歯科業務とママさんバレー活動

丸 岡 登 喜 子
  

技では無理でも、がんばる姿では見本くらいには?

続けていたからこそ、がんばっていたからこそ、仕事が人を選んでくれる。「継続は力なり」は、今では孫の口ぐせにも。

武生26会会員。旧姓成田。1952年武生第一中学校、1955年武生高等学校を卒業。同年東洋レーヨン(株)金津工場に入社し、実業団バレーボールに打ち込む。1958年、主人の転勤に伴い同社を退社して東京に移り、この間渋谷の国際クッキングスクールに通う。以後、名古屋を経て、1973年からは狛江市で歯科医院に勤務。1975年からは秦野市に移り住み、同じく歯科医院に勤務して現在に至る。この間、各地でママさんバレーを続け、とくに秦野市でのママさんバレー歴は1975年の参加以来すでに30年になる。


この歳で現役

ふるさと武生は今吹雪の真っ只中とか。わが家の窓外には青い空の下にくっきりと丹沢連峰が、その西には眩しいほどに輝く凛とした富士山が見えます。

当地に住んで早や30年。この町「秦野」の地下は美味しい天然水の宝庫です。山が好きで、景観が素敵だとこの地を選んだ夫も、既に他界して今年で23年。その後いろいろなことがありましたが、そのつど周りの人々に助けられ、今思い出すのは不思議と楽しいことばかりです。

 人様に誇れるようなキャリアは何もなしで始めた歯科関連の仕事ですが、健康で続けていればこそ、今この歳で現役です。今だから言えるのですが、自分に合った仕事を探そうだなんて、しっかりした自分がある人の言えること、続けていたからこそ、がんばっていたからこそ、仕事が人を選んでくれるのだと。

元気のもと

 私の元気のルーツは、武生第一中学校時代に始めたバレーボールにあります。

米野先生や部員たちと汗まみれになって練習をした日々は遠い昔ですが、体が覚えた基礎はありがたく、その後も高校、実業団、ママさんバレーと続き、現在もバリバリ(?)の現役。60歳以上の部とは言え、県大会、関東大会、全国大会など、生涯スポーツとして益々盛んになってきています。加齢に伴う体力や技術の低下も何のその、週2回の練習はもとより、試合本番も同じ目的を持つ人たちと楽しくがんばっています。もう技ではとても若者の「手本」にはなれませんが、和気藹々のうちにもがんばっている姿は、「見本」くらいにはなれるでしょうか。


全日本バレーボール実業団女子選手権大会の東レ金津チーム。福井市にて。(昭和31年) 第8回全国家庭婦人バレーボールことぶき大会。群馬県総合スポーツセンター(高崎市)にて。前列右端が筆者。(平成15年)


これから

 このような生活を通じての私の口ぐせ「継続は力なり」は、今では孫の口ぐせにもなりました。「人生、結果がすべて」という考え方もありましょうが、「課程こそが大切」だと思いつつ、仕事とスポーツを両立でき、健康な日々を送ることができることに感謝しています。

そしてこの同期生の会「26会」にあっても、いつまでも現役でいたいと思っています。世の中の各方面で活躍された方々の話は、興味深くいつも新鮮ですし、優しく暖かい幼なじみの言葉は胸にしみます。

 今はさざ波のような穏やかな日々ですが、さあこれからどんなことになりましょうか。私の幕が閉じるまで、楽しく生きたいと思っています。