人間が社会の一員として活動し、その活動が社会にとって有意義であり、その人の努力が並み外れたものであって、かつ、自分には出来そうもないと外部から判断されたとき、その人は尊敬されるもののようだ。その人の活動がどのような種類のものであれ、正しくかつ立派だと客観的に思われる道を歩む限りは、努力をする甲斐があるというものであろう。人から尊敬されることが人生の目的ではないが、尊敬されないような人生でもまたつまらないのではないかと思う。
ところで技術者の活動は、未知の世界を切り開いたり、世の中にない新技術や新製品を編み出すことであるので、社会に貢献出来る可能性も高く、一般論としては世の中からもっと尊敬されてもいい職種のように思う。しかしそのためには、個々の技術者の風格もまた重要な要素となる。風格は迫力が昇華して生まれるものであり、隠そうとしても隠しきれずに自然と漂い出る品格のことであろうと思う。したがって、迫力ある人生を送ることは何につけても重要のようである。
では技術者の場合、どのようなことに迫力が感じられるのだろうか。管理者の迫力と対比し、私の過去の経験をもとにいくつか「偏見」を述べることにしよう。
まず第一に、技術者の迫力は、定性より定量にある。担当分野の現況なり、動向なり、問題点なりを定量的に把握し、それがつねに更新されているらしいということを他人が実感したとき、迫力が感じられるのである。自分の守備範囲、攻撃範囲をわきまえてはいても、総花的な対処でどれも進捗が遅いというのでは迫力はなく、全体をわきまえつつ今重要な幾つかに焦点を当て、重点的かつ果敢に攻めている姿勢に迫力、魅力を感じるのである。状況把握がたとえ定量的ではあっても、それが十年一日のごとき状況であれば迫力は失せる。アナログ人間よりもディジタル人間、というわけである。
一方、管理者の迫力は、逆に定量より定性である。細かな数値はどうであれ、方向として間違いない状況把握が出来ていて、しっかりとした未来論が展開出来るような管理者に迫力を感じるのである。たとえば研究所の管理者は、自分のところでやっている研究の一部始終を数値的にまでは知らなくてもいいのである。上位管理者からの問い合わせに対して、いい加減な数値を即答するよりも、分からないから技術者に聞いてから返答する、という答えを返す方が余程迫力を感じるのである。部下を信頼して仕事をまかせている証拠でもある。ディジタル人間よりも、確かな嗅覚を持ったアナログ人間、というわけである。
第二に、技術者の迫力は、上向きより前向きである。自分の上長に気に入られるようにと、つねに上向きで仕事をしているヒラメ人間にはまったく迫力を感じない。むしろ、困難に直面し、課題を正視し、自ら前向きに立ち向かい、これを乗り越えようと努力している姿に神々しさを感じるのである。
一方、管理者の迫力は、上向きより下向きである。自分の部署の仕事の低調さを覆い隠して、気に入られるようなことだけを上に報告するようでは駄目で、むしろ部下に厚く、部下のためを思い、部下の視点で物事を判断し、ときには上位上長にくってかかるくらいの管理者に迫力を感じるのである。かといって常に部下に甘いのもまた問題であるし、上の方針を理解せずに、勝手な判断で対処するのでも困るのである。
第三に、技術者の迫力は、口より目にある。滔々たる弁舌を武器に口で仕事をしているような輩も世の中にいないわけではないが、もっと状況を見る目を養い、目がぎんぎんと輝き、常に現在と未来を見つめているような技術者なら、たとえ訥々とした弁舌にも爽やかさと迫力を感じるのである。
一方、管理者の迫力は、耳より足である。自分の部屋に若い技術者を呼び付けて技術の現況を説明させるような管理者よりも、技術者の仕事の現場に足を運んで、そこで説明を聴き、一緒に議論するような人に迫力を感じるのである。耳学問でなく、足を運んで技術の現場を知ろうとする管理者は、技術者からも好感を持って迎え入れられる筈である。
第四に、技術者の迫力は、音楽より絵画である。音楽は技術者にとっても大きな潤いであり、美を感じる最高の瞬間ではある。でもその瞬間が長過ぎる。音楽は一次元情報であるから、聴いて楽しむにもある程度の時間が必要なのである。楽器の演奏でも上達するのに長い年月が必要である。ところが絵画は、二次元情報だからざっと見回すだけで瞬間に美を感じられるのである。創作にも、一日に少しずつ積み上げが出来る。下手であっても他人に迷惑は掛からない。音楽ほどの誘惑がないのでマニアにならなくてすむ。だからかどうか、海外に出かけたときなど、私はオペラよりも美術館に足が向くのである。入退場時間が自由なのがまたいい。
一方、管理者の迫力はゴルフよりテニスである。誰もがゴルフへとなびく世の中の趨勢に逆らって、よりハードなテニスを趣味とする人に迫力を感じるのである。多分こういう人は、時間の使い方がうまいに違いない。かつて私がアメリカの大学に滞在していたとき、ゴルフの話はタブーだった。時間が財産の彼らから見れば、暇人と思われるのである。それ以来ゴルフの話はしなくなったし、うまくなろうとも思わなくなった。したがって年数だけは多いが通算日数は少なく、未だに初心者なのである。ときどき楽しめればそれでいいのである。うまくなり過ぎると、その実力を維持するのにきっと苦しい筈である。ときには練習にも行って、貴重な時間をつぶす度合いが多くなる筈である。下手な者のやっかみかも知れない。