光の計算・三木野吉についての投稿
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3i−MLの投稿から、光の計算と三木野吉に関すること、
その他、それに関連したものを載せました。
判りやすいように、少し表現を変えた部分もあります。
また、この話題とは、無関係な部分は消してあります。
元の投稿に興味のある方は、
タイトルの下にあるURLをクリックしてください。
このHPの他の場所にある投稿記録が読めます。
★URLは、整理中のため、全部の投稿に付いていません。
−−−−−−−−
投稿タイトル一覧
◆H 2002年8月2日 [3i-:0753]
3冊に絞ると〜。
◆H 2002年8月16日 [3i-:1055]
感動は危険な状態。
◆H 2002年8月19日 [3i-:1105]
Re: 意地悪な質問「生きる目的」
◆H 2002年8月29日 [3i-:1150]
占いの話
◆へ 2002年8月29日 [3i-:1151]
Re: 占いの話
◆♪どんちゃん♪ 2003年1月10日 [3i-:1696]
au非対応。修行。素直に明るく生きよう。光の計算。自我の終焉
◆♪どんちゃん♪ 2003年1月10日 [3i-:1697]
先生。普通が大切。匿名掲示板の設定変更。ネット上での自己防衛
◆どんちゃん 2003年1月25日 [3i-:1836]
11月18日。光の計算から、結婚と子供の誕生日との関係…
◆ma 2003年1月25日 [3i-:1838]
Re:高橋さんの 「大自然の波動と生命」
◆どんちゃん 2003年1月25日 [3i-:1839]
高橋信次、三木野吉、村上宥快、観音寺と、ひかり。高遠城址の桜
◆どんちゃん 2003年11月19日 [3i-:3915]
奇妙な一致。11月18日は、どんちゃんの入籍結婚記念日です。
今後、3i−MLに、「光・三木野吉」 についての投稿があった場合、
ここに追記していきます。
−−−−−−−−
投稿内容
◆H 2002年8月2日 [3i-:0753]
3冊に絞ると〜。
> > クリシュナ・ムルティ(ムーティ) 著書、
> > 「自我の終焉」 (私は、この一冊で充分だと思います)
> > を、お奨めします。
>
> 本の紹介、ありがとう ございます。
> ぜひ、読んで見たいと おもいます。
>
> よろしければ、Hさんの、
> これまでの魂の成長に役に立った本を、
> 上位3冊だけに絞って紹介して いただけませんか。
> 読んでみたいと思います。
上位3冊ですかぁ〜
2冊までは絞れますが、
あと一冊となると、どれを選んで よいのか分かりませんけど・・。
「 潜在能力点火法 」 三木野吉
これについてはHPがあります。
http:// ページが変わっていました。
心 =“光” 潜在能力点火法
http://www.stkm.net/hikari/
“ひかり”の計算
http://www.stkm.net/hikari/tyowaho/index.htm
「 自我の終焉 」 クリシュナ・ムルティ
このHPで簡単な紹介があります
http:// (これは出ません)
説明開始
自我の終焉、これでネット検索してみました。
ある方のページから、コピーしました。
そのページを、直接、紹介することに、
御本人が承諾しないと感じましたので、
ここでは、URLは載せません。
読みやすくするために、、、
改行の位置を変えたり、句読点を入れたり、括弧を加えたり、
漢字に直したり、スペースを入れる程度の編集をしてあります。
−−−−−−−−
この本は、私にとって、非常に理解しにくい本ですが、
なにか、ほんとうのことが書かれているような気がします。
自我や、「私」 というものが実体ではなく、
思考によって虚構されたものであり、
それらは、思考の一部に ほかならないということを
洞察することによって、K(クリシュナ・ムルティ) は、
全く新しい絶対の 「真理」 を発見しました。
この「真理」は、自己の外部に あるのではなく、
また、いかなる方法や追求によって得られるものではなく、
「真理」は、わたしたちの内部にあるもので、
わたしたちが、自分自身の中で動いている
思考の全構造を理解して、
自我や、「私」 を完全に終焉させたとき、
この 「真理」が、わたしたちの中に顕現されると、kは言う。
「真の実在」 や、「真理」 というものは
認識することが出来ないのです。
真理が到来するためには、
信念、知識、徳の追求というようなものが
全て消え失せなければ なりません。
徳を追求していることを自分で意識しているような、
いわゆる道徳的な人は、
決して 「真の実在」 を発見することは出来ません。
こういう人は、非常に礼儀正しい かもしれませんが、
真実の人、理解する人とは全く別人なのです。
たとえば、その人が、「私は貪欲であってはならない」
というとき、その人が経験する無貪欲の状態は、
自我を強めているに過ぎないのです。
あなたが、このような欲望の働きを認識し、
反対や、誘惑とか抵抗という感情を持たず、
また、それを正当化したり、判定せずに、
本当の働きを注意深く熟視するとき、
そのとき、あなたは、精神が新しいものを
受け容れることが出来るということ、
その新しいものが、
決して感情ではない。ということを発見するのです。
そういうわけで、この新しいものは、
認識することもできず、
繰り返し経験することも出来ないのです。
それは、勧誘も記憶もなしに、
自然に創造性が生まれてくる存在状態です。
そして、これが、「真の存在」 なのです。
・・・というが・・・
さて、見つめるものは 誰かが よく分からない。。
−−−−−−−−
全く、同感です!
この方の最後の台詞・・・
「さて、見つめるものは 誰かが よく分からない。。」
どんちゃんの感覚は・・・
見つめるのではなく、感じるだけで いいのです。
誰か?
表の自分です。
説明終了
三冊目には、絵本を持ってきましょう。
有名ですので、既に、ご存知かと思いますが。
「 おおきな木 」 シェル・シルヴァスタイン
本のチラシをUPしました。
http:// (これも出ません)
説明開始
ネット検索してみました。
絵本ナビ「おおきな木」の詳しい情報
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=391
興味のある方は、このページは、きっと参考になります。
説明終了
魂の成長・・
私は、滅多に、このような言葉は使いませんけど、
まあ、こんな ところかな。
◆H 2002年8月16日 [3i-:1055]
感動は危険な状態。
言葉による感動は、危険なものがあります。
幻を見て何かを悟ったとか、
何とかの境地に入ったとか・・。
サリンを撒いた、オ○○真理教の信者を見れば
分かるじゃないですか。
感動するだけでは何もならないのです。
むしろ危険な行動を してしまう要因に なりかねません。
人間の心(表面意識)は、
理性・本能・感情・知性 で出来ています。
高橋信次氏の著書を御覧になった方は分かりますよね。
この4つの光(理性は緑・本能は黄・感情は赤・知性は青)
をバランスよく調和しなければなりません。
感動している心は、
赤(感情)ばかり大きくなった状態とも言えます。
一時的には気分が良くなりますが、
正しい判断力を維持するには、
心がバランス良い状態でないとなりません。
それゆえ、感動している状態は危険な状態とも言えるのです。
◆H 2002年8月19日 [3i-:1105]
Re: 意地悪な質問「生きる目的」
> >下手な行動をする前に、
> > しっかりと状況を把握することが大切だと私は考えます。
> > 自分とは一体何者なのか――を、
> > 各自追及して欲しいのです。
>
> 再度、同じ質問です。
> それで、その次は何が来るのでしょうか。
何故、次を考えるのでしょう。
これ一つしっかり解れば他は要らないと思います。
この一つが解らないから、他の道を探し遠回りをするのです。
言葉は要りません。
真実・真理は一つで、単純明快です。
本来、わざわざ、
それらのことで議論を重ねる必要も無いのです。
私たちは、単純な答えで満足できないために、
無駄な屁理屈を言い合っているにしか過ぎないのです。
すなわち ”遊び” です。
本当は必要の無いことに無駄な時間を割いてます。
真剣な精神世界の追求――など、
私から見れば 「お笑い」 です。
追求する必要が ありません。
やって来るものを見るだけで構わないのです。
焦らないで下さい。そして恐れないで下さい。
ゆったりと懸命に生きましょうヨ。
> 「クリシュナムルティの思想」、これも一つの考え方であり、
> これを信じることは、
> ある種の “信念” には ならないのでしょうか。
>
> 先に、おっしゃった” 信念は、
> 人間を束縛し、孤立させるもの” とは、
> 過剰な信念は同じ考え方を持たない人に
> 排他的に働くということでは ないのかと思います。
無欲という欲がある限り無欲になれない・・
この論理と同じ事を、おっしゃりたいのですね。
確かにそうです。
無理して信念を捨てようとする信念を持つと、
それが信念を強めてしまうので矛盾が生じます。
本当は、”クリシュナ ムルティ” とか、
個人の名前を出すようじゃ ダメだと思います。
何々の本をお読み下さい・・と言うのは下手な説明でしょう。
私は、「先生」 を否定しています。
教えてくれる人は最悪の悪魔だと思っています。
それゆえ、○○先生を紹介するって やり方は、
私とすれば、不本意な やり方なのです。
私が発する言葉は、私の心の奥から思うことを発しています。
他の有名な先人と同じ言葉があっても、
コピーの感覚はありません。
同じ事を思っていたから紹介しているに過ぎません。
そして、別にクリシュナムルティの思想に
拘る必要もありません。
おのおのが信じているものを、しっかり追求してください。
しっかり追求すると、
現在の在り方に満足出来なくなります。
満足できなくなったら、思い切って、
あなた方を指導している先生方から離れ、
自分の思うことを自由に発言してみてください。
”先生” と名が付く人は悪魔だと思ってください。
私は、全ての先生というものに対し排他性を持っています。
安心してください。
私は、”クリシュナ ムルティ教” の信者では無いのです。
信念を捨てれない人は無理して捨てなくて構いません。
宗教を辞めれない人も同様です。
無理をする急な変革は イケナイのです。
(あくまでも精神上のこと)
今までと同じ事を繰り返して生きてください。
少しずつ変化すれば良いのです。
> Hさんの生き方の拠り所を暴露してくださっているのに、
> それにつけ込んだ揚げ足取り的質問で申し訳ありません。
>
> 思想、哲学、宗教、信念などの議論では、
> どうしても、この “排他性” が気になってしまいます。
> Hさんが、そんな方だとは思いませんが、
> ただ、文章の端々には、
> 「この考え方は正しいのだ」 という香りが
> しないでもないと感じてしまいます。
>
> 私は、クリシュナ ムルティは、
> 名前以外まったく知りません。
> 僕の、ひがみ かもしれません。お許しください。
何が正しいか。あなた様 (皆様) は、
しっかりした基準を お持ちでしょうか?
何らかの目的が はっきり決まっていれば
正しさの基準が明確に見えてくるでしょう。
しかし、目的が明確でない私たちの進むべき道において、
何が正しいのかを、しっかり明確にするには困難を極めます。
ゆえに、私たちが何を求め何処へ進もうとしているのかを
明確にすることは、正しく生きる基準を見つけるためにも
必要なことなのです。
ついでに話すと、、、
私たちが、生きる目的を完全にを知り得ないため、
暫定的な仮の目標を設定しています。
共通の仮の目的を持つもの同士の集まりが宗教であり、
国家であるとも言えるでしょう。
私が、高橋信次氏・クリシュナ ムルティ
渡辺泰男 (三木野吉) 氏が、
何故、気に入っているかと言えば、
その理由の一つに宗教の否定です。
私たちは、特定の宗教や宗派に所属する必要も無く、
どのような修行も訓練も努力もいらないのです。
高橋信次氏は、GLAと言う団体を作りましたけど、
氏が死去した後は、分裂し混乱して、
今では、当時と姿形も違う宗教団体になってしまいました。
後継者の理解が足りなかったのでしょう。
組織を維持しようと努力をすれば するほど、
教えからかけ離れてしまいます。
クリシュナ ムルティも、「星の教団」 を解散し、
神知学協会からも脱退しました。
渡辺泰男氏 (三木野吉) も、
著書を出版するだけの会社を作りましたが、
組織らしいものは、一切、作りませんでした。
> 僕は、今のところ、輪廻転生と、この世は魂の修行の場、
> 関わり合う人は、みんな修行仲間達という考え方を
> 信じておりますが、もし将来、
> これ以上に、もっともらしい説が出てきて
> 納得できる場合には、即、乗り換えるでしょう。
>
> したがって、輪廻転生、魂の修行などの考え方は、
> 他の人に信じろとは決して言いません。
> こう考えてみると生きる勇気が湧くというだけのことです。
私も、クリシュナ ムルティの言うとおり修行を否定します。
よって、Mさんとは意見が異なります。
”魂の修行” は必要ありません。
修行すればするほど、
目指しているものとは かけ離れるのです。
生きていることは、楽しいことです。
修行なんて思いは捨てるべきなのです。
でも、まあ無理してすぐ捨てる必要もありませんが。
素直に明るく自由に生きましょうヨ。
◆H 2002年8月29日 [3i-:1150]
占いの話
> H さんは、占いを、幸せの道しるべだと思われますか?
>
> マ は、遊び感覚で、
> いいことだけを信じればいい ぐらいに思っています。
>
> 姓名判断とかも確率的には、よく当たるようですね、
> 不思議なものです。
占いは、私、本当のところ、全然よく分かりません。
当たっているような気もすれば、当たっていない気もするし、
「 カール・セーガン科学と悪霊を語る 」
カール・セーガン 青木薫訳
この著書を図書館でも探してください。
科学者の立場からみた意見の本です。
オカルトや神秘的なことが好きな方に
是非、一読 願いたい著書です。
私も、かなり共感する本ですが、
ちょっと、この説明でも無理があるかなぁ〜と、、、
思うところも ありますが、
ほぼ素晴らしい見識だと、私は実感しています。
この著書に書いてあることなのですが、
以下、第十三章から転載です。
−−−−−−−−
一人の科学者が、
無料で星占いをしてやるという広告をパリの新聞に出した。
すると、百五十通ほどの手紙が寄せられた。
手紙には、科学者が広告で求めておいたとおりに、
差出人の生まれた場所と時間とが詳しく書いてあった。
さて、この科学者は、
どの人にも、全く同じ星占いの結果を送り返し、
占いが当たっていると思うかどうかを尋ねる質問紙を同封した。
すると、手紙の主の九十四パーセント
(そして家族や友達の九十パーセント)が、
占いは当たっていると思うとの返事をよこしたのだ。
だが、実は、その星占いは、
フランスの連続殺人犯に対するものだったのである。
(途中省略)
あなたは外交的で、愛想がよく、
社交的になるときも ありますが、
ときには、内向的で用心深く、控え目になりますね。
自分のことを、あまり他人に知られるのは、
賢明なことではないと思っています。
多少の変化や多様性を好み、
枠に はまっていることに満足できません。
外では、よく規律を守り、自分を押さえることができますが、
内では心配性で気に病むことがありますね。
性格的な弱点も ありますが、
おおむね、そこはカバーできています。
あなたには、まだ、うまく使えていない才能が
たくさん眠っているようです。
自分に対して批判的に なりがちですね。
そのくせ、他人に好かれたい、
誉めてほしいという気持ちが強いようです。
こんなふうに言われれば、
誰だって思い当たる節はあるだろうし、
図星だと思う人もいるだろう。
そうだとしても不思議はない。
我々は、皆、人間なのだから。
−−−−−−−−
面白いと思いませんか?
占いの結果なんて、どうでも いいみたいです。
ここでは、星占いについての結果ですけど。
似たようなことは頻繁に あると思います。
私も光の計算をして、人に、あれこれ言いますので、
このことは、自分でも注意しているつもりです。
今では人の性格の話をするのは、
あまり好きではありません。
占いは確かに遊び感覚で充分だと思います。
自分の心を明るくする キッカケに活用できれば
それで良しでしょう。
全て自己中心的に考えると上手くいきます。
心の世界では、他人に親切にする必要はありません。
自分さえ良ければいいのです。
> 適材適所など人を配置する上で活用するのに
> 役立つこともあるようです。
> あくまで、一面を占うものかもしれませんが。。。
◆へ 2002年8月29日 [3i-:1151]
Re: 占いの話
> 「 カール・セーガン科学と悪霊を語る 」
> カール・セーガン 青木薫訳
図書館で、よく見かけます。今度、読んでみます。
◆♪どんちゃん♪ 2003年1月10日 [3i-:1696]
au非対応。修行。素直に明るく生きよう。光の計算。自我の終焉
[3i-:1105] Re: 意地悪な質問「生きる目的」
> 私も、クリシュナムルティの言うとおり、修行を否定します。
> ”魂の修行” は必要ありません。
> 修行すればするほど、
> 目指しているものとは かけ離れるのです。
そう思います。
魂は、常に完全だと感じています。
不完全なのは、表の想いと、その行動ですね。
その表の、「魂の修行」 という感覚は、
表が内を想像したときの、妄想でしか ないようです。
> 生きていることは、楽しいことです。
> 修行なんて思いは捨てるべきなのです。
> でも、まあ無理して、すぐ捨てる必要もありませんが。
Hさんが推奨し実践している 「光」 も、
一種の修行のように感じています。
確かに、あの 「光の計算からの指針」 には、
どんちゃんも深く感じるところが ありました。
そして、一時期ですが、結構、乗っていましたね!(笑)
しかし、やはり・・・
それは偏ったものであって、
自分の個性が求めている方向だとは感じませんでした。
しかしながら、あの計算は面白いですね!
例えば、どんちゃんは、685 なんですが、
それと住所が同じでした!(笑)
また、最近、「内との対話」 専用の電話を引いたのですが、
それが、なんと! 685 で、同じでしたよ!(笑)
興味のある方は、ここを御覧ください。
心 =“光” 潜在能力点火法
http://www.stkm.net/hikari/
“ひかり”の計算
http://www.stkm.net/hikari/tyowaho/index.htm
このページが作られたのは・・・
1988年に、どんちゃんが ブラジルに渡るときに、
三木野吉さんの本、「潜在能力点火法」 を持参したのが、
その キッカケとなりました。
どんちゃんの持参した本によって、
ブラジルでも、この 「光」 が広がり、
その著者、三木さんも幾度か ブラジルに招待されました。
そのHPは、彼が亡くなってから作られました。
どんちゃんも、彼には、3回ほど会ったことがあります。
しかし、彼が亡くなって、
彼を 「偲ぶ会」 に出席したとところ、
そこで見たものは・・・
「完璧に宗教化した信者(光の実践者)」 の姿でした。(笑)
> 素直に明るく自由に生きましょうヨ。
どんちゃんの目指すものと同じです。
また、我々が、偏らずに自然に生きようとしたとき、
そのとき感じる想いでもありますね!
[3i-:1127] Re: 意地悪な質問「生きる目的」
> クリシュナ ムルティの思想を、
> 一言で表現すると「見る」 です。
>
> 自我の終焉の第一章には
> 「あるがままのものを、あるがままに見よ」
> と最初にあります。
どん流も・・・
「あるがままを自然に全て受け入れましょう!」
というものです。これも同じですね!
> 自我の終焉の第二章の最後のあたりを抜粋します。
> 多分この説明が、一番、分かりやすいと思います。
>
> −−−−−−−−
>
> そのようにして、私たちが自分の思考や反応や
> 感情などの複雑な動きにますます敏感になってくると、
> 自分自身ばかりか、私たちと関係のある他の人についても
> 一層、認識が深まってくるのです。
>
> 自分自身を知るということは、行動している自分、
> つまり自己と他者の関係を知ることです。
>
> それが困難なのは、私たちが、あまりに性急で
> 忍耐が足りないからです。
>
> 私たちは進歩を望み、目的に到達することを願うあまり、
> 学び、観察している時間も余裕もないのです。
>
> 私たちは、生計を立てたり、子供を養育したり、
> 次から次へと雑事に身を縛られ、また、一方では、
> 様々な組織の責任を引き受けたりもしています。
>
> このようにして、私たちは色々な面で、
> のっぴきならない状態に立たされてしまって、
> 自ら反省したり、観察したり、学ぶ時間が
> ほとんど無いのです。
>
> 従って、そこから生まれてる反動の責任は、
> 他人にあるのではなく、実際には自分にあるのです。
>
> −−−−−−−−
今の、Hさんの乱れの状態は、、、
上記の文章での説明の とおりですね。
もちろん、これは、我々にも言えることです。
続きます。
◆♪どんちゃん♪ 2003年1月10日 [3i-:1697]
先生。普通が大切。匿名掲示板の設定変更。ネット上での自己防衛
続きです。
[3i-:1164] Re: 反論を御待ちしております。
> 私は以前 「先生は悪魔」 という表現を もちいましたが、
> 何故か、誰からも反論は ありませんでした。不思議です。
>
> この世界を混乱に導くのは 「先生」 であり、
> 調和の方向へ誘導するのが 「学ぶ側の人」 である・・。
> 私、思い切って話してみたが、この認識は、どうやら
> 私一人だけじゃ なかったのかナァ。
うちの死んだ親父さんが、よく言ってました。
「先生と、言われるように なっちゃぁー オシメーだ!」(笑)
旅に出ると、どんちゃんも 「先生!」 と呼ばれることが
度々あります。そんなとき・・・
「先生じゃあ、ありません! 生徒です・・・」(笑)
相手は、何も言えなくなって しまいます。(大笑)
我々は、いつも学ぶ側でしかなく、
仮に先生と呼ばれる存在があったとしても、
それは、特定の狭い範囲でのものですね。
本来、先生も生徒も無いと思っています。
> 「反論を お待ちしてます・・」 と言いつつ
> 誰も反論してこないのは寂しい。
これは、どんちゃんの場合ですが、、、
「議論は しません」
議論は、所詮、乱れた醜い争いだと感じるからです。
[3i-:1222] 興味のある話とない話し
> 普通の人が普通に生きて、普通に生活をし、
> 普通に、この世を去っていく
> これこそが、大変興味深い話題になります。
どんちゃんも、そうですよ!
精神世界を論じるHPや掲示板、MLでのやりとりが、
言葉だけの虚論に感じます。
本当に大事なのは、Hさんの意見と同じ、
やはり、実際の、普段の、普通の生活だと思います。
> 特に、ここ10年くらい
> 私は、他の人と興味ある分野が変化しました。
> 非日常のことにはあまり関心が無く、
> 日常の出来事に関心を寄せています。
どんちゃんの場合は、神戸の地震の頃からです。
その頃から、普通の生活、普通の感覚こそが、
一番、大切だと思い始めました。
[3i-:1641] 匿名掲示板で投稿した
−−−−さんの謝罪を待ちます。(一週間)
> 匿名での投稿を、このまま続けても構いませんが、
> せめて、管理人だけでも投稿者のアドレスやIPを
> 把握できるように出来ないでしょうか。
この提案を受け、匿名掲示板からの自動投稿をやめ、
こちらで内容を確認してから投稿することにしました。
> おそらく、どんさんの理想とする社会は実現不可能でしょう。
確かに、そうなるには、かなりの時間が必要なようです。
でも、そういう方向を目指すだけで、いいと思っています。
> 管理可能の立場にいる方には
> 責任が生じてくるのは必須です。
MLは、自由に発言できる場でありたいと思っています。
もちろん、他人の個人情報を載せることは不適切なことです。
そうした行為があったときは、すぐに発言を削除して、
みなさんにも協力を お願いしてきました。
しかし、ネットでは何が起こるかわかりません。
身に危険が迫らないような配慮が必要です。
残念ながら、「自己防衛」 は必要な現実ですね。
Hさんも、今回のことで、
このことが再確認できたのですから、
これを契機に、、、
安全で、より楽しくやれる方向で進みましょうね!
説明開始
匿名掲示板については、ここを御覧ください。
http://www10.plala.or.jp/dondes/10000-to.htm
そこには、匿名での投稿についての、
どんちゃんの想いと、みなさんの意見が載っています。
説明終了
◆どんちゃん 2003年1月25日 [3i-:1836]
11月18日。光の計算から、結婚と子供の誕生日との関係…
自由が丘の○女さんの家でのオフ会の日の、
11.18 は、うちの奥さんとの結婚記念日でした!
また、三女の 「ひかり」 の誕生日でも あります。
これには、ちょっと面白い話があります。
以前、[3i-:1696] で、『光の計算』 を紹介しました。
これで、誕生日から、3つの数字を出しますと、
どんちゃんは、685 うちの奥さんは 134 となります。
そして、結婚記念日に生れてきた 「ひかり」は、729 です。
これが、何故、面白いか? と言いますと…
結婚した2人は合体したのですから、
単純に、2人の光(数字)を合体(合算)しますと…
685+134=729 となります。
つまり、三女の 「ひかり」 です。(笑)
これは、九進法での計算です。
九進法=求心法ですね!(笑)
九進法は、一桁になるまで、加えていき求めます。
もう少し、わかりやすく…
685
134
729 となります。各桁毎に九進法で計算します。
つまり、結婚(合体、合算)した日に生れた「ひかり」(光)は、
夫婦を合算した結果(光)と一致していた… ということです。
えー…と、あまり、面白くない? ……(しらけ状態?笑)
この、三木野吉さんの光の計算は、
元は、あのGLAの高橋信次さんなんです。
高橋さんが 「大自然の波動と生命」 を出版しましたが、
その中に誕生日からの計算がありました。
それを、彼の没後、GLAの講師だった三木さんが、
彼なりに工夫、整理して、「潜在能力点火法」 という
本に まとめました。
1987年に、この本と出会い、
「なるほど!」 と共感する部分があって、
翌年 88年に、ブラジルに渡るとき、この本を持参しました。
その時のパスポートも、どんちゃんの 685 がありました。(笑)
参考までに、高橋さんの 「大自然の波動と生命」 は、
かなりの高値がついているそうです。
高橋信次さんは、GLAの会員が、この計算に
飲み込まれている状態を見て、すぐに廃刊にしたため、
希少価値が出てしまったわけです。
今では、益々この本を手に入れることは大変なようです。
個人的に復刻版を作っている人もいるそうです。
「どんな本なのか…?」 と、
ずっと気にしていたのですが、、、
去年のこと、高橋信次さんと行動を共にしてきて、
高橋さんについて、とても詳しい人と出会い、
その方の家で、この本の本物を手にすることに なりました。
とても知りたかった憧れの本を手にしたわけです!
自分の体が動くままに任せます。
その本を両手に挟み、内の想いを感じます。すると・・・
「必要なところが三箇所あり、そこだけを読めばいい」
・・・という背景の声、内の想いでした。
そのページを指定され、何番目の行から何行目まで、
という指定もされ、そこだけを、ほんの数行だけ読みました。
そしたら、「もう、この本は必要無い」 と言われました。(笑)
待ちに待っていたはずの憧れの本が、
たったの 3分も経過しないうちに不要になりました。(笑)
その方は、この本を貸してくれると言ってくれたのですが、
借りてきませんでした。
「その必要が無い」 との内からの声に従ったからです。
その本の三箇所に何が書いてあったのか、
今では、全然、覚えていません。(笑)
◆ma 2003年1月25日 [3i-:1838]
Re:高橋さんの 「大自然の波動と生命」
> この、三木野吉さんの光の計算は、
> 元は、あの GLAの高橋信次さんなんです。
>
> 参考までに、高橋さんの 「大自然の波動と生命」 は、
> かなりの高値がついているそうです。
>
> 高橋信次さんは、GLAの会員が、この計算に
> 飲み込まれている状態を見て、すぐに廃刊にしたため、
> 希少価値が出てしまったわけです。(どんちゃん)
確かにそう。占いに夢中になる信者に、
これはいかん、ということで絶版にしたそうですね。
そういうところが高橋信次さんらしく
良心的で良識的で素晴らしいというか、好感が持てます。
・・・が、何で、それなら何故、出版したのかしらん。
それだけ信憑性が高い占いというか、
参考になる計算結果が出る、と思ったからかな?
あくまで、原則論を、みんなに知らせたかった からかな?
占い等に頼ろうとする他力的な部分を避けようとした、
自力本位の高橋さんの姿勢は大変素晴らしいと思いました。
たぶん、神の他力的なお蔭をすべて否定したわけではなく、
(マ−−も他力的な面は、全て頭からは否定しません)
既成宗教等の他力的な占いの傾向を、
あえて強く戒めたのだとは考えています。
◆どんちゃん 2003年1月25日 [3i-:1839]
高橋信次、三木野吉、村上宥快、観音寺と、ひかり。高遠城址の桜
高橋信次、三木野吉、村上宥快、観音寺と、ひかり。
高遠城址の桜
前回、前記のURLを紹介した後、
自分の誕生日を計算したMLの参加者の方から、
光(色)についての質問が来ましたが、、、
どんちゃんが、ここで紹介した意味は・・・
「これに興味が湧くようなら、参考にはなるでしょう…」
・・・という、浅い意味でしかありません。
当然ですが、これを推奨するものでは ありません。
「どんちゃんが、以前、興味を持ったことがあるもの」
・・・ということで、遊び感覚で紹介しただけです。(笑)
また、光の計算は、高橋信次さんの作ったものではなく、
講師の三木野吉さんが、高橋さんからの本を元にして、
彼なりに発展させたものであることも、
特に強調して おきたいと思います。
説明開始
つまり、光の計算は、高橋さんの意思の一部ではあっても、
彼の想い そのものでは無い。という意味です。
説明終了
三女の、ひかりは、どんちゃんが高橋信次さんの
本と接触した直後に妊娠した娘です。
三木さんの別な本で、最初に著わした、
「ノアの箱舟」(絶版) という本が あるのですが、
その中に、高橋さんが最初に出した小冊子の、
そのタイトルが、「ひかり」 と書かれていました。
「ひかり」…何故か、この名前に強い響きを感じて、
彼女が産まれる 8ヶ月位も前なのに、すでに、
「ひかり」 と名前を決めて しまいました。(笑)
妊娠中に、うちの奥さんに奇妙なことがありました。
彼女が産まれることになった 87年に、
高橋さんの本を紹介してくれた、カイロプラクティックの
整体師の人に勧められて、高橋さんの弟子で、
東京の観音寺の住職、村上宥快さんの研修会に
我々夫婦も、泊り込みで出かけることになりました。
奇妙なのは・・・
それまでずっと、毎日毎日、
「ツワリ」 で気持ちが悪かった、うちの奥さんが、
観音寺に着くと、、、
「ピタリ」 と、ツワリが止まってしまったのです。
そして、一泊二日の研修の間、
ツワリは全く再燃しませんでした。
研修会が終り、家に帰るため観音寺を出て、
新宿から長野に向かう特急列車に乗ります。
すると、東京から離れるにつれて、少しずつ、
あの気持ちの悪いツワリが戻って来ました。(笑)
そして、その後、産まれるまで、ツワリは続きました。
うちの奥さんは、観音寺の村上さんの話に、
特に感激することもなく、
特に印象に残ることは何も無いようでした。(笑)
高橋さんの本には、「ツワリは夫婦の不調和が原因」
と書かれていました。つまり・・・
子供が両親の不調和に抵抗をしている。
・・・というわけです。
「そうかなぁー…?」
「心あたりが無いことも無いが…」(苦笑)
「我々夫婦は、観音寺にいるときだけ、
不調和に、なっていなかった、ということなのか…?」
「ひかりが、観音寺か、村上さんを、
とても気に入っていたためなのか…?」
未だに、よくわかりません。(笑)
しかし、ひかりは、どんちゃんの行動にとても興味があり、
内との旅の話を、とても嬉しそうに聞いてくれる、
一番の理解者になっています。
これを書いていて気がついたのですが…
15歳で中3の、ひかりの行く高校は、この地区では
一番遠い、高遠(たかとう) 高校、というところです。
以前は、「高遠城址公園の桜」 という、
全国的にも有名な公園の隣にありました。
高遠の桜については、三木野吉さん一家が、
初めて家族揃って出かけた地であり、
最初で最後の家族旅行の地だそうです。
高橋信次さんの弟子の三木さん、村上さんの2人と、
ひかりとの関係が、、、
何か、あるかも しれませんね。
全然、無いかも しれませんが…(笑)
村上さんは、2冊の本を著しています。
「心と行い」。「調和への道」 星雲社・村上宥快(ゆうかい)
どんちゃんが出会った数年後に、彼は亡くなりました。
長い話になりました。(笑)
精神世界に入った、そのキッカケが、高橋信次さんで、
その本を紹介してくれた人が、整体師の−−さん。
そして、そこから縁が繋がっていった先に、
三木野吉さんと、村上宥快さんがいました。
・・・そんな、こんなの思い出話でした。
読んで頂き、ありがとう ございました!
参考までに、高遠の桜の写真が載っているページです。
http://www.cac-net.ne.jp/~kasugi/gallery/2002042.html
http://www.shinshu-tabi.com/takatou.html
◆どんちゃん 2003年11月19日 [3i-:3915]
奇妙な一致。11月18日は、どんちゃんの入籍結婚記念日です。
> > 昨年の秋、どんちゃんのオフ会で知り合った
> > Aさんと、来月結婚する事になりました。
この頃のオフ会の話題は、ここにあります。
説明開始
「昨年の秋」 というのは、このオフ会のことです。
オフ会−B (2002.9/12〜30)
http://www10.plala.or.jp/dondes/off-3.htm
説明終了
> > 11月18日に 自由が丘の、みっちさんのお宅で
> > 初めて知り合ったので、知り合って一年目の記念に
> > 入籍します。
11月18日は、
どんちゃんと奥さんの結婚記念日なんですよ!(笑)
また、我が家の三女、
ひかりの誕生日でも あるんです!(大笑)
> 一年前の今日、こんなことがあるとは全く想像もせずに
> 自由が丘のオフ会会場に行きました。
> 人生何が起きるか、本当に分かりませんね!
どんちゃんとしても、何か、不思議な縁を感じましたね!
説明開始
今後、3i−MLに、「光・三木野吉」 についての投稿があった場合、
ここに追記していきます。
説明終了
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