技術の散歩道
 マイクロマシンの憂欝  
   
 最近の技術の潮流の一つに「小型化」がある。ダウンサイジングという言葉が流行し、大型の計算機からワークステーションへ、さらに小型のパーソナルコンピュータへと計算機の重心が移ってきた。これは、情報処理技術の進展もさることながら、より以上に電子技術とりわけ半導体技術の進歩に拠るところが大きい。

 私が初めて電子計算機を使ったのは、まだタイガー計算機という手回しの計算機が隆盛だった昭和35年であるから、もう37年も前のことである。当時、国産のパラメトロン型電子計算機 HIPAC-101 や 103 が私の研究所にも導入されたが、まだ黎明期のことでもあり、数値のオーバーフローやアンダーフローを気にしながらプログラミングする必要があった。そのため、浮動小数点演算を実行する関数のサブルーチンを、機械語を使って数多く作った。これが私と電子計算機との付合いの始まりである。お蔭で多くの技術計算が、タイガー計算機よりははるかに効率よく実行できるようになり、当時、研究所で一、二を争う大口利用者となった。

 それから10年がたった昭和45年には、私の研究室でも単独で自前の計算機が持てるようになった。部屋一杯を占める大きさではあったが、主メモリはたったの32K語のコアメモリで、性能も今のパーソナルコンピュータに比べれば何桁も小さいものであった。それでも、誰への気兼ねもなく独占して計算機を使えることの便利さを十二分に味わうことができた。

 それからさらに四半世紀がたち、今や一人一台以上の計算機を保有し、電子メールでの通信が常識の時代となった。私の机の上にも二台のパソコンが並び、インタネットへのアクセスや世界各地の友人との電子メールに利用している。最近私も個人用ホームページを開設するようになった。まさに隔世の感がある。

 あまりに周りが電子的になると機械式の時代が懐かしくなり、その昔格闘した手回しのタイガー計算機を何としても手に入れたくなった。研究所内を隈なく捜したがもう影も形もなく、八方手を尽くしてようやくある大学の知人に捜し出してもらい、それを譲り受けた。今この骨董品のタイガー計算機も、最新のパソコンと並んで私の机の上に置いてある。時折ハンドルを廻しては、あのチーンという懐かしい音色を楽しんでいる。若い研究者が私の部屋にやってきて、この一見不思議な機械に目を留めるが、これが何なのかわかる人はほとんどいない。

 さて、この電子技術の進歩は、最近では機械工学にも影響が及び、機械自身をマイクロ化することにもつながりつつある。半導体技術を用いてシリコン材料上に3次元の構造を作るもので、歯車、モータ、流体回路、ポンプ、微小容器などが実現されている。またこれに刺激されて、他の一般の材料に対するマイクロ加工の技術も進展し、指先ほどの自動車やロボットなどが実現されている。しかし未だおもちゃの域を出ず、とくに企業の研究者は、どのような社会的インパクトのある製品として世に出すかで悪戦苦闘しているのが現状のようである。

 このようなマイクロマシンが難しい理由の一つは、機械が小型化すれば、それに見合った形で精度も多少は高くならなければならないのに、それが困難な点にある。例えば今の機械を、寸法を比例的に保ったまま千分の一の大きさにしようとしても、軸受部のような隙間は千分の一にはできないのである。それどころか、同じリソグラフィ技術に頼って作るわけだから、機械要素の寸法も隙間の寸法も同じオーダーとなる。要は、相対的にガタの大きい機械とならざるを得ないのである。

 このように、機械そのものよりも、それを構成する要素間のインタフェース部分に課題が大きいというわけである。要素間のインタフェースには、必ずトライボロジーの問題が付きまとう。面積で効く摩擦力と体積で効く重量から、小型になると摩擦力が慣性力より優位となり、従来の相似設計だけではずいぶんと様子の異なる機械になってしまうのである。

 もう一つの憂欝は、せっかくモータや歯車が出来ても、そこでの動力や運動を外部に取り出す術がない点である。したがって、すべての要素をマイクロ化して、必要なものすべてを一体化した「閉じた機械」として実現しないかぎり、なかなか実用化が難しい。要素だけが出来ても意味がないのである。

 では考えられる要素をすべて実現して、あとはそれらをうまく組み合わせて任意の機械が出来るのでは、という期待もありうる。だけどそれがまた難しい。材料には加工容易な方向とそうでない方向があり、しかも化学反応を基本とする加工方法であるから、任意の3次元形状ができるとは限らないのである。

 このような理由で、一見華やかな話題に見えるマイクロマシンも、憂欝だらけで、実用化をねらう実践的な研究者にとっては頭痛の種が多いのである。今までの典型的な成功例は、自動車の衝突検知用に用いられる加速度計くらいであろう。これは、シリコンの片持ち梁の振動を利用するもので、内部に入れるのも外部に取り出すのも電気信号だけだから、マイクロマシンとしては理想的な用途の一つと言えよう。

 同じく機械の内部状態変化を、光を用いて信号化して取り出すような用途も可能性がある。2次元的に多数の可動鏡を配列し、これらに光を当ててディスプレィ装置として実現した例も出てきている。また、血液検査や尿検査など、各種の分析検査装置の中で、その心臓部である微細流路の形成なども可能性がある。このように、どちらかというと静的かつ2次元的な機械部品が当面の応用となろう。難しい分野だが、研究者の努力でいずれは革新的な製品が世に出ることになるのであろう。
(平成9年9月)