技術の散歩道 14
 匂 い と 臭 い  
   
 人間の鼻の中には、約2万5千個の嗅細胞があり、これらからの感覚情報を処理して約10万種の「におい」を嗅ぎ分けられると言われている。私個人にはそれだけの能力があるとはとても思えないが、少なくともいい「匂い」と悪い「臭い」の2種への分類は可能である。今までに経験した最悪の臭いは、高校時代に理科教室で嗅いだメルカプタンの臭いであり、これが私の化学嫌いの発端になった。

 嗅覚は、揮発性物質の分子が鼻腔の水性の粘膜に吸着され、それが嗅細胞の内部に溶け込むという化学的な反応を基本原理とする感覚機能のようで、物理化学的な基本原理に基づく視覚や聴覚とはかなり趣を異にする。とはいってもまだ正確な原理がわからず、この微粒子説のほかに、分子の振動エネルギーに基づくとする波動説もあるようである。

 嗅覚は、心理的な要素によってもかなり影響されるようであり、同じ「におい」でも状況によって快かったり不快であったりする。良い匂いの代表である香水も、徒然草に出てくる宮中の女性の「追い風用意」のように、ほのかな香りであるうちは風情もあろうというものだが、暑い夏の日の満員電車の中などでは耐えられないことがある。今までに遭遇した最悪の場所はパリの空港の国際線待合室近傍で、免税品売場から漂う臭いが、狭くて混雑した通路に四六時中充満し、そこを通るのはまさに地獄であった。しかも悪いことに、売る側も買う側も、いい匂いを嗅がせてやっているのだから文句はあるまい、という態度のようであった。その後改善されたかどうか、暫く訪れていないのでわからない。抽出し、濃縮し、ブレンドしたものから感動を味わうにはどうやら無理がある。香りは自然にあってこそ好ましい。

 食品にも各種の香料が使われるが、伝統の日本料理では食材そのものの味を大切にするから、せいぜい自然の香料でのおだやかな香り付けに留まっている。嗜好品にも香料は不可欠であり、中でも香料が最も重要な地位を占めているのは、おそらくチューインガムであろう。これはもともと日本にはなく、大戦後の昭和20年代にようやく国産化されたもので、甘味と香料がすべてであるような製品といえよう。ところがこれも、電車の中で噛まれると最悪なのである。しかも、日本ではまだ歴史が浅いせいか、あるいは日本人の口の構造が多少違うのか、まだガムの噛み方が下手で、音をたてながら噛む人が多い。口を開けずに静かに噛んでいるのなら、臭いも口中に閉じ込められて他人に迷惑とはならないと思うのだが、どうも喫煙者よりもガム愛好者の方が一段とマナーの悪い人種のように思えてくるのである。

 最近の喫煙者は結構マナーがよくなっているようで、禁煙場所での喫煙は極端に少なくなった。もちろん電車の中で吸うような人はいない。ところがガム愛好者は、喫煙と同じようなことを満員電車の中でやっていることに気付いていない。肺に直結したところから吐き出される乾性の煙草の煙よりも、胃に直結されたところから出てくる湿性のガムの臭いの方が、心理的にも気持が悪いのである。だから電車の中では禁ガムにするか、あるいは香料添加を少なくして臭いを発散しないガムを開発すべきなのである。

 ところで鼻の中に飛び込む異物は、においのあるものばかりとは限らない。においは、あればあったで始末が悪いが、ないともっと悪い。最近ではダイオキシンや、花粉によるアレルギーが問題となっている。花粉の大きさは樹木によっても異なるが、大抵は30から50ミクロン程度であり、においを引き起こす揮発性物質の分子の1ナノメータほどの微粒子と比べると4桁ほど大きく、煙草の煙の粒子0.1〜1ミクロンに比べても2桁ほど大きい。鼻の粘膜の嗅細胞を刺激する以前に、どうやら粘膜そのものを物理的に刺激してしまうようだ。

 私がはじめて花粉症の存在を知ったのは、約20年前、カリフォルニアに滞在していたときのことである。ホームドクターを依頼していた医師のオフィスの壁に、注意を促す色刷りのポスターが貼られていた。きれいな花の20種ほどの植物が刷り込まれ、病名としてHay fever とあった。直訳すれば干し草熱ではあったが、辞書を引いて初めて花粉症という言葉を知り、英和辞書にあるくらいだから日本にもあるのだろうと思ったわけである。それまでは日本で話題になることは少なかったようだし、既に患者もいたのかも知れないが、いたとしても皆が皆、花粉症として自覚していたとは思えない。

 その後日本に帰ってきて、杉の花粉が大騒動を起こし、花粉症の記事が新聞雑誌に氾濫しているのを知った。ここ数年、春先の年中行事と化したが、これも人間が自然に逆らったことに対する自然からの報復と考えられなくもない。現在ではこの花粉症に掛からないのは文明人ではないかのごとく見られるほどの蔓延ぶりであり、まだ何とか大丈夫な私は、どうやら時代に遅れていると見做されるのである。

 最近の世の中の嫌煙ぶりも、この花粉症とは無縁ではないようで、健康志向の高まりだけではなく、全体的にかなり鼻の感覚に異常を来たしている可能性もある。煙草自体も、昔は「紫煙」と称して香しく感じたものだが、最近では、煙草好きの私でさえ最悪と感じるようになっている。タールやニコチンの量を減らそうとする改良研究には熱心にならざるを得なかったが、どうも匂いまでは気がまわらなかったのではないかと思われる。

 従来以上に空気中にいろんな分子や粒子が漂う時代にあって、もう少し広い見地から「におい」全般についてのあり方を見直すことも重要に思う。それぞれに良かれと思っている「匂い」も、状況によっては他の人にとって耐えられない「臭い」となり得るのである。
(平成10年9月)