技術の散歩道 12
 論文博士制度の意義  
   
 欧米では博士号の学位を持っていると、人々から受ける尊敬が一段と大きいようである。日本でもまだ博士の数が少なかった時代には、「末は博士か大臣か」と一部の民謡で唄われたように、世の中からも大きな期待があり、また尊敬されたようである。今でも世間から一目置かれていることに変わりはないが、人数が増えるにつれて多少の地位低下があるのかも知れない。この唄の文句から見て、昔は大臣も大きな尊敬を集めていたようだが、最近では、並び称されている博士よりもさらに激しく地位が低下してしまっているのではないかと危惧される。今の世だと、末は何を望むことになるのだろうか。

 最近の小学生を対象としたある調査では、将来なりたいものの男子の一位が野球選手で、女子の一位は保母さんとのことである。わずかに学者というのが男子の六位に顔を出している。大臣や政治家というのは十位までには入っていないもようである。対象が小学生だけに無理もないが、学者にしても政治家にしても、もう少し若い世代にアッピールできるような職種であって欲しいものである。若者の理科離れがもう長い間問題となってきているが、小学生はまだ大丈夫で、彼らの興味をいかに継続させるかが課題、というのが通説であった。短絡的過ぎるのを承知で言えば、この調査結果からみてどうやら小学生にも理科離れが始まったようである。

 ところでこの博士号は、昔は、学術上の立派な成果を上げた人々に対して、大学に学位論文を提出することで授与されるのが慣わしであった。最近では、大学院の誕生とともに少し考え方が変わり、将来の可能性に対して与えられるようになった。博士課程を終了して一人前の研究者として認定されたときに与えられるもので、アメリカなどの Ph.D.制度に倣ったわけである。現在はこの課程博士と、従来の論文博士とが両立し、絶妙な調和が保たれているように思う。

 この学位を持つということは、大学ではかなり絶対的なもののようで、とくに工学系・理学系の教授の公募の公告には必ず学位所持者であることが条件となっている。もちろん学問分野によっては、必ずしも絶対条件ではないところもあるらしい。ところが企業では、学位は別に何の条件でもない。学位を持っていようがいまいが、そのことだけでは何ら差別はないのが普通である。もちろん企業でも、従業員が学位を取ることについて、陰ながら奨励をしている例は多い。その人の意欲をかき立てるし、その分野での技術の深みが増すし、取得後はその人の自信になって現れ、結果的に企業にとっても効果が大きくかつ名誉でもあるからである。

 私の所属する企業でも、すでに博士号を取得した者の間で「返仁会」という組織がある。エンジニアはすべからく変人(ヘンジニア)と呼ばれるほどまでに技術の道を極めて欲しいという願いから、当初「変人会」として発足したが、多少世間体が悪いこともあり、その後文字だけを変更したわけである。しかし今も内部では変人というのが博士号を持つ者の呼称として定着し、会員は自ら変人と号することで心の増長を戒めつつ、自己研鑽と後進育成に努めているのである。このような組織があるせいもあり、とくに博士数の多い私の研究所では、研究者の間にいずれは博士号を取るのが当然という暗黙の雰囲気があり、若い研究者もその日を目指して日夜頑張ってくれているようである。このような雰囲気の中だと、誰が言い出したのかは知らないが「博士号は足の裏の米粒」と冗談を言われるようにもなる。「取らないと気持ちが悪いが、取っても食えない」ということらしい。

 ところで数年前、大学の考え方が少し変化し、論文博士をあまり歓迎しないような風潮が出て来たことがあった。企業での研究で学位が取れるので、優秀な学生が早い時点で企業に就職してしまうため、大学での後継者不足が心配であったとのことである。そのため、論文博士制度を廃止しようとの議論もなされたもようである。しかし最近では、大学院大学が充実されてきたので、この後継者不足の問題は解決されるように思う。また企業人が大学院の学生として登録し、何年か大学院に通って学位を取れる社会人コースもでき、かなり一般化してきたようである。

 ひと頃議論されたように、もし企業からの論文博士の門を完全に閉ざしてしまうとなると、日本は確実に滅びていくのではないかと思う。戦後の復興とその後現在に至る産業の発展には、先陣を切った企業技術者の大きな努力がその底力となった。彼らには技術上の目標以外に、それぞれに個人的な別の目標があり、その一つがこの学位であった。この論文博士の道がなくなると、今までのような企業の研究者の頑張りは期待できなくなるのではないかと思われる。企業を中核とした産業あっての日本であり、大学だけでは日本は成り立たないのである。だから、企業の状況を無視した論文博士制度の廃止論だけは再燃させて欲しくないのである。

 このような論文博士の制度はアメリカにはないが、私が知っている例ではオランダにあるようである。だからオランダの底力は強いのかも知れない。私の知人も今、そこの企業の研究所で学位をとるために頑張っている。また数年前に訪れたブルガリアでは、友人が既に学位を持ちながら次の学位を目指しているのを見た。この第二の学位の取得には国外からの推薦状をも必要とし、その口頭試問審査は大変厳格らしい。大学教授でもこの第二の学位を持っているものは二割程度という。私も彼のために、技術的にかなり詳細な推薦状を書いた。どうやらこのような制度は、ロシアをはじめ旧共産圏に共通な制度らしい。論文博士のほうが上位に位置付けられているということのようである。
(平成10年7月)