。
Aこの形は何となく山陽に多いと感じていましたが、山口県内を見渡してもそっくりと言えるものは見当たりません。特に防府市はまだ3例目なので、傾向がよく分かりません。胸元の毛が幾つかのものに似ているようですが不確かです。今後この一族の分類が課題になるでしょう。


光明(こうみょう)八幡神社

提供者:hisaLinさん
12.09.25
hisaLinさんのコメント:田川の香春から418号線を走った時、立ち寄りました。
日本昔話に出てきそうな原風景にポツンと神社があり、直立・倒立型の狛犬がいました。
(福岡県田川郡赤村赤)
狛太郎のひとこと:明治以来の合併で町村の数は減り続け、大正年間にはまだ1万を超えていた「村」の数は、平成の大合併でとうとう1700程になってしまいました。佐賀県でも06年に最後の「村」が消滅しています。赤村は福岡県に2つだけ残る貴重な村のうちの一つです。
直立と倒立には3つのパターンがあり、@片方又は両方が玉取り(天道宮大分八幡宮)A直立の相方が出雲式(白山神社椿八幡宮)B純然たる直立と倒立(伊豆神社)となります。いずれも福岡県内ではほぼ飯塚市と田川郡、遠賀郡に集中しています。この狛犬は@に属します。


十二社宮(じゅうにしゃ・ぐう)

提供者:hisaLinさん
12.09.26
hisaLinさんのコメント:唐津から呼子方面を走った時、立ち寄りました。
唐津型の本拠地なので、やはり唐津型の狛犬がいました。
(佐賀県唐津市鎮西町菖蒲)
狛太郎のひとこと:名門藤原氏の権勢に翳りが生じた8世紀、大宰府に左遷された藤原広嗣はこれを不満として九州で挙兵しました。乱は鎮圧され、敗れた広嗣は唐津で刑死しました。当社で広嗣が戦勝祈願をしたと伝えられます。広嗣は鏡神社などに祀られています。(十二社とは)
狛犬は唐津型です。首を傾げて睥睨する様子は、引き締まった体つきと相俟って、見る者に畏怖を覚えさせるに十分です。胸と腹の間を仕切るエッジも、力強さを強調しています。唐津方面ではやはりこの型が圧倒的に多く、少しずつ形を変えながら広範に分布しています。


水天宮(すいてんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.09.27
hisaLinさんのコメント:八女市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
お化粧してもらったような狛犬がいました。
(福岡県八女市山内)
狛太郎のひとこと:水天宮は壇之浦合戦で没した幼帝安徳を祀る神社で、久留米市の水天宮が総本社です。東京日本橋の水天宮は、9代有馬頼徳公が江戸の上屋敷に分祀しました。
当社も久留米から勧請されたもので、八女では最も由緒のある社の一つとされています。
改めて八女の狛犬を通観すると、このタイプが非常に多いですね(熊野速玉神社八龍神社熊野神社など)。これらは少々の違いはあるものの、基本的には共通性があります。足首の飾毛、スクエアでない足位置などから、筑後型のバリアントであることは確かだと思われます。


浜(はま)/水俣(みなまた)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.09.28
hisaLinさんのコメント:八代から三太郎峠を越えて、水俣〜薩摩川内まで走った時、立ち寄りました。三太郎峠を走り水俣市に入って、水俣川沿いにあった神社に熊本系の狛犬がいました。
(熊本県水俣市八幡町)
狛太郎のひとこと:慶長13(1608)年に宇佐八幡宮から勧請と伝えられます。当社の正式名称は「浜八幡宮」ですが、「水俣八幡宮」と呼ばれることも多く、水俣総鎮守として崇敬されています。更に、水俣市は「亀」との縁が深いことから、地元では「亀八幡」とも呼ばれている由です。
熊本狛犬はいかにもそれらしいものが多い中、この作品では比較的特徴が薄らいでいます。
その一目で分かる特徴は「短足」なのですが、この狛犬はどちらかと言うとすらりとした足です。しかし大きく彫り抜かれた口腔や、びっしり並ぶ小さな歯列は紛れもなく熊本狛犬のものです。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.09.29
hisaLinさんのコメント:柳川、大川市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
佐賀に近いせいなのか、佐賀で見かける狛犬がいました。
(福岡県大川市下白垣)
狛太郎のひとこと:当社は享保11(1726)年に創建され、応神天皇(八幡神)などを祀っています。筑後川の向こうは佐賀県諸富町ですが、この大川市にも「諸富町」があるのを発見しました。川の両岸に「諸富」が広がっていたのでしょう。生活圏は一体的だったと想像されます。
狛犬は典型的な砥川型岩狛です。吊り上がった眉がきかん気そうな気性をあらわし、荒々しい岩に前肢を掛けて立ち上がる姿勢は躍動感をもたらしています。岩にボタン花のレリーフをあしらい、尾には丁寧な毛筋が付けられています。砥川石工の真骨頂といえる作品です。


天満大自在天神 石祠
(てんまんだいじざいてんじん)

提供者:picapicaさん
12.10.02
picapicaさんのコメント:静かな住宅街です。昭和35年の遷座記念の石碑が立ってるのでどこかから遷したのでしょうが、小生には調べる術もありません。そして狛犬。ちゃんといました。
しかも肥前狛犬。屋外設置にしては状態はかなり良好です。前面に文字が彫ってあります。「平善内理則」と読めるようですが、意味がわかりません。
(佐賀県佐賀市多布施2丁目)
狛太郎のひとこと:昔は当地に祭られていたのを、ある時堀江神社に遷したという歴史がありました。しかし「元の所に帰りたい」と神が言ったので、昭和35年に再度ここに遷座したと伝えられています(古老)。毎年お祀りはされていて、祭儀には与賀神社宮司が出張されるそうです。
やや手が込んでいるので最初期のものではないとしても、かなり古そうな肥前狛犬です。約束通りの様式ですが、髪の毛先を球状として渦をあらわすなど、技巧も施されています。銘「平善内理則」は、「平氏」を名乗る神官の名でミドルネームが善内、名が理則だろうと推察します。


遠石(といし)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.10.03
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、岩国までサイクリングした時、立ち寄りました。
北九州市や北九州周辺で見かける狛犬がいました
(山口県周南市遠石)
狛太郎のひとこと:推古天皇30(622)年、宇佐八幡大神が当地に祀るようにと託宣を下されたと伝えられます。622年は聖徳太子が亡くなった年ですから、とにかく古い話です。これに従って和銅元(701)年に社殿を建てて創建されました。江戸期には徳山藩主の崇敬を受けました。
狛犬は北九州的なタイプです。垂れ耳であること、浅いレリーフの髪、白い石質などがそうですし、μ(ミュー)を左右に引き延ばしたような上唇の形と、縁取りのように見える唇のラインは、北九州から山口県にかけてよく見られるものです。両地域の近接度を垣間見ることができます。


鹽竈/塩釜(しおがま)神社

提供者:hisaLinさん
12.10.05
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
行橋駅を通り過ぎたところに、まだ新しい狛犬がいました。
(福岡県京都郡苅田町下新津)
狛太郎のひとこと:苅田(かんだ)の町名は古代の賀田(かた)郷に由来するとされ、遠浅の海をあらわす「潟(かた・がた)」が原義だと言われます。その地勢を生かして古代から塩田が営まれていたらしく、塩釜神社はそうした零細な事業者たちの要請に応えてきたものと思われます。
狛犬はまだ新しいとはいえ、先代の姿を再現したものと思われます。同町の宇原神社@とは同系と見てよいようです。隣接する行橋市(正八幡神社@B須佐神社)や香春町(鏡山神社)にも変わった姿勢のものが多く、この狛犬もそうした地域的傾向をしっかり受け継いでいます。


幸乃神(さいのかみ)神社

提供者:hisaLinさん
12.10.07
hisaLinさんのコメント:八女、黒木周辺をサイクリングした時立ち寄りました。この頃の大雨で心配ですが、玉乗りタイプで鼻がみょうに大きな狛犬がいました。
(福岡県八女市長野)
狛太郎のひとこと:塞(さい・さえ)の神は、昔から村の入口や境界、分岐点などに祀られています。「さえ」は「さえぎる」で、悪疫などが侵入する経路を「塞ぐ」意味があります。この種の神社に男性のシンボルが納められているのは、魔除けに効果があると考えられているからです。
八女には筑後型の派生型が多く、この尾道型風の大玉取りは珍しいと思います。顔面の造りは更に特殊で、荒々しい眉、ヒゲ、髪の毛筋はあまり例がないほどです。当地では顔面の彩色は他にも例があります。際立って高い鼻は、上記男根崇拝と関係があるように思われます。


住吉宮(すみよしぐう)

提供者:hisaLinさん
12.10.08
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から平戸を廻って、佐世保駅までサイクリングに行ったとき、立ち寄りました。松浦駅近くに、神社に眼がまん丸の狛犬がいました。
(長崎県松浦市志佐町浦免)
狛太郎のひとこと:住吉宮は海神の住吉三神を祀る社です。当地は志佐川が伊万里湾に注ぐ河口付近であり、海神の加護を必要としていました。この地に多い「免」地名は、租税の賦課の地区単位の呼称が残ったものです。なお「志佐」は松浦党の有力者・志佐氏の発祥地です。
狛犬はスタンダードな蹲踞で、特段変わったところはなさそうに見えますが、丸い大きな目は特徴的です。また垂耳の上辺が突出して、立耳のように見える点もやや独特です。全体として丁寧に造られており、整った印象です。長崎狛犬は多様で、区分にはまだまだ時間が必要です。


出雲(いずも)神社

提供者:hisaLinさん
12.10.10
hisaLinさんのコメント:田川周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
道の駅「おおとう桜街道」の川向にあった神社に、宇佐っぽい狛犬がいました。
(福岡県田川郡大任町今任原)
狛太郎のひとこと:昭和56年に出雲大社の分霊を奉祀したという新しい神社であり、昭和52年に当時の全神社を網羅した「全国神社名鑑」(神社庁)には載っていません。祭神の大国主命は美男で、大勢の妻がいた艶福家であったことから、縁結びの神としても崇敬されています。
狛犬は田川で一般的な荒々しい一群とは異なり、端正な容姿の大玉取りです。この尾道型風のものは、宇佐、国東方面で見かけるタイプで、田川地方では珍しいと思います。尾の形などから現代岡崎型の一派だと分かるのですが、おざなりな大量生産型とは一線を画しています。


天子宮(てんしぐう)

提供者:hisaLinさん
12.10.12
hisaLinさんのコメント:阿蘇市内から熊本駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
胴長、短足に顔が大きい狛犬がいました。
(熊本県菊池郡大津町森)
狛太郎のひとこと:玉名郡の「小天天子宮」とは何らかの関係がありそうですが、そちらは法人名を「小天少彦名命神社」というように、主祭神は医薬の神です。当社の祭神は景行天皇です。佐賀にも「天子社」があり、祭神は神功皇后です。「天子」が誰なのか、謎めいています。
元々「短足・三頭身」が特徴の熊本狛犬(手取天満宮荒木宮園田神社など)ですが、この作品はそれを更に強調した極端な体型で、デザインが破綻しているようにさえ見えます。しかし各部の細工は繊細で技巧に優れ、前肢で盤をつかむ力強い意匠からも非凡な力量が窺えます。


八幡古表(はちまん・こひょう)神社

提供者:hisaLinさん
12.10.15




@





A





B
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
中津を過ぎ、山国川を渡り福岡県に入った時、立ち寄りました。三対の狛犬がいました。
(福岡県築上郡吉富町小犬丸)
狛太郎のひとこと:欽明天皇の時(6c)に創建と伝える古社で、当初は息長大神宮と称した由ですから、神功皇后(息長帯姫おきながたらしひめ)を祀る神社だったようです。元正天皇の養老3(719)年、当社と宇佐の軍が隼人の反乱を鎮圧し、以来八幡神を合祀したと伝えられます。
@本場ものらしき出雲式です。出雲狛犬は宍道湖畔の来待石(砂岩)で造られるため、雄大で美しい姿とは裏腹に、脆く耐久性が低いのが難点です。耐用年数は人の寿命と同程度と言われています。この狛犬も各部の損傷が激しく残念な限りですが、宿命と思う他はありません。
ABどこか浪花型を彷彿させる顔立ちと体型です。宇佐方面ではなぜか各地の様式が混在しており、浪花型に近いもの、尾道型に近いものなどが見られますが、由緒にもあるとおり、宇佐と当地は古代より「豊前国」として一体だったので、狛犬の傾向も似ているのかも知れません。


八幡社(はちまんしゃ)

提供者:hisaLinさん
12.10.21
hisaLinさんのコメント:日田駅から212号線沿い、途中、メイプルサイクリングコースを中津までサイクリングした時、立ち寄りました。少し前の大雨でどうなったか心配です。場所が近いためか、雲八幡宮の狛犬に良く似た狛ちゃんがいました。
(大分県中津市耶馬溪町平田)
狛太郎のひとこと:中津と日田を結ぶ日田往還は、山国川に沿って延びています。往還とは言うものの深い山間の道には多くの難所を抱えていたに違いなく、特に宝暦13(1763)年の青の洞門開削の伝説が事実だとすると、それまでは交通量も細々としたものだったと想像されます。
狛犬はカッパで有名な雲八幡宮のものに似ています。アウンの口の形や、ウンのカエルのような顎とそこに4つの渦を並べた顎ヒゲは全く同じと見て良いようです。これも朝倉型と思われるものですから、運搬には相当な労力を払って、朝倉方面から運ばれたものではないでしょうか。


南桑河内(なぐわ・かわち)神社

提供者:hisaLinさん
12.10.22
hisaLinさんのコメント:雙津峡から錦川清流線沿いに岩国駅までサイクリングした時、立ち寄りました。玉乗りタイプの狛犬がいました。
(山口県岩国市美川町南桑)
狛太郎のひとこと:正嘉元(1257)年に勧請と伝えられる古社で、罔象女命、金山彦命、真鶴(まなづる)命を祀っています。前2者は古事記所載の水神と鉱山神ですが、真鶴命は不明です。岩国には河内神社が密集しており、信仰圏を形成した有力な勢力の存在を示唆しています。
精悍さが売り物の尾道型ですが、この作品は耳や顔立ちのデフォルメによって、とりわけその印象が増幅されています。尾の形も典型例とは異なっており、表現力を重視した意欲的な作品と見受けられます。玉が真球に近い点も、この石工の技量の高さを物語っているようです。


阿蘇(あそ)神社

提供者:hisaLinさん
12.10.27
hisaLinさんのコメント:八代から三太郎峠を越えて、水俣〜薩摩川内まで走った時、立ち寄りました。三太郎峠の三つ目の津奈木峠を通り過ぎて重盤岩眼鏡橋あり、その近くの神社に熊本タイプの狛犬がいました。
(熊本県葦北郡津奈木町岩城)
狛太郎のひとこと:阿蘇神社は肥後一宮の阿蘇神社を中心に、九州各地に分布しており、健磐龍神(たけいわたつのかみ)とその一族を祀っています。権威づけのため神武天皇の系譜に入れられていますが、本来は阿蘇の雄大な景観から構想された地方神だったに違いありません。
立派な鼻ヒゲや顔立ちなどから、一目で熊本狛犬と分かる狛犬です。一般に質実な印象が強い熊本狛犬ですが、この狛犬は装飾性に富んでいます。特に足元の盤にこれだけ力を注いだものは珍しく、豪華なボタン花を刻み、さらに尾の一部を盤に垂らすなどの意匠が秀逸です。


万田厳島(まんだ・いつくしま)神社

提供者:hisaLinさん
12.10.28
hisaLinさんのコメント:大牟田から八代までサイクリングした時、立ち寄りました。
荒尾駅付近の自動車学校近くにあった神社で、熊本では出会わない狛犬がいました。
(熊本県荒尾市万田)
狛太郎のひとこと:厳島神社は宗像大社と同じ三女神を祀っています。三女神の中でも特に美人の誉れ高い「市杵島(いちきしま)姫」が、厳島(いつくしま)の名の起こりという説もあります。三女神は海神であり、宗像を根拠地としていた海人達が各地に伝えたと考えられています。
狛犬はたっぷりした量感の持ち主で、これ迄の荒尾市の狛犬(綿津見神社など)とは全く違っており、熊本全体でも見かけないタイプです。隣接した福岡県大牟田市にも似たものはなく、どういう系統なのかは不明です。珠に鈴のような隆帯があるなど、大柄な割に芸が細かいです。


大己貴(おおなむち)神社

提供者:hisaLinさん
12.10.29




@





A
hisaLinさんのコメント:柳川、大川市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
この神社には@筑後型風の狛犬と、A瞳のある狛犬の、全く違う狛犬がいました。
(福岡県大川市中八院)
狛太郎のひとこと:中八院とは珍しい地名ですが、「八院」という土地が「中」と「下」に分かれたもののようです。関ヶ原合戦の後、西軍に与した柳川藩主・立花氏を討伐するため佐賀藩主鍋島氏が差し向けられ、両者が激突した地が八院でした。「八院合戦」として名を残しました。
@筑後型の面影のある狛犬です。アが立耳、ウンが垂耳と造り分けられていますし、体つきやスタンスにもその形跡があります。典型例からかなり変化していますが、ウンが朝倉風筑後型(美奈宜神社@阿蘇神社@など)と同じ鋸歯列を共有しているので、それと分かるのです。
A各パーツは深めに彫られており、くっきりしたコントラストを描いています。眉とヒゲの形も独特であり、陰影に富んだ表情が実現されています。多毛で四角張った顔立ちは、トランプのキングを思わせる風貌です。ヒトミのある目の印象と共に、「日本人離れ」した洋風な顔立ちです。


天子宮(てんしぐう)

提供者:hisaLinさん
12.10.30
hisaLinさんのコメント:唐津から鹿島、島原とサイクリングした時立ち寄りました。
肥前七浦駅の裏にあった神社に、肥前狛犬らしき狛犬がいました。
(佐賀県鹿島市音成)
狛太郎のひとこと:佐賀県でこれまでに登場した「天子社(宮)」は、江北町の天子社だけです。
筑前、肥後にはかなり存在しているようで、当サイトでも熊本県大津町の「天子宮」があります。
しかし祭神に関する情報は十分ではなく、「天子」が誰なのか、依然として謎めいています。
狛犬は肥前狛犬です。前肢を丸彫りにして独立させていることや、顔面にヒゲのような線がはっきり刻まれていることなど、技術的に進化している様子がうかがえます。ただそのために前肢の破損という、宿命的な代償を余儀なくされています。顔立ちは湊疫神宮Cに似た点があります。


藤本五所(ふじもと・ごしょ)神社

提供者:hisaLinさん
12.10.31
hisaLinさんのコメント:湯前から人吉を通って、八代まで球磨川沿いを走ったとき、立ち寄りました。熊本風の狛犬?がいました。
(熊本県八代市坂本町葉木)
狛太郎のひとこと:「五所」とは天照大神など5柱の神を祀ることによります。延暦年間(平安遷都前後)の創立とされる古社で、のち球磨領主相良公が八代を領して以来、篤く崇敬しました。
天正年間、キリシタン大名の小西行長により焼毀されましたが、慶長時代に再建されました。
熊本狛犬に特有の襟巻きのような顎ヒゲ(大浦阿蘇神社・中、下段祇園社など)が、独特の形で強調されています。細かい鋸歯列や立派な尾なども熊本狛犬の特徴を表しています。しかし顔が大きく短足、という外見上最大の特徴は影を潜め、堂々たる体格に仕上がっています。


八坂(やさか)神社

提供者:hisaLinさん
12.11.01
hisaLinさんのコメント:糸島半島にある酒蔵の蔵開きに行った時、その近くにあった神社に、糸島周辺では見かけない狛犬がいました。
(福岡県福岡市西区元岡)
狛太郎のひとこと:大己貴命など9神を祀るとあります。大正年間に近隣5社を併せて現社名に改称した由で、祭神の多さがそれを物語っています。「八坂神社」と称し、祇園祭も執行されているからには、祇園精舎の守護神・素戔鳴尊(すさのおのみこと)も名を連ねているはずです。
この地域に多い前原型(加布里天満宮B宝満宮託社神社下段など)とは趣が異なります。それらが小さな丸い目で可愛い印象なのに対し、これはそうではありません。耳の形も違います。石工の個性差以上に違いがあるように思われ、別系統とみていいのではないでしょうか。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.11.02
hisaLinさんのコメント:大牟田から久留米まで走った時、立ち寄りました。瀬高駅付近にあった神社に、この辺りでよく見かける狛犬がいました。
(福岡県みやま市瀬高町文廣)
狛太郎のひとこと:07年に三池郡高田町と山門郡瀬高町及び同山川町が合併して、現在のみやま市が誕生しました。佐賀県側から見てもこれらの旧地名には馴染みがあり、生活圏として一体感を持つ人も多いようです。「三池郡」の「三」と「山門郡」の「山」を合成した市名です。
みやま市内には他に聖母宮広田八幡宮@八幡神社@に類例があり、柳川市にも宝満宮天満宮Aに例があります。今のところ隣接するこの2市に限られており、分布範囲は狭いようですが、歯を食いしばるウンの表情は個性的で印象深く、「地域特産」的な趣のある狛犬です。


武多都社(たけたづ・しゃ)

提供者:hisaLinさん
12.11.03
hisaLinさんのコメント:国東半島一周サイクリングした時、立ち寄りました。
ぽっちゃりした狛犬がいました。
(大分県国東市国見町竹田津)
狛太郎のひとこと:天徳3(959)年に紀州熊野権現を勧請した社で、武多都津神楽はそれ以来千年の間伝承された芸能とされます。社名「武多都」は地名「竹田津」を古風に表記したものでしょう。戦国時代には渡来系の大蔵氏の裔・竹田津氏が当地に城を築いて拠点としました。
国東半島から宇佐市周辺にかけて、なぜか遠隔地の狛犬の要素を持つものが多く見られます。その一つがこの浪花型風の狛犬で、事代主神社御祖社桜八幡神社などで見ることができます。そのほか、尾道型にヒントを得たと思われる大玉取りも多いです(奈多宮など)。


売豆紀(めづき/めつき)神社

提供者:TAKOさん
12.11.04
TAKOさんのコメント:山陰本線 松江駅南約1km。初の灯篭狛犬。「唐獅子灯篭」と案内にはありました。重そう…ご苦労様です。金箔、銀箔を貼り付けるのは仏教ではよく見かけますが、神社でもあるのですね。子宝の神様としても有名らしいです。
YouTubeに載せました。ttp://www.youtube.com/watch?v=tnR1jTE_6jI
(島根県松江市雑賀町売豆紀)
狛太郎のひとこと:式内社「賣豆紀神社」であるとされ、出雲国風土記にも所載の古社です。出雲「国譲り」で先遣された、天若彦命の妻の下照比売命を祀っています。若彦は天命に背いて刑死しており、円満解決に見える国譲りにも、実は大きな困難を伴っていたことを窺わせます。
灯篭狛犬のうち、竿石の役割を持つもの(神崎神社@など)は荷重を受けるという制約下にあり、造形上の自由度は高くありません。これは2対4頭で支えており、狛犬としても完成度の高いものです。祈願時に銀紙を、成就時には金紙を貼り付けるのが当社の習わしとされます。


釜屋(かまや)神社

提供者:hisaLinさん
12.11.12




@





A
hisaLinさんのコメント:八女、黒木周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
矢部川を隔てて、黒木町の釜屋神社と立花町の釜屋神社がありました。
今回はこちら黒木町の方を投稿しました。
@階段上がり口には、頭を低くして片方は足が取れている狛ちゃん、
A拝殿前には、八女地域で見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県八女市黒木町湯辺田)
狛太郎のひとこと:江戸初期、当地付近は矢部川を挟んで北は久留米有馬領、南は柳川立花領に分けられ、釜屋神社は立花領に属することになりました。幸い北側にもご神木の大楠が残っていたため、寛永2(1625)年、ここに新たに釜屋神社を建立しました。それが当社です。
@八女市にはこのスタイルのものが、正八幡宮AB福島八幡宮@にもあります。出雲式を取り入れる理由は、やはり視覚的な斬新さが狙いでしょうが、原石の形にもよるかも知れません。この姿勢で造ると小さく仕上がるはずなので、何か理由がなければ避けると思うからです。
A八女市に多いこのタイプは、熊野速玉神社@花宗神社などもそうであるように、足首のアンクレット状の飾毛や前後に少しずらした前肢のスタンスなど、筑後型の様式が残されています。顔立ちはかなり変化しているので、全体を見ないとなかなかそうとは気が付かないほどです。


春日(かすが)神社

提供者:hisaLinさん
12.11.13
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
ズングリした、メタボっぽい狛犬がいました。
(福岡県豊前市三毛門)
狛太郎のひとこと:当地では11月から年末にかけて、各社で「豊前神楽」が奉納されます。面と衣裳を用いた華やかな芸能で、15、6世紀に成立したと言われています。豊前神楽は明治期に6派に分かれたそうですが、当社の「三毛門神楽」が一番古いと言われている由です。
豊前市の狛犬は田川型に近いようです。口の形の極端なデフォルメなどに共通性があります(若八幡神社Aなど)。また春日神社Cとは、口の形のほか、胸にアクセントを施している点も同じ趣向といえます。この作品は体型も極端化されており、首のくびれがありません。


丹波(たんば)神社

提供者:hisaLinさん
12.11.20
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。
彦山川沿いにあった神社に狛犬がいました。チョッと足が短いので熊本狛犬?ではと思いましたがタブン違うと思います。
(福岡県田川郡大任町大行事上元松)
狛太郎のひとこと:昔、丹波国(現京都府)の人が当地に来着し、産土神の分霊として小石を祀ったのが創祀とされます。別伝では、小石を持って来たのは丹波の尼僧で、その石が段々大きくなるので、何度か社殿を増築したとも伝えられています。祭神は大己貴命(大国主命)です。
大任町の狛犬は多様で、なかなかこれといった共通項を見いだせないほどです。この狛犬も、これまでのものとあまり似ていません。スタンダードな蹲踞ですが、盤の面を平らにせずやや盛り上げているのは、視覚的な効果のほか、強度保持の意味合いがありそうに思われます。


小畑(おばた)神社

提供者:hisaLinさん
12.11.21
hisaLinさんのコメント:日田をサイクリングした時、立ち寄りました。三隈川の支流の川沿いにあった神社に、耶馬溪町の山神神社の狛犬に少し似た、ギョロ目タイプの狛ちゃんがいました。
(大分県日田市石井1丁目)
狛太郎のひとこと:串川が山間を抜け、日田盆地に流れ出る所に鎮座しています。串川はこの先で三隈川に合流し、三隈川はやがて筑後川となって有明海に注いでいます。筑紫三郎筑後川の長い旅の起点近くに位置しているわけです。祭神は天照大神ですが、詳細は不明です。
目鼻の形といい、前方に湾曲する前肢の形といい、山神神社のものによく似ています。やや遠いですが、日田往還沿いに様式が伝播したと考えても無理のない距離です。特に鼻の形に注目すると、笹森神社宮地嶽神社とも相似であり、やはりこれらは類縁関係にあるのでしょう。


土穂石(つつぼいし)八幡宮

提供者:hisaLinさん
12.11.22
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、岩国までサイクリングした時、立ち寄りました。
土穂石(つつぼいし)川沿いに、田川地域に多い狛チャンに似た狛犬がいました。
前腕の造りといい、顔の全体的な雰囲気といいビックリしました。
(山口県柳井市新庄)
狛太郎のひとこと:17世紀初頭には海だったとも言われる臨海地域です。土穂石川の流域には、新庄、古開作など、近世に田園化したと思われる地名があり、比較的新しい土地であることが分かります。土穂石という難読地名は、この川にある巨大な一枚岩の名に由来する由です。
ご指摘通り、田川狛犬に似ています。口中の玉が九州的ですし、足の形は貴船神社と相似です。ただし尾の形は関西風の扇状であり(田川は棒状)、顔立ちも微妙に山陽的です。やはり遠石八幡宮琴崎八幡宮@など、近接市の作品に類似性を見出すのが妥当かと思われます。


白山(はくさん)神社

提供者:hisaLinさん
12.11.23
hisaLinさんのコメント:唐津駅から鹿島を通って島原までサイクリングした時、立ち寄りました。
岩屋駅を過ぎて道路が狭くなったので、横道に反れた時に神社があり、そこに唐津型には珍しい?色付きの狛ちゃんがいました。
(佐賀県唐津市厳木町岩屋)
狛太郎のひとこと:松浦党の始祖・源久(みなもと・ひさし)の孫、披(ひらく)によって、12世紀に築城された獅子ヶ城が建つ白山北麓に鎮座しています。加賀白山姫神社から勧請されました。白山地名は白山神社由来とも考えられますが、シロヤマと読めば「城山」なのかも知れません。
狛犬は典型的唐津型です。小首を傾げる姿勢、胸のエッジ、逆R字状の尾など、唐津型そのものと言えるサンプルです。目と牙の鮮やかな金彩で、この型独特の険しい表情が特に際立つことになりました。佐志八幡宮大石神社@など、唐津型の彩色の例は意外に多くあります。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
12.11.24
hisaLinさんのコメント:岡垣、芦屋周辺をポタリングしたとき、立ち寄りました。髭濃く、一見熊本狛犬ではないかと思うような、また田川地域にもいそうな狛ちゃんがいました。
(福岡県遠賀郡遠賀町鬼津)
狛太郎のひとこと:遠賀(おんが)という地名は「岡」から派生したものと言われます。遠賀川下流域に「岡」が続いていたからとされ、河口に当たる芦屋の古名は「岡の湊」(参照岡湊神社)でした。岡垣町の「岡」も同源です。遠賀川の恵みを受けて、早くから開けた地域です。
厳つい顔立ちと逞しい体躯に加え、全体に多毛で迫力のある造形です。ヒゲの濃さは熊本狛犬にも通ずる点ですが、鼻ヒゲはありません。後肢のくるぶし付近にかかる飾毛は、他では見られない大きさで、華やかです。眉や髪のデザインなども斬新であり、装飾性は周到です。


日枝(ひえ)神社

提供者:tocchiさん
12.11.27



@
日枝神社





A
水天宮





B
御獄神社
tocchiさんのコメント:日枝神社へ行ってきました。
結構頻繁に通る道沿いなのですが
なかなか立ち寄るきっかけがなかったのです・・・
@日枝神社 どっしりとした佇まい・・・少しだけ微笑んで見えませんか?
A水天宮 これは比較的新しい感じ・・・
B御獄神社 勇ましい印象・・・修復後が残念ですね
(東京都清瀬市中清戸二丁目616)
狛太郎のひとこと:天正7(1579)年に中嶋筑後守が創祀しました。口碑では日本武尊東征の折、境内で「清き土地なり」(のちに「清戸」)と述べたとされます。社名「日枝」は日吉・比叡(ともにヒエ)に由来し、日吉大社と同神です。境内社として水天宮と御獄神社が祀られています。
@このゆったりした量感が江戸型の持ち味で、各パーツの細工はシャープでありながら、全体像はまろやかな曲線主体の造形です。この型が江戸で流行したのは、江戸っ子がこれを大いに支持したからにほかならず、威勢の良いばかりが江戸っ子の気質ではなかったわけです。
A水天宮は福岡県久留米市に総本社があります。日本橋の水天宮もここから勧請されました。狛犬はまだ新しくデザインも現代版ですが、子取・玉取という江戸型の基本形をなぞっていて、単なる量産型とはやや違う趣です。時とともにご先祖のように風格が出るといいのですが…
B江戸型のうち、獅子山と呼ばれるものの一種です。四肢を立てて徘徊する趣向は、他のどの様式にも見当たらず、江戸型の発展型として極めて独創的かつ斬新です。獅子山の登場は比較的新しいのですが、やはり最先端を求め続ける江戸っ子の気質が反映されているようです。


三谷(みたに)八幡宮

提供者:ishizakiさん
12.11.29




@





A
ishizakiさんのコメント:三谷八幡宮の狛犬@と、参道の横にもう一つ鳥居があってそこにAが。
(香川県高松市三谷町2218)
狛太郎のひとこと:天暦2(948)年、村の中州に創建という古社です。永享2(1430)年、京都に怪鳥が出現した時、三谷景晴が当社に祈願してこれを退治したので、報賽として矢を奉納しました。寛永5(1628)年、三郎池修築の際現在地に移転、三谷郷の産土神として崇敬されました。
@古そうな狛犬です。首を真直ぐ前に向けた姿勢は、参拝者視点からのビジュアルをあまり気にしていないかのようですし、顔立・体つきにもどこか垢抜けなさがあって、古拙な素朴さが好ましいです。ウンには小さいながらちゃんと角があり、これも古風を残すものということができます。
A比較的頭部が大きく、体部をすぼめた感じに造られており、南予型(三瀧神社Aなど)に似た印象を受けます。そうだとすると、尾道型(波賀部神社など)の係累ということになり、四国らしい造形と言うことになります。足元の盤を極小とし、本体を大きく見せる手法が採られています。


一の宮(いちのみや)神社

提供者:TAKOさん
12.11.30











ウンの尾(4本束)
TAKOさんのコメント:JR八幡浜駅 北約5km。
阿の尾が5本束と、吽の尾が4本束と作り分けられています。 
本殿側の前足が回り込んでいて、可愛らしく感じられます。年銘「明治四十年旧六月」
(愛媛県八幡浜市日土町樫の木)
狛太郎のひとこと:愛媛県神社庁のデータでは、県内に「一宮神社」は14社あります。「いちのみや」と読むものは12社(2社は「いっく」)で、うち11社が南予地方に集中しています。祭神はアジスキタカヒコネ命か大国主命、またはその両方であり、いずれにしても出雲系です。
狛犬は南予型です。この型は比較的繊細に造られたもの(熊野神社三嶋神社下段高田八幡神社下段など)が多い中、荒々しい牙をむき出した顔面の造りはプリミティブで、粗野なほどの迫力です。反面、玉を抱える前肢は猫の手のように柔らかそうで、可愛らしい印象です。


伊我理(いがり)神社

提供者:hisaLinさん
12.12.14




@





A
hisaLinさんのコメント:久留米から、筑後川沿いに大川、柳川とボタリングしたとき立ち寄りました。城島中学校辺りに神社に2対の筑後型?にあまり似ていない狛犬がいました。
(福岡県久留米市城島町楢津)
狛太郎のひとこと:耳慣れない社名ですが、伊勢神宮外宮の境内末社に同名の社がありました。そんな神社がなぜ当地にあるのか不明ですが、伊勢神宮に近い三河国出身の武将で、関ヶ原後に柳川藩初代藩主となった田中吉政に関連したものと考えられなくもありません。
@確かに筑後型には似ていませんね。さりとて当地の他の狛犬にも似たものはなく、系統は不明です。ヒゲや尾には丁寧な毛筋が刻まれており、幼児体型の体つきのわりには威厳のある容貌です。足位置がスクエアでない点は、筑後型のアイデアを取り入れたかに見えます。
Aヒゲや尾の形は違いますが、全体の雰囲気は@に似ています。目の感じや口中の玉、スクエアでない足位置などに共通性があり、これらは地元での独自な作風と見受けられます。城島町にはこれまで、多数派と言える様式は見当たらず、多様な作品が産出されているようです。


剱(つるぎ)神社

提供者:hisaLinさん
12.12.16




@





A





B
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川駅まで走ったとき、立ち寄りました。異なる3対の狛犬がいました。
(福岡県鞍手郡鞍手町新延)
狛太郎のひとこと:景行天皇が熊襲征討の帰途、当地で祈願成就の祭りを行った故地です。その際、帝の太刀と甲冑を埋納した所が鎧塚(古墳)であり、それが当社の創祀とされます。伝説の実年代はさておき、保延4(1138)年に社殿改築の記録があることからも相当な古社です。
@当地の狛犬は多様で系統づけが難しいのですが、非常に細い「針」のような牙という点では、当地の神崎神社A貴船神社と共通性があり、隣の小竹町の南良津神社@にも通ずるものがあります。容貌を強く印象づける要素であるだけに、ひとつの伝統と言えそうに思われます。
A口角が極端に上がり、その口中からは荒々しい牙がのぞいています。玉を取る前肢の爪も逞しく、力強さを最大限に意識した造りです。とは言えノミ使いはかなり繊細です。爪の形などを見ますと、むしろ細部にこだわった技術誇示の意欲も見て取れ、面白い作品になっています。
B大枠では他の2対と同じ範疇の作品と見受けられますが、幾分素朴さが感じられる作品です。素材が柔らかいのか、温かみの感じられる肌合いで好感が持てます。ただしその代わり、前肢の欠損という代償を払っています。石質の硬軟は常にこの二律背反を抱えています。


大都加(おおつか)神社

提供者:hisaLinさん
12.12.17
hisaLinさんのコメント:古賀、福津市周辺をサイクリングした時立ち寄りました。495号線沿いに、髭を散髪屋さんで綺麗にカットしたような狛犬がいました。
(福岡県福津市生家)
狛太郎のひとこと:江戸期に「大塚」神社と称されていた通り、当社は古墳(塚)の傍に鎮座しています。当時の村人が、これが古墳であることに気づき、産土神として祀ったもののようです。その後「祭神不詳」となりましたが、明治期に埴安彦命(土・陶器の神)を主祭神としました。
ヒゲを短く切り揃えた紳士然とした風貌です。ヒゲが造る段差がシャープで、陰影を伴っているのでよりそのように感じるのでしょう。注目はアウンのヒゲの造り分けです。「アは獅子で巻毛、ウンは狛犬で直毛」という古来のしきたりを、ヒゲに反映したもののようにも思われます。


天疫(てんやく)神社

提供者:hisaLinさん
12.12.18
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。下曽根駅近くの踏み切り渡ったところにあった神社に、宇佐、中津地方?で見かけるような狛犬が居ました。
(福岡県北九州市小倉南区下曽根)
狛太郎のひとこと:小倉には同名神社が幾つか点在しています。その名からして悪疫退散を祈願して勧請されたものであり、同名他社ではその神徳を持つ素盞鳴尊を祀っています。当社では御津波能売神(ミヅハノメ=水神)が筆頭に掲げられ、いささか事情を異にしているようです。
宇佐(貴船神社など)、中津(貴船神社など)に限らず、旧豊前国域にはなぜかこの大玉取様式が多く見受けられます。豊前国に隣接する小倉で、その影響を受けたのは自然なことです(蒲生八幡宮など)。ただし顔立ち、体型などにはそれぞれの地方色が出ていて面白いです。


砥上(とかみ)神社

提供者:hisaLinさん
12.12.19
hisaLinさんのコメント:386号線から77号線に入って、朝倉方面へ走る途中に立ち寄りました。
砥上岳登山口近くにあった神社に、筑後型?風の狛犬がいました。
(福岡県朝倉郡筑前町砥上)
狛太郎のひとこと:神功皇后が新羅征討にあたり、兵士に武器を研がせたので「砥上」の地名が起こったとされます。また筑前町の旧町名の「夜須(やす)町」は、神功皇后が熊襲討伐に成功し「心が安(やす)し」と言ったことによるとも伝えられ、神功皇后伝説の色濃い土地です。
朝倉地区には筑後型のバリアントが多く見られ、これもそういうものの一つです。筑後型らしさはマッチョな体型をはじめ随所に残されていますが、一方で歯を鋸歯列に変えたり髪に繊細な毛筋を付けるなどの工夫が付加されています。これはその中でもヒゲの形が独特です。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
12.12.23
hisaLinさんのコメント:大牟田から久留米方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
八女方面でよく見かける狛犬がいました。
(福岡県筑後市中折地)
狛太郎のひとこと:地名「折地(おりじ)」は、古代の条里制と関係がありそうに思われます。1町(106m)四方を基本単位とし、それを10分割する際の方法に「長地」と「半折地」があります。「折」の付いた地名は各地にありますが、これらのいくつかはその名残ではないでしょうか。
狛犬は筑後型の変種と思われるものです。一見それとは気付きにくいほどですが、足首の飾毛などに面影を残しています。筑後市(玉垂命神社A)、八女市(熊野速玉神社@A)、みやま市(八幡神社B)など久留米南方地域に多く分布しており、格狭間のような口の形が特徴です。


末広(すえひろ)神社

提供者:hisaLinさん
12.12.24
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。
久留島記念館、三島公園付近にあった神社に浪速型っぽい狛犬がいました。
(大分県玖珠郡玖珠町森)
狛太郎のひとこと:来島(くるしま)水軍の出身である森藩藩主久留島氏が、慶長6(1601)年に故郷の伊予国から大山祇神社を勧請したのが創祀で、山の神、大山祇命を祀っています。童謡の父・久留島武彦が森藩主の直系子孫であることは、八坂神社の項でご紹介した通りです。
狛犬は浪花型に似ており、尾の形も関西風の扇状です。大分県にこのタイプ(桜八幡神社御祖社薦神社@など)のほか、尾道型(奈多宮)、出雲型(若宮八幡宮A)など、各地の代表的な様式が揃っているのには、九州の他県にはない何らかの事情があるように思われるのです。


崎野(さきの)神社

提供者:hisaLinさん
12.12.26
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
496号線沿いにあった神社に、築上町の金富神社@綱敷天満宮@A、宇佐市の柁鼻神社@と同じ雰囲気の狛犬がいました。
(福岡県行橋市西泉)
狛太郎のひとこと:明治の合併で行事村と大橋村の名をとって行橋町が誕生し、昭和期にこの泉村などを併せて行橋市となりました。当社は菅原道真を祀る天満宮です。創建は不詳ですが、文政11(1828)年に火災焼失の後、天保6(1835)年に再建という棟札が残されています。
狛犬は白い石肌にしっかりした彫刻が施され、スマートな痩躯とヒトミのある目が印象的です。ご指摘の3社とは同じ様式と見て差し支えないようです。虚空に視線を送る目がリアルで生々しいほどですが、これがこのタイプの印象を決定づけていると言っても過言ではありません。


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