2●死を恐れなかった人々

2005/06/30

どんちゃんが生きた、
過去の時代の物語の2回目です。

その当時は、人間の 「生き死」 についての観念は、
今とは全く違い、人の死は 『夕飯を済ませた』 という
感覚に近いものでした。

夕飯は、その日の最後の行事です。
そして、その後、すぐに眠りに入ります。

人の死も同様に、その人生の最後の行事ですから、
人々の感覚として、夕飯が終わり眠りにつくことと、
人生が終わって、死という形で眠りに入ることとは、
同じような感覚のものでした。

人々は、あまり死を恐れてはいませんでした。
むしろ、生きることによって引き起こされる
様々な悪への誘惑の方を恐れていました。

純粋無垢な、その時代の人々は、
より善く生きることが大切だったわけです。

人間は、物の世界に生きています。

そして、人間自身も物です。
物である人が物として、物と対応するのは当然であり、
普通のことでしかありません。

また、物は、物として在ることを望みます。

人という物も、その物を維持するためには、
他の物を必要とし、必要な物を得ようとします。

それは、動物だけでなく、植物もそうですね。

植物であっても、自分の体を維持するものを、
周りから集めますから、動物と同じです。

人間も動物です。他の自然の動物と同様、
必要な物を手元に集めるという行為は自然であり、
生き物として、極普通のことでしかありません。

しかし、人間という動物は、他の動物とは違い、
必要以上に物を集めることをしてしまいます。(笑)

動物として、自然に生きるために必要な範囲を
大きく越えてしまう人間の、その行為を、
我々は、「欲望」 という感覚で捉えています。

時代が進むにつれ、この欲望は際限なく広がり、
現代では、我々の欲望を満たすために、
実に悲惨な争奪戦が繰り広げられていますね。(笑)

それは、物集めの経済的な闘争だけでなく、
国を取りあう戦いまでやってきました。(大笑)

そのために、多くの動物や植物の不自然な死だけでなく、
不自然な人の死も、止めることが出来なくなりました。

このように、不自然な世界になってしまうと、
ますます、不自然な想いと行為が生まれてきます。

人の欲望ほど、恐いものはありませんね!(笑)

当時の人々が、不必要な欲望を持つことを
極端に恐れていたのは、欲望を満たそうとすると、
彼らの時代の後の未来には、欲望中心の世の中が、
必ず、やって来てしまうことを、彼らは知っていたからでした。

彼らが、人の死という、実に単純で自然な出来事より、
不自然な、不要な欲望を持つことを恐れたのは、
当時の感覚としては普通のことだったんです。

現代とは、全く正反対ですね!!(笑)

物や、物を得るためのお金、それに、地位や名誉。
欲望を取り上げれば、きりがありません!(大笑)

私達の、悪行の根源が見えてきました!(笑)

私達に必要なものは・・・

実は、何も無いんですよね。(笑)

どんちゃん

1●2●3●

始めに戻る

このページを WEB検索で開いた方は、こちらへ!