かつて世界一の「安全社会」と呼ばれたこの日本にも、いつの間にか拳銃、麻薬、犯罪、不正、悪徳などが住みつき、ときには世間を惑わせ、人心に恐怖感を抱かせている。このような安全社会から不安社会への変貌を食い止め、さらに人智で「安心社会」へと転換させることは果たして可能なのだろうか。
現在の社会においては、不安の最大のものとして環境問題があり、人間活動の負の遺産としてもたらされる環境悪化社会の到来が懸念されている。地球の温暖化、オゾン層の破壊、異常気象、酸性雨、産業廃棄物の蓄積、資源の枯渇等々、いずれも結局は人間が存在したからこそ生じたものである。他の動植物の目から見れば、人間こそが異常発生して生態系のバランスを崩した元凶であり、彼らにとっては迷惑千万な筈である。人類のこれまでの長い歴史に比べると、20世紀の科学技術の発展はあまりにも急激であった。その大きな正の効果に目を奪われて、影に隠れて見落としていた負の効果が蓄積して、最近このような問題点として顕在化してきたわけである。そのためか、人々の心の中に、科学技術に対する不信もまた大きく芽生えてきているように思われる。
しかしながら科学技術だけにこぶしを挙げるのは間違っている。本来科学技術は、人類の幸福を究極の目的としたものであって、今日まで人間生活に数多くの「利便」を提供してきた。すでに我々人類は、科学技術を根底とした社会から多くの利益を享受し、生活を楽しんできたのである。その結果、「人類とは、エネルギーを浪費し、ゴミを生産する動物である」と定義せざるを得ない状況にまでなってしまったようである。このように、科学技術の進歩が環境悪化の直接の犯人というわけではなく、その背後にいる人間の身勝手な欲望の方がはるかに罪深いのである。いわばすべての人間がその共犯者なのである。我々が一旦手にした利便性はなかなか捨てがたいのも事実であり、いまさら太古の生活へと戻るわけにはいくまい。しかし将来、多少の不便は我慢するコンセンサスが得られ、生活の減速がなされる可能性はある。
このような人間の身勝手さをどう修復するかは社会的な大きな課題である。多分、教育と自覚しかないのかも知れない。一方、科学技術のいたらなさについては、いずれまた科学技術で解決する以外に手はなさそうである。そのためここらで科学技術の役割についての我々の視点を、「利便」から「安心」へと移すべきときではないか。すなわち「安心」を提供するのが科学技術であって欲しいのである。その具体化には多分「安心工学」とでも呼べるような工学が必要となるのであろう。
安心を科学技術のキーワードに据えれば、新たな可能性が見えて来る。安心機械、安心ネットワーク、安心情報処理、安心ビジネスなど、安心という言葉を冠にかぶせることで、いろんなアイディアが湧いて来る筈である。そこからは地球レベル、国家レベル、都市レベル、家庭レベル、個人レベルなどのいろんな形態が考察でき、夢が広がって来る。例えば国家レベルでは、麻薬監視の超微量分析センサーの必要性が、その実現の可能性はまださておくとしても、容易に発想される。また、パスポートのICカード化は、安心という観点からも大きな効力を発揮する筈であり、インタネットを活用した効率的な入出国管理が可能となる。
環境関連で言えば、各地の銘水や浄化器具の販売も、水道水に不安を感じる人々を中心に幅広く普及している安心ビジネスの一つと言える。空気浄化では、すでに各種の燃焼ガス無害化装置、排気ガス浄化装置などが実現され、引き続き改良研究が行われている。水浄化では、湖沼の深いところに滞留した水を強制対流させて自然浄化させる噴水型の湖沼浄化装置も実用化され、また、発生したあおこを微生物に食べさせて除去する流動床式のあおこ除去装置や、あおこに鉄分を混ぜてフロック化し、超伝導磁石で一挙に吸い付けて除去する装置なども実現されている。
安心は、医療、福祉にも大きく関連して重要である。とくに医療関係ではすでに各種の医療機器や健康機器が開発されているが、今後、高度メカトロニクス技術を用いた手術支援装置や、高度情報通信技術と画像診断技術を駆使した在宅医療支援装置などが必要となる。すでにその試作品も出来上がり、研究が着々と進展しつつある。
福祉ではとくに高齢者の寝たきりを防ぎ、自立化を目指すための歩行訓練装置が開発され、その効果が確認されつつある。聴覚障害者のための手話の認識技術の研究も始まり、いずれは計算機を介在させた自動手話翻訳も可能になるかも知れない。安心社会に向けた強力な道具になるはずである。
とくにこれからの高齢化社会では、家庭レベルの安心ビジネスとして、生涯保証の商品が欲しい。例えば冷蔵庫や洗濯機を買うときに、廃棄費用や保険費用を少し上乗せした値段でもいいから、例えば60歳以上の人には、その人の生涯に渡り、その修理や交換を引き受けてほしいものである。保証期間がその人の生涯にわたった商品販売となると、技術的にも大きな課題を提供し、従来に倍加する寿命設計が必要となってきて、製品の形態が変わってくる筈である。「使い捨て」の時代から「使い込み」の時代への転換の足掛かりにならないだろうか。
このように安心という見地から科学技術を見直し、安心工学の体系化に向けて技術開発を展開し、それによって安心社会を構築していく、といった考え方が今後重要に思う。この安心社会は、一方では、ウィットに富み、優しい心に満ちた助け合いの社会であり、ボランティアとは自らは呼ばないボランティアに満ちあふれた社会であろうと思われる。