U.佐賀型の細分類

目 次
T.体勢等による区分
U.佐賀型の細分類
V.全国狛犬の系統 
  Top pageへ   


佐賀県には歴史的に3系統の石工集団がありました。
砥川(とがわ)、塩田、値賀の3地域に集住し、それぞれ採石、加工、土木建築に従事した職能集団です。狛犬製作においても地域ごとに独自の作風を育み、確立してきました。砥川は小城市牛津町と小城町の一部を指し、塩田は嬉野市塩田町、値賀は唐津市玄海町の中の地域を指します。
いずれも産石地に立地し、海岸や河川港に近いことが、生産と出荷に地の利を得ていました。



(1)佐賀型の基本パターン3種

砥川型(岩狛)
砥川は江戸時代、佐賀の石材産業の中心地でした。牛津町は「一(市)に高橋、二(荷)に牛津」と称えられる商都であったこと、佐賀城下に近く需要が旺盛だったことなどが、発展の要因と考えられます。江戸中期には名工平川与四右衛門を出し、砥川石工の名声は一層高まりました。
写真のように前立に岩を配し、前肢を掛けて立ち上がる、動きのある造形が砥川石工の代表的作品です。後肢は概ねピンと伸ばしています。
アの口には玉を噛んでいるものが多く見られますが、これは後ではめ込んだものではなく、口腔を穿つ時に彫り残したものです。岩には牡丹の花と葉が配され、質朴な中に装飾性も怠りなく添えられています。
砥川石工の独創にかかるこの造形を「岩狛」と名付けることにしました。
後世にはこれを基にした、より動的で写実的なバリアンツが登場します。

唐津型
唐津石工の発祥は、桃山期に豊臣秀吉が朝鮮出兵の前線基地として築かせた、名護屋城の築城に関わったことにあります。砥川の徳永九郎左衛門俊幸がこれに携わり、その子孫が地区に残って唐津石工の祖となりました。江戸期を通じて徳永姓が唐津石工の代表的家系です。
唐津型の特徴として、@目つきが鋭いA牙が大きく、しばしば2対あるB首をかしげて睥睨するような姿勢であるC胸と腹を分ける水平のエッジがあるD尾が逆R字状である、などが挙げられ、全体に厳めしい印象です。

塩田型
塩田石工の祖は元和3(1617)年生まれで、砥川で修行後に帰村して石材業を営んだ筒井惣右衛門であると伝えられます。筒井氏とともに塩田石工の代表的家系である永石氏も砥川から移住した人でしたから、共にその技術の源流は砥川にあったことになります。そのせいか、塩田型は砥川型によく似た点があり、岩狛の構図も多用されています。
塩田型の特徴は、@痩身長躯でスマートであるA柔らかく豊かな髪の表現を得意とするB尾は太く緻密な毛筋が付けられているC歯列が細かくびっしり並んでいるDパーツの彫りが深く立体感があるE蹲踞も岩狛もある、などです。県内産の他の型に比べて、格段に装飾性に優れ、豪華です。
(神埼市千代田町大島・菅原神社)
参考:金立神社下宮  


(2)佐賀型のバリエーション

恐竜型 多久神社
砥川系岩狛のバリエーションとして、江戸末〜昭和初期にかけて、極めてリアルで精密な細工を施した「恐竜型」が登場しました。従来の定型化された作品群に比べてデッサン力に優れ、加工の度合いも格段に高くなっています。
狛犬を造るというより彫刻作品を世に出すという意識で造られたように感じられ、石工の渾身の創造力と技術力が発揮されて見応えがあります。
このタイプのはしりと見られるものは、幕末頃のものが遺存していますが、近現代のものは技術的進歩などによって、一層の洗練が加えられています。
類例:伊勢神社上揚八幡宮王子宮鎮守八幡宮乙護社 天満宮淀姫神社内砥川八幡神社厳島神社上小田乙護社大木神社平尾天満宮天満宮多久神社沖神社

古代型 本庄神社

1800年代初頭ころになると、それまでの肥前狛犬から、全国標準型とも言える獅子型への移行が進みました。しかしそれはまだ試行錯誤的な段階であったと言わざるをえず、デッサンも稚拙で、風貌にも「あか抜けなさ」が色濃く残されています。しかしそれは、新しい時代に対応しようとする意欲の表れとも言え、むしろ荒々しいほどの力強さに満ちています。どことなく古代的な迫力を感じる風貌から、このタイプを古代型と名付けました。
類例:日天神社綾部八幡宮祇園神社祇園社 千栗八幡宮富士神社若宮八幡神社
若宮八幡神社鏡神社与止日女神社徳善院巨勢神社山浦八幡神社村田八幡宮三社宮
伊万里神社天満神社老松神社宝満神社天満宮
以下、順次掲載予定 工事中