企業合併プロジェクトの推進

武 田 道 雄
   元 (株) アシックス 監査役
   元 (社) 日本監査役協会 理事

一体化には、想像を絶する労力を必要とした!

新たに勉強をし、立ち止まっては元に戻り、また違う角度から物事を見直す「帰一」の繰返しで、難問をクリアしてきた。

武生26会会員。1952年武生第一中学校、1955年武生高等学校を卒業。1957年臼井メリヤス製作所入社。後に臼井繊維工業(株)に改組し、さらにジェレンク()に商号変更。1971年同社取締役経理部長に就任。1977年オニツカ()()ジィティオーと合併して()アシックスとなり、取締役経理部長、管理部長、情報システム部長などを歴任。1982年同社監査役(常任)に就任。2001年同社顧問となり、翌年退任、現在に至る。この間、()日本監査役協会理事、同関西支部幹事などを歴任。システム監査学会会員。

 昭和52年7月、スポーツ用品業界をアッと言わせた新会社が誕生した。スポーツ用品専門メーカー3社が合併して出来た株式会社アシックスである。私が社会人となって以来、プロとして、私の生涯の殆どを捧げてきた会社であり、また私を育んでくれた母体でもある。

一中の思い出

 思い起こせば、校庭の西側を流れる川に竿を立てて対岸へ飛び、勢いあまって向こう側の田圃の中へ…、そんな風景がユーモラスによみがえる中学時代であった。本校舎ができ、最後に完成したのが北側の特別教室棟。そこでの木の香が懐かしく思い出される。私たちが在籍したのは第2次世界大戦後、新教育制度が定着したかどうかの微妙な時期。そんな中で、書道部にいた私たちが木村先生の指導により県下書初競書大会で優勝したこと、袖岡先生に誘われて卓球部に入ったこと、担任の佐々木先生と一緒にがんばったバスケットボールのこと、校内長距離走で6位入賞して皆を驚かせたこと、後期の生徒会長選挙戦で演台を叩いた演説や級友の応援演説のこと、体育会予行演習で行進の先導が悪いと鞭を持った菅沼先生に叱られたこと、杉本長雲先生の揮毫による新校歌の披露のことなど、まさに走馬灯のように当時のことが駆け巡る。

 また一方で、生徒会の面倒をみられた大辻先生など、担当教科以外のことでも何かと親身な指導をいただいた諸先生方。その時々の姿は、古稀近くなった今でも決して忘れられるものではない。私たちに勉強の楽しさを幅広く教えてくれたのもそういう諸先生方であった。おかげで私たちには、それぞれに得意な学科ができた。

帰一の連続

 社会人になり、工場に配属になったある日、呼び出されて経理担当に……。いつのまにか管理部門全般を司るようになり、昭和38年豪雪の年、雪の後始末を終えた5月のゴールデンウィークに大阪に赴任した。

 経理担当にはなったものの、学生時代は簿記を含めて、経理関係の勉強などは一切したことがなかった。どちらかといえば理系的なことに心引かれていたので随分面喰ったが、幸い武生商工会議所で武生高校の商業科の先生が簿記の講習をやっておられるのを聞き出し、高校の教科書を買い求めて馳せ参じたものである。「経理」を「経営管理」と読み替えることで、単に帳簿をつけることではなく、経営全般の活動を会計という手法で整理記録して管理報告することだと判ってからは、企業分析の勉強もした。そして、人・物・金のすべての経営資源(最近はこれらにさらに情報が加わっている)を管理コントロールしなければいけないと悟った。

 このように新たな分野の担当になってからは、勉強をし、立ち止まっては元に戻り、また違う角度から物事を見直す癖が身に付いた。まさに「帰一」の繰返しで、与えられた仕事の目標と目の前の難問をクリアしてきた。

 米国販売会社の会計監査に同行したときには、語学の必要性を現地到着翌日の朝食から嫌というほど痛感した。注文した朝食にありつけないのである。のちに一人で出張するようになって初めて、思った朝食が食べられるようになり、日常会話も何とか通じるようになった。

3社合併

 昭和50年に入ると極秘情報が入ってきた。合併問題、それも3社合併である。その合併推進委員に指名された。

 企業文化も違い、オーナーを含めて人の生い立ちも違うものを纏めて一つにし、それも、世界のスポーツ用品業界にあって「総合メーカー」へと躍進するための合併だという。初代の経理部長も内示されていたからプレッシャーも相当なものだった。まずは原価計算を含む「経理システム」の統合が課題だった。そのためプロジェクトを組んで取組んだ。過労で昭和53年には体調を崩したりしたが、一段落して今度は「情報システム」の統合へと移った。仕入れ、セールスのやり方から、在庫品の管理、受発注・納品の仕方など、すべてが違うプロセスが3社分もあるわけで、これを一本化するには、想像を絶する神経と労力と時間とを要した。これらの業務を通じて経営の本質を見極めることと、周囲を説得し、リードすることの重要性を学んだ。

 次いで情報システムのグレードアップの問題が浮上してきた。先任者の後を継ぎ、在庫管理、受発注、与信管理のオンライン化とともに、経理システムとの結合が課題となった。4ヶ所の配送センターを1ヶ所ずつ新システムへと切り替えるのだが、最初の配送センターで思わぬトラブルに見舞われた。真夏の1ヶ月間、現地に泊り込んだりして何とかすべての配送センターの切替えを終えた。その直後、昭和57年の株主総会で、私は監査役に就任することとなった。

監査役時代に「監査役のシステム監査」について講演中の筆者。
(平成2)

監査役時代

 経理会計に関する法律は仕事上勉強してきたが、商法全般については精通していなかった。そのためまた一からの勉強が始まった。会社とは、代表取締役とは、監査役とは、…。いくら勉強しても終りは見えない。それに監査役監査という本来の業務も待ったなしでやってくる。この時期ほど商法学者・弁護士との接触が多かったことはない。

 この監査役時代は11時間36分の株主総会も経験した。ソニーに次いで2番目に長い株主総会だった。また取締役会での議案に関して議論のあり方や、会社がおかれている状況の認識に対する意見陳述など、思い出は尽きない。

米国販売会社への出張時、社屋前にて。
(昭和54年ごろ)
転換社債発行時の証券アナリストへの説明会での昼食会。スイス・チューリッヒのサボイホテルにて。(昭和55年)

 社会人となり最後は会社役員を務めたわけだが、こうして振り返ると、よくもこんなにいろんな仕事を経験してきたものだと思う。現場のオペレータと商品の企画開発以外はほとんど経験した。46年近くの間、国内外を飛び回り、壁に突き当たれば門を叩き、多くの勉強をさせてもらった。仕事を変わるごとに新たな勉強をし、ただひたすらに、教えを乞い、悩み、判断し、前に進んだ経済人時代…。プロジェクトの連続に果敢に挑戦できたことの原点には、やはり武生第一中学校時代に受けたレベルが高くて深い教育があったからではないか。

後輩への期待

 何事にも臆することなく進み、門を叩き、聞くことが学問の始まり…。与えられた仕事に対し、何か一つでもプラスアルファを付けられる生き様の重要性と、そこに立向かうための気概を体得できた幸せな中学時代であったろうと感謝している。

 若い後輩の諸君も、何事にも目を背けず、読み・書き・算盤(数学計算)という基本はもちろん、語学についても謙虚な気持ちで学び、その結果として今後の人生のための多くの判断材料を身に付けてほしい。人生では何事も、最後は自分で判断することになる。自分で責任を持てる人生を切り拓いてほしいと心から念願している。



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