思い返してみると、私のVTR(ビデオ・テープ・レコーダー)との45年にわたる関わりの原点は、武生一中・武生高校時代に端を発していた。忘れがたい2つの出来事がある。
1つは同級生の西野英夫君と激しい議論をしたこと。ちょうど学校にテープレコーダーが入ってきた頃である。西野君は「将来はテープレコーダーに絵も入るようになるよ」と言う。しかし、私は理科が好きで、技術的なことも少しは解ると思っていたので、「絵を入れるのは容易なことじゃない。映像信号というのは何メガヘルツというような電波みたいな信号を扱うので、テープの中に入る訳がない」とすぐさま反論した。
だが、西野君も引かない。「おれは難しいことは解らないが、音が入るのだから絵も入るはずだ」「いや、そんなものができるわけがない」
このように、2人で延々と議論したのだった。今となっては、西野君の予言が正しかったことになる。このことは、私が後に技術者としてVTR開発に携わる中で、つねに記憶に留まり続けていた。
もう1つはテレビジョンの生みの親、高柳健次郎先生の著書「テレビジョン」との出会いである。高柳先生は、1926年(大正15年)に世界で初めてブラウン管式受像装置で片仮名の「イ」の字の受像に成功された方。武生一中の図書館に上下2冊の分厚いこの本が所蔵されており、私は興味を持ち借りたのだった。武生の町に小林ラジオ店というラジオ屋さんがあって、ご主人は子供を集めてはラジオ作りを教えてくれていた。
そんなこともあって、私は子供心に「将来テレビがつくれたらなあ」と淡い夢を描いていたのかもしれない。しかし、そこは中学生。高柳先生の本は難解すぎた。「これはダメだ」―。残念ながら読破することなく返却したのだった。
高柳先生は、「テレビの次の商品はVTR」という信念を持って、戦後、日本ビクターでVTRの研究をスタートさせていた。だが、世紀の発明は海の向こう側からもたらされた。世界で最初にVTRを完成させたのは、プロ向けの中堅オーディオ・テープレコーダー・メーカーである米アンペックス社の若手技術者たちだったのだ。1955年(昭和30年)のことである。高柳先生以下ビクターの技術者たちは、このニュースを苦々しく聞いた。ただ、アンペックス社の製品は放送用。日本ビクターでは、「家庭用で何としても遅れを取り戻す」と、VTRの小型化が開発の至上命題となった。
東京工業大学電気工学科を1959年(昭和34年)に卒業した私が日本ビクターに入社したのは、そんなころである。入社3年目、私は、意図せずVTR研究開発チームに配属された。一中時代に手に取った本の「高柳健次郎」という名前がしっかりと私の脳裏に残されていたのだろうか。まさに運命の巡り合わせと感じずにはいられない。
開発チームで最初に与えられたテーマは、フェライト単結晶を使ったビデオヘッドを作ることだった。フェライトは日本で発明された電子材料で、硬くて強力な磁性材料なのに電気を通しにくいという特徴がある。フェライトを単結晶に仕上げる技術を横浜国立大学の船渡川善哉教授が発明されていたので、最初は有り難いテーマをもらったと思っていた。
3ヶ月もしないうちに最初のヘッドが完成した。性能も良く「これで一仕事終了」と思いきや、硬いはずのフェライトが使うとわずか3時間でボロボロに欠けてしまったのだ。ヘッドの間に様々な材料を挟んで強度を補強したが、すべてダメ。最後にはガラスも挟んでみたが、やっぱり欠けてしまった。調べてみると、既に多くの研究者が 同じようにフェライトヘッドに取り組み、諦めていたということがわかった。それで上司に「諦めて下さい。別のテーマをお願いします」と言いに行くと、「まあいいから、しばらくやっていろ」と言われた。この後は本当に辛かった。半年以上やる仕事がない。出社しても、午前は図書室で新聞を読んで、午後になると暇そうな人と話をして、勤務終了時刻の午後4時になったらさっさと帰る、こんな毎日の繰り返し。
苦しい日々を救ってくれたのは、図書室の責任者だった方の助言だった。欧州フイリップス社の研究文献に「ガラスを溶かし込む」と書いてあるのを発見して下さり、早速試してみると耐久性のあるヘッドが出来上がったのだった。世界最小のVTR「KV―200型」誕生である(1963年、昭和38年)。新聞発表にあたって高柳先生が、「ヘッドの材料や構造は特許申請中でまだ発表できないが、テレビ技術上の革新的な発明である」と言われた。私にとってかけがえのない想い出となっている。
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当時世界最小の業務用2ヘッド・ヘリカルスキャン・ビデオテープレコーダーKV-100型。苦労して開発したガラス熔着型フェライト磁気ビデオへッドが初めて搭載された。(昭和38年) |
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日本ビクターが発表したVHS方式の家庭用ビデオテープレコーダー第一号機。
(昭和51年) |
その後、1966年(昭和41年)に私は家庭用VTR開発担当課長となり、さらなる小型化、カラー化、カセット化の開発に取り組んだ。1975年(昭和50年)にはソニーがベータを発売。ビクターは翌79年(昭和51年)にVHSビデオを発売。「VHS」対「ベータ」競争の勃発。そして、VHSが勝利したことは多くの方々の知るところである。
日本ビクターの取締役ビデオ研究所長を経て、1996年(平成8年)には、VHS標準センターを設立して初代所長を拝命した。世界標準となったVHS。センターでは、どこのメーカーの機械でも、どんなメーカーのテープでも互換性を維持できるよう管理し続けている。
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高柳健次郎先生から直接に高柳記念奨励賞を受賞した。(平成元年) |
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テレビジョン開発で著名な高柳健次郎先生の著書「テレビジョン」。思えば不思議な出会いだった。 |
生涯をVTRに捧げた男―。今は、こう呼ばれることにこの上ない幸せを感じている。
最近になって高柳先生の著書を古本屋で見つけ改めて驚いた。「テレビジョンこそは青年技術者に活躍すべき無限の処女地を約束している」――序文には、こう書かれていた。何故、専門書とも言える本が一中の図書館にあったのか。今でも不思議でならない。だが、あの本こそが、未来の青年技術者となる少年・廣田昭をVTR開発の世界へ導いてくれたのだ。図書館の蔵書を充実させてくれていた一中の先生方に謝辞を申し上げたい。