cheap the thief 7



 マトレスの村と言うのは、年中春のような穏やかな気候だった。
 そのせいというのもあるだろう。ヘカテに来て以来、春になるといろいろなことが頭をよぎる。
 毎日泥だらけになった遊んだ友達、やさしくしてくれた近所のおばさん、そして…、ディア。
 ディアは村の男の子たちの憧れの的で、とてもきれいな黒髪をしていた。村の大人たちはよく、「街の女の子にだって負けないくらいきれいだね」とほめていたものだ。

 今でも、まだ、思い出す。
 みんなの中で笑っていた顔、たまに見せる大人びた顔、別れ際の、泣き出しそうな顔。
 この時期になると無性に黒髪の女の子が恋しくなるのは、ディアの幻影をどこかに重ねたかったから。

 彼女は今、どんな女の子になっただろうか。
 マトレスという狭い世界の中で、今も村のみんなに愛されて幸せに暮らしているのだろうか。

 また、あの笑顔が見たいと思った。



(クソ、)

 なんてタチの悪い夢だ、と相変わらず寝心地の悪い物置小屋の壁を蹴った。
 あれ以来、新しい女の子は作っていない。作る気になれなかった。
 今はもう、黒髪の女の子のことしか頭になかった。
 ディアのことがまだ好き? そんなかわいらしい、子供じみた想いではなかった。
 例えばディアはマトレスの思い出であり、マトレス村は自分と母親をつなぐ唯一の場所であり。
 そんな自分と母との思い出の中のいつもあたたかだったマトレス村の風景には、ディアの笑顔があって。


(…仕事、)
 女以外に何か打ち込むものといえば仕事、それだけしかない自分がとても恨めしい。










「おい親父、今日も来てやったぜ」
 乱暴にスウィングドアを開け放つとそこにはすでに先客がいた。
 とてもこんな路地裏のジャンク屋には不似合いな、品のいい紳士だった。年の頃はベクトルよりもひとまわり上、といったくらいだろうか、白髪まじりの頭だがしかしそれはこの界隈で見るような汚らしい親父のそれではなく、彼の気品を引き立てるいいアクセントにさえなっていた。
「おっと」
「おいおい、女ができないからってそう頻繁に来られても、俺はお前の子守りばっかしてらんねぇんだよ」
「あの、ベクトルさん…」
「ほら、さっさと失せろ」
 しかしそう言いながらのベクトルのアクションは、明らかに屋根の上を指していた。
「んだようぜぇな」
 ドアを足で蹴り開き外へ出て暫くすると、その少年の足音は静かに消えていった。
「…もしかして彼、ですか」
「あぁ、あんな乳臭いガキでは心配ですか?」
「いや、…」
「まぁ、あんな奴ですから、そう思われても仕方はないでしょう」
「…それでも過去の実績を聞かされては…、他に頼む相手など見つかりませんよ」
 苦笑しつつ、胸ポケットから一枚の写真を取り出し、ベクトルに差し出した。
 ベクトルはそれを受け取ると思わず口の端に笑みを浮かべたが、すぐにそれを依頼者のもとにつき返した。
「しかしわかりませんなぁ!何故わざわざ泥棒を雇ってまで、自分の娘からイヤリングを盗み出そうとするのでしょうか」

(…自分の娘から?)
 そのとき、ちょうど屋根の上に上ってきていたシオンは、ベクトルのわざとらしい大声を聞いた。
 この店には天窓があり、たいていの依頼はシオンはここで盗み聞きしている(単にベクトルが説明する手間を省きたいがためのことだったのだが)。
 音を立てないように気をつけてその窓をほんの少し開け、そっと耳を澄ました。

「シルバー財閥を救うためにはもう、あれに手を出すしか方法は…、プラチナには申し訳ないのですが…」
「なるほど、とは言っても娘さんの優しいステキな父親像を壊したくないわけですね」
「…」
「いや、お気に触ったのでしたら謝りますが」
「いいえ…、返す言葉もございません…。あの子をわたしのつくった厄介ごとに巻き込みたくはないんです。もっとうまい言い訳が思いつけば、こちらのお手を煩わせるようなこともなかったのですが…」
 紳士は肩を落とし、細く長いため息をついた。なるほどあれはもしかすると、苦労した挙句の白髪なのかもしれないとシオンは思った。
「ではシルバーさん、今回の依頼は、あなたの息女であるプラチナ・シルバー嬢が肌身離さず身につけているイヤリング、と言うことでよろしいですね?」
 紳士は目を1度伏せ、しかし決意したかのようにベクトルを見据えて首を縦に振り、差し出された書類にサインをすると、一礼して店を去っていった。

「おぉいシオン、もういいぞ」
 その声とほぼ同時に、天窓からシオンが飛び降りた。
「…なんだよ、俺めんどいゴタゴタはパァース」
「吉報だ」
「なんだよ、どーせしみったれた話なんだろ?」
「黒髪の、美人。しかもとびきりのな」
「…何が」
「聞いてなかったのかよ、今回のターゲットは依頼者の娘」
「聞いてたけど」
「今の紳士は、かの有名なシルバー財閥の社長だ」
「へぇ、それがなんであんな切迫してるわけ?横領?」
「ばかめ、ここ最近じゃあそこに対抗した新しい派閥が出来上がって、今年に入ってからは落ち目だって話だ」
「…それで新しい事業に乗り出したがしかしうまく行かず、逆に多大な借金を抱え込んだ…ってか?」
 イエスの代わりに、依頼者から受け取ったメモを突き出した。それは簡略化された地図で、『赤い屋根、2階の右端』とだけ走り書きで注釈が入れられていた。
「おいおっさん、その令嬢の写真はどうしたんだよ」
「ああ…返した」
「はぁ!?意味わかんねえ!ターゲットの顔も見ねえで仕事しろってのか!?」
「…請負人は確か天才ファントム・シープだったんだがなぁ…」
「あのなぁ、それとこれとは話が…」
「おい、うるせえな。とりあえず行って見て来いよ。だが言っておくがな、仕事は仕事だ、わかってるだろうな」

「…誰にモノを言ってやがる」
 巨漢のベクトルの肩にも及ばない身長のシオンだったが、まるで相手を見下すような態度で。

「俺を誰だと思ってやがる、一度だって、俺がしくじったことがあったかよ!」

 そう言うといつもの帽子を目深にかぶり直し、メモをくちゃくちゃに握り締めて、再度スウィングドアを乱暴に開け放った。
(あの挑発に乗りやすいクセがとうにかならないもんかねぇ)

 ため息まじりのそのベクトルのつぶやきはおそらく、シオンの耳に届くことは無いだろう。



(2003/07/29 up)


なんとこれ、前回cheap the thiefを書いたのは去年の12月だったそうよ…ヒィィ、半年以上前…!!
正直今まで自分がどんな話書いてたかとかとても微妙ですが、なんだかドロボウ漫画の話をしたら書きたくなってしまったのでねぇ。ねぇ。
夏のうちに更新だめしとかんとってことで。
つうか、早くヒロイン登場してくんねえと。ねぇ、むさくるしったりゃありゃしない。