昔日のわが家
昭和27年4月、私は武生高等学校の普通課程へ入学した。初めは商業課程へ進もうと思っていたが、願書を書いていると兄が「普通科へ行かんと受験できんぞ」と言ってそれを書き直した。当時兄は浪人中で、午前中は親父の仕事を手伝い、午後は受験勉強をしていた。
私の家では、昭和9年に父が活版印刷業を始めた。職人3人と、父母と、父の弟の計6人が、当時印刷機1台で家が建つと言われた時代に、印刷機2台と活字を揃えて、寝る間を惜しんで仕事に精を出した。私たちは、次の子供が生れると次々祖父母に預けられた。手が掛からなくなるとまた父母のもとへ戻り、幼稚園・小学校へと通った。弟・妹が生まれ、仕事も順調であったが、太平洋戦争が激しくなり、職人も叔父も出征して戦死してしまった。ようやく終戦となり、幸いにも機械は残ったので仕事を再開した。下の弟も生まれ、兄弟妹と5人となったが、父母の努力で戦後の混乱と食糧不足の中を乗り切り、少しずつ戦後復興が進んだ。
家業を継ぐ
兄は旧制武生中学一年で終戦となり、新しい教育制度のもと高校へ進んだ。父は、兄が高校卒業後は当然仕事を継いでくれて、今までの苦労が報われやっと一息つけるものと思っていた。そんなある日、兄が東大を受験したいと言い出した。明治生まれの父は家の仕事を継ぐのに学問はいらないと反対したが、「受験に失敗したときは仕事を継ぐ」との条件で受験を許可した。しかし兄は入試に失敗。その後、再度挑戦したいと言い出し、母のとりなしで半日づつ仕事の手伝いと受験勉強を続け、翌年京大に入学することができた。チャブ台の前で頭を下げている兄と怒鳴っている父を見て、「俺が仕事を継がんとあかんなぁ…」と感じていた。
高校を卒業して、私は名古屋市郊外の印刷工場へ住込みで入社し、2年半の修行を終えて帰郷した。かくして2代目としてこの街でのスタートを切ったが、兄も2人の弟も、大学を卒業するとそのまま都会で就職した。
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家業の印刷業を継いだ2代目社長の筆者。
有限会社ヒラノ印刷のオフィスにて。(平成16年) |
故郷に在りて
以来40数年、その後の日本は世界に冠たる経済大国となり、我々の生活はみるみる豊かになった。しかし一方で失ったものも実に大きい。「故郷は遠きにありて想うもの」と言う。幼いころ遊んだ山や川は美しく、一緒に遊んだ悪童たちは懐かしい。が、故郷も変っていった。悪童たちも白髪頭になったのだから、変っていくのは当然と言えば当然、美しく懐かしい故郷は、全国到る所でなくなっているのが現状である。
たしかに山も川もあるにはある。しかし、火祭りに登った日野山も鬼ヶ岳も、かつて水浴びをしたり鉤針で鮎を引っかけたりした日野川や吉野瀬川の清流も、今では昔の面影がなくなってしまった。薪を切り出し炭を焼いた里山は荒れ果てている。自然ばかりでなく、時の流れは市内の商店街の元気をもなくし、郊外に出来た大型店に押しつぶされようとしていて、かつての美しい松並木と町用水はセピア色の写真の中にのみ存在する。故郷は、故郷を後にした人たちだけではなく、ここに暮らす人々のためにも在らねばならないのだが、我々は故郷を十分守りきれないでいる。
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| 冬の日野山と日野川の風景。日野山は越前富士とも呼ばれて、市民から親しまれている。しかし自然は、見えないところで少しずつ変貌を遂げつつある。 |
自然環境の保護
私は今、休日の多くは山登りに行っている。体力維持のため妻や友人たちを誘って近くの山々に登ったり、年2〜3回は百名山や北アルプスの山々にもアタックしている。中高年の登山ブームと言われる昨今は、県内の山々でも、京阪神や中京方面からの登山者に出会うこともそんなに珍しくはなくなった。自然の中に返るのは人間の本能であり、その中に子供のころ遊んだ故郷の山や川のイメージが重なっているのかも知れない。しかし登山道も里山の自然も、手を入れないでおくと荒廃が進み、植林しても手入れをしない杉林は山崩れの原因にもなっている。過疎はこれに追い打ちをかけていて、美しい日本の国土、故郷が年々その姿を変えて来ているのは残念である。
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| 武生盆地を潤す日野川の源流、「夜叉ヶ池」。標高1100mにある周囲203mの小さな池。この自然を、未来永劫にわたり守っていきたいもの。 |
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| 夜叉ヶ池に棲む国内希少野生動植物種指定の「ヤシャゲンゴロウ」。 |
一昨年、友人とともにボランティアで「夜叉ヶ池パトロール員の会」へ入会した。この池は、泉鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」で有名な標高1100メートル、周囲203メートルの小さな池で、福井県と岐阜県の県境の、1000メートル級の山々に囲まれたブナの原生林の中にあり、日野川の源流として流域の人々に豊かな水の恵みをもたらしている。この池に、国内希少野生動植物種に指定されている「ヤシャゲンゴロウ」が生息している。登山者の増加とともに池の周囲の環境が悪化してきたが、これを防ぎ「ヤシャゲンゴロウ」の保護や自然環境保全を呼びかける巡視活動である。年に数10回、県内約30名ほどが数班に分かれ、土・日曜日に交代で廻っているが、マナーの悪い登山者も多くて環境の悪化は進んでいる。
「帰リナンイザ田園マサニ荒レナントス」。
故郷は、遠きに在りて悲鳴をあげている。
今私は挑戦している。美しい故郷の自然を取り戻すために。