「…ええと、突っ込みどころが多すぎて、まずどこから正していけばいいのかわからないんだけど」
 胸倉をつかまれたまま、その端正すぎる顔立ちによる真っ直ぐすぎる視線にいたたまれなくなり、義弘は思わず目をそらす。
 その気はなかったが、逸らした視線の先に件の保険医が見え、目が合った。

 …なんだか、無性に同情の気持ちが沸いた。
「第一に、俺と稲荷先生はなんでもないし」
「うそだ!! あの夜のことを忘れたって言うのかい! 常盤クン!!」
「あの夜…!?」

 シャツを掴む手に力が入る。
 鋭い眼光が、目を逸らしているはずなのに見えた気がした。

「いま余計なこと言わないでください! どの夜もありません!」

 本当に、余計な横槍は今だけは勘弁して欲しい。
 さもないと、持ち上げられた襟元で、どんどんと首元が締め付けられてしまう。
「…本当に、あんたと先生との間には、何もないんだな?」
「ああ、誓ってもいい。…ていうかそもそも俺、男はちょっと…」
「あー、そういうの、差別って言うんだよー!僕はかわいければ男の子も女の子も拒まないよ!だけど、一番はキミだけどね!常盤クン!」
「…だから、余計なことは…」
 どうにも黙ってられない保険医が、いちいち口を挟むものだから、どんどんと義弘ののどにめりこんでくるシャツの襟。

(く、くるしい)
 思わず意識が飛びそうになるのを堪え、言い訳…いや真実なのだが、とにかくこの場を、この少年をなだめようと、次なる言葉を捜しているわずかな時間。
 不意に、その物理的な苦しみから解放された。根岸が、義弘を離し、突然うつむいたのだ。
「…あの?」
 義弘が怪訝な顔で様子を伺おうとすると、根岸は震えていた。
「…ぼくはあんたが憎い」
 は?とあっけにとられていると、次は義弘の両肩をがしっと掴み、保健室のドアに背中を叩きつけた。
「い、て…!」
「稲荷先生からの寵愛を受けながら、あろうことかその想いを蔑ろにするばかりか、あのひとそのものを否定するようなことを!
 ぼくはあんたが憎い!ぼくがこんなにもあのひとの愛を求めても叶わないのに、向けられた想いを無碍に扱う、あんたが憎い!!」
 根岸のあまりの迫力に圧倒され、思わず義弘は舌を噛みそうになる。
 なんとなく、馨の顔が浮かんだ。ああ、こういうとき、いつもどこからか現れるんだよな…。
 気持ち悪いけど、でも結構頼りになる。
 だけれど今日は現れないであろう。おそらくリビングのテレビにかじりついているだろうから。
 とりあえず一度冷静になろう、と深く息を吸い込み、深呼吸。
「…じゃあ聞くけど、俺はどうするのが正解なんだ…?
 俺はおそらく今後、そういった意味でこの先生を好きになることはないと思うよ」
 だからそっちはそっちで勝手にやっててくれないか、というニュアンスまで伝わったかは知らないが。
 つかまれた肩に込められる力は強くなる一方だ。
 華奢そうに見えるのだが、案外男らしい一面もあると見た。ふつうなら、もてるんだろうな。とそれは義弘の客観的な意見。
 すると、(おそらく)悔しさに噛み締められた唇が、ゆっくりと開かれる。
「先生も先生だ!!なぜこんな男がいいんだ!」
「え?」
 唐突に矛先を向けられ、油断していた稲荷が気の抜けた声を上げる。
 そういえば先ほどからおとなしいと思っていたが、あまりに急展開に野次も入れられず、ベッドの上で成り行きを見守るのに必死だったようだった。
「先生のこと、きちんと受け止めようとも考えようともしない、こんな男の、どこが…!」
「そ、それは…」
 あれ、と義弘は思った。
 そういえば、この保険医が自分に異様なストーキング行為を働き始めたきっかけが思い出せない。
 気がついたら、馨と張り合うように、自分の日常の平穏をかき乱す存在になっていた。
「答えてください! どうしてぼくじゃだめで、この男がいいのか!」
 そう思い始めてから、義弘は内心根岸の言葉に同調していた。
 おそらく自分から聞いては、あの保険医を図に乗らせてしまうだけだろう。「僕に興味を持ってくれたんだね!」とかなんとか言い出しそう…。
「…きみには、言えない。これは、常盤クンと僕だけの、大切な思い出だ!!」
「なんだよそれ!」
 堪えきれずに義弘は全力でつっこみをいれてしまった。
 その思い出に心当たりなど、もちろん、ない!
 だがそれが、かえって根岸の反感をかってしまったようだった。
「…さっき、言ったね。どうするのが正解か? …って」
「え? ああ、言った…けど」
 再び背中を保健室のドアにたたきつけられ、激しい音と共に、義弘はうめき声を上げる。
 どうしてこんなに派手な言い争いが行われているのに、誰も助けに来てくれないのだろう…?
「どうもこうもないさ。…アンタは、消えるしかない」
 にやり。
 唇の端を上げて笑った根岸の顔は、この世のものとは思えぬほど美しく、恐ろしく。
(…え、あの、これって学園モノでしたよね…!?)
 思わず義弘は、天を仰ぎながらそんなことを確認してしまうのだった。




  (2011.01.16)
つい勢いで5年越しに書き始めてしまいましたが、この後どう展開していけばいいかわからない!