視覚技術・ロボット技術の開拓
江 尻 正 員
横断型基幹科学技術研究団体連合 副会長
科学技術振興機構 専門委員
元 日立製作所 技師長
元 日本ロボット学会 会長
10年の執念が生んだ世紀の新技術
機械に目を付けてみたい。視覚情報処理技術への果敢な挑戦が、世界で初めて半導体の自動組立を可能とした。
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武生26会会員。1952年武生第一中学校、1955年武生高等学校、1959年大阪大学工学部機械工学科を卒業。同年(株)日立製作所入社。中央研究所にてロボット工学,パターン認識,画像処理などの研究に従事し、2003年同社技師長を最後に退任。この間イリノイ大、東大、東工大、早大、電通大、福井大などの非常勤講師・客員教授や、国際パターン認識連盟の副会長・日本代表理事、社団法人日本ロボット学会会長などを歴任。工学博士。米国電気電子学会などのフェロー。著書は人工知能(昭晃堂)など、多数。 |
東京駅から西に電車で約40分、そこに国分寺という市があります。その昔、武蔵国国分寺が建立されたところで、私たちの郷里武生とも共通した歴史を持っています。その一角に、緑と水に囲まれたわが国有数の民間研究所「日立中央研究所」があり、ここが私の44年にわたる研究活動の主たる舞台でした。
昭和34年、大学を卒業した私は勇躍この地に赴任し、メカトロニクス制御の研究を始めました。大学で勉強した機械工学を基盤にして、もっと新しい学問分野を切り拓いてみたいと思い、この自動制御という未知の分野を歩み始めたのです。最初に挑戦したのは、原子炉などで危険な物質を遠隔から操作するためのサーボ・マニピュレータ、すなわち「機械の手」の開発でした。これはその後のロボット技術の源流ともなったもので、私はこの研究で工学博士の学位を得ました。
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| 放射性物質を取り扱うための電動式サーボマニピュレータ(左:従動側 右:主動側)。通称マジックハンドと呼ばれ、その後のロボット技術の源流となった。(昭和38年) |
次いで「機械の目」の研究にも着手しました。当時、半導体工場では、多くの女性作業員が顕微鏡を覗きながら手作業でトランジスタの組立をやっていました。大変繊細かつ過酷な作業でしたので、これを何とか自動化しようと考え、2年がかりで装置を試作しましたがみごと失敗してしまいました。女性作業員の目と同じ機能を、工学的に実現するのが大変難しかったからでした。以来、機械の目の実現が私の大きな技術目標となったわけです。
そのため米国イリノイ大学に留学し、まずは「猫の目」の研究をやることにしました。中学時代のクラブ活動で郷土の大きな立体地図模型を作ったときや、緑一色の竹薮風景の大作を描いたときと同じように、不得意なこと、やったことのないことでも、努力さえすれば必ず出来るはずだという信念が、生体工学という、今までの専門とはまったく異なる分野に跳び込む勇気を与えてくれました。この猫の目の研究を通じて、機械の目が何とか実現出来そうな感触を得ることができました。
帰国後すぐ、計算機にTVカメラを接続して、目を持った「人工知能ロボット」を実現しました。このロボットは、組立図面を見て自分で仕事の目的とやり方を判断し、机上にばら撒かれた積み木を見付けて、図面通りに自動的に組み立てるというものでした。当時、わが国最初の人工知能ロボットということで、大変な評判となりました。昭和45年のことです。この成功が先鞭となって、わが国のロボット技術開発への機運が一層高まりました。
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| わが国最初の人工知能ロボット。ロボットが自分の目で外界を認識して、自動的に積み木細工を行なった。昭和45年秋、日立技術展で公開し、翌年にはロンドンでの人工知能国際会議で発表して評判を呼んだ。 |
私はこの知能ロボットでの経験をもとに、いよいよ、以前に失敗したトランジスタ組立に再挑戦することにしました。トランジスタの位置を検出するための、ミクロン精度の目の実現がやはり最大の難関でした。検出の精度が不十分で、途中で挫折しそうなことも何度かありましたが、同じ失敗を2度繰り返したくはないという思いで克服し、今度はみごと成功にこぎつけました。目を持った世界最初の生産機械の誕生でした。10分の4ミリ角という小さなトランジスタを、1秒に1個ずつ次々と配線して組み立てるという、素晴らしい機械となりました。昭和48年、最初に失敗したときから数えて10年目のこと、まさに「10年の執念」の成果でした。
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| 世界最初の全自動トランジスタ組立機(昭和48年)。視覚を持ち、パターン認識技術により微細なトランジスタの電極位置を自動的に見付け、そこに金線を配線する。50台の機械が1台の計算機で群制御された。現在ではさらに小型・高性能へと改良された機械が、世界中の半導体工場で活躍している。本装置はその先鞭となったもの。 |
このトランジスタ組立に続き、ICやLSIの自動組立にも成功し、半導体全般の生産自動化が完成しました。私はこれらの成果を英語の論文にして、国際会議や学会誌で発表しました。その結果この技術は瞬く間に学界・産業界に広がり、世界の常識となりました。今もこの技術は世界中で広く使われ、高信頼度の安価な半導体製品を数多く市場に供給する原動力となっています。まさに、世の中を変えた大きな成果でした。これらの研究で、機械振興協会賞、科学技術庁研究功績者顕彰、新技術世界百選、日本産業技術大賞など、内外から多くの賞をいただきました。
その後も、4年間の滞米研究生活を挟み、視覚技術を中心としたロボット技術の開拓と、その産業への応用を数多く手掛け、「工場の自動化」に加えて「オフィスの自動化」も計りました。たとえば銀行の現金自動預け払い装置(ATM)も私の仕事の一つでした。これは紙幣を鑑別するための目を持った装置です。
また、あまり一般には馴染みがないかも知れませんが、新型郵便区分機も私が手掛けた装置の1つです。3桁の郵便番号が7桁に替わったのも、当時、郵政省の技術委員として活動していたときに決めたことでした。この区分機には、葉書や封書の住所氏名を自動的に読む目が付いていて、行き先別に自動的に分類したり、配達して回る道順通りに、郵便物をあらかじめ自動的に並べ替えたりします。とても知的で、まさにメカトロニクスの最高峰とも言える機械となりました。
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| 新型郵便区分機。郵便番号7桁化に対応して開発したもの。宛名を高速に読んで自動的に仕分けることができる。道順組立も可能。1秒間に10通以上の処理能力がある。(平成8年) |
このような視覚技術の広範な研究実績によって、国際学術機関の中枢としての役割を委任され、世界を股に活動する機会もありました。平成13年には社団法人日本ロボット学会の会長にも推挙されました。そして、学術の進展に向けた多くの施策を練り、実践してきました。すでにロボット大国へと発展したわが国の国際的地位をさらに堅固にするため、種々の努力を重ね、過日、すべての任務を無事終了し、退任しました。
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パターン認識国際会議の晩餐会で、視覚情報処理分野への貢献により
フェローの称号を受ける筆者。ウイーン市庁舎にて。(平成8年) |
現在、ロボットの技術分野では、日米欧を中心に多様な研究が展開されています。とくに2足歩行ロボットは、日本がリードする優位技術の1つです。この分野は一見華やかに見えるかも知れませんが、実は問題が山積しています。何に使うか、何に使えるかが最も大きな課題であり、たとえば災害時の救助用や、福祉・医療現場での看護用が有望視されています。工場やオフィスの自動化に続き、このような「社会の自動化・知能化」を通じて「安心社会」を実現することが、私たちロボット研究者の次の夢となってきました。若い皆さんの力で、私たちの意志を継いで、もっと役に立つ機械、もっと素晴らしい世の中を作ってくれませんか。期待しています。

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