一 言 集  
 武生一中時代の思い出
嶋本満子
 生徒玄関前にあった杉木立の小道。そこから見上げると杉の緑、どこまでも高い空の青さ。とても好きな場所でした。

    ――(主婦、福井市在住)―― 
中山絹枝
 一中を卒業後、好きだった算盤と簿記の知識を身につけ、あるスポーツ用品製造会社の事務の仕事に従事してきました。現在は自営業者として、それが大いに役立っています。26会という素晴らしい同級生の方たちは、私にとっての宝物です。 

    ――( 主婦、足立区在住 )――
小泉誠二

1年のとき珠算部に入り、最初はなかなか思うように出来ず、苦労しました。廊下に張り出されたテストの成績が上位に入ってからは、少しずつ自信がついて行きました。通学時にも数字の暗算を、歩きながら繰返したことを記憶しています。

 写真は当時の珠算部の様子です。米野先生の読上算で、最前列が私、2列目左から福井・高柳・菅沼・高坂君、3列目左より羽柴・永田君です。

 もう一つの写真は2年のときに校門前で撮った珠算部の仲間たちです。城戸・菅沼・三浦・米野の各先生と一緒です。



米野先生の読上算


珠算部員

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 また、3年のとき、学年末にサイン帖を廻して、担任の藤木先生から一言書いてもらったことを懐かしく思い出します。先生から「何か一つ見つけてがんばりなさい」と言われた言葉が記憶にあって、今までがんばってこられました。 

    ――(元 株式会社 ユーカリ社、奈良市在住)――
千秋利一

 最近、片山君から一通の案内が来て、この文集に何でもいいから書けとのことなので、以下に一中時代の思い出も含め、最近感じていることを綴ってみます。

 この前、武生駅前の平和堂にて、今回の発起人の一人である江尻君と偶然に出会いました。仕事で福井に来て、翌日墓参りをしてから東京に帰るのだとのこと。同窓生であるがゆえにお互い気軽に言葉を交わせられるし、このようなほんの一時の出会いでさえ非常に嬉しく、また懐かしく思えるものであることを実感しました。

 私たちが一中に入学したときは校舎もまだなく、入学後、年ごとに少しずつ校舎が建つという状況でした。当時、指導部の菅沼先生が木刀を持って校舎を巡回しておられたことを鮮明に思い出します。あの時代は不登校とか殺人事件ということにはまったく無縁の「良き時代」ではありましたが、ひょっとして木刀の威力もかなり高かったのかも知れないなどと思ったりもします。

 私の担任の袖岡先生は、朝礼に遅刻すると、1時間目の授業が始まるまで、水を一杯入れたバケツを持って廊下に立たせるという厳しい先生でした。ところが反面、進学の日時が迫ってきたときに、「先生の家に来なさい」と私に声を掛けてくださり、夜、家に伺って数学の指導をしていただいたこともありました。厳しさの中にも、暖かく、人情の深いこの先生を私は決して忘れることができません。

 いつぞやの新聞で中曽根元首相が、「今日の日本は物が余り過ぎ、無宗教になって愛国心に欠けている。このような教育は変えなければならない」という主旨の発言をされていました。私たちの中学時代は決定的な物不足の時代。3学期の小寒から大寒へと移るころになってようやく、教室の片隅に石の火鉢が一つ用意されました。上履きの靴も靴下もなく、裸足で過ごすのがあたりまえの時代で、しもやけで腫れ上がった足に藁草履で授業を受けた日々もありました。

 冬の雪がようやく融け、わが家の梅の樹も、みな老いては来ましたがそれでも小さな硬い蕾を付けています。春近くになって白い梅の花が咲き出すころ、決まって思い出すのが前記の「無宗教者が多い」という言葉。若い人はもっと宗教での「教え」というものの大切さを知り、日々の生活の中に活かすべきであると思います。いろんな出会いを持ち、何ごとも自ら進んで積極的に自分のものとすべきであると思われます。

 かく言う私も、実は同窓生との出会いも含め、今までは人との出会いをあまり大切にはして来ませんでした。最近、自分の過去を振り返り、今日まで自分が恩恵を受けたたくさんのこととともに、自分はどうであったかを思い出させてもらったある住職との出会いが、私にとっては大変貴重な体験でした。この出会いで、自分の気付かなったことを聞かせてもらい、苦しいこと、楽しいことばかりでなく、「ありがたいことであった」と気付くことの大切さを知りました。毎月1回はこういう素晴らしい人の法話を聞かせてもらっている昨今です。

 26会のおかげで、同窓生を中心にして、また新たな人との出会いが次々とできていることを深く感謝しています。

    ――(武生市在住 )――

片山登一
 理科の授業中、先生が「今の説明で分かったか? 分からない者は手を上げて質問しろ!」。皆がシーンと黙していると「質問がないということはみんなが理解したということだな」と念を押された。私は、質問しようにも根から分からない。「ヨーシ、それなら」と言いながら先生は出席名簿をめくる。私はこれだけでビビッてしまい、教科書を楯に顔を隠すが何の役にも立たず、名簿の上から5番目という、名指しするには絶好の位置に名前があるので悪い予感が…。

 「オーイ、片山!」。「ソーラ、来た!」と覚悟しつつ、しどろもどろに答えたが、答えの意味するところをどうやら分かって貰えたようで、先生は不安そうながらも首を2〜3回振って「ヨーシ、分かっているようだな」と言われ、恥をかかずに済んだ。

 またあるとき、立たされた私の後部座席のST君から「黒板が見えないよ」とヤジが飛んだ。彼は私を哀れと気遣ってくれ、先生がきっと座らせるものと思ったらしい。あに図らんや「それじゃ後ろへ行って立っていろ!」との冷たい言葉で薮蛇に。いらぬことを言って悪かったな〜と、あとで彼は謝ってくれた。

 試験のあと、先生が「この前の試験で70点以下の者を今から呼び上げるから、呼ばれた者は放課後居残れ」の命令。これも私にとっては胃が痛くなるほどの事態だったが、幸いにも残らずに済んだ。先生が皆の答案用紙を1枚ずつめくりあげながら私の名前が素通りしていった瞬間、高い塀垣に飛びつき、片足を塀に引っ掛け、ぶら下がっている自分の姿が頭に浮かんだりしたものである。

 このような私にも、家に帰れば、厳しいながらも暖かい家庭があった。そのおかげで道を踏み外すことなく、今日まで来ることができた。

 今の人間社会、これだけ乱れた結果、思ってもばかばかしい些細なことで人の命をもてあそんだり、親が子を放置したり、虐待死亡させたりと、空恐ろしい出来事がTV・新聞に出ない日がないほど、日常茶飯事となっている。まさに言語道断。心の乱れたこの時代、「教育は家庭から」が基本。家庭での情操教育・道徳教育・労作教育は、幼い頃からの躾に始まる基本的な教育でもある。


 感受性豊かに積極自己表現の態度を育てる情操教育、骨身を削って楽しく働き、力作の出来上がる喜びを知らしめる労作教育。悪い子供に育ってくれとは誰一人として思わないはず。「親が子供に心の教育を!」、と声を大にして叫びたい。勉強の出来・不出来もさることながら、それ以上に「両親のおかげ」と自覚できる人間への教育が重要。これをせずに放っておけば禽獣と同じであることを、私たちも、親も、生徒も、是非知るべきだと思うがいかが?

    ――(武生市在住 )――


     (写真は、趣味の刀剣を手入れする筆者。真剣との対峙は
      不思議と心を落ち着かせてくれる。)

  

  

 一 言 集  
 わたしの好きな言葉
小木 明
 東京・晴海に住んで40年余り。かつては国際貿易センターがあって、国際見本市や東京モーターショーなどで賑わった街です。近年は都市の変貌で、客船・貨物船の埠頭としても利用されています。

 最近この街に新しい居住・ビジネス複合空間トリトンスクエアが誕生。私は昭和39年に独立し、5、8階建てから、ここの50階建てへと住み変わり、会社も50年近く勤務しました。親からの遺言「辛抱」の言葉を守り通した人生でした。

    ――(晴海トリトンスクェアビュータワー在住)――
姥 秀子
 私の好きな言葉、たくさんあります。「笑顔は人生の最も美しい花」、「ふれ合って励まし合って生きる人生」、「感謝と相手を思う心が自己を輝かす」など。最近では「おしゃれ忘れず毎日歩け、年に7掛け私の年齢」。そうすると今47歳、ちょっと厚かましいですね。 

    ――( 主婦、堺市在住 )――
小泉誠二
 長い人生の間に、たくさんの言葉に出会いました。好きな言葉を幾つか並べてみます。「動と静」、「徳」、「独学」、「人生は物語だ」、「職業に貴賎はない」、「子は親の心を実演する名優である」、等々。

    ――(元 株式会社 ユーカリ社、奈良市在住)――
服部英治
 「塞翁が馬」。人生における災難や幸運は巡り巡って来るもので、予測できないものだから、災難に会ったからといって失望する必要はないし、また一時の幸運に恵まれたからといって得意になることもない、という中国故事からの喩えです。人生万事、心に余裕をもって生きていくことが大事でしょう。

    ――( 服部歯科医院 院長、武生市在住 )―
今川正良
 「順逆一如」。人間逆境のときこそ、自分の本当の能力を発揮することができる。目標達成のため、つねに不変の気持ちで将来を見て、「今やらねば、いつやる」と己を鼓舞し、持てる能力を出し切り、正々堂々と私心なくわが道を行く気力が重要です。

    ――(元 福井銀行 富山支店長、武生市在住)――
江尻正員

「悪夢も夢も夢は夢」。これは私の新造語である。でも言葉としては単純だから、先例がある可能性もある。

 あるとき、人間とロボットの共生を考える国際会議に招待され、その冒頭で「ロボット研究はこれでいいのか」という特別講演を行い、それまでの研究に苦言を呈したことがあった。かなり刺激的だったせいか質問が殺到したが、そのなかで若い日本の研究者から「夢がない」とか「遊びの研究から良い技術が生まれるのだ」という批判意見が出た。どうやら若い研究者層に「夢のある研究とは遊びの研究のことである」という考え方があるように感じ、日本の技術研究の将来に不安を感じたものである。

 私は、過去に遊びの研究から有益な技術が生まれたという事実を知らない。むしろ目的を持たない研究、利用者の喜ぶ顔が見えないような研究からは何も生まれないことを実感として持っている。夢は重要だが、若い技術者が陥りがちな(例えば鉄腕アトムのような)空想科学的な夢だけを追うのではなく、ときには積極的に「悪夢」を見ることも技術の新展開には重要だと思っている。夢よりも悪夢の方が、より実践的な研究課題を提供してくれるからである。

 例えば、新規のロボット技術が開発されて新聞発表されると、その記事の最後に「火災時のような危険作業への応用が可能」などという決まり文句が書かれている。そのロボットの多くは、火にくべれば途端に燃え尽きそうな感じがして、研究としては気になるのである。しかも、電池は大体30分しか持たないので、火が消える前にロボットが死んでしまうのである。夢は見ていても悪夢を見ていない証拠である。「悪夢も夢も夢は夢」であって、悪夢もまた重要なのである。

 若い技術者には、まずは上長から仕事が与えられる。その仕事を無難にこなし、ある程度の成果を得たとしても、それだけで技術者の価値が決まるわけではない。一連の仕事が段落したとき、次に何をやり出すかによって技術者の真の価値が決まる。野球で言えば、勝ち戦を幾つかやったあと、次の大きな試合に臨むときにどうするかである。その時には自分が監督を兼務することになろうし、今までの試合とは一味違う相手とやることになる。すなわち、より魅力のある大きな仕事を自ら提案し、自ら開拓していってこそ技術者としての価値が出てくる。上長から与えてもらった技術分野を、上長の掌の中だけで後生大事に継続するのではなく、より価値の高い仕事を自分で生み出すのである。
 中国の古い言葉に「自我作古」というのがある。「我よりいにしえとなす」と読む。過去を振り返ったとき自分が一番古いということ、すなわち、自分こそが最初に挑戦するのだ、という意味である。

 このように技術者は歴史の創造者であるべきである。自ら言い出し、「有言実行」してこそ迫力ある技術者であり、プロの技術者である。「あれはあの人が初めてやりだしたものだ」とか、「あの人があのときこの仕事を仕掛けてくれたので、今我々は助かっている」と後世の技術者に言わしめるようにでもなれば、まさに研究の達人であり、技術者冥利に尽きることになる。春秋に富んだ若い技術者の「夢」と「悪夢」とに大いに期待したいと思う昨今である。後輩の諸君、技術は面白いよ。技術者が最大限に尊敬される世の中がいずれはやってくる。どうだい、挑戦してみないかい?

 ――(元 株式会社 日立製作所 技師長、所沢市在住)――

  

  

 一 言 集  
 後輩たちへのアドバイス
保坂恵美子
 中学時代に何か一つ見つけ、見つけたことを大事にして長く続けていくこと、そして一生懸命頑張って、誠実な人生を送ることが重要です。人にやさしい心をもってください。歳を重ねても、夢とときめきを忘れないように。

    ――(主婦、杉並区在住)――
高瀬順也
 今の世の中、「赤信号みんなで渡れば…」という横並びの時流に乗る人間が多いけれど、皆が右というときに左に行く勇気と決断を持てる人の方が私は好きだ。 周りから「変った奴だ」と言われたっていいじゃない。やりたいことに挑戦し続け、自分のために自分の責任でやってこその人生なのだ。「逃げるな」、「ごまかすな」、「あきらめるな」。たくましい心で「挑戦心」を持ち続けて進んでいって下さい。 

    ――( 有限会社 タカセ 代表取締役、台東区在住 )――
姥 秀子
 人生には不平や不満がつきものです。ところがそれを口に出す人、出さない人がいます。すべて口に出したら世の中暗くなってしまうでしょう。悩んでばかりでは前に進みません。すぐ行動すること、それが問題解決の第一歩。マイナスをプラスに変えられる人生を皆さんも是非歩んで下さい。 

    ――( 主婦、堺市在住 )――
岡田恵美子
 私は戦争疎開者でした。幾多の弊害があって、学業に目覚めたのは一中の3年頃でした。しかし念願達成は34歳の時、遅まきながら高校に入学し、夢中で勉強しました。今にして思うこと、「鉄は熱いうちに打て」です。中学で習ったことが一番鮮明に心に残っています。

    ――( 主婦、横浜市在住 )―
服部英治
 平成16年末、一中のふれあいルームで学校保健委員会が開催され、各校医も集まり「知って予防しよう生活習慣病」というテーマで話し合いました。教諭と生徒の熱心な討論に感動し、恵まれた環境で十分な知識を学ぶことができるということで我々の時代よりも大きな進歩を実感しました。社会に出てからも中学時代に培った勉強を土台にして、いろいろな方面で活躍して欲しいものです。

       ――( 服部歯科医院 院長、武生市在住 )――
池田 温
 (1)やりたいと思ったことは貫こう。しかし、がむしゃらになるだけでなく、人生の波を俯瞰しながら、つねに目的を見失わずに進もう。
 (2)どんなかけひきも「まごころ」には勝てない。ものごとには誠心誠意当たること。といって馬鹿正直になれというのではない。ものごとは成就して、はじめて価値となることを忘れないこと。

    ――( 武蔵野音楽大学 教授、国分寺市在住 )――
大滝 寛
 幼少の頃から、電気、機械いじりに興味を持ち、小学校のとき初めて鉱石ラジオを組み立て始め、真空管式のラジオ・アンプなどを組み立てて、音楽番組などを聴くことが喜びでした。

 中学校時代は、合唱部で楽しく声を合わせ、放送部に入って文化祭(学芸会)では、放送、照明技術などを担当しました。高校時代も、合唱部、放送部に所属、そして演劇部では、もっぱら舞台裏を担当しました。大学に入ってからは、写真部、タンゴバンド「オルケスタティピカ名城」に入り、各地へ演奏に出かけ、いろんな人との出会いがあり、充実した日々を過ごしました。

 そしてぜひ趣味を生かせる仕事に就きたいと、当時の民放ラジオ局に就職、テレビも開局し、学生時代からの趣味がラジオ・テレビ番組制作にも活かすことができたと思います。

 こうして歩んできた70年近くを振り返ってみると、社会の情勢が大きく変動しても、確固たる自分の信念・目標があったので生き抜いてこられたと思います。名誉や地位などなくても、今自分の人生に満足感・成就感を感じています。

 未来ある君たちは、何か自分にあったことを見つけ、チャレンジすることで視野を広げ、チャンスを掴み、また人とのコミュニケーション力を身につけることで自らの道が開けると思います。

 ますます厳しい時代を生きることへの意欲をふくらませ、心ゆたかに生きてほしいものです。 

    ――( 元 福井放送株式会社 金沢支社長、
        元 財団法人 福井カルチャーセンター
        理事・事務局長、福井市在住 )――
今川正良
 物事の大小、お金の大小を問わず、つねに公を優先し、私的事項はすべて自らが対処し、責任ある対応をなすことが大切である。とくにお金にはキチンと対処すること。たとえハガキ一枚でも自分が支払い、公私混同をせず、他の模範となることが大切である。

    ――(元 福井銀行 富山支店長、武生市在住)――
岩井 仁
 バブルが弾けて以来、考えられないような衝撃が日本を襲い、大銀行や大手と言われる企業が倒産や経営不振に陥りました。そして、いつ抜け出せるか解らないほどの不況の波が経済界・産業界を襲い、企業は生き残りのために合併やリストラを行いました。多くの人が職を失い、終身雇用制が崩壊して、学校を出ても定職につけない若い人が多いという不安定な社会へと変わってしまいました。しかしここ数年来、大企業も中・小・零細企業も、企業努力で改革をやりとげて、景気がわずかながら上向きになり、若い皆さんにとっても希望が持てる社会になってきました。

 私たちが社会に出たころは、経済成長が始まろうとしていた時期でした。私たちは皆仕事一筋、ときには家庭をも顧みず、働き蜂といわれた仕事人間でしたが、この蜂たちが日本の成長に大きく貢献し、低開発国といわれた国を一気に世界一の技術超大国へと押し上げました。あの戦艦大和を作り上げたノウハウを駆使して世界に先駆けて十万トンを超えるタンカーを造り、組立技術の高度化で半導体開発力・生産力は世界一流となり、ライセンス生産から始まった自動車産業はいまや品質・生産台数ともに世界トップに迫るようになりました。日本人は、自らの知恵と努力で開拓した高度技術を、世界全体の繁栄や安定に積極的に使うことを実践し、世界をリードしてきたわけです。

 将来日本がどう変化するのか予測は出来ませんが、今しっかり勉強していろいろな知識を身につけるとともに、何ごとにも一生懸命努力する心があれば、世の中がどう変わろうと対応出来ると思います。今後皆さんが進む道は、私たちのときもそうであったように、決して平坦ではないはずです。ときには壁に突き当たって失敗することもあるでしょう。でも一度や二度の失敗にくじけないで、つねに挑戦の心で困難に立ち向かってください。

 社会に出るということは、職に就き、栄誉ある構成員として社会に貢献することです。企業は少数精鋭で今の時代を乗り切ろうとしていますから、企業が選抜する条件は、今後の世界規模でのビジネス展開を視野にして、

  ◆ 語学力のある人
  ◆ 努力を惜しまず、知恵を出せる人
  ◆ 協調性があり、柔軟な人
  ◆ 勤勉な人

ということになるでしょう。すなわち、今、皆さんが学校で教えてもらっていることそのものです。学校では、「規則を守り、過ちは決して犯さず、まじめに勉強しなさい」と言われていると思います。社会に出てルールを守れず、身勝手で協調性がなければ、人としてまともな人生は送れません。将来それぞれが世の中に貢献できる人になるよう教えているのです。

 皆さんが将来大きな決断をしなければならないときには、周囲のこと、親や家族のことをよく考えて行動してください。人は一人では生きていけないものです。そして、友達と仲良く、良いところをお互いに尊重し、これからの長い人生を支え合って下さい。私たちはこの歳になっても、会えば自然に15歳の懐かしいあのころに戻り、遠慮なく、言いたいことを言いあって楽しんでいます。そして今、同級生皆で、この文集制作という大きなプロジェクトを立ち上げ、成功させるためにがんばっています。


 このような友人たちに囲まれて私たちは幸せです。一中の同級生は生涯の友です。同級生のうち、私たち関東支部所属の会員は、遠く東京やその周辺に住んでいますが、皆さんに、何か卒業生として出来ることがあれば、力になってあげたいものと思っています。若い皆さんのこれからの人生が、幸多いものとなるよう祈念しています。

  ――( 有限会社 岩井製作所 代表取締役、大田区在住 )―