紙飛行機を飛ばす
私の会社は東京都大田区の蒲田にあります。この地域は京浜工業地帯の中で、ものづくりの最前線基地となっています。区内には6,000を超える工場があり、機械金属製造業が9割、9人以下の企業が8割を占めています。日本のものづくりを支えてきたのは、こういう多種多様な技術を持つ中小企業といわれ、「この分野ならどこにも負けない」技術者としての誇りと自負が、完成品メーカの製品づくりを強力にサポートしてきました。「大田区の空に、設計図で折った紙飛行機を飛ばすと、翌日には見事な部品や製品になって帰ってくる」と言われています。世界でも特異なフルセット型高度加工技術の集積地域として知られています。高度経済成長期には京浜工業地帯の一翼を担って大いに発展しました。
日本の産業形態は、東京オリンピックを境にして急激に変わりました。部品の標準化が進み、コンピュータ化した工作機械が開発され、普及しました。大量生産が容易になり、最近では価格競争に勝つために、低賃金の海外に生産の拠点が移っています。国内の工場を閉鎖して海外生産が本格化すると、国内での生産空洞化が始まり、この地域も大きな影響を受けました。自動車部品、家電部品などの業種の工場が倒産に追い込まれ、完全に大田区から消えました。現在もまだ空洞化は進み、不況の波は消えていません。この現状を打破するため、知恵を出し努力をしています。
この段階でNC工作機を使ってより高度な製品を製作する人と、経験を必要とする特殊な技術で少量かつ付加価値の高い製品を製作する人とに2極分化が進みました。私は後者を選択し、専門的な技術を持つ数社でグループを組み、元請け下請けの関係ではなく「共同受注」をする態勢を作りました。各社が製品と納期に責任を持ち、不必要な経費を削減し、より精度の高い製品を作って得意先のニーズに応え、不況を乗り越えました。
このシステムは大田区で高い評価を得て、グループ各社は平成11年度に優工場の認可を戴きました。またマスコミも「ガンバル町工場」と取上げ、各テレビ局で放映されました。大田区の強みは仲間内のつながりが密接で、どんな技術的な難問も解決してしまう点です。今、中国が世界の工場と言われていますが、私たちは高い技術力を持ち、「世界の試作品」を作っています。F16戦闘機もBMWやベンツも、エンジン・変速機・電装品などのハイテク製品も、この地域への製作依頼が絶えず、要望に確実に応えることで高い評価を得ています。今どんな紙飛行機が飛んできても、短期間で精度の高い製品を作ってしまうでしょう。名実ともに「俺たちは負けない」町工場です。
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| 瀬戸大橋アンカレイジのケーブル定着部。 右は瀬戸大橋用に当社で加工中のケーブルアンカー。 |
始まりはいつもゼロだった
昭和49年(1974年)日本も原子炉を国産化することになり、当社に制御用シリンダーの製作依頼が来ました。結局、当社ともう一社が製品認定され、それぞれ半数ずつを供給することになりました。日立、東芝両社が元受けで東海一号炉の建設が始まりましたが、日本最初の原子炉のため、ミスは以後の日本の行方を左右するわけで、このプロジェクトに関わる各社は真剣でした。
原子炉の制御用シリンダーに最も強く求められるのは製品の精度。駆動する内径精度は100分の2ミリメートル、50万キロワットの炉で制御棒の作動がばらつくと、原子炉の信頼性にも影響します。
このシリンダー加工には熟練した旋削技術を必要としますが、当時素材のステンレス・パイプ材には国産品がなく、その供給はスウェーデンのサンドビック社に限られていました。そのため製作時の成分ミルシートがなく、旋削中にどう変化するかが問題でした。ステンレス・パイプを成型する際に発生する応力が、製品となった後もパイプに残っており、旋削している時にその応力による歪みが発生し、精度がばらつくことになります。
その対策として、旋削の際に熱変化を防ぐようパイプの冷却に気を配り、可能な限り応力の影響を受けないように作業して精度の高い製品を作り上げました。納品検査の結果全数合格し、2年間の試験運転を重ね、日本初の沸騰水型原子炉は営業運転を始めました。思えば何から何まで初めての連続、作業工程で不具合が発生し解決するのに大勢の人の知恵もいただき、乗り越えました。今このプロジェクトに参加できたことを誇りに思っています。
その後50基ほどの原子炉が稼動していますが、3号炉からは通産省が制御棒駆動機構に使用する制御シリンダー、ステンレス・パイプの国産化に踏みきり、紳戸製鋼と住友金属に依頼しました。数年間の不良品多発の時期を経て、ついにノウハウを習得し、良品を完成するに至りました。この両社は、習得した技術を利用して、世界に先駆けて大口径シームレス・パイプを発売しました。皆、始まりはゼロからでした。
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| 優工場に指定された当社で、長尺軸を旋削加工する筆者。幸い、長年の経験と熟練した技術で、最近では大田区のマイスターと呼ばれることもある。右上は、原子炉用制御シリンダーを加工中の写真。高揚程多段遠心ポンプの主軸や、エレベータ主要部品などもこの工場から生れた。 |
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100系から300系へ
当社では100系新幹線車輌の乗り心地を向上するショックアブソーバーの製作を車輌メーカから受注し、製作納品していました。その後東京・大阪間を3時間で走る300系車輌の製作が始まり、JR東日本より新ショックアブソーバーの製作依頼が来ました。最高時速280キロで走るにはカーブでの走りがもっとも重要で、最低でも220キロ以上で安全に走行でき、乗り心地を損なわないこと、また衝撃を吸収し、カーブを抜け直線に入って速度を上げるときに揺れかえしが起きないよう、精度が高く破損しない製品をとの要求でした。
1車輌が約70トン、1列車16輌で1,100トン以上の列車が220キロで走り抜けると、外側にものすごい遠心力が発生して内側が浮き上がります。これを非線型空気バネとセミアクティブ制振制御装置で押さえ込む装置を当社で作ることになりました。溶接ひずみを避けるために溶接後の機械加工となり、形状上の困難から軌道に乗るまで随分苦労しましたが、安全なセミアクティブ制振制御装置を完成できました。
この装置については、高速列車を走らせているフランスとドイツ両国から強烈な売り込みがありましたが、両国では内陸を走るために軽量化したアルミニューム製で、沿岸部を走行する日本では塩害の恐れのため結局採用には至りませんでした。導入した韓国は塩害にやられて故障続きですが、新幹線を導入した台湾は安全なはずです。
JRでは最高速度300キロで500系と700系を走らせ、現在ではセミアクティブ制振制御装置を改良して乗り心地と安全性を高めたN700系が完成し、近く試運転に入ります。この列車はカーブを250キロで走り抜け、東京・大阪間がかなり短縮されるはずです。レール走行ではカーブで250キロが上限。そのためN700系が最後となり、現在いつゴーサインが出ても着工できる態勢ができているリニアーモータ列車が、近い将来東京・大阪間を1時間50分で走り、東京から見て大阪などは通勤圏になるでしょう、夢でなく。