クリストバル・バレンシアガの紹介コーナー

違う色の文字をクリックするか、イラストコ−ナーからも彼の服が見れますよ。

 
Cristobal Balenciaga
バレンシアガの人生

1895年1月21日 スペイン、バスク海岸の小さな漁村ゲタリアで生まれる。
      お母さんの洋裁教室の影響で、ちびっこの頃から、縫製の技術ゲット!

1908年頃 13歳位に、カサ・トレス公爵夫人のパリのスーツをリメイクした服を作る。
      才能を認められ、マドリ−ドの仕立て屋で修業をさせてもらう♪

1915年 サン・セバスチャンにメゾンを開設(開設年は、本によって違う)
1916年 21歳で独立!公爵夫人の援助で、自分お店を開店〜☆その後、バルセロナにも支店が!
        社交界を中心に有名になり、一気にトップメゾンだ〜♪

1920年 25歳 マドリットにも、支店を開設!

1936年 41歳 スペインに内乱が!パリへ移る。

1937年 42歳 パリのジョルジュ・サンク通りに「バレンシアガ」のメゾン(洋服屋)を開店。
        秋にはコレクションを発表〜♪

1939年 44歳 ウール生地で「黒いドレス」のシリーズを発表

1945年 50歳 四角い肩に狭めたウエストラインの服を発表

1951年 56歳 パレルラインのスーツを発表

1953年 58歳 「ロー・フレッシュ」と言う名の香水を発表

1954年 59歳 iラインのドレスを発表

1955年 60歳 チュニックドレスを発表

1957年 62歳 ベビ−ド−ルなどを発表

1958年 63歳 歴史に残るサックドレスを発表〜♪レジョン・ドヌ−ル勲章受賞!

1967年 72歳 スクエアーショルダーのスーツを発表
        トラぺーず(台形)ラインのドレスを発表

1968年 73歳 春夏コレクション後、香水部門を除いて、パリ&バルセロナ店を閉鎖。
        5月革命の影響らしい。

1972年 77歳 スペインのヴァレンシアで、お亡くなりになる。

バレンシアガの魅力って?

 スペイン出身のメリハリの強いトコと、フランスの影響を受けたオシャレ具合をあわせもった超個性的な洋服をたくさん作った。

 当時のみんなは、彼の服に衝撃を受けてばっか!現代人の私も、彼の服にビックリ〜☆
「ビックリしたディ.ドレス」
 でも、すんばらしく美しかったので、一躍、人気クチュリエに!
「コートとワンピースのアンサンブル」
 ちびっこの頃から洋裁漬けだったんで、デザインから縫製まで全部ができちゃうのが強み!
当時、そんな事できる人は、彼だけだったんだね。
「兼ね備えていないと作れないコート」
 だから彼の服は、エレガンス系統では、最高峰にシンプル。
「シンプルなカッティングのマリエ」
 シンプルさで彼をこえる服が無いので、今見ても古く感じさせないの。
「今でも着れるクールなスーツ」

 でも、今までの技術にあきたらず、すぐれた立体裁断技術や新しいシルエットを
バンバン作り出しちゃった。(結構、お年だったのに…☆)
「切り替えの少ない、袖と身頃の立体裁断」
 ハッキリ言って、凝り性なデザイナー。
 そーゆーとこが玄人好みで、マニア様には崇拝されてたけども、
人気では、Christian Diorに負けちゃってました〜。
「一斉を風靡したディオールのニュールック」

イカスぜ♪セリフ集

 バレンシアガは、本の紹介文には、「謙虚」と書かれています。…がっ!! かなりイカしたセリフが残ってます。

「私の服を着るのに完璧も、美しさも必要ない。
  私の服が着る人を完璧にし、美しくする。」

 …自慢にしてもナルシ〜なセリフです☆友人、少なかったらしいです…バレンシアガ。

「君はいいなぁ。自分一人で作品ができるんだから。
僕ときたら。ひとつ作るのに500人の人間がいるんだぜ……。」

 と、このセリフを、世界的に有名な画家「ミロ」に言ったそうな。自慢でしょ?そうなんでしょ?

「真のクチュールは贅沢、もう、そうした贅沢は不可能になった。」

プレタポルテ(高級既製服)が台頭して、デザイナーを廃業した時のセリフ。哲学者とも呼ばれてますバレンシアガ。

 そして、他人が彼を賞賛するセリフ達も、相当イカレ…いやいや!イカシすぎてます☆

「おそろしく敏しょうな手をお持ちです。外科医のようにハサミと針を操ります!」

お弟子さんの一人のセリフ。バレンシアガへの心酔感が伝わってきますね〜。

「バイヤーとプレスが、フットボールの試合の様に殺到している!!」

1939年のバレンシアガのコレクションの新聞記事の見出し。フットボールの試合と一緒にするとは…熱いぜっ☆

「鋏みの魔術師」

裁断が完璧だったので、こう呼ばれていたとか。…この形容詞ってば、別の職業みたいです。美容師とか植木職人?

「ファッションの四大神様の一人」

1940〜50年代にこう呼れてました。ちなみに他の神様は、ジャックファット、ディオール、バルマンだそうです。

「奇跡のバレンシアガ」「クラシックエレガンスの神髄!」

愛弟子で、大親友のジバンシーのこの言葉は、わかるわかる♪

「私にとっては教師の中の教師」

22才で弟子になった、エマニュエル・ウンガロ。うむうむ、でしょうとも。しかし…

「われわれ全員の師」

クリスチャン・ディオールの賞賛…この人、全くお弟子さんではないんですが…。も〜♪一部の方にモテまくりです!

「私の“少女”の部分が影響される」


これは、ジュンコ・シマダ 2002/9/23のインタビューで、影響を受けるデザイナーは?の答え。貴女もですかっ!

「すべての女性が虜になる「バレンシアガ」
奇蹟のモードの新生 シャネルが憧れ、ディオールが賛嘆した巨匠
伝統の中に息づくエレガンス、純粋さ、現代性が洗練されたディテール、
豊かな素材とリミックスされてうまれるプレステージ。
徹底的な美意識と妥協を知らな いこだわりから生まれた完璧なバランスと気品は
コピーも不可能と評され る .
顧客リストには王侯貴族、女優・・・名だたるヨーロッパのV.I.P.が並ぶ。」

とある、貸衣装のHPの宣伝文句。これまた凄い賞賛です!コピー不可能って‥‥御社のドレス、彼のコピーでは?

「ストイックにしてエレガント、孤高の聖人のようなデザイナー」
「彼は生涯をクチュールのみにささげた」

『シュプール』2000年7月号p.67の一言。つまり超服オタ‥‥いえいえっ!現代でも、賞賛されまくりですよ〜。

こんなことしました☆バレンシアガ

1940年代後半から 体から離れたドレスを作った。
     まずは、ウエストなし&ヒップの線に添ったペンシル・スリムなスーツ。
1955年のチュニック・ドレスや、
1957年のシュミーズ・ドレス(サック・ドレス)、もそれ!


 立体裁断&身体に密着してないシンプルな彼のデザインは、洋服の大量生産の基礎になったのだ。「ハーパーズ・バザー」誌の編集長カーメル・スノーは、「今日すべての女性は何 らかの形でバレンシアガを着ている」って、書いたって。うむうむ。
「裾が円形カッティングのコート」

 他にも「ピルボックス」と言う帽子を作ったり、「シースドレス」を作ったり。
 オリジナリティあふれる芸術性の高い服を作りまくり、しかも時代の先端を行くセンスを持ち、服作りの全行程を一人でこなせる職人的技術があり、数学的に服のデザインをも捕らえられた、希有なデザイナーさんだったのです。
 オートクチュ−ルが衰退していく中で、最後まで採算の採れていたバレンシアガ。
ただ、マスコミには、引退後一度だけインタビューに答えただけ!なので、資料が残ってないことこの上なしなのだ。

今も続いてるぞ!彼のブランド

 
 1915年に、クリストバル・バレンシアガ仕立屋としてスタートし、
 1919年にはオートクチュール、1937年にはパリコレクションに初参加。
 1968年に、彼の代で一旦閉店したメゾンでしたが、
  今もあります!しかも、注目されてるよ。ちょっと前にグッチ・グループ に買収されちゃったけど。

彼の死後の「バレンシアガ」のデザインチームのトップデザイナーは、
 1992年10月のコレクション〜97-98年の秋冬コレクションまでは、アントワープ王立芸術学院卒の
          ジョセフ・メルシオール・ティミスターさん。
 1997年〜現在は、ニコラ・ゲスキエールさんだよ。
パリコレを支えている唯一のフランス人デザイナーなんだけど、この人、バレンシアガの作品には興味ないらしい。
でも、彼のお陰で、パリコレ大注目の人気ブランドに持ち直したんだから、凄い才能の方なのです。
 
 1988年 Mダンロップが、レディスブランドプロモーションとして、 クリストバル・バレンシアガ ブラン ドを起用しています。だからテニスウェアとかに、「バレンシアガ」もあるんですよ〜。う〜む、大人気だねっ♪

バレンシアガの先生&お弟子さんたち
【彼に影響を与えた人】
 シンプル&エレガンスの父…エドワード・モリヌ−(アイルランド)1919年メゾン開設。
      個性的だが、無駄がなく、お固い構造とラインの服で評価が高かったそうな。


【師匠】
 女性服の革命者… ポール・ポワレ(コルセット反対派!で、20世紀の服を誕生させた

【弟子達】
 帽子デザイナーから出発… アドルフォ・サルディーニャ(NYで「アドルフォ」を開店) 
 
 モード界の貴公子…   ユーベル・ドゥ・ジバンシー(仏)色んな店で修行した努力家

 ヤングファッションの先達… アンドレ・クレージュ(土木技士の勉強後、紳士服から弟子に

 プリントの詩人… エマニュエル・ウンガロ(伊)バレンシアガの片腕で、クレージュと同僚

有名デザイナーさん達ってば、どの人も、すご〜いあだ名をお持ちで楽しいですね。
特にジバンシーなんか、4才から布で遊び始めたそうで、「モード界の神童」と呼ばれたとか☆

 
シンプル&エレガンス系デザイナーの流れ
 
モリヌ− →バレンシアガ →ピエール・バルマン(モリヌ−の弟子) →クレージュ

この流れは、「シビラ」に続く!と、私は睨んでました。
でも現在、彼女のデザイナー活動はお休みって、本当〜?
…あとは、アルマ−ニが近い?でも、軽やかすぎる…☆

調査不足で、ここまでです。
皆様!他にご存知の事があったら、どうぞメールか、掲示板で教えて下さいね。
情報&資料がふえたら、もっと詳しくしていくからねっ♪

バレンシアガについて、こんなページがっ!
ささ、「ファショコン通信」の「バレンシアガ」解説コーナーへどうぞ〜!