参考記事: 茨城の魅力の背景 5
― 茨城人の心を育んだ神社仏閣 ―
県内には神社が2492社あり(全国10位)、寺院は1294寺ある(全国29位)と言われています。古くから民衆の心の拠りどころとして親しまれ、茨城県人特有の実直で誠実な精神を育んできた中心的存在だったと思われます。
その神社の頂点にあるのは、常陸一宮の鹿島神宮(鹿嶋市)、二宮の静神社(那珂市)です。千葉県香取市の香取神宮とともに、古くは東国三守護神とも呼ばれてきました。
また鹿島・香取神宮とともに東国三社の1つに数えられた息栖神社(神栖市)もあります。江戸時代中期には篤い信仰を集め、舟運を利用した三社詣での客で賑わったようです。利根川の支流である常陸利根川沿いの息栖河岸には、「木下茶船」(きおろしちゃぶね)と呼ばれた乗合遊覧船が、一日平均12艘も発着したといいます。
他にも歴史的な神社は多く、常陸国風土記に出てくる普都神話の聖地、楯縫神社(美浦村)・阿彌神社(阿見町)や、地主神の香々背男の荒魂を宿魂石に閉じ込めたという大甕神社(日立市)などがあります。また大生郷天満宮(常総市)は、菅原道真の三男景行が、太宰府に没した父の遺骨を手に常陸国に赴任した際にここに祀ったという神社で、実際に遺骨が納められた神社としては太宰府天満宮とここしかありません。京都の北野天満宮と併せ、日本三天神と呼ばれることもあるようです。
一方、航海の神として大杉信仰が発展し、のちに天狗信仰で全国に広がった大杉神社の総本宮(稲敷市)もあります。他にも、昔の各集落には大小様々な神社が祀られ、その中には、河童から手接ぎの秘法を教わったという伝承のある手接神社や、耳の不自由だった千代姫の逸話のある耳守神社(ともに小美玉市)などがあります。このような、手や耳に特化した神社は、我が国ではあまり例を見ないようです。手接神社では手の形をした手作りの板や手袋を絵馬とし、耳守神社では願い事を書いた素朴な竹筒を絵馬として、それぞれ奉納されています。
また、花園渓谷にある花園神社(北茨城市)は、昔、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に創建したという伝承のある紅葉の美しい神社です。さらに、栃木・茨城の県境には、参道も山門も拝殿もすべて両県に跨がる形で創られた鷲子山上神社(常陸大宮市と栃木県那珂川町)があります。社務所も参道の両側に相対して二つある特異な神社です。宮司も両県から一人ずつ、計二人という状況だったようですが、近年は茨城県側が栃木県側に業務を委託して一本化して管理運営されているようです。
一方、寺院に関しては、越後に流された親鸞聖人がその後常陸国に来て、小島草庵で3年、続いて稲田草庵で約20年の布教を行ったという歴史があり、稲田草庵跡には西念寺(笠間市)が建っています。ここで有名な「教行信證」を執筆したという歴史的な場所です。また、幽霊の噂で荒廃していた寺を親鸞が再興したという無量寿寺(鉾田市)や、荒くれ者だった唯円を改心させた「身代わり名号」の逸話のある報佛寺(水戸市)もあります。親鸞の弟子となった唯円は、後にあの有名な「歎異抄」を著し、深淵なために誤解されがちだった親鸞の教えを、正しくかつ平易に民衆に説きました。
他にも、天台宗の檀林(僧侶の学問所・養成機関)で、関東八檀林の一つとして隆盛を誇った逢善寺(稲敷市)や、浄土宗の檀林で、家康の孫 千姫の墓がある弘経寺(常総市)、真言宗の檀林で見事な枝垂れ桜の古木で著名な六地蔵寺(水戸市)などがあります。また江戸時代に芭蕉が招かれて滞在したという根本寺(鹿嶋市)や大儀寺(鉾田市)のように、鄙びた古寺も数多く存在しています。
近年では、浄土真宗本山の東本願寺が管理・運営する牛久大仏(牛久市)が建立され、人々の参詣・見物の波が絶えません。全高120b(身丈100b、台座20b)もあり、青銅製立像としては世界最大とのことです。自由の女神像(身丈34b)の3倍近くもあり、奈良の大仏が掌に乗るほどの大きさで、圧倒されるほどの偉容を誇っています。