経営に役立つ経理業務の推進

青 山 壽 一
   社団法人 日本複写権センター

   元 日本ビクター株式会社
混成部門では、人間味が最も重要!

「新設業務は青山」と言われて34年。「和」を大切に、難局ではとくに「おかげさまで」を忘れないよう心掛けた。

武生26会会員。1952年武生第一中学校卒業。武生高等学校を経て、1959年青山学院大学経済学部を卒業し、その後さらに1961年産業能率短期大学事務能率科を卒業。同年日本ビクター株式会社に入社し経理業務を担当。同社並びに関係子会社のレコード、ビデオソフト部門の経理業務に携わる。とくに新設部門、新設子会社の立ち上げと、そこでの管理部門の体制作りに奔走。1996年同社を定年退職。同年社団法人日本複写権センターに転じ、現在に至る。

私の業務概要

 昭和36年、縁あって日本ビクター(株)本社経理部財務課に入社した。受取手形管理や全社の資金管理の業務を経て、昭和41年、同社仙台レコード営業所に転勤し、経理責任者となった。この転勤が事始めで、以来定年までの34年の間に、転勤は12回を数えた。社内新規事業部署の開設で初代を担当したのが3部門、子会社出向5回のうち、新会社の初代担当が4社と、「初代」を数多く歴任してきた。

新しい部門・新会社への転勤が続くと、社命とは言え、さすがの私も「なぜだ」と人事部門に問いただしたりしたが、「新設業務は青山が適任」と言われると、くすぐったい感じでそのつど引き受けざるを得なかった。このことで、家庭を犠牲にしたこともしばしばあったことは否めない。以下に、経験した新設子会社のうち、特徴ある会社2社を紹介したいと思う。

メディア会社の新設

 その一つは社名を「(株)パックインビデオ」といい、昭和45年8月に設立。株主構成は日本ビクターのほかに東京放送、松下電器、電通、テイチク、凸版印刷、学研、東映、毎日新聞の計9社であり、営業内容は録画済みビデオテープ、ビデオディスク、パソコンソフトなどの企画・制作・販売であった。

新会社設立と同時に経理責任者として管理部門の仕組み作りに従事。この会社は日本ビクター、東京放送、電通からの出向者で構成され、それぞれの親元会社の社風・規則・給与水準などが異なるため、何回か座礁しそうな局面もあった。混成チームゆえに誰かが孤立したりチームワークに欠けたりしないよう、無機質な業務の中にも最大限に人間味を出すことに留意して、周りや出資会社の信頼に応える努力の毎日だった。

時代はニューメディアの幕明け。ビデオ機器は放送・業務用から民生・家庭用にシフトされ、パッケージ系ソフトの企画・制作、そして発売が待たれるときだった。とくに出向者の親元の本社経理局へは、月に何回も足を運んで仕組み作りに奔走。日夜、創意工夫と体力で何とか乗り切ることができた。人間は試練を受けると成長すると言われるが、私にも当てはまったかどうかは判らない。結構ストレスの多い時代でもあった。

物流会社の新設

もう一つは社名を「日本レコードセンター(株)」といい、設立は昭和53年3月。営業内容はレコード、音楽テープおよび録画済みビデオテープなどの保管・配給であった。設立時点での取扱いメーカーはビクターのほか、キング、テイチク、日本フォノグラム、トリオで、各社の商品保管と配送の協業化を担う会社であった。

設立1年前には本社企画室に所属し、「音楽事業物流新会社設立準備事務局」としてのプロジェクトを経て、新会社設立と同時に出向し、経理責任者を拝命して物流会社の経理システム体制の構築と運営に従事した。

ソフトビジネスの一番難しい問題は商品在庫管理であるが、当時、「販売価格維持制度」により、小売価格を維持することが認められている業界でもあり、売れ残ったからといって値下げ販売をすることは許されなかった。見込み生産して売れ残った在庫はメーカーが抱えることになり、ビジネスとしては利益を圧迫することになる。そのため、当時としてはまだ新しかった「販売時点情報管理システム(POS)」の導入が必須となった。このシステムのための設備やプログラム開発などへの投資資金捻出問題が顕在化し、新会社管理システム作りと同時進行となったが、幸い、日本ビクター、テイチク、キング、日本フォノグラムからの出向社員との「和」も維持でき、信頼に応えることができた。

経営の羅針盤

日本ビクター34年の在籍の中で、企画・制作・録音録画編集・販売・配送・物流などの部門やセクションを一通り経験した。この間、一貫してレコード・ビデオソフトの経理業務に携わったわけであるが、ただ惜しまれるのは、製造部門だけが未経験だったことである。

一般に経理というと、重箱の隅をほじくり、嫌がられる職種と思われがちだが、決してそうではなく、経理は「経営の羅針盤たれ」というのが基本である。しかし私自身は、正直に言うと羅針盤どころか、難局に直面して判断に迷うこともしばしばあった。そんなときにはとくに人の和を大切にし、「おかげさまで」を忘れないよう努力した。おかげで仕事を全うでき、何がしか世の中のお役に立てたと思う。

日本ビクター時代の筆者。
経理オフィスの自席にて。
(平成43月)

定年退職後は、平成3年に任意団体で発足した日本複写権センターに平成8年から勤務し、社団法人許可申請業務の一部を早速担当して、平成10年10月、文部大臣より社団法人の許可がなされた。日本ビクター在籍中の新しい部門・新会社作りのノウハウが大きく寄与したことは言うまでもない。現在もこの(社)日本複写権センターの会計担当として在籍中である。

以上が、私の業務上の体験である。これらの業務を通じて私は「経営に役立つ経理」ということの重要性を嫌というほど学んだわけである。

読解力を

さてここで、越の国、国府の置かれた古里の健児たちに、私の願うことを書き連ねてみようと思う。

 平成16年暮だったか、経済協力開発機構(OECD)が世界40ヶ国、15歳以上を対象に実施した生徒の学習到達度調査で、「日本は学力が低下している」、「下げ幅は日本が最大」、「文部科学省は危機感を持つ」と報道されていた。とくに文章を読み、理解すること、すなわち「読解力」の低下が著しいという。

文章として何が書かれているかを理解できなくては、国語はもちろん、数学や理科の問題も解けない。外国語も然り。当然、学ぼうとする意欲や気持ちが萎えてくるようにもなる。

読解力をつけるには、本や文章を読み、著者の主張するところ、意図するところを掴み取る練習が必要と思う。現在、出版業界は全般に低調で、販売額は前年割れが続き、とくに若者の本離れは、携帯電話・インターネットの利用に読者を奪われているからだという。何も堅苦しい本でなくてもよい。とにかく文字離れしないよう「読書の習慣」を付けることが重要に思う。

夢を持とう

読書と同様に、夢を持つこともまた重要である。夢を持ってこそ大きく成長する。しかし世の中には「夢はとくにないが、楽をして暮らしたい」という若者が多いという。寂しいかぎりである。何でもいい、何か一つでも夢を持って欲しい。友人と夢を語り合うのも良いのではないか。

私の中学時代は、教材は教科書のみだった。校内図書室はまだ貧弱で、市立図書館には蔵書が少なかった。現在のような視聴覚教育教材も乏しく、まして補助教材も入手できなかった。最近では、映像、電波媒体、書物の文化も十分に整い、言わば恵まれた環境にある。私の学習時間はもっぱら登校時。自宅は農家のため、家業の手伝いで精一杯だった。中間考査、定期考査が近付くと街の子がねたましく思うこともしばしば。それだけに授業時間を真剣に受講した。そして夢についても真剣に語り合った。

 若い諸君には「何のために学習するのか」を自問自答し、また夢を持って目標に一歩一歩前進して欲しいと思う。夢に近付くごとに感じられる嬉しさは計り知れない。

 花木の成長を見る。若木のときは根回りに肥料を施し、枝に葉を伸ばせられるように主幹となる枝を選び、時には病虫害駆除もし、注意して見守る。もちろん植える場所の土壌、日当たり、風通しなどの環境への気配りは基本である。花や実をつけるころにはその花木に相応しい施肥や枝の剪定をする。人間の足音も肥料のうちと言われる。そして見事な花を咲かせてくれる。幹に貼り付いた苔のごとく、老木になればそれなりの良さが出る。添え木や支柱をすることも重要だ。このように花木の成長を人の生き様と重ねてみることがある。今の若木はもちろん後輩の君たちであるが、いずれ若木を育てるのも将来の君たちの仕事だ。

 教育者・教師でもない私が、まして他人の子女に意見を述べる資格はないことは重々承知している。私自身、功成り名遂げたとも、尊敬される人物になり得たとも決して思っていない。砂浜の目立たない一粒の砂であろうと思う。そういう一粒の砂の立場から、歴史ある国府の健児たちに一言、思いを述べさせて貰った次第である。