佐賀市南部の狛犬(1)

近代には佐賀市南部に国県市政の基幹が置かれ、県内の交通、商工業の中心として発展してきました。一方、郊外には広大な水田地帯も擁しており、低湿地だった佐賀平野を肥沃な穀倉に変えた歴史的な営みを目の当たりにすることができます。
網の目のように張り巡らされたクリークには、下水の整備によって清流が戻りつつあり、タニシやシジミなど昔懐かしい水生生物が復活の兆しを見せています。(写真:佐賀市役所)
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松原(まつばら)神社
提供者:狛太郎
初代佐賀藩主の鍋島勝茂公と、その父直茂公を祀っています。戦国の佐賀を彩った主人公たちです。狛犬は4対もあり、それぞれ独特の表情と様式を楽しむことができます。
03.07.19 (一段目)比較的大柄で細工は精緻です。特に髪の毛筋が美しいのですが、風化が激しく全体に表面の剥離も進んでいます。銘はないものの、スマートな体躯と繊細な彫刻によって、塩田型であると判断できます。
(二段目)安永6(1777)年奉納で、狛太郎が調査した範囲では、年銘の分かるものとして、佐賀市で二番目に古い狛犬です。像容も古拙で肥前狛犬の面影が残り、全国標準の獅子型への過渡期の作品として興味深いものです。
(三段目)天保5(1834)年の小柄な狛犬です。「両御丸御側中」とあり、お城勤めの人たちが奉納したものであることが分かります。
(四段目)
拝殿前の一対は明治6(1873)年の作品です。すらりと伸びた前肢がしなやかで、毛筋や尾の表現も精細です。アウンとも手前側の前肢で牡丹の花を踏んでおり、玉取りの意匠を華やかに変化させたアイデアが秀逸です。
石工は佐賀の城島儀七です。
(佐賀県佐賀市松原町)

与賀(よか)神社
提供者:狛太郎
03.07.20

市内でも最古級の縁起を持つ古社で、なんと言っても目を引くのは朱塗りの楼門。15世紀後半、当地に君臨した少弐氏の造営とされ、国の重要文化財です。独特の形状を持つ「肥前鳥居」も是非見て下さい。慶長8(1603)年は県内でも最古級。なにしろ天下分け目の関ヶ原からわずか3年という時期ですから、400年を経た石肌にも思いひとしおです。

(一段目)入口の反橋のたもとに蹲踞している一対目の狛犬です。
50aほどの小型で、何より変わっているのはアウンが通常と逆なのです。顔の向きから見て、取り違えではありません。首のくびれがない蛙のような体型で、全体的に古い形を呈していますが、年銘、石工名などは読みとれません。
(二段目)末社稲荷神社の前に蹲踞しています。小顔で、長い手足と肉付きの良い体を持ち、まるでアスリートのような体型です。
享和元(1801)年、砥川石工の武富傳○の作品です。石質が脆くはなはだ風化していますが、肩の筋肉の逞しさや腰の張りなど、今でも往時の精悍さを失っていません。
(三段目左)境内の片隅に、役割を終えた古い狛犬がひっそりと時を過ごしています。円柱形の体、その底面に描かれた顔面。あるかなしかの手足など、全くの型破りです。まるで印鑑のようなこのタイプの狛犬は、古いことは確かですが、一体いつ頃のものなのか見当も付きません。またどうやって安置したものかも分かりません。肥前狛犬とも明らかに系統が異なるこの狛犬を、暫定的に「亜狛犬」と名付けています。
(三段目右)重要文化財の反橋と楼門
(佐賀県佐賀市与賀町)

牛島(うしじま)天満宮
提供者:狛太郎
永正5(1508)年に再興、とあるので創祀は相当古い神社のようです。
普通、神社は南面しているのですが、当社は西面しています。これは佐賀城の鬼門(北東)の鎮守として、お城の方角を向いているのです。
(一段目)拝殿前の狛犬です。前肢のスタンスを広く取り、安定感があり、技術的な熟練が感じられる造りです。昭和5(1930)年、小柳綱次郎の作品です。
(二段目)神門の前の狛犬です。顔が平べったく、全体に古風を残していますが、各部の造りは丁寧で、前後肢の飾り毛をはじめ、後世の作品に見られるパーツを完備しています。寛政8(1796)年の作品ですが、石工名はありません。

(三段目)末社の前に単立の狛犬がいます。すごく古くはなさそうですが、ほとんど直立した姿勢と首に鈴をつけた意匠がちょっと珍しいものです。
白山町の龍造寺八幡宮に類似の単立狛犬があります。

(佐賀県佐賀市東佐賀町)

伊勢(いせ)神社
提供者:狛太郎
03.07.22
伊勢神宮の分社は、実は珍しいものなのです。昔、杉野某という人が26年間に55回も伊勢神宮に通って、やっと分霊をいただいた、とあります。市重文の有田焼の赤絵狛犬(元禄13=1700年)が有名ですが、残念ながらここでは見ることはできません。
(上)拝殿前の石造狛犬は秀逸です。小柄ですが恐竜のように凶暴そうで、動きのある良い作品です。髪や尾の意匠は、強度より装飾性を優先したかの如くで、なかなかきらびやかです。幕末頃から登場する恐竜型の一例で、嘉永2(1849)年の銘があります。
(左)境内東端にある肥前狛犬は、寛文7(1667)年の作品です。初期には頭部上面にあった顔の造作が、時代を降るごとに前面に移動しますが、この狛犬にもその傾向が見られます。
(佐賀県佐賀市伊勢町)
道祖(どうそ)神社 提供者:狛太郎
04.06.26

与賀神社参道を西に進むと、道祖元(さやのもと)町に至ります。
道祖は中国の旅行神ですが、日本では村の出入り口で魔を防ぐ塞神(さえのかみ、さやのかみ)や、道案内の神の猿田彦命などと習合し、同一視されています。当社の祭神も猿田彦命です。

(上)小柄ながら立体感のある造形です。大腿部の張り出しが大きく、尾の量感も豊かです。特にウンの尾は、厚みのある芯に3経渦を配した華麗な意匠で、当地の狛犬としては異例なほど装飾的です。明治37(1904)年の作品。
(下)拝殿前の肥前狛犬です。あまり加工せず、浅いレリーフで五体を表現した素朴な造形が特徴です。アの顔面は破損していてよく分かりませんが、ウンに見られる「アゴヒゲ」の表現は肥前狛犬には珍しく、比較的整った像容からも出現期(1600年前後)よりはいくらか時代を降るものと思われます。
(佐賀県佐賀市道祖元町)

唐人(とうじん)神社

提供者:狛太郎
00.08.31
江戸初期、当地に商人の町を開いた李宗歓を祭ります。宗歓が高麗の人だったことから、唐人町の名が起こりました。平成11年、町の誕生四百年を記念して、小さいながらも立派な肥前鳥居肥前狛犬が備えられました。いずれも当時の様式を忠実に再現したものです。
(佐賀県佐賀市唐人1丁目)

本庄(ほんじょう)神社

提供者:狛太郎
00.08.31
欽明天皇の時に創建と伝えられる古社で、祭神は嘉瀬川流域を中心として佐賀長崎両県にわたる広い信仰圏を持つ与止日女(よどひめ)大神です。
狛犬は享和2(1802)年の作品です。造形が古風で、特に、顔を正面に向ける姿勢が、本来は縦置きとして造られたことを示唆しており、これは肥前狛犬の特徴を継承したものと考えられます。狛犬としての洗練度合いが低く、どことなく古代的な風貌を持っているため、これを古代型と名付けました。
(佐賀県佐賀市本庄町本庄)

日天(にってん)神社
提供者:狛太郎
由緒不詳ですが、祭神は日神であるらしく、また修験道との関連もありそうです。狛犬は享和3(1803)年で、正面を向き顔を上げた姿勢や、髪、後肢などの表現に古風が漂います。独特の存在感、重量感があり、本庄神社与止日女神社などの狛犬と共通性があります。1800年前後に造られた、これら一連の作品群を、その風貌から古代型と名付けました。
(佐賀県佐賀市材木町)


愛宕(あたご)神社

提供者:狛太郎
祭神は火の神、加具突智(かぐつち)神です。慶長5(1600)年に鍋島勝茂が勧請しました。宝永7(1710)年の鳥居、元禄11(1698)年の庚申祠など、古い歴史が感じられる神社です。
狛犬(大正12年)はアゴヒゲが豊かで、トランプのキング風。体格も大柄で均整がとれ、堂々たる風貌です。佐賀市で活躍した城島良三の作品です。
(佐賀県佐賀市呉服元町)


日枝(ひえ)神社

提供者:狛太郎
03.07.17
唐から帰った伝教大師により、大同元(806)年に福満寺の鎮守として創建されたと伝えられます。その後戦乱で焼失したものの、元亀年中(16世紀終盤)に龍造寺氏によって再興されました。境内に置かれた旧鳥居の銘文には、この鳥居が初代藩主鍋島勝茂によって建立されたことが記されています。
(一段目)かなり珍種です。直立した体勢や、密着した岩と体、また後肢の形などから、やや窮屈感のある造形となりました。小さな原石を最大限生かす工夫かと思われます。文久2(1862)年の作で、明治維新直前期のものです。
(二段目)佐賀市内では少数派の岩狛です。明治24(1891)年のもので、石工名はありませんが、大和町に多く分布する砥川石工の作品と推測されます。
(三段目)明治16(1883)年の蹲踞です。体つきは華奢ですが、顔立ちがユーモラスなので印象に残る作品です。尾はネジリ芯6経渦という凝った意匠で、形状や渦の位置などに独自性が見られます。
(佐賀県佐賀市北川副町木原)

八坂(やさか)神社

提供者:狛太郎
八坂神社は祭神・素戔嗚尊(すさのをのみこと)が、祇園精舎の守護神・牛頭天王に比定されるため、祇園宮とも呼ばれます。
(上)参道の狛犬は大柄(85a)です。胴部や腰部のがっしりした造形と、省略の利いた髪や尾の表現がよくマッチし、風格と威厳を併せ持つ秀作に仕上がっています。前肢がわずかにオープンスタンスであるなど、ちょっとした工夫も見られます。昭和11(1936)年の作品です。
(下)極めて良く造り込まれた肥前狛犬です。延宝7(1679)年の作で、実査した範囲では佐賀市で最古のものです。あまり風化しておらず、大切にされてきたことが分かります。ただアウンが互いに、ややそっぽを向いていることの解釈が難題です。左右を入れ替えれば自然な体勢ですが、アウンが逆になってしまいます。また現在は縦に置かれていますが、本来は横置きだったとすると、首の曲げ方が少し足りずに、参拝者の方を正視することができないのです。
(佐賀県佐賀市蓮池町蓮池)

菅原(すがわら)神社

提供者:狛太郎
肥前の戦国大名・龍造寺隆信に由来を持つ天満宮です。
狛犬は塩田型岩狛で、小柄(50a)ですが、デッサンや細工は達者です。砥川型が優勢な佐賀市内では、塩田石工の作品は多くはありません。
天保12(1841)年造。盤からはみ出すように踏ん張った後肢によって、力強さや躍動感を見事に表現しています。
(佐賀県佐賀市本庄町鹿の子)

今津下(いまづしも)若宮社

提供者:狛太郎
佐賀市嘉瀬町と同西与賀町の境を流れる、本庄江川の東岸に鎮座します。
応神天皇を祀っています。
狛犬は明治25(1892)年の岩狛で、ほぼタロウなのですが純正よりは尾に装飾化が見られます。しっかり踏みしめた後脚や、脇腹から大腿にかけて分布する筋肉の隆起に力強さが感じられます。
(佐賀県佐賀市西与賀町今津下)


巨勢(こせ)神社

提供者:狛太郎
02.12.28
大化元(645)年、大和国の古豪巨勢大連(こせおおむらじ)は、壱岐対馬を侵した外敵を撃退しました。この時進駐した支族が当地に土着したことにより、巨勢庄の名が起こったと考えられます。
(上)拝殿前の一対は真新しい岡崎型で、台座にも銘は一切ありません。
(下)寛政12(1800)年の古風な作品です。境内に横置きで安置されていますが、顔が真っ直ぐに正面を向いており、本来は縦置だったのではないかと思われます。砥川石工の作品で、技巧的には未発達ですが、風貌には言いしれぬ味わいがあります。ウンの顔面は完全に欠落して痛々しい限りです。
(佐賀県佐賀市巨勢町高尾)


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