はじめに
人間の一生の中で最も多感で生命力旺盛な中学時代を、26会の皆さんとともに過ごせたことを大変誇りにし、喜びの思い出を噛み締めながら今ここにペンを執らせていただいております。
26会同窓生には理系の方たちが多かったと言われる中で、それが大の苦手であった私がこの文集の仲間に入れさせていただいているだけで、大変恐縮しております。
私は、3歳から習い始めたお稽古ごとの日本舞踊を、幼稚園・小・中・高校と続け、大学在学中に名取資格を取得しました。社会人(地方公務員)を定年になった今も、趣味として踊り続けております。
その地方公務員とは、管理栄養士の資格で県民の健康づくりに寄与しようとするもので、県内の保健所や、県庁の健康増進課の健康づくり担当者として、40年近く勤めました。
管理栄養士として
昭和39年から勤務した保健所では、病院・事業所などでの集団給食施設の栄養・給食管理指導や、赤ちゃんや高齢者の検診時の栄養指導や、さらには栄養指導車(キッチンカー)による各地域での料理講習・講演などで、県内を巡回して通算25年間がんばりました。
また県庁では、医務薬務課の栄養係や健康増進課において、健康増進のための設備・備品の予算確保、人材の育成などに従事し、スタッフ・家族の協力も得てずいぶん奮闘してきました。とくに昭和58年の「老人保健法」制定当時は、健康づくりグループの係長として県内35市町村への行政指導に、病気を押してまで出向いて責任を果たしたこともありました。
保健所時代に、一般主婦の方々を対象に健康づくりボランティアグループ「福井県食生活改善推進員」を養成し、現在県内で千数百名に及んでいます。この方たちには、私たち栄養士の片腕となって各地域でがんばっていただき、今でも私が時々講師として依頼を受ける講習会などで協力して頂いております。
一方、健康づくりや臨床栄養のプロの集団である「社団法人福井県栄養士会」の育成指導も、県の栄養業務担当職員の大切な仕事の一つでした。在職中には県栄養士会の「行政栄養士協議会」の会長や理事として活動しましたが、退職後は、「地域活動栄養士協議会」の会長や日本栄養士連盟福井県支部長として活動しております。
管理栄養士として長年勤めたことで、定年後も母校武生第一中学校の学校給食業務に関わることとなりました。他にも武生市の「男女共同参画推進会議」の座長を務めるなど、市のボランティア事業に励んでおりますが、市民の理解を得ることにいろいろと苦労しております。
武生市では平成15年に全国に先駆けて「男女共同参画推進条例」を制定し、男女平等社会に向けて地域作りを進めており、私もその事業の一つ「男の台所」で、男性の栄養学・料理講習の講師としてお手伝いさせていただいております。家の台所が女性の持ち場であるといった固定観念をなくしていくには、残念ながらまだまだ時間が掛かりそうですが、回を重ねるごとに男性の参加者が増えてきていることは喜ばしい限りです。
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社団法人 日本栄養士会 地域活動協議会の全国会長会議にて。左端が筆者。(平成14年)
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40周年記念舞踊会で終演挨拶・手打ちをする筆者。中央白い着物。武生市文化センターにて。(平成12年)
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ブラジル「日本祭」に参加した筆者(右端)。(平成15年)
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趣味のこと
定年までは子育てとともに、余暇には日舞の子弟育成を続けてきて、無我夢中で一生懸命な日々の繰返しであったように思われます。趣味として好きで続けている日舞では、教授資格(師範)の試験を受け、舞踊師匠として子弟の指導に当たってきて早や45年、今年16回目の発表会を予定しております。
また、私自身の日舞はもう60数年、それぞれの時代の子弟関係を振り返ってみると、世の移り変わりと学校教育のあり方との関係が日舞の中にも現われているような気がしてなりません。ここ数年の小・中学校のお弟子さんの、お稽古時に指導を受ける態度を見ていると、私たちの一中時代のような一生懸命で誠実な姿が懐かしく思われるほど、師弟関係にゆがみが感じられます。日本人が日本の心を守る手段の一つとして、伝統文化に触れることが大切であるといわれ、最近学校教育の中にも和楽器が取り入れられております。その意味でも日本古典舞踊の伝承は、地域活動の中でも受け入れられやすい文化の一つではないかと思われます。しかし若い人たち、またその子供たちの文化に対する考え方には、私たちとやや違ったものがあり、師匠と弟子の関係も、まず「教えていただく」という態度から学ぶ必要があるような気がします。
「ゆとり教育」が取り入れられ、学力低下などの問題が挙げられておりますが、ゆとり教育の中で得られるはずの情緒教育にもまだ問題が残されていると思います。今も昔も変ってはならない人間の正しい生きざまを、日本伝統文化に触れることにより少しでも身につけることができるのではないでしょうか?残された老後の人生を生涯踊り続けることで、子弟の心の中に、生活に対する自信と日本人の心を取り戻す光になれれば…と願っております。