海外建設プロジェクトへの参画
谷 崎 満 男
   東邦塗装株式会社 代表取締役 会長
   有限会社 東邦システム 社長

   

建設現場まで、炎天下の砂漠をポンコツ車で!

日本から持ち込んだ貴重な道具が盗まれた。翌日、ドロボー市場で発見。お金を出して買い戻し、仕事を続けた。

武生26会会員。1952年武生第一中学校卒業、武生高等学校を経て、1959年武蔵大学経済学部を卒業。同年東邦レジン塗装工業株式会社に入社。1972年に東邦塗装工業株式会社を設立し、社長に就任。現在は同社代表取締役会長。この間、火力発電所、原子力発電所などの設備機械の塗装工事などを受注し、全国、全世界を飛び回る。1984年には千葉県塗装工業組合理事長、20022003年度には千葉港ロータリークラブ会長を歴任。また、2004年には有限会社東邦システムを設立し、現在に至る。


私の仕事

大学を卒業して10年ほど経過したとき、一念発起して自分の会社を興すことにしました。設立した私の会社の主な仕事は、皆様の家庭に電気を送る火力発電所や原子力発電所の設備・機械に対して、その塗装工事全般を請け負い、性能・機能の維持向上と長寿命化をはかることです。その仕事のため、今も日本全国、世界各国を飛び廻っております。

 福井県には、北陸電力株式会社の敦賀火力発電所がありますが、ここの発電設備は、4年前に1年間かけて私どもが塗装工事を致しました。

関西電力株式会社 舞鶴火力発電所(京都府)の全景。70万キロワットの発電能力を持つ。ここの発電設備の塗装工事一式を受注し、20048月に完成。

このように大型の塗装工事を通じて世の中に貢献すべく、現在も仕事に精を出しております。しかしこれ以上専門的な話を続けても、とくに若い皆様には理解して貰えないと思われます。実は今から25年ほど前に、皆様ご存知の「イラク国」および「サウジアラビア国」へ行き、日本のプロジェクトチームとして発電所の建設工事に参加いたしました。それで、この海外での仕事を通じて私が見たこと、聞いたことを中心に、以下にお話ししたいと思います。すなわち、私の「中東イスラム国家」見聞記というわけです。

 ただしあくまでも25年前の話ですから、現在の現地情勢とは多少異なりましょう。とくに現在のイラク情勢とは全く異なると思いますのでご了承願います。

当社が塗装工事を通じて建設に貢献した事業所の例。
 上: サウジアラビアのクラヤ発電所
右上: 東京電力富津火力発電所
 右: 三菱重工長崎造船所の工事で安全表彰を受ける当社の責任者。

なお、イラクのハルサ発電所はその後の湾岸戦争で破壊されたという。
 

イラク

まず、イラクへ入国する場合の心構えとして、イスラム教「コーラン」の教えや、習慣、当時のフセイン政権の政治体制などについて勉強させられました。入国時の注意事項に、「イスラム教の戒律」によりイラクへの持ち込みが禁止されているものとして、
   @ 豚肉、豚の皮革製品
   A 酒・ビールなどのアルコール類
がありました。この@とAは、この国では食べることも飲むこともできません。さらに
   B 女性の肌の見える写真や新聞・雑誌
があり、これらは空港で没収されてしまいます。また、「イスラエル」の国旗や記事が載っている新聞・雑誌、およびイスラエル製品は、持ち込み禁止でした。自分のパスポートに、過去にイスラエルへ入国した捺印があった場合には、「スパイ」容疑で逮捕されます。当時はイラクにとってイスラエルは敵国でありましたので、入国検査は大変厳しいものでした。現在もそうですが、例えば、「コカコーラ」はイスラエル人の資本の入った飲料会社ですので、一切売られておりません。そのかわり、「ペプシコーラ」は売っておりました。

 いざ、出発。やっとバグダッド空港で入国手続きを済ませ、「ハルサ」という建設現場まで600キロメートル(東京〜大阪間に相当)を、冷房なし、サイドミラーなしのポンコツ車で、摂氏50度という炎天下の中を走りました。タクシーは、乗る前に運転手とお客の話し合いで料金を決めます。しかし、日本人の場合は、イラク人の3〜5倍の料金をとられるのが通常でした。

当時、イラク国内には、義務教育は行きわたっていず、とくに田舎の人たちの中には、自分の名前も書けない人も多かったようです。国民性はとてもおとなしく、日本人に対しては大変好意的でした。

 当時この国は、あまり「もの」のない状況でしたので、日本から持ち込んだ建設に必要な道具類(ノコギリ、ペンチなど)が、ちょっと目を離した隙に、なくなってしまいます。翌日ドロボー市場へ行くと、昨日なくなったものと全く同じ道具が売っておりますので、またその道具をお金を払って買い、仕事を続けた次第です。

サウジアラビア

 1年後、今度はサウジアラビアへ、現場視察のために行きました。とくにこの国は「イスラム教」の発祥地なので、アラブ諸国の中でも、昔のままの厳しいイスラムの戒律を守っている唯一の国であり、大変制約の多い国柄でした。

 街を歩いても、現地の女性は黒いマント(アバヤ)を頭からかぶり、顔などは見ることができません。王制を敷いていて、今でもコーランの教え通りの生活をしており、例えば、金持ちの男性は1人で4人まで妻を迎えることができます。そのためには4人の妻を平等に愛さなければなりません。それゆえ、一つの大きな建物の中には、4LDK級の部屋が4世帯分あります。

サウジアラビアの風景T:
遊牧民ベドウィンの人々。ビザを持たずに中東の国境を自由に出入りできる唯一の民という。
サウジアラビアの風景U:
アバヤを纏った女性たち。
注) ダイヤモンドビッグ社のご好意により、地球の歩き方
(04-05
年版)「ドバイとアラビア半島の国々」から転載。

 この国は、世界一の産油国で裕福ですから、教育・病院をはじめ、公共施設はすべて無料です。しかし不便なことも一杯あります。たとえば、今は多少改善されたかもしれませんが、街のレストランへ家族と一緒に食事に行っても、男女別々に分かれて食事をするそうです。

 とくにイラクと違って厳しいのは、刑事罰です。凶悪犯罪の場合は、公開処刑という、見せしめの刑もあるということでした。例えば、「ドロボー」をして現行犯で捕まった場合は、左右どちらかの手首を切り落とされてしまいます。

 この地に2週間ほど滞在していましたが、帰途には「バーレーン」に立ち寄り、初めての経験として音速より速い「コンコルド」に乗って、シンガポール経由で帰って参りました。

 現在は、イラクもサウジアラビアも危険地域であり、観光で行くのは大変難しいですが、中近東地方に平和が戻ってきたら、皆様も一度は「イスラム国家」を、ビジネスであるいは観光で、旅されるのもよいと思います。しかし、観光地以外の場所の写真撮影は禁止されておりますので、気をつけて下さい。日本は、資源のない国です。皆様が大人になったら、国内だけに留まらず、海外に羽ばたくのもよいのではないでしょうか。