技術の散歩道 29
 映像創りの裏側  
   
 映像は、もっとも迫力のあるメディアの一種である。人に訴える力が大きいため、私のような研究開発に従事する技術者も、自分の研究成果を映像化して研究発表の場などでよく利用する。百聞は一見にしかずという諺通り、人に理解してもらうには、耳よりも目に訴えた方が手っ取り早いからである。そのために、実際の物理現象や計算機でのシミュレーションをVTRなどに撮影・記録したり、その映像を解析・編集して電子プレゼンテーション用の画面にはめ込んだりする機会も増えている。

 一方、企業としての宣伝や企業活動の記録のために、映像を創ることもよくある。ときには技術者自らが出演しなければならないこともあり、私も過去に何度かそういう経験をした。とくに斬新な技術が開発できたときなどには、テレビ番組に出演を依頼されることもある。

 その昔、まだ若かった頃、NHKの科学番組で、ある大学教授と対談したことがあった。妻が何人かの知人に事前に知らせたらしく、放送終了後、電話が掛ってきた。大抵が「あなたのご主人、どこの人?」という電話だったというのである。私は東京に住んでもう何年にもなっていたし、自分でも見事な標準語を喋る、と確信していたのに、どうやら微妙に違うらしい。映像も音声も、実に正直で、恐いもの、とそのとき初めて実感した。

 あるとき、来客に見てもらうための研究所紹介ビデオの撮影で、研究所の廊下を歩いているシーンを撮ることになった。カメラマンを乗せたリヤカーを二人がかりで引っ張り、その後ろを私が神妙な顔をして、付かず離れずに歩いて行くのである。時々部屋を覗くような感じで左右に顔を動かして欲しいとのことであった。何とも滑稽な撮影風景ではあったが、出来上がった映像を見ると、一応威厳のありそうな年輩の研究者が、研究室の研究状況を視察して歩くシーンになっている。以来、このビデオを見るたびに、撮影の際のリヤカーのことが思い出されて、つい吹き出してしまうのである。

 また別のあるとき、私の関連する技術分野の紹介ビデオの撮影が計画され、私がビデオの冒頭の部分で、技術概要を2分間ほど説明することになった。どうせ撮影するなら、秋色深い研究所の庭園がよかろうということになって、ある日曜日に映像プロダクションの人たち7〜8名がやってきた。紅葉の池を背景に朝10時ころから撮影がスタートしたが、この2分間のシーンを撮るのに昼食抜きで午後2時まで掛かってしまったのである。

 ことの起こりは、まず第1に映像プロダクションの人たちのプロ根性にあった。せっかく撮った映像に少しでも不備な点があると撮り直しなのである。私にはどうでもいいことのように思えるちょっとした光線での明暗が、プロの目には大変気になることのようであった。自分らの作品の質に固執する何とも凄い連中である。

 ことの起こりの第2は、私の喋りがなかなかうまく行かないことにあった。研究発表や技術講演のときとは様子がかなり違うのである。自ら書いたたった2分間のセリフを覚えるのにも一苦労し、せっかく覚えても円滑には口から出ず、どこかで詰まってしまうのである。今度はいいぞ、しめしめ、と思いながら喋っていると、最後のもうちょっとのところでカラスが「カァー」と鳴いてやり直しになる。今度こそと思ってまた喋り出すと、今度は近くの線路を電車が「ガタンゴトン……」と通過して、やり直しなのである。

 もう何が起こるかわからないので、2分間のセリフを分断して少しずつ撮ることを提案し、ようやくOKが出たかに見えた。ところが、つなぎ合わせて一つにしてみて、やはり駄目とのお達しである。プロの目からみると、このつなぎ合わせた映像では、太陽の位置が微妙に違うというのである。やはり一気に撮りたいということで、この2分間の映像にようやくOKが出たのが始めてから4時間後という次第であった。何とも素人の演技は大変で、映像プロダクションの方たちも骨が折れたことだろうと思う。

 その後あるテレビ会社から、若者の製造業離れの防止につながるようなシナリオで、企業の研究所を舞台に、企業の研究者を主人公とするテレビ映画を撮りたい、との話が持ち込まれた。主人公のやっている仕事はロボットの研究ということにしたい、との話であった。そのシナリオライターはロボットについてはあまり知らないというので、一通り技術の概況を説明し、私のアイディアも多少取り入れてもらってシナリオが完成した。

 撮影当日、何人かの著名な男優さん・女優さんが来所され、研究室での撮影が始まった。シナリオの流れに沿うのではなく、場所を優先して、その場所でのシーンがまとめて次々と手際良く撮影されていくのには感心した。俳優さん達も、次の出番に備えて、廊下を行ったり来たりしながら必死にセリフを覚えている。その様子を見ると、やはりプロだなあと、以前の自分の不甲斐なさと比較してしまう。幸いこのテレビ映画は好評だったようで、私にとっても一つの思い出となった。ただしその後も、若者の製造業離れは相変わらずのようである。

 このような経験をして以来、テレビでドラマを見るたびに、その裏側のことが目に浮かぶようになった。俳優さん達の長いセリフの場面をみると、その見事さに感嘆するのであるが、一方で、恋人同士が切実な話をしながら道を歩いているシーンともなると、その前を行くリヤカーまがいのカメラ移動台や、それを押したり引っ張ったりするスタッフの存在が目に浮かんでしまって興が冷めるのである。よせばよいのに、このリヤカーまがいの移動台の存在のことをまた口に出して言うものだから、一緒にテレビを見ていて画面に没入している妻に、余計なことをいうなと嫌われたりしているのである。
(平成11年12月)