参考記事: 茨城の魅力の背景 6
― 科学技術と産業発展の礎 ―
耕作面積比率が27.2%と全国第1位の茨城県は、もともと農業が盛んで、今も農業産出額が北海道、鹿児島に次ぐ日本第3位の農業県としての地位を保っています。県の特異な農産物としては、霞ヶ浦周辺でのレンコン、笠間市やかすみがうら市の栗、ひたちなか市のサツマイモ、行方市のメロンなどがあります。常陸三蚕神社と呼ばれる蚕影・蚕養・蚕霊神社(それぞれ、つくば市・日立市・神栖市)には、蚕に変身した金色姫の伝承があり、以来、養蚕業が盛んとなって絹川(鬼怒川)・蚕飼川(小貝川)などの河川に名を残し、また、結城紬(結城市)などの伝統工芸の誕生と発展にも繋がりました。
しかし、とくに県西・県南では、年間降雨量が少なく降雨分布が不均一で、河川の水源が不安定でした。農業を初めとする広範な産業を発展させるためには水不足の問題を解消する必要があり、そのため、昭和末期〜平成初期に霞ヶ浦用水の建設が企画されました。その結果、霞ヶ浦の水を汲み上げて筑波山の下をトンネルで抜け、いったん、つくし湖(桜川市)に蓄えたあと、県西の東山田調整池(古河市)までの道のりを自然流下で搬送する約70`bの壮大な設備が完成しました。その後この用水は、地域の発展に大きく貢献し、現在も農業用水・工業用水として広く活用されています。
一方、稲田の石切山脈(笠間市)や筑波山山塊の加波山(桜川市)では、今も良質の花崗岩を算出し、とくに稲田石は日本橋、日本銀行、国会議事堂などの歴史的建造物にも広範に利用されてきました。
また、日立鉱山での銅・硫化鉄の算出を契機に、日本一の高さを誇った大煙突で有名な日本鉱業が創設され、その修理工場として発足した日立製作所は、その後、国産技術を標榜する我が国有数の大企業となりました。第2次世界大戦後には、神栖市に鹿島港が掘削され、そこを基盤にして鹿島臨海工業地帯が建設され、日本の重工業の中枢の一つとして発展してきました。
また、東海村には日本原子力研究所が設置され、我が国最初の原子の火が灯りました。現在は日本原子力研究開発機構へと発展し、東日本大震災の際の福島原子力発電所事故を契機とした原子力に対する風当たりの強い世評の中ながらも、その事故処理技術の開発とともに、将来のエネルギー資源確保に向け、科学者・技術者らが継続して研究開発に精力を注いでいます。
この原子力についての基礎が学べる施設の1つに、茨城原子力協議会が運営する「原子力科学館」(東海村)があります。原子力発電の仕組みなどが簡明に解説されていて、とくに、自然に降り注いでいる放射線の通過軌跡が目に見える大型の霧箱(クラウドチェンバー)の展示は、来館者の注目の的となっています。
さらに、我が国最初の衛星通信基地が高萩市の山中に設置され、昭和38年には日米間でのテレビ中継が初めて行われました。その際、米国のモハベ砂漠にあるNASA地球局から衛星経由で最初に送られてきた映像は、奇しくもケネディ大統領の非業の死を伝えるものでした。この基地は、現在ではその役目を終了し、衛星通信記念公園(高萩市)として整備されています。
さらに、つくば研究学園都市が建設され、数多くの大学や研究機関が集まる頭脳都市として進展し、今では約300におよぶ国や企業の研究機関があります。そこには計2万人ほどの研究者が在籍し、学位(博士号)取得者も7000人超と言われていて、我が国の科学技術と産業発展の原動力としての基盤を担っています。
各研究機関では、重要課題への斬新なアプローチで卓越した成果が次々と世界に発信されていますが、その一方で、数多くの科学館も併設されていて、これらには、食と農の科学館・地図と測量の科学館・地質標本館・つくばサイエンスセンター・筑波実験植物園(いずれも、つくば市)などがあります。市民・県民が最先端科学技術と身近に触れ合える場所であり、とくに若い世代に対しては、科学技術への知的興味を呼び起こす貴重な情報発信基地ともなっています。