随想:「技術の散歩道」シリーズ
O plus E Vol.20, No.4, 1998年4月号 掲載

国際会議に思う

 技術開発で成果が得られたり,世の中にはない新規な装置やシステムの開発が完成すると,その研究者には学会発表という機会が待っている。自分の技術を公表し,聴衆から討論を受けるのである。自分の仕事を世の中に認めてもらういい機会であり,また,他人の発表から世の中の動向を知り,以後の自分の仕事にも反映できる。

 特に海外での発表は,聴衆からの反応も大きく,その後ロビーで何人かに取り囲まれて深い議論が始まることも多い。そこでは,普段は得られない貴重な情報が飛び交うのである。また,レセプションや晩餐会での会話や食事も国際会議の大きな楽しみである。

 英語による最初の発表は誰でも緊張するものである。私の最初の発表はロンドンで始まった。一部始終を書いたメモを見ながらの講演であったが,それ以来,幾度となく場数を踏んだ結果,英語にも次第に慣れてきた。そうなると招待講演・基調講演を依頼されたり,パネル討論にも呼ばれるようになり,外国人研究者と伍して意見を述べることになる。日本人からの情報発信の機会は相対的に少ないから,ときには質問が殺到し,マイクロホンの後に質問者が列をなすこともあった。また,講演を聴いて,もう一度確認したいとわざわざ日本までやってきた人もいた。このように国際会議は人と人とを結び付け,以後の仕事に大きな刺激となるのである。

 学会に参加すると「胸章」が配られ,それを着けて会議に出ることになる。帰国後その胸章を机の引出しに入れていたら,いつの間にか一杯となった。優に100枚は越えているようで,これが今までに私の参加した国際会議の数である。この胸章を見ていると,それぞれの会議の様子が思い起こされて懐かしいが,数が多過ぎて中にはどうしても思い出せないものもある。

 特に思い出深い胸章は,一際目立つ赤色のものである。通常は白地が多いが,これだけが赤いのである。台湾の国内の会議に外国人として一人だけ招待されたときのもので,めでたいとされる赤い台紙が特別に使われ,そこに「貴賓」と書かれている。当時の会場の様子や,晩餐の様子が懐かしく思い起こされるのである。

 かつてメキシコでの学会に招待されたときには,晩餐会のアトラクションは民族衣装を身にまとった若い女性たちのファッションショウであった。美女たちに囲まれて新聞社の写真に収まったりしたものである。帰国後,開催都市のグアダラハラの市長から大きな封書が家に届き,中に賞状らしきものが入っていた。不得意なスペイン語を辞書片手に読んで見ると,私を市の名誉ビジターに認定するとあって市長のサインがあった。もう一度訪問したくなるような,心憎いばかりの配慮であった。

 スウェーデンでの情報処理関係の国際会議のときは,オーケストラの演奏のもと,国王により開会が宣言された。市庁舎でのストックホルム市長主催の晩餐会では貴腐ワインが振る舞われ,初めてのトナカイのステーキに舌鼓を打った。確実に若き日の感動の一つとなった。

 アメリカのモンテレーで開かれた会議では,レセプションが市の水族館を借り切って開催された。何名かの職員とともに市がこの会議のために提供したもので,夜の魚類の生態を,グラス片手に楽しんだりした。

 オランダのハーグでの会議では,レセプションは市の博物館で開催され,民族遺産の数多い展示物を眺めながら,知己との旧交を温めることができた。また,オーストリアのウィーンでは,ウィーンフィルハーモニーの本拠地の荘厳なホールで開会式があり,市庁舎の大広間で晩餐会が盛大に開催された。

 イスラエルのエルサレムでの会議では,晩餐会はベドウインという遊牧民の大きなテントの中で車座になって開催され,中東特有の羊肉のシシカパブを堪能した。また,フェアウエルパーティは,夕刻からイスラエル博物館の中で開催され,有名な世界最古の聖書「死海写本」を拝見した。これはベドウインの子供が,死海のほとりの洞窟から偶然発見したというもので,温度制御の特別室に飾られていた。

 国際会議とはいえ,ときには期待はずれもあった。フランスのパリでは,会議主催者の大きな勘違いで,予定されたレセプション会場には何の用意もなかった。暫く待たされたあげく情報が伝わっていないことが判明し,空腹のまま街に繰り出すこととなった。のちに主催者から詫び状が送られてきたりした。

 このように見てみると,諸外国ではどうやら,歴史的に研究者・技術者の社会的地位が高いらしく,公共の施設を国際会議のために快く提供してくれるようである。しかもそのために,夜でも休日でも,係の人が出勤してくれるのである。これに対して日本では,まだ国立博物館や上野の美術館が技術者の集まりにレセプション会場を提供したという話は聴いたことがない。また,国の要人が開会式に来賓として出席してくれる例も少ない。ましてや都や県がその豪華な庁舎を晩餐会場に提供したという話もないし,知事や市長が外国人参加者に名誉ビジターの証明書を出したという話も聞いたことがない。私も何度か日本で国際会議を主催したが,いつも会議場の選択には悩まされ,晩餐会の場所に苦労するのである。一般にはここぞとばかりに高い費用がとられ,アメリカのホテルのように,宿泊者さえ集まれば会議場はただで貸してくれるようなところは皆無なのである。

 国際化が叫ばれ,技術立国を標榜する日本で,一番熱心に国際化を果たし,国の発展に大きな寄与をしてきたのは技術者集団であるように思う。にもかかわらず技術者の社会的立場は,いま一つ低いようである。どうやら日本は遅れているのかも知れない。あるいは,まだ私たちの努力が足りないのかも知れない。

          江尻 正員(工学博士)
          鞄立製作所中央研究所