福岡県の狛犬
各地の一の宮 総社を称する神社


警固(けご)神社

ビル街にふと開いた異次元の扉、といったおもむきの神社です。
祭神はとても珍しいメンバーです。災いの神である八十禍津日(やそまがつひ)神と、それを祓う神直日(かむなおび)神・大直日(おおなおび)神が一緒に祀られているのです。狛犬は平成3年なのに台座には文政11(1828)年と刻まれ、新旧交代があったことを物語ります。

(福岡市天神二丁目)


筥崎宮(はこざきぐう)

日本三大八幡宮の一つで、応神天皇を祭っています。見所は多く、鳥居、拝殿、本殿などは国重文です。ただし筥崎鳥居と称するこの鳥居は、紛れもなく「肥前鳥居」であり「他に類例なし」との説明には首をかしげざるを得ません。
本殿は左右端に車寄せを持つ堂々たる桧皮葺の九間社で、格式の高さがうかがわれます。雄大な楼門も見飽きることはありません。鳥居の脇に蹲踞する大型の狛犬は、大正12年製。筋骨たくましく、迫力のある造形です。
(福岡県福岡市東区箱崎一丁目)

高良(こうら)大社

延喜式内の古社で、筑後国一宮です。檜皮葺の拝殿と本殿は壮麗で、往古の権勢がしのばれます。狛犬は宝暦13(1763)年の筑後型ですが、1800年頃に確立する同タイプの典型よりは細身で、尾も棒状と扇状の中間的な形状です。過渡的形態を示す貴重な例である可能性があります。
(福岡県久留米市御井町)


伊豆(いず)神社

祭神の彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)は、昔話の「山彦」として知られます。それにしてもこの狛犬は、どうしてこんな格好をしているのでしょうか!
全く奇想天外な造形です。製作年は大正9(1920)年です。第一次大戦後間もなくで、内外ともに困難な時期だったはずですが、そんな世相を笑い飛ばすような豪快さです。理屈抜きに笑える逸品です。体をひねって振り返るウンが、妙に色っぽいのも傑作です。
(福岡県遠賀郡水巻町頃末)

河守(かわもり)神社

社頭を流れる堀川は江戸中期、灌漑用水として開削された人工の水路です。当社は、工事の最難関だった「吉田車返し」に鎮座しているのです。
狛犬は通常とは逆に左側にア像が配置され、玉取りで逆立ちという珍しい意匠です。砂岩製のため破損が著しく、銘も不明です。当地ではアウンを逆に配することや、倒立の意匠が多く見られ、独特の狛犬文化圏のようです。
ちなみに、このウン(右側)は四肢が著しく破損しているためこのように伏せた姿勢で置かれていますが、首の向きなどから見て、本来は伊豆神社のように立ち上がって振り向く姿勢ではなかったかと想像されます。
(福岡県遠賀郡水巻町)


枝光(えだみつ)八幡宮

建久5(1194)年、宇都宮八幡神を勧請しました。
(上段)三等身であとげない顔立ち、平らな頭頂と垂れ耳が造る角張った頭の形は、当地でよく見かけるパターンです。明治33(1900)年の作品で、奉納者の住所は「福岡縣遠賀郡八幡村」と表記されており、今昔の感があります。
(中段)大きな顔、広い口幅、迫力あるヒゲの表現など、きわめて個性的な作品です。ウンは巨大な玉を抱えています。石工吉永鑄、明治36(1903)年作。
(下段)大正13(1924)年の作品で、石工は吉永■です。上記と同一人物と思われるのですが、作品の印象は全く違います。大腿部の凹凸にその面影は残っているものの、20年という年月を経て円熟の境地に入ったのか、ウンの玉も小さくなり、全体にあくの強さが薄らいでいるのが興味深いところです。
(福岡県北九州市八幡東区諏訪)


水天宮(すいてんぐう)

全国水天宮の総本社です。寿永4(1185)年壇ノ浦の合戦後、女官按察使局(あぜちのつぼね)が筑後に逃れ、入水した幼帝安徳天皇などを祀ったのが始まりです。広い境内には多くの狛犬や灯籠が奉納されており、商都久留米らしく全国各地の商人名が刻まれています。
(最上段)境内入口のブロンズ狛犬です。足が長く精悍な体つきです。通常とは逆に、右がウンで左がアに造られています。昭和50年。
(二段目)神門前の狛犬です。口元や髪の表現が、北九州でよく見られるタイプに似ています。明治28年奉納です。
(三段目)拝殿前の一対です。文化14(1817)年の作品で、いわゆる筑後型の先駆的要素を持っています。横幅の広い顔、肉付きの良い体つき、アウンとも片足を引くスタンス、などがそれに当たります。
(四段目)末社の肥前狛犬です。年銘はありませんが、江戸前期のものです。「撫で狛犬」と名づけられ、「撫でることにより無病息災を願う」と説明されています。非常に良好な状態に保たれています。
(福岡県久留米市瀬ノ下町)




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