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狛友(こまとも)から頂いた写真と情報を掲載します。
お気軽に情報をお寄せ下さい。
メールの添付ファイルとしてお送り下さい。楽しいコメントも期待します。
写真等をここに掲載する以外の目的で利用しないことをお約束します。
しかし万一盗用や転用された時、当方では対処いたしかねます。
従って、そうした場合に支障のあるデータは送らないで下さい。
なるべく欲しいデータは@奉納年A石工名B大きさ(目分量可)C神社名と所在地D神社由緒(由緒看板の写真など)Eあなた自身の感想、などです。また極力、斜め前からの写真を一枚入れて下さい。


加茂(かも)神社

提供者:hisaLinさん
13.01.01




@





A
hisaLinさんのコメント:久留米駅から210号線沿いに日田までサイクリングした時、立ち寄りました。筑後型風の狛犬が2対いました。
(福岡県うきは市浮羽町山北)
狛太郎のひとこと:「浮羽」は古代の「的邑(イクハムラ)」です。当地を訪れた景行天皇に酒食を献じた際、「膳夫が盞(ウキ=盃)を忘れたのでこの地を「ウキハ」と名付けた」また「今は訛って『イクハ』と言う」(日本書紀)とあるので、8世紀頃は「イクハ」と言っていたことが分かります。
@浮羽町は筑紫平野の東端に位置し、大分県日田市に隣接する町です。日田まで行くと、筑後型の影響を受けたと思われる独自の狛犬(宮地嶽神社大原八幡宮など)が普及していますが、これは典型例に近い筑後型です。久留米周辺から運ばれたものではないかと思われます。
Aこれもほぼ典型的な筑後型です。@同様耳が造り分けられ、前肢の足位置も約束通りです。筑後型は遠く玖珠町にまで到達していることを思えば(瀧神社@B万年神社)、同じ福岡県内のことであり驚くには当たりませんが、この型の普及範囲の広さに改めて気付かされます。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
13.01.02
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋、折尾駅までサイクリングした時立ち寄りました。
23号線沿いに駅館川を渡った所に、足が短いが熊本風じゃない、顔立ちは宇佐風の狛犬がいました。
(大分県宇佐市子安町)
狛太郎のひとこと:「子安(こやす)」は「安産」の意味です。医療体制の整わない時代には、無事な出産を神仏に祈るしかありませんでした。従って各地に子安観音や子安地蔵の信仰があり、子安町はそれが地名になった例です。当地にもやはり子安観音が祀られています。
足の短さは熊本狛犬並ですが、それ以外はご指摘のように「宇佐風」と呼ぶべきものです。独特な顔立ちが印象深く、太い眉、力強い目、丁寧に造られた毛筋と渦なども、宇佐市の他の狛犬に共通する要素です。とりわけ、当作品はヒトミが穿たれて一層鋭い眼光を放っています。


桜田(さくらだ)八幡宮

提供者:hisaLinさん
13.01.05
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、岩国までサイクリングした時、立ち寄りました。
2号線沿いに周南市に入った所で、幼児体型風の狛犬がいました。
(山口県周南市戸田)
狛太郎のひとこと:03年の合併で周南市が誕生するまでは旧徳山市、さらに古くは都濃郡戸田(へた)村でした。当社は和銅3(710)年、元明天皇の勅により国司が八幡神を勧請、とあり、相当な古社です。永正6(1509)年に大内義興が現在地に遷座、現社号に改称しました。
狛犬は胸を反らせ、首を上げて高い所を見つめる風情です。目にはヒトミが刻まれ、横に張った鼻、頑丈そうな歯列とともに、しっかりした個性ある顔立ちです。それに対して体部は華奢で、脚線などは強度を度外視したかのようです。何かしら造形上のコンセプトが窺える作品です。


志々岐(ししき)神社

提供者:hisaLinさん
13.01.07
hisaLinさんのコメント:糸島半島一周サイクリングした時、立ち寄りました。
このあたりで見かける狛犬がいました。
(福岡県糸島市志摩御床)
狛太郎のひとこと:白鳳元(661)年に平戸志々伎神社を勧請した古社で、それは白村江の戦い(663)の直前です。志々伎神社は肥前に4つある式内社の一つで、志式神社志自岐神社は同系神社です。いずれも海浜に位置しており、対外緊張の高まりと関係があるかも知れません。
狛犬は暫定的に前原型と名付けているものであり、糸島市(旧前原市・志摩町・二丈町)に集中的に分布している型です。丸い目でアは玉を噛み、ウンは玉を取るのが共通要素です。彫刻が洗練され完成度が高いことから、近代以降に確立した様式ではないかと想像しています。


釣殿宮(つりてんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.01.08
hisaLinさんのコメント:大牟田から209号線沿いに久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。このあたりで見かける狛犬に似ていますが、少し貧相さが前面に出た狛犬がいました。
(福岡県みやま市瀬高町太神)
狛太郎のひとこと:天智天皇が皇太子の時、当地に滞在した場所を祀ったものとされます。天智帝はむしろ、大化改新(645)の主役「中大兄皇子」としての方が有名かも知れません。徴兵のため九州に来られたとされ、千手八幡宮恵蘇八幡宮などにも関連した伝説が残されています。
狛犬はみやま市(水天神社天満神社など)を中心として、柳川市(白鳥神社など)、大牟田市(熊野宮など)、熊本県荒尾市(野原八幡宮など)にまで分布する一族です。ただしそれらが比較的肉付きが良く、子獅子を抱いていたりするのと比べて体格は華奢で、彫りも簡素です。


天山(てんざん)神社

提供者:hisaLinさん
13.01.13
hisaLinさんのコメント:唐津から203号線を多久、鹿島までサイクリングした時立ち寄りました。
唐津型の狛犬がいました。
(佐賀県唐津市厳木町広瀬)
狛太郎のひとこと:天山(1046m)は佐賀平野の北限に広がる天山山系の主峰で、広い範囲から仰ぐことができる、佐賀県の代表的な山です。当社は3つある天山神社下宮(岩蔵天山神社晴気天山神社)の一つで、大宝2(702)年勧請の古社です。宗像三女神を祀っています。
どこをとっても典型的な唐津型です。唐津型を間近に見ると、とても威圧感があります。その源泉はやはり顔立ちにあり、特に目つきの鋭さが特筆されます。体部にはさしたるデフォルメもなく、むしろすっきりした体型ですが、胸と腹を分ける横線が引き締まった印象を与えてます。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.01.14
hisaLinさんのコメント:伊万里駅から有田、佐賀駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
笑顔が印象的な狛犬がいました。
(佐賀県武雄市山内町宮野)
狛太郎のひとこと:山内町は文字通り山に囲まれた盆地で、06年に合併で武雄市の一部となりました。かつて町役場やJR駅のあった三間坂が(みまさか)その中心地でした。三間坂の「坂」は、地形図を見れば、「坂」に取り囲まれた土地に由来することが明らかと言えます。
狛犬は塩田型です。端正な蹲踞の姿勢、律儀なほど揃った歯列、豊かで美しい尾でそう判断できます。佐賀県内の狛犬のうち、砥川型と塩田型は歴史的にも同系で、あまり厳しい忿怒相ではない点が共通しています。このアの表情も、のどかな田園風景によくマッチしています。


河内(かわち)神社

提供者:hisaLinさん
13.01.17
hisaLinさんのコメント:雙津峡から錦川清流線沿いに、岩国駅までサイクリングした時、立ち寄りました。顔立ちはこのあたりに多いタイプですが、ポーズは襲い掛かりそうな狛犬が1対いました。
(山口県岩国市美川町四馬神)
狛太郎のひとこと:山神の大山祇命を祀っています。岩国には河内神社が集中(南桑河内神社など)していますが、祭神は罔象女(みずはのめ)、久久能智(くくのち)神、金山姫(かなやまひめ)など多様で、かつ日本神話において主役級ではない神々に限られている点が神秘的です。
出雲式の体勢が取り入れられていますが、材質や顔立ちなどは瀬戸内方面のものです。堅そうな石にしては彫刻が繊細で、美的です。年代は分かりませんが、技術が向上した江戸末期以降のものかと思われます。スタイルは異なるものの、南桑河内神社とは同系統のようです。


貴船宮(きふねぐう)

提供者:hisaLinさん
13.01.18
hisaLinさんのコメント:赤間周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
近いからか、生目八幡神社の狛ちゃんに似た狛犬が1対いました。
(福岡県宗像市曲)
狛太郎のひとこと:祭神の闇(くら)オカミ神は、伊邪那岐命が火の神、迦具突智命を斬ったときに、その剣に付いた血から生まれたとされます。オカミは雨の下に口を四つ並べ、そのまた下に龍という厳めしい漢字です。誕生の経緯も名前の用字も、いかにも神秘的で謎めいた神です。
風化して顔立ちは判然としませんが、生目八幡神社とは似た点があるようです。そうするとやはり同市内の七社宮とも類似と見ることができます。いずれもウンに小さな一角があり、足首に向かって細くなる前肢の形なども共通性があります。当地の標準的な意匠なのかも知れません。


天神社(てんじんしゃ)

提供者:hisaLinさん
13.01.19
hisaLinさんのコメント:鹿島から柳川までサイクリングした時、立ち寄りました。
このあたりに多い狛ちゃんですが、顔はお猿さんに似た狛犬がいました。
(佐賀県佐賀市川副町大字小々森字道免)
狛太郎のひとこと:旧佐賀郡川副町です。町域の半分は江戸期以降の干拓地であるとされます。町史によれば、明治23年には神社数125社とあり、規模の割に極めて多い数です。その後、集落の統合とともに神社の合祀も進みましたが、今でも相当数が保存されています。
狛犬は砥川型岩狛です。飾り気が少なくやや類型的な砥川型の中では、比較的個性が前面に出ている作品のようです。前立の岩が一般的な砥川型より高く、狛犬は幾分伸び上がるような姿勢となっています。その結果、他の砥川型に比べて縦長なフォルムになっています。


二宮(にのみや)八幡宮

提供者:hisaLinさん
13.01.22
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から八代までサイクリングした時、立ち寄りました。
このあたりで見かける狛ちゃんがいました。
(熊本県玉名郡長洲町高浜)
狛太郎のひとこと:平将門追討祈願のために勧請されたという古社です。逆賊とされる将門ですが、関東では絶大な人気があり、数多くの神社に祀られています(当サイト国王神社)。遠く九州肥後国にもその余波が及んでいたわけで、当時のセンセーションを窺い知ることができます。
狛犬は熊本県北部(庄山神社@熊野神社綿津見神社など)から、福岡県南部(諏訪神社熊野宮釣天宮など)にかけて分布する一群に似ており、恐らくこれらと同系と思われる作品です。発祥地はまだ分かりませんが、どちらかというと熊本色が強いように思われます。


日吉(ひよし)社

提供者:hisaLinさん
13.01.23




@





A
hisaLinさんのコメント:田川駅から水巻駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
このあたりで見かける狛犬と、もう1対いました。
(福岡県田川市糒)
狛太郎のひとこと:「糒(ほしい)」は難読地名のひとつです。字義は「蒸して乾燥させた米(干飯ほしいい)」です。水で戻して食する保存・携行食であり、昔の兵士に配給された食糧でもあります。これが地名になっているということは、当地でこれが生産されていたことが考えられます。
@旧豊前・豊後国の領域に広く分布している、浪花型風の狛犬であり、国東方面(武多都社事代主神社など)、豊後高田(貴船神社)、中津(薦神社@)、及び田川方面(若八幡神社@白鳥神社など)で見られます。ただこれが本当に浪花型に由来するのかは、断言できません。
A旧豊前・豊後国の領域にはまた、尾道型風の大玉取りも広く分布しています。この場合は本場の尾道型を忠実に再現したものではなく、「大玉取り」というモチーフだけを導入しています。
従って顔立ちや体つきはまちまち(若宮八幡宮@奈多宮など)で、多様性に富んでいます。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
13.01.27
hisaLinさんのコメント:糸島半島一周サイクリングした時、立ち寄りました。
このあたりで見かける狛犬がいました。
(福岡県糸島市志摩久家)
狛太郎のひとこと:「久家」の読みは「くが」です。「くが」地名は「陸」「久賀」「久我」など全国各地にあり、古語の「国処(くが)」が起源で「国があったところ」という説があります。「志摩」が倭人伝の「斯馬(しま)国」かも知れないことを考えると、なかなか興味深いことになってきます。
狛犬は前原型です。丸い目とヒラヒラした耳がチャーミングなタイプで、糸島市全域(旧前原市旧志摩町旧二丈町)に分布しています。前原地区に特に報告例が多いので、前原型と名付けています。どれも製作年が不明ですが、江戸期には様式として確立していたと思われます。


波折(なみおり)神社

提供者:hisaLinさん
13.01.31




@





A
hisaLinさんのコメント:福津市周辺をボタリングした時、立ち寄りました。
全く異なったタイプの狛ちゃんが2対いました。
(福岡県福津市津屋崎)
狛太郎のひとこと:瀬織津(せおりつ)大神など、海神3柱を祀っています。神功皇后が新羅から凱旋の際、当地にその3神が顕現したことから、ここに神垣を設けて奉斎したとあります。また昔、漁師が暴風に遭った時、神が現れて風波を鎮めた(波を折る)というのが社名の由来です。
@これまでの福津市の狛犬とは、かなり趣を異になる一対です。表面を奇麗に磨いたものが多い中で、石質が違うこともあって、細かい凹凸のある肌です。また全体の象容も、大都加神社に代表されるような、非常に几帳面な感じの細工とは異なり、大らかさが前面に出ています。
A堂々とした肢体と胸を反らせた姿勢は、同市内の楯崎神社の狛犬に通じるものがありそうです。また尾の形は森神社大都加神社に似ており、少ないサンプルの中でも何となくこれが福津風なのかなと思わせます。足元の磐は台座に埋め込んであるように見え、やや特殊です。


白山(しらやま)神社

提供者:hisaLinさん
13.02.02
hisaLinさんのコメント:糸島半島一周サイクリングした時、立ち寄りました。このあたりで見かける狛犬がいました。志摩久家の日吉神社の狛ちゃんとは似てないようだが、もしかして兄弟かもと思われる狛ちゃんがいました。
(福岡県福岡市西区今津)
狛太郎のひとこと:全国に3千社もあるという白山神社の総本社は、石川県の白山比盗_社です。原始的な山岳信仰が修験者によって体系化され、普及したものといわれています。当社の祭神イザナミ命は、日本の国土をはじめ多くの神々を産んだ女神であり、日本の創造主です。
狛犬は前原型です。耳の形、玉を噛むアの姿や、糸島半島の一部という地理的条件からも、一連のものと同系と見てよいようです。ただ、前原型の多くが比較的短躯で可愛い印象であるのに対し、この作品では成熟した体型で表されています。類型の一つと言えるかも知れません。


松尾(まつお)神社

提供者:TAKOさん
13.02.06

@




A




B
白潟天満宮
(松江市天神町)
平成14年奉納

TAKOさんのコメント:
@出雲かまえ。皇紀2600(1940)年奉納。
Aお手玉狛犬。近辺で見かけない形です。良く残っているなぁと思います。
お手玉狛犬の相方は 台座に爪しか残っていませんでした 遅かったようです。
耐久を全く無視した、壊れたら又作ればいいさという出雲の風土だと思います。
B出雲式で玉取の例
(島根県松江市松尾町)
狛太郎のひとこと:松尾大社から、寛政13(1801)年に勧請されました。松尾大社は大宝元(701)年創建の、京都でも最古の神社の一つで、酒造神として知られます。松尾神社では本社と同じ大山咋命のほか、木花之佐久夜姫(このはなのさくやひめ)命を併せ祀っています。
@堂々たる出雲式です。頭を下げ、尻を高く上げる姿勢が極めて独創的で美観に優れたこの様式が、いつ成立したのかは判然としません。寿命が短く、古いものが残りにくいという来待石の特性に一因がありそうです。本作品も奉納年の割に古色を帯びて、風格が滲み出しています。
A出雲狛犬のバリアントと思われますが、砲丸投げのように片手で玉を捧げ持つという構図は、他の様式を含めてとても珍しいものです。そもそも軟弱な来待石で造るのに、これでは強度を保てそうにはありません。アイデアを形にすることを優先した、石工の意地なのでしょうか。
B安価な量産狛犬が増える中、手抜きのない伝統的様式の新作が造られていることに喜びを覚えます。@の「出雲式で玉取」という意匠が珍しいとお伝えしたところ、そうでもないということのサンプルとして送って頂きました。本場ではそれほど稀少なデザインではなかったようです。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
13.02.11




@





A
hisaLinさんのコメント:久留米から、耳納連山沿いの151号線を吉井までサイクリングした時、立ち寄りました。筑後型の狛犬が2対いました。
(福岡県うきは市吉井町福益)
狛太郎のひとこと:生葉郡星野邑に起こった星野氏が、鎌倉〜戦国にかけて当地を領し、当社を守護神としたと伝えられます。星野氏は一説によると、同族の黒木氏とともに多田源氏の源助能の後裔で、助能が後鳥羽天皇から賜った伎楽面を社宝として伝えるとされる古社です。
@筑後型はその中心地である久留米市から遠ざかるにつれ、少しずつ変化し、次の拠点でその土地なりの進化を遂げて定着しているように見受けられます。拠点の一つがこのうきは市であり、ここでは歯列が鋸歯列に変わっていることが多いようです(宮地嶽神社@Aなど)。
Aこちらは筑後型本来の特徴をそのまま受けついでいる例と言えます。歯列は門歯列であり、口の開き方にもそれが窺えます。またウンが一角を有する点も、典型例ではよく見られるものです。細部にこだわらない、ざっくりとした大らかな造りが筑後型の原点ということができます。


厳島(いつくしま)神社

提供者:hisaLinさん
13.02.12
hisaLinさんのコメント:宮若、中間市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。この辺りでは見かけない、どちらかというと田川方面で見かけるような狛犬が1対いました。
(福岡県宮若市上大隈)
狛太郎のひとこと:06年に鞍手郡宮田町と同若宮町が合併して宮若市が誕生しましたが、元の両町とも「宮」の字を含んでいます。この「宮」とは、当地を領した宗像大社にほかならないと思われます。厳島神社の祭神は宗像三女神であり、同じ信仰圏に属していたのは確かです。
狛犬は宮若市や宗像方面では見かけないものです。というより、福岡北部全体を見渡しても、同類と思われる狛犬は見当たりません。厚みのある円盤状の渦が珍しく、大腿部に小渦の突起を付けるのも周辺では例がありません。また、アウンで顎ヒゲをやや造り分けています。


若宮(わかみや)八幡神社

提供者:hisaLinさん
13.02.17
hisaLinさんのコメント:佐賀駅から久留米方面までポタリングした時、立ち寄りました。22号線沿いの豆津橋に行く途中にあった神社に、お爺さんの雰囲気を持った狛犬がいました。
(佐賀県三養基郡みやき町白壁)
狛太郎のひとこと:昔の三根郡、養父郡、基肄郡を合わせた「三養基郡」があり、「みやき町」はこれに由来します。三根、養父、基肄は肥前風土記にも見える古い地名です。鳥栖市の名の元になった鳥栖郷も養父郡に属していました。大宰府に近く、古代から重要な地域でした。
狛犬は古代型です。現在当地域は筑後型が席巻していますが、そうなる前は地元石工による独自様式が確立していました。それがこの型であり、綾部八幡神社祇園神社千栗八幡宮若宮八幡神社など、枚挙にいとまがないほどです。途絶えてしまったのがとても残念です。


天神社(てんじんしゃ)

提供者:hisaLinさん
13.02.18
hisaLinさんのコメント:唐津から202号線を伊万里まで走ったとき、立ち寄りました。
見るからに唐津型と判る狛犬がいました。
(佐賀県唐津市千々賀)
狛太郎のひとこと:天神社の多くは菅原道真を祀っています。京都で天変地異が多発したのは道真の祟りであるとし、天満天神として奉じたことによります。しかし名も知れぬ「天(あま)つ神」を祀った古来からの天神社もあります。当社がそのどちらの系統であるかは不明です。
狛犬は典型的な唐津型です。佐賀の3系統の狛犬の中で、砥川系の2系統に比べて異彩を放っています。怖い顔立ちに加え、胸の横一文字のエッジで引き締まった印象を与えています。
この狛犬の場合は、さらに腹部に縦の溝を刻み、力強さと美観を強調した独特の意匠です。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.02.22
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から八代までサイクリングした時、立ち寄りました。足の短さからして熊本の狛犬と思いますが、今まで見た熊本の狛犬の中でもダントツに短かくて、また顔も髭濃くない分、違うような狛犬がいました。
(熊本県荒尾市金山)
狛太郎のひとこと:玉名市と福岡県柳川市を結ぶ三池街道沿いに鎮座しています。当地は戦国時代、肥前の龍造寺氏が勢力を伸ばし、金山原で地元の大野氏を滅ぼした古戦場でもあります。金山という地名は鉱山の存在を思わせますが、それらしい情報は見当たりませんでした。
狛犬は短足が特徴の熊本狛犬の中でも、「最短」ではないかと思われるものです。それでいて、全体的には不均衡さが感じられず、むしろ安定感のある良い構図であるところが不思議です。また熊本狛犬で、アウンとも開口というのも初めて見ました。何かと特徴的な作品です。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
13.02.25




@





A
hisaLinさんのコメント:遠賀川駅から芦屋町を通って、495号線をサイクリングした時、立ち寄りました。2対の全く違う狛犬がいました。
(福岡県北九州市若松区宮前町)
狛太郎のひとこと:近江の日吉大社の祭神大山咋命は、古事記にも登場する比叡山の地主神で、最澄が延暦寺を築いてからは、その守護神となり天台宗と一体的に発展しました。各地の日吉(日枝)神社は、天台密教の広がりを示すものです。当社もそれらの一つと考えられます。
@同じ若松区の枝光八幡宮(中段)とは、口の幅が広く、口角が上がった独特の形状が相似です。口の形を特に際立たせる手法は、タイプは違いますが遠賀郡浅木神社などのほか、田川市郡の狛犬たちにも共通性があり、福岡県北部地域で相互に影響し合った形跡があります。
A口の周りを縁取ったような唇の造りは、@もそうですが、北九州方面でよく見かけるように思います(菅原神社など)。比較的新しそうであり、彫りも深いので、必ずしも古典的な様式をなぞったものではないかも知れませんが、全体的な印象としては、やはり北九州的な感じです。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
13.02.26
hisaLinさんのコメント:飯塚から桂川を通って、嘉麻市方面をサイクリングした時、立ち寄りました。嘉麻市役所の近くにあった神社に、朝倉地方に多い狛犬がいました。
(福岡県嘉麻市上臼井)
狛太郎のひとこと:明治以来数回の合併を繰り返して、平成18年に嘉麻市が誕生しました。
市名はかつての嘉麻郡(のち穂波郡と合併して嘉穂郡)によります。上臼井の町名由来は嘉麻郡碓井町かと思われ、市名町名とも、歴史的地名を残す努力が払われていて、好ましいです。
狛犬はかなり損傷していますが、元々は柔らかな毛筋をまとった優雅な姿だったと思われます。体つきは中肉中背で、朝倉型の隆々とした体型とは異なりますが、特徴的な牙の形や、小さな玉を取る体勢には共通点があります。近い地域なので影響を受けたことは考えられます。


平岡野(ひらおかの)神社

提供者:hisaLinさん
13.02.27
hisaLinさんのコメント:金沢旅行に行ったときに、立ち寄りました。
金沢駅近くにあった神社に、量産タイプの狛犬がいました。
(石川県金沢市広岡町1-11-1)
狛太郎のひとこと:延暦20(802)年に天台座主が、北辺の鎮護として勅命により勧請した古社です。古くは平岡山王宮と称していました。ところで、鎮座地の現在地名は「広岡」ですが、平安期には「平岡」と表記していたようです。神社の名に古地名が保存されているわけです。
狛犬は岡崎型です。近年はこの型の簡略モデルが増えたため、一向に興趣のないものの代表のようになっていますが、本来の岡崎型は歴史が古く、変遷を重ねて明治期に原型が確立したものです。この作品は昭和期以降に、工具の発達で装飾過剰になった時期のもののようです。


諏訪(すわ)神社

提供者:tocchiさん
13.03.01




@
鳥居脇





A
社殿正面





B
末社稲荷神社





C
末社稲荷神社
tocchiさんのコメント:先日、立川市柴崎町“諏訪神社”へ行ってきました。
@A新しい狛犬さん達でしたが、堂々としていらっしゃいましたよ!
天気が今ひとつで、ちょっと寒々しい写真ですが・・・。
B奥の“稲荷神社”には趣のある感じの一対が。
でもこちらは、またまた近くに寄れませんでした。
C隣にお稲荷さんもいらっしゃいましたよ。
鳥居と正面の狛犬さんの感じは、「あ!こっち(=新しいの)か・・・!ちょっと残念・・・!」と思ってしまうんですよ〜。その後“稲荷神社”を見て、「あ!この顔は嬉しい!けど遠い・・・・」ってね!
でも、それを尋ねて歩くのが楽しいですね。
(東京都立川市柴崎町1-5-15)
狛太郎のひとこと:弘仁2(811)年に勧請されたという古社です。祭神の建御名方命は出雲の大国主命の御子で、「国譲り」事件で天孫と戦った軍神です。その後信濃国に移ってからは、農業神としても崇敬されました。旧武蔵国には氷川神社をはじめ、出雲系の神社が多くあります。
@岡崎型の現代版です。よく造り込まれていますが、如何せん手作り感には乏しい像容です。これとても電子制御で自動製造されているわけではないので、大量生産品というには当たらないと思うのですが、こつこつノミで手彫りしたものと比べるとどうしても評価が低くなります。
A大宝神社の木像狛犬(重文)がモデルとされ、胸を張った堂々とした佇まいが好まれ、各地で造られています。招魂社(護国神社)に多いとも言われ、確かに英霊を祀る社の守護獣としては適任のような気がします。ただ@と同じ理由で、狛犬愛好家の評価対象ではありません。
B伝統的な江戸型です。複雑な彫刻や流麗な毛並みはまるで木彫を思わせ、木に比べはるかに制約の多い石であることを考えると、技術力、表現力の頂点というべき様式だと思います。
多くは豊満な体型でゆったりした印象ですが、この作品はやや剽悍さが優っているようです。
Cキツネは稲荷神の眷属とされるため、稲荷神社ではキツネのアウンが狛犬の代わりを勤めていることも多いです。キツネも守護獣として置かれているので多くは忿怒相ですが、この作品ではやや俯き加減で柔和な表情をしています。三峯神社Cのオオカミ狛犬にも似た印象です。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
13.03.04
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
このあたりで見かける、玉乗りタイプの狛犬がいました。
(大分県宇佐市畑田)
狛太郎のひとこと:宇佐市には貴船神社が多いようで、このサイトでも5社目の登場となります。貴船神社は水神を祀る社であり、穀倉地帯として水利の重要性がひときわ高かったからと想像されます。コントロールできない降雨や日照を、神に託した古人の思いが伝わってきます。
宇佐市にはこれと同様の大玉取が目立って多く、貴船神社貴船神社荒木天満宮など枚挙にいとまがありません。またその造形は宇佐独特とも言えるもので、毛筋を丁寧に刻出した美観に加え、大きく見開いて睥睨する目の力が際立っています。非常に印象深いモデルです。


山崎(やまさき)八幡宮

提供者:hisaLinさん
13.03.09




@





A
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、岩国までサイクリングした時、立ち寄りました。
@一対は北九州市や北九州周辺で見かる狛犬さん、
Aもう一対は独特な雰囲気を持った狛犬がいました
(山口県周南市宮の前)
狛太郎のひとこと:往古は「江宮(えのみや)」と称した由です。同市江の宮町には「江ノ宮神社」があり、関係がありそうですがわかりませんでした。また、広島県にも「埃の宮(えのみや)」があって気になるところです。古い言葉は漢字表記より読み方に意味があることが多いです。
@第一印象は「北九州市にありそうなタイプ」です。白い肌、角張った頭部、口の形、また縁取りのような唇などから、そう感じられます。しかしこのタイプの中心地は中国地方なのかも知れず、断定できません。鼻の形が山口市の今八幡宮@、宇部市の琴崎八幡宮@にそっくりです。
A肌合いは安山岩のように見え、柔らかい分、緻密な彫刻が施されています。胴長で後肢は極端に短く造られています。しかしそれが却って伸びやかな印象をもたらしています。口幅が狭く、顔の造作が全て前面にあるため人面のように見え、その点も独特な印象の一因のようです。


場所非公開

提供者:hisaLinさん
13.03.12
hisaLinさんのコメント:唐津駅から多久、鹿島までサイクリングした時、立ち寄りました。
本殿の前に、高さ30cmぐらいの肥前狛犬がいました。
(佐賀県唐津市厳木町)
狛太郎のひとこと:小規模な農業集落の氏神として、古来祀られてきた山間の小社です。社頭には小川が流れ、参道に架かる眼鏡橋は石工の高い技量を示す作品とされます。おそらく最初は、神に固有名詞もなく、氏神とだけ認識されつつ日々崇敬されてきたのではないでしょうか。
肥前狛犬にも幾つかの流派があり、これはそのうちの一つとして典型的なものです。製作時期は17世紀の前半と推定され、実際の像高はアウンとも18a前後です。素朴な造形ながら、正円を描く目と周囲の処理などはアーティスティックであり、プロの手並みであるのは確かです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.03.17
hisaLinさんのコメント:宮若、中間市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺り、もしくは朝倉地方等でよく見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県宮若市乙野)
狛太郎のひとこと:乙野は江戸時代の乙野村です。地名は場所を特定するのに不可欠な語であるからか、時を経ても何らかの形で残るもののようです。一説では、千年後も90%が残るといいます。地名が「言語の化石」と呼ばれる由縁であり、歴史遺産とも言える貴重なものです。
美しい毛並みをまとっている割には、ゴツゴツした無骨な感じを受けます。太めの体つきと短い首、また太すぎる牙などがその印象を強くしています。ただ毛筋の付け方は非常に丁寧で、どこを見てもきちんと平行が保たれており、陰影に富んだきれいなウエーブを描いています。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.03.19
hisaLinさんのコメント:鳥栖駅から佐賀市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
佐賀でも見かけないような狛犬がいました。
(佐賀県三養基郡上峰町堤)
狛太郎のひとこと:明治期に4村合併で上峰村が発足し、平成元年に町制が施行されました。ここは古墳などの遺跡も豊富で、とりわけ応神天皇5代孫とされる都紀女加(つきめかみこ)王墓(5c)は、佐賀県で唯一宮内庁管理による、全長50mの前方後円墳として有名です。
狛犬は確かに佐賀ではあまり見ないタイプで、上峰町内にも似たものはありません。そもそも、この尾の形が佐賀風ではありません。してみると佐賀に近い久留米市城島町あたりが候補かと思われますが、伊我理神社Aの尾が幾分似ている程度で、決め手にはなりかねます。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.03.20
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時、立ち寄りました。
八女地方でよく見かける狛犬がいました。
(福岡県みやま市瀬高町小川)
狛太郎のひとこと:当地は明治期の小川村です。明治34年の合併で旧山門郡瀬高町ができ、同40年に小川村などが合流して新瀬高町が発足しました。更に平成19年に現みやま市となりました。邪馬台国九州説では旧山門郡が候補地の一つであり、古い歴史のある地域です。
狛犬は八女地方に多く分布(熊野速玉神社など)するタイプで、筑後型のバリアントと思われるものです。元の形からははなはだ変形していますが、胸、前肢、足首の飾りなどにその痕跡を留めています。口の形が特徴的で、アは口角が丸く、ウンは「へ」の字に強く結んでいます。


富岡(とみおか)神社

提供者:hisaLinさん
13.03.23
hisaLinさんのコメント:長崎駅から島原、天草方面をサイクリングした時、立ち寄りました。
富岡フェリー乗り場近くに、阿吽共に胸に鈴をつけたような彫刻がありました。
(熊本県天草郡苓北町富岡)
狛太郎のひとこと:天草下島にある稲荷神社です。慶長8(1603)年、肥前唐津城主の寺沢広高が関ヶ原の戦功で天草を与えられ、富岡に築城の際、守護神として建立したものです。しかし次の代に島原の乱が勃発してそれが天草に及ぶと、問責され天草領は没収されたのでした。
狛犬は瓔珞(ようらく)を着けて胸を張り、厳めしい佇まいです。瓔珞は仏像の装身具(ネックレス)であり、インド的な要素と言えます。これを着けた狛犬としては、宋風狛犬といわれるものが嚆矢と考えられ、東大寺南大門に置かれたものが代表的です。エキゾチックな趣です。


風水(ふうすい)神社

提供者:hisaLinさん
13.03.24
hisaLinさんのコメント:久留米から、210号線沿いに日田方面までサイクリングした時、立ち寄りました。阿吽とも耳が立っている筑後型と思われる狛犬がいました。
(福岡県久留米市野中町)
狛太郎のひとこと:当初篠山城内に勧請され、延享4(1747)年に小森野、更に宝暦7(1757)年現在地に遷座とあります。イザナギ・イザナミによる万物創成で生まれた風神級長津彦(しなつひこ)命と、水神彌都波能売(みずはのめ)を祀っています。農耕には不可欠な神たちです。
狛犬は筑後型の典型例に近いものですが、耳の形を造り分けないことや、ヒゲが繊細である点など、幾分の違いがあります。鋸歯型の歯列やヒゲの形などから、様式的には久留米周縁部のものに近いものと思われます(田主丸・矢倉神社@石垣神社、太刀洗・竈神社@など)。


味島(あじしま)神社

提供者:くろのすけさん
13.03.25












月待塔↓
くろのすけさんのコメント:
碑銘を記録していないのですが、確か天保くらいの年号があったように記憶します。
なかなかスマートで、塩田石工の作らしい精緻な装飾性を感じるのですが、いかがでしょうか?

 実は、この味島神社には下のような石像もあり、気になっております。
これは二十三夜の月待塔だと思うのですが、像容が何か女神のように見えます。
普通は勢至菩薩なので、一般的にはもう少し堅い感じだと思うのですが。。
まさか倭姫のイメージ、、なんてことはないですよね。この彫刻も、月や瑞雲、天衣の様子など、塩田の作品らしい華やかさがあるように感じております。
(佐賀県嬉野市塩田町谷所鳥坂)
狛太郎のひとこと:承和年中(9C)に創建と伝える古社で、佐賀では珍しい倭(やまと)姫を祀っています。倭姫は第11代垂仁天皇の皇女で、天照大神を鎮祭する土地を求めて各地を転々と巡り、最後に伊勢の地に辿り着きました。この倭姫を祀る社は、ほかに救世神社があります。
狛犬は塩田型の岩狛です。その特徴は、前立の岩から場合によっては体部にまで、びっしりとボタンの花と葉があしらわれており、佐賀県内では類を見ない豪華さにあります。元々塩田型は砥川型から発達したものですが、「藍より出て藍より青し」の故事さながらの華麗さです。
月待行事は佐賀でも盛んだったらしく、各地に月待塔が見られます。様々な月齢の月待がありますが、佐賀では「二十三夜」が大半です。像を刻む場合は、勢至菩薩に三日月と雲を描いています。この仏は観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍として、来迎三尊の一人でもあります。


白山(はくさん)神社

提供者:tocchiさん
13.03.26




@





A

小石川植物園内
太郎稲荷神社
(文京区白山3-7-1)

tocchiさんのコメント:桜の開花が話題になり、咲き始めが好みなもので、出掛けて見ました。
小さな住宅街の神社ですが落ち着いていて、風が吹くと絵馬が鳴ってよい雰囲気でしたよ!
その後、小石川植物園に行きましたが、園内に神社が・・・。
狛犬さんが一対いらっしゃったのですが・・・、残念!!!お顔の一部が破損・・・
どんなお顔をしてたんでしょうね!?
(東京都文京区白山5-31-26)  
狛太郎のひとこと:天暦2(948)年、加賀白山神社を豊島郡元岡本(現本郷)に勧請したのが創始と伝えられる古社です。巣鴨原(現植物園内)を経て、明暦元(1655)年に現在地に遷座しました。江戸期には府内十社の一とされた名社で、祭神は謎の女神菊理姫(くくりひめ)です。
@現在の江戸型が登場する以前の、18世紀的様式の江戸狛犬です。アは頭上に宝珠を、ウンは一角を戴いて、古式ゆかしく威儀を正しています。渦の形などは後の江戸型に結実する趣向の萌芽を孕んでいますが、この段階ではまだローカル色の強い造形です。(三圍神社参照)
A植物園は現在、東大の付属研究所ですが、享保の改革(18c)で設置された小石川養生所の故地です。太郎稲荷神社という小祠も、その頃の名残かと思われます。狛犬も@同様に古式であり、養生所と同時期のものかも知れません。なお、アウンが逆に置かれているようです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.03.29
hisaLinさんのコメント:鳥栖駅から佐賀市方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける、古代型と命名されている狛犬がいました。ある一時期だけ存在したのか?ポツリ、ポツリと遭遇します。
(佐賀県三養基郡みやき町原古賀)
狛太郎のひとこと:原古賀という地名は、「空閑荒野の邑の意」(『中原町史』)とあるように、古代の主要道路である現在の川久保線からはずれ、農家が散在する淋しい寒村であったようです。ところが明治中期の鉄道開通で「中原駅」が設置されて、一躍大集落に変身した由です。
狛犬は古代型のうち、佐賀県東部に分布する一群です。江戸中期後半のものと思われ、洗練されない原始的迫力に満ちています(村田八幡宮綾部八幡神社若宮八幡神社など)。製作期間は短かったと想像されますが、当時としては新機軸であり、人気を博したと思われます。


宮地嶽(みやじだけ)神社

提供者:hisaLinさん
13.03.31




@





A
hisaLinさんのコメント:八女、黒木周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
川沿いにある神社に、この辺りでよく見かけるタイプの狛犬が2対いました。
(福岡県八女市長野)
狛太郎のひとこと:八女(やめ)は、『書紀』景行天皇条に登場する古い地名です。7世紀に上陽刀iかみつやめ)・下陽唐ノ分かれ、平安期にはそれが上妻(かみつま)・下妻に変化しました。
「やめ」が地名として復活したのは、実に千二百年も後の明治の「八女郡」発足の時でした。
@とAは共に筑後型のバリアント(熊野速玉神社八龍神社釜屋神社Aなど)です。典型例に比べると体つきは細くなり、一方装飾性は増して、本来の豪快さは影を潜めました。アウンの造り分けといった厳密さも薄らぎましたが、Aではウンが一角を戴き、片鱗を覗かせています。


曲野阿蘇(まがの・あそ)神社

提供者:hisaLinさん
13.04.01
hisaLinさんのコメント:八代市から熊本市まで、サイクリングしたとき立ち寄りました。
土地柄熊本風の狛犬が多い中、少し違う狛犬がいました。
(熊本県宇城市松橋町曲野)
狛太郎のひとこと:松橋を「まつばせ」と読む難読地名であり、下益城郡松橋町は佐賀県民にも何となく耳馴染みのある町でした。これは「松橋」という宛字の方に無理があるようで、元々は地理的に見て「マツバ瀬」だったのではないでしょうか。曲野(まがの)もちょっとした難読です。
狛犬は一般的な熊本狛犬とは大いに趣が異なります。大きい頭部、広い開口部、短い足など、シルエットは熊本風のようでもありますが、尾の形が現代岡崎型に似ており、また大腿部や四肢が扁平で角張っているなど、違いも顕著です。似たものが見当たらず、系統不明です。


御所(ごしょ)八幡宮

提供者:hisaLinさん
13.04.02
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、岩国までサイクリングした時、立ち寄りました。
今まで山口県で遭遇したことのない狛犬がいました。
(山口県岩国市南岩国町)
狛太郎のひとこと:元々「蛭子(えびす)」神が祀られていた所に、菅原神社2社、黄幡神社、夷びす神社を合祀、5柱を祀ることとなったので「五所」八幡と称した由です。それが「御所」に転化したわけですが、「八幡宮」というからには、5柱のどれかが八幡神を祀っていたのでしょう。
狛犬はちょっと変わったものです。丁寧に造られていて個性も感じられるのですが、一方で尾の造りなどはぞんざいで、現代工法のようにも見えます。かと言って現代量産型ではないので、古い狛犬の写しかもしれず、そうであるならその先代も類例のない独特のものだったはずです。


高木(たかき)神社

提供者:hisaLinさん
13.04.03
hisaLinさんのコメント:福岡市から秋月までサイクリングした時立ち寄りました。福岡市街周辺でよく見かける狛犬がいました。
(福岡県筑紫野市天山)
狛太郎のひとこと:福岡県内には高木神社が30社ほどあって、九州では突出して多いのですが、その理由はよく分かりません。祭神は天地開闢の際、二番目に出現した高御産巣日(たかみむすび)神です。その別名が高木神であり、一面では天照大神を凌ぐ最高実力者です。
福岡市周辺に普及している様式です。最もよく特徴が現れているのは古賀市の御所八幡宮で、博多区の若八幡宮がこれに次ぎます。西区の伊覩神社、南区の照天神社も同類で、更に福津市の森神社もこれに含めてよさそうです。但しこれらのうち、どれが本家かは不詳です。


小月(おづき)神社

提供者:hisaLinさん
13.04.08
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府まで走った時、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける狛犬がいました。
(山口県下関市小月宮の町)
狛太郎のひとこと:山陽道の宿場として栄えた町です。昔は周防灘が木屋川の奥まで入り込み、当地は海岸沿いであったようです。「おづき」の地名由来は、「山の尾に付く」など諸説あるようですが、確かではありません。そもそも、ちゃんと説明のつく地名の方が少ないのです。
狛犬は山陽地方風ですが、アが玉を噛んでいるのは九州的でもあります。固い花崗岩は元々精細な彫刻には不向きな上、白っぽいのでコントラストが弱く、よく彫りこんではあるものの、陰影に乏しい感じは否めません。太い輪郭のような唇は、それを補う工夫なのかもしれません。


諏訪(すわ)神社

提供者:hisaLinさん
13.04.09
hisaLinさんのコメント:長崎から諫早、島原を通って天草までサイクリングしようと、ちょうど長崎駅を出て氷見トンネルの方に走りかけた時に立ち寄りました。他の狛犬は投稿されていましたが、この狛犬だけ投稿されていませんでしたので投稿しました。頭に皿みたいな痕跡がある、河童似?の狛ちゃんがいました。
(長崎県長崎市上西山町)
狛太郎のひとこと:慶長年間に長崎がイエズス教会領となって域内の神社が破毀されたのを、寛永元(1624)年に諏訪・森崎・住吉の3社を合祀して丸山に再建、のち現在地に遷座しました。その後は幕府より広大な朱印地の寄進や社殿の造営があり、隆盛を保って今日に至ります。
当社のサイトにも「カッパ狛犬」として紹介されています。それによると、末社「蛭子社」に置かれ、水を掛けて心願を祈願するとあります。狛犬にカッパの皿を載せるという発想は奇抜で、支離滅裂のようですが、民間信仰には「何でもあり」の所があり、そこに味わいがあったりします。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
13.04.10
hisaLinさんのコメント:鳥栖駅から佐賀市方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける狛犬がいました。
(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈松隈)
狛太郎のひとこと:熊野信仰は平安期に貴族層の支持があり、皇族などの熊野詣が盛んでした。中世には、先達と呼ばれる人達の活躍で庶民層にも浸透し、全国的な広がりをみました。当社の由緒は不詳ですが、阿弥陀如来を神像とするなど、神仏混淆の痕跡が顕著です。
狛犬は塩田型岩狛です。風化していますが、この型らしい流麗な毛筋は健在です。塩田型は塩田町から遠く離れた県内各地にも分布しており、本家の砥川型よりも範囲が広いようです。優美さで人気を博したという以外に、優れたマーケティングが展開されたのかもしれません。


広渡八剱(ひろわたり・やつるぎ)神社

提供者:hisaLinさん
13.04.13
hisaLinさんのコメント:岡垣、芦屋周辺をポタリングしたとき、立ち寄りました。
北九州、山口県周辺で見かける狛犬がいました。
(福岡県遠賀郡遠賀町広渡)
狛太郎のひとこと:当社は元々立屋敷に鎮座して、立屋敷、広渡などを氏子地域としていましたが、寛永5(1628)年の遠賀川堀通しにより地区が分断されたため、広渡に新たに分霊を勧請したと伝えられます。八剱神社は北九州に数多く分布して、日本武尊巡幸神話を伝えています。
眉とつながった垂耳が、ヘルメットのように見えるこのタイプは、これまで北九州に多いと認識していました。しかし川棚神社@山崎八幡宮@など、その特徴が典型的に見られるのは山口県かもしれません。またこのくっきりした鼻の穴は、桜田八幡宮との関連を考えたくなります。


宇部(うべ)八幡宮

提供者:hisaLinさん
13.04.14
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府まで走った時、立ち寄りました。
住所的には宇部じゃないのに、宇部八幡宮という神社がありました。
ここに眉毛が太い狛犬がいました。
(山口県下関市王司上町)
狛太郎のひとこと:「宇部じゃないのに宇部八幡宮」という件は、実はかつてここは「宇部村」だったのであり、現在の「宇部市」とは無関係でした。合併を繰り返して宇部村→豊東前村→王司村→下関市となったものです。人々の暮らしも、その都度少しずつ変わっていったことでしょう。
タドンのような目と極端にデフォルメされた口の形が、田川市の若八幡神社Aに似ています。
関係は分からないものの、鼻や唇の形までそっくりな点には注目せざるを得ません。この口の形は北九州から田川市郡にかけてよく見られますが、本州側では初めてじゃないでしょうか。


国津姫(くにつひめ)神社

提供者:hisaLinさん
13.04.16
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、岩国までサイクリングした時、立ち寄りました。
58号線の峠を降りたところの、JR富海駅近くに神社があり、浪速型風の狛ちゃんがいました。
(山口県防府市富海)
狛太郎のひとこと:宗像三女神と神夏磯姫(かむなつそひめ)を祀っています。宗像明神の別名が富主大神なので、富海(とのみ)の地名はここから起こったとされます。神夏磯姫は景行天皇の熊襲征伐の行軍に協力した当地の女酋で、「国津姫」とはこの姫を指すものと思われます。
浪花型に似たの容貌ですが、関西の浪花型との関係はまだ判断できません。ただ、大分県国東地方のもの(武多都神社事代主神社御祖社桜八幡神社)とは同系と見て差し支えないようです。山口県では最初の一例ではありますが、こちらにルーツがある可能性もあります。


桜岡(さくらおか)神社

提供者:hisaLinさん
13.04.18
hisaLinさんのコメント:日田駅から中津、宇佐方面をサイクリングした時、立ち寄りました。
宇佐ならではの狛ちゃんがいました。
(大分県宇佐市四日市)
狛太郎のひとこと:永禄元(1558)年に蛭子(えびす)宮として創建されたという古社で、主祭神は事代主命(蛭子神)です。江戸期に京都北野天満宮を勧請して菅原道真を合祀しました。
四日市は幕府直轄の代官支配地であり、その名の通り、中世には市場町として栄えました。
「宇佐ならでは」とのご指摘通り、宇佐市の狛犬の顔立ちは実に独特です。大きな目にはヒトミが刻まれていることが多く、強い印象を放っています。口角が上がった般若面のような口と鋭い牙も特徴です(貴船神社貴船神社@Aなど)。さらにこれと同じ大玉取りの構図も多いです。


小ヶ瀬(おがせ)神社

提供者:hisaLinさん
13.04.21
hisaLinさんのコメント:日田から玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。
386号線と210号線が重なるところの神社に、鼻が一際目立つ狛ちゃんがいました。
(大分県日田市日高)
狛太郎のひとこと:小ヶ瀬は玖珠川の下流域の地名です。その名を冠した小ヶ瀬井路(いろ)が開削されたのは文政8(1825)年のことです。この井路は500fもの水田を潤して米の増産に寄与したほか、網の目のような水路によって、日田市が「水郷」と称される由縁となりました。
丸くて大きな目がチャーミングな中に、少しとぼけた味わいがあるのは、やはり大きすぎる鼻のせいでしょうか。立体的に刻まれた渦や繊細な唇の表現などをみれば、ごく生真面目な仕事ぶりであるのは確かですが、ちょっとしたバランスの違いが印象を大きく左右するものです。


松尾宮(まつおぐう)

提供者:hisaLinさん
13.04.23
hisaLinさんのコメント:八代駅から鹿児島本線沿いに、県道14号線を熊本まで走ったとき、立ち寄りました。JR有佐駅近くに、眼がギョロっとした熊本風の狛犬がいました。
(熊本県八代市鏡町有佐)
狛太郎のひとこと:八代郡地頭職となった名和義高が、建武2(1335)年、邸宅の近くに当社を祀ったのが始まりとされます。祭神は松尾大社の分霊で山の神の大山咋命です。その後キリシタン大名の小西行長の所領となり荒廃しましたが、加藤清正が再興し社領も旧に復しました。
立派なヒゲが特徴の熊本狛犬です。各部の毛筋は粗く豪快に刻まれ、尾も炎のように複雑な形状を呈していて、石工の精力的な内面が表れているかのようです。加えて目が金と黒に塗られているために、そんな印象が際立って感じられます。口の塗り方はちょっと雑ですが…。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.04.29




@





A
hisaLinさんのコメント:久留米から、筑後川沿いに大川、柳川とボタリングしたとき、立ち寄りました。筑後型に分類していいのか分からない狛ちゃんが、2対いました。
(福岡県久留米市城島町青木島)
狛太郎のひとこと:「島」という地名は、「川のそばの耕地」など一定のエリアを示す言葉とされます。「城島町」は筑後川の両岸に跨る土地で、まさにその定義に合っています。城島町にはこの青木島のほか、浮島、小島、江島、海道島など、多くの「島」が地図上で発見できました。
@筑後型のプロトタイプと思われるものです。このタイプは体が細身でウンは一角を有し、尾は扇状など、木造の狛犬を忠実に石造化しようとしたふしが窺われる一群で、久留米〜筑後地区に数多く残存しています。(水田天満宮@櫛原天満宮下段宮陣神社日吉神社Aなど)
A典型的な筑後型とは、幾分趣を異にする個体です。ウンの角や耳の造り分けなど、筑後型の特徴はすべて具有しているのに、なぜか違った感じを受けます。よく見ると、少し体が細く軽量級のようであり、髪の造りも繊細で、典型例がもつ重量感や豪快さが薄らいでいるようです。


天満宮(てんまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.04.30
hisaLinさんのコメント:柳川、大川市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
筑後型風と思われる狛犬がいました。
(福岡県大川市中木室)
狛太郎のひとこと:慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで敗れた立花宗茂は、地元柳川に落ち延びました。そこへ家康の命を受けた佐賀の鍋島直茂が攻め寄せ、大川で激突したのが「八院合戦」(大己貴神社参照)です。この時、立花氏が陣を構えていたのが、当社がある木室でした。
狛犬は恐らく筑後型のバリアントと思われるタイプで、八女〜筑後地方一帯に広く分布しています(玉垂命神社A熊野速玉神社@A三島神社Aなど)。全体の雰囲気や体型、スタンスなどにその面影を残す他は、筑後型とはほぼ別種となっています。唇のラインに特徴があります。


住吉(すみよし)神社

提供者:picapicaさん
13.05.02
picapicaさんのコメント:先日壱岐の島に行ってきました。いくつか神社も回ってきましたので、写真送ります。壱岐には不思議なことに、肥前鳥居らしきものが沢山有ります。
佐賀で見かける肥前鳥居とは微妙に違うような感じがしますが、どうなんでしょう?
最初は住吉神社。ここの鳥居も肥前鳥居。狛犬は土台の石とは石質が全く違う、中国風の狛犬?がいました。台石には「御大典記念」「平成二年」と彫ってありました。
(長崎県壱岐市芦辺町住吉東触470)
狛太郎のひとこと:昔の「壱岐国」です。都から遠い離島の一つですが、肥前国(佐賀・長崎)には4つしかない式内社が、この島には24社もあります。当社は中でも最高格の「大社」です。
戦前の社格も国幣中社であり、この地が歴史的に極めて重要視されていたことが分かります。
狛犬は新作で、ご指摘通り、輸入品と思われるものです。老朽化した先代を復刻したものでもなさそうです。その意味ではマニア受けは良くないでしょうが、価格を考えればやむを得ないところです。ここは、とにかく狛犬を奉納せねば、という氏子の心意気を尊重しなければなりません。
鳥居は笠木と貫が3本継ぎ、柱が2本継ぎであり、肥前鳥居の特徴を備えています。柱に「肥前守 源○信」とあるように見え、平戸初代藩主の松浦鎮信のことだとすれば、時代的にも合います。ただ、佐賀での典型例より笠木の反りが強く、後世の明神鳥居に近づいているようです。


月讀(つきよみ)神社

提供者:picapicaさん
13.05.04
picapicaさんのコメント:今度は月讀神社です。ここは地元の人が、壱岐で一番格の高い神様だからと連れて行ってくれました。ここも肥前鳥居?ですが大正4年と、意外に新しい鳥居です。
佐賀で最近作られている復刻版の肥前鳥居とは違い、普通に作られていたものと思われます。写真でお判りと思いますが、笠木の先端部分が佐賀の古い肥前鳥居とは違っています。
狛犬はありきたりの新作(輸入?)でした。
(長崎県壱岐市芦辺町国分東触464)  
狛太郎のひとこと:延喜式における「名神大社・月讀神社」の後裔社とされ、また全国月読神社の本社とも称される神社で、「一番格が高い」というのはそれを指しているのでしょう。祭神の月読命は天照大神素盞鳴尊とともに、高天原の三貴子のひとりで、夜の世界を治める神です。
狛犬はいわゆる大宝神社型です。同社に伝わる重文の木造狛犬をモデルにしたものといわれ、堂々とした精悍な風貌が好まれ、護国神社で多く見られるともいわれます(福岡県護国神社など)。ただ、その画一的な表現と、数が多すぎる点などが、愛好家には好まれていません。
鳥居は肥前鳥居ではなさそうです。各パーツが3本継ぎではなく、ご指摘のように、笠木の造りも違っています。ただ笠木と島木が一体化しているところに、その面影があるようにも見えます。


金毘羅宮(こんぴらぐう)

提供者:picapicaさん
13.05.07
picapicaさんのコメント:ホテルのすぐそばだったので、朝食前の散歩で行ってきました。
玉取の狛犬がいました。
(長崎県壱岐市郷ノ浦町郷ノ浦)
狛太郎のひとこと:壱岐は古い歴史の島です。原の辻遺跡は、旧石器時代以来の集落跡で、この郷ノ浦とは島の反対側に位置しています。魏志倭人伝が「一支(いき)国に至る。家三千戸」などと伝えているのは、当時王都だったこの遺跡周辺の様子を物語ったものと思われます。
狛犬は尾道型の大玉取です。ただし典型例とは違い、愛媛県南部に分布しているタイプで、宇和島市、大洲市などで類例が見られます(はいたか神社天神社など)。これは長崎の狛犬とは明らかに違っており、その方面から、交易を通じて持ち込まれたものではないでしょうか。


國津意加美(くにつおかみ)神社

提供者:picapicaさん
13.05.08




@




A
単立の狛犬
picapicaさんのコメント:ここも朝の散歩で行きました。
@階段を上った所に一対と、A社務所の前にかなり風化した小さいのが1匹いました。
階段横の狛犬は、旧郷ノ浦町の有形文化財に指定されたものだそうです。
ここの境内社にも肥前鳥居らしき鳥居がありますが、これも3本継になっていないようです。
中心部分で継いであるような感じもしますが、良く判りません。それにしても、笠木と島木が一体になっているため、一見肥前鳥居に見えてしまいます。
肥前鳥居からの変化形なのでしょうか?
(長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触133)
狛太郎のひとこと:式内社の国津意加美神社の論社です。主祭神は素盞鳴尊ですが、社名は配祀の闇袁加美神(くらおかみのかみ)に由来するのではないかと思われます。この神は水の神です。元は妙見社だった、との記事もあり、合祀などによる祭神の変遷が察せられます。
@ウンが子を抱きかかえていますが、他の多くの例に比べて子獅子がとても大きいです。親子の大きさの比率では、筑後方面から熊本県荒尾に分布するモデル(八幡神社熊野神社など)がこれに近い他は、あまり見かけないほどです。彫りも丁寧で、文化財指定もうなづけます。
A小型の単立狛犬です。小さい狛犬は、あまり彫りすぎると強度面で問題があるため、概ね加工度が低く簡略に造られているものが多いです。この狛犬も四肢を独立させず、盤と一体化して強度を保っています。その点は肥前狛犬と共通していますが、これはもっと新しいようです。
鳥居は柱が太く、笠木と島木の一体化など、肥前鳥居に似ていますが、各パーツの3本継ぎという大きな要素を欠き、また笠木の厚みがありすぎです。更に笠木の端の形も違っているようです。肥前鳥居の笠木は上から見ると端がサーフィンボードのように丸く、流線型をしています。


阿蘇(あそ)神社

提供者:hisaLinさん
13.05.09
hisaLinさんのコメント:長崎駅から島原、天草とサイクリングした時立ち寄りました。
34号線沿いにあった神社に、愛くるしい顔の狛ちゃんが居ました。
(長崎県諫早市多良見町化屋)
狛太郎のひとこと:祭神の健磐龍命(たけいわたつのみこと)は阿蘇山の神で、神武天皇の孫に当たります。神武帝は人としての初代天皇のはずなのに、その孫が「神」とは不思議な話です。実は神話の骨格が完成したあとに、阿蘇の神の話がはめ込まれたのではないでしょうか。
狛犬は玉取りと子取りの一対です。オーソドックスな造りで、特に変わったところはないにも関わらず、何となく二度見してしまうような風貌です。それはやはり、この素朴で可愛らしい顔立ちのせいでしょう。丸い目と三角形の牙の組み合わせが、NHKの「どーもくん」を思わせます。


厳島(いつくしま)神社

提供者:hisaLinさん
13.05.12




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:旅行で厳島神社に行った時に、投稿されていない狛犬が4対いたので投稿しました。玉乗りタイプ2対と、ポーズの違うのが2対いました。
(広島県廿日市市宮島町)
狛太郎のひとこと:有名な「安芸の宮島」です。推古元(593)年に創建と伝えられる、延喜式の名神大社かつ安芸国一宮です。平安末期に平清盛により、宏壮な社殿が整備されました。元来、島自体を神体とする神奈備信仰だったと考えられており、悠久の歴史に彩られています。
@A尾道市発祥といわれる尾道型です。中国・四国の瀬戸内海沿岸に広く分布しており、その中にも幾つかの系統がありそうですが未解明です。しかし九州に来ているものは、この@Aのタイプか、その変形ではないか、という印象を持っています(奈多宮若宮八幡宮@など)。
B尾道型とは異なる型ですが、これまであまり見かけないタイプです。大きく張り出した耳が目を引くのと、太い毛の房で構成された髪と渦、尾のボリューム感が際立っています。系統は分かりませんが、口中に尖った三角形の舌を覗かせているのは、中国地方では一般的です。
C出雲式の構図を導入していますが、尾の形を見れば、尾道型のバリエーションであることが分かります。尾の一部が背中に接着する意匠は、大きな尾を体から独立させたときの折れやすさを回避する工夫と思われ、尾道型ではしばしば用いられています(阿智神社など)。


三島宮(みしまぐう)

提供者:hisaLinさん
13.05.14
hisaLinさんのコメント:柳川駅から久留米まで走った時、立ち寄りました。
八女地方でよく見かける狛犬がいました。
(福岡県三潴郡大木町三八松)
狛太郎のひとこと:筑後地方に三島宮が多いのは、筑後の名族、蒲池氏の氏神であったためです。ところで、鎮座地の「三八松(みやまつ)」は、あたかも「宮」に由来していそうですが、実は明治期の合併で各町の氏神の「三島神社」「八幡神社」「老松神社」から採った地名でした。
八女市をはじめ、筑後(八幡宮Aなど)、みやま(八幡神社Bなど)、柳川(三島神社A)の各市、それにこの大木町(伊弉諾尊神社B)など、筑後地方一帯に分布する型です。足首の飾り毛などから、筑後型の変種と考えています。「{」を横にしたような上唇の形が特徴です。


須佐(すさ)神社

提供者:hisaLinさん
13.05.15
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。
豊前川崎駅近くに小さい神社があって、そこに印象的な眼をした狛犬がいました。
(福岡県田川郡川崎町川崎)
狛太郎のひとこと:祭神は素盞鳴尊です。この神を祀る神社には、他に八坂神社、祇園社があります。祇園の名は、素盞鳴尊が祇園精舎の守護神と同一視されたためです。厄除けの神とされるのは、この神の暴虐な一面が、厄災をも退ける力として評価されたものと思われます。
上下の牙が繋がっている意匠は、田川地方の他の狛犬にもよく見られるものです(大石神社など)。ただ田川ではタドンのような丸い目が一般的であるのに対して、これは目尻が鋭く上がっており、ヒトミも刻まれているので、内面を見透かすような強い視線が感じられ、印象深いです。


太神宮(だいじんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.05.17




@





A
hisaLinさんのコメント:大牟田から209号線沿いに、久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。以前投稿した釣殿宮の近くの神社に、@釣殿宮の狛犬とよく似た1対と、Aそれとは異なる狛犬が1対いました。
(福岡県みやま市瀬高町太神)
狛太郎のひとこと:天慶神名帳(10c)の「太神国玉神」とされます。地名太神は「おおが」なので、「おおがのみや」が本来の社名のような気がします。「国玉」は大国主命を指すことが多く、「だいじんぐう」と読むようになって、祭神が天照大神に入れ替わったのではないでしょうか。
@みやま市を中心に、筑後地方、熊本県荒尾市にまで分布している型です。太い眉と丸いギョロ目が特徴で、多くはウンが子獅子を抱いています。ところでこの一対は、ウンのヒゲや髪の緻密な造りに対して、アはそっけないほど簡素で、本来の一対とは思えないほど違っています。
A山口県下関市の小月神社の狛犬によく似ています。アが大きな玉を噛んでいる形や、唇とも鼻ヒゲともつかぬ、口の上にある太い輪郭線などの特徴から、同系統の可能性が高いように思われます。しかし、どうしてそんな懸け離れたところに同系があるのか、不思議です。


大国主(おおくにぬし)神社

提供者:hisaLinさん
13.05.18
hisaLinさんのコメント:岡垣、芦屋周辺をポタリングしたとき、立ち寄りました。
田川方面で見かける狛犬がいました。
(福岡県遠賀郡岡垣町手野)
狛太郎のひとこと:大国主命は名を「だいこく」と読んで、「大黒天」と同一視することがありますが、大黒天はヒンドゥーの神なので本来は別物です。大国主命は「国譲り」で天孫と対立する立場でしたが、『古事記』では異例なほどページを割いてこのヒーローの物語を紹介しています。
2対の牙と太い眉、アゴヒゲの流れ方などに、田川狛犬の特徴が表れています(恵美須神社若八幡神社@など)。しかし目にはヒトミが刻まれており、田川で一般的なタドン目ではありません。また、全体的な印象も洗練されており、荒々しい田川型とは一線を画しているようです。


弁天社(べんてんしゃ)

提供者:hisaLinさん
13.05.20
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って、防府まで走った時立ち寄りました。JRの四辻駅を通り過ぎ、長沢池に島があり、鳥居が見えたので休憩がてらに行きました。この辺りは大村益次郎ゆかりの地なのか、色々ありました。この辺りで見かける狛犬が1対いました。
(山口県山口市鋳銭司)
狛太郎のひとこと:「弁天」は正式には「弁才天」で、ヒンドゥーの神「サラスワティ」の漢訳です。この女神は聖なる河の神であり、のち音楽や学芸の守護神となりました。音楽神の神格は琵琶を持つ天女として表されます。元々河の神であることから、水辺、島などに祀られています。
牙の間に数本の短い門歯列がある口元によって、憎めない愛敬のある顔立ちをしています。
この口の形は山口県内では好まれたらしく、狛犬の様式や地域が違っていても、いくつもその例が見られるのは興味深いところです(松屋八幡宮A山崎八幡宮@桜田八幡宮など)。


和田宝満宮(わだほうまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.05.21
hisaLinさんのコメント:福岡市周辺をポタリングした時立ち寄りました。
福岡市周辺ではあまり見かけない狛犬がいました。
(福岡県福岡市南区和田)
狛太郎のひとこと:宝満宮の総本社は、大宰府宝満山に鎮座の竈門神社です。祭神は海神の玉依姫です。姉の豊玉姫は海彦山彦の山幸彦と結婚し一子(神武帝の父)をもうけますが、正体がワニであることを知られ、その子を玉依姫に託して海へ帰ったと伝えられます(古事記)。
大きな目にはヒトミが刻まれ、鋭い歯をむき出した迫力のある狛犬です。ざっくりとしたタッチのノミ使いで、荒々しい感じに仕上がっていますが、粗雑ではありません。特徴的な高い鼻が、八女市の幸乃神神社の狛犬を思わせます。印象も近いものがありますが、偶々のようです。


岩崎(いわさき)神社

提供者:hisaLinさん
13.05.23
hisaLinさんのコメント:福岡から篠栗方面を走ったとき立ち寄りました。
ちょうど道路沿いの神社に、福岡周辺で見かける狛犬がいました。
(福岡県糟屋郡粕屋町長者原)
狛太郎のひとこと:祭神は海神の少童三柱神(綿津見神)です。当社来歴の中に社名「岩崎」のいわれは見当たらないので、別の岩崎神社から勧請されたものと想像されます。志免町の同名神社と関係があるかも知れません。また同じ祭神の志賀海神社との関係も考えられそうです。
このタイプの狛犬は、類似を含めるとこれまで福岡市だけで6社(志式神社若八幡宮など)、その周辺に8社(五所八幡宮伏見神社など)もあります。最初は特殊なものと感じましたが、かなりポピュラーな型であることが分かってきました。しかしこれらの元のモデルはまだ不明です。


榊(さかき)八幡宮

提供者:hisaLinさん
13.05.27
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、岩国までサイクリングした時、立ち寄りました。
岩国周辺で見かける玉乗りタイプの狛犬がいました。
(山口県岩国市由宇町南)
狛太郎のひとこと:創建年代は不詳ですが、建永年間(1207〜)に両部神道(神仏習合の教派)の拠点だったと記録がある由で、相当な古社です。慶長年間、当地は岩国藩吉川家の所領となり、吉川氏の氏神を合祀しました。岩国藩28社の総鎮守として藩主の崇敬を受けました。
尾道型の狛犬です。尾道型は広島県尾道市発祥の型で、山陽〜四国にかけて広く普及しています。巨大な玉取りの姿が特徴です。これにも幾つかのパターンがあり、山口県ではこの作品のように、ぽっちゃり型の体型で、耳が横に張ったものが多いようです(南桑河内神社など)。


石鎚大権現(いしづちだいごんげん)

提供者:hisaLinさん
13.05.29
hisaLinさんのコメント:山口県の小串駅から、川棚温泉を通って門司までサイクリングした時、立ち寄りました。海上自衛隊基地の近くにあった神社に、ギョロ眼をした狛犬がいました。
(山口県下関市吉見古宿町)
狛太郎のひとこと:西日本最高峰の石鎚山(愛媛県1982m)は、日本七霊山のひとつです。その山頂に鎮座の石槌神社は古くから修験道の聖地で、朝廷の崇敬も篤かった由ですが、当社は戦後設立された教派神道「石鎚本教」の教会であり、石鎚神社との系列関係はありません。
石工の技量を計りかねるような、いわゆるヘタウマ的な出来映えながら、強い個性があるのは確かです。大きなギョロ目は福岡県田川地方に類例がありますが(若八幡神社@Aなど)、別物のようです。四角張った前肢といい、山口県内にもこれといって似たものはなく、独特です。


太良嶽(たらだけ)神社

提供者:hisaLinさん
13.05.30
hisaLinさんのコメント:唐津から鹿島、島原とサイクリングした時立ち寄りました。
207号線沿いにあった神社に、長崎県に近いせいか佐賀県では見かけない狛犬がいました。
(佐賀県藤津郡太良町大字多良)
狛太郎のひとこと:長崎県との県境をなす多良岳(996m)は、古くから修験の山として栄えました。山中には江戸期の名工平川與四右衛門の役行者(えんのぎょうじゃ)像が置かれ、その名残りを伝えています。頂上に多良岳神社の上社(石祠)があり、当社はその下社になります。
狛犬はシンプルな造りで、顔の表情の素朴さは古代型に通ずるものがあります。しかし風化の具合からは、それほど古くはないように見えます。佐賀でこれに似たものを探すと湊疫神宮Cが思い当たりますが、それは肥前狛犬の流れを継ぐものであり、直接の関係はなさそうです。


大塘(おおども)八幡宮

提供者:hisaLinさん
13.06.01
hisaLinさんのコメント:大牟田から熊本、八代までサイクリングした時、立ち寄りました。
(熊本県熊本市西区城山大塘)
狛太郎のひとこと:「塘」は音読みで「トウ」、訓読みで「ツツミ」が普通で、これを「とも」と読むのは異例です。しかし熊本県には「塘=とも」地名があちこちにあるようです。「塘」の意味は「堤防」で、当地も近くの坪井川につながる水路の側なので、そのものすばりの地名といえます。
大きな頭部と幼児体型の体つき、短い前肢、長い鼻の下、濃い顎髭などから、紛れもない熊本狛犬です。熊本狛犬は顔面の趣向に重きが置かれ、それ以外の部分は簡素、というのが一般的なのですが、この狛犬は尾にも十分に気配りが行き届いており、豪華な印象を受けます。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
13.06.02
hisaLinさんのコメント:国東半島一周した時立ち寄りました。出雲型の蹲踞で石の素材が「来待石」?なんでしょうか、風化が酷い狛犬がいました。
(大分県豊後高田市堅来)
狛太郎のひとこと:豊後高田市の地域は、平安時代には宇佐神宮の荘園でした。海路交通で関西方面との交流が盛んで、歴史的に西瀬戸地域の交流の結節点(豊後高田市HP)だったとあります。そのためか、当地を含む国東地域には瀬戸内や関西風の狛犬が多く見られます。
出雲型の蹲踞は、当地では山神社産土神社にも例があります。来待石は軟弱なため精細な彫刻が可能な半面、耐久性は低く、その寿命は人と同じくらいと言われています。本場でも完全なものは少ないのが現状です。佐賀県にも幾つか現存しますが殆ど原型を留めていません。


八幡(はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
13.06.03
hisaLinさんのコメント:大牟田から209号線沿いに、久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。南瀬高駅前にあった神社に、貧相さが釣殿宮の狛ちゃんに似た狛犬がいました。
(福岡県みやま市瀬高町太神)
狛太郎のひとこと:宇佐神宮の創祀伝説に、大神比義(おおがのひぎ)という人物が登場します。その子孫の大神氏が神宮を運営していましたが、のち辛島氏、宇佐氏へと移ります。当地「太神」は「おおが」と読むことや、同じ八幡神を祀る社でもあり、関係がありそうに思われます。
狛犬は恐らく、みやま市を中心に、隣接の柳川(白鳥神社)から大牟田(熊野神社など)まで広がるタイプの変種かと思われるものです。この変種にも広がりがあって、釣殿宮がほぼ同型であり、太神宮@のアもその仲間と見られます。ヒトミのある丸い目が特に印象的な一族です。


片山津(かたやまづ)神社

提供者:hisaLinさん
13.06.06




@





A





B
hisaLinさんのコメント:片山津温泉に宿泊して、温泉街を散歩していた時に神社の鳥居が見えたので、立ち寄りました。九州では見ることのない3対の狛犬がいました。
(石川県加賀市片山津温泉ヨ161甲)
狛太郎のひとこと:当地の行政区画名は独特で、「大字」は「ア」〜「ワ」の五十音で構成され、「字」は「乙」「丙」、「子」「寅」など十干十二支から採られています。これは石川県全体に見られるものです。明治期の施策ですが、当時としては整然とした合理的なものだったのでしょう。
@石川県の狛犬は非常に多彩なようです。金沢市でも大玉取り(御馬神社)あり、出雲式(大野湊神社)あり、肥前狛犬風(同左)ありとバラエティに富んでいます。ここ加賀市でも似た傾向なのか、3対とも異なる様式です。両方が開口の「ア」というのは、国産では珍しいものです。
A髪や尾の渦が、密度高く、また美しく配置されています。足元の盤は自然石風に仕上げるなど、本体以外の細工も怠りありません。全体として非常に繊細で美観に優れた狛犬です。この1対はアウンが逆置きになっていますが、首の向きから見て、左右の取り違えではありません。
B前の2対に比べるといくぶん簡素な印象を受けますが、それでも他産地との比較では、十分に装飾性豊かです。特に顔面の意匠は工夫が凝らされていて、強い印象を放っています。なおこれもアウンが逆置きになっています。当社では何か特別のいわれでもあるのでしょうか。


日枝(ひえ)神社(山王さん)

提供者:tocchiさん
13.06.07




@




A





B
末社山王稲荷神社
tocchiさんのコメント:本日、“山王日枝神社”へ行ってきました。先日赤坂に用事があった際に、@立派な狛犬さんが見えましたが、その日はカメラがなく、気になっていたのです。
A神猿像(しんえんぞう)・・・『お猿様』と呼べばよいのでしょうか?猿なんですね〜〜〜
初めて見ました。手を揃えて座る姿がかわいらしいです。
B山王稲荷神社と八坂神社猿田彦神社の両社を合祀した本殿の前の狛犬。千代田区指定有形民俗文化財・・・だそうです。金網の外からだったので、角度がいまひとつでした・・・
(東京都千代田区永田町2-10-5)
狛太郎のひとこと:日枝神社は比叡山の守り神、大山咋命(おおやまくいのみこと)を祀っていて、その総本社は「日吉大社」です。「日枝」「日吉」「比叡」はどれも「ひえ」を漢字化したものです。その結果、漢字の読みに影響され、「ひえ」「ひよし」「ひえい」と訓が分かれてきました。
@堂々とした逞しさで根強い人気のある大宝神社型(モデルは滋賀県大宝神社の木製狛犬)ですが、胸の張り具合などは宋風狛犬の雰囲気も併せ持っています。招魂社(護国神社)に多いといわれ、招魂社系と呼ばれることもあります。フォーマルな感じの神社に多いようです。
A祭神が山の神なので、猿が神使とされます。烏帽子を被って正装に身を包み、両手を膝に揃えて威儀を正しています。猿像はあちこちにありますが、ここまで人間らしく造ったものは珍しいかもしれません。もともと人間に近い動物だけに、親しみやすさや微笑ましさを感じさせます。
B正統的な江戸型です。この型の素晴らしさは、まるで木彫の如く自由で華麗な曲線美にあります。たなびくような髪と尾の毛筋は陰影に富み、石という素材による制約を感じさせません。尾の形も江戸型の独創で、横に垂れた毛筋が盤の外側にかかるというアイデアが秀逸です。


諏訪(すわ)神社

提供者:hisaLinさん
13.06.13
hisaLinさんのコメント:福津市、古賀市周辺をポタリングした時に立ち寄りました。福間小学校、諏訪の湯の近所にあった神社に福岡市周辺で見かける狛犬がいました。
(福岡県福津市西福間2丁目1-15)
狛太郎のひとこと:貞享2(1685)年に社殿造営の記録がある由なので、創建はそれ以前と推定されます。祭神は武神の建御名方命(たけみなかたのみこと)です。漁業の守護神としても崇敬されたらしく、福岡県県文化財の「福間浦鰯網漁絵馬(安政4年(1857))」が現存しています。
福岡市周辺に広く流布しているタイプ(御所八幡宮など)で、棲息範囲は福岡市全般のほか、この福津市では森神社天降天神社大都加神社にその類例とおぼしき個体が存在します。さらに筑紫野市の高木神社、篠栗町の太祖宮などもこの一族と考えてよさそうに思われます。


大牟田(おおむた)神社

提供者:hisaLinさん
13.06.15
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米市までサイクリングした時、立ち寄りました。西鉄の大牟田駅近くにあった神社に、眼の感じが違いますがこの辺りで見かける狛犬がいました。
(福岡県大牟田市本町)
狛太郎のひとこと:天文7(1538)年、村民が御神体を発見し祀ったとされます。その神の名は毘沙門天であり、インド由来の仏教神です。のちに素盞鳴尊を勧請しましたが、これも祇園精舎の守護神として祀ったものでしょう。そのように、最初から仏教色の強い神仏混淆の宮でした。
細かい毛筋のついた渦や房が美しく付けられています。びっしり並んだ鋸歯列や目の造りなどは熊野神社諏訪宮Aのタイプに似ているものの、それ以外はあまり似ていません。また、髪の配置や尾は大川市の高良神社水天宮に近いかも知れませんが、確信はありません。


早馬(はやま)神社

提供者:hisaLinさん
13.06.18




@





A
hisaLinさんのコメント:柳川をサイクリングした時、立ち寄りました。柳川駅の近所にあった神社に、瀬高(みやま市)周辺で見かける狛犬が2対いました。
(福岡県柳川市三橋町下百町)
狛太郎のひとこと:祭神の大山祇命(おおやまつみのみこと)は、当地の豪族蒲池氏が崇敬した三島神社と同一神です。当社の社名は「馬」とは無関係で、「ハヤマ」という音に意味がありそうです。ヤマツミ神の一族の羽山津見(ハヤマツミ)神に由来するのではないでしょうか。
@柳川市に本場の出雲式は見当たりませんが、当地風の出雲式は天満神社AB三島神社に例があります。本場との違いは顔立ちと尾の形、それに素材です。伝統的な狛犬職人が、出雲式の斬新な発想に触発されたことは想像に難くなく、オマージュが各地で造られています。
A細かく波打つ唇のラインは、当地に普遍的な玉垂宮@天満神社の狛犬に共通し、目の感じは、みやま市(聖母宮八幡神社など)から当地(天満宮A宝満宮など)にかけて見られる、独特の雰囲気を持ったタイプに似ています。両方の特徴を併せ持つ、折衷型であるようです。


中原(なかばる)神社

提供者:hisaLinさん
13.06.20
hisaLinさんのコメント:島原半島一周サイクリングした時、立ち寄りました。
日本の狛犬に見えない(中国風?)一対の狛犬がいました。
(長崎県島原市津吹町乙)
狛太郎のひとこと:古代には佐賀・長崎・熊本は一体として、「火(肥)の国」を形成していました。地図を見れば「環有明海パートナーシップ」であったことがよく理解できます。島原はそのリングの切れ目に位置しており、古代中国文明が運ばれた海の玄関口にあたる場所でした。
狛犬はどちらも開口であり、アウンの別がありません。また胸にベルトを着け、鈴を垂らした異国風の装飾をまとっています。これは中国の石獅そのもので、よくある「中国製の和風狛犬」とも異なっています。他の場所から、どういう経緯でか、ここに安置されることになったのでしょう。


天御中主(あめのみなかぬし)神社

提供者:hisaLinさん
13.06.24




@





A
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って、防府までサイクリングした時、立ち寄りました。
防府駅近くにあった神社に、玉を銜えた2対の狛犬がいました。
(山口県防府市車塚町)
狛太郎のひとこと:推古天皇24(625)年の創建と伝える古社です。祭神は天地開闢の際に最初に表れた神で、天の中心を意味すると解されるところから、北極星を神格化した妙見菩薩と同一視されます。全国の妙見神社の祭神であり、当社も「妙見さん」と呼ばれている由です。
@顔立ちと耳の形が山陽的ですが、玉をくわえている点は九州的な感じもします。この辺りは地理的に近いので、相互に影響を与えあっていると見てよさそうです。この狛犬の特に目立つ特徴はまん丸な鼻の穴であり、同じ山口県下の遠石八幡宮川棚神社@などと共通です。
Aこれも玉をくわえていて、山陽から関西にかけて主流な、尖った舌を上顎に付ける形とは異なっています。どことなく九州的要素が感じられます。ウンは一角を有し、すっきりした毛並みやと毛筋とともに、フォーマルで整った印象を受ける狛犬です。前肢の飾り毛も凛々しいです。


津江宮(つえぐう)

提供者:hisaLinさん
13.06.25
hisaLinさんのコメント:八女、黒木周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
宮地嶽神社の隣にある神社でしたが、宮地嶽神社の狛ちゃんと同じ種類の狛犬がいました。
(福岡県八女市長野)
狛太郎のひとこと:、豊後国津江荘(現中津江村)に幽閉されていた黒木助能は、帰還できたら故郷の八女郡黒木に津江宮を祀ると誓いました。念願叶って嘉応元(1169)年、黒木に津江神社を創建しましたが、当社はその分社と思われます。伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っています。
熊野速玉神社@A八龍神社など、当地の各社で多く見られるほか、柳川市の三島神社A、みやま市の八幡神社Bなど、福岡県筑後地方に幅広く分布するタイプです。筑後型のバリアントですが、この作品は、宮地嶽神社と同じく、他には見られない個性的な顎ヒゲが特徴です。


米ノ津(こめのつ)天満宮

提供者:hisaLinさん
13.06.29
hisaLinさんのコメント:八代から三太郎峠を越えて、水俣〜薩摩川内まで走った時、立ち寄りました。狛犬の鎮座する所に、狛犬じゃなく阿吽牛が鎮座している神社に何社か遭遇しましたが、何故でしょうか?狛牛なので難しいでしょうけどお願いします。
(鹿児島県出水市米ノ津町)
狛太郎のひとこと:薩摩藩主が参勤交替で上京の折り、当地を訪れたことがきっかけで、天明9(1789)年に当社を創建して菅原道真を祀りました。参勤交替のルートは多様でしたが、長崎経由の場合は、八代海から船便を利用したようです。当地もその港の一つだったのでしょう。
菅原道真の墓所を牛が決めたなど、天満宮には牛に関する伝説が多く、互いに切っても切り離せない間柄です。元々神社には「馬」を奉納する風習があって、「絵馬」はその名残なのですが、天満宮に限っては牛がその座を占めているだけでなく、「神使」にまで昇格しています。


弁天社(べんてんしゃ)

提供者:hisaLinさん
13.06.30
hisaLinさんのコメント:鳥栖駅から佐賀市方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
風化が激しいですが、あまり見かけない狛犬がいました。
(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町吉田)
狛太郎のひとこと:古代インドの「サラスヴァティー神」が、仏教に取り込まれて「辯才天」と呼ばれました。河神、音楽神、学芸神など多様な神格を持っています。日本では市杵島姫(宗像三女神の一人)と同一視されます。河や池など水辺に祀られることが多く、神使は白蛇です。
狛犬は確かに、佐賀県では見慣れないタイプです。平均的な佐賀狛犬に比べて体格がよく、毛量も豊かでボリューム感があります。恐らく他産地のものと思われます。九州らしさがあるようにも見えますが、違うかも知れません。何故ここにこれがあるのか、ちょっと不思議な気がします。


愛嶽(あいだけ/おだけ)神社

提供者:hisaLinさん
13.07.08
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川沿いに走ったとき、立ち寄りました。平成筑豊電鉄の中泉駅近くにあった神社に、朝倉風、田川風が入り混じった狛ちゃんがいました。
(福岡県直方市中泉)
狛太郎のひとこと:愛嶽神社は、宝満山(829m)と峯続きの愛嶽山(432m)を霊山とする、山岳宗教の神社のようです。宝満山竈門神社の摂社で、火の神軻偶土神(かぐつちのかみ)を祀っています。当社はその末社で、宝満信仰の広がりとともに、当地にも勧請されたものでしょう。
狛犬はがっしりした体躯に、インパクトの強い田川狛犬風(若八幡神社@など)の顔立ちを持っています。前肢は少し肘を折った形に造られていて、その点、若八幡神社Aに近いのかも知れません。地理的に近いこの直方市には、ほかに多賀神社Aにも類例が進出してきています。


王子宮(おうじぐう)

提供者:hisaLinさん
13.07.09




@





A





B





C
hisaLinさんのコメント:福岡から久留米方面をポタリングした時、立ち寄りました。
いろんなタイプの筑後型の狛ちゃんが、4対いました。
(福岡県小郡市大板井)
狛太郎のひとこと:高良玉垂命の御子を祀るところから、王子宮と言うようです。高良神は『日本書紀』『古事記』には登場せず、信仰圏の広さの割に系統や事績などは不詳です。その御子となると更に不明ですが、信仰に関する言説の波及と深化の一端を垣間見ることができます。
@は筑後型のうち、ヒゲが強調されたタイプです。装飾性を限定して力強さと迫力を強調する筑後型の中では、やや異例の存在と言えます(天満宮など)。Bもこのタイプの一種のようですが、ヒゲの形が斬新で、前肢にエッジを付けるなど、ニューモードとしての試みが見られます。
A最も伝統的な筑後型です。@Bの歯列が鋸歯列であるのに対して、これは門歯列であり、その他の点でも基本形というべきものです。髪に毛筋を付けず、ざっくりした仕上げです。
C典型例に比べると幾分小振りで、顔立ちと体つきが柔和です。年代不明なのでこれがプロトタイプなのか変化形なのかは分かりませんが、筑後型としての基本は全部備えています。


温泉(おんせん)神社

提供者:hisaLinさん
13.07.11
hisaLinさんのコメント:八代から三太郎峠を越えて、水俣〜薩摩川内まで走った時、立ち寄りました。日奈久温泉街の小高い丘?の上に神社があり、そこに胴長短足の狛ちゃんがいました。
(熊本県八代市日奈久上西町)
狛太郎のひとこと:日奈久温泉の開泉は、約6百年前の南北朝時代です。当社の創祀は、当地在住の武士が戦での負傷を湯治によって完治し、願をかけていた厳島神社を勧請したことによります。祭神市杵島姫命は弁才天と同一神であり、当初は弁天社と称し、のち改称しました。
熊本狛犬の型の特徴は、極端な短足と長い胴です。しかし顔面の趣向は凝らされており、毛深さと立派な鼻ヒゲが目を引きます。また尾もボリューム感に富んでいます。この胴部の簡素さは、ビューポイントを絞って、強調したい部分に視線を集中させる技法かも知れません。


初子(はつし)神社

提供者:hisaLinさん
13.07.13
hisaLinさんのコメント:宮若、中間市周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
朝倉市で見かける狛ちゃん似の狛犬がいました。
(福岡県宮若市磯光)
狛太郎のひとこと:祭神のフルネームは、「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさか・あかつ・かちはやび・あめの・おしほみみのみこと)」と言う、とても長い名前です。この神の栄光を讃える意識から、形容詞を重ねた長い名になったのでしょう。最初はとまどいますが、音読するとなかなか語呂の良い名ではあります。
朝倉方面に多いモデル(垂裕神社秋月八幡宮など)で、体格が良く毛量が豊かです。体格の割に足下の玉が小さく、そのアンバランスさや、玉を踏む肢の角度が独特であり、これらが朝倉型の特徴となっています。本作品では、顎ヒゲから髪にかけてのラインが流麗で、この型の中でも特に美品といえます。


浅江(あさえ)神社

提供者:hisaLinさん
13.07.15




@





A
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、光駅を過ぎて、166号線を柳井市方面に走っているときに立ち寄りました。北九州、山口周辺では見かけないダンゴ鼻の目立つ狛ちゃんと、出雲型の雰囲気を持った狛ちゃんがいました。
(山口県光市浅江)
狛太郎のひとこと:詳細は不明ですが、大宝3(703)年に宇佐神を、中世に山城国から賀茂神を勧請したとあり、応神天皇と別雷公命(わけいかづちのみこと)などを祀っています。ほかに玉依姫、神武天皇、大山咋命など、あまり脈絡のない神々が祀られており、神社合併や合祀の複雑な歴史が垣間見えます。
@ウンに一角があり、アウンが垂耳と立耳に造り分けられている点、また突出した吻と大きく切れ込む口角、先が分かれた扇状の尾などに木造狛犬の面影があり、古い形式を保っているようです。ただ石造化に際しては、強度の関係で肉付き良く変化しており、木造時代のスリムな体型は残されていません。
A出雲狛犬の蹲踞です。きちんと揃えられた前肢が後肢と接しており、そのため直立した縦長のフォルムを呈しています。胸から腹にかけてのエリアははっきりした境界で区分され、丁寧に磨かれています。こうした特徴から、本場の出雲から持ち込まれたものではないかと思われます。威厳のある顔つきです。


大原(おおはら)神社

提供者:hisaLinさん
13.07.18
hisaLinさんのコメント:岡垣、芦屋周辺をポタリングしたとき、立ち寄りました。
波津海水浴場近くにあった神社に、山口、北九州周辺で見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県遠賀郡岡垣町原)
狛太郎のひとこと:地元では「妙見様」と呼ばれているようです。以前は「浜妙見」と「山妙見」があったのを、浜妙見に合祀して大原神社と称するようになった由です。妙見神社は妙見菩薩を祀る神仏習合の宮でしたが、神仏分離後は、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)を祭神とし、神社として存続しました。
狛犬は北九州でよく見かけるタイプです。花崗岩は堅いためか彫りの浅いものが多く、また色も白っぽいので、陰影に富んだ像は少ないのです。この作品は細部までよく彫りこまれていて、コントラストが利いています。顔立ちに愛敬があり、特にウンの歯を食いしばっている表情は健気で微笑ましく感じられます。


和光(わこう)神社

提供者:hisaLinさん
13.07.23
hisaLinさんのコメント:日田市内をポタリングした時、立ち寄りました。三隈川公園を過ぎて、風情のある町並みの中に小さな神社があり、そこに筑後型の狛ちゃんがいました。
(大分県日田市庄手)
狛太郎のひとこと:昔は日の隈天満社と称していました。祭神は菅原道真と当地の代官増田太兵衛です。増田氏在任中の享保17(1732)年、全国的な大飢饉に見舞われましたが、同氏の懸命な努力で一人の餓死者も出さず、領民はその仁政に厚恩を謝し、神として祀ったものです。(協力:日田市文化財保護課)
狛犬はかなり変形していますが、筑後型のバリアントであろうと思われます。筑後型は久留米から遠ざかるにつれ、少しずつその土地の趣向を受入れて変化しながら、相当な広範囲に生息域を広げています。同じ市内の玉垂神社@Aも同型であり、これらが筑後型と分かるぎりぎりのモデルではないでしょうか。


八雷(はちらい)神社

提供者:hisaLinさん
13.07.26




@





A
hisaLinさんのコメント:宇佐駅から行橋を通り、折尾駅までサイクリングした時、立ち寄りました。以前紹介した崎野神社の近くの神社に、1対の玉乗りタイプはこの辺りで見かけますが、もう1対この辺りでは見たことのない狛犬がいました。
(福岡県行橋市西泉)
狛太郎のひとこと:社名から察すると、伊弉諾尊の黄泉国からの逃避行に登場する八雷神を祀っているようです。尊は亡くなった妻に会いに死者の世界に赴きますが、変わり果てた姿に驚き逃げ帰ります。そのとき追っ手となったのが八匹の雷神で、祭神としては珍しい神々です。市内に数社、存在しています。
@このインパクトある狛犬の同系らしきものが、大分県の若宮八幡宮@、福岡県田川市の若八幡神社A
山口県の宇部八幡宮に見られます。福岡県では2例目ですが、3県にまたがる分布範囲の広さから、中心地の想定はまだ難しいです。これまでのところ、瀬戸内海西部の沿岸地域らしいとは言えそうです。
A横に突出する耳が、顔面の横幅の広さを更に印象づけています。デフォルメと省略を大胆に組み合わせ、顔、尾、前肢に視線を集める効果を生んでいます。前肢は筑後型同様に足位置に変化を持たせた上で、すらりとした脚線を強調しています。まだ新しそうに見えますが、十分に個性が発揮されています。


多聞寺(たもん・じ)

提供者:くろのすけさん
13.07.29
くろのすけさんのコメント:狛犬ではありませんが、腹鼓を打つ石のお狸様の写真がありましたので、日本的な神使のお仲間(?)ということで、お送りします。ここには昔妖怪狸が出たそうで、それを供養したのが狸塚との由。時候のせいか、口を開いたお狸様も暑そうに見えます。
(東京都墨田区墨田5-31-13)
狛太郎のひとこと:寺名の通り、四天王の一人、多聞天を祀っています。四天王は、帝釈天の住む須弥山(しゅみせん)の四方の守護神で、多聞天は北方の担当です。多聞天は毘沙門天とも呼ばれ(前者が意訳、後者が音訳)、日本では甲冑に身を固めた唐の武将風に表され、宝塔を手にした姿で知られます。
タヌキはキツネとともに、人間の生活圏のそばに棲息する身近な動物でした。作物や家畜に害を与えることもあるので害獣とみなされる一方、人間の裏をかく賢い動物とも考えられていたようです。タヌキに化かされて一晩中山を彷徨った話などがまことしやかに伝えられ、子供の頃は結構怖い思いをしたものです。


大谷寺(おおや・じ)付近の小祠

提供者:くろのすけさん
13.07.31
くろのすけさんのコメント:大谷石の産地で有名な宇都宮市大谷町の、大谷寺磨崖仏を見学。
帰り際、大谷寺から程近い岩壁の下にお祀りされた祠の狛犬をふと発見、スナップしたのが添付の写真です。なかなかどっしりとした風格のある狛犬さんですが、残念なことに損傷がひどく、痛ましい姿になっていました。脆い大谷石の石質のせいでしょうか。。。
(栃木県宇都宮市大谷町)
狛太郎のひとこと:大谷(おおや)磨崖仏は、当地名産の大谷石(凝灰岩)の洞窟に彫られた仏像群で、臼杵の石仏と並んで学術的価値が高いとされ、国の重要文化財に指定されています。この写真はその近くの小祠とのことで、祭神や社名は不明です。背後の岩壁、石祠、狛犬とも大谷石であるようです。
狛犬はゆったりした量感のある体つきと、たなびくように横に流れる尾の形から江戸型かと見受けられるものの、残念ながら顔面は大きく損傷しています。大谷石は柔らかいので加工が容易であるため、古墳時代から利用されている由です。建築資材に向いているようですが、大谷石の狛犬も結構あるようです。


二見興玉(ふたみ・おきたま)神社

提供者:くろのすけさん
13.08.12



@






A
くろのすけさんのコメント:先日、伊勢神宮の「お白石持ち行事」に参加しました。そこでふと思ったのですが、伊勢には狛犬さんはいないようですね。やはり伊勢神宮まで古いと、狛犬は奉造されなかったのでしょうか。。有名な夫婦岩の「二見興玉神社」には、なかなか堂々とした狛犬さんが居りました。
台石には昭和五年一月とあります。しかしここは、どちらかと言えば蛙の方が有名なようです。
(三重県伊勢市二見町江575)
狛太郎のひとこと:興玉神社の祭神は、猿田彦命です。この神は天孫降臨の際、一行を下界まで先導した事績により、一般に道案内の神、人々を善導する神と考えられました。また「サル」の音から「申」が連想され、「庚申尊」としても信仰される他、「道祖」や「塞(さえ・さい)の神」とも習合するなど複雑な神格です。
@狛犬は現代岡崎型です。台座に昭和5(1930)年とあるそうですが、80年も前の作品のようには見えませんから、狛犬だけ更新されたものでしょう。この型は大量生産的・工業製品的だとして愛好家には不評ですが、それは数が多いことを意味しており、デザインが良いので人気がある証ということもできるのです。
A祭神の神格が上記の通りであるため、交通・旅行などの安全にご利益があるとされ、無事に「かえる」ということに掛けて蛙が奉納されている由です。語呂合わせに過ぎないとは言え、自分やほかの誰かの安全を祈るという気持ちは、伊勢参りのような長旅では、昔は特に切実であったはずです。


善養密寺(ぜんよう・みつじ)

提供者:くろのすけさん
13.08.13




@





A
くろのすけさんのコメント:世田谷の近所のお寺さんで、添付のものを発見しました。
@渡来系(?)でしょうか、来歴ははっきりしていないのですが、造形には肥前狛犬と相通ずるところがあり、面白く思いました。大きさは、きちんと測ってはいませんが、添付の山門前の写真でおおよそのイメージが掴めるかと思います。けして小さくはなく、中型犬といったところでしょうか。
A他にも巨大な一対の獅子など、変わった石造物の多いところです。
(東京都世田谷区野毛2-7-11)
狛太郎のひとこと:真言宗のお寺です。江戸時代以前には深沢村にあり、慶安年間(1648〜1651)に下野毛村(現在地)に移転してきたと伝えられます。このお寺には変わった石像が多数安置されており、大陸や半島由来と思われるものも色々あるようです。密教の神秘主義的な一面の表われのように思われます。
@小さければ江戸における最初期の石造狛犬かも知れないと考えましたが、中型犬ということなので、そうではなさそうです。ただ脚間、腹下を彫り抜かない造形は、石造彫刻としては初歩的な段階であり、その点で肥前狛犬に似ています。恐らく韓国で見られるサジャ(獅子)か、それを模したものかと思われます。
A狛犬のもとになった想像上の動物として、しばしば「カイチ」が取り沙汰されます。頭上に一角を有する賢明な霊獣とされ、アウンのうちウンのモデルの有力候補です。漢字ではカイ(けものへんに解)・チ(豸)と書きます。韓国では「ヘテ」または「ヘチ」として知られ、ソウルの「ヘチ・マダン(ヘチ広場)」は有名です。


横山(よこやま)神社

提供者:hisaLinさん
13.08.14
hisaLinさんのコメント:福岡市の早良方面をサイクリングした時、立ち寄りました。56号線を那珂川町方面に向かって走っていた時、ちょうど道路沿いにあった神社です。福岡周辺で見かける狛犬がいました。
(福岡県福岡市早良区脇山)
狛太郎のひとこと:佐賀県との県境にそびえる脊振(せふり)山(1055m)の山頂に、脊振神社があります。
神功皇后が創建したと伝えられる古社で、海神の宗像三女神を祀っています。当社はその神領であった脇山に営まれた下宮です。戦国時代に衰微していたのを、安永8(1779)年に氏子が再興しました。
狛犬は福岡市を中心に、その近郷で普及している型です。若八幡宮地禄神社、古賀市の五所八幡宮などにその典型があり、福津市の大都加神社雨降天神社などはその亜種と見られます。襟を立てたような顎ヒゲが特徴で、顔立ち体つきにも存在感があります。胸と腹を分けるラインも特徴の一つです。


熊野社(くまの・しゃ)

提供者:hisaLinさん
13.08.15
hisaLinさんのコメント:鳥栖駅から佐賀市方面までサイクリングした時、立ち寄りました。松隈橋交差点から385号線を少し上った所にあった神社に、この辺りでよく見かける狛犬がいました。
(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈)
狛太郎のひとこと:熊野信仰は山伏が先達として、全国を回って布教に努めました。脊振山麓にあたる当地に熊野神社が多いのは、この山が修験の聖地であったことと関係があり、またクマノとは山の奥深い聖地を指す由です(東脊振村史)。この松隈(まつくま)もそのクマと関係のある地名かもしれません。
狛犬は塩田型岩狛です。保存状態が良く、塩田型の特徴である細かい歯列や髪の毛筋がくっきりと美しく、また、岩に刻まれたボタンも鮮やかです。当社より少し山裾にある熊野神社もこれと同型ですが、当社の方が彫刻の技が冴えているように見え、また風化の具合から、幾らか新しいように思われます。


熊野(くまの)神社

提供者:hisaLinさん
13.08.16
hisaLinさんのコメント:彦山駅から彦山線沿いを田川まで走ったとき、立ち寄りました。
田川地方で良く見かける狛犬がいました。
(福岡県田川郡添田町桝田)
狛太郎のひとこと:熊野は古来修験道の聖地で、山伏によって全国に布教されました。ここ添田町の英彦山も日本有数の修験道場であり、早くも12世紀には熊野信仰が当地に到達していたとされます。当社は嘉吉3(1443)年に熊野本宮の分霊を勧請したとあります。祭神は速玉男尊、伊弉諾尊など3尊です。
狛犬は田川狛犬の雰囲気を濃厚に漂わせています。特に白鳥神社@春日神社Aなどとは、顎ヒゲの形や胸に回り込むたてがみの流れ方までよく似ています。田川狛犬は顔面に強いデフォルメを付けたものが多いですが、この型ではそれが幾分抑制的です。なお、この狛犬はアウンが逆配置に造られています。


山王権現社(さんのう・ごんげんしゃ)

提供者:hisaLinさん
13.08.20
hisaLinさんのコメント:唐津駅から204号線を走って、23号線に入って走ってる時に立ち寄りました。
見るからに典型的な唐津型の狛犬がいました。
(佐賀県唐津市鎮西町岩野)
狛太郎のひとこと:創建年代は不詳。祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)です。岩野村は元は大久保村と称していましたが、慶安2(1649)年に大久保加賀守が入部すると、藩主に遠慮して岩野と改称しました。加賀守の尊崇を得て大規模な造営が計画されましたが、国替えにより実施されないままでした。
狛犬は典型的唐津型です。この型は顔の造作が大ぶりなので印象が強く、ちょっと首をかしげてこちらを見ている感じは「睥睨」という表現がぴったりです。まだ風化の度合いが少ないため、各部のエッジが利いていて、シャープさが失われていません。唐津型らしい引き締まった容貌が十分に発揮されています。


鷹飛原(たかとばら)八幡宮

提供者:hisaLinさん
13.08.21
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、岩国までサイクリングした時、立ち寄りました。
同じ周南市の山崎八幡宮@の狛ちゃんに似た狛犬がいました。
(山口県周南市夜市宮の下)
狛太郎のひとこと:創建年代は不詳ですが、当社に伝わる男神像4体女神像2体は鎌倉時代の作とされていますので、それ以前からの古社でしょう。女神のうち1体は、当地に来訪伝説があり、当社の祭神でもある神功皇后です。鷹飛原の名は地名由来と思われますが、所在地の夜市(やじ)とともに難読です。
狛犬は同市内の桜田八幡宮遠石八幡宮にも似ています。体つきには違いがあるものの、鼻の穴と口の形がそっくりで、肩から前肢にかけてのラインも同じものです。これが当地のスタンダードなのかも知れません。北九州の狛犬に近い感じも受けますが、そこはそれ、やはりひとあじ違う山陽の趣があります。


天満(てんまん)神社

提供者:hisaLinさん
13.08.24
hisaLinさんのコメント:大牟田駅から久留米までサイクリングした時、立ち寄りました。209号線沿いにあった神社に胴長、短足ぎみの熊本風?狛ちゃんが居ました。
(福岡県みやま市瀬高町河内)
狛太郎のひとこと:弥生時代には有明海が内陸部まで深く入り込み、瀬高町の大半は点々と島々が浮かんでいる状態だったようです。瀬高の地名はその浅い海に点在する多くの「瀬」に関係があるとも言われています。また「河内」も川の合流点などに付けられる地名で、ある時期の当地の地形を表していそうです。
ヒトミのある目、丸い団子鼻、細かくびっしり並ぶ歯列などが、同市内の八幡神社@天満神社に似ています。このタイプは大牟田市(熊野神社など)、荒尾市(綿津見神社など)などにも広がりをもっており、ルーツは熊本方面とも推測できるものです。従ってこの作品が熊本風なのは当たり前なのかもしれません。


松山(まつやま)神社

提供者:hisaLinさん
13.08.25
hisaLinさんのコメント:八代市から熊本市までサイクリングした時、立ち寄りました。
14号線から少し入った神社に、熊本風の狛ちゃんが1対いました。
(熊本県宇土市松山町)
狛太郎のひとこと:永承3(1048)年創建の古社で、阿蘇神社の祭神建磐龍命(たけいわたつのみこと)と甲佐宮の祭神八井耳玉命(やいみみたまのみこと)を祀り、「両神宮」と称した由です。慶長年間に入部したキリシタン大名の小西行長により焼却、神領没収されましたが、加藤清正により再建されたといいます。
狛犬は短足気味の前肢、多毛で豪快な眉とヒゲ、細かい歯列など、熊本狛犬の特徴を備えています。荒々しさを感じさせる尾も、熊本らしいところです。熊本狛犬は顔面の趣向に力が注がれ、体部は比較的貧弱と見えることも多いのですが、この狛犬はふっくらした体つきで、全体のバランスが取れています。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
13.08.27
hisaLinさんのコメント:久留米駅から210号線を日田までサイクリングした時、立ち寄りました。この辺りは筑後型の勢力範囲なのでしょうか、この神社にも筑後型の狛犬がいました。
(福岡県久留米市田主丸町常盤)
狛太郎のひとこと:当地は久留米市と合併する前は、浮羽(うきは)郡でした。その表記は、江戸期には「生葉(いくは)」、古代には「的(いくは)」でした。古事記に「的臣」という豪族の名がありますが、佐賀県の神埼郡的(いくわ)とともに、その的氏に与えられた領地だったかも知れないと思うと興味深いです。
狛犬は筑後型です。筑後型の中心地である旧久留米市からの近さを考えれば、当地にこの型が多いのは当然と考えられます。この作品もアが垂耳、ウンが立耳という造り分けが遵守され、またその他の点でも典型例との違いを指摘することができません。しかしどことなく違う感じを受けるのが面白いところです。


宮地嶽(みやじだけ)神社

提供者:hisaLinさん
13.08.29
hisaLinさんのコメント:日田駅から210号線を玖珠町までサイクリングした時、立ち寄りました。210号線沿いにあった神社に、大分ならではのユニークな狛犬がいました。
(大分県玖珠郡玖珠町山田)
狛太郎のひとこと:宮地嶽神社は神功皇后を祀る社で、福津市の宮地嶽神社が総本社です。江戸期以前は実在と考えられており、第15代天皇とした記事もあります(現在はそれは応神天皇)。九州北部に巡幸伝説が多いとされ、史実でないとしても、半島との濃密な外交関係を反映しているとは言えるでしょう。
とぼけた味わいのある狛犬です。鼻の穴が赤く彩色されているので、滑稽味が増しています。狛犬は魔除けですから強そうに見えることが大切なはずなのに、時々こうした親しみやすい表情の狛犬がいます。
石工もそのつもりで彫り始めたに違いないのですが、完成してみたらこうなった、という感じでしょうか。


山内(やまうち)天満宮

提供者:hisaLinさん
13.08.31
hisaLinさんのコメント:八女、黒木周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける狛犬がいました。
(福岡県八女市山内)
狛太郎のひとこと:「山内」は山に囲まれた地形を表しています。当地も筑紫平野の縁辺にあたる所で、星野川が初めて開けた地に流れ出す場所です。こうした地域では、昔は自然災害が多かったかも知れません。その為、神仏の加護は特に切実な願いだったでしょう。地図を見ると、そんなことが想像されます。
このタイプは筑後型のバリアントで、八女市(八幡宮A熊野神社など)をはじめ、筑後市(玉垂命神社Aなど)、みやま市、大木町など筑後地方に広く分布しています。しかし、筑後型の本拠地である久留米市では見かけません。八女あたりで造られ普及したものの、本家に逆輸入されることはなかったようです。


諏訪(すわ)神社

提供者:hisaLinさん
13.09.04
hisaLinさんのコメント:八代から三太郎峠を越えて、水俣〜薩摩川内まで走った時、立ち寄りました。
出水駅の近くにあった神社に、量産タイプ?の狛犬がいました。
(鹿児島県出水市麓町)
狛太郎のひとこと:文治2(1186)年、薩摩・大隅・日向の守護に任じられた島津忠久が、前任地信州の諏訪大明神を勧請した、と伝えられる古社です。その後出水も島津領となり、当地に遷座されました。祭神は出雲の「国譲り」で当地に逃れた、軍神かつ農業神でもある建御名方命(たけみなかたのみこと)です。
狛犬は現代岡崎型です。画一的で手作り感に乏しいため、量産型と見なされることも多いこの型ですが、どこかの工場で集中的に造っているというわけではありません。製作者によって少しずつ違いはあり、それを個性と捉えることもできます。この作品は顔立ちに独自性があり、地方色が出ていると言えそうです。


多賀山(たがやま)大明神

提供者:hisaLinさん
13.09.05
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、岩国までサイクリングした時、立ち寄りました。新幹線新岩国駅近くにあった神社に北九州、下関周辺で見かける狛犬がいました。この狛犬は相当広く存在するみたいに思いますがどうですか?
(山口県岩国市御庄)
狛太郎のひとこと:疫病流行で死者続出の折り、近江八幡の多賀大社を勧請したところ、霊験により鎮まったと伝えられます。その年代は不詳ですが、鳥居に明和5(1768)年の銘がある由なので、それ以前のことと思われます。多賀神とは最初の夫婦神として登場する「国生みの神」、伊弉諾尊と伊弉冉尊です。
縁取りのような唇の表現などは、北九州で見かける狛犬にも共通な一般的特徴です。特に広渡八剱神社(遠賀町)と、松屋八幡宮A(下関市)及び当社とは、眼球とヒトミを二重に積み上げた形の目や、独特な鼻孔の表現までそっくりであり、やはり北九州と山口県は近似した狛犬文化圏であると言えそうです。


天神社(てんじんしゃ)

提供者:hisaLinさん
13.09.07
hisaLinさんのコメント:福岡市からポピー見に、朝倉市のキリンビール辺りまでサイクリングした時、立ち寄りました。この辺りで見かける狛犬がいました。
(福岡県朝倉市千代丸)
狛太郎のひとこと:朝倉市には千代丸のほか、大字だけでも持丸、金丸、杷木星丸があり、近隣でも久留米市田主丸など、福岡県には「丸」地名が非常に多いようです。「本丸」が城郭の中心をなす「区画」であるように、「丸」は「字」のようにあまり広くない一定の地域を意味する言葉ではないかと想像しています。
筑後型のひとつのパターンで、ヒゲがびっしり顎を取り巻いているのが特徴です。典型例の髪やヒゲはざっくりと省略的で、大柄な体つきに見合った豪快な表現なのに対して、このタイプでは細かい毛筋を付け、装飾性が意識されています。このタイプは典型例の改良版、またはニューモードといったところでしょうか。


土師老松(はじ・おいまつ)神社

提供者:hisaLinさん
13.09.10




@





A
hisaLinさんのコメント:飯塚から桂川町周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。66号線上にあった神社に、1対は福岡市周辺で見かける狛犬、もう1対は北九州周辺で見かける狛犬がいました。
(福岡県嘉穂郡桂川町土師)
狛太郎のひとこと:創建年代は不詳ですが、出雲大社を勧請したと伝える古社であり、鎮座地は大国主命が諸国巡回で訪れたというゆかりの地です。万寿元(1024)年に、当地が安楽寺(大宰府天満宮)の荘園となったのを機に、菅原道真を合祀して現社名に改めました。しかし現在でも主祭神は大国主命です。
@福岡市(志式神社など)とその周辺(五所八幡宮など)に分布している型で、様式化されているものの、実在のライオンにも似た作風です。hisaLinさんのレポートにより、どんどん数が増えており、もう20例に近づく勢いです。よほど人気のあるモデルには違いありませんが、発祥地やその時期などは不詳です。
A同町土居の老松神社Aとは同系のようです。またこれらは朝倉市の垂裕神社とも共通の特徴をもっており、かねて朝倉型と呼んできた型と系統を同じくするものと思われます。この型も人気モデルで@以上に数も多く、分布範囲も広いのですが、やはり本当の発祥地は今のところよく分からないでいます。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.09.15
hisaLinさんのコメント:福岡市からポピー見に、朝倉市のキリンビール辺りまでサイクリングした時、立ち寄りました。この辺りで見かける狛犬がいました。この辺りには、筑後型でもこのタイプが多いような気がしますが。
(福岡県朝倉郡筑前町依井)
狛太郎のひとこと:ここは古代の「夜須(やす)郡」にあたる地域で、神話の「高天原」(天照大神参照)とも言われます。そこにあったという「天の安川(やすかわ)」との地名の類似や、太古の一大勢力を養うだけの農業生産力が想定されることなどが根拠です。珍説かもしれませんが、話としてはロマンチックです。
狛犬は筑後型のうち、ヒゲが顎を取り囲んでいるタイプです。典型例よりもやや小振りで、引き締まった筋肉質の体型をしています。本家の久留米市の周辺地域に多く見られ、同町の松峡八幡宮@や朝倉市の天神社志波宝満宮@も類似です。これは佐賀県にも来ていて、上峰町の天満宮などで見られます。


龍神宮(りゅうじんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.09.18
hisaLinさんのコメント:柳川周辺をポタリングした時、立ち寄りました。塩塚川河口付近にあった神社に、この辺りでは見かけない狛犬がいました。少しは、みやま市瀬高町大廣園にある、八幡神社Aの狛犬に似ているような気がしますがどうですか?
(福岡県柳川市有明町)
狛太郎のひとこと:河口に近いこのあたりには、龍神宮や海童神社が密集しているようです。地形から見ると干拓地と思われ、区画整理された広い水田が広がっています。水産や海運の安全を海童神社に願う一方、農業用水の確保を龍神宮に祈る暮らしであったでしょう。また風水害も深刻な懸念だったでしょう。
狛犬は柳川市(玉垂宮@天満神社八幡神社など)を中心に、大川市(高良神社など)にも似たものが普及しており、大廣園八幡神社Aもこの仲間のようです。外観は必ずしも一定していませんが、上唇が波打ってまくれ上がり、歯茎が見えているような口の形が非常に独特なので、共通な印象を受けるようです。


玖珂島(くがしま)神社

提供者:hisaLinさん
13.09.26
hisaLinさんのコメント:防府から徳山、岩国までサイクリングした時、立ち寄りました。188号線沿いに走ってきて、田布施川を渡った所にあった神社に、風化が酷いですが浪速型と思しき狛犬がいました。 
(山口県熊毛郡平生町)
狛太郎のひとこと:山口県の東南端に位置し、瀬戸内海に臨む町です。昔は一帯は海だったらしく、玖珂島など「島」地名が多く見られます。この町を潤す川は「田布施川」で、佐賀市の「多布施川」とは同音、更に、河口の砂州らしき土地は「佐賀」というのであり、佐賀市民として不思議な一致に驚かされます。
狛犬は山口県に見られる「浪花型」です。この型は瀬戸内海を通じて大分にも到達しています。本家大阪の浪花型との関係は不明で、ただ似ているだけなのか、それとも系統を一にするのか、今後とも考察が必要です。風化が著しいという特徴からは、砂岩製の大阪浪花型に通じるものがあり、興味深い狛犬です。


熊野宮(くまのぐう)

提供者:hisaLinさん
13.09.30
hisaLinさんのコメント:鳥栖駅から佐賀市方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
31号線沿いの満善寺近くにあった神社に、この辺りでよく見かける狛ちゃんがいました。
(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町三津)
狛太郎のひとこと:吉野ヶ里町は06年に、三田川町と東脊振村が合併して誕生した町で、当地は旧東脊振村に当たります。旧東脊振村は山間地を多く含み、そうしたところには、熊野神社が勧請されていることが多く、当村内にも数社の熊野宮がありました。当社もその一つですが、平坦地に鎮座しています。
狛犬は典型的な岩狛です。砥川石工が創案した動的な造形は、それまでの基本形である蹲踞の常識を覆した画期的な意匠と評価できます。吊り上がった眉と膨らんだホホに、きかん気な少年のような面影があり、生気に満ちています。明治期の作品で、岩狛としては洗練され完成の域に至ったころのものです。


広旗八幡宮(ひろはた・はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.10.02
hisaLinさんのコメント:田川駅から水巻駅までサイクリングした時、立ち寄りました。
何処から来たのでしょうか、この辺りで見かけない狛ちゃんがいました。
(福岡県北九州市八幡西区楠橋)
狛太郎のひとこと:「広旗」を冠する神社は各地にあり、ほぼ八幡宮です。八幡宮は訓読みでは「やはた」なので、両社は大いに関係があります。「広旗」は「幅の広い立派なハタ」、「八幡」は「たくさんのハタ」と思われ、「ハタ」の美称であるのは確かなのですが、その「ハタ」が何であるのかはよく分かりません。
変わった雰囲気の作品で、北九州周辺ではあまり見かけないものです。さりとて、どこかで見かけるというのでもなく、独特と言うしかありません。尾の形は棒状のようであり、また顔立ちからも九州生まれであろうとは察せられます。胸のシワは筋肉の表現と思われますが、弛んでいるようにも見える点はご愛敬です。


高良社(こうらしゃ)

提供者:hisaLinさん
13.10.06




@





A
hisaLinさんのコメント:大川市、筑後市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
この辺りで見かける狛ちゃんが2対いました。
(福岡県三潴郡大木町奥牟田)
狛太郎のひとこと:永和元(1375)年に、高良大社から勧請と伝えられる古社です。祭神は武内宿禰(たけうちのすくね)です。高良大社の祭神玉垂命は記紀には登場しない神ですが、これを中央の神に比定すべく諸説が提起されていて、景行天皇など5代の帝に仕えたとされる、武内宿禰とする説が有力なのです。
@出雲式の構えと、筑後型に似た風貌を併せ持っています。町内では三島神社A三嶋神社のものが、これと同タイプと見られます。ただし本作品はそれらとは尾の形が違いますし、その2社間でも耳の造り分けの有無に違いがあるなど、総じてこの地区の狛犬には、各地の狛犬の要素が混入しているようです。
Aこれも出雲式の姿勢ですが、@に比べると後肢の形が本場のものに近いようです。体つきがスマートであり、アウンで耳と尾の形を造り分けるなど、より工夫が凝らされています。視覚的効果を一層意識したものらしく、その成果が十分出ていると思います。顔立ちは@と同様、筑後型がベースであるようです。


中川八幡(なかがわ・はちまん)神社

提供者:hisaLinさん
13.10.07
hisaLinさんのコメント:長崎から諫早、島原を通って天草までサイクリングしようと、ちょうど長崎駅を出て氷見トンネルの方に走りかけた時に、立ち寄りました。路面電車の蛍茶屋手前にあった神社に、髭濃い一見熊本出身ですか?と聞きたくなる狛ちゃんがいました。
(長崎県長崎市中川2丁目)
狛太郎のひとこと:長崎に滞在中の豊後(現大分市)の城主が、正保3(1646)年に自国の柞原(ゆすはら)八幡宮を勧請しました。その柞原八幡宮は、天長4(827)年に宇佐宮を勧請した大分市屈指の古社です。
当社は創建時は風頭山麓に鎮座し、寛延元(1748)年に旧長崎街道に面した現在地に遷座しました。
長崎ではまだこれといった定番を特定できず、新規の狛犬を見るたびに、類例を探すのが大変です。この狛犬も太く長い眉、渦が密集する髪など、際立った特徴があるのに、類例が見当たりません。ただ、細い足とスマートな体つきは、島原の狛犬(八幡神社霊丘神社猛島神社など)に通ずるものがあります。


平木(ひらき)神社

提供者:hisaLinさん
13.10.12
hisaLinさんのコメント:熊本駅から有明海沿いに三角港を通って、八代海沿いに八代駅までサイクリングした時、立ち寄りました。501号線沿いに走っていて緑川を渡った所にあった神社に、これぞ熊本だと言わんばかりの狛ちゃんがいました。
(熊本県宇土市走潟町)
狛太郎のひとこと:何本かの川が緑川に合流して、宇土半島の付け根部分で島原湾に注いでいます。当社はその緑川の河口に近い河畔に鎮座しています。走潟町は、緑川と大きく蛇行する浜戸川に包み込まれた島のような土地で、「潟」の名はかつて湿地帯のような場所だったことを想像させます。
狛犬は体つきやヒゲに熊本狛犬らしさが表れていますが、それ以上に面構えがいかにも肥後もっこすという感じで微笑ましいです。言い出したら「梃子でも動かない」という意志の強さが滲み出しているように見えます。特にウンの荒々しい歯を食いしばっている様子は、もう何をどうしても説得できなさそうな風情です。


綿津見(わたつみ)神社

提供者:hisaLinさん
13.10.13
hisaLinさんのコメント:福岡市の東区周辺をポタリングしていた時、立ち寄りました。新宮町にある渡船所近くにあった神社に、福岡市周辺でよく見かける狛ちゃんがいました。
(福岡県糟屋郡新宮町湊)
狛太郎のひとこと:貞享2(1685)年に湊の漁人が氏神ごと新宮に移転したため、残った人達は改めて三苫(現東区三苫)から八大龍王を勧請した由です。明治5年に現社名に改称したのは、神仏分離令により仏教神の八大龍王では存続が危ぶまれたため、神道の綿津見神に衣替えしたものと想像されます。
狛犬は福岡市周辺に多く分布しているタイプで、隣町の古賀市の五所神社に典型例があります。ほかに東区の志式神社なども類例です。多くの例ではアゴを取り巻くヒゲが一枚の板状であるのに対し、この作品では連続した毛房で表現されています。極小の玉を踏んでいるのがアクセントになっています。


鰐(わに)大明神

提供者:hisaLinさん
13.10.14
hisaLinさんのコメント:鳥栖駅から佐賀市方面までサイクリングした時、立ち寄りました。31号線沿いの浄円寺近くにあった神社に、肥前狛犬らしき狛ちゃんがいました。
(佐賀県神埼市神崎町志波屋)
狛太郎のひとこと:鰐大明神の祭神は、日本に『千字文』を伝えた王仁(わに)博士とされます。王仁は百済の学者で、来日時期は応神天皇の時(5世紀初頭)とされますが、実在性はあいまいです。実は吉野ヶ里遺跡の北側にも「王仁天満宮」が鎮座しており、一帯で信仰があったようです。
肥前狛犬の多くは前肢の間や腹下を彫り残していますが、これは前肢を丸彫りにして独立させています。造りとしてはこちらの方が高度です。更に強度が保たれるにはある程度の大きさが必要ですから、当然工賃は高くついたはずです。経済力のある施主だったことが推察されます。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
13.10.21
hisaLinさんのコメント:飯塚から遠賀川沿いにサイクリングした時、立ち寄りました。
地域が田川に近いせいか、田川地方で見かける狛犬がいました。
(福岡県飯塚市佐與)
狛太郎のひとこと:神功皇后が後を慕う兵士に「いつかまた会おう」と言われたのが「飯塚」の語源とされていたり、字名の「佐與」も、神武天皇の「左様か」という発言が元になったなど、面白い地名説話が残されています。これらの言葉は古代語らしくなく、近世の会話のように聞こえてしまいますが。
狛犬は田川地方独特の、極端にデフォルメされた顔面を持つタイプです(若八幡神社Aなど)。タドンのような目と、ウンの2対の牙も特徴です。地理的に近い飯塚にも進出していたようですね。当社の狛犬を見て気付いたのですが、小玉を踏む姿や胸回りが朝倉型(垂裕神社など)にも似ているようです。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
13.10.27
hisaLinさんのコメント:宇佐から行橋方面をサイクリングした時、立ち寄りました。
宇佐、中津周辺で見かける狛犬がいました。
(福岡県行橋市馬場)
狛太郎のひとこと:貴船神社は水神を祀っており、総本社は京都の鞍馬貴船町にあります。この神社の由緒は古く、延喜式の名神大社かつ二十二社の一であり、近代では官幣中社という最高の社格を保ってきました。「丑の刻参り」の舞台としても知られ、ミステリアスな一面も垣間見えます。
宇佐市(桜岡神社など)に多く見られる大玉取りのスタイルであり、中津市(八坂神社など)でもこれを見ることができます。また田川市(十二祖神社)には顔立ちもそっくりなものがあります。行橋、中津、宇佐、田川は昔の豊前国として一体でしたから、これらは同系統のものと考えてよさそうです。


貴船(きふね)神社

提供者:hisaLinさん
13.11.04
hisaLinさんのコメント:飯塚から嘉穂周辺をサイクリングした時立ち寄りました。200号線を挟んだ向かいにも貴船神社があり、この辺りには多い神社名かな。向かい側(桂川町九郎丸の貴船神社)の狛ちゃんとはちょっと違いますが、朝倉風?の狛犬がいました。
(福岡県飯塚市平塚)
狛太郎のひとこと:飯塚市や桂川町は、縄文時代から人が住みつき、弥生時代には有力な集落が形成されました。古墳時代には両町に前方後円墳が築かれるなど、古代から開けた土地です。農業生産力を背景としており、貴船神社が多いのは、水のコントロールが不可欠だったからと思われます。
狛犬は朝倉型(垂裕神社など)の系統と見られます。肩の筋肉の盛り上がりにはやや欠けますが、力強く張った胸や小さな玉を踏む姿は、朝倉型そのものです。朝倉市からは相当離れていますが、長崎街道に沿って運ばれたか、様式が伝播したものと考えれば自然ななりゆきのように思われます。


玉垂命(たまたれのみこと)神社

提供者:hisaLinさん
13.11.05
hisaLinさんのコメント:柳川、大川市周辺をポタリングした時、立ち寄りました。
風化が激しくて、どの部類に入るのか分からない狛犬がいました。
(福岡県大川市上白垣)
狛太郎のひとこと:玉垂命は記紀などで知られる神々の誰にあたるのかという議論があります。しかし延喜式の名神大社、かつ筑後国一宮、近世では国幣大社として確固たる地位を維持してきたことを考えても、玉垂命は玉垂命であり、地方の固有の大神のままであるのが相応しくはないでしょうか。
狛犬は筑後地方ではあまり見かけないタイプです。風化が著しくて人相が分かりにくいのですが、「短足」であることや立派な尾を持つことなどから、熊本系統ではないかと言う気がします。よく見ると、前足の位置がオープンスタンスです。これは筑後型の影響を受けた可能性もありますね。


日吉(ひよし)神社

提供者:hisaLinさん
13.11.11
hisaLinさんのコメント:宇佐から行橋方面をサイクリングした時、立ち寄りました。この狛ちゃんは築上町の金富神社@綱敷天満宮@A、宇佐市の柁鼻神社@と、行橋の崎野神社と同じ雰囲気の狛犬がいました。
(福岡県行橋市北泉)
狛太郎のひとこと:日吉神社は元来はヒエと発音しました。同じ祭神の神社に「日枝(ひえ)神社」があるのがその証拠ですが、そのヒエとは比叡山を指しています。比叡山延暦寺ができてからは、その守護神としてヒエ神を取り込みました。ですから各地の日吉神社は天台宗の普及と密接な関係があります。
このタイプはいずれも旧豊前国に含まれる、上記の各地域に分布しています。端正な体つきと、写真では幾分青味を帯びた色合いが美しく、顔立ちも他とは明らかに異なります。厳しく、妥協を許さないかのような表情はエキゾチックであり、威厳と共に深い情感さえ漂わせているように見えます。


八幡宮(はちまんぐう)

提供者:hisaLinさん
13.11.15
hisaLinさんのコメント:鳥栖駅から佐賀市方面までサイクリングした時、立ち寄りました。
この辺りでよく見かける、古代型と命名されている狛犬に似た狛犬がいました。
(佐賀県三養基郡みやき町簑原)
狛太郎のひとこと:『中原町史』によると、貞享2(1685)年の神社帳には既に記載のあった古社です。また「山狗・文化10(1813)」とあるのが当狛犬のことと思われますので、「古代型」の年代が初めて判明しました。意外に新しいので驚いています。この型の成り立ちについて、初めての情報でした。
「古代型」は何故かみやき町に多く残されています(千栗八幡宮(中段)綾部八幡神社天満宮若宮八幡神社(下段)など)。古いものを大切にする地域性とも考えられますが、上記のようにこの狛犬が文化年間のものだとすると、これは一つの型として脈々と造られ続けていた可能性が出てきました。


六所宮(ろくしょぐう)

提供者:hisaLinさん
13.11.20
hisaLinさんのコメント:飯塚から嘉穂方面に行ったとき立ち寄りました。朝倉風?の狛ちゃんがいました。
(福岡県飯塚市舎利蔵)
狛太郎のひとこと:延暦23(803)年に伝教大師最澄が渡唐のおり、当社で安全祈願をしたのが始まりとされます。その由緒から、当社は天台宗との関係でここに鎮座したもののようです。八幡大神、国常立尊など計6柱(六所)の神が祀られており、そのうちの大物主神が天台宗との関係を示唆しています。
狛犬は体つきやウンが踏んでいる小さな玉というあり方から、朝倉型と見て間違いないと思います。朝倉から運ばれたとすると陸路でしょうから、こんな重量物の運搬はなかなか難儀だったことと思われますが、長崎街道経由なら何とか可能だったのでしょう。石工が出張製作した可能性もあります。


乃木(のぎ)神社

提供者:hisaLinさん
13.11.27
hisaLinさんのコメント:下関から宇部を通って防府まで走った時、立ち寄りました。
長府にある忌宮神社の近くの神社に、この辺りでよく見かける狛犬がいました。
(山口県下関市長府)
狛太郎のひとこと:明治期の軍人、乃木希典を祀っています。乃木将軍は日清・日露の戦争に出征、とりわけ日露戦での203高地の激戦が有名です。敵将ステッセルとの降伏調印の場面は文部省唱歌に歌われ、双方の武士道精神が讃えられました。長府は乃木将軍の出身地です。
狛犬は山口県でよく見られるタイプで、扁平な頭頂と広い垂耳が、四角い輪郭を形づくっています。また太い犬歯が目立っています。アゴ下に2つの渦があり、胸に胸筋を表すと見られるY字型の溝が刻まれているという点では、今八幡宮@弁天社琴崎八幡宮@などと共通性があります。


音子(おんご)神社

提供者:くろのすけさん
13.12.03

くろのすけさんのコメント:先日、新潟県長岡市栃尾に行く機会がありまして、上樫出(かみかしいで)というところの音子(おんご)神社を訪ねました。境内に、添付の狛犬がいましたのでお送りします。
小振りなもので、天狗の羽団扇のような扇型の尾が付いています。
台石には、「安政三(1856)辰年、石工豊蔵作」の文字がありました。

ところでこの神社でより有名なのは道祖神(珍棒(ちょんぼ)地蔵)でありまして、これは年に一度、8月の祭礼に向け、地元の皆さんが赤土で製作されるのだそうです。なかなか迫力の造形です。
(新潟県長岡市栃尾上樫出)
狛太郎のひとこと:ご本尊は音子沢から出土した「金銅の地蔵尊」らしいのですが、別に道祖神として「珍棒地蔵」を祀っています。掲載をためらいましたが、日本文化の基層に根付いた信仰を尊重することに意味があると思い、ご紹介します。お地蔵さんには申し訳ないのですが、少々加工しています。
これまで狛友に投稿いただいた新潟の狛犬とは、ちょっと趣を異にしています。頭頂の膨らみや顔立ちからは、江戸型の要素があるように思われます。また内側に湾曲する脚線も、幾分それらしく感じられます。東北の狛犬はサンプルが少なく、まだこれといった系統づけはできていないのです。


横野(よこの)八幡宮

提供者:hisaLinさん
13.12.08
hisaLinさんのコメント:山口県の小串から門司までサイクリングした時、立ち寄りました。191号線から少し海辺の方に入った所にあった神社に、この辺りでよく見かける狛犬がいました。
(山口県下関市横野町)
狛太郎のひとこと:横野は安岡という地区の中にあります。安岡という地名は神功皇后がここに立ち寄った際、「心が安らいだ」ことから起こったとされます。横野八幡宮の祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇であり、創建年代等は不明ですが、元々あった神功皇后伝説に関連したものと想像されます。
狛犬は容姿、石質とも山口県でよく見られるタイプです。前肢を細く仕上げているところを見ると、この石はかなり堅牢なのだろうと思われます。そのため、あまり深く彫りこむのが難しかったのか、顔面以外は各部とも最小限のレリーフにとどめられています。花崗岩系統の狛犬に共通した特徴です。


室園(むろぞの)神社

提供者:hisaLinさん





@





A
hisaLinさんのコメント:八女、黒木周辺をサイクリングした時、立ち寄りました。52号線を星野川沿いに走って、「ほたると石橋の館」のところの石橋を渡った所にあった神社に、@1対はこの辺りでよく見かける狛犬と、Aもう1対は猪豚みたいな狛犬がいました。
(福岡県八女市上陽町北川内)
狛太郎のひとこと:八女市と上陽町の名はともに、律令時代の古地名「上陽刀iかみつやめ)」に由来しています。元々の「かみつやめ」とは何だったのかは分かりませんが、八女市はその音の下半分、上陽町は漢字表記の上半分を町名にしたわけです。
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